2016年1月29日

うんち

復元の現場でのことです。

故人の状態があまり良くなくて、お時間をいただいて、復元をしました。終了後にご家族にお声を掛けて、対面と確認をしていただきました。

対面をしていただいたとき、娘さんが大きな声で泣きました。そして、子どもさんに「バァバだよ。」と言いました。けれども子どもさんは、お母さんが大きな声で泣いたことに驚いて、泣いていました(涙には、理由と種類があります)。

「え〜ん、え〜ん・・・ 」

「え〜ん、え〜ん・・・・  (ブッ←どうやら、オナラ?)」

その子は、お尻に手を当てて

「あっ・・・出た(すごく困った顔)。ママ、出た・・・。 」

私「何才?」

子「ん〜、(指が2本になったり、3本になったり)・・・、んー(踏ん張ってる?)・・・出ちゃった。」

母「プフッ。やだぁー!(笑顔)お母さん〜(棺の中に話し掛けながら)、この子ったら!(笑)」

私「私でも、良い?」
子「うん!」
私「じゃ、ちょっと行って来ますね。」

トイレに行って、続きを終えて、その子と二人でお母さんの所に戻りました。その子は、お母さんの所に一目散に走って行き、頭をナデナデしてあげていました。とてもステキな光景でした。故人が本当は一番、娘さん(お母さん)にしてあげたかったことなんじゃないかと、思って見ていました。

トイレが終わった後、本人曰く「いつも、(あっちだと指差して)洗面台で洗うんだ」ということだったので、トイレでは軽く洗いましたが、まだしっかり手を洗っていないことを言い出せない私が居ました。この場をお借りして、すみませんでした。

2016年1月28日

会いたい・・・。

今月は、特に20歳〜26歳くらいの若者のご遺族と(こう言ってる時点で私はおば・・・(´Д` )・・・この先は言わない)ずいぶん沢山ご縁がありました。

「お母さんに会いたい」
「おばあちゃんに会いたい」
「お父さんに会いたい」
「じいじぃー」

「会いたいよぉ〜」

と、子どものように泣いていました。正確には、泣きじゃくっていました。7年前〜昨年の経験者です。みんな、事故か自死、災害でのお別れを経験した子たちです。みんな、仕事に就いていて、勇敢な社会人。なんだけど、私の前では、いつもみんな、自由に悲しみを表現します。

ちなみに、今月ご縁のあった子たちのお別れの現場に、私はご縁が無かったのだけれど、勇気を出して、会いに来てくれました。大切な家族の状態が悪くて「会えなかった」又は、「棺を開けるなと言われたけど、会いたくてこっそり見たら、死後変化を見てしまい、トラウマになっている」ことで、笹原さんなら何か説明してくれるはずだと、してくれるんじゃないかと思っていたらしい。

話の流れの雰囲気で「多分じいじぃは、「やめてー!見ないでー!」って言ってたんじゃない?先ずは、じいじぃに見たことを謝ろうか?」からスタートすることもあります。

彼らから「大人には聞けなかったけど、どういう意味があったの?」と、聞かれることも多いので、ここで簡単に説明します。

発見現場に警察官がいっぱい来るのは、ちゃんと意味があります。

警察が状況証拠から最期がどうだったのかを特定してくれるのが、「検視」。その後、担当警察官の立会いで、警察指定医が「検死」して診断書を書いてくてるのが検案書(死亡診断書)。(監察医制度や法医学等があるので、地域やその内容により、少し異なります。ここでは控えます。)

誰も見ていなくて、確認していない「死」の場合は、法律に基づいて行われるんだよと、話します。事件性があるのか、無いのか。無いと確定されれば、直ぐに家族の体は帰って来ますが、何かしら事件性の疑いがある場合に、又は理由があって死因を特定しなければならないときなどには、警察官から説明があって、普通は1週間〜10日くらいは帰りを待っていることがあります。亡くなった人の尊厳と人権・権利を守るために、警察官が動いてくれたんだよと伝えます。警察官が見ているのは、亡くなった人が中心です。だって、亡くなっていても人なんだもの!心強いです。私の立場で言えるのは、ここまでくらいかな?詳しくは、警察にも市民の窓口があるから、聞いてみてください。あれこれと質問するよりは、「遺族です!流れを教えてもらえませんか!」の方が、わかりやすく教えてもらえると思いますよ。

トラウマは、きっとみんな持っているのだと思います。トラウマの中にも、とても大切な記憶があることも実はあるので、ていねいに聞き取ります。遺してもらったことを、大事に考えていけば一人一人がちゃんと見付けます。ステキな想い出を思いだしたその一瞬の微笑みこそ、亡くなった大切な家族が、遺してくれたものなんじゃないのかな?と、私は思う訳です。その微笑みが出たとき、私は皆さんの大切なご家族に会えた気持ちがするのです。

どう生きたのか

話してくれる家族は、いつだって頼もしいと思います。答えはちゃんと、自分の中にあるもんね。考えることも、悩むことも、遺してもらったものならば、全部、いっしょに大切に出来たら良いなと思います。

fight!!

鳥取県講演

「東日本大震災・復元ボランティアから見た、いのち」と題しまして、主催が鳥取県、共催が鳥取市ということで、お話しをさせていただきました。

普段の3倍の方が会場にお越しになられたとのことで、県庁の方も当日は皆さん対応に追われていて、会場内は立ち見の方も大勢いらしての講演となりました。

会場の皆さまの中には東日本大震災にずっと心をよせていただいていたり、鳥取県から東北被災地へ何度もご支援に来ていただいていたり、県庁の皆さまも震災初期から行政支援としてずっと東北に足を運んでいただいていたということで、お話しをさせていただいている時間、ずっとメモを取られている方も多くいらっしゃいました。

講演の中では、震災の中でご縁をいただいた、お別れのお手伝いの時間の中での想い出を中心にお話しをさせていただきました。

打ち合わせの中では県庁の担当の方と、課長さんと色んなお話しをさせていただきました。社会問題に直面しながらも地域を守る、地元を活性化させる、みんなをつなげる・・・。私なんて到底及ばない公務を、心を掛けてされていました。すごいなぁ、私の知らない世界も沢山教えていただき、多くの知恵と考えることの大切さを教えていただきました。

「死は、生きた証拠。どう死を迎えたのかを考えた後は、大切なその方がどう生きたのかに、たどり着く時間がきっとやって来ます。」

そのようにお伝えしたときの、皆さんの表情が忘れられません。きっと、大切な方を想い出されて居られたと思います。死を迎えても、大切な方との関係性は変わりません。想い続ける限り、自分の中に生き続けてくださると思います。本当に、お世話になりました。皆さまとのご縁をつないでくださった、鳥取県庁、鳥取市の皆さまに深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2016年1月25日

綜合ユニコムさんのセミナー

毎年、春の3月と秋の9月に行われるセミナーの原稿を、今回は大幅に整理して追加してと考えていたので、膨大な原稿を今、一生懸命書いているところでした。

「会いたかった」

今は、全国各地のご遺族の皆さんからご連絡をいただくようになりました。お別れの時間に、会うことが叶わなかったのだそうです。状態が悪かったり、様々な理由があったそうです。それを叶えようとして下さる方々へ向けてのセミナーです。

出来るだけコストを掛けずに、技術を習得する。皆さんにしっかり身に付けていただいて、現場で即実践していただけるようにという、技術とコミュニケーションのバランスを取っていく、そして1つ1つの死後変化に対応するための技術セミナーです。なので定員があります、ごめんなさい。長いこと続けさせていただいている、綜合ユニコムさんのセミナーを受講された方は、述べ300名弱でしょうか。受講される方も、指導させていただく私も、1日目も、2日目も、汗だくになるし、頭もいっぱい使うし、みんなでヘロヘロに疲れます。(倒れ込む人もいる)現在まで、様々な職種の方が参加くださいました。何度受講いただいても良い、セミナーです。質問は、セミナー前の事前アンケートに記入することが出来ます。セミナーの中で、詳しくお答えしています。どうぞ、ご活用ください。故人が死後に起こす、様々な問題をご遺族の安心のために解決し、悲嘆の援助につなげる目的としてのセミナー内容です。詳しくは、弊社のトップページでご確認ください。お申し込みは、綜合ユニコムさんまで、お願い致します。

2日目は死化粧の内容もありますが、以前ワイシャツに口紅が付いてしまって、そのまま帰ったら夫婦喧嘩になったと教えてくださった方が居ました。2度目に受講してくださった時に伺ったのですが、他の受講者の方から、

「羨ましい話です。家なんて、口紅を付けて帰っても、何も怒られもしないと思います。反応さえ、してくれないと思います。喧嘩になるってことは、愛されてるってことじゃないですかっ!羨ましいっ!」(何故かみんなで慰めた・・・、fight!)

そして別の方が「今回もし口紅が付いたら、テキストを見せれば大丈夫だよ!」

腕まくりしても良いですし、汚れても良い服装でお出でいただいても大丈夫です。帰るときに着替えて帰ってもオッケーです。と言うか何より、夫婦円満でよろしくお願い申し上げます。・・・講師より!

過酷なセミナーなので(笑)←いや、笑えない、本当に。受講者の皆さんの中で、支え合いと助け合いの精神が自然に起こります。何より、全国各地の葬送の情報交換が出来るのも、表に出ない社会問題をみなさんと話し合って考えていけるのも、このセミナーの大きな魅力でもあると思います。皆さまにお会いできること、楽しみに致しております。お気を付けて、東京の会場までお越しくださいませ。

質問を多くいただきますが、1日目は基本的に重要なプログラムになっています。2日目は、1日目を基本として進めていくステップアップの講座です。1日目と2日目をセットで受けられる方が多くいらっしゃいます。どちらかしか受けられない場合は、1日目を受講いただいて、次回に2日目を受講いただくのが良いかと思います。


葬儀社担当者・納棺スタッフのための
【ご遺族参加型】納棺の手順とポイント(第17回)3月3日

葬儀社担当者・納棺スタッフのための
【状況別ご遺体処置】と【死化粧】のポイント
(第14回)3月4日

2016年1月17日

死後に起こす変化etc

今週も沢山の皆さんにお会いしました。全国各地からの復元やセミナー等のお問い合わせ、毎日多くのお客さまと、遺族訪問、納棺に伺い、震災関連において消防士や自衛隊さん方々とお話しをさせていただく時間もありました(感謝です)。

14日には、県立遠野病院さんでのセミナー。総看護部長さんが心配していた通り、セミナー会場は人が入り切らず、立ち見も出ました。多くの医療従事者の皆さんが、お看取りをされた患者さんを想い続ける気持ちを教えていただきました。Dr.の皆さんも、御多忙の中で多くご参加いただき、本当に頭が下がる思いでした。

今日は、いのち新聞の編集会議がありました。東日本大震災の、3月11日が近付く今。あの時の様々な記憶が蘇ります。今日は、阪神・淡路大震災から21年目の日でしたので、編集会議が始まる前は、みんなで御線香を付けて手を合わせていました。近々、No.6をトップページにupさせていただく予定です。

明日は、一般の方向けの講演です。どんな話しをさせていただくか、担当さんと何度か打ち合わせをさせていただきました。会場には震災絵日記のパネル展が開催されることになり、講演終了後にはサイン会があります。450名のチケットが完売で、600名のお申し込みがあったそうです。「せっかく足を運んでいただくのですから、お断りはしません。」と担当さんが話してくれました。ステキです。皆さんと共有させていただける様々なことの中で、私もたくさん学ばせていただきたいと思います。

19日は夢ハウスのすり傷公園の「お別れ会」を済ませた公園の解体の手伝いに、

20日は大学病院でのセミナー、

21日はアポがいくつかあり、

22日から日総研さんの東京セミナーです。

24日は満月。

25日から鳥取県に伺います。

予定はビッシリですが、もちろん現場の人間ですから復元と納棺に走ります。先日の復元の現場で、故人のお体の状態が非常に悪く、ご家族も大変心配されていました。「もう少し、お待ちくださいね。」と皆さんにお声を掛けて、お手当てに集中。すると、故人のお父さんが傍に来られて言いました。

「話して良い?」

「はい、もちろん。」

「・・・息子にね、置いていかれちゃった。」

その後、少しお話しをさせていただいている中で、

「今までさ、散々心配掛けさせられたから、今度は、いっぱい心配させてやろうかな。ん!良い考えだ。」と、涙を流しながらお話しをされていました。

私「どんな心配をしていただきましょうか?」

父「ん、・・・あら?どんなことしたら良い?」

お部屋の中にいた皆さん、お父さんが息子さんを思う一生懸命な姿勢に、笑みが出ました。皆さんそれぞれが優しく思いやり、お父さんに声を掛けてくださいました。

「うちの息子けっこう自由人だったから、あの世でみんなと楽しくやってくれてたら良いね。」現在から未来に向けた言葉が出るとき、誰でもステキな笑顔になります。

ご遺族から現場で質問されることの多くは、現在起きている変化についてです。急死は触れると体が硬くなったように感じ、硬直が強く起こります。死斑という現象、アザに似た色も出ます。どちらの現象もご遺族は驚きます。心配する気持ちから、どうしてそうなるのかを質問されます。だから、答えます。それは、元気だった証拠であり、絶対に苦しんだと断定出来るわけではありません。表情が苦しそうに見えるのも、顔の表情筋が硬直を起こすことで表情が動き、どちらかと言うと顔の中心にシワが集まったように見えるので、苦しそうに見えることがあります。死後に起きたことは、御本人の意思ではありません。あくまでも、時間が経過していくことでの筋肉や脂肪分などの変化です。原因や仕組みが分かれば絶対に直せます。死後に変化した表情ではなく、故人が生き生きと生きていた、そのステキな表情の方を大切にしていただければと思い、その時間の少しのお手伝いしか出来ませんが、死後変化を直すため現場に走っています。

2016年1月11日

ありがとう「すり傷公園」

今日は、震災から4年と10ヶ月。家族を亡くした人にとって、月命日でした。

命日と月命日が近づくと、夢ハウスの子どもたちからも「今度、いつ来れるの?」とたくさん声が掛かります。だから行ける日を、伝えます。電話であれば、少しお話ししたり。メールやLINEであれば、話したいことを話してもらいます。

「警察官が、捜索してくれてるよ!」

家族が未だ見付からない子どもたちは、毎月の月命日に警察官が捜索してくれるニュースを見ながら、捜索を続けてもらえることを嬉しそうに話してくれました。そう、東日本大震災から5年近い今も、毎月の月命日に、警察官が捜索を続けてくれています。きっと、地域の人たちの思いを警察官はたくさん聞いているから、みんなの気持ちを知っているのだと思います。その捜索活動も、その姿に励まされて、確実に一人一人の復興への思いにつながっていると、みんなと話しながら、私は感じています。

  復元の現場では、警察官・刑事さん方とお会いすることも仕事柄あり、警察業務がどれだけ多忙なのかを知っているだけに、本当に有難いことだと思います。ニュースで捜索の様子を見て、当時の安置所の中を私は、想い出します。ご存知でしょうか・・・、実は骨折した人の骨って実は鋭利です。たくさんの警察官が、瓦礫も鋭利で、危険な物がたくさんあって、怪我をしていました。現在沿岸の各警察署には、捜索を続けてくれている警察官の皆さんへ、地域の皆さんからの御礼のお手紙がビッシリと掲示されています。

    復興への道のりの中では、致し方ないことなのかもしれませんが、この度、子ども夢ハウスおおつちの「すり傷公園」が全面撤去されることが決まりました。子どもたちの遊び場であった、地域のコミュティーの場であったすり傷公園。子どもたちからも、悲しみの声が届きます。でも、子どもたちのために、ここまで無償で提供してくれた地主さんに、公園を作るためにお出でいただいたたくさんの皆さん、地域の皆さんへ、子どもたちの遊び場を新たに探すことから始まりますが、夢ハウスの代表である藤原先生と、管理人の吉山くんはとても感謝していました。

    復興への道のりの中で、目まぐるしく変わり行く環境の中で生き抜く子どもたちを、これからも子ども夢ハウスおおつちは、保護者の皆さんと地域の皆さんと、ご支援いただいているたくさんの皆さんと、手をつないで支え、守り、育てて、みんなの笑顔につなげていきたいと思っています。日ごろから応援いただいている皆さまへ、心から感謝を申し上げますと共に、引き続きのご支援・ご寄付を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

詳しくは、弊社のホームページのトップページから、夢ハウスのブログをご覧くださいませ。夢ハウスの代表である藤原先生が、恐らく泣きながら、様々に覚悟を決めて書いたものだと思います。

満月と新月

満月は太陽と月の間に地球がある状態で、夜に満月が見られます。新月は太陽と地球の間に月がある状態で、日中に見えにくいけど満月が見られます。と言われています。海の潮の満ち引きも、月の動きとその引力により起こるとされています。

    昔から、生命の生死が月と関係していると言われており、弊社でもなんとなくそれを感じながら勤務に従事しており、満月と新月の日にはシフトで休みは付けません。ただ、きちんと調べたことが無かったので、今回は調べてみると驚く結果が出ました。

    昨年一年間の、満月と新月日を中心として前後合わせて三日間、納棺件数のデータを取ると、満月と新月ではない日の平均に比べ、現場の件数が平均3倍であることが分かりました。又、月によっては、件数が5倍の月がありました。満月と新月のときは、私たちはずっと現場に走っているので、ご飯もろくに食べられず眠れません。早く、月が欠けて欲しいと疲れた体にムチ打って、ただただ願うばかりです。

    心が揺れ動くのも、月の影響とする考え方が世界中にありますが、満月を見てオオカミ男になるお話も、日本の風習の中にある十五夜のお月見も、月の影響力を知ればなんとなくうなずけます。オオカミ男のサイクルを知り得たら、女性は満月の日には外へ出ないように気を付けるのも、一つの手段ですが、現代は女性が強い時代とも言われます。満月の夜に、女性がオオカミ女になる可能性も、否めません。(←笑う所です)心情としてもネガティヴに働かせることなく、ポジティブな方向で月の力を借りられれば、一番良いのかもしれません。

    古来から日本の歴史の中でも、月の引力が自然の摂理の中で、人の気持ちを動かし、いのちをも動かすと信じられて来た訳ですが、やはり人の力では到底かなわない月の存在は、本当に偉大なのかもしれません。

  もし太陽が無くなったら?もし、月が無くなったら?今の生活は、保障されないでしょう。恐ろしくて、それはきっと、考えない方が良いでしょう。まぁ、そう考えるとすれば、今という時間に生きていることさえ、すごいことなんじゃないかと思えてなりません。

2016年1月10日

目はどこを見ているの?

目はどこを見ているの?

子どもたちと関わることが多くなった今。当然、現場にも「遺族」と呼ばれる子どもたちがいます。

「お母さんの目は、今、どこを見ているの?」

お母さんを亡くした子どもに聞かれたことがありました。こういう時、実は悩む、とても、悩む。大切な家族を亡くしてこれ以上心に傷を付けたくないから、どう答えてほしいのか?と考えるから悩む。だから、聞く。

「お母さん、どこを見てると思う?」

そして、その子が答えた。

「こうやってるんじゃない?」と、白目を向いた。

私「プッ(笑)」と、思わず笑ってしまった。「ピスタチオじゃないんだから(笑)。テレビの見過ぎだよぉ(笑)」

お母さんの背中には体温がまだ残っていて、そういう人は、眼球もまだ新鮮だからきれい。だから、言った。

「見てみる?」

その子が近付いて来たので、お母さんの目を見せた。

「あ、まっすぐ見てる!白目じゃないんだ!どこを見てるのかなぁ〜。お母さん、おーい、ここに居るよ!」

ここから、グリーフケアがスタートすることになりました。亡くなった方は、少しずつ腐敗が進んでいくので、時間の経過と共に目が濁っていきます。3日後は見ない方が良いと思うけど、3日後はお骨になっていることで濁ったお母さんの目を見る心配も無く、火葬が翌日だったので出来たことでした。病院で保湿をしてもらっていたので、お母さんのお体の状態は良好。葬儀社さんでの冷却も、きちんとしてもらっていました。みんなでお母さんを守ってくれたから、出来たこと。まぶたが開いたままで乾燥してしまうと、眼球は濁り、眼球の水分が放出されてしまうから、眼球の形が変わってしまうので、この子とのこの時間も、無かったと思います。

「笹原さんがビビることって、何?」

帰り際に、その子に聞かれました。私が現場でビビる?ことは、怪奇現象でも、幽霊でも実はありません。事件や事故の現場がずっと続くと、生活反応(あざや、傷、うっ血の斑点などの心臓が止まる前に出来たもの)にドキッとします。通常は起こるはずのない、死斑の種類が複数あったり、骨折の位置があり得なかったり、それもビビる?ことがあります。事件や事故は、他殺であることもあり、死後の経過(死後変化)から見て取れることも参考に証拠として記録し、警察が必死で故人の尊厳を守るために動いてくれます。その人が最期、どうだったのかを知ってしまうことがあり、それが死後変化や生活反応から分かるので、ドキッとして怖く(切なく)なることがあります。そして、私は答えました。やっぱりそれは、この子には必要ないことかなと思ったので、

「怪奇現象。戸が勝手に開いたり、閉まったりする時があるよ。その方が、家族に会いに来たのかなぁって。最初は怖いけど、そう考えるとね、騒がずに自由にしてもらおうって、思うよ。」

「へぇー!・・・じゃ、怖いはなしして!」

(出た〜!子どもは、どんな状況でも怖いはなしを求めてくることを忘れていた〜!←私の心中です。)

現場は、とても悲しいものです。悲しみの中から想い出を探しますが、そうスムーズに行かない現場が、復元の現場には多くあります。社会問題と一言で言っても、同じ現場はありません。毎日、毎日、悩んだり考えたりしますが、その悩んだり考えたりすることも、出会いの中から発生していることだから、故人からいただいているものだと思って、大事にしています。

何より、子どもはすごい。発想が、考え方が、進むスピードが、思いつくことがすごい!遺された子どもの笑顔は、故人が育ててくれたものなので、故人の笑顔とかぶります。やっぱり、無条件に子どもはかわいいですね。やんちゃだけど(笑)

2016年1月9日

FMラジオ出演

1月8日の昨日は、内閣府提供の被災地広報番組、FMラジオの収録でした。岩手県にいるときは、どうしても現場が優先になってしまうので、お約束をいただいてもお待たせしたり、早めに終わらせていただいたりで調整をお願いすることがあって、失礼してしまうこともあります。すみません。

「宗教などにより、納棺の違いはあるのですか?」と言う質問もいただいて、

長い歴史の中で宗旨に従い守られてきたものと、民俗信仰として悲しい歴史の背景の中で作り上げられたしきたりなど、様々にあります。今年も曹洞宗、浄土宗、キリスト教等々、宗教者、奥さま方々にお話しをさせていただく機会を多くいただいています。一般の皆さまからのお問い合わせも多いのですが、「納棺」、特に「参加型納棺」は気持ちの昇華に伴い、宗旨に従い行うことも多いので、普段から菩提寺などで宗旨を教えていただいていると良いかと存じます。とお答えしました。

東日本大震災の「復興」の意味も、一人一人違いますから、現在の状況から感じること、未来につながること含めて、感じていることをお伝えしました。

19日以降、内閣府のホームページから視聴できるそうです。

追記
インタビューに来てくださった哲子さん、岩手県内の方ですが多くの番組をお持ちです。哲子さんの活動の中で印象的だったのが、福島県の原発で働くお父さんと、原発の影響で仕事を無くしたお父さんを持つ子供たちを受け入れて、預かることもあるそうです。「子どもたちは子どもたちで、これから日本がどうなるか、どうしたら良いのかを話し合っています。本当に素敵な子どもたちです。」聖徳太子が遺した言葉にある通り、『和をもって尊しとなす』を実践されている、素敵な方でした。お年寄りの笑顔が大好きと話してくれた哲子さんの番組でオススメは、「哲子の部屋」です。(ど、どこかで聞いたことが・・・(笑))どうぞ、視聴下さいませ。

同朋新聞取材

1月6日

東本願寺真宗大谷派「同朋新聞」の取材で、京都の本山から岩手県の弊社まで、取材にお出でいただきました。どんなお坊さんが来られるのかと、実は内心ドキドキしていましたが、柔軟性と品(さすが!)を持ち合わせた、とても爽やかなお坊さんでした。

インタビュアーは、私が普段からお世話になっていて、お知恵をいただいている西和賀町・碧祥寺住職の「宣承さん」が弊社にお越しくださいました。(おもかげ復元師の震災絵日記のあとがきを書いてくださっています。震災の時に、絶対に人には見せなかった、私の素の弱さを支えていただきました。)

取材の中でお話しさせていただいた・・・と言うよりは、私は、自分で答えを持ち合わせていない「何故?」に、よく出会います。その求める答えはもちろん、ネットにも書物にも、何処にも書いていないものです。(普通生きている中で、恐らく誰も出会わないようなことだから)いつも通り宣承さんに聞いていただいて、気持ちを委ねさせていただいたと言う方が正解だったかもしれません。

お話しをさせていただいた内容は詳しく、東本願寺真宗大谷派「同朋新聞」に搭載されます。全国の同じ宗派のお寺さま・お門徒さまのお手元に届くそうです。

3月には東本願寺真宗大谷派京都の本山にて、宣承さんのお声掛けで講演をさせていただきます。お世話になります、よろしくお願い致します。

追記
取材に来てくださったお坊さんは、青年でしたが「宣承さんに憧れている」と爽やかに話してくださいました。なんとも、嬉しいなぁと思いました。ん・・・?若いお坊さんに憧れられる、宣承さんというお坊さん・・・。憧れは歳を取った人に向けられるもの?とは決まっていないけど、ずっと若いままだと思っていた宣承さん、憧れられるほど歳を取ったのか?いや、待てよ・・・、宣承さんが歳を取ったということは、私も歳を取ったのか?いや、歳のことは考えずに蓋をしてしまおうと一瞬思った私でしたが(笑)、良い歳の取り方をして行こう!と思い直した素敵な時間でした。あぁ、しんちゃん元気かなぁ〜。(独り言です)



2016年1月4日

今年もよろしくお願い致します。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

新しい歳を迎える前に我が家でも、年末に家の中を大掃除をして、「失礼します〜」と話し掛けながら神棚や仏壇(神仏が家を守ってくれる信仰は、日本の文化ですね。)をきれいにして、じじが買ってきたキティーちゃんの(何故、キティー?)鏡餅を供えて、買いに行く時間がないから絵を描いて玄関に門松を(けっこう可愛く出来た)。

歳を越したら、新年を迎えられたことに心から感謝をして。年末年始は現場に走りながら年を越す準備をしていましたので、年越し蕎麦も食べられず、じいちゃんが準備してくれたおせちも一口も口にできなかったお正月。(毎年のことです)その反動なのか、3日の夜にお餅を五つ食べていたら、じいちゃんが「お、おまえ・・・、あっっっっ、餅は太るぞ・・・!ん・・・?餅が太るんじゃなくて、量だぞ、食べる量!!」と心温まるお言葉をいただいて(笑)杵でついたよと、いただきもののお餅が、とんでもなく美味しかった!クタクタに疲れた毎日だから、当然、初夢も見ず爆睡。納棺も特殊遺体復元も多い年末年始でした。

高い所(山など)から来ると言われてる「歳神様」をお迎えする日本の風習が、お正月とその準備の年末です。鏡餅も歳神様へのお供え物で、門松も玄関の飾りも歳神様への目印と言われています。居心地が良いように、歳神様にお家で過ごしてもらうことが目的だから、特に何に対しても粗末になることを控えた方が良いと言うのが昔ながらの伝統のようです。(歳神様の存在は山神様、自然神、ご先祖様という説もあります)

そうやって昔から日本の文化の中で、お正月は大切にされてきた「歳神様」を迎える風習なのだと、私も小さな頃から聞いて育ちました。神仏、万物に感謝をして今年も感謝をして生きるのだよと、自分の気が付かないところで、誰かが支えてくれているんだよと(そういうことを生活の中で意識させるための、気持ちを整えるための風習なのかもしれません)、歳神様の話しを初めて聞いた小さな時は、歳神様と暮れのクリスマスで意識したサンタクロースがかぶったものでした。

とても難しい特殊遺体復元、納棺も多い年末年始でしたが「死」という現場は、社会の中を生き抜くために作っていた壁や顔が取り払われることが一時あります。そういうきっかけを作るお手伝いに、納棺として伺うわけですが、そこから「月がこんなにきれいだったなんて」「星がきれい」「道端に咲いている花が愛おしくなった」など「自然の中に生きる自分」に対して、「自分の周りに自然があると思っていたことから、自然の中に自分が居たと」いう感覚を意識するようになったり、普段見ていたはずのものを無意識から意識するようになったり、死から感じる価値や意味を探すアンテナが研ぎ澄まされるので、本来、人に備わっている感覚を取り戻すことがあります。逆に言えば悲しみの現場は、一方的な同情やごまかし、取り繕いが一切通用しない、非常に厳しい現場でもありますね。だからご遺族は決して可哀想な人ではなく、とっても深くてステキな方が多いのです。

棺に移動する前に親御さんを亡くした子どもさんに「何を書いてるの?」と小さな声で内容のことを聞いたら、「コソコソ書いてたの(笑)」と、今の気持ちを教えてもらいました。謝りたいことをがあって、手紙を書いていたのだそうです。手紙を書いてくれた本人の手で、棺の中で合掌された亡くなられた親御さんの手に、手紙を持たせてもらいました。私とその子と、目を合わせて無言で頷いた時間でした。

別の現場では亡くなられた方のお孫さんが、亡くなられた方の手直しをしている両親に「お父さんとお母さん、なんかね、すごく仲良く見えるよ(笑)」と声を掛けて、みんなで目を見合わせてクスッと笑った時間もありました。亡くなられた方がくださった、今の時間が存在する時です。

昨年も小さな子どもたちから年配の皆さんまで、多くのご遺族に支えていただきました。今年も、皆さんにお尻を叩いてもらって一生懸命心を込めて、活動していきたいと思います(お手柔らかにお願いします)。今年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。