2016年8月17日

いのち新聞、お盆の送り火

昨日の16日は、送り火をしました。地域により、15日の所と16日に行われる所がありますが、私たちもどっちにしようか話し合いながら、結果16日の18時半頃から行いました。

実際のところ、普段以上に復元・納棺現場も非常に多かったお盆期間中。

「ご先祖様が帰って来ている時だから、一人じゃないよね。」

と故人に言葉を掛け、頬に、手に触れるご家族の姿が現場にはあります。だからこそ、死に直接触れさせていただく毎日の中で、送り火と迎え火が「実行出来たこと」に、また深く色々感じさせてもらえた時間でもありました。

送り火の火が燃え尽きるのを、集まれたみんなでじっと見ながら、これまでの色んなお話しをしていました。

悲しみを昇華するための、風習。迎え火と送り火ですが、目的に向かって実行するまでの作業の過程と、その過程を経ての結果。どちらが欠けても、今の気持ちには到底辿り着けないものだということを、学びました。

記憶を語り合い、想い出して、整理して、振り分ける作業が準備。
そして、想い出と共に生きる覚悟が、目的(この場合は、迎え火と送り火)。

昔の人の知恵に、感謝する時間でした。通りすがりの人や、近所の人たちに教えてもらった、プラスαのそれぞれの家庭の迎え火と送り火。色んなことを教えてもらったので、みんなで来年は、浴衣を着て、花火をして、手を合わせ、迎えて送ろうと、話し合いました。

あちらこちらで、盆踊りの音楽が聞こえてきたお盆期間中。生きてる人の気持ちと、死を迎えた人の存在と、共有出来る時間があること。ホッとする風習に寄り添ってもらい、生かしてもらっていることを感じた、お盆でした。

追記、
迎え火の時は4カ所、送り火の時は3カ所、計7カ所。私が、蚊に刺された数です。来年は、虫に刺されない対策を取りたいと、あちこち掻きながら強く思いました。