2015年12月31日

今年もお世話になりました。

弊社も皆さまに育てていただいて、おかげさまで今期で9年目に入りました。この9年間、弊社を応援してくださる方々との、お一人お一人とのお別れを経験し、その度に悲しみの中から見付ける、遺していただいた想いを胸に、恩返しが出来なかった後悔と共に、後悔に背中を押してもらって歩んできました。

ここのところ、ずーっと現場に走っておりました。11月〜3月頃までの寒い時期は毎年、納棺の現場が立て込みますので、できるだけ現場に向かえるように講演は承れない状況です。すみません。4月からは又、講演に伺うスケジュールとなっておりました。

先日の納棺で、おじいちゃんを亡くされたお孫さんと現場でお話ししていました。想い出がたくさんあるけれどと言いながら、その想い出深い一つを教えてくれました。

「買い物に行くと言っていたおじいちゃんに、「単語帳を買ってきて」とお願いしました。買い物から帰って来たおじいちゃんが笑顔で「ほれっ!」と得意気に渡してくれたのは単語帳ではなく、確かに似ていると言えば似ているけれど、単語帳とサイズも同じ、穴の空いているところも同じ、ただ針金でつながっている、それは荷造り用の値札でした。本当のことを言って傷付けるのも嫌だし、仕方ないのでそのまま使いました。おじいちゃんは嬉しそうでした。本当のことを言わなくて、良かったと思います。」

その時だけ満足したいのであれば言えばいいと思うけど、ありがとうの気持ちが優先したのだろうし、友だちなら伝えてあげたほうが良いかもしれないけれど、おじいちゃんの生活の中にはあまり単語帳は関係ないし、私はそれで良かったのではないかと思いました。正解を言わずに、ずっと良い関係が続けられるのなら、そういう選択もありだと思います。

「ステキなおじいちゃんですね。それを使ったあなたも、えらいっ!」そう会話が弾みました。

今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願い致します。来年も、皆さまにとって良い年でありますように。

子ども夢ハウスおおつち

12月26日〜1月3日まで、年末年始のお休みです。12月23日にはくっそー(夢ハウスの代表)が大槌に帰ってきて、大盛り上がりの1日でした。

多い時には50人を超える子どもたちが遊んでいた「すり傷公園」も年明けに、復興のために取り壊しが決まり、子どもたちの遊び場をどうするか、くっそーと地域の皆さんと話し合う時間もありました。

震災から、復興に向けて町が動き出していますが、目まぐるしく変わる環境に、環境に伴うことで起こる目の前の不安に、我慢していた感情が湧いてきて、思わず泣いてしまう子どもたちもいます。くっそーは言いました。

「今日と明日のあなたは、違う。今日と3ヶ月後のあなたは違う。今日と明日が違うから、人生なんだよ。大丈夫、一緒に考えていこうね。」共に悩み、行きてくれている。見守ってもらうことの安心感を、子どもたちはその後、とても安心した表情で話してくれました。管理人の吉山くん、みんなのお母さんでありお姉さんの横ちゃん、地域の、保護者の皆さんの愛情に包まれて子どもたちは、育っています。今年も、皆さまの温かいご支援・ご寄付をありがとうございました。今年も、よろしくお願い致します。

2015年12月25日

怖いはなしシリーズ13

今年も全国行脚をさせていただき、ホテルも泊まることが非常に多くなりました。ホッと出来るような落ち着いた雰囲気のお部屋もあれば、「あっ、なんか、なんか・・・いる。」みたいなお部屋も、実はあります。まぁ、ほとんどが目一杯働いてからお部屋に入るので、深い、深い〜眠りについてしまうことがほとんどではありますが(笑)今回は、そんなホテルについてお話しします・・・フッフッフッ・・・。

今年も様々な業種の、様々な方々にお会いしました。出張の多い業種の方もおられまして、ホテルのお部屋で体験した、怖い話しにもなりました。

「部屋に入った瞬間、あ、やばい感じ。」ってありますよね〜。高校の運動部の顧問の先生が言いました。「僕は、霊感とかそういうのは全然ありませんが、鳥肌が立つくらいのそういう時は、特に鏡が見れませんよね。そして、気にしない、気にしないと思えば思うほど、眠れない。羊を数えても、目がギランギランになって、羊の数が1000を超えた時、もう良いやって思ったら寝てた(笑)」

「僕は出張先のホテルで、やばいなぁこの部屋。って思って、5泊6日の間、その部屋で頑張っていたことがあります(笑)」

「出張先のホテルの部屋に入った時、なんか変な雰囲気だなって思っていて、毎晩夜中の2時に風の音が窓を叩いているように聞こえていて二泊三日の出張が終わり、部屋を出る時に部屋のカーテンを開けたら、窓に大人や子どもの人の手跡が10個以上付いてた。そこ、25階だったんですけどね。」

「パソコンに向かって仕事の打ち込みをしていたら、何故か2時になると風呂場の電気が一旦消える部屋に、3泊4日泊まったことがあります。風呂の排水溝に、長い髪が毎日一本あって、ちょっと怖かったけども、お掃除のおばさんが雑巾に前の部屋の人の髪の毛を付けたもので、たまたまこの部屋にそれが残ったものだ!と思い込むようにしていました。」

等々色んな体験談を聞きましたが、何より怖かったのは、皆さんには共通の体験がありました。

部屋に掛けてある絵、その絵の裏側又は、絵で隠れている壁に、お札が貼ってあったと言う共通点がありました。ヒイィ〜〜(>_<)

お札があるかどうか確認のために見るのであれば、その部屋にもう泊まらないと言うタイミングの朝が明けて部屋を後にする時がBest!と言う皆さんのアドバイスでした。

出張から戻り、我が家のじじ83歳に話したところ、「だいたい俺は、それがお札かどうか分からないし、年取って小さな字が見えないし、そこに幽霊らしき人が居たとしても、人でも幽霊でも何か手伝ってもらうだろうしな(笑)理由や存在の仕方はなんであれ、縁があったんだから面倒は見てやるさ。」もし幽霊が損得を考えての行動を起こしているのだとしたら、間違いなく、我が家のじいちゃんは取り憑かれることは無いでしょう。そう、損得抜きでのつながりは、人でも幽霊でも、心のつながりが生まれるのかもしれません。お話し好きのじじの話を、仕方なく聞いてくれる幽霊の姿を想像すると、じじの家族としては幽霊に頭が下がる思いであり、何ですか、お詫びと感謝の気持ちを込めて、せめて好物を供えさせていただいて、花を手向けて感謝の意を表したいと存じます。しかもその幽霊が、私の知り合いだとしたら、私も話し出してしまう可能性は高く(笑)、幽霊でも人でも存在している限り、人に頼られるのは変わらないと言うことは、死を迎えても、関係性は変わらないと言うことにつながるわけです。幽霊が人に姿を見せないのは、もしかしたら何かしら色々面倒臭いからと言う、かしこい理由がきちんとあるのかもしれませんね。(笑)



2015年12月22日

山形市立病院済生館高等看護学院

昨日、看護学生さんが主体の授業に、お招きいただきました。1年前からのお申し込みです。ありがとうございます。企画から準備から運営まで、全部学生さんが行うという、素晴らしき授業。さて、皆さんに現場から何がお伝えできるだろうと考えている中で、学生さんからの質問を中心に答える方式で今回は進めました。

実務では、自分の家族の最期とも自分自身の立ち位置が違い、患者さんが迎える「死」について、特に始めて経験したときに、驚きの表現の方法が、相手を傷付けることのないように、様々な方法や手技、心の持ち方などを皆さんが理解出来るように、実体験から何を伝えられるのかを考えながらお話ししました。

終了後には、多くの学生さんから声を掛けていただき、熱い感想や過去のこと、実習で出逢った看取りのご縁のことなど、皆さんと色々お話が出来ました。今、学校で学んでいる勉強が、看護学生の先生方々の実務体験の中から皆さんが教えてもらう学び、全てのことが患者さんの安心につながるように活かし、実践に向けること、現段階から現場に出るまで、出てから、沢山の引き出しが増えていくこと、それを誰かの役にたてること、色んなことをお話ししました。

悲しみは、人に備わった大切な感情です。悲しみ方をよく知り、悲しみとの付き合い方を知り、自分の道をしっかり一歩ずつ踏みしめて力を付けて欲しいなと思った、若いパワーに包まれて若返った気にさせてもらった(そんな気になれた☆)1日でした。

あー、お待たせしてすみません。そうね、そろそろ「怖い話シリーズ」書き込みます。少々お待ちくださいね。







2015年12月17日

広島国際学院高等学校

今年で4年目、卒業を控えた3年生の皆さんに向けて、「生命・いのち」についてお話しをさせていただきました。

普段の学校生活の中で、校長先生を始め諸先生方が、「いのち」「生きていること」を意識してもらえるように教育指導に当たられていると伺いました。全国大会、県大会優勝などの実績を持つスポーツ校でもあり、元気な挨拶が飛び交う、チャレンジ精神旺盛な学校の、先生と生徒さん含めて約500人の皆さまと共に、いのちを考える時間を過ごさせていただきました。

質疑応答の時間では、本当にたくさんの生徒さんが手を上げてくれました。皆さん一人一人が、普段からいのちを意識していることが、よく伝わって来た素敵な時間でした。いつもお世話いただいているN先生が教えてくれました。

「部活で地域をランニングしていると、地域の皆さんが声を掛けて下さったり、戻りが遅いなと思って見に行くと、ランニング中に近所のおばあちゃんが子どもたちが通るのを待っていて、オレンジジュースを振舞っていただいていたり、子どもたちは地域という社会の中で育ててもらっています。」

勉強すること、その中にあることも全部大事。でも、生き抜く力をつけることがもっと大事。と、N先生が言いました。先生と廊下を歩いていると、子どもたちがみんな、先生にありったけの笑顔で声を掛けていました。

中学生のときに東日本大震災で被災して、広島県に引っ越してきたという生徒さんと、校長室でお話しをしました。

「東日本大震災では、街も家も大切な人も亡くしました。広島県に引っ越してきて、とても広い世界と人の温かい思いに出逢いました。(こちらの学校は、「教育は愛だ」が理念です。)友だちもたくさん出来て、慣れるまでは大変だったけど、ここへ来て良かったと思います。広島弁もけっこう話せるようになりました(笑)。被災地の友だち、広島県の友だち、先生、地域の人たち、いっぱい大切な人が増えました。」とーっても可愛い子で、いっぱい悩んだ人が発する特徴的な言葉も出ていたから、本当に悩んだ時期も多かったのだと思いました。この子は現実を見据えながらポジティブに考える力を持っている子で、リスクへの意識も含めて考えられる。周りの人への配慮、自分が考えていることを表現する力もしっかり持っている子でした。海外の領事館に論文を出して、大使館からの奨学金を受けて、これから留学するのだそうです。困難に立ち向かい、夢を追いかける。それを支えて、一緒に夢を追いかけてくれた先生方々の御尽力に、頭が下がりました。

一時(いっとき)だけでも、青春時代に戻り、ワクワク、キラキラした気分にさせてもらえた、笹原さんでした。

広島県でお世話になりました皆々さまに、深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2015年12月14日

冥土の土産

「これで安心して死ねるよ。」と言う意味で、特にお年寄りが多く使う言葉です。

「あぁ、良い冥土の土産が出来た。」

自分にとって、嬉しいことがあるときによく聞かせてもらう言葉です。「冥土」の言葉が出ると言うことは、人には必ず「死」が訪れることへの意識が正確にあり、それが現実に訪れるであろうことを知っている人の言葉です。そういう言葉を聞いたとき、冥土に興味津々の私は聞きます。

「冥土って、どんなところ?」

まるで行ったことがあるかのようにお話ししてくれるお年寄りのノリの良さ。子どもたちも夢中で聞きます。(私も夢中)

冥土があるのか、無いのかということよりも、お年寄りとのコミュニケーションの中で、知恵をもらったり、死生観を教わったり、ワクワクするような話し方を教わったり、そういう時間が大切なんだと思います。もうすぐクリスマスという事で、先日の納棺の時間も「冥土」の話が出たので、聞いてみました。

「サンタクロースは、冥土にいるの?」

するとお年寄りが、
「冥土の門番だ!」

と答えました。みんな大爆笑でしたが、お年寄りは「門番」→「地獄」→「極楽」→「今を生きる」の話へと続き、踏ん張って、噛み締めて、楽しんで(楽しいの意味を間違わず)、生きていることを意識して生きろ!と、みんなの目はキラキラ!

「おじいちゃん、よく知ってるね!」

現場の子どもたちが言いました。

「住職(お坊さん)の話し、全部パクった!」

で、またみんな大爆笑。昔よくあったこういう光景は、やっぱり時代が移り変わっても遺したいなぁと思った、現場でした。

そのおじいさん曰く、

「子どもたちにとっては、サンタクロースの世界が夢と希望だろう?年寄りにとっては、極楽浄土が夢と希望なんだよぉ。年代によって呼び方が違うだけで、同じ世界のことを言ってるんじゃないの?」

「だから冥土の土産は、サンタクロースへの土産と一緒だからな!(本当っすか!?)」

そして、こんな会話が続きました。

「おじいちゃんは死んだら、サンタクロースになるの?」

「あぁ、そうだよ。だから、いっぱいみんなが喜ぶことをして、一人一人がきっちりと、しっかり生きてな、冥土の土産持ってこい!」

「はーい!」

何でしょう、この説得力のある言葉は!いくつになっても冒険心とそれを表現する方法、人の気持ちをワクワクさせる力を持っていることで、こんなに人が集い、笑顔になることを学んだ私でした。(´・Д・)」☆彡

日総研さん名古屋セミナー

昨日の13日は、名古屋で日総研さんのセミナーでした。

総看護師長、師長さんと言う管理職の、現場をよくよくご存知の経験豊富な方々が参加者の半数以上を占めていた昨日。やっぱり、カッコ良いですね、看護部長って。お話しをさせていただいて感じたのは、「いやぁ、社会の肝っ玉母さんだなぁ。」「やっぱり、コーディネート力がすごいなぁ。」「うわぁ、生まれ変わったら、こういう看護部長の元で働いてみたい。」とキラキラしてしまう自分が居ました。

看護師、介護職の皆さんの質問も患者さんやご家族、利用者さんを思う質問が中心でした。何て素敵な人たちなんだろう・・・。やっぱり社会を支えているのは、人間力なんだなぁと、とっても素直にそう思えた、昨日でした。

自分の病院勤務を振り返ってみても、はたして患者さんや家族に心を向けられていたのかと考えたとき、一緒に過ごす時間は自分の家族より多いのに、「時間が無い」とか「誰かがそう言った」とか何かしら出来ないことを言い訳に変えていた、自分とちっとも向き合えていない恥ずかしい自分を思い出したりします。そういう時間を過ごしてしまうと、大好きな患者さんが次々亡くなったとき、そういう自分を責めて、悲嘆は深くなっていた気がします。私の場合は、ですが。

今は「死」と言う世界に生かしていただいて、深い気持ちをご遺族から教えてもらったり、大切な家族を想い続ける気持ち、後悔の中にある深い愛情等々、心の移行を切実に感じさせてもらったりして、教わることが多くあります。心がつながっていることの中にある希望に沿った技術や情報の提供は、お一人お一人のとっても素敵な笑顔に出逢えます。

少しでも、皆さまの現場にお役立ていただけるように、昨日はお別れの現場を思い出しながら、私にとってもとても大切な一つ一つのことを、丁寧に大事にお伝えしました。

丸一日のセミナーでしたが、皆さまご多忙の中、会場まで足を運んでいただき、ありがとうございました。皆さまとのご縁をつないでくださった日総研さんに深く感謝を申し上げます。


2015年12月12日

熊本大学付属病院

9日、熊本大学付属病院主催の「がん看護実務研修」において、120分お話しをさせていただきました。地域の医療・介護職の皆さんも多くご参加いただいたそうで、どんどん参加の方々が増えまして、会場は立ち見も出るほどの満員でした。「ずいぶん前にお看取りをさせていただいた患者さんのことを想い出しました。」など、声を掛けていただきました。熊本県は本当にご縁が深く、故郷に帰ったような気持ちで癒されました。お世話になりました皆さまに、心より感謝を申し上げます。

Dr.のM先生、夢ハウスの管理人吉山くんの先生のN先生、熊本大学付属病院の師長さん、Aさん、そして皆々さまとのミーティングも本当に深い時間でした。MDr.とは、悲嘆について語り合いまして、ネアンデルタール人の悲嘆とクロマニヨン人の悲嘆について語り合い、更に話が深まりました。時代をワープしたような気分でしたねぇ。

昨日の納棺で、「もう一度棺の蓋を開けて」とお願いされて、蓋が開いた棺の傍で喪主さんと、ゆっくりお話ししました。「はぁ、夢なら良いのになぁ。ねぇ。」喪主さんが故人に話し掛けておられました。「「でも、やっと楽になったよ。」って、言っているような、ホッとしているような表情だね。」少しゆっくりした時間を、故人と過ごしていただきながら、想い出話しをたくさん教えていただきながら、M・Dr.と語り合ったネアンデルタール人とクロマニヨン人の悲嘆の話しを想い出していました。悲しみの中には、大切なものがたくさんあります。人には、想い出と一緒に生きる道があるということを、又昨日も悲しみの現場で深く教えていただいた気がしました。


2015年12月7日

大阪から帰って来ました。

12月2日は花巻市市民憲章運動推進大会に於いて、90分の講演をさせていただきました。人生の大先輩が多く居られた会場。人生の大先輩を前に実は、とっても緊張していた私ですが、皆さんの温かい雰囲気に包まれ、私の方が癒され、学ばせていただいた時間だったかもしれません。講演終了後には、たくさんの方とお話できました。中でも奥様の介護をしながら、障害を持った方の支援もされているという、活動的なギャグのセンスが抜群の年輩の男性に出会いました。「弟子にしてください!」とお願いしたら、「うーん、考えておく!」と言ってもらいました。あんなに沢山の人を楽しい気持ちにさせる話術、身に付けたいっ!と言うご縁もあり、とーっても嬉しい時間がたくさんありました。

5日は大阪で日総研さんの、医療・介護職の皆さまに向けてのセミナーでした。Dr.、NS、介護職の皆さま、様々な部署からご参加いただきました。私の本業は技術職なので教えることは出来ませんが、現場からお伝えすることは出来ますので、そのような内容でお伝えしました。人は悲しみ方を本当はちゃんと知ってるから、それもお伝えしました。皆さんが号泣されたり、大笑いされたり・・・。「感情が色々出てすっごい疲れたけど(笑)、なんかスッキリした。」「早く帰って、患者さんに会いたい」と声を掛けていただいて、良いお顔で帰られる方も多くて、ホッとしました。

葬儀社さんの担当さんが2人、参加してくれていました。「小さな葬儀社なんです。」とおっしゃってセミナー終了後の30分くらいだったでしょうか?質問などで残っておられたDr.、NSの皆さんと「葬儀社としての悩み」「医療者側の悩み」の意見交換の場になりました。お互いに驚かれていたりと、思いがけずとても深い時間だったと思います。

それから「家と仕事のバランスを、どう取っていますか?」「限られた時間の中で、子どもとどんな風に過ごしていますか?」と、育児中のお母さんたちから聞かれることが、とっても多くなりました。声を掛けてくださる皆さん、家と仕事の両立に悩んでいました。

仕事をするお母さんたちが悩んでいることの代表的なものは、人に言われた言葉。

「子どもに淋しい思いをさせている」

「子どもを放っておいてる。」等々の言葉に傷付いていました。

逆に、お母さんたちが頑張れるように支えて、声を掛けていただいた方が、みんなが嬉しい気持ちになれますよね。是非、そういう言葉掛けをお願いしたいです。子どもたちにも、良い学びになり、お母さんを笑顔にしてくれる人、お母さんを褒めてくれる人は、子どもたちも大好きです。「働かないと、食っていけない」と教えることは、昔から日本では大切な親の姿とされてきました。お母さんが子どもさんにしっかり目を向けてイキイキと過ごせることは、未来の社会にも大きな影響を与えます。それから、子どもさんたちと様々にお話しすることもとても増えました。全くの私感ですが、今年は特に力を入れて、お一人お一人に答えてきました。

それから仕事は様々で、子どもさんを亡くした経験のある、お母さん方々との出逢いを、本当にたくさんいただきました。亡くした子どもさんへの想い、今日までの気持ち、そしてこれからの気持ちを教えてもらいました。お話ししてくださる目の前のお母さんが、子どもさんを思い、涙を流されます。けれど、話が進む度に涙の種類が変わっていく瞬間に、立ち会わせていただきました。愛する気持ちは一つも変わらない。それよりも、もっと深くなっていく。子どもさんを亡くした経験のあるお母さん方々は、自分の生活の中にある縁のある子どもたちを、自分の子どものように可愛がってくれます。育児に悩んだら、こういうステキなお母さんに、相談してみるのも良いと思います。子どもさんも、そして頑張ってるお母さんも一緒に抱きしめてくれることと思います。

皆さんに共通してお伝えしたのは「悩んだら、子どもさんを連れて岩手県に遊びに来てね。」とお話ししました。気分転換のお手伝いくらいは、出来ますから。

岩手県にいる時は、基本的に現場と遺族訪問を中心に走ります。ここのところ、emergencyもずっと続きました。ご縁をいただいた一つ一つのことに、お一人お一人の方に、どれだけ精一杯の心を込められるか。を大切にして頑張ります。


2015年12月2日

東日本大震災パネル展

大分県のエイトピア大野さま→
豊後大野市市役所さま→
道の駅さまの順で行われております。

これから県庁、
地元小学校、
地元大学、
の順で、お声掛けいただいた皆さまのところで、順番にパネル展が行われる予定です。

いのち新聞の編集部、被災地沿岸宮古出身のFさんが担当してくれています。

東日本大震災パネル展に於いて、お力をお貸しいただいた皆さまお一人お一人に、心から感謝を申し上げます。

いただいたお写真を、許可をいただきましてご紹介致します。




2015年12月1日

師走です。

もう、12月・・・、師走です。月日が経つのは早いもの、歳を取るのも早いはずです。この前まで、28歳だったのになぁ〜〜(´・Д・)」

岩手県にいる時は、基本的に現場を優先して走ります。そして、先月末の28日は、新潟青陵大学看護学部さまでセミナーでした。2年前からお申し込みをいただき、とても楽しみにしていただいていたとお聞きして、挑みました。現場の中にある、様々なことを皆さんと一緒に考え、進めさせていただいた深い時間でした。

30日は東京の帝国ホテルで、公益財団法人社会貢献支援財団(安倍昭恵会長)の社会貢献者表彰式典でした。東日本大震災発生から、現在までの活動を評価していただいたということでした。これまで、たくさんの方に支えられ、お力をお借りして、何とか今日まで来れたのだと思っています。私の周りには、子どもも大人もとってもステキで素晴らしい方々が、本当に沢山居られます。皆さんお一人お一人への感謝の気持ちを、又改めて感じていました。

私がいただいて良いものか、戸惑いもしましたが、リハーサルから他の受賞者の皆さんとお話し出来たのも、すごく沢山の勇気をいただきました。地域の動きの中で悩んでいたこと、つまづいていたこと、自信が無かったことに対しての、情報や皆さんの実績を伺い、本当に前を向く勇気をいただきました。

世も末だと思う出来事、ニュースが多かった中で、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと思えた、素晴らしい時間でした。到底足元にも及ばない、人生の大先輩から伝授いただいた様々な宝物。経験したことのない、貴重な時間でした。

会場では東日本大震災で全国各地からご支援いただき、捜索活動に御尽力いただいた警察官の皆さんから声を掛けていただいたこと、岩手県・宮城県・福島県の安置所の中で検視をしてくださったお医者さんから声を掛けていただいたこと、皆さんが涙を流しながらお話しをしてくださったこと、私にとっては、被災者と呼ばれる御遺族につなげられたら良いなと思った、有難いお話しの内容でした。感謝の気持ちでいっぱいになりました。また、皆さんと再会できる時間をいただいた、社会貢献支援財団さまに、支えてくださった、応援してくださった沢山の皆さまに深く感謝を申し上げます。

先日の納棺で、亡くなられた方の20年ものの歴史がある眉間のシワをマッサージで取ったら、身内の高齢の女性の方5人がお顔を並べて私に向かい、

「オラの眉間のシワも、立派に取ってケロ!(訳・私の眉間のシワをしっかり取ってください)」

と、前髪を手で押さえておっしゃいました。皆さんの涙の顔が、一瞬で笑顔になる。悲しみの時間は、そういう温かい時間もあるものです。

悲しみは生きる意味を教えてくれる、と現場で教えてもらうことが多くあります。想い続ければ、生き続けてくれる。だから、私も今までにいただいた御縁の中にある温もりを、想い続けて生きていこうと思いました。




2015年11月27日

初雪が降りました。

寒い日が続く毎日ですが、「寒くないと、野菜は甘くならないからね〜。チューリップの球根も、寒くないと綺麗に咲かないよ〜。」と、納棺の時間に農家の方が教えてくれました。日々、勉強です。

《いのち新聞》
23日は、いのち新聞の編集会議がありました。みんなそれぞれの仕事と、色々な時間を過ごし、2ヶ月に一度のペースで集まる編集会議ですが、先月と今月と合わせて4回集まりながら、ちょっと色々進めました。1月と2月にそれぞれ発行予定の記事を、じっくり話し合った23日。

現在、震災パネル展も九州大分県で開催中です。お世話になっております皆さま、ありがとうございます。いのち新聞、パネル展担当Fさん曰く「パネル展の反響を多くいただき、パネルの旅は続きます。パネルは今年は帰ってきません!」とのことです。ありがたいお話です。詳しくは、又後日、ご報告致します。

《子ども夢ハウスおおつち》
ちょっと色々と動きがありまして、25日に行ってきました。動きすぎて、お年を重ねつつある私は、少し腰痛になってしまいました(笑)みんなと、とても素晴らしく、深い時間を過ごしました。Uさまに、深く感謝を申し上げます。帰り道、雪が降っていました。いつもご寄付をいただいている皆さまに、来月に夢ハウスからお便りが届く予定です。吉山くんが現在、作成中とのことです!お楽しみに、お待ちくださいませ。いつも皆さまのご支援に、感謝を申し上げます。


会社の業務とアポイントをいただいたお客さまも続き、立て込んでいました。そして納棺の現場にも伺っていました。

〜お線香が苦手
クシャミの止まらない喪主さま。
「俺ね、実は線香が苦手なの。」納棺の現場では、基本仏式では御遺族の希望で、御線香を焚くことが多くあります。でも、たまーに苦手な中で頑張っている方も居られます。
「俺ね、蚊と一緒なの(笑)。蚊の気持ちが分かるよ(笑)」と、喪主さん。蚊取り線香と、御線香って一緒なの?後で成分を調べてみようと思った私でした。

〜国歌斉唱
「おふくろね、国歌斉唱しながら息を引き取ったんだよ。」と教えてくださった喪主さん。「小さい頃から聞いてるから、暗記しちゃったよ(笑)口伝だね(笑)」

〜筋子と・・・
「本人にね、息を引き取る数日前にね、何食べたい?って聞いたらね、筋子とタラコと、数の子ってね。さすがにそれは無理だったから、今、待たせて良いですか?」サランラップに包んで用意されていたので、お預かりしました。御本人の袖に入れました。後で教えていただいたら認知症の方だったそうで、その方がサランラップを開けて、5才くらいのお孫さんと二人で食べてました。その子の「しょっぱいね〜!」の、しょっぱそうな表情を見てみんなで癒されて、泣いていたお顔が、一瞬で微笑みに変わりました。二人で手を合わせてお参りされるのかと思ったら、「ごちそうさまでした!」って言ってました。なんともステキな、年の差ペアでした。

〜私の父、じじ(84才)のはなし
「年寄りってさ、世間では認知症だ、車の運転危ないだ、転ぶだ、耳が遠いだと見張られて心配ばっかりされて自由がない気がするんだよね。だけどさ、確実にお前より(私のこと)、俺の方がしっかりしてるよな!」確かに、間違ってない・・・。

冬の現場も、暖房が入っているので夏に負けないくらいお部屋の中が暑い!玄関前はすごく寒いけど、中に入れていただいたらあたたかい。汗をかいて、また外に出ると寒い。そして、皆さんが最後だと思っておられるので、実は納棺の現場は風邪引きさんが多いのもこの時期の特徴です。皆さま、お体を大切にお過ごしくださいませ。


2015年11月23日

日総研さん、札幌セミナー

会社の仕事、納棺の現場と、地域のこと、地域の子どもたちとのつながりもずいぶん増えて、1日の24時間をどう使うか・・・。ご遺族の皆さんと一緒に考える大事な時間の使い方に、どんな風に時間を組んだら良いかなぁ〜?と、まだまだ悩みながらの、毎日です。

つい先日の納棺に伺って、この仕事をしている中で初めての体験をしました。納棺中、いつも通りに足袋をご遺族と一緒に、故人にお付けしようと思ったら、何と!右の足袋と左の足袋の紐が切れてない!つながっている!(うそぉー!今⁉︎こんなことがあるのか!)ハサミを使うことを強く嫌うしきたりの地域だったため、流れが途切れないように急きょ違うことをお願いして、コソコソと一人ではさみを持って廊下へ・・・。ことなきを得ました。本当に、びっくりしました。

又、納棺の時間に、故人といつも自由研究を考えていたと教えてくれて「笹原さんは、研究ってしたことあるの?」ご遺族の小学生の子に帰り際に聞かれ、「あるよ!蛆の生態!」って元気に答えたら、引かれました(笑)だけど、その後に質問攻めにあって、とても困りました。実際には、蛆の生態を知りたかったけれど、あんまり忙しくて蛆が干からびてしまっていましたというのが、私の研究結果です(笑)だから、学校の自由研究では、蛆の発表はしない方が良いと思うよと話しました。

土曜日は札幌で日総研さんの新講座がスタート。片道3時間以上も掛けて来てくださった方も、お休みを取って受講してくださった方も、皆さんと様々に、現場の中に存在する課題について考えました。セミナーの中で、

「全国的に、様々な業種のみなさんが開催するサロン活動が大変多く行われ、そのサロンは賑わっていますが、岩手県では、サロンのことを「お茶っこ」と言います。だから、被災地でもお坊さんのサロンは大変な人気ですが、地元の人は「お坊さんのお茶っこ」と呼んでいます。」

その「お茶っこ」という言葉が素敵だと、皆さんから大絶賛されましたが、納棺の時も「お茶っこ飲んでけ〜!」と声を掛けていただくことも多くあります。次の現場があるから、一気に飲むこともあります。でも、「ありゃ〜」って言われて喉が渇いていると思われることも多く、おかわりが出てきます!二杯目は、急いでいても三回に分けて飲んだりします。お年寄りから言われると、素敵過ぎて絶対に断れない、お茶っこです。

「ところで、お坊さんが拝むと亡くなった人の体が柔らかくなるって本当?」と質問をされました。

現場でも、そう話しているお年寄りは実は、とても多いです。「お坊さん」と言うキーワードがご遺族から出ている場合、お坊さんの存在自体がご遺族の希望になっていることがあります。だから、分かっていても余計なことは何も言わないことの方が多くあります。気持ちが立ち上がろうとしている時に今、真実を話さなくても、委ねる気持ちや信仰心が気持ちを支えてくれますから、それが優先であり、それを邪魔をすることがあってはならないからです。

実際には、元気だった方は死後の硬直が強く起こります。安置や疾患などの条件により時間は異なりますが、硬直はいずれ緩和され、解けて柔らかくなります。それが、自然な死後の変化です。お坊さんが拝んでくださるタイミングが、実は硬直が解けるタイミングと重なることが多くあります。特に、死後1日〜3日の間に多く行われる納棺の時間は、それに当たります。「お経を上げてもらったら、柔らかくなった。」と言われたら、「そうですか。(にっこり)」で良いと思います。こういう自然な死後変化を何かに悪用されるのは非常に悲しいことですし、これを信じるのを通り越して思い込むのも、見ているととても苦しく感じます。聞かれたら、伝えるべきか、伝えないべきかは目の前の人の気持ちに配慮して、伝える内容も大切かもしれないけれど、伝え方を大切に考えられれば良いと思います。

だけど、「笹原さんが触ったら、柔らかくなった!」とは言われません。復元納棺師なんて、そんなもんです(笑)「どうやって、こんなに柔らかくしたの?」は聞かれます。高齢者の男性で、むかしは納棺を担当していたと話してくださる皆さんからは、「なぜ、関節が鳴らなかったの?」と、興奮状態で解説を求められることは多くなりました。ご遺族の前では当然、傷付けますから説明は出来ませんので、「では、納棺が終わってから、説明致しましょう。」とお伝えします。セミナーの中では本当に色んな質問をいただき、大切にされていたお気持ちを教えていただき、ありがとうございました。

札幌の夜の気温は0°C。やっぱりラーメンは美味しかった!岩手県に帰ってきて、少し暖かく感じました。札幌からのスタートで、これから新講座で全国を回らせていただく予定です。皆さまにお会いできること、楽しみに致しております。


2015年11月17日

秋田県立衛生看護学院

去年に引き続きまして、今年もお声掛けいただきました。看護学校を卒業して、1年目の看護師の皆さんに向けて、3時間の講義にご縁をいただきました。

社会人1年目は、本当にたくさんのことを吸収し、学びの多い1年ですね。体験したことのないことにも多く触れ、出会い、戸惑うことも多いけれど、病院に居ればプロとしてたくさん頼られます。

そーですね、私も若い頃はたくさんの人に支えられ、たくさんの人の胸を借りて育ちました。まさか自分が逆の立場になるとは、年をとったことを感じます。泣きすぎて鼻水が止まらないと、お部屋を一旦出た看護師さんも居ましたが、今日は皆さんと色んなことをお話ししたり、皆さんの色んな表情に出会えたこと。とても深い時間でした。

今日というお勉強の日を準備してくれた、看護学校の先生方々に感謝しながら、頑張ってくださいね。お一人お一人のこれからの益々の御活躍を、お祈り申し上げます。




日本周産期精神保健研究会

全国から埼玉県の会場にお集まりなった、妊産婦・乳幼児・小児の医療に携わられる専門職の皆さまに向けて、「日本周産期精神保健研究会」にて、お話しをさせていただきました。

過日に、会の会長で医師である側島教授からお話しをいただきました。私を推薦してくださるDr.の思いを伺ったこと、側島先生から他にも様々なお話しを伺い、小さくて可愛いい子どもたちの「いのち」を守り、支え、育むお話しに深く胸を打たれ、微力ですがお役に立てることがあればと、お話しをお引き受けしました。

いただいた発表の時間をずっと、座長として温もりいっぱいで支えてくださった、福島県の医大の教授である医師の氏家先生に、深く感謝を申し上げます。

東日本大震災の枠での、50分のお時間をいただいていました。岩手医大の松本Dr.の後に、お話しをさせていただきました。松本Dr.とも打ち合わせの中で、色々お話しをさせていただきました。とっても深く温かい先生でした。

小さな赤ちゃん・子どもたちのお別れのお手伝いに声を掛けていただいて伺えば、お医者さん・医療従事者の皆さんのお話しはご家族から、よく聞かせていただきます。お話しが出来るようになった子どもたちは、体が辛くなると「先生の所に行こう」と話し、「大丈夫だよ、先生が居るから。」と家族を励ます子どもたちの話し。子どもたちにとっては、自分も自分の大切な家族も支えてくれる、安心出来る存在であったことを教えてもらいます。赤ちゃんたちは先生が体に触れると安心した表情になると、ご家族は「手当て」の有り難さを話してくれます。

先生方々とのお話の中で、東日本大震災に於いて発表された内容、その他の情報、私の知らなかったことをたくさん教えていただきました。推薦して下さった小児科医の寺澤先生に、とても嬉しい言葉を掛けていただきました。先生の言葉は、真っ直ぐ子どもたちに向けられていて、私の宝物になりました。

先生方々の赤ちゃん・子どもたちへの思いや実践を教えていただき、たくさんの温もりをいただきました。ありがとうございました。

2015年11月15日

東日本大震災パネル展のお知らせです。

「東日本大震災〜震災絵日記パネル展〜」のお知らせです。

○おもかげ復元師の震災絵日記(ポプラ社から出版)から特大パネルなど数十点

○東日本大震災の初期の写真がA3版で約100枚、

○いのち新聞1〜5号と活動の記録数点

○被災地瓦礫(311から未だ行方不明の、家族の帰りを待ち続けている子どもたちが拾ったものです。どのような物を拾っているのか会場で、子どもたちの心に是非、触れてみてください。)

○子ども夢ハウスおおつち資料数点

を、被災者であるFさんが中心になり選び、準備してくれました。協力はいのち新聞のみんな、子ども夢ハウスおおつち、しおり作成などを被災者であるI先生が仕事の合間に作ってくれました。被災者であるFさん、I先生方々の思いとしては、東日本大震災を感じていただき、自分たちと同じ悲しい思いをしないで欲しいということ、パネル展から防災意識を高めることにつなげていただけたらと、話してくれました。


《大分県豊後大野市パネル展》

11月18日から22日まで
会場「エイトピアおおの」

会場「豊後大野市市役所」

市長さん、行政の皆さま、警察、消防の皆さま、関係者の皆さま、地元報道関係の皆さまにお世話になるとFさんから聞きました。Fさんが被災者として、被災地からこれまでとこれからの思いを話して、取材を受けてくれています。大変、お世話になります。

東日本大震災に於いては、大分県の皆さまにも多大なご支援を賜りました。遠く離れた被災地で、余震もある中、御尽力いただきましたこと、ご家族の皆さんも大変心配されたことと存じます。お陰さまで私たちも少しずつ動けるようになり、皆さまからいただいたご支援を力に変え、精一杯頑張って参ります。この場をお借り致しまして、皆さまお一人お一人に心から感謝を申し上げます。

大分県の皆さま、会場に足を運んでくださる皆さまとのご縁に、深く感謝を申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

実行委員長Fさん&関係者一同より



後記
私も出張先からFさんと、今回のパネル展のことで電話やメールでやりとりしていました。律儀なFさんは、小まめに聞いてくれるので私は「全部任せるから、良いよ。」と答えました。Fさん曰く「笹原さん〜、事務所のパネルが、けっこう歯抜けになっちゃった!」伝えたいことがたくさんあるFさんですから、そりゃあそうだろうと思い、良いよ、大丈夫!って答えて、荷造り等々Fさんがやってくれました。出張先から事務所に戻り、事務所内のパネルが本当に歯抜けになっていて、Fさんの頑張りを知りました。大変だっただろうなぁ〜。

彼女は時々、目が赤い。働き者だから疲れているかと思っていて、「少し働き過ぎじゃないの?」と聞いたことがありました。「あ、目が赤いのバレましたか?」と言った彼女。実は、震災で亡くした大切な家族を想い出しては、時々大泣きをしていると話してくれました。5年近くも経っているのに?と思う方も居られるかもしれませんが、実はみんな人の居ないところを探して、誰にも気付かれないように、家族を思う時間を作って過ごしています。

こんな裏話をお伝えするのも、Fさんの震災を伝えたいという一生懸命な気持ちを知ってもらえたらと思って記述しました。今回のパネル展も、全部彼女が選んだものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2015年11月14日

社会福祉法人幸生会さま講演

職員全体研修として、90分のお時間をいただいて、東日本大震災後、同じ被災地に指定されている宮城県で、お話しをさせていただきました。

震災でご家族を亡くされた方も何名か居られ、終了後には様々にお話しを伺いました。過去の経験と共に今と未来を考えていく。その中には沢山の後悔も持ち合わせています。今日は「後悔」についても色々とお話しをしていました。

「後悔していることがあります」と、先日伺った納棺終了後に、お話ししてくた子がいました。彼は言いました。

「おじいちゃんが息を引き取る前に、おじいちゃんと少しだけ二人きりになる時間があって、僕は大好きなおじいちゃんに、「あの世に行っても、僕のこと見守ってね!」と耳元で言ってしまいました。後で大人の人が話しているのが聞こえて、おじいちゃんには、おじいちゃんが死んでしまうことを伝えてなかったと聞いてしまいました。僕は、わざわざおじいちゃんに、おじいちゃんがこれから死ぬことを伝えてしまったことを、すごく、すごく後悔しています。」

そう、子どもは大人の話しを、実はよーく聞いているものです。

「おじいちゃんは、(中略)どんな反応だったの?」私が聞きました。

「おじいちゃんは、お話が出来なくなって、自分で動くことも出来なくなって、目を閉じて、息継ぎが早い感じでした。(中略)僕が耳元で声を掛けると、僕の声が分かったみたいで、目は開かないけどまぶたが動いて、口元が少しだけ動いて・・・、むせました。」

「おじいちゃんは最期のときに、孫のあなたの声が聞けたことは、何より嬉しいことだったんじゃないかと思います。それから二つ目に、むせた理由は、それ、おじいちゃん、もしかしたら、笑ったんじゃない?」

「確かに、ニヤッとしたように見えました。(後略)」

「やっぱりね。(笑)あなたが言った言葉は確かに、死を迎えることを確信させたのかもしれない。(中略)でも、ご本人は自分のことをよく分かっていることも多いから、あなたが言わなくても本当は知っていたのかもしれませんよ。何より、あなたが言ったその言葉の中には、「おじいちゃんと僕は、どんなことがあろうと、ずっといっしょだよ」と言う気持ちが込められているわけでしょ?」

「そうです!(中略)おじいちゃんの性格だと、「おまえは〜!」と言いたかったのかも(笑)。」

「おじいちゃん、嬉しかっただろうね。」

納棺の時間にも、遺された人の心の中に「後悔」の気持ちが発生していることがあります。それもまた、大切な人に起こる気持ちです。後悔の中にあるものは、悩んでいる中で様々な視点から見るということを教えてくれるので、色んな意味を持ち合わせている「後悔」は、きっとこれからの人生の中でずっと背中を押してくれると思います。人のせいにせずに自分と一生懸命向き合って、悩んだり、苦しんだりした人しか出せない言葉が確実にあることを、私は現場で知っています。「後悔」は「反省」と同じですから、はっきり言って反省出来る人に悪い人は居ません。

今日の講演も、皆さんに大変お世話になりました。ありがとうございました。

講演後も皆さんの思い思いのお気持ちを伺いながら興奮冷めやらぬ中、ご挨拶をしてダッシュして、出発3分前に新幹線に乗り込み、間に合いました。(笑)明日は大宮で講演です。

2015年11月13日

講演に走っています。

「栃木県看護連盟」さま、
気温20℃を超えていた、ポカポカの小春日和の栃木県に講演に伺いました。会場は獨協医科大学付属病院の講堂(こちらに伺うのは、2度目)、県内からたくさんの医療従事者の皆さんがお集まりになりました。

お別れのお手伝いの時間の中にある、様々なことを、皆さんと一緒に考えた時間でした。お看取り後に、遺されたご家族から多く出る要望に、どのようにお答えしていくか等を含めて、お話しをさせていただきました。納棺の時間もまた、亡骸を中心に進めること、その最期の時間である意識を皆さんが持たれているので、様々なお話しが出てきます。一つ一つに心を掛けていく関わり方なども、皆さんのご要望にお答えしながら進めました。


「札幌訪問看護ステーション協議会」さま、
夜の気温が氷点下1℃、北国の寒さを懐かしく感じながら、皆さんのお仕事が終わった18時過ぎからの講演のスタートでした。お申し込みをいただきながらも、スケジュールがどうしても合わずに、2年越しで伺うことが出来ました。会場は満員で、お部屋の暖房も切っていただいたり、皆さんの熱気に元気をたくさんいただきました。特に訪問看護の皆さんの現場は、私たちが故人の死後に自宅に伺う現場と、状況も背景も非常に重なる所も多いため、現場から様々にお伝えしました。

ご本人やご家族の言葉から、普段は人に話さない、話せない内容がお別れの時間には多く出ます。その内容一つ一つを、どのように受け止め、形にしていくか等々お話しをさせていただきました。特に自宅でのお看取りには、様々な方々がお別れに来られます。ご家族も、とても忙しくなってしまうことも多いため、その時間采配をどのように行っていくことが出来るか等々、お話しをさせていただきました。

自宅看取りの場合には、亡くなられる方の希望を多く叶えることが出来ます。例えば、一番希望が多い、菩提寺のお寺さんにお出でいただくために御相談出来たり、近所の皆さんとつながり、地域で関わることも可能です。亡くなられる方が、どのような最期を迎えたいのか。誰かだけが何かをしなければいけないとかではなくて、プロのつながりも活かして人として、みんなでつながって叶えていける、これからはそういう地域づくりが出来るのではないかと、思っています。様々な例をあげて、お伝えしました。

「岩手県看護連盟」さま、
社会問題が多く発生しているのが、今までは「復元」の現場に多く見られていましたが近年は納棺の現場にも、発生していることがあります。家族間の不和あり、地域との格差あり、誰ともつながっていない家庭あり、孤立している方あり・・・。上げればきりがありません。それが良くて、気に入っている生活であれば問題ありませんが、そうではない場合には地域で考えていかなければならない。誰か任せにするのではなく、さり気なくつながっていくこと。いや、昔の日本は元々、そうだったから。

けれども現代でも地域には、その人たちとつながり、関わり、生活に密着して支えてくれていた人たちに出会う事も多くあります。最近、とても感じますがお一人暮らしの死後の発見も早くなり、納棺の時間に家族が居なくても集まってくださる地域の人たち。故人が普段から、皆さんとのネットワークの中で、コミニュティの中で生きておられました。地域の中でコーディネートが出来る人が増えている今。その現場の力は大きい。医療や介護職の方、そして一般の職業の人たちetc・・・、確実に環境の中に笑顔があります。

看護連盟さんは、国会議員の政治家の先生と直接お話し出来る時間をいただくことが多くあります。国の動きが、どのような方向を向いているのか。お話しを伺う度に、今、自分が何をすべきなのかが、明らかになることが多くあります。死から生を考える時間に生かしていただいて、普段から悩み尽くすことが多い私にとって、とても、力をいただく時間です。本当に、ありがたいです。

亡くなられる方も夢と希望をいっぱい持っていて大きな声で笑うし、遺されたご家族も、時間の経過と心の移行と共に大切なことを見付けて笑顔になります。そういう、人のいのちが輝いている瞬間に出会う度に、この仕事にご縁をいただいて良かったと思える時間に出逢います。色んなことを一緒に悩んだり、考えて実行して、ご家族と一緒に失敗をして、笑って再度挑戦なんてこともあります。その笑顔は、死の存在が、生きる糧に変わった瞬間に起こります。

死は決して怖いものでも、嫌われる存在でもありません。誰にでも訪れる、生きているものの定めです。だからこそ、大切な人に何を遺すのか、どんな温もりを伝えておいたのか、おきたいのか。大切な人が困らないように、遺した人が笑顔で生きてくれるように、それを考えて日々生きていかなければなりません。まぁ、正直言えばこれは死の現場で学んだこと。死は、色んなことを教えてくれます。

講演と、納棺と、会社の仕事と毎日向き合う時間をいただきながら、気持ちの切り替えも頭の切り替えも心掛けて、明日からの出張も頑張ります。風邪が流行って来ましたので、皆さまもお身体に充分ご留意くださいませ。皆さまお一人お一人の使命の元、益々のご活躍をお祈り申し上げます。

2015年11月9日

第55回東北盲人福祉大会

岩手県を会場に開催された、第55回東北盲人福祉大会での講演にお声掛けいただきました。皆さんは東北6県から、お集まりになられたとのことでした。

保育園の年少から、引っ越しをする小学校一年生まで、近所に全盲の鍼師さんが居て、小さな頃にとても可愛がってもらった記憶を思い出しました。友だちとケンカをしたり、寂しい気持ちになったとき、先生の所へよく遊びに行っていました。「ケンカをしても良いけれど、体についてのことだけは、ケンカの言葉に使ってはいけないよ。」と先生に教えてらいました。先生は私が帰るときには頭を撫でてくれるのですが、いつも「頭はどこだ〜?」と探すので、帰るときには、先生の手を取って自分の頭に乗せるようになり「帰るからね〜」と言っていた幼少の頃。自分も、ずいぶんいろんな人に実は支えてもらっていたんだなぁと、この年になって改めて気付かせていただいた気がします。

私にはご縁があって「穴澤雄介」さんという、全盲のバイオリニストの知人がおりますが、彼とコラボで講演をさせていただいたとき、会場に来て下さるお客さまも全盲の方がお出でになるので、説明をするときのポイント等を、いつも色々とアドバイスをしてもらっていました。昨日は、そのアドバイスを思い出しながら、お話しをさせていただきました。

(穴澤さんの著書、「見えなくなったら、希望が見えた」是非、読んでみてください。)

穴澤さんの著書の中にもありますが、彼がお母さんのお腹の中にいたとき、彼に障害があることが分かったそうです。お母さんは、彼を諦めようと話しましたが、お父さんは授かった命だからと産むことに決めました。彼を産むと、心臓に疾患があることも分かり、お母さんは居なくなってしまいました。小学校五年生の頃に、ほとんど目が見えなくなり、そのときに男手一つで育ててくれていたお父さんがバイオリンを彼にくれたのだそうです。どんどん目が見えなくなる不安の中、バイオリンを練習すると、どんどん上手になっていく。視力も目の光も失うけれど、生きる光をバイオリンがくれたのだと彼は言いました。成人してからお父さんが業績不振で事業に失敗し、彼の元から突然居なくなったとき、周りの人は探すなと言いましたが、彼はどうしてもお父さんに伝えたいことがあった。長い年月お父さんを探して、やっと見付けたお父さんに伝えたそうです。「僕が一番切ないときに、いつも傍に居てくれたのに、お父さんが一番切ないときに、傍に居てあげられなくてごめんね。」彼は、それだけを伝えたくて、ずっとお父さんを探していたと話してくれました。彼は心臓に疾患があり、今度発作を起こしたら、命の保証はないと医師に宣告されています。そのときが来たとき、お父さんが寂しがらないようにと、彼は「共助」という曲をお父さんに作りました。この曲を、会場で流させていただきました。

私の周りには、母を含めて大人も子どもも、障害を持っている人が沢山います。いつもお互いを助け合って過ごしていて、とっても頼りになる大切な人たち。深い悲嘆と共に生きてきた人たちは、いつも私の良き相談相手です。真剣に話をしたり、大笑いしたり、悲嘆を知っている人は実に明るく愉快で、思いやりがあって優しい人たちです。

会場は実に、人の持つ深い温かさに包まれた雰囲気でした。皆さんとお会い出来て、講演終了後にも沢山声を掛けていただいて、とっても嬉しい時間でした。ありがとうございました。


2015年11月7日

いのちの授業

岩手県花巻市立宮野目中学校に、「いのちの授業」で伺いました。到着して、校長室で校長先生と、打ち合わせをしました。

東日本大震災発生後に沿岸から引っ越して来た子どもたち、それから大切な家族を亡くした経験のある子どもたちが居ると聞き、先生の思いを組み込む必要があったので、用意した話しを直前に全部変えて、いのちの授業に挑みました。

それが良かったのか悪かったのか・・・、みんながそれぞれの思いを発言してくれて、中盤には一見、収集がつかなくなったような(笑)良いんです、良いんです。話し合って考えてもらうことがとても大事。(´・Д・)」

悲しみの中にあるもの、死の存在が教えてくれること、亡くした家族を想う気持ちと、想い方(大人で言えば、偲び方)。死の存在の意味など、皆さんと考えました。

いのちの授業終了後、校長室に沢山の生徒さんが集まってくれて、色々話しました。「はい、ファンサービスおわり〜〜!」校長先生の掛け声で、みんなとご挨拶をして、玄関を出ました・・・。

そしたら今度は、「お話ししたい〜〜!」と生徒さんたちが10人くらい駆け寄ってきてくれて、30分くらいかなぁ?みんなとお話しをしました。

大切な家族を亡くしても、関係性は絶対に変わらないこと。これだけは知っておいて欲しいと、私はいつも思っています。悲しみの現場ではみんな、その答えを苦しみの中から見付けます。そして、ホッとした表情になります。亡くした家族を想い、とっても悲しくなったとき、いっぱい考えた後に人は、亡くした家族の気持ちから、今を考えられるようになります。遺される人も、逝く人も、とってもお互いを思っていることに気が付いた時に、肩の力が抜けることも多いものです。

悲しくて、苦しくて、そういう時間を過ごした人の答えや言葉は、とても説得力があって、優しい。人を傷付けたりは、絶対にしない。悲しみは、人に備わった大切な感情だと、私は思います。今日の授業で、それを知ってもらえたら良いなと、私は思っていました。

最近は、「笹原さんの会社に遊びに行きたい〜〜!」「子どもの集まる会は無いの〜?」と言ってくれる多くの生徒さんたちが増えました。納棺は、開かれた業種になったのか??分かりませんが、

「死」を考えたときってね、実は「生きること」に目を向けているんですよね。ご遺族が、死を迎える人が、いつも私に、そう教えてくれます。私はただの架け橋で、そういう形で皆さんの人生に、少しでもお役に立てたら嬉しいです。ありがとう。また、会いましょう!


子ども夢ハウスおおつち11月6日

昨日、夢ハウスへ行きました。「クッソー」とみんなに呼び親しまれる藤原代表が大槌町に帰ってきていて、みんな大喜びで、大賑わいでした。

先日、内陸の花巻市の公園に、夢ハウスの子どもたちが来ていた時、少し顔を出しました。その時、「笹原さん、あのね・・・。」と、話してくれる小学生の男の子がいて、「どうしたの?」と聞くと、「お母さんが幸せになるために、どうしたら良い?」と話しが続いていきました。

聞けば、お母さんはずいぶん昔に白い蛇を車でひいてしまい、そのままにしたのが、色々な不幸を引き起こす原因なのではないと言っていました。「じゃあ、今度私が夢ハウスに行った時、白ヘビちゃんについて考えて、何か形にしようね。」と約束をしていたので、昨日は紙粘土を買って、夢ハウスに行きました。

みんなクッソーと遊びたいから、もちろん、そちらが優先になった昨日。でも少し落ち着いた時に、その子が私のところへ来て「笹原さん、白ヘビね・・・。  」と声を掛けてくれたので、私とその子の共同作業で、紙粘土で白ヘビを作ることに。(これが狸だったら、狸を作った。象だったら、象。日本の道路には象は歩いていないけど。)

彼の目的の手前にあることは「お母さんを守りたい」ことであり、とても気にしていたのが「白ヘビ」というキーワード。それが解決出来れば次のキーワードの「幸せ」に辿り着きます。なので、それを形にして、弔う気持ち(自立した昇華の力)を育み、彼の背景の中にある悲嘆を昇華させることが、この作業の目的となる訳です。生活の中にある幸せを探す力、ズレないブレない幸せの価値観を育む時間に移行していきます。(夢のみずうみ村の世界の、夢ハウスの生活の中で、みんなと充分に楽しみながら、自分を育むことがそれに当たる。)夢ハウスの用務員さんとしては、昔のおばあちゃんみたいな知恵も、こんな風に時々必要になることがあります。

そんな時、お母さんがお迎えに来ました。彼は言いました。「お母さん、ちょっと待ってて!笹原さんと、白ヘビちゃんを作るから!」白ヘビに「ちゃん」が付いたので、彼の白ヘビに対する怖さは、ちょっとずつ昇華されているのが分かりました。

お母さんが言いました。「震災後、子どもたちを養うために、必死で生きてきました。ずっと、働き詰めでした。幸せになりたい、いつか幸せになりたいと、あまりにも思い悩みすぎて、働くことで、一緒に居たくてもあまり関われない子どもと、せっかく一緒の時間を過ごせるのに、そんな話ばかりを子どもにしてしまって、私、ダメな親です。こんなに働いてもお金がないから、夢ハウスで過ごさせてもらうことは、助かっています。ずっと長いこと我慢ばかりさせてしまって、少しくらいワガママ言っても良いんだよと言っていたのですけれど、この子は全然言わなかった。でも最近、夢ハウスに来るようになって、やっと子どもらしい姿を見ることが出来るようになってきました。」

クッソーがお母さんの所へ来てくださって、「お母さん、あなたは何も間違ってやしない。」と、お母さんの気持ちを支え、受け止めて、お母さんとじっくり話してくれました。私はその子と、白ヘビちゃんを完成させました。完成した時、彼は満面の笑みでした。

夢ハウスは、子どもたちにとっても保護者にとっても、色々吐き出せる安心できる場になっていました。そりゃ、色々課題も沢山あるけれど、夢ハウスの管理人の吉山くんはそれこそ、昇華する力を持ち合わせているので、様々な人ともつながり一つ一つに普段から向き合ってくれています。

白ヘビは、この親子を呪うことなんか無く、白ヘビと言う存在が、親子の気持ちをしっかりつないでくれていました。それは、お母さんの「弔う」気持ちがそうしたのであって、夢ハウスと言う安心できる場で話し合い、形になったのも、力に代わったようでした。お母さん、本当にとってもステキ。クッソーは、やっぱり深いなぁと、感動した時間でした。

結局の所、東日本大震災も「不幸」と呼ばれ、「死」も不幸と呼ばれ、呼ぶ人は呼びっぱなしですが、言われた方はたまったもんではありません。そう言う言葉に、悩んでしまうのも、背景や環境もあるから、仕方ないかもしれない。だから、何より支え合う気持ちが大切なんだと思います。

さてさて、白ヘビの呪いなのかと考えれば、それは白ヘビしか分からないこと。「そうなの?」と聞くことが出来たとして、白ヘビ本人は「僕じゃないっす」と答えるかもしれない。だからきっと人は、人が発する言葉から心に伝わり、心と共に生きていることは間違いないことなのでしょうね。言葉は、悲嘆を持っている人が安心できる言葉を使ってもらうと、とても有難いです。

ここ最近、子どもたちが手首に付ける念珠を欲しがります。私も今は、彼らの希望の念珠をかき集めて購入してと(私の手首に付けていた念珠もあげてしまって)、頑張っていますが(>_<)、それは子どもたちがこれから生きるために、悲しみを生きる力に代えようとする姿を見ているから。依存ではなく、委ねる形での「弔う」気持ちは攻撃性を無くし、人に優しさやいたわりの心を、生きる力を与えてくれるものだと、この子たちからも色々学びました。

夢ハウスでは、子どもたちが満面の笑みで、体を充分に使って遊んでいます。宿題も、帰り際に慌ててする子もいるけれど(笑)、やんちゃ盛りの「やんちゃ」は、成長期にはとても大切なんだと、こちらもまた、学びました。

日頃からの皆さまのご支援とご寄付に、心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。


2015年11月5日

二つの講演へ

昨日は地元北上市の翔南高校さんに、毎年恒例の一年生、今年は240名の生徒さんに向けて、90分の授業をさせていただきました。

東日本大震災に於いては、被災地であることを再確認してもらうこと(今時期は特に)、何故なら沿岸と内陸と手をつないでいくことを生活の中に組み込み、そこからそれぞれの立ち位置からの復興を知り、自分たちの地域の発展や守るべきことを含めて、つながっていく町づくりを考えました。

いのちに於いては、悲しみの現場からお伝え出来ることとして、普段の生活の中に意識しておくこと、それを実行する力を持つこと、心の中に色々溜め込まないこと、そしてその対処法の種類などを中心に、芥川龍之介のくもの糸や、菅原道眞が何故、怨霊と呼ばれるのか?などの話を組み込みながら、皆さんには一緒に悩んでもらうこと、考えてもらうこと、ドキドキしたり、悲しみの意味を感じてもらうこと、大笑いしてもらうこと(笑っていい話題といけない話題との区別も大事。)等々、人に備わった、色々大切な感情を体験してもらえたと思います。

授業終了後は、約40名くらいの生徒さんが控え室にワーッと集まってくれて、色々感想や現在の生活の出来事、悲しみを経験したことなどを、それぞれにお話ししてくれました。来年も、授業に伺うことになり、学校を後にしました。昨日の夕方のニュースで地元テレビ局のIBCさん、今朝の朝刊で地元新聞社の岩手日報さんが、その様子を伝えてくれました。ありがとうございました。

引き続き、「黒岩地区文化講演会」に伺いました。ずっとお申し込みをいただきながら日程がなかなか合わずに伺えず、3年目にしてやっとお邪魔出来ました。

以前、納棺にご縁をいただいたご遺族の皆さんも何人もお出でいただいていて(一般講演は本当に多い)、お声掛けいただきました。その後のお話も伺い、想い出話しに花が咲きました。さすが地元!母の幼なじみ(母は岩手県の人なので)の方もいらして、昔の母の話しや、私が生まれる前に亡くなった、会いたかったけど会ったことのない祖父の話しを教えてもらい、孫としては、おじいちゃんに会えたような気持ちになり、何とも言えない嬉しい時間でした。

質疑応答では、人生の大先輩の皆さまが、「生前予約したい」と言ってくださいましたが、弊社にはそのような制度がありませんので(やる気がない訳ではないのですが。違う形はあります。)、どちらかと言うと生きている内に、色んな知恵を残していただきたいので、その前に呼んでください。お茶っこしながらワイワイお話ししましょ!等々盛り上がった時間でした。様々な死の意識の形がありますが、昨日も、人生の大先輩から、色々と教えてもらって、沢山の知恵をいただいきました。と言うか、大変な盛り上がりでした。

まぁ、岩手県と言う土地ですから当たり前に「座敷わらし」の話にもなり、16代続いてるなんて話しも教えてもらいました。座敷わらしは、むかし間引きされた子どもたちです。幽霊にもなれず、この世にも居られない。生きたくても生きられなかった時代の、哀しい現実で、お経も上げてもらえなかった子どもたち。座敷わらしは仏間や仏壇の前で遊ぶのを好むと、座敷わらしが居る家の人たちが口を揃えて言うのは、そのせいなのかもしれませんね。だからちょっとくらい、この世でイタズラしても見逃して、可愛がってあげっから!と言うのがお年寄りの包容力。やっぱり素敵だなぁと、思いました。座敷わらしは、気に入った人にしか姿を見せません。座敷わらしの居る家の主は、わらしが気に入って住んでいる部屋をいつも掃除しておきます。座敷わらしの姿を見ると、とんでもない幸せが舞い込んで来ると言われていますが、お年寄りは幸せが欲しいとか、そういうことよりも、むかしのことを知っているから、ここが気に入ったのなら、ここに好きなだけ居ればいいと言うのが本音でしょうね。やっと居場所を見付けたた座敷わらしは、何の心配もなくお年寄りの愛情に包まれて、時代は変わってしまったけれど、穏やかな時間を過ごしていることでしょう。

どんと晴れ!☆彡

2015年11月4日

マンツーマンセミナー

1日〜3日まで、3日間のマンツーマンセミナーでした。和歌山県から、ようこそお越しくださいました。和歌山県と言えば、那智の大滝や紀州の梅だね!と、みんなで盛り上がりました。

湯灌師の経験から、現在は葬儀担当をしているという、冷静沈着だけど情がとっても深〜い方でした。葬儀担当さんは、突発の機転がすごい人が多い。そう、現場は突発ばかりだからです。

現代の葬儀は社会のニーズやご遺族の希望により、短くて1日、長くて3日が平均的になってきました。(希望により、一週間という場合などももちろん、あります。地域による違いも多少あります。)全国を回らせていただきなから、どんどん葬儀が短くなってきていることを感じます。

老々介護や、一人暮らし(家族は遠方)、超高齢化社会を迎えて葬儀担当さんの仕事がどんどん増えているという話にもなりました。

例えば自宅での希望なら、「安置」とお部屋に合わせた大きさの「祭壇又は前机」、弔問客を迎えるためのお部屋の確保のために、少なくてもその3つのスペースを確保するため、葬儀の依頼が発生した段階からの「大掃除」。いや、それは昔から担当さんはしてくれるけど、今、もっともっと増えてる。事情や背景も、昔とどんどん変わってきています。

私も、納棺前の処置に伺うこともありますが、担当さんが打ち合わせや掃除を進めている間に普通は進めます。歩く場所がまだない状態のお部屋の中で、安置するためにベットの上を片付けようと、ベットのヘリを歩いていたら、落ちてすねを擦りむいて出血して、遺体の処置の前に、自分の処置をしたりすることも・・・泣(警察経由の検視の後が多いかな)

納棺後に担当さんの手伝いをしようと、祭壇を組むために、トラックから組み立て前の祭壇を運んでいたら、ツツツーって、二つ重ねた上が私の顔面に激突!(痛いっ)祭壇は高いから、落として壊すより、顔面の怪我を選ぶ私・・・。それを見ていた、葬儀のために集まっていた地域の頼もしいお父さま方々が手伝ってくれたり・・・、ありがとうございます。

諸事情(本当に色々)でお部屋に棺が入らない場合は、お家の中から遺体をみんなで運んで、玄関やガレージやそういうスペースを見付けて確保後の納棺ということもある。人手が無い中で中から外に出るときに靴を履くタイミングを逃すと、靴を履かずに靴下のまま、棺の移動優先なんてことも、ある。

マンションなどの棺が横に入れられないエレベーターは、棺を立てて運ばなければならないし、全然それも無理な場合は、みんなで階段で降りる訳です。棺が汚れるから、外なら尚更棺を下に一度も置けないし、雨が降っていれば棺用の雨よけカバーが必要だし、一度棺を置いてしまえば今度は重たくて手が棺の下に入らない。だから、私が持つハンカチは、晒しの厚めかタオル生地の物が多く、棺を置く必要が発生したとき、パッと棺の下に入れることもできるから。基本は色々な種類の棺台と呼ばれる物がありますが。納棺に関わることだけでも、まだまだあります。

そのような現代の葬儀。とにかく時間がない中で、簡略化されながらも一つ一つの意味を大切にしながら、簡略化してはいけない内容もあるので、遺言やご遺族の希望に合わせると、何処に重点を置くか、同じ地域でも葬儀社により大きな違いとして見えても、おかしくはないのかもしれませんね。

関東や関西では、火葬場も10日以上待ちが増えたと、過去にマンツーマンセミナーを受講された皆さんから、遺体管理の方法を聞かれることも増えました。葬儀社も遺体安置のため、腐敗の進行を抑えるために冷蔵庫をいくつも持っている所が増えました。

時代が移り変わることに合わせて、要望も変わりつつあり、だからこそ大切なものを失わないように、考えていく必要が出てきた現代。今回のマンツーマンセミナーも、非常に深い時間でした。

3日間、本当にお疲れ様でした。ちょうど弊社の職員全員のインフルエンザ予防接種のタイミングもあり、一緒にインフルエンザの予防接種を受けて、今日、和歌山県にお帰りになりました。益々のご活躍を、お祈り申し上げます。

追伸、
残り少なくなりました今年の分(若干ですが)と、来年のマンツーマンセミナーのお問い合わせ、お申し込みが非常に増えています。大変申し訳ございませんが、(立て込んでいて、すみません)私のスケジュールと、受講される方のスケジュールを擦り合わせての、お日にち確定ということになっております。すでにご案内申し上げた幾つかの日程が、ご案内時の通り、他の方の決定日となっている場合もございますのでご確認ください。マンツーマンセミナーは、弊社担当者が承ります。マンツーマンセミナー担当者も復元納棺師で、現場に出ていることも多いので、お返事に少しお時間を頂く場合もございます。予め、ご了承くださいませ。マンツーマンセミナーは、一対一での技術指導が中心になります。いやいや、一対一ではなくても良いということでしたら、医療・介護職の皆さまは日総研さんのセミナーで全国を回らせていただいています。葬儀に携わられる皆さまは、綜合ユニコムさんのセミナーが東京で3月と9月に開催されます。セミナーの詳細については、弊社のホームページのトップページをご確認くださいませ。会場で皆さまにお会い出来ることを、楽しみに致しております。



2015年10月31日

九州JA葬祭担当者納棺セミナー

九州全農さんからの御依頼で昨年に続き、二年目の九州全県の訪問でした。申し込み人数が多いときには、二日に分けて開催した県もありました。長崎県、佐賀県、大分県、福岡県、鹿児島県、熊本県、宮崎県の7県を今年は3回に分けて、10時〜16時までの丸1日セミナー、JA葬祭担当者納棺研修会を昨日、本年度最終の研修を宮崎県で終えました。経済連さん皆さまにも、大変お世話になりました。

葬儀の中の「納棺」に特化した形での講習ではありますが、参加型納棺はとても特殊です。その納棺の中では、様々な方向から「現在」を見て、一人一人に合わせ考えていく「生活」を見付けます。

遺された人が生きていくために、必要なことが多々あります。亡くなられた大切な方を想う気持ちを、生きる基礎に考えていくこと。又はいくつもの課題を抱えて踏ん張ってきた家庭の中で、これからを考える時間。憎しみや恨みも、もちろん現場のスタートにはありますから、その気持ちを自分で納得してそこから次のステップへと、考えてもらうこと。そして、私たちの現場にも増えてきた「認知症」「老々介護」の課題があります。説明や理解の時間の中で、考え方が偏らないように誤解を生まないように皆さんと考えていく時間です。

これまでの社会の進化に伴って考えると、昔は当たり前にあったけれど現代では、通常の生活の中には無い、「死」が現実に起きているとき。現場では遺された方々の笑顔やポジティブな考え方を引き出しながら、どこまで私たちがお役に立てるのか。そういうことを皆さんといっしょに考えた、深い時間でした。

今回の講習の中で、皆さんと現場を考えていたとき、想い出した現場がありました。お母さんを亡くした息子さんが、「やってみたいこと」の一つに、お母さんがいつもしていた「つまらないものですが」と箱菓子を渡す想い出。近所の方にお客さん役を、息子さんがいつものお母さん役をしました。お母さんがどんな気持ちだったのか知りたかったと、彼は最後に教えてくれましたが、皆さんがお付き合いをしてくださったお陰で、彼は答えを出しました。

「お母さんはお菓子を選ぶときに、その人の好きなものを選んでいました。つまらないものと言ったのは、好みが変わっているかもしれないけどと言う心配だったかもしれません。お母さんは、その人の笑顔を見たくて、渡していたのだと思います。でも、お母さんが一番笑顔だったかも(笑)人の喜ぶことが好きだった。僕も、そうなれるように努力します。」

彼は、お母さんと過ごした時間を振り返り、自分の中の答えがちゃんと出すことが出来ました。生きていく中で、こういう時間が基礎になります。お付き合いをしてくださった、近所や親戚の皆さんも、本当に素敵でした。子どもの発言を頭から抑えずに付き合ってくださる粋な大人は、まだまだたくさん居ます。その現場を、ふっと想い出しました。

一人、ちょっとやんちゃな葬儀の担当さんが居ました。「やんちゃですね?(笑)」と聞いたら「そうです!」と答えられました。「だとしたら、子どもさんを亡くしたお母さんが、「棺に入れたくない!」と子どもさんを抱いて歩いても、自由にさせてくれる担当さんですね?」と聞くと、「そりゃ、そうです。いいんだ、それがその人のお別れの形なら、それがベストです。」と答えてくれました。私は心の中で、「よし、みーつけた!」と思っていました。基本はきちんと持っているけれど、やんちゃな人には、考え方に幅があります。だから、私はやんちゃな担当さんが居てくれることに、ホッとします。元ラガーマンと言う担当さんも居ました。チームを構成し、一人のためにみんなで動くこと、そしてお互い様の考え方を共有する力、何より挫折や嘆きを知っていることがスポーツマンの武器です。素敵でした。

講習を終えて帰り際、ふっと思いました。九州は7県なのに、何故「九」州?の疑問・・・。九州は現在7県とされていますが、昔は9つの国があったそうで、九州と言うのだそうです。昔を知り、今を考える。先人が開拓して土を掘り、生きやすいように地盤を固めてくれたから、今の時代を生きている。生かされている時間がある限り、今度は私たちが次の世代に何が残せるのがを、しっかり考えて行動しなければならないと思いました。

たくさんの皆さまにお世話になりました。本当にありがとうございました。皆さんの益々のご活躍をお祈り申し上げます。

2015年10月26日

子ども夢ハウスおおつち10月☆彡

子どもたちから「いつ来るの〜〜!」と連絡をもらって、バタバタと駆け付けた土曜日でした。うっかり管理人の吉山くんに行くことを伝え忘れ(>_<)たのにもかかわらず「おー!お帰りなさい!」(夢ハウスではそう言ってくれる♪( ´θ`)ノ)

みんながチームに分かれて、当日生地から作った手作りピザを作っていました。「笹原さん、審査員ねー!」と突然子どもたちから任命いただいて、それぞれのチームこどに出来あがったピザをいただきました。美味しかった!玉ねぎに火が通っていなくて少し辛かったのも、ちょっとステキでした☆彡

夢ハウスの色んな、そしてこの日のこのながれも、藤原先生と吉山くんのワクワクしてしかも分かりやすい、安心出来る環境の中で行う、作業の仕組みが組み込まれています。作業をしながら震災のこと、家族のこと、学校のこと、夢のこと、みんなの生活のいろんなことが話題に上がります。みんなで色々考えて、知恵を出し合いながら、地域の中でどのように生活をしていくか、真面目な話の中にも、大笑いする失敗談なども出て大盛り上がり。子どもたちの夢ハウスの中の生活を支えてくれる夢ハウスの職員の横ちゃんも大活躍です。

昨日は夢ハウスに行く前に、吉里吉里海岸に連絡をくれた子と行きました。沖から生活用品がずいぶんたくさん流れてきていて、「これ、あの時(2011.3.11)のだよね?」とそう言われ、「そうだね・・・。」二人でしみじみと当時を想い出しながら、過去と現在から未来の話しをしながら浜を歩きました。服、瓦屋根の一部、レンガ、瓶、家の一部等々、4年半以上の長い時間、「波に撫でられて丸くなってるね」と、感じたままを話してくれました。「撫でられて?」と私が聞くと、「(前略)海は恨んでない。だって、みんなの大事な海だから。」東日本大震災の津波後から、家族の帰りを待つ人の気持ちを、大切にして行こうと、私はその言葉を大事に心に組み込んだ瞬間でした。

土曜日の夢ハウスは、時々しか来れないけれど、初めて会う子も沢山増えていました。古株の子どもたちが、私を紹介してくれました。「怖い話と、夢の研究家」(本当にか⁉︎そうだね、そんな会話が多いかもしれないね。)紹介は続きます。「そういうことで悩みがあったら、相談して良いんだよ!」(素晴らしい!)「笹原さんが来てない時に相談したいときは?」と子どもたちからの質問に、「なんでもまず、吉山くんに話してみてね。吉山くんから連絡をもらったら、すっ飛んで来るからね。」

熱気ムンムンの夢ハウスでは、子どもたちの笑顔も溢れていました。吉山くん、横ちゃん、ポップ(犬だけど夢ハウスのスペシャルメンバー)いつもありがとう。m(__)m私も知恵をいっぱい持っている藤原代表に、夢ハウスのこと、いつも色々相談させていただきながら、進めることもあります。☆彡

「夢ハウス、大事!」
「夢ハウス、大好き!」
「夢ハウス、無くさないで!」

津波や震災当初の瓦礫など、怖い夢を見たと、駆け込んでくる子たちも居ます。安心して夢ハウスの中で過ごしながら、子どもたちが少しずつ自分ペースを作りながら、安心を取り戻して行く過程を見て、藤原代表が「駆け込める場所」と作ってくれた夢ハウス、本当にそのままの活動になっていることを子どもたちとお話ししながらも強く感じていました。子どもたちの声は、日頃から夢ハウスを支えて、ご寄付、ご支援いただいている皆さまのお力のおかげ様です。心から感謝を申し上げます。

岩手県には、白鳥が飛来して来ました。空を綺麗に並び、元気に飛びながら白鳥の鳴く声を聞いて、冬の到来が来たことを感じていました。さぁて、いよいよ風邪も、ノロウイルスも流行る時期に入りました。管理人の吉山くんは、バケツを持って環境整備を徹底していました。さすがだね!

子ども夢ハウスおおつち、今後とも、よろしくお願い致します。

2015年10月23日

埼玉県交通安全母親大会

「埼玉県交通安全母親大会」にて、500名の会員の皆さまに向けて県大会の中で、県知事、県警本部交通課部長、教育委員会の皆さまのご挨拶の後に、講演をさせていただきました。埼玉県庁の皆さまに大変お世話になりました。ありがとうございました。

普段県内で、通学中の子どもたちの交通安全に努めてくださる、見守りのプロの地域の皆さんです。色々伺い、本当に頭が下がりました。地域の中で、子どもたちは大人の胸を借りて育ちます。その子たちが大きくなったら、皆さんの姿を見て育ち、巡り巡ってまた地域に貢献して活躍してくれると思います。

本当にお勉強慣れされているというか、聞き上手な皆さんの包容力に包まれて、私も色々と肩の力を抜いてお話しをさせていただきました。聞き上手は、お話し上手と昔から申します。きっとお話しも魅力的なんだろうなぁと、皆さんの雰囲気に癒されていました。

お孫さんやお子さんを亡くされた皆さんが、亡くされた子と同じ年代の子たちの「いのち」を守る活動をされることは多くあります。子どもたちの通学路では、みんなの交通安全を見守ってくれていて、「信号を見なさい!」「横断歩道を渡りなさい!」「交差点では二歩以上引いて、信号が変わるのを待ちなさい!」その一言一言に、いのち意味がどれほどに込められているのか、「自分の気持ちはさ、分かってる人だけ、分かってくれりゃ良いのさ」見かけて挨拶をすると、そんな風に粋に答えてくれます。子どもたちの、本当に分かっているのか分からない(笑)「はーい!」のお返事に、ご遺族と目を見合わせて笑ったりします。きっと子どもたちの「いのち」は見守りで支えられているのかなと、思いました。「知らないところで、誰かのお世話になっている」親の目の届かないところでの、子どもたちの生活を思えば、世間さまに丁寧になるものかもしれません。

ご遺族は、大切な家族を「忘れないため」にいのちに関わる、守る、ための行動に移します。その行動に人が集まります。そこに理解してくれる、同じ経験をされた、同じ思いの「同志」として、コミニュティが出来ます。悲しみは基本、人に触れてほしくない感情ですから、たいていは人に言わないで生きています。でも、共有できる人を見付けたとき、また自分の中の答えや意味を探す気持ちがスタートします。

講演の中では、様々にお話しをさせていただきました。泣いたり笑ったりしていただきながら、皆さんの表情が変わっていくお姿を壇上から拝見していました。大切な誰かを思う表情も、多く拝見しました。会場の中は、温もりでいっぱいになっていました。

会場の中の9割がお母さま方々。皆さんと一緒の時を過ごしながら「母ちゃんって、やっぱりすごいな・・・。」素直な、昨日の私の感想です。

約1年間にお申し込みいただいた講演でした。講演のために、準備から何から何までお世話になりました皆さまに、この場をお借りして御礼申し上げます。そして、皆さまの益々のご活躍を、心からお祈り申し上げます。ありがとうございました。

2015年10月22日

子ネコちゃんすくすく

育ってます、すくすくと。

子ネコちゃんを育ててくれる引き取り手も見つかりました。

居間をヨチヨチ歩きで歩いたり、時々走ってコケたりと子ネコたちの可愛い姿を、我が家のじいちゃんが見守ります。「おれ、猫、あんまり好きじゃない。」と言うじいちゃん。けれどもじじの目は垂れ、猫は何も話していないのに「どーしたのーぉ。」なんて話しかけてる(笑)きなこ(猫)も、もち(猫)もじじが来ると喜んでゴロゴロ喉を鳴らしています。多分、普段話しかけているはず。(笑)じいちゃんの言うことも、よく聞きます。しつけも上手なじいちゃん・・・、どう見ても、誰が見ても、猫、好きでしょ!じじが準備してくれた、子ネコ用のキャットフードを食べるようになりました。











2015年10月21日

怖いはなしシリーズ12

出張がとても多いのですが、出張のときはホテルに泊まります。ホテルの部屋は、仕事に集中するのにとても適しています。

先日も、ホテルに泊まりました。まぁ、時々部屋の中で変な音がしたりするのですが、そういうことは慣れているので、あんまり気にしません。音が気になって仕事に集中出来ない時は、そういう時のために持ち歩いている耳栓をします。先日も締め切りの近い原稿を、朝方まで書いていたのですが、なんと夜中の2時に私の部屋の電気が突然ぱちんと消えました。

いつもは優しく対応出来るのですが (怪奇現象と呼ばれるのでしょうか?こんなことは、しょっちゅうです。電気系統は実に多い)順調に書いていたのに、突然消えたので少しムッとして「チッ」と舌打ちをしました。そしたら、電気が点きました(笑)

今度は3時に消えました。「またですか?仕事が進まないので勘弁してください。」と言ったら点きました(笑)

4時に申し訳なさそうに、点いたり消えたりしていたので、「消したら、ダメですよ。」と言ったら消えませんでした。(笑)お利口さんでした。

よくおねだりをされて「怖い体験談教えて!」と言われて話すと、「ぐちゃぐちゃな人が幽霊で出てきたらどうするんですか? 」「血だらけの人が幽霊で出てきたらどうするんですか?」と聞かれます。復元の現場は、ほとんどがそのような状態からスタートして、戻しています。だから、答えます。

「多分、どうしたんですか?って聞いてから、復元師だから、復元します。声をお掛けしている段階から、どのような順番で戻すか、どこから血が出ていて、どこが陥没していておもかげを無くしているのか、もう考えて復元をする順番を組み立てていると思いますよ。」

先月、岩手県の被災地沿岸の中学生に、復興教育授業をしました。先生方々の思いを伺い、生徒の皆さんと東日本大震災について色々一緒に考えました。

今日、事務所にその時の皆さんの感想文が届きました。ありがとうございました。拝読していると、素敵な感想文がありました。

「笹原さんの授業を聞きながら、私は自分の体験した東日本大震災を考えていました。被災地には幽霊が出ると言う話はたくさん存在していますので、私はそのことを考えていました。そうかぁ、生と死を組み込んで考えると、いろんな考え方があるんだなぁと思いました。復興教育授業の後、学校のみんなで泊まった宿に幽霊が出ると、噂がありました。きっとそこに居る事情があるのでしょうからと思えば、私は全く気にならず、怖くもありませんでした。」

幽霊の話ばかりをしているわけではないのですが(笑)、「死」には幽霊話しが実はつきものなのです。知りたいと思っているのに、そこを避けては話せないこともありますから、説明をしておく必要がある場合もあります。

簡単に言うと、人が「幽霊」って呼ぶときは、人ごとなんです。見ず知らずの他人に対しての表現です。本当に幽霊が出るとしましょうか、でもそれが自分の家族だったらどうでしょう。とっても嬉しいでしょう?会えて。そう考えれば、人ごとにはなりません。何らかの事情があるから、そこに居る。だったらそっとしておいてあげるのも、思いやりかもしれませんよ等々、話すことがあります。そういう質問もたくさん出ることがありますので。

なぜ答えるかと言えば、見えようと見えまいと、今を生きなければならないことは変わりません。きちんと普段の生活を送りたいと言う目的をお持ちであれば、答えますよ、ちゃんと。

よくあるのが、亡くなられた場所に幽霊が出ると噂が流れて、ご家族が落ち込んでいることがあり、ご家族の皆さんにお願いされて、ご家族の皆さんとその場所に行って、「帰りますよー」と声を掛けに行くこともあります。普通の生活の枠の外で起きていることが理由で、普通の生活が送れないこともあるものです。

ちなみに、復元納棺師の仕事をしてから少し調子が悪くても「具合悪い」と言わなくなりました。何故って、「取り憑かれたんじゃない?」ってすぐ言われるから。そんな訳、ないでしょ!(笑)そういうことを言わない人には、「具合悪い」と言います。

亡くなった人への誤解を解いたり、悪者にしないのも、私の仕事です。納棺が終わったからと言って、全てが終わるわけではありません。みんな一人一人の生き方があり、偲び方があるのです。オカルトをオカルトで終わらせない。それが私のポリシーです。(どんなポリシー⁉︎)

先日連絡をもらって、心配していたので会いに行って、お母さんを亡くした女の子が、納棺から三ヶ月後の日に、想い出話をしながら、ありったけの笑顔でこう言っていました。

「どうせみんな、ミトコンドリアだし!」いっぱい泣いて、目を腫らして、excellentな言葉でした。可愛くて大好き。お母さんが遺してくれた、最高の笑顔だね。また、お茶飲もうね!

このようにご遺族って、とんでもなく素敵なことを教えてくれるんです。たくさんの質問を、ありがとうございました。






2015年10月20日

関西学院高等部三年生

兵庫県にある、関西学院高等部三年生300名の皆さまに向けての、いのちの授業。ご多忙の中、校長先生、保護者の皆さま、先生方々も同席くださいました。

子どもたちってとても正直で、面白くない話や、分かりにくい話をすると全然聞いてくれないので(笑)、最初の五分くらいは探りながら進めます。今回も用意していたお話から、みんなが興味を示した方向へぐるんと変えて、同じ話しなんだけど、違う方向から雰囲気もニュアンスも変えてお話ししました。死は生活の中に必ず起こるので、みんなに知っておいて欲しい内容をお話ししました。最終的に、みんな身を乗り出して聴いてくれたので、今日の日のために力を尽くしてくださった、みんなへの温かい先生の気持ち、みんなに少し伝えられたかなと思いました。悲しみを経験したとき、今日の日を準備してくれた先生のこと、思い出してくれたら良いなと願いながら終えました。

阪神淡路大震災を経験した、関西学院です。保護者の皆さんも、経験されていました。お一人お一人の背景は違いますが、「今でも地震が起きると震える」と、あの時からこれまでを、お話ししてくださる保護者の方が多く居られました。東日本大震災を経験されて、家族で引っ越して、こちらの学校に入学した子も居ました。お会い出来て嬉しかったです。

どのようにこの災害を伝え、どのように自分の身を守ることにつなげてもらうのか。地元でいつも被災者の皆さんと話している内容と同じ内容で、気が付いたら阪神淡路大震災を経験された皆さんとお話ししていました。お知恵をたくさんいただきました。岩手に帰る帰り道、色々なことを思い出していました。本当に皆さまにお世話になり、心より感謝を申し上げます。ありがとうございました。








2015年10月18日

長野県看護協会様主催講演

第36回長野県看護研究学会、特別講演公開講座でお話しをさせていただきました。

いのちの授業にお邪魔させていただいたことがご縁で、長野県の高校の校長先生にも本当にお久しぶりにお会い出来て、吹奏楽部の皆さんが子ども夢ハウスおおつちのために募金活動をしてくださったとのことで、支援金と色紙をお預かりしました。いつもご支援、ありがとうございます。過日は長野県から、岩手県大槌町に高校生の皆さんとお越しいただいたこともありました。夢ハウスにすぐに報告をしました。皆さまのお名前で、夢ハウスに振り込みをさせていただきます。ありがとうございました。子ども夢ハウスおおつちは、皆さまの温かいご支援・ご寄付により支えていただいています。心から、お一人お一人の皆さまに感謝を申し上げます。ありがとうございます。

会場には多くの市民の方もお出でになりました。関係者の皆さんからお聞きしましたが、特に一般の方はいつもの8倍の方が会場にお越しくださったとのことで、喜ばれていました。

大人の方もとても多かったのですが、看護師を目指す看護学生さんや、お医者さんを目指す医学部の学生さんも、高校生も、バスに乗って来ました!と、中学生も来てくれました。まぁ、可愛い、可愛い。若い子たちを見てそう思う自分を客観的に見て、年をとったんだなぁ〜と感じてしまいました。

兄弟やお友だちを亡くした経験のある子たちも居ました。色々、大切な気持ちを教えてもらいました。忘れない限り、心の中にずっと居てくれる大切な人は、みなさんと一緒に生きておられると思います。想い出は、宝物ですからね、大事に、大事にしてくださいね。微力ながら、応援しています。

長野県は、お山の噴火もありました。皆さんの経験されたことを色々とお話を聞かせていただき、ありがとうございました。悲しみは本来、人には話したくない、触れられたくないことですが、話したいタイミングがあるのも、悲しみの気持ちの特徴ですね。皆さんを支えてくださる方々に、少しずつお話し出来るときを迎えられた方、今日をきっかけにしてくださった方も居られました。

みなさんと一緒に、色んなことを考える時間をいただいたこと、それから当日まで大変な準備をしてくださった皆さんに、当日は細やかなお心遣い、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2015年10月16日

マンツーマンセミナー

茨城県から、岩手県へようこそお越しくださいました。以前もお越しになられてお勉強され、現場で即実践されています。今回は沢山、現場での課題をお持ちになって、一つずつステップアップ技術を特訓、習得して、答え合せも含めて、本当に最後まで頑張られました、お疲れ様でした。

特に非常に状態の悪い特殊復元の現場は、技術を提供させていただく環境が最初から整っているわけではなく、ほとんどの現場がこれからの準備などのために、バタバタしている中での施行ですから、独特の雰囲気の中でのスタート、状況に合わせての特別な説明や進め方が必要になることもあります。お別れの方もたくさんお出でになるし、お家の方が待っている(この時だけは家族が来客対応に追われることなく、故人に集中出来るので)お寺さんなど宗教者の方の儀式も入ります。どのタイミングで何を進めるのか、時代の流れとともに色んなことも変わりつつある中で、皆さんと一緒に、温故知新で考えなければならない現場も増えました。

車の運転が苦になりませんと、今回も水戸黄門と言えば、茨城県!から車でお越しになりました。サービスエリアが好きで、前回お越しになられた時は、全部のサービスエリアに寄ってきました〜!と言っておられて、御満悦!楽しみを見付けるのも、楽しみ方も上手な方です。と言うことは、現場の中で仕事を見付けるのも、進めるのも上手と言うことですよね。excellent!

岩手県も、すっかり朝晩冷え込みが厳しくなってきました。山が紅くなり始め、紅葉もスタート。昨日も、警察署での復元に行きました。終了後、刑事さん方とすっかり寒くなってきましたねと話になって、これからの時期は道路の路面が濡れていたり凍っていたりの事故や、お風呂での生活事故も気を付けてもらえたら・・・。と、そんな話になりました。本当に気を付けてくださいね。気を付けるに越したことはない!

今日は、講演に伺うために移動中です。それでは、またっ!ごきげんよう〜m(__)m