2013年12月7日

目黒区の庚申信仰

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民族信仰の中にある、昔の日本人の生活と心。私自身、その意味で民族信仰から学ぶことが非常に多く、自分の心の糧になり支えられ、知恵をもらえるので相当好きです。講演前に控室を少し抜け出して、裏道に出て見ました。そこには、な、な、な、なんと!民族信仰が存在していた!

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目黒区には、「目黒不動尊」が昔から信仰の対象として、同時に出店やその道中の様々な露店が娯楽の対象として昔から流行っていたそうだ。東京の中心から一日で行って帰れる場所にある、目黒不動尊。相当な賑わいだったらしい。庚申信仰は、その道中である、ここの町でも大切にされてきた信仰の一つ。話の内容は以下の通り。「60日に一度、庚申の日と定められている日がある。人の体の中に存在する虫がいて、その日に眠ると、その人の体の中からその虫は一旦出て行き、空の上の、天后の所に告げ口に行くのだそうだ。庚申の日には、みんなで集まり、わいわいと騒ぎながら、朝まで寝ないで虫を体の外に出さないで頑張っていた。」それが、庚申信仰なのだと、教えてもらった。素晴らしい、コミュニティの場であること、テレビや新聞などの情報がない時代には、きっとここで情報交換も行われていたに違いない。そして、そう、人は自分の知らない間にも、誰かを傷付けている可能性あり、高い確率で妬みや恨みから、自己中心的な心理から発生する悪口や悪行、噂なんてもってのほかだし、ちょっと・・・の出来心も日常の中であるような、無いような(笑)自分のことは棚に上げて、人の人生をとやかく言う人も多い、多い(笑)「人のことはいいから、自分のことをしっかり頑張れよ。」と天后に言われるのは関の山。「告げ口」という表現も、「おい、おい!」という憎めない表現だし、ま、告げ口されては大変だという心理を誰でも持っているもの⁉︎なのかもしれないです。(笑)私は、な、な、無いけど(笑)いや、天后に是非、お会いしてみたい。と思うのは私だけ⁉︎天后って、どなたのことを指すのだろうか・・・。と、探究心が湧いてしまいます。とっても素敵な民族信仰に出会い、昔の人たちと同じものを見て、同じ場所で手を合わせている不思議さが、なんとも言えない空間でした。民族信仰の中で、私が是非お会いしたい方は、やはり三途の川の奪衣ばぁさん。それから、庚申信仰の天后さま。どちらもきっと、こう思っているのではないでしょうか。「人はみんな、弱い心も、魔が差すことも、欲もあるけんどもよぉ(何故か方言)、向上心って、そうじゃねぇべ〜。我らの存在を生きている内に知ったらよぉ、判断間違わねぇべ。自分のことだべ。自分の人生なんだから、自分を客観的に見て、「たいしたことねぇな」って思うのも大事なんだよぉ〜。「たいしたことねぇなぁ〜」と思ったら、腹も立たないし、自分が生かしてもらっていることに気が付くべ〜。ここに来るなよぉ。ここに来るってことは、大変なことなんだぞ〜。」って。昔の人たちが遺してくれたものの中に、生きる道しるべがあるのではないかなぁ、日本の歴史を作ってくれた人たちの「心」は意識をして、気が付いた所に存在しているもの。「幸せ」と呼ばれるものがそれなら、ものすごくたくさんあるものです。心を養い、培うと、言葉の意味もいろんな価値観も、違う姿に見えるもの。お年寄りが教えてくれることは、本当にすごいと思いました!ありがとうございました!

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庚申信仰に少しだけ触れさせていただく中でも、たくさんの自分自身の気持ちを知れた気がします。昔も今も、大切にするべき心を学びました。ありがとうございました!