2016年10月31日

第9回ライオンズクラブ国際協会332ーF・女性&若手フォーラム

秋田県のホテルを会場に、

第9回ライオンズクラブ国際協会332ーF・女性&若手フォーラム

〜ボランティアを考える〜

の大会の中での一コマの90分の講演に於いて、お話しをさせていただきました。

私と致しましては、気が付いたら「復元ボランティア」と皆さんに呼んでいただいていたということの方が正しい様な感じなので、自分としては、ただ目の前の事実に必死で、ボランティアをしていたという意識が無かったので、何かお役に立てることはあるか、経験の中から探しながら、お話しをさせていただきました。

私の活動に於いては、国内外からご支援いただいた物資をお預かりして、活用させていただきました。地元の多くの方々にも身心ともに支えていただき、動くことが出来ました。なので、同じ志しだった私の周りの人、一人ひとりが頼もしいリーダーだったと思っています。

私感を申し上げると、震災が発生した直後の急性期と、時間が経つにつれて変化して行く慢性期では、支援の形も大きく異なっていきました。

少しずつ時間が過ぎて行く中で、急性期には情報が昨日と今日では全く違うということが、よく発生していました。支援される側と、支援する側の意見の相違がない様に、すり合わせやコーディネートが特に必要な時期だと思います。

慢性期に入ると、生活のペースを整えるべく動きが始まるので、支援される側が求めることが明確になって来るので、支援する側も動きやすかったのではないかと思います。

全国各地で発生する災害。各地の被災地からご連絡をいただくことも多くなりました。今はどの時期で、どのような支援が必要なのかを含めて、色々とご提案させていただくことも増えています。

ボランティアに参加するときは、社会福祉協議会が管轄するボランティア保険に加入することが義務付けられています。それから、名前と支援をする種類を記入し、「いま、どのような状況であるのか」その情報が明確に行政に伝わることで、市町村の行政が県や国に申請したり、報告したりの情報になることもあります。

ボランティアを行うときには窓口があるので、そこで登録を行います。

全国各地で支援する側が、支援される側になることが多く発生する中で(皆さんがそう話してくれます)、一番のキーパーソンは、コーディネーターだと思います。そのコーディネートの役割が、社会福祉協議会と言えると思うので、ボランティアを希望される場合には、希望される被災地の社会福祉協議会に相談してみてください。

ライオンズクラブさんでも、国内外多くのボランティアに積極的にご活躍されていました。色々なお話しを伺えて、私もお知恵をいただきました。大変、お世話になりました。皆さまの益々のご活躍を、ご祈念申し上げます。ありがとうございました。

2016年10月27日

子ども夢ハウス、すり傷公園

藤原先生が帰って来られていました。四月に引っ越した先の新しい夢ハウスに、すり傷公園作り第二弾です。

私には完成したように見えたけれど、まだ続きがあるそうです。

手作りで、ここまで出来るんだ!

というくらいのすごさ、公園作りのプロフェッショナルの方々、ボランティアの皆さま、保護者の皆さま方々のお力をお借りして、愛情たっぷりのステキな公園作り!

の横では、喜びの歓声を上げながら、すでに遊んでいる子どもたちが!!さすがです。(笑)

私も、仕事も納棺も立て込んでいたので、その合間に向かって、今回夢ハウスに滞在できた時間は40分。皆さんからお預かりしたご支援の差し入れを渡して、子どもたちとお話しをして、来た道を約2時間かけて、帰って来ました。

全国各地で発生する災害のニュースを見て、夢ハウスの子供たちも心配していました。

「地震って、とってもこわいから。大きな地震の後には、余震もあるから心配だね。」

経験したから、知っていることもたくさんありますね。

子どもたちはきっかけにより記憶の振り返り(トラウマ)はもちろんあります。

あの時のまま時間が止まっていることもある。

少し進んでいる子もいる。

自分のペースを作りながら、子どもたちだって、色々と決断しなければならないことも、都度あります。

自立支援として、子どもたちと共に存在している夢ハウスの中では、

大人に話してみる、

自分で考えてみる、

一緒に悩む、

情報を得る、

決断をする、

管理人の吉山くん、横ちゃん、かずこさん、他夢ハウスを支えてくださる皆さんが、子どもたちの話しを聞き、一人ひとりの真剣な表情と向き合ってくれています。人生を左右するような、節目の決断をしなければならないこともありますが、それも子どもたち一人一人の中の大切な一部であること。

公園作りを大人と一緒に作る経験をしながら、やっぱり遊びたい!と遊び出す無邪気さも、彼らの中の人としてステキな一部であること。

人は色んな一部を持ち、それが集合して人が形成されていること。そのバランスを、どんな風に取っていくのか、多くの人に見守られながら、子どもたちは夢ハウスの中で色々経験しています。

私は子どもたちから、「夢と幽霊の研究家」と呼んでもらっているようで(笑)実質は、用務員のお姉さんですが。

こわい夢や、こわいことがあると、子どもたちが話してくれることも多くあります。私の作るお守りは、とても良く効くらしく、

「作って!」
「つくってぇー」

と、要望も多くあり、次回行ったときは、皆んなとお守り作りをする約束をして帰ってきました。

今回は子どもたちといつも行く、浜に行くことができなかったので、次回は浜を少し歩きたいと思っていました。

皆さまのご支援に、深く感謝を申し上げます。引き続きのご支援を、よろしくお願い申し上げます。

2016年10月24日

三重県第一宗務所護持会研修会

21日、三重県にお邪魔しました。

宗務所の所長さん(僧侶)は、過去の伊勢湾台風を経験されたとのことで、町が壊滅したこと、その被害の甚大さや、その後の復興に至るまでのご経験された色々なことを、講演の前日の打ち合わせのときに教えていただきました。

「12歳のときの経験だから、鮮明によく覚えています。伊勢湾台風で、身内が被災して亡くなりました。(後略)」

所長さんのお話しを伺いながら、色々とお知恵もいただきました。自分の気持ちと又、照らし合わせてみると、過去の記憶に光を当てることは容易ではないけれど、そういう時が来る瞬間に出会える時を、私も探しているのかもしれません。

90分のお時間をいただき、約500名の僧侶、総代、檀信徒の皆様にお話しをさせていただきました。

「お弟子さんですか?」

僧侶の皆さまにお声掛けいただきました。弊社のマンツーマンセミナーを受講された3名が、講演に駆け付けて手伝ってくれました。ありがとうございました。

講演中に、地震がありました。

鳥取県倉吉市で震度6だったそうです。今週、伺う予定だった倉吉市が震源地だったことで、講演は中止になりました。

中学校のいのちの授業をご依頼いただいた倉吉市役所さんは、現在建物に入れる状況にない中で、市役所としての業務を行っているそうです。

二つ講演することになっていた、もう一つは800名の皆さまに向けた一般講演として、社会福祉協議会さんからのご依頼でしたが、使用するはずだった建物が大きな被害を受けたことで中止に。又、社協さんは現在ボランティアセンターの立ち上げに、御尽力されています。

予断を許さない状況の中でのご連絡を賜わりました。1日も早く、皆さんの生活のペースが整いますように、心よりお見舞い申し上げます。

2016年10月20日

第39回曹洞宗青年会山口大会

19日、講演前日に山口県に入りました。札幌は10℃を切る寒さだったのですが、山口県は26℃と長袖を着ていても、雪国に住む私には少し暑く感じました。北の方は紅葉が始まっていますが、山口県はもう少し後かな?同じ日本の中でも、場所が変われば色々違うので、それもまた一興です。

第39回曹洞宗青年会山口大会の2日目の講演の枠をお預かりしました。「復元ボランティアと呼ばれて」と題して、東日本大震災の経験やご縁を中心に、どのような状況で自分の弱さに直面して、自分の気持ちと付き合って来たかなど、お話しを組み込ながら進めさせていただきました。

《遺影》
誰にでも怒鳴りつけると噂されていた、お父さんとご縁をつないでいただいたことがありました。お父さんが私に会いたいと言っていただいていると聞いてお会いしましたが、怒鳴る理由を知ることが出来ました。

お父さん「ひどいもんだよ。被災した家をそのままにして、家の入口に見付からない子も含めての5人全員の写真を置いているんです。それをまたいで、被災した家の中に入ろうとするから、俺は怒鳴るんだ!「人の家に、勝手に入るな!」って。おれ、間違ってるのかなぁ・・・。」

私「全然間違っていないと思います。だって、写真は、本人そのものの意味がありますから。それをまたぐなんて、しかも勝手に家に入るなんて、失礼千万ですね。」

遺影とは遺された家族にとって、その人そのものの存在になるものです。被災した家も、一緒に過ごした、想い出という宝物がいっぱい詰まっています。人の悲しみに気が付いてもらえないことも哀しいけれど、気が付かないだけではなく踏みにじる行為は、どうなのかな?と、お父さんのお話しを伺って、悲しみが怒りに変わる瞬間に出会うこともありました。

《帰る場所は分かるかな?》
避難所、仮設住宅、その後の引越しを経験した子どもたちからの問いは、

「お彼岸やお盆にね、家族が帰って来るでしょう?引越しを沢山したから、ちゃんと帰って来る場所、分かるかな?」

ちゃんと帰って来れるのか、迷子にならないか、心配だと言います。色々話しをしていると、

「迷子になっていたら心配だからぼく、お家のあった場所に迎えに行こうかな。「お父さん、みんなの所に帰ろうね。」って、話し掛けて迎えに行ってあげなくちゃ。

あのね、生きていたときはね、いつもお父さんは、ぼくを迎えに来てくれていたんだもん!」

とても頼もしく、愛しい笑顔でした。




講演の中から、二つのお話しをピックアップしました。出会う中で、お一人お一人が大切にしていることに触れさせていただく時間も、多くありました。噂だけでは決められない、お話ししなければ分からないこともたくさんありました。お話しを伺っていく中でいつも感じることは、

悲しみの深さは、愛情の深さに等しいこと

愛情の深さの中に、沢山の宝物があること

をいつも、教えていただきます。死を迎えても関係性は変わらない。故人を守ろうとする姿の中にある、強さに又、たくさんの問いと共に生きる姿に、人の心の深さを教えていただきます。

東日本大震災に於いても、継続したご支援をいただいています。海外の過疎地に住む子どもたちが学校の往復に5時間以上かかることで、いのちを落とす子も多い中、現地の子どもたちのために、学校や寮を作る活動も20年以上続けられているそうです。

青年会、青年僧の皆さまのお話しも、色々教えていただきました。寄り添いの深さに、一つ一つのお話しの中に、見守りの中にある配慮に、胸がぎゅっとなりました。

皆さまの益々のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。

2016年10月15日

真宗大谷派旭川別院様講演

約一週間の九州を巡る旅を終え、岩手県に戻り、北海道の旭川へ。何と気温差マイナス25℃・・・。

寒っ。

生まれも育ちも札幌の私・・・。思い出した!そう、北海道の寒さは肌に刺さる痛さがある。

痛い・・・、
でも、懐かしいなぁ。
でも、やっぱり寒っ。

ショールだけしか持ってこなかったことに、少し(いや、だいぶ)後悔をしつつ。

この度は御本山で講演をさせていただき、又、御本山発行の全国に向けての新聞に取り上げていただき、大変お世話になっております中での、旭川別院様のご縁でした。

13日は旭川に到達して、お打ち合わせをさせていただき、その中で伺った様々に印象に残ったお話しがありました。その中から一つ。

〈むかしの看取り〉
家族は阿弥陀さまの掛け軸の端から一本糸を抜いていただき、目の前の死にゆく家族の指に結びました。死にゆく人は阿弥陀さまと一体になっていることを感じて、穏やかな表情になり、息を引き取られたという記録が、遺っているのだそうです。

きっとそこに至るまでには、その生活の中で積み重ねられた大切な一つ一つがあり、最期の家族のつながりを、阿弥陀様が再び、しっかりと結び直してくれていたのかもしれません。

依存でもなく、奇跡を期待するものでもなく、委ねるという気持ちを持てるその時には、本当の幸せを誰でもつかめるのかもしれません。(全くの私観ですが。)




そして、伺ったお話しを自分の経験に照らし合わせてみました。

祖父の危篤の知らせを受けたとき、私は20歳で、巫女として奉職して1年目。舞楽や雅楽を習得するための猛特訓を積み重ね、その中の一つの舞のデビューのため、装束を着付けていての準備中でした。

心中穏やかではない中で舞を終えたとき、同期の神主さんが、

「祝詞を奏上したから、持って行きなさい。」

と、御守りを一つ手渡してくれました。その御守りを握り、祖父が入院している病院へタクシーを走らせました。

実は祖父は御守りを絶対に必要としない人で、受け取ってくれるのだろうかと、少し心配しながら病室に到達。

祖父は心臓が悪かったのに、息を引き取る最期まで、そのお守りを握り、御守りを握った手を胸の上に置いていました。

身内は、「やっぱり生涯御守りを必要としなかったおじいちゃんでも、息を引き取る時は、きっと不安で御守りにすがるんだね。」と言いましたが、そうかぁ、と一件落着という気持ちにもなれず、

御守りを必要としなかったおじいちゃんが、何故、あんなに大事にしていたのか・・・。何か腑に落ちない気持ちのまま、ずっと答えが出ないままで、私は今の歳を迎えていました。

そして今、お打ち合わせの中のお話しを伺い、何となく祖父の気持ちに立ってみたら、そういうことだったのかな?と、答えに出会えた気持ちになり!納得できたのです。

祖父は、非常に信仰心の深い人でした。菩提寺は、今回ご縁をいただいた御宗派と同じです。ご本尊様は、阿弥陀様。

私が今回出会った答えは、以下の通りです。

おじいちゃんが握ったお守りは、おじいちゃんにとっては阿弥陀さまだったかもしれない。

おじいちゃんが亡くなってから20年以上経って、答えが出た気がしました。なんだか納得し、スッキリした気持ちです。そして、

「私は、何て浅かったんだろう。自分の価値で物事を図っていたんだなぁ。」私の浅さを、また教えてもらった深い深い旅になりました。

「あーっはっは(←おじいちゃんの笑い声)おまえは、まだまだだなぁ〜。」

ニコニコ笑いながら語る、おじいちゃんの声が、聞こえて来そうです。

旭川別院様の講演では90分、お話しをさせていただいた後、宣承さんの大学時代の同期のお坊さんと対談をさせていただきました。さすがでした。貴重なお時間をいただいた中で、私も自分の中の自分と、向き合う時間をいただきました。

自然に深く色々と、考えることが出来ました。ありがとうございました。

2016年10月12日

看護資質向上研修

11日は県立の看護学校主催、経験豊富な医療従事者の皆さまを中心対象として、医療・介護職の皆さまに向けて「看護資質向上研修」の講師としてご指名を受け、秋田県秋田市に行ってきました。

募集開始からあっと言う間に定員を超え、最終的に定員の4倍の方からお申し込みをいただいたそうで、会場は超満員。平均年齢は45歳と伺い、気合を入れて登場。会場はものすごい熱気に包まれていました。

現場からお伝えする内容として、以下の通りで進めています。

①人が持つ悲しみの特徴や、そのプロセス。

②プロとして求められていること、その関わり方と表現法

③安心を提供する定義と、その方法など。

人の心は、時に「トントントン」とノックをしてから、関わる必要があることがあります。

大切な家族とお別れしたことは、基本的に人に触れられたくないことの一つです。なので、価値観を擦り合わせたり、一緒に悩んだり考えたり、お互いに信頼関係を築いて深めて、進めていかなければならないことがあります。

その目的は、安心の提供。一つでも多くの安心が提供出来れば、その方が生きていたときの、一番いい顔をご遺族に想い出してもらえる。その一番いい顔は、必ず目の前のご遺族を支えてくれるからと、多くのお別れの現場にご縁をいただいて、私はそう信じるようになりました。

一つ一つの行動に目的を持ち、全力で挑める精神力を鍛えること。精神力は、体力が必要になります。なので普段から、心体の自己管理を怠らないこと。とは言っても、段々歳を重ねる度に、現場終了後には、バタンと倒れこむことも増えました。まだまだ現役で現場に走っていますから、頑張れるまで頑張ります!(結果、そういうことですが)という話しもしました。

毎度のことながら時間ギリギリまで話し続けてしまい(得意の、あの、おばあさんの話し)、しまった!質疑応答の時間が無くなるという結果に終わりました。少し反省。

前日に自己の不注意により、ぶつけた私の左目の瞼。事務所の二階の階段の手すりに「ガツン・・・うっっ。」。今日は大きく腫れて、変色して痣になっていましたが、復元師なので自分で復元しました(さすがっ)。多分、誰にも気が付かれずに終わり、一安心。でも、本当はけっこう、いいい、痛い。

今日の研修会の中で、よくご遺族とお話しする内容として一つご紹介しました。

死は決して終わりを意味しません。想い続けることで、その大切な人が自分の中に存在し続けてくれるから。だから想い続ける限り、終わりません。

他の誰に何を言われようと、自分の心は人の心ではありません、自分の心ですから。死を迎えても関係性は何も変わらない。自分が亡き人を想い、守り続けると決めたなら、私はそれで、良いんだと思います。っていうか、すごくステキ。大きくなり過ぎた苦しみのエリアと、今はちっちゃくなっている「守り続けるぞ!」という勝気なエリアを逆転させて、これから色々と考えていきましょう!

等々、続くご縁の中で信頼関係ができたとき、そんな話しをすることも多くあります。と、ご紹介しました。

研修会の中でお伝えすること一つ一つを、皆さんが噛み締めながら聞いてくださっていました。きっと、大切な患者さんや利用者さんを想い出されていたのかな?と、思っていました。

皆さまお一人お一人の、益々のご活躍をご祈念申し上げます。お疲れさまでした。





2016年10月11日

人生いろいろ

九州は連日30℃を超えた暑い日が続いていました。岩手県に帰ってくる度に、どんどん寒くなることを感じて温度計を見ると、なんと!15℃。通りで寒い訳だ。夜に花巻空港に着いたバスから降りたときの感想です。なぜ、飛行機ではなくバスを降りたのかと言うと、

花巻空港で滑走路が見えているのに飛行機が上昇。何があった?「強風で着陸出来ない」と、機長からのアナウンスが流れました。上空を30分くらい旋回。「山形空港に降ります。」「な!なななななっ!山形⁉︎」そして山形空港から、花巻空港まで3時間の更なるバスの旅・・・。

そして、岩手県を留守にしている間にも色々とあり。ほぼ寝れずにやらなければならないこともあり、原稿もあり、寝不足等々悟られないように・・・。モチベーションを上げて、気持ちを整えて、セミナーに挑む。

今回も不在中に、皆さんに支えてもらいました。感謝でした。しかし人生って、いろんなことがあるものです。しみじみ、そんなことを感じました。

翌日10日、いのち新聞の取材。報道関係の仕事に就きたい目標を持つ、名古屋の女子大生二人と地元の高校生からの取材を受けていました。一生懸命な眼差しに、たくさん元気をもらいました。純粋で真摯って、持っているだけで素晴らしい。若い子に、又学んだ時間でもありました。

その深い深い内容は又後日、お伝えしたいと思います。

福岡県看護協会講演

8日、13時〜16時までの時間の中で、講演と引き続きでグループワークの質疑応答と総評を担当させていただきました。



講演の内容としては、

①国の法律が様々に変わっていく中で対応している地域の中にある、お看取りについて。

②そして、大切な人を亡くしたときの遺された側の心情と、

③大切な人を遺していく側の心情について

を軸として、お話しを進めました。お看取りにご縁をいただくことも多くなった中で、同じ人は二人と居なく、思いも二つとない、唯一無二のその個々の気持ちをどのようにコーディネートをし、どのように形にするのか、現場は時々刻々生きているからこそ、毎回が真剣勝負です。

グリーフケア(悲嘆の援助)にはステップがありますから、面談やインフォームドコンセントの度に少しずつ深めていくポイントもお伝えしました。

私も普段から心掛けている一つとして故に、思った通りに進まないと得手勝手になってしまって嘆くのではなく、もしかしたら安心出来る環境を整え切れていないのかもしれないと思う方が、お互いの気持ちを通い合うことへの、近道なのかもしれません。

又、遺される方の心情としてのお話しとして、悲しいという感情を経験したとき、更に嘆きが加わり、深い暗闇に落ちることがあります。これ以上落ちることのないどん底に堕ちた経験をした人は、亡き人の姿の中にある、優しさや思いやりを拾って自分の中に組み込む力を付けるのだと思います。譲れないことがハッキリするのも特徴ですが、譲れないことの中に大切な人への思いがあります。でも、必要であることと、今は必要ではないことの住み分けも見極め、

まぁ、良いか。

の使い方も上手になります。そう、悲嘆の経験をすると例えば唯我独尊だった性格の人も、一変するということが、往々にしてある訳です。向き合い方が違えばその逆もあるので、丁寧に大切に関わることは重要です。

お別れの時間は、人の素顔が明らかに出ます。その素顔は、実は人は社会に向けては出しません。社会に向けた顔とプライベートな顔。顔が作り出す表情は心が支配しています。大きく分けて二つの心は、バランスを取ろうとして一生懸命頑張ります。その目の前の方の気持の仕組みやコミュニケーションの方法を含め、お話しさせていただいた時間でした。この仕組みを知ると、自分の気持ちとの向き合い方も分かります。この度、皆さんとご一緒させていただいた時間の内容が少しでも、何かお役に立てれば嬉しいです。

皆さまお一人お一人のご活躍を、ご祈念申し上げます。お疲れさまでした。


(おまけ)
今回のセミナーも、

「申し込み人数は今までで初の、大人数です!」

申し込みが多くて会場が変わったり、人数制限をしたり、企画してくださる皆さんのご苦労を知り、こんなにたくさんの方が死の存在やその中にある大切なことを知ろうとしてくれていることに応えたい、そういう気持ちでモチベーションを上げて自分の気持ちを奮い立たせて、毎度のことながらせっかく会場に足を運んでいただいた皆さんに向けて、セミナーに挑みました。

この日は大雨。早めに頼んでいただいたタクシーが、思った以上に早く到着。

「タクシーが到着したそうです!」

会場は笑いの渦。気を取り直して時間まで総評を終えて、皆さんにご挨拶して、大きく手を振りながら、皆さんに見送っていただいて会場を後にしました。

多くの災害支援をされてきた会長さんと控え室で、絶対に外には出せない話しを色々と。災害の中での共通点が、こんなにあるものなんだなぁと学びました。御巣鷹山の日航機の事故のとき、駆け付けた医療者の一人だったと体験談も伺って、会長さんの話しを夢中で聞かせていただいた貴重な時間もありました。

皆さんにお会い出来たこと、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2016年10月7日

宮崎県JA葬祭担当者納棺研修

熊本県から宮崎県に移動し、熊本県に続いて6日には、宮崎県JA葬祭担当者納棺研修を10時〜16時まで行いました。

同じく内容は、参加型納棺のながれ。研修会中には多くの質問も出て、テキストに組み込みながらお伝えしていました。

皆さんがとても熱心で、テキストの中にない項目も追加したり、

様々な状況の中での時間の使い方や、説明術を含めての話しも追加しました。

今年で3年目になる、JA担当者納棺研修は宮崎県を最後に、今年も九州全県のJA葬祭担当者の皆さんとお会いしました。3年連続で受講してくださった担当者さんも多く、3年続けて様々にお伝えした内容が、皆さんの現場でおおいに活用していただいていることも伺いました。

死の中にある悲しみは、遺された私たちに色々なことを教えてくれます。悲しく、切ない現場も沢山あります。でも、ご縁が無ければ、その方が生きていたことも知らないまま、過ごしていたのかもしれません。お会い出来たから、深めていきたいと思うことも多くあります。

色々な事情が重なった、複雑な背景を持つ現場がありました。その終盤のこと。

お母さんを亡くした子「お母さんは、私のこと、嫌いだったの?」

私「どう思う?」

お母さんを亡くした子「・・・好きだったと思う!」

私「わたしも、心から、そう思うよ!」子どもは笑顔になり、お母さんの頬をずっと触っていました。子どもさんは、小学生の女の子でした。遺された側は、なんとなく置いて行かれたような気持ちになるものです。

また、こういう現場もありました。子を遺して逝く、お母さんの言葉です。死を迎えることは、お母さんも知っていて分かっていました。

母「お母さんに会いたくなって、寂しくなったらね、思い出してね。

風が吹いて、髪の毛が揺れたらね、

お母さんが風になって会いに来て、頭を撫でてくれたんだなって、

そう思ってね。」

納棺の時間の前にある、大切な時間。納棺の時間の中で想い出す、宝物の想い出。悲しみの、人の思いの、優しさの深さを知ったとき、

もっと出来ることはあるのではないか、

もっと気が付かなければならなかったことが、あったのではないか、

もっともっと、出来たことがあったかもしれない。

現場が終わる度に毎回、そう思います。心配することも、出会えたからこその気持ち。そういう気持ちを持ち続け、逝く人、遺された人の心を大事にしていきたいと思っています。

いま、何を求められ、何が提供出来るのか。なぜ、私はここにいるのか。立ち位置を知り、意識して、同じ現場が二つと無い今のいただいたご縁の中にある現場を、どのくらい大切に出来るのか。毎回、葛藤しています。

そのような内容を含めて、セミナーの中でいただいた、多くの質問にお答えしました。

皆さまの益々のご活躍を、ご祈念申し上げます。お疲れ様でした。


2016年10月6日

熊本JA葬祭担当者納棺研修

4日熊本県にて、JA葬祭担当者納棺研修として、10時〜16時までのセミナーでした。

参加型納棺の流れとして、それから搬送時、出棺時のご遺族の希望を叶える様々な方法と情報をお伝えしています。

セミナー終了後には色々な質問も出て、担当者さん一人一人の現場に合わせての回答を、させていただきました。

熊本県で、今年4月に発生した地震災害から今月で6ヶ月。最大震度7、震度6が5回以上発生したことでその後の大きな余震も続き、建物倒壊などの被害もあり、現在も屋根にブルーシートが掛かっている所も多く、街の中にまだまだ爪痕が残っていました。

セミナーを受講していただいた担当者さん方々の葬祭ホールが「仮安置所」となっていたこと、皆さんが車中泊で過ごされながら業務を止めることなく行っていたこと・・・。災害時の様々な動き含めての話しにもなりました。

「復興には、まだまだ時間が掛かりそう。」少しずつでも、地域の中で町づくりを進めていくことを、お話しされていました。

翌日5日は例年通り、熊本で2日目の講習を行う予定でしたが、台風10号が熊本県を通過する予報だったため、大事をとって中止となりました。そのまま宮崎県へ、移動しました。

2016年10月3日

岩手県看護協会盛岡支部講演

講演を終え、新幹線を降りてすぐにそのまま現場に走り、普段の業務も進めながら、お約束した講演にも伺っています。

10月1日は岩手県看護協会盛岡支部、東日本大震災に於いても、現在も現場で活躍される看護師の皆さんに向けての講演でした。

亡くなられた方の体に起こりやすいこと、その特徴。

悲嘆発生から目的までの、一つ一つのプロセスとの関わり方。

ご遺族が求めていることの色々。

など、現場からお伝え出来ることを、いただいた90分のお時間の中で、お話ししました。

災害が発生したとき、自分が被災するかもしれない、自分が救命に対応するかもしれない。災害は、自分の立ち位置がどこになるのか分かりません。以下が参考になればと思います。

《DMAT》
全国各地で発生する災害に於いて、迅速に対応してくれる医療チーム、DMATという活動があります。


DMATとは「災害急性期に活動できる機動性を持った トレーニングを受けた医療チーム」と定義されており
 ※平成13年度厚生科学特別研究「日本における災害時派遣医療チーム(DMAT)の標準化に関する研究」報告書より

災害派遣医療チーム Disaster Medical Assistance Team の頭文字をとって略してDMAT(ディーマット)
と呼ばれています。

全国各地で発生する災害では、地元のDMATチームが駆け付け、その後他県からの応援DMATチームが加わることが多くあります。

災害が発生したとき、警察、消防、自衛隊の皆さんも県内外から現地にいてくれます。

だからきっと、誰かとつながれる。もし、その時に自分が被災したらあきらめずに、救援・救護の手が届くように、音や声を出したり、SOSを発信してください。
《AED》
現在、AEDが様々な所に設置されています。弊社にもあります。AEDとは自動体外式除細動器のことを言います。

機械の指示通りに行うことで、救命の目的を持ちます。

Automated(自動化された)
E.External(体外式の)
D.Defibrillator(除細動器)

使い方を知っておくのも、防災意識・知識を高めます。使用する時は、必ず消防又は医療機関に連絡するのを忘れないでください。「救命→迅速な引き継ぎ」が大切です。

災害時のことは、あまり知られていないのか質問も多いので記します。

こうした医療チームの他に警察・消防・自衛隊による捜索、危険地域の規制、亡くなられた方の安置所、道路などの復興など、被災地では必要な活動が行われています。

スムーズに行われることが現地の方々の求めることなので、ボランティアなど支援する側も優先順位に気を付けながら、活動出来ることが望ましいと思います。

一番大切なのは、興奮しないこと。だと思います。素晴らしいボランティアさんにもお会いしましたが、残念ながら興奮状態の方もお見受けしたことがありました。興奮していると、必ず人に迷惑を掛けています。支援する側は感情的にならず、現地で仲間を増やして、関わったことや人を誰かにつなげてもらえることも理想的だと感じます。

災害支援時に得た情報は、例えば生活苦や、いのちに関わりそうな情報は、その地域の役所に居る保健師さんへつなげましょう。災害時には、県内外から多くの保健師さんも応援に来てくれています。窓口が不在や混み合っているときは、メモで渡すなどの配慮も必要です。

以上、少しですが災害時の情報でした。

来月は、引き続き看護連盟さんの講演です。毎回、会場に足を運んで下さる看護師さんも非常に多いので、看護連盟さんの講演は、今回の看護協会さんの内容と変えて、お伝え致します。



北上中学校PTA講演会

岩手県山田町で東日本大震災で被災された方からの希望で、この講演会を行うことになりました。つなげてくれたのは、同じ被災者のIさんでした。最近は、山田町で被災された被災者の方々とのご縁も多くいただいています。

今回の講演会をどのような内容で進めようかと、色々みんなで話し合い、考えながらの当日を迎えました。

講演終了後には、校長室に私の大ファンだと言ってくれる子たちが訪ねてきてくれました。緊張したのか、興奮したのか、息継ぎも少し乱れていたのが気になるところではありましたが、可愛らしい真っ直ぐなそれぞれの気持ちに、色々教えてもらえた貴重な時間となりました。

「今度また、生徒向けにお願いします。」と、校長先生からのお言葉にお約束をして、帰って来ました。

多くの講演や講習、授業などの講義やセミナーに伺っていますが、毎回対象者が子どもや大人、専門職、業種もその時により対象が違うことで、その度に内容を精査しながら言葉も変え、

始まる前のミーティングで伺う内容として一回一回に期待されている分、その求められることも決して簡単なことではないのでので、私も毎回その難しさと向き合い、実は反省の連続です。

至らない点も多々あるかと思いますが、今後共、皆さまの広い心で上手いこと、大切だと思っていただいたことは受け取って、そして必要なのないと思えることは、サラッと流していただければと存じます。

10月は一ヶ月で、熊本県2日間、宮崎県、福岡県、秋田県、北海道旭川、山口県、三重県、北上市内のいのちの授業、鳥取県ではいのちの授業と一般講演を、全部で8県にお邪魔する予定です。

一つ一つの会場では、準備から当日の采配、終了後には片付けまで、多くの皆さんが縁の下の力持ちとして動いてくださっています。心から、感謝を申し上げます。