沖縄県石垣島にお邪魔していました。教育関係者の皆様で活動される、ペスタロッチ教育祭の、教育講演会にお招きいただき、90分のお時間の中で、お話しをさせていただきました。「一年間前に申し込みをしましたが、笹原さんのスケジュールがすでに希望日がうまっているとのことで合わず、最初は断念。二度目の問い合わせでやっと叶った、待ちに待った講演です。」と、皆さんに言っていただきました。大変お待たせ致しましたが、お待たせした分も精一杯お話をさせていただきました。
講演前に、小学校・中学校の先生でいらっしゃるご夫妻に、島の中をご案内いただきました。
明和の大津波を経験した石垣島は、当時の災害の被災状況として、約12000人の死者、行方不明を出し、町はほぼ壊滅だったのだそうです。その時の痕跡を遺している場所があるということで、連れて行っていただきました。そこへ向かう道は、サンゴの死骸で出来たという、白くて綺麗な道を歩きました。
その時の大津波により、海底のサンゴなどを含めた様々な物が、海岸に打ち上げられたそうで、それがそのまま残っていました。
そして、次の場所へ移動。小高い丘の上に来ました。そこには小学校がありました。その小学校の横に、大きな岩がありました。それは、明和の大津波の被害が、こんなに高いこの丘の上にも来たと言う証拠にもなっている「津波石」と呼ばれるものでした。先生ご夫妻は「津波石など、授業の中に、島の歴史を含めて取り入れています。防災意識を高く持ってもらうことも、大切な生きるための授業。他に自然と生きることの中で、大事なことを教育に組み込み、たくさんの校外授業を行っています。」と、教えてくださいました。
「実は津波石、本来は目に触れることのない深い海底の物が打ち上げられたのですが、今、目に見えているものは、サンゴなどの化石なんですよ。」とご主人は理科の先生とのことで、本当に色んなことを教えていただきました。理解って、こんなに夢中になれる科目だったんだなぁと、思った私でした。津波石に巻きついている木は、ガジュマルの木。ガジュマルの木には、ギジムナーが住むと言われています。ガジュマルの木の妖精?妖怪⁉︎らしい。お、写真に映っている可愛い子は、ギジムナーか⁉︎
地元の方に伺う所によると、ギジムナーの好物は、鰹の左目なんだとか。屁が嫌いなんだそうです。三線(さんしん・沖縄県に伝わる民族楽器)を弾いていると、弾いている人の後ろで踊っているらしく、素直な子供時代にしか見えないそうです。色々なギジムナーのお話しを教えていただく中で、地元の方々がとても大切にしている、ギジムナーの存在であることを知り、自然と共に生きるお話の中にある、大切なことに触れさせていただいた気持ちでした。琉球王朝時代のお話し、様々な独特の文化と死生観をご教示いただき、本当にありがとうございました。心に残るお話の数々、大事にしたいと思いました。
講演会場には、石垣島の先生方々皆さま含め、石垣島周辺の島の先生方々もお集まりくださいました。皆さんと過ごさせていただいた時間は、本当に心温まる時間でした。
講演終了後には、おもかげ復元師、おもかげ復元師の震災絵日記にサインを入れさせていただきました。入院中で、外出許可をもらって来て下さった方もいらして、本当にありがとうございました。
綺麗な大自然は、一人一人の「自然を守る」意識が大切なのだと知りました。
日本国内のものも、海外のものも、ゴミが流れ着いて来るんです。とのお話の通り、沢山のゴミが海岸に打ち上げられていました。綺麗な大自然を守るのも、一人一人の意識が大切であること、「島って不便なんだけど、不便を楽しむくらいじゃないとね。楽しみ方は、島の人に聞いて〜!」と、お話しされていました。自然と共に生きることは、自然の中の一部と同じ意味なんだなぁと思いながら、復元納棺の、いのちの現場とすごく共通する大切なことを沢山見付けた旅になりました。
今日は、すみれさんに、お世話になっています。すみれさんは、水牛の名前です。
すみれさんの普段のお仕事の様子です。好物は、小麦粉だと伺いました。水牛の本気走りの時速は40Km、到底、人は追いつけないけれど、過去に一度、車を引いていない状態で、角で綱に遊んでいた時に、綱が離れていたことがあったそう。「こら、ダメでしょ!帰っておいで!」と言う、お父さん(写真に映っている男性)の声に、猛ダッシュで違う島にルンルン向かって走る足に、キューブレーキをかけて戻って来るそうです。そんな、やんちゃな、すみれさんのトリコになった私でした。
Posted on 2014/02/18 15:25 by 桜 代表