2016年8月28日

じじと嗚咽(おえつ)

大人気、我が家のじいちゃんシリーズです。

先日、生まれて初めて、しゃぶしゃぶの食べ放題に行ったと話し、語る、語る(笑)我が家のじいちゃん。

じじ「おまえよ(私のこと)、しゃぶしゃぶの食べ放題に行ったことあるか?(自慢気)」

私「ないよ。」

じじ「(嬉しそう)あのよ、食べ放題って、どれくらい食べて良いか知ってるか?」

私「んー、どこまでも果てしなく、食べれるくらい食べて良いんじゃないの?」

じじ「だべぇー!だからよ、じじはよ、食べているうちに、自分でもどこまで食べて良いのか分からなくて、だんだん具合悪くなってきて、嗚咽(おえつ)してきたんだよ。」

私「えー⁉︎お店で出しちゃったの?」

じじ「いや、出さないよ。もったいないから、ごくんと飲んだ!(ちょっとキメ顔)」

私「・・・。えらかったね。」

じじ「まぁね!(ご満悦)また、みんなと行ってくるから!」

私「(みんなって、誰⁉︎)・・・はいはい、誤嚥しないようにね。よく噛んで、腹八分目なんだよ。」

じじ「食べ放題で、腹八分目なんて聞いたこと無いわぁ!」

私「(なんじゃ、それ!また嗚咽したら困るから言ったのに)はいはい。お大事にしてくださいね。次に嗚咽したら、先生(主治医)に報告するからね!」

じじ「はーい。(←全然分かってない)ふふふふん、ふふーん♬(←鼻歌・ご満悦)」

お肉大好きなじいちゃん。よほど気に入ったらしい、しゃぶしゃぶの食べ放題に、たいそうご満悦でした。しゃぶしゃぶ店の店員さんに、ご迷惑をおかけしないことを、娘として心から祈ります。




マンツーマンセミナー

熊本県、鹿児島県から受講されたお二人も、無事にマンツーマンセミナーを終えられ、お帰りになりました。

納棺や復元の現場は、一つの流れの中に存在しており、ご遺族の人生の節目であり、故人の人生の最期でもあるため、技術はもちろんのこと、その状況や環境により、様々なコーディネートも求められます。マンツーマンセミナーの中では、そのような内容も組み込みながら、進めて行きます。

その時に対応出来る様々なことを知り現場に挑んでも、現場は生きているので、「思い通りに行かなくて当然」という覚悟が必要です。どのくらい臨機応変に対応し、ご遺族の気持ちに寄り添えることが出来るのか、現場には課題がたくさんあります。

中途半端な気持ちで挑めば、中途半端な結果しか出ません。そのくらい現場は、厳しいものです。けれど、プロとしての役割をしっかり果たすことが出来れば、ご遺族に安心が提供出来るのかもしれません。それを、探していくのが現場です。

マンツーマンセミナーは、とにかく特訓が続く時間ではありますが、現場に発生する様々なことに対応出来るように、こんなこと、あんなことも伝えていきます。

マンツーマンセミナー、感心したりうなったり、色々なことを習得され、最後まで本当に頑張られたと思います。お疲れ様でした。

お二人がお帰りになられてから私は、現場に走っていました。現場ではご遺族も知りたいことがたくさんあるので、質問も多く出ます。一つずつお答えして、少しずつ安心される姿を確認します。色んなお話しをして、ご遺族のお話しが弾むことも多くあります。あれもこれも知りたい姿は、今の一歩を踏み出した証拠ですから。故人が生きていた時の姿が背中を押してくれた、とてもステキなことだと思います。

マンツーマンセミナーのお問い合わせを、現在大変多くいただいています。順にお答えさせていただいておりますので、お返事が届くまでお待ち下さい。3日経過してもお返事が届かないときはお手数ですが、弊社に電話にてご確認をお願い致します。

2016年8月24日

マンツーマンセミナー

鹿児島県から、ようこそお越しくださいました。昨日から、二泊三日のマンツーマンセミナーです。到着予定の日は、台風の影響で飛行機が飛ばず、翌日の到着となりました。

マンツーマンで一つずつの項目を進めて、ポイントをおさえながら、状況や環境に対応するためのコーディネート法も得ていただきながら、着々と技術を習得されています。現場に戻り、即実践できる技術をお持ち帰りいただきます。

納棺業は、納棺だけ覚えれば良いと思われがちですが、実はそうでもないのが、現代の課題です。滞りなく、ご遺族の心情に添い、大切な時間を進めるために、行わなければならないこと、説明法含めての、特にコーディネート力も必要になってきました。

様々な課題もお持ちになって来られていますので、一つ一つを解決しながら、最終日まで、頑張りましょう!( ´ ▽ ` )ノ

2016年8月22日

クラーク博士

クラーク博士は、札幌で生まれ育った私には、とても親しみのある存在です。

特に小学校や中学校の授業の中で、先生から教えられることの中に、クラーク博士の名前と功績は、よく話題に出ていました。

小学校では、クラーク博士の銅像がある羊ヶ丘展望台に社会見学の中で行き、「この人が、クラーク博士だよ。」と、教えられたものでした。

北海道大学の前身、札幌農学校時代の教頭先生。世界的に常に戦争が行われていた中での教育だったそうで、マサチューセッツ農科大学の学長をしながらの、札幌農学校との関わりだったと聞きました。

クラーク博士は、戦争に出陣したことがありました。優秀だったため、短期間であっという間に大佐になり、クラーク博士を慕っていた生徒たちが、軍事を全く知らない中で、多く先生を慕う気持ちだけで、次々と戦争の犠牲になったのだそうです。クラーク博士は、それをとても深い悲しみとして抱えていました。

教育の場に立ち続けながら、その悲嘆を抱えていたそうです。流されることなく、きちんとした意志を持ち、自分の中に大きな志を持って欲しい。戦争で犠牲になった生徒たち一人一人を胸に、それでも戦争の続く世の中の流れの中で、クラーク博士は苦しみ続けたそうです。

人は何としても食べて行かなければならないと、一人一人が生き抜くために、国を越えて「農業」の哲学と実践を生徒たちに教え、悲嘆と向き合う自分の姿を無言で見せ、どんな苦難が向かって来ようと誠実に対応し、決して弱音を吐くことなく、生徒たちの教育に尽力したのだそうです。

クラーク博士が札幌農学校を離れ、国に帰るときに、お別れしなければならない生徒たちに残した言葉が、

「少年よ、大志を抱け」

だったそうです。学校の先生方が教えてくれたのは、「年を取っても、大志を抱き続けたクラーク博士の姿」、だったのだと聞かされました。

小さな頃から聞かされた、クラーク博士の存在。私にとっては、身内のような、おじいちゃんのような、そんな存在です。

先日、幼馴染からこんなメールが届きました。「久しぶりに、クラーク博士の銅像の所に来たよ。・・・なんか、お墓参りに来たような気持ちです。」一緒にクラーク博士のことを聞いて育った幼馴染だから、なんとなくその意味が、分かる気がしました。(笑)

札幌時計台はクラーク博士が建てたもので、現在もクラーク博士の資料が展示され、紹介されています。

2016年8月21日

少年よ大志を抱け

20日より、マンツーマンセミナー。熊本県から、ようこそお越しくださいました。Sさんは今回で、3回目の受講になります。期間中、お持ちいただいた課題を中心に、しっかり頑張りましょうね!

熊本県は40℃近い猛暑日が続き、夏の暑さが今までとは違う感じになって来ているようですと、話されていました。そう、ここ数年の夏は、何かが違う・・・。専門職としては、安置時の火葬までのご遺体の管理や保全も、気候の変化に伴い、少しずつ更新しなければならない程です。

ここの所、様々な人生、お一人お一人のお別れのお手伝いをさせていただいていて、現場がずっと立て込んでおりました。弊社に新人さんたちも入社し、研修も続けております。

出来ない理由を探して、それを正当化して逃げるような納棺は、して欲しくない。

人の人生を一時、お預かりしている意識を高めて欲しい。

今は、今しかない。だから、精一杯人の心に向き合って欲しい。等々。

ご遺族から多く希望が出る参加型納棺ですから、現場で一つ一つの要望に応えるべく、技術を身に付けるための厳しい特訓を積み重ねている、新人研修です。

「少年よ、大志を抱け」

クラーク博士という人が若者たちに伝えた言葉、「大きな志を持って、世に出なさい」という意味の有名な言葉ですが、小さい頃から聞いていたにも関わらず、私はこの年になって、やっとその意味がわかった気がします。(それに気付いた今は、もう若者ではなくなっていた・・・。)若者たちが必死で学ぶ姿に、老婆心が掻き立てられる毎日を過ごしておりました。

さて、マンツーマンセミナーのお問い合わせを現在、全国各地から非常に多くいただいています。お問い合わせをいただいた順番に、お返事をさせていただいています。お返事が届くまで、もう少々お待ちくださいませ。

2016年8月18日

見返りじいちゃん

時々プログで紹介する、84歳、我が家のじいちゃん。これがまた、何だかよく分かりませんが大変な人気です。リクエストも多いので、最近のじいちゃんを少しご紹介しましょう。

見返り美人の絵を、ご存知でしょうか。調べるとネットでも、出てくるのですが。「見返り美人」ね。

我が家のじいちゃん、見返りました。

「あ、そうだ。」

じいちゃんが見返り、言いました。顔が見えるか、見えないかくらいの振り向き方です。

「何?」と私が聞くと、

「おまえよぉ、」そう一言。しばらくして、言葉が続きます。

「老眼、どうなった?(ニヤッとしたのがチラリと見える。歳を取っていく感の、私の発言が最近はお気に入り。例えば、「おばさん」と呼ばれてムッとしたり落ち込む私を見て、手を叩いて喜ぶなどなど。)」

私「どうって、別に・・・。」

じじ「いつも行ってるメガネ屋さんによ、言っておいたから!(満面の笑みが、チラリと見える。すごい、良いことした感が伝わってくる)

私「何を言ったの?(一体、何を⁉︎)」

じじ「娘が老眼になって、メガネ買いに来るからよろしく!ってよ、言ってきた!(でかした感じでしょ〜!的な雰囲気が伝わってくる)」

私「・・・、(いや、そんなこと頼んでないけどね。しかも、まだそこまでは進んでないけどね、)あぁ、ありがとう。」

見返り美人姿のじいちゃん、右手を上げる。

「じゃ!」

最近少し曲がってきた、哀愁漂う、じいちゃんの背中・・・。いつも通りの小さな歩幅で、自分の部屋に帰って行きました・・・。(歩幅は小さいけど、あなどるなかれ!これがまた、けっこうスピード速い!)

お疲れさま・・・、そしてfight・・・、私。

以上、最近のじいちゃん「見返りじいちゃん」のお話しでした。

2016年8月17日

いのち新聞、お盆の送り火

昨日の16日は、送り火をしました。地域により、15日の所と16日に行われる所がありますが、私たちもどっちにしようか話し合いながら、結果16日の18時半頃から行いました。

実際のところ、普段以上に復元・納棺現場も非常に多かったお盆期間中。

「ご先祖様が帰って来ている時だから、一人じゃないよね。」

と故人に言葉を掛け、頬に、手に触れるご家族の姿が現場にはあります。だからこそ、死に直接触れさせていただく毎日の中で、送り火と迎え火が「実行出来たこと」に、また深く色々感じさせてもらえた時間でもありました。

送り火の火が燃え尽きるのを、集まれたみんなでじっと見ながら、これまでの色んなお話しをしていました。

悲しみを昇華するための、風習。迎え火と送り火ですが、目的に向かって実行するまでの作業の過程と、その過程を経ての結果。どちらが欠けても、今の気持ちには到底辿り着けないものだということを、学びました。

記憶を語り合い、想い出して、整理して、振り分ける作業が準備。
そして、想い出と共に生きる覚悟が、目的(この場合は、迎え火と送り火)。

昔の人の知恵に、感謝する時間でした。通りすがりの人や、近所の人たちに教えてもらった、プラスαのそれぞれの家庭の迎え火と送り火。色んなことを教えてもらったので、みんなで来年は、浴衣を着て、花火をして、手を合わせ、迎えて送ろうと、話し合いました。

あちらこちらで、盆踊りの音楽が聞こえてきたお盆期間中。生きてる人の気持ちと、死を迎えた人の存在と、共有出来る時間があること。ホッとする風習に寄り添ってもらい、生かしてもらっていることを感じた、お盆でした。

追記、
迎え火の時は4カ所、送り火の時は3カ所、計7カ所。私が、蚊に刺された数です。来年は、虫に刺されない対策を取りたいと、あちこち掻きながら強く思いました。

2016年8月14日

いのち新聞、お盆の迎え火

昨日の8月13日は、「いのち新聞」のメンバーの集まれる人で、お盆の迎え火をしました。

内陸の松明(たいまつ)と、沿岸の松明(松明)を同時に焚き、迎え火を行いました。沿岸の松明が、内陸の松明より先にメラメラとあっという間に燃えてしまうというハプニングに見舞われながら、最後は幼稚園〜高校生の4人の子どもたちが協力しながら、大人たちが見守る中で、松明を最後まで責任を持って焚く、そんな時間もありました。

来たくても来れないメンバーも居たので、その人たちと気持ちを一つにしながら、4時から準備。準備という作業の中で、それぞれの気持ちの中にある、悲しみや亡き人に向けた思い、経験を話し合って整理しながら昇華に向けて・・・、その気持ちのエネルギーを、亡き人を迎えるための気持ちに変えていきます。

東日本大震災のこと、地域の中にある課題の中で、超高齢化社会の中に発生している様々なこと、子どもたちの世界の中のこと、見付からない家族に対しての気持ち、今でも月命日の11日に捜索を続けてくれている警察の皆さんへの感謝の気持ち、大切な家族を亡くした人たちとのこれまでの多くの出会い、話し合うことでお互いに知らなかったことを知り、涙したり、感動したり、心が温かくなる笑いが起きたりの時間を過ごしました。

日本の伝統文化の中に身を置くと、今まではやらなければならないこととして、子どもの頃から大人の姿を見て、身を持って経験してきたことだったお盆の迎え火・送り火、お墓まいりだったこと。

家族や大切な人を亡くした経験を積み重ねた今は、その伝統文化の中の行事に、気持ちが支えられていることを知ります。亡くした人たちのことを遠慮なく語れる場、その空間、限られたお盆という期間の中で、また普通の生活に戻るために、自分の中の弱さを出しても良い、それぞれの悲しみをじっくり過ごして良い、限られた時間。そうやって、気持ちのバランスを取り、生きていく知恵を昔の人は遺してくれたんだなぁと、改めて感じてみんなで話し合いました。

次回の新聞は、お彼岸に完成する予定です。弊社のホームページのトップページで、引き続きご紹介致します。「いのち新聞」は、国立国会図書館から、毎回提出依頼をいただいており、国の財産の一つとして管理いただいているそうです。

迎え火の日に向けて、多くのご遺族・被災者の皆さま、地域の皆さまから、差し入れをいただきました。迎え火のお供え物として、みんなで有り難く使わせていただきました。この場を借りて、心より御礼申し上げます。

追記
迎え火のみで終わろうとしていた、いのち新聞の集まりの昨日。送り火もしないといけないという話しになりました。迎えても、送りたくない私の気持ち。みんなに諭されて、いやいや、送られないと困る人も居るだろうからと、15日の夕方から送り火も行うことになりました。



2016年8月8日

お盆の準備中

お盆も近くなり、弊社でもお盆の準備が進んでいます。桜の場合、お客さんは生きている人ばかりではないので、ご縁をいただいたり、お見送りさせていただいた皆さんが、お盆期間中にお寄りいただいたときの、おもてなしの準備中です。

12日に、事務所玄関にオリジナル提灯(ちょうちん)の取り付けを行う予定です。現在、弊社職員一同で、現場の合間に一生懸命、準備してくれています。

13日には、事務所前で迎え火を焚きます。いのち新聞のメンバーも集まり、沿岸用の松明(たいまつ)と、内陸用の松明を焚きます。

お盆の最終日には、地元北上川で毎年行われる盆送り行事の、灯籠流しで手を合わせて。

今年は私も、じっちゃんを春に亡くしていましたので、大好きだったお酒を準備して、じっちゃんを待ちたいと思います。小さな頃に花巻のじっちゃんの山の中で夢中で遊んでいたら迷子になって、心細くなって泣き出したら、「帰るぞ〜」と声がして振り返ると、じっちゃんが立っていた。

じっちゃんは、いつも黙って見守ってくれていた、そんな幼少期を想い出しながら、会いたいな、でも会えないんだなと、じっちゃんを想い出してはポロポロ出る自分の涙の意味を知りながら、それでもやっぱり死を迎えても、おじいちゃんと孫という関係性は変わってないんだなと、感じました。

昇華しきれない、自分の悲しみの存在があることを知りました。だからお盆やお彼岸が、故人をゆっくり偲べる時間として、むかしから日本では大切にされてきたことをまた意識すると、これもまた、昔の人の知恵と優しさ、そして思いやり。死を迎えても尚、じっちゃんにまた、教えてもらったなと、一本取られたなと思いました。

お盆にも、ご先祖様のお参りを欠かさなかった、じっちゃん。今年から、お参りされる側になり、新盆を迎えます。

「じっちゃん〜〜!待ってるからね〜!」

そんな気持ちで、じっちゃんを待ちます。みんなの所へ行かないといけないじっちゃん、たいそう忙しいだろうなと思いつつ。みんなにお酒を振舞われて、酔っ払い過ぎませんようにと、心配しながら。(笑)

皆さんも、お盆の準備などで忙しいと存じますが、暑さも続く毎日です。体調にお気を付けて、お過ごしくださいませ。

2016年8月6日

手話朗読会

「おもかげ復元師の震災絵日記」手話朗読が、東京と福島県の会場で、今年も開催されるとのご報告をいただきました。毎年、著作物の利用許可を申請していただいています。

県や市町村の企画で伺う講演には多く、手話通訳が入ることが多くあります。通訳が入られる場合には、ステージの袖で講演前に、通訳の皆さんと打ち合わせを必ずします。そのようなご縁から、ろうあ(聾唖)者の皆さんに、どのように伝えたら伝わりやすいかを、相談させていただいてから、演題に立つこともあります。

一つの講演には普段から、縁の下の力持ちの方が沢山居られてチームで講演を作り上げてくれます。皆さんの気持ちをいっぱいお預かりして、全力でお話しをさせていただきます。

そのようなご縁をいただきながら、一つの講演が終了する度に、次のご縁に又、多くお声掛けいただきます。

震災絵日記の手話朗読は、そのようなご縁からつながり、続いています。お時間がありましたら是非、会場に足をお運びいただければと思います。収益金は毎年、手話朗読の会場・開催の経費と、福島復興支援に使われます。

2016年8月5日

九州にて3日連続セミナー

全農九州さんからご指名をいただいて、今年で三年目になります、JA葬祭担当者納棺・遺体研修会のため、鹿児島県は8月2日、3日の連日2日開催で、35℃を超える猛暑の中、桜島がすぐ近くに見える会場に於いて、セミナーを行いました。

鹿児島県の奄美大島や種子島などの各島からも、船に乗り多くのJA葬祭担当者さんにご参加いただきました。

日本ならではのそれぞれの地域に伝わる、風習やしきたりの中で執り行われるお別れの時間。

昔から鹿児島県の葬儀の中では、地域により出棺の時に棺の中に「酒をまく」お清めの儀式があるそうで、理にかなっていますよねという話になりました。

昔の納棺を担当したのは、お酒に酔った男性の役割でした。現代と異なり、保冷剤の無い昔は、腐敗が速く進んでいました。緑や黒に変色し、膨張した遺体の管理としてお酒を使い、感染管理をしていたと、お年寄りからよく聞きます。

大切なのは、そこに遺された人たちの送り出す気持ちを込めて、生前に活躍した実績を讃え、故人の尊厳を守り、神仏の元へ向かうための礼儀として「お清め」と呼び、現代もその風習やしきたりとして、大切にされ残っている地域がまだまだあります。

女性は育児や料理をするので、感染源を連鎖させないように直接遺体には触れず、故人の着るものをみんなで縫いながら、死生観を子どもたちに話して聞かせるという役割がありました。

現代は遺体の保冷管理が出来ること、様々な薬品や処置法があることで、遺体の管理は昔から見ると随分進化しています。でも、日本人の昔からの故人を思う気持ちや、死への関わり方の大切さなどの風習やしきたりを今に遺し、故人への気持ちの込め方が、今もお別れの時間には伝承されています。

セミナー中にスコールや、雷が鳴り響き、東北に住む私は驚いたりしていましたが、鹿児島県で生まれ育った皆さんにとっては、「スコールは、季節物!」と、暑さやスコールとの関わり方は知っているけれど、九州には存在しない冬の寒さや、雪との関わり方は、やっぱり分からないので混乱するものですよ。と、お話ししました。

2日間の鹿児島県でのセミナーを終え、2日目の講習終了後に福岡県へ移動。翌日4日は、福岡県・長崎県合同JA葬祭担当者、納棺遺体研修会として、10時〜16時(その後質疑応答)。

鹿児島県と福岡県での3日連続セミナーを終えて、足腰が痛くなっている自分の体に気が付き、「アイタタタ、体力を付けなくちゃなぁ〜。」と独り言をつぶやいている、今日この頃でした。

岩泉町にて講演

7月29日、岩手県の県北に位置し、日本三大鍾乳洞の一つである龍泉洞のある岩泉町。当日は、37℃の猛暑でした。ご縁をいただいて、社会福祉法人 恩賜財団 済生会支部 岩手県済生会、特別養護老人ホーム 百楽苑を会場とし、地域の医療・介護職の皆様に向けて、90分のお話しをさせていただきました。

会場内でも皆さんと、cure(キュア・治療)とcare(ケア・援助、自立支援など意味は広い)の話になりましたが、皆さんのそのバランスの良さが、そして人のモチベーションを上げることで、コーディネートがとても上手な方々が多かった印象がありました。

超高齢化社会に入ったと言われている現在。我が家のじいちゃんに言わせれば、「超高齢化社会に入ったんだってよ〜!」と、自分は(超)高齢者ではないようなニュアンス(笑)でも、何かお願いしても、やりたくないときは「年寄りだから、ムリ!」とか言う(笑)家のことをバリバリ手伝ってくれる、ちょっと気ままで可愛い、我が家の戦力、お刺身が大好きな84歳のじじとのやり取りや、母の介護の話しを含めて、現場から色々とお話しをさせていただきました。

地元ならではのコミニュティや、関わりを色々教えていただきました。高齢者も町の戦力として要領良くバリバリ働いていて、コンビニのレジもバリバリ使いこなす姿に、アナログな私は機械が苦手なので、圧倒されたりして、カッコイイ高齢者がたくさん居られた岩泉町。深くてステキな時間を皆さまと一緒に過ごさせていただきました。

古きものを守り、新しいものを取り入れる「不易流行」地域とは、そこに且つ、地域流を育む力を持っているのだと思いました。

日程が立て込んでいることで、日にちの調整もいただいて、ご迷惑をお掛けした部分もありましたが、色々なアイデアと楽しく人と関わるパワーをお持ちの皆さんとお話が出来て、とてもステキな時間でした。お世話になりました。ありがとうございました。また、お会い出来ることを楽しみに致しております。