月曜日、朝の6時台の新幹線に乗り、福島県へ向かいました。福島県沿岸部は、桜が咲いていました。ラジオ福島の、大和田新アナウンサーに、現在の福島県を一日かけてご案内いただき教えていただきました。皆さんと再開し、新たなご縁もいただいて、ずっと色んなことを考えていました。原発に対して、初めてどうしようもない、強烈な怒りを感じました。怒りはすぐに、深い悲しみに変わりました。でもその前に、私は色んなことを知らなかったことにも、気が付きました。それは、未だ子どもさんの帰りを待ち、捜し続けるお父さんと再開。今日までの気持ちを、今の気持ちを、教えていただきました。そして、大切な子どもさんたちの宝物も見せていただきました。「原発事故が無ければ・・・」涙をこらえるのが、やっとでした。お父さんは、地域の、家族を亡くした子どもたちの遊び場を作っていました。公園や、菜の花畑で作る迷路。津波の被害を受けて、離れた地域の人たちが、菜の花畑の迷路で遊ぶために、帰って来るのだそうです。「菜の花畑が無ければ、帰って来れなかった。」と話す方も多いそうです。お父さんと、それからお母さんと、お空の上に行った子どもさんたちの話をしました。大切な時間を、一緒に過ごさせていただきました。宮城県大川小学校の、遺族会のお父さんとも、お話をさせていただきました。一つ一つ丁寧に、色んなことを教えていただきました。胸が、引き裂かれました。「卒業生の子どもたちにとって、大川小学校は震災遺校では無く、大切な想い出が詰まった母校なんです。」卒業生の子どもたちが、大川小学校を残して欲しいと活動していて、それについて、お父さんは子どもたちの気持ちを代弁して、今の気持ちを教えてくださいました。福島県では、お一人お一人との出逢いと再開、大切なお時間をさいていただき、本当にありがとうございました。大和田さんに連れて行っていただいた、震災当時から原発事故から、立ち入り禁止区域だった沿岸で、衝撃を受けました。東日本大震災発生後の岩手県の、一年目位の光景がそこにありました。立ち入り禁止区域が解除される前は、警察官などの皆さんが、解除後は家族を捜すご家族が、ここを何度も捜した跡がありました。骨と願って拾うも、木だったり・・・。野球ボールやサッカーボールもありました。もっとここを捜したい。正直、そう思いながら「あそこが原発なんだ・・・」海岸に立つと、あそこに見える原発に、どんな感情を持てば良いのか分からなくなりました。福島県は、今、沢山のボランティアさんの力を借りているそうです。遺体捜索は、警察もずっと続けてくれています。心から感謝です。何人行方不明かと言うことも、知っていただくことは大切なことだと思います。でもそこには、大切な家族が一人でも居ないと言うことが、どれだけ切なく、深く苦しいことなのか、そのことに一人でも多くの方に気が付いていただければと、心から願っています。
Posted on 2014/04/09 22:47 by 桜 代表