2013年7月31日

うたっこパーティ

31日、本日の夕方18時半〜20時半まで、北上市のさくらホール、ミュージックルーム2で、毎月恒例の第14回目の「うたっこパーティ」を開催します。カメさんとカメフレさん達のLIVEで歌を聞いて、おしゃべりTimeしてます。参加費無料、参加資格特になし、飲み物とお菓子を持参下さい。プロの音響さんも入ります*\(^o^)/*   

ものごとは、心で感じるもの。

相手が何を思い、何を必要としているのかを考える時、自分の目で見たことを、自分の心で感じて、自分の心で感じたことを、自分で判断して動きに変えること。そこに思いやりを組み込めればもっと安心出来るし、見返りを求めなければ、腹も立たないし文句も出ないはず。あくまでも生きるのは本人で、自分の価値観を押し付けないで、人の言葉に振り回されることなく、いのちの生きる芯を培って、みんなを笑顔にしてあげて欲しい。人の笑顔を見て「良い笑顔だなぁ」って、思えるためには、自分が良い笑顔を経験していないと分からないはずよね。「三年前にね、小学生の男の子、二人の子どもさんを遺して病気で亡くなったお母さんと生前、納棺の予約をしてもらった時にね、色々お話しをしたんです。子どもさんたちにどう、生きて欲しいかと言う話になってね。そういう話をお母さんとしました。」と、今日は高校生の取材で色々お話しをしました。今は被災地と呼ばれるようになった岩手県沿岸での、想い出深いお話です。お母さんとお話しをしたその場所は、今は地盤沈下をしていて、今でも立ち入り禁止になっています。いつもそこへ向かって手を合わせています。また、いつか、あそこに立てる日が来るその時を、私は待っています。そういう想い出の深い場所が沢山あって、その数の分、出逢いがあり、教えてもらったことが沢山あります。本当に出逢いって、お互い様。どちらか一方がフライングするとバランスが取れなくなる。人は100%ではない分、補い合えて高め合える。きっと、それが「出逢い」です。今は生前予約が多くなって、託されることも増えて、真剣勝負の連日です。とにかく「やることやってよ!」って、ご本人に怒られないように頑張ってます。(笑)と、言うお話しをしました。明日も、高校生が取材に来てくれます。みんなにお会い出来るのを、とても楽しみにしています。気を付けて、北上市まで来て下さいね。お待ちしています。o(^_-)O   

2013年7月29日

NHKスペシャル再放送

皆さんから本当に沢山のお問い合わせをいただいていました、NHKスペシャルの再放送が決まりました。8月19日の深夜で、日付としては20日になりますが、0時30分〜で決まりました。詳しくは、NHKスペシャル再放送のNHKさんのhomepageをご覧下さい。   

静岡県静岡市にて

富士山と三保の松原が世界遺産に登録され、大変な賑わいの静岡県。登山に訪れる人達と、「登拝(とはい)」の目的で富士山に登る人達と様々です。登拝とは、昔から山を神様本体の御神体として考えて、死装束(全身白の着物などの衣類と杖、傘、ぞうりなど。)を身につけて正装とし、一人一人の思いを胸に、神様のお体に入らせていただくと考える信仰、神様のお身体に触れ、生きる力をいただくという、信仰の一つでした。富士山には天狗や山の精の、とても愉快で深い、知恵がいっぱいもらえる昔話がいくつもあります。大自然からの恵(めぐみ)のむかし話は、本当に素敵です。と、前置きが少し長くなってしまいましたが、「静岡市教育委員会、静岡市PTA連絡協議会」の皆様からお声掛けをいただいて、講演会に伺いました。

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講演30分前の、会場の様子です。企画して下さった学校の先生方々、父兄のみなさんが、「おもかげ復元師」と「おもかげ復元師の震災絵日記」を何度も読んでくださっていたということでした。嬉しかったぁ。ありがとうございます。

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「富士山は噴火するぞ‼」と、子供の頃から脅されて(笑)育った我々ですが、常に避難訓練や、防災の知識と意識を身につけてきました。今の子ども達にも、県や市が絶大な協力をしてくれて、防災と避難訓練を行って来ています。」など、大人の皆さんから教えていただきました。「小学校の時に、親を亡くしました。」と今までの事を色々と教えて下さる方がいました。「とても悲しいことでした。色んな事を考えて、生きてきました。でも、信頼出来る大人に出会えた時、「生きるという事は、自分の足で生きなければならない」と言う事と、「なんだかんだと言ったって、自分の人生は誰も変わってくれない。同じく、他の人の人生は自分も代わってあげられない。」と言うことに気が付きました。でも、こうやって生きてきて、言える事は一つなんです。「経験は、自分を育ててくれた」その中には、亡くした親が存在しています。人のせいにすると、気持ちは一時楽だけど、一歩も進めない。(笑)自分で考えて生きる事は大変だけど、大変な経験をする度に、仲間が増えていました。不思議なものですね。」過日の講演を依頼してくださった方は、事故でお子さんを亡くされていました。講演が終わってお別れの時、号泣しながら教えて下さいました。大切なお話しをいただいて、胸がいっぱいになりました。「お盆が、待ち遠しいですね。安心できる場所で、お子さんを思って、過ごして下さいね。きっと、また、お会いしましょうね。」そう言ってお別れしました。

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 「天女の羽衣伝説」が生まれた静岡県。海からの強い潮風により、長い年月をかけて、枝が見事になびいていました。静岡の皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました‼一度このまま北上市に戻り、山形県、沖縄県、宮城県へと移動して講演に伺います。   

2013年7月27日

セミナーのお知らせです。

定員が決まっておりますので、お早めにお申し込み下さい。m(_ _)m春も、定員に早くから達しまして、2講座共に追加開催になっています。技術と声掛け、コミュニケーションのバランスを目指します。納棺に必要な専門的な講習になります。死後変化の知識、予測、対処を中心として、ご遺族の心情に合わせた進め方のポイントをお伝えします。二日目の講座は非常に難しい復元講習内容ですので、一日目の技術講習をしっかり受講いただいてから、二日目の受講という形がお勧めです。今回、テキスト内容を更新します。皆様のご参加、お待ちいたしております。デモンストレーション、実習が中心になりますので、動きやすい服装、汗をかきやすい方は着替えをお持ち下さいm(_ _)m《納棺業務に必要な知識・技術・コミュニケーションがわかる。葬儀社担当者・納棺スタッフのための 【ご遺族参加型】納棺の手順とポイント(第12回)ご遺族に高い満足を提供する【参加型納棺】の実務。》 《現場で使えるノウハウ多数! 参加型を可能にする死化粧の進め方と困難遺体の対処法葬儀社担当者・納棺スタッフのための【状況別ご遺体処置】と【死化粧】のポイント(第9回) 「知識」「技術」「マインド」を高める、【参加型納棺】実務講座。》お申し込みは、綜合ユニコムさんまで、お願いします。 http://www.sogo-unicom.co.jp/index.html    

山梨県の甲府にて

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講演、セミナーでした。

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二階席までいっぱいで、「想定以上の集まりでした‼」と、会長さんから教えていただきました。質疑応答でも、皆さんの現場の中での様々な課題について、一緒に考えさせていただきました。お一人お一人の患者さん、利用者さんを思い続けて皆さんが現場に立たれていることなどを含めて教えていただいた、深くて、とっても温かい時間でした。

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各病院の看護部長さんの皆様と、様々なお話をさせていただきました。なんとも深かった。私も大変、勉強させていただきました。ありがとうございました‼   

2013年7月25日

生前予約

亡くなるご本人、又は御家族からご連絡をいただいてお話を伺い、お別れのお手伝いをさせていただく生前予約。ずいぶん、増えました。特にご本人からのご連絡が、最近とても多いです。「死」についての想いを教えていただくことが中心になり、大切な、遺す御家族が混乱しないように、自分が逝く時の悲しみをどう人生に組み込んでくれるのかな、と、年齢問わず心配されます。どう、お手伝いさせていただくことを望まれるのかを、亡くなるご本人と話し合う時間ですが、お一人お一人、人として、すごいなぁと思うことばかり。旅立つ方も悲しい。見送る方も悲しい。間に入らせていただく私も、同じ思いです。でも、ご本人を中心につながれるご縁の不思議さに又、深く考える時間をいただきます。「死」は、「生きること」を教えてくれる。悲しみの感情は、大切なことを意識して確認させてくれる。嘆くことで、沢山の過去が又本当に大切な宝物だったと気が付く。「死」を意識するということに気が付けた時、「生きている」ことを意識している。なんとも不思議な、亡くなっていく人達から教えてもらう「生きること」について、深い時間を共にさせていただきます。「いのちの授業で話して欲しい。」と、色々な思いを皆さんが「旅立つ前に、お土産をおいて行くからね。」と預かります。出逢うことでの、お一人お一人との想い出は、私にも遺していただいたものですのでね、悲しいし、涙も出るけれど、もっと素敵な笑顔も知ってるから、大事に心に持って、皆さんと一緒に生きていけたらな、と、思っています。一日でも長く生きていて欲しいな、そう願うことしか出来ないけれど、託されたミッションをご本人を思い、尽くさせていただくことを胸に、頑張ります。o(^_-)O   

子ども夢ハウスおおつち

七月に入り、岩手県大槌町は山瀬(海に出る霧)が出て、涼しい日が続きます。子ども夢ハウスおおつちの吉山お兄ちゃんが「地域の皆さんと一緒にホタルを見にいきました‼」と、教えてくれました。そう、幻想的な蛍の時期はあっと言う間に終わってしまいますが、蛍の時期が終わると暑い夏の到来です。震災から三回目の夏を、今年迎えます。お盆も近く、地域の皆さんの会話は盛んに、大切なお盆の話になりますね。

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今月は19日から、子ども夢ハウスおおつちを立ち上げてくださった、夢のみずうみ村理事長、藤原茂さんが大槌入りされていました。子どもたちへの新しいプログラムの組み立て、自立・生活支援など、私もお話に入れていただいて、打ち合わせ。感覚神経などに働きかけながら、生活の中で必要な運動と作業のバランスで、藤原先生専門の精神・身体のリハビリで健全をはかります。子どもたちの遊び場が被災地には無い中での計画は、本当に大変ですが、今回の藤原先生とのお話の中で、私もとても勉強になりました。

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そして、「隣のお家に仔猫が生まれたんだよ‼」とのことで、連れて行ってもらいました。子どもたちは仔猫に夢中です。「可愛いね〜」みんなでワイワイ。「大きくなぁれ‼」みんなで魔法を掛けました。

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子ども夢ハウスの敷地内の柵を、「近所の仮設住宅の皆さんが、子ども達の為にって、作ってくださったんです!」吉山くんが教えてくれました。「これじゃ、高くて飛び越えられないよ‼」と子ども達。「飛び越えるもんじゃないぞ‼(笑)」と、ご近所の皆さん。しばらくやり取りは続いていました。(笑)

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遊びの中にも、訓練を沢山組み込む藤原先生と、子どもたちのあそびの時間。子どもたちに大変な人気です。あっという間に藤原先生は子ども達に囲まれていました。沢山の皆さんからご支援、ご寄付をいただきながら、夢ハウスの子どもたちは、色んな試練を乗り越えながら、どんどん力を付けていきます。応援してくださる、お一人お一人の皆さんに感謝申し上げます。   

岩手県の名前の由来

最近、よく聞かれることが多い「岩手県は何故、岩手県と呼ばれるの?その名前の由来は?」これは、諸説あると言われていますが、昔から聞いている話の一つとして。由来は、盛岡市にある「三ツ石神社」にあると言われています。岩手県が「いわて」と呼ばれる前の大昔、三つの大きな石を本拠地にする神様がいました。神様を拝む人も少なくなり、神様はある時からお昼寝をしたまま眠り続けていました。その後しばらくして、三ツ石の近くに、大きな鬼が現れて暴れ、みんなを困らせました。大変困ったみんなは、神様が眠り続けていることを思い出しました。神様にお参りして、神様を起こし、相談しました。鬼よりも更に背丈の大きな神様が目を覚まし、鬼を戒めました。鬼は「もう、みんなが嫌がることはしません。」と降参して、神様が大事にしている大きな三つの石の一つに、「約束しました。」と、大きな手形を付けて約束しました。その手形は、雨の上がった日にしか浮き出てきません。晴れの日には、不思議なことに全く見えない鬼の手形岩。大きな岩に、鬼が手形を押したことから、この話が、「いわて」と呼ばれる、岩手県の名前の由来だとされています。三ツ石神社は、盛岡市内に現在でもあり、観光名所の一つとなっています。お近くにお越しの際は、是非寄ってみてくださいね。不思議〜な雰囲気の神社です。   

2013年7月23日

札幌にて

札幌と言えば、駅弁⁉

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札幌と言えば、白樺並木。
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白樺のことわざは、勉強不足でわかりませんが、春の訪れをいつごろなのか、葉の様子から知らせてくれる自然の一つとして、昔からバロメーターを示すものとして大切にされています。岩手県に来た時に教えてもらった、ススキの枝に、カマキリの卵が付いた高さが今年、雪が降る高さとして、みんな冬支度をするんだよ。と言う話を教えてもらって、昔の人は、自然と共存共栄していたんだなぁ、と感じました。それから、若い白樺は枝が上がり、お年寄りの白樺は枝が下がっていますが、鳥の集まり方は、お年寄りの白樺が断然多いそうです。白樺の木の皮は、すぐに剥がれる状態ですが、昔から生活の為に大切に使われていた皮だと言われています。北海道の先住民族であるアイヌの人達は、自然の全てを神として大切にしてきた文化を持ちます。有名なお話としては、フキの葉を傘にして、小さな夫婦の神様を「コロポックル」と呼びますが、一つ一つに神が宿るとして、共に生きることを大切にする心を、時々その話を思い出しては、色々、考えています。昔話には、その文化と伝統のなかで大切にしてきた分の、不思議な知恵がありますね。

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札幌駅にあった大きな旗ですね。あ、嬉しいなぁ。忘れないでいてもらえてるんだなぁと、パシャり。

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そして、母に会って来ました。手術の後に寝たきりになりました。私も姉も、嘆きが止まらない時間でした。覚醒しない(手術後に目を覚まさない)母のベットサイドで、姉と交代でずいぶん泣きました。隣の寝たきりでベットに横になっている、おばあちゃんに、「あんた達のお母さんだって、なりたくてなったんじゃないんだよ。」そう言われて目が覚めました。そうだよなぁ。そう思いながら、あれから今を迎えて、現在も要介護5、身体障害者1級、失語で、自立歩行も出来ません。会社を立ち上げて数年後、母の介護は、本当に沢山の皆さんに支えていただきながらの生活でした。震災後、「安置所でのご縁を大切にしておいで。お母さんもそう思っているから。」と、姉が飛行機で母を迎えに来てくれました。今は札幌で、リハビリに励んでいます。

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失語なので話せませんが、声はずいぶん出るようになっていました。驚いたなぁ。「う〜」「あ〜」と、コソコソ話で話していました。ここまで来るのに、どれだけの人に支えてもらっただろうね、と、姉と色んな話をしながら、過去を思い出していました。「お母さん、岩手県に帰る?」私が聞くと麻痺の無い方の手を横に振る(笑)「え⁉帰らないの?」と聞くと首を縦に振る(笑)姉が毎日お風呂に入れてくれること、姉と過ごす親子の時間が、母にとっては大事な時間なんだろうなぁと思っていました。私の両親は、姉の言うことは昔から良く聞きます(笑)姉と今、母の前で話します。「お母さんは精一杯働いて来たから、今の時間はきっと、「ゆっくり休みなさい」って、お天道様がくれたお休みなのかもね。」色んな事がある度に、今をどう生きるか、いつも問われている気がしますね。人生は、自分で歩かなくちゃいけないけれど、立ち止まって考えても、ジャンプしても、走っても、ゆっくり歩いても自分の人生ですもんね、今の積み重ねが人生と呼ばれる訳ですから、それを「意識」して生きることが一番大事なのかもしれませんね。どんと晴れ‼と言うことで、岩手県に帰って来ていました。どんと晴れ‼←二回も言わなくてよろしい‼(*_*)

2013年7月21日

日総研さん、札幌セミナー

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札幌の会場です。エンゼンケアと死化粧について、13時から18時までの実技含めたセミナーでした。

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遠くは道外の横浜市からも参加して下さった看護師さんもいらして、道内、旭川市、函館市、室蘭市などからもご参加下さいました。今回は病院の管理職である看護部長のお立場の皆様のご参加も多く、内容も総合的に対処いただける内容でお伝え致しました。

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何より亡くなられるご本人の、ご家族の心の中にずっと残る立ち位置でいらっしゃる「お看取り」後に、皆さんと関われるその時間が、人生の中で大切な時間だと思います。皆さん一人一人の存在が、ご家族、ご本人の心の中にずっと良い形で遺されますように、セミナーの中でお手伝いできるように、お伝えいたしました。質疑応答も沢山いただき、熱心な皆さんとお会い出来た時間に、感謝申し上げます。ありがとうございました。

報道ステーションに出演しました。

「政治家へ期待すること、お願いしたいこと」という内容で、取材をお受けしました。東京から、岩手県にわざわざお越しいただきました。19日の放送の収録分ということで、色々とお話をさせていただきました。被災地で年代問わず、皆さんとお話をさせていただくことも多いこと、仕事の中でも社会問題に直面することも多いので、改めて自分の仕事を違う視点から見れたことは、私自身の学びにもなりました。政治は、国を作ること。国は地域からも成り立つこと。私たちは、政治家に政治を任せきりにするのではなくて、何が今必要かを伝えて行くことも大切だと思います。だから、先ずは投票に行きます。

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出張のため、期日前投票を済ませて、セミナーの為、札幌へ向かいました。放送は、19日に済みました。事後報告ですみませんm(_ _)m

いのち新聞

第三号の記事のまとめに入る、7月16日の、いのち新聞の編集の様子です。月に一度の集りが、11回目を迎えました。

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2013年7月19日

「大変だ、地獄に行くかもしれない‼」

納棺の時間に、私に何度も耳打ちして話し掛けてくれる子どもさんが居ました。納棺が終わって、再度棺の蓋を開けて、その子と故人を挟んで、お話しをしました。「ひいおばあちゃんが、地獄へ行くかもしれない‼」と、とても心配するひ孫さん。「どうして、そう思うの?」と聞くと、「あのね、ひいおばあちゃんが言ったの。「お前のことをとても愛してるから、お前が悪いことをしたら、代わりにひいおばあちゃんが、地獄へ行ってやるからな。」って。だから、ひいおばあちゃんが地獄へ行くかもしれない‼」と。とても焦っている様子。「地獄って、どんな所なの?」何を、どんな風に思っているのか、価値観を擦りわせないとわからないことがあるので、聞いてみた。「とにかく、暗くて、怖くて、鬼が居て、大変な所なんだよ‼」ジェスチャー入りで答えてくれた。「うわぁ、怖そうな所〜‼」と、ちょっと大げさに答えた後、「そうかぁ、分かったよ。じゃ、先ず、お線香を上げて、手を合わせて、ご先祖さんに「ひいおばあちゃんが、とにかく地獄へ行かないように助けて守って下さい。」と、頼んでみようか?」と聞いてまた。「そうしよう、そうしよう‼」とひ孫さんが言って、私と二人で手を合わせた後で、「ところで、何を悪いことをしたの?」と、聞いてみた。すると彼、「ん⁉ん〜、あれ?わかんない。」って。そこに居た大人の人達、大爆笑。「ひいおばあちゃんがね、本当にやんちゃだから、この子ね。だから、いつも地獄の話ばかりしてたの(笑)」と、お母さん。「極楽のお話は?」と私。「全くしてないと思う(笑)」と、お母さん。「あらら、じゃ、ご住職に伺って、教えていただいたら、宜しいかもしれませんね。」と提案。「あ、そうね。でも、この子に必要かしら?(笑)」と、お母さん。「今頃、阿弥陀さんに、美味しいお茶を淹れて差し上げてるんじゃない?」と、おばあちゃん。彼、不思議そうな顔で、大人の会話を眺めていました。本家さんのおじいちゃんが、「極楽っていうのはよ、地獄もよ、自分の心のことを言うこともあるわけだから、今はよ、この子の気持ちを極楽にしてやんねえと。あのよぉ、極楽って言うのはよ、阿弥陀様が居て、光がいっぱいあるれている世界でよ、ひいばぁちゃんは、そこに居るよ。大丈夫だ。みんなでこうやって送るんだから、大丈夫だ。でも、手を合わすのを忘れたら、光が無くなってしまうから、手はいつも合わせろよ。分からなくなったら、じいちゃんの所さ来いな。」この、説得力のあるお話。いやぁ、お年寄りは、やっぱりすごいと思いました。今日は、ご住職に「極楽」を教えてもらえる葬儀の日。彼、大人に見守られながら、正に、今を生きる。どんな大人になるのかな?可愛い子でした。会えて良かったなぁ。と、おばちゃんの私は思うのでした。どんと晴れ。追伸、詳しい地獄と極楽のお話は、お坊さんに教えていただくのが一番‼お近くのお寺までどうぞ。

「福島県は、311のあの日のままの場所が今でもある。」

昨日の納棺の後にご遺族に教えていただいた、「福島県は、311のあの日からの、あのままの場所がある。」同じ日に、別々の場所で、三人の方から教えていただいた。納棺に伺うと、被災者の方の参加も、実に多い。故人が被災者の方もいらっしゃる。被災地の沿岸も、元々私たちの納棺エリア。震災前と、後では町並みもみなさんの心情も、死生観も随分変わった。でも、守り続ける伝統も残っている。「震災前は、みんなで仏衣を縫って仕上げていたんだけどね。」と、納棺の時間に教えて下さる女性陣の皆さん。確かに、震災前の沿岸納棺では、手縫いの仏衣も多かった。「もう、着せられないのかな・・・。手縫いの仏衣。」少し寂しい気持ちになって、心の中で思いながら、震災前の現場を思い出していました。手縫いの仏衣は、着せるのが難しい。何故かと言うと、通常の縫い物は玉結びをして、糸や布がほつれないように仕上げるけれど、亡くなった方のために、地域の特にお年寄りが中心になって、子どもも含めた女性陣が、ひと針ひと針交代で、その人の人生を語りながら、その人を思い、みんなで偲んで仕上げた仏衣の最後に玉結びはしない。だから死後変化を解決して、着せ方を工夫しないと、せっかく皆さんで縫った仏衣がバラバラになってしまう。だから、ものすごく神経を集中させる。お年寄りが教えてくれた。「死を迎えても、亡き大切な人との縁は終わらない。だから、ずっと続く縁だから、結びは作らないんだよ。」地域によっても、宗旨によっても、様々だとおもいますが、そういう伝統もあるのも確かです。特に、ハサミを使うと怒る地域、嫌がる地域も多い。それは、「縁が切れてしまうから」と言う理由。だから、参加型納棺を始めてからの私の納棺では、故人に対しての着せの時には、ハサミは絶対に使わない。そんな風に、ご家族が大切にされていること、地域で大切にしていることを守りながら、納棺に伺っています。被災地の人達はみんな、他の被災地の心配もされます。色んな話を教えていただいて、そして、「福島県の今を、ご案内したい。」と声を掛けていただいて、福島県に、行くことに決めたのは昨日。この目で確かめて、考えたいことも山ほどある。岩手県にも、福島県の方が沢山住まわれているから、こそ。8月に、行こうかと計画中です。又、この場をお借りして報告出来ればと思っています。

子ども夢ハウス

大切な家族を亡くすこと、家族が見つからないこと、津波を見たこと、町を失ったこと、そういう経験は、大人と一緒で、子ども達も同じ経験をしていることは変わらない。育てている人達も、地域も、精一杯子ども達と向き合う。子ども達も大人の背中を見て育つ。思いっきり遊ぶ時間の中で、フッと出る悲しみ。思いっきり夢中な時間の中で、フッと見せる何かを思い出した時の表情。「どうしたの?」と話し掛け、話し合う大切な時間は多い。自分の居場所だと、子ども達が言う、子ども夢ハウスの中で、今日は「ロウソク作り」をしたそうです。

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お盆には、自分で作ったロウソクでお参り。「お盆にね、早く帰って来てくれますように。って、海にお参りして来るの。」未だ見つからない亡き大切な家族を想う子ども達。

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思いを込めて物を作ることは、とても素敵なことですね。とっても可愛い仕上がりです。上手!上手‼(拍手〜‼)最近は地震も多くて、寒暖の差も激しくて、体調不良の方も多い。天候が悪いと、心と体のバランスが崩れやすいので、やっぱり誰かとつながることも大切だと思います。被災地のおばあちゃんが教えてくれました。「悲しい時はよ、壁に向かってでも良いからよ、亡くした大事な家族に話し掛けろなぁ。写真があったら、写真でも良いんだよ。「おめぇの分も、生きてやっからなぁ。」って。」偲ぶ方法はみんなそれぞれ、大切にしています。そうやって、悲しみと生きる方法を、みんな探しているのだと思いますよ。では、では。

2013年7月18日

ポチ子、元気ですo(^_-)O

側溝で発見され、保護された仔猫「ポチ子」です。保健所からもらってきました。

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右目が見えず、右耳が聞こえません。障害があるのは、本人はあまり気にしていないみたいです。耳が聞こえないからなのか、少々バランスが悪く、よく高い所から落ちそうになったり、コケたりと、何とかかんとか、「ニャー」と声がしたら、誰かが声のする方へ救出に行きます。

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ご飯の時間は、必ず誰かのご飯を狙って「ネコパンチ」

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それを見て、ネコパンチをパンチ‼みたいな(笑)

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80歳のじじが大好きな、ポチ子です。いつも、写真みたいな二人です。みんな、ポチ子が何も言ってないのに「どうしたの?」目が合うと、知らないうちに声を掛けてしまいます。正確には、「ど〜ちたの〜⁉」ポチ子は何も言ってないのに・・・(笑)動物は、そんな可愛らしさを持っています。言葉は話せないけど、言葉に負けない可愛らしさ。みんな、ノックアウトです(笑)

碧祥寺へ行って来ました。

大槌町の子ども夢ハウスから、吉山くんが北上市に出て来てくれました。皆さんから「子ども夢ハウスへ‼」とお預かりした蚊取り線香、トイレットペーパー、乾麺、ろうそく、などなどの物を、「夢車」に積み込む吉山くん。

20130717-011127.jpg「ありがたいです、本当にありがとうございます‼」と、一つずつ積み込む度に、感謝の気持ちを込めて大事に大事に、吉山くんが運んでいました。色々な打ち合わせも出来て、沢山お話をして、「碧祥寺に行こう‼」となって、行って来ました。光寿苑さんに出勤したばかりの宣承さんがお寺へ戻ってきて下さって、みんなで本堂でワイワイとお話をしました。と言っても、いつも通り私が宣承さんに、沢山質問⁉になってしまいました(≧∇≦)お寺で壁画を見せてもらって、吉山くん感動‼

20130717-011908.jpg真宗では「戒めのお話し」とされている閻魔大王や

20130717-012127.jpg私の大好きな、奪衣婆さん‼「三途の川」に居るお婆さんです。色んな呼び名がありますが、私は熱狂的な奪衣婆さんのファンです。「三途の川」は有名な所では青森県の恐山にありますが、群馬や宮城県などにも「三途の川」と呼ばれている川が存在しています。

20130717-012744.jpg地獄絵図は、門徒さんが江戸時代に書かれた物だそうです。昔、ばっちゃん(おばあちゃん)に、よく言われました。「憎たらしい人が居たとしても、仕返しなんかしなくても良いんだよ。みんな死を迎えたら閻魔様の持っている鏡に人生の全てを映し出されるから、そしたら、その時、ガッツリ閻魔様に怒られるもんだ。だから、人を悲しませないように、良いことと悪いことを自分でちゃんと判断出来るようになって、人が見てなくても閻魔様が見てるから、一生懸命努力して頑張れ。頑張って、力を付けたら頑張ってる人に手を貸して、今度はその人が自分で頑張れる様に、影になり支えなきゃいかんよ。手を貸す時にはよ、自分の今までの知恵しか無いから、困ったら近くの理解してくれる年寄りに聞けよ。で、手を貸してもらえなぁ。」と、言われたもんでした。むかし話って、良い物ですね。( ´ ▽ ` )宣承さんは、よく言います。「別にね、碧祥寺じゃなくてもいいんです。宗派もこだわらなくて良いんです。歴史ある、昔からその土地の人達が大切にしてきた、近くのお寺に行ってね、背負った荷物を置きに行って、本尊さんに沢山お話しして、その場の力を借りてみることは、大切なんだと思います。」と、おっしゃいます。なので、お寺に行きました。お盆が近くなると、私だけじゃなくて、心が亡くした大切な人へ向くものです。少し動いたり、少し落ち込んだり、そんな感じになったらね、お寺や神社に行くことは、とても良いことだと私も思います。

20130717-014459.jpgお寺に貼ってありました。本当にそうだ。そうだよなぁと、読んで「素晴らしい」と、うなりました。自分の足で一歩ずつでも歩ける様に、元気をいっぱいいただきました。吉山くんも「伺って、すごく良かったです‼」と、言っていました。よぉし、ファイト‼o(^_-)O

いのち新聞

今日は、新聞作りでした。新聞作りの太陽的存在の、伊藤先生が今日は体調不良の為欠席で、みんなで心配しながらのスタートでした。高校生四人と、大人四人で、記事を二つ仕上げて、持ち帰りで仕上げる記事が4つ、来月は子ども夢ハウスで記事作りで、今回は記事が沢山になったので、「お盆号」が三つ目の新聞と別に仕上がりそうな予感です。一号新聞が8000枚、二号新聞が現在2500枚、皆様のご協力の元、配布させていただきました。三号新聞とお盆号が出来れば、又新たに配布させていただく形となります。皆様からのお手紙も多数いただいております。励ましのお便り含め、いただいたお手紙に、メンバーみんな嬉しい気持ちでいっぱいです。編集部の記事から、そして投稿してくださった方々の、一人一人の背景を文章から感じていただいたり、考えて下さったり、その視点に一緒に目を向けていただいたり、心から嬉しく感じさせていただいています。感謝申し上げます。ありがとうございます‼岩手県も日中は暑い日が多く続いておりますが、皆様もどうぞお身体ご自愛下さいm(_ _)m

2013年7月14日

日総研さん、東京セミナー

今日は、東京で講習会でした。日総研さんのグリーフケアの講習会、追加開催の三回目でした。東京は、この講座だけで、三回総勢約300名の方が受講してくださいました。一回一回、皆さんとお話をさせていただいた思い出が、沢山ありますね‼

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本日も、全国各地からお越し下さいまして、本当にありがとうございました。皆さんの現場でのお話の中から、お人柄がとても伺い知れる、本当に温かい時間だったと思います。

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デモンストレーションのモデルになってくれた、救命救急(ER)の看護師さんです。彼は、被災地の自分の病院の救命救急を担当しながら、搬送されて来られる被災して亡くなられた方とご家族のケアも担当していたと言う話を教えてくれました。「亡くなられた方を守り、ご家族の支えになりたかった。」と、普段からの使命感が奉仕につながった時間であり、「ありがとう」のお互い様の意味をしっかり理解している青年でした。小児、NICU、特別指定疾患病棟、訪問看護、救命救急、高齢者施設、看護学校、看護部長等、お一人お一人の専門性の中で、患者さんや利用者さんを深く思い、心を尽くす時間として、一緒に過ごさせて学ばせていただいた時間に、深く感謝申し上げます。ありがとうごさいました。

2013年7月13日

「心を込める」と言うこと

「心を込める」と言う言葉を、最近よく使うようになった。「どういう意味?」と、子どもさん達はストレートに聞いてくれる子も多い。「心を込めてもらってありがとう。」と、納棺終了後にご遺族から言っていただくことも多い。先日の納棺で、お参りに来られて居た、これまたお年寄りと「心を込める」ことの意味について話した。で、今日、フッとその時間を思い出して、ちょっと考え込んだ。「勇気」と「心を込める」ことは比較的私にとっては、つながるもの、一緒なのかもしれません。とあの時話した。「心を込める」ことの自分なりの意味は、相手の話を伺って、一番必要とされている動きの流れの中に、自分の最も大切にしているものを込める、尽くす、奉仕などの言葉が当てはまる様な気がしていて、プラス、見返りや評価は全く必要無い状態と考えていて、「勇気」は無意識の内に全てのこだわりが無くなって、今に向き合う一歩を踏み出していた、と言う結果。一歩を踏み出すと、山あり谷ありの中で、今まで生きてきた土台が助けてくれる事が多い。「あの経験は無駄じゃなかったんだぁ。」過去の困難や孤独、苦しみの経験が助けてくれる。生きていれば、「あぁ、どうしよう。」と言うことに直面することは比較的多くて、そういう時こそ、自分のフィルターを通してから、言葉に変えていく作業が実に大切にしてきたこと。納棺の時間で考えれば、内陸の納棺でも、沿岸被災地の方々の参加は多い。震災前からの元々のエリアでの被災地沿岸納棺でも、「まだ、家族が見付からないの。帰って来てくれないかなぁ。」そう話す人は、本当に多い。被災地に入れば、海に向かって拝む方の姿を見かけることもある。未だ、岩手県は1000人以上の方が行方不明であることが現状です。大切な人を待つ人達はまだまだ居ます。「もうすぐ、お盆ですね。」と心を込めて声を掛けると、「うん、楽しみ。待ち遠しい。」と嬉しそう。ご遺族にとって、亡き人とつながれる希望として、お盆やお彼岸は存在している。生きて行くために必要な伝統や文化に支えられ、ご遺族は生きる。苦労や、困難や、悲しみや、もがいて泣いて、後悔することを経験すると、みんな得る何かがある。何だろう、きっと、欲や執着が無くなる人が多い。困っている人を見つける目が研ぎ澄まされる、そういう人達を沢山知っているから、故人を前にして、混乱されているご遺族の傍に居させてもらえることが出来るのかもしれない。心情の移行は、みんな経験する。私もそうだった。苦しい、切ない、孤独、困難、思い悩んで、今の人生がある。亡き大切な人を思い続けることで、自分の情緒が、潜在意識が安定する。安定と不安定は実に仲良しで、不安定な時は自分をそっとしておいてあげることを覚えた。納棺の時間の中で、人生の何かを教えてもらう時、「亡くなった方ではあるけど、この方の人生の最期に出逢えたご縁に対して、心を込めること」を心掛ける。人生色々だけど、全てがご縁だと思って考えて行ければいいな、と思っています。納棺の時間に、100%じゃないから、完璧じゃないから、未熟だから、それがその人の個性。だから、誰でも死ぬまで勉強と、お年寄りが教えてくれます。すごいなぁ、お年寄り。感動して「南無南無」と拝むと、「拝むな〜‼拝むな〜‼(笑)」と手を右と左にブンブン振るお年寄りがまた、チャーミングです。出逢うって、素敵なことですね。おやすみなさぁい。

お年寄りのお話し

納棺の時間のお話の中で、よく「人生の壁」と言う話になることがある。お年寄りが教えてくれる話をまとめると、目の前に立ちはだかる人生の壁は、一見、大きく見えるのだけれど、「待てよ」と思う気持ちにより、一歩も二歩も引くことで、「あ、この位の大きさなんだ。」と気が付けることがあるそうだ。そして目を凝らすと又は、その時の視点が変わると、その周りの光景が目に入り、「あ、様子はこうなのか。」と雰囲気をつかめるらしい。壁は越えずに、横から回れるものがあり、それを回り道と呼ぶのだそうだ。回り道は、決して無駄な事など無く、回り道をした事で得られる事は非常に多いと言う。壁の向こうからロープが出て来て、つかまると引っ張ってくれる人が居て、壁のてっぺんに上がると階段があり、大きな壁を容易に降りて行ける。その全てはそれぞれの人に支えられていて、それを地域や社会、人とのつながりと呼ぶのだそうだ。人の悪口をすれば必ず自分に倍になって帰ってくるもので、自分から発した事が帰ってくるのは当然と考えるべきだと言う。そうする事で「浩然の気を養う」ことにつながるのだと教えてもらった。大きく広い気を養う事を積み重ねた素晴らしい存在が、年寄りなんだと言う(笑)さすがだ。堂々と言い切る凄さ(笑)でも、確かに、お年寄りは何事にも動じず、ゆったりとした心持ち、愛情深く、寛容で、親しみやすい。納棺の時間に出逢うお年寄りは、浩然の気を養って生きて来られたんだと思う。天晴れ(あっぱれ)です。

子ども夢ハウスおおつち

子ども夢ハウスおおつちのブログです。是非、ご覧下さい。http://yumenomizuumi.com/blogotc/吉山くんは、子ども夢ハウス専属の、山口県、夢のみずうみむらの職員さんです。子ども夢ハウスの立ち上げと同時に、山口県から岩手県大槌町に引っ越して来てくれました。子ども達から「お兄ちゃん」と呼ばれ、地域の方々から「吉山くーん‼」と親しまれる人柄です。子ども達が口コミで広げてくれたことで、沢山の子ども達が集まって来てくれるようになり、横澤さんが夢ハウスの職員さんに。二人は、子ども達と地域の方々からとても信頼される、頼もしい人達です。横澤さんは女性で、釜石市の方です。みんなから、「横ちゃん」と呼ばれていて、私も気が付けば「横ちゃん‼」と呼んでいた‼横ちゃん、本当にステキ‼吉山くんは、作業療法士です。元々、生活支援や自立支援の訓練が出来る専門家。普段は、子ども夢ハウスを立ち上げて下さった藤原茂先生と電話で、報告したり、指示をいただいたりと、とてもマメにやり取りをしています。よく、「どうしようか⁇」と悩んだ時は、私もよく藤原先生に電話で相談します。被災地の限られた遊び場をどう活用するか、今の状況から出来ることあれこれ。吉山くんは何事にも真摯に向き合う姿勢を持つ作業療法士さんなので、地元の皆さんからの信頼は絶大。吉山くんはいつも、藤原先生が大槌入り出来る日が決まると、めちゃくちゃ嬉しそうに報告してくれます。お二人の信頼関係は、本当に素晴らしい。藤原先生と吉山くんの姿を見ていて、作業療法士さんの仕事にとても興味が湧いています。生活支援、自立支援、地域の連携、コミュニケーション(障害をお持ちの方含む)、そして見る力、何より今を動かす力がすごい。本当に始めて向き合うことが多い目の前のことに対して、私も夢ハウスで色々教えてもらって、全力で向き合わせてもらって、覚えました。まだまだ取り組む事が多い事に気が付ける今が、とても大切です。伝える力、受け取る力、見守る力。そういうものが、夢ハウスにはある。と、私は感じています。と言う、もっと詳しい話を、沖縄県の講演の時にじっくり、お話をさせていただこうと思っています。皆さんにお会い出来る事を、とても楽しみにしています‼m(_ _)m

オシラサマ

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そう、最近被災地で、「オシラサマも流された。」と聞く事が多くなりました。これは昔から伝わるオシラサマと言う民族信仰の一つです。その昔、蚕が盛んな時代に、蚕の生産を繁栄させてくれる神様として、柳田國男の遠野物語の中にも記述がある通り、次の世代へと引き継がれ、現代にも存在しています。蚕の養殖は無くなっても、先祖から伝えられた歴史は、古い家なら今でも大切にされています。遠野を中心に、特に岩手県全域と東北地方に伝わります。写真のオシラサマは、岩手県内の山奥の母の実家に伝えられているオシラサマで、毎年旧正月には身内が集まった所で、オシラサマに新しい布の着物をかぶせます。私の子どもの頃の記憶にも、大人がオシラサマに着物を着せる所を子どもみんなで見ていた記憶があります。とても古い家の神棚には、毎年重ねて着せた着物で顔が見えない位、布に覆われています。歴史のあるお家の納棺の時には、神棚にオシラサマを見つけ、「オシラサマですね?」と伺うと、おばあちゃん方の昔話が始まります。納棺の時間には、「死」が現実に存在しています。ご先祖さんとつながる話は、亡くなった人を送る側として、一生懸命聞く姿勢になります。子ども達がお年寄りのお話を夢中で聞いている姿を見ると、昔の自分をみているみたい。「じゃ、おじいちゃんはご先祖さんの仲間に入るから心配ないね。」と子ども達が聞けば「いんや、これからみんなで応援しねぇとなぁ。住職にちゃんとよ、お経を上げてもらって、こうやってよぉ。」と、合掌をして手を合わせる姿を子ども達に教えます。お年寄りの話はリアルで現実的です。私も昔は、会ったことのない、遠いご先祖さんの話をワクワクしながら、目をキラキラさせて聞いたものでした。「おばあちゃんって、何でも知っていてかっこいいなぁ。」と、そう思ったものでした。このオシラサマのお話も実は「死」が関係しています。自分の記憶を辿り、昔、おばあちゃん方に話してもらった内容を思い出すと、こういう内容です。「遠い昔、娘が馬に恋をした。南部曲がり屋(岩手県に伝わる特徴的な建物で、現在遺る曲がり屋は文化財になっている。生活する住居と馬小屋が一体になった建物。)で暮らしを一緒にしていたからかもしれない。毎日、馬と寝食を共にするようになった娘を見て、父親は怒って、裏庭にある木に馬を吊るし殺した。娘は泣き叫び、天に昇る馬と一緒に上がってしまった。父親はそれを見て、結果、娘を亡くして沢山の後悔をした。父親なのか、母親なのか、身内なのか、始めた人は分からないけれど、馬の頭と娘の頭を夫婦神として、毎年新しい布を着せて祀ること、そして、オシラサマは蚕の養殖繁栄の神様として、同時に家を守る「家神様」になった。」お年寄りがこうして口伝で次の世代、又、次の世代に伝えていくものとして、私達子供にも伝えられました。「おめぇ達(あなたたち)も大きくなったら、口伝えで子ども達に話さねばなんねぇんだよ。オシラサマを怒らせては絶対にダメだ。でもよ、オシラサマは子どもが大好きだから、今は大丈夫かもなぁ(笑)」そう言われて、「あ、自分もいつか大人になるのか」と、そう思ったもんです。そして気が付いたら40才。あぁ、年を取るのは早い(*_*)そして、お年寄りが言いました。「誰かが話すのをやめてしまったら、この話はそこで途絶える。この責任、重いよぉ。ばぁちゃんは、もうみんなに話したから、役割は終わりだ(笑)わっはっは〜」と。ご先祖さんを守り続けること、思い続けること、忘れないで過ごすことは、私達に課せられた責任なんだと、教えられたものでした。ボランティアで被災地支援に来て下さる方で、もし現地で「オシラサマ」の名前が出たら、上記の内容を思い出してもらえたらと思います。被災地沿岸の人達は、漁業で暮らしていた方も多く、農業の人達も、お天気等を含めた自然と生活を共にしていましたので、お天気と上手にお付き合い出来るように、信仰心の厚い方も多く居ます。これからも可能な形で、是非、ご支援を宜しくお願い致します。m(_ _)m

2013年7月10日

子ども夢ハウス おおつち

今日は、早朝から13時半まで会社の仕事。それから大槌町へ向かいました。二時間後、子ども夢ハウスに到着。玄関を入ると、子ども達が何か書いていた。「何を書いてるの?」聞くと、「私達の夢ハウスに寄付をしてくれた人の名前を書いてるの( ´ ▽ ` )。ヨッシー(吉山くん)に、書きたい!書かせて‼ってお願いしたの‼」と、返事が帰ってきた。「おぉ〜‼」

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彼女は初期の頃からずっと、「私達の夢ハウス」としきりに言う子です。何を意味するのかなぁと、思って居ましたが、やっぱりみんな、自分の居場所だと思って「夢ハウス」を、それぞれの事情を持ちながらも、一人一人の気持ちで大事にしている様子です。自分に出来る事を探して相談して実行し、始めて試みる事でも、藤原先生、吉山くん、横澤さんに見守られながら、どんどん挑みます。彼女達がご寄付いただいた皆さんの名前を書いてくれて、それは

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夢ハウス室内の壁に張り出されています。「淋しくなった時に見上げれば、自分を思ってくれる人達が全国に、こんなに沢山居てくれる。と思えるように。」子ども夢ハウスを立ち上げて下さった、藤原先生の、ご寄付いただいた皆様への感謝と、子ども達への思いです。子どもさん達も、支えてもらっているからこその、今だと言うこと、そのことを、ちゃんと理解しています。みんな、やんちゃでヘトヘトになるまで目一杯遊ぶのだけれど、養育している保護者さんと吉山くんが大切なことはちゃんと伝えてくれていました。

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「よし、種を植えるよ〜‼」吉山くんの言葉に、小さな男の子チームは思い思いの種を持ち、吉山くんに続きます。で、ついて行ってみました。

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やっぱり(笑)種を植えることもすっかり忘れて、戦いごっこの始まりです。「エイッ‼」「トォッ」と、戦いの声が響いていました。(笑)いつ植えるんだ?種⁇(笑)

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保護者さんが迎えに来た時、いつの間にか持っていたお面をかぶった瞬間が、とっても愉快だったのでパシャリ。ん〜、で、結局、種は⁇(笑)今日は、先日ご支援いただいた「ロウソク」を吉山くんに報告して、配りました。ちょうど保護者さんが迎えに来られた時間だったので、好きな物を選んでもらおうと、みんなに声を掛けました。そうすると、「いくつでもいいの?」と聞かれたので、「みんなで分けられれば良いよ。いくつ欲しい?」と聞くと、子どもさん達が自分の指を折り、何か数え始めました。「津波でね、死んじゃった人の数だよ。」子どもさん達がそう言って、二つ、三つ、四つと、みんなそれぞれ思い思いに「ロウソク」を手に取り大事そうにしていました。父母が一親等、祖父母と兄弟が二親等、叔父叔母が三親等、従兄弟が四親等として、この地域では一人一人が三親等以内の誰かを亡くしていると、言われている地域です。行方不明になっている人達の話もずいぶん出ました。「お盆が来るね。」そう言う話も出ました。けれどもみんな、亡くした大切な人を思いながら、大事にロウソクを持って帰りました。ご支援、ありがとうございました。

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時々、子ども夢ハウスに来て下さるOさんに「子ども夢ハウスの帰りに寄ってね‼」と言ってもらい、顔を出したら、晩ご飯をご馳走になってしまいました。「仮設住宅の玄関のプランターで育てて出来たニラなんだよ‼」とご馳走になり「美味しい〜‼」と思わず(笑)本当にありがとうございました。

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子ども夢ハウスの振り込み先を聞いていただけることが多くなりました。もう一度、載せますね。宜しくお願いします。本当に皆様の温かいご支援に、深く感謝申し上げます。

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2013年7月9日

小学校のゲストティーチャー

先月の6月25日、岩手県内の小学校のゲストティーチャーとして、6年3組の皆さんの授業にお邪魔しました。授業終了後、小学校の先生方々で集まりお勉強されている道徳教育研究会の皆様へ向けて講演をさせていただきました。ご縁をつないで下さった6年3組の担任の高橋先生、校長先生、ありがとうございました。授業中、ものすごく皆さんが真剣に「いのち」と向き合ってくれたこと、とても感動して涙が止まりまらない時間でした。

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少しの時間でも、皆さんと一緒に「いのち」を考えられた時間は、私の人生にとっても、とても貴重な時間でした。皆さんと一緒に過ごせた時間は、本当に素敵な時間でした。

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各学校の保健室の先生方々も、沢山来て下さっていました。被災地で子ども達の教育を担当される小学校の先生方々の情熱がとても伝わってくる講演でした。

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皆さんから、こんな素敵な感想文が今日、弊社に届きました。と〜っても嬉しかったです。6年3組の皆さんの感想文を、少しご紹介したいと思います。「僕は大事な家族を亡くした時、ただただ悲しい気持ちが込み上げてきました。授業の中で、笹原さんと一緒に「死」を深く考えることが出来ました。(中略)ありがとうございました。頑張って下さい‼」「僕達は色々な人に支えられて生かしてもらっていると言うお話しから、僕は自分の存在をとてもありがたく感じました。そして、復興についても、よく考えてみたいと思います。(後略)」「それまで私は、家族を亡くしたことがすごく悲しかったです。だけど、授業を聞いている中で色々と思いました。家族が、それまで元気で居てくれたことの方が、とても素敵に感じました。私に希望をくれて、ありがとうございました。」「この前はいのちについて伝えて下さって、ほんとうにありがとうございました。僕たちは亡くなった人の分まで、同じ岩手県人として、今僕たちに出来ることを少しずつ積み上げて復興に役立てたいと思います。」「先日は、授業をしてくださって、ありがとうございました。僕はこの授業が心に残りました。理由は、いのちにかんしての考え方が変わったからです。今までは大切にしようとかしか考えていませんでしたが、この授業を通して、いのちは誰かに支えられ、そして支えるものなのだと知りました。」「自分も大切であるように、他の人も大切だということを詳しく教えてくださってありがとうございました。」などなど、クラスの皆さんの感想文は、一枚一枚に色鉛筆でそれぞれが色や絵をいれてくれて、とても心のこもった素敵な感想文をいただきました。本当に、本当に、ありがとうございました。と〜っても嬉しかったです。生きていると、死に出逢います。死は、その人の人生そのものです。不幸でもなく、忌み嫌われるものでもなく、家族にとって、その人を大切に思う人にとって、思い出も含めて丸ごと大切であるということを、私も納棺の時間に教えてもらいます。どんな思い出がありますか?何を遺してもらいましたか?どうか、その方の1番良い顔を、思い出してあげて下さいね。皆さんと一緒に過ごせた時間は、やっぱり宝物です。ありがとうございました。

迎え火、送り火

「お盆が待ち遠しい」納棺が終わり、そう言われるご家族も多い時期に入って来ました。日本には、ご先祖と亡き大切な人を思うお盆やお彼岸などの日本の伝統がとても強く残っています。「迎え火と送り火」は、遺された家族が又はご先祖を思う私達子孫が、お盆の日に合わせて行う地域の伝統などの行事の一つです。仏壇にお供えとお花、キュウリの馬とナスビの牛を準備して、玄関前で「迎え火」を家族が全員揃って手を合わせ、ご先祖の帰りを待つ行事を行っていました。今でも、ここら辺の地域では玄関前で「迎え火、送り火」を行っていて、お盆の時期の納棺の帰り道には、夕方になると町が幻想的に一変します。それは、本当に見事な風景です。「迎え火と送り火」に使う物は、木をくべたりして、松の種類の乾燥させた物を少量燃やすと言う地域がこの辺は多くありますが、何を燃やすかは地域により、多少異なります。8月12日の夕方に迎え火。15日か16日に送り火が行われます。仏壇に供える「キュウリの馬」は、割り箸や爪楊枝などで足や首を作ります。「馬に乗って、急いで早く帰って来て欲しい。」待つ側の、そういう思いが込められている。と、昔はよく聞きました。そして、「ナスビの牛」も、爪楊枝などで足を作ります。帰る時には、ゆっくりと帰って欲しい。そして、持たせたい物を持たせられるように、牛に積んで、との思いを込めて家族で作る物でした。ちなみに、岩手県で著名な「河童」ですが、この子達をキュウリとナスビで釣ると言うのは有名な話です。河童の元々の話は地元の人説では、実は昔、昔に飢餓などで貧しく食べていけなかった時代に間引きされた子ども達で、緑や青色の河童は腐敗した色。赤い色の河童は、赤ちゃんと伝統で言い伝えられています。間引きされたけれど、間引きしたくてした訳では無い。子ども達を思い続ける親心なのだと、私は聞きました。河童を釣るナスビとキュウリは、亡き子ども達を思い、「亡くなっている」と言うことを指す意味があるのだそうです。一見、遊びのように見える河童を釣る行為も、昔を忘れること無く、今の人たちに生きて欲しいと、昔の人たちが伝えてくれた伝統の一つです。先人達の教えを私達は伝統の中で学び、生かしてもらっているのだと思います。被災地でも、お盆の行事はみんな、大切に行っています。何軒も何軒もお参りに回る沢山の方々に出会います。お盆の行事も廃れることなく、私達も次の世代に背中を見せて、しっかり伝えていかなければならないと、思います。

2013年7月7日

パセリの会様 コンサート&講演会

大分県で開催された「パセリの会」イベント。コンサート&講演会にて、バイオリニストの穴澤雄介くんとドラマー高木將雄くんとコラボレーションをさせていただきました。

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午前中のリハーサルで穴澤雄介くんとドラマー高木將雄くんの演奏を聞きながら又、「音楽って、すごいなぁ。」と思っていました。会場には、沢山の子どもさんたち、全盲の方々も来場してくれていました。遠くは埼玉県からご参加下さった方も。穴澤雄介くんと一緒の楽屋でお話しをしながら、レパートリーに「ドラえもん」があることを教えてもらって、リクエスト‼そして、穴澤雄介くんに目が見えない方に、お話の中でどんな工夫をして伝えたら良いかを教えてもらった。

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穴澤雄介くんが、演奏時間の中で自分の生い立ちについて、お話ししてくれました。彼は、全盲です。でも、何でも自分でやる、出来る。ホームには二回落ち、車には三回引かれ、防波堤から落ちたこともあったと教えてくれた。「それでも僕は生きている。」そう、話してくれた。「僕は、過去は変えられると思っています。今の自分が変われば、過去に起こった全てのこと、一つ一つの意味が変わってくる。人のせいにしたり、自分を受け容れてあげなければ、実は何も変わらないと思っています。」そう、話していた。「僕に障害があることで母が出て行ってしまい、父が男手一つで育ててくれた。父の会社が倒産して一時期父も居なくなった。でも、僕は父を許した。それは、こんな父でも僕にとっては大切な父で、僕を大切に思ってくれていることは変わっていなかったから。こういう経験をさせてもらったから、僕は演奏家になれたとも思う。音楽で人を元気付けたい。今度生まれて来ても、今のままで生まれて来たい。障害を持ったことで、気が付けることが沢山あるから。今のままでいい、同じ条件でいいとそう、思っています。」と、話してくれた。

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ドラマーの高木將雄くんは、穴澤雄介くんの世話を自ら進んで動いていた。「僕は、穴澤さんが障がい者だから傍にいるわけではない。穴澤さんを尊敬していて大好きだから、一緒に居たい。」そう言っていた。幕が上がる前に、みんなで気持ちを整えた。会場は補助席も足りなくなり、立ち見も出ていて会場は超満員の300名弱の皆さんが、幕が上がるのを待っていてくれていた。コラボレーションをさせていただいたことで、私自身も随分学んだ。会場のお客さんの皆さんが、とても温かい雰囲気を作って下さって、良い時間でした。

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盲導犬の相棒と来場してくださった方とお話し。「撫でてもいいですか?」と伺うと、直ぐにそばに来て挨拶してくれました。可愛かったぁ。

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みんなで記念写真。

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今日も地元の書店さんにお世話になりました。紀伊国屋書店、大分店の皆さんと記念写真。ありがとうございました。

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サイン会では、お一人お一人の皆さんとお話しをさせていただきました。大切なご家族を亡くされた皆さん、子どもさんを亡くされた親御さん、親御さんを亡くされた子どもさんたち、お年寄りの皆さん、医療、福祉、教育関係、警察の、沢山の皆さんとお話し出来たこと、嬉しい時間でした。皆さんとお会い出来て、穴澤くんも、高木くんも、私も、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

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パセリの会の皆さん、渡邉さんに大変お世話になりました。ありがとうございました。日田市の講演会も、本日の講演会も、いのち新聞と子ども夢ハウスチラシの配布のご協力をいただきました。深く感謝申し上げます。穴澤くんも、高木くんも、「いのちの授業」で全国を回っているそうです。とても深くていい、授業なんだろうなぁと、思っています。元気をいっぱいくれる、そんなお二人でした。ちなみに、穴澤くんのギャグのセンスは抜群です。本人、「吉本に行きたかった」というくらい明るい人柄です。

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穴澤雄介くんのCDは五枚出ています。NHK朝のラジオ番組の主題歌は(他にも多数)、彼の演奏曲です。本当に素晴らしい演奏家のお二人でした。