2013年7月13日

オシラサマ

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そう、最近被災地で、「オシラサマも流された。」と聞く事が多くなりました。これは昔から伝わるオシラサマと言う民族信仰の一つです。その昔、蚕が盛んな時代に、蚕の生産を繁栄させてくれる神様として、柳田國男の遠野物語の中にも記述がある通り、次の世代へと引き継がれ、現代にも存在しています。蚕の養殖は無くなっても、先祖から伝えられた歴史は、古い家なら今でも大切にされています。遠野を中心に、特に岩手県全域と東北地方に伝わります。写真のオシラサマは、岩手県内の山奥の母の実家に伝えられているオシラサマで、毎年旧正月には身内が集まった所で、オシラサマに新しい布の着物をかぶせます。私の子どもの頃の記憶にも、大人がオシラサマに着物を着せる所を子どもみんなで見ていた記憶があります。とても古い家の神棚には、毎年重ねて着せた着物で顔が見えない位、布に覆われています。歴史のあるお家の納棺の時には、神棚にオシラサマを見つけ、「オシラサマですね?」と伺うと、おばあちゃん方の昔話が始まります。納棺の時間には、「死」が現実に存在しています。ご先祖さんとつながる話は、亡くなった人を送る側として、一生懸命聞く姿勢になります。子ども達がお年寄りのお話を夢中で聞いている姿を見ると、昔の自分をみているみたい。「じゃ、おじいちゃんはご先祖さんの仲間に入るから心配ないね。」と子ども達が聞けば「いんや、これからみんなで応援しねぇとなぁ。住職にちゃんとよ、お経を上げてもらって、こうやってよぉ。」と、合掌をして手を合わせる姿を子ども達に教えます。お年寄りの話はリアルで現実的です。私も昔は、会ったことのない、遠いご先祖さんの話をワクワクしながら、目をキラキラさせて聞いたものでした。「おばあちゃんって、何でも知っていてかっこいいなぁ。」と、そう思ったものでした。このオシラサマのお話も実は「死」が関係しています。自分の記憶を辿り、昔、おばあちゃん方に話してもらった内容を思い出すと、こういう内容です。「遠い昔、娘が馬に恋をした。南部曲がり屋(岩手県に伝わる特徴的な建物で、現在遺る曲がり屋は文化財になっている。生活する住居と馬小屋が一体になった建物。)で暮らしを一緒にしていたからかもしれない。毎日、馬と寝食を共にするようになった娘を見て、父親は怒って、裏庭にある木に馬を吊るし殺した。娘は泣き叫び、天に昇る馬と一緒に上がってしまった。父親はそれを見て、結果、娘を亡くして沢山の後悔をした。父親なのか、母親なのか、身内なのか、始めた人は分からないけれど、馬の頭と娘の頭を夫婦神として、毎年新しい布を着せて祀ること、そして、オシラサマは蚕の養殖繁栄の神様として、同時に家を守る「家神様」になった。」お年寄りがこうして口伝で次の世代、又、次の世代に伝えていくものとして、私達子供にも伝えられました。「おめぇ達(あなたたち)も大きくなったら、口伝えで子ども達に話さねばなんねぇんだよ。オシラサマを怒らせては絶対にダメだ。でもよ、オシラサマは子どもが大好きだから、今は大丈夫かもなぁ(笑)」そう言われて、「あ、自分もいつか大人になるのか」と、そう思ったもんです。そして気が付いたら40才。あぁ、年を取るのは早い(*_*)そして、お年寄りが言いました。「誰かが話すのをやめてしまったら、この話はそこで途絶える。この責任、重いよぉ。ばぁちゃんは、もうみんなに話したから、役割は終わりだ(笑)わっはっは〜」と。ご先祖さんを守り続けること、思い続けること、忘れないで過ごすことは、私達に課せられた責任なんだと、教えられたものでした。ボランティアで被災地支援に来て下さる方で、もし現地で「オシラサマ」の名前が出たら、上記の内容を思い出してもらえたらと思います。被災地沿岸の人達は、漁業で暮らしていた方も多く、農業の人達も、お天気等を含めた自然と生活を共にしていましたので、お天気と上手にお付き合い出来るように、信仰心の厚い方も多く居ます。これからも可能な形で、是非、ご支援を宜しくお願い致します。m(_ _)m