2016年8月22日

クラーク博士

クラーク博士は、札幌で生まれ育った私には、とても親しみのある存在です。

特に小学校や中学校の授業の中で、先生から教えられることの中に、クラーク博士の名前と功績は、よく話題に出ていました。

小学校では、クラーク博士の銅像がある羊ヶ丘展望台に社会見学の中で行き、「この人が、クラーク博士だよ。」と、教えられたものでした。

北海道大学の前身、札幌農学校時代の教頭先生。世界的に常に戦争が行われていた中での教育だったそうで、マサチューセッツ農科大学の学長をしながらの、札幌農学校との関わりだったと聞きました。

クラーク博士は、戦争に出陣したことがありました。優秀だったため、短期間であっという間に大佐になり、クラーク博士を慕っていた生徒たちが、軍事を全く知らない中で、多く先生を慕う気持ちだけで、次々と戦争の犠牲になったのだそうです。クラーク博士は、それをとても深い悲しみとして抱えていました。

教育の場に立ち続けながら、その悲嘆を抱えていたそうです。流されることなく、きちんとした意志を持ち、自分の中に大きな志を持って欲しい。戦争で犠牲になった生徒たち一人一人を胸に、それでも戦争の続く世の中の流れの中で、クラーク博士は苦しみ続けたそうです。

人は何としても食べて行かなければならないと、一人一人が生き抜くために、国を越えて「農業」の哲学と実践を生徒たちに教え、悲嘆と向き合う自分の姿を無言で見せ、どんな苦難が向かって来ようと誠実に対応し、決して弱音を吐くことなく、生徒たちの教育に尽力したのだそうです。

クラーク博士が札幌農学校を離れ、国に帰るときに、お別れしなければならない生徒たちに残した言葉が、

「少年よ、大志を抱け」

だったそうです。学校の先生方が教えてくれたのは、「年を取っても、大志を抱き続けたクラーク博士の姿」、だったのだと聞かされました。

小さな頃から聞かされた、クラーク博士の存在。私にとっては、身内のような、おじいちゃんのような、そんな存在です。

先日、幼馴染からこんなメールが届きました。「久しぶりに、クラーク博士の銅像の所に来たよ。・・・なんか、お墓参りに来たような気持ちです。」一緒にクラーク博士のことを聞いて育った幼馴染だから、なんとなくその意味が、分かる気がしました。(笑)

札幌時計台はクラーク博士が建てたもので、現在もクラーク博士の資料が展示され、紹介されています。