2013年12月3日

京都に来ました。

ホテルに向かいつつ、少し寄り道をしました。

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京都、清水寺の清水の舞台と紅葉です。とってもきれいです。

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圧巻。

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山に陽が沈む瞬間。

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 幻想的でした。

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ふらっと脇道に入ると、「あの世とこの世の境」と昔から呼ばれる場所がありました。昔からこの辺りは、地域により伝統として遺る、葬儀の時に行列を組み、今はお墓やお寺に向かう、「野辺送り」と呼ばれる儀式の道のりの重要な場所として大切にされてきたそうです。今でこそ、近代的な葬儀が多くなりましたが、全国各地の古い「しきたり」を守る地域には、宗派にもよりますが「野辺送り」「三匝(さんそう)の儀」は今でも少し形を変えている所もありますが、又は名残りとして未だ大切にされています。「野辺送り」は龍頭、提灯、花籠、松明、四華、野花(一本華)、野膳、一杯飯、水、お菓子(供え物)、鍬、片手握り、団子、生花、天蓋、写真、卒塔婆、位牌、(現代はお骨で昔は柩(座柩))などなど、地域により、呼び方も異なり、持つ物も多少異なりますが、「死」を迎えたお家のために、昔は葬送の儀は地域総出で行われていました。詳しくは、地域のお寺さんに聞いてくださいね。

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この井戸はあの世とつながっているのだと言い伝えがあるそうです。日本むかし話のような伝説でした。「なるほどぉ。」と、思わず記述に夢中になっていました。こちらのお寺の前は、この世とあの世の境であるそうです。昔はこちらの地域では、風葬が行われていたそうで、こちらのお寺で法要を行い、この世とのお別れをして、鳥辺山の麓に向かったのだそうです。その風習のためか、「この世とあの世の境」と呼ばれるようになったのではないかと、記述がありました。大切な家族を亡くして悲しいと言う気持を持つことは、大昔のネアンデルタール人の遺跡からも「墓場に花を手向けた」歴史が遺っているそうです。家族を亡くしても、家族とつながっていたい気持は、きっと人の気持の中の、大切な感情なのかもしれないと、思います。歴史の中にある葬送の姿は、昔の人が私たちに遺してくれた大切な物があるのかもしれません。

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亡くした大切な家族は、自分(私)を見て何て言っているのだろう。それぞれの答えが、きっと普段の生活感を感じさせない「お寺」で考えることで、普段の自分では出せない答えが、忘れている大切なことを思い出して、答えが出るのかもしれません。答えが出なくても、それが今の答えなんだと思うから、流れに身を任せてみるのもたまには良いのかもしれません。東京駅で流れに身を任せてみたら、先日迷子になった私が言うことでもありませんが。

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夜、急に牛乳が飲みたくなってホテルを出てコンビニに向かっていたら、猫が居ました。「うわぁ、可愛い!おいで〜、ポチ!」と思わず呼んだら来ました。

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「本当にポチって言う名前なの?」なぁんて猫に聞きながら、何を言っても返事をしてくれる猫に、とてつもなく癒された時間でした。