「死んだ人って、こわくないの?」と、
あらゆる所で子どもたちに聞かれます。
実は、全然こわくない。
戻すことが出来ないともしかしたら・・・
こわいのかもしれないな、と
子どもたちに質問をされて、
自分の弱さに気が付いた。
人の体の作りと、
人の体の変化と、
死因と、
置かれた環境と、
少し前のことがちょっとだけ関係して、
「死語変化」となる訳だから、
それらを丁寧に辿っていって、
元に戻す目標に向かいます。
だけど、その経過の中で、
その方が生きて来られた証に、
出会えることが多くて、
その度に胸がグッとなることがあり、
それを技術にかえて、尽くす。
対面をしていただいて、
その時に、
ご家族が亡くなられた方の、
名前を呼んでくださった時に、
ドッと緊張の糸が、
切れる瞬間があります。
現場では緊張の糸が何本もあり、
その一本一本を大事にして、
傍に居させていただける時間に、
ものすごく感謝しています。
死の意味を感じたり、
理解しようとする気持ちがあると、
実は死は色んなことを教えてくれます。
そこにその方の人生があったことも。
お盆はきっと、
年齢や性別、どう亡くなったかの
理由に関係なく、
こうして日本を作って来てくれた先人の、
功績を感じる時なのかもしれないと、
そう思いながらお盆を過ごしていました。
「死を迎えた人と生きている人の差は、
私には無いんだよ。みんな、同じ大切な人。」
と、子どもたちに答えていました。
たいていその後は、質問責めにあいますが(笑)