2016年4月25日

日総研さん、仙台セミナー

23日は、「看護・介護職が行うエンゼルケアと死化粧」仙台セミナーでした。

青森県、岩手県、秋田県、宮城県、福島県、山形県から、医療・介護職の皆さまが会場にお越しくださいました。

「死」の現場から、「生きる」ことの様々なことを学ばせていただいている時間の中から、セミナーを受講してくださった医療・介護職の皆さまに向けて、必要と思える情報を選び、お伝え致しました。

私は現役で現場に走っていますが、当然、復元納棺師と言っても全ての人が知っていて、好かれている訳でもありません。もちろん到着の時点から、色んな不安な要素を相談されることもあり、待っていてくださる方も多く居られますが、「来るなー!帰れー!」と叫ばれることからのスタートもあります。死が現実になってしまうから、自分の家族を納棺する人なんて、大嫌いで当然だと思いますし、でも共有の時間を過ごさせていただく中で、最後には心がつながることが出来るので、「帰れー!」の最初にお会いした時の言葉は、全然気にしません。

大切なのは、その言葉を発しなければならない、その心の奥底にある気持ちと行動。こちらがきちんと、それを理解しているか、気持ちに添って動くことが出来ているのかということだけ。

人には、それぞれの表現の方法があるので、それで宜しいと思います。悲しみ方や、その思いの持ち方をどのようにしたら良いのかと、ご遺族から聞かれる度に、一緒に考えて持っている情報をお伝えし、これまで一つ一つの悲しみと丁寧に向き合ってきました。

セミナー中に、皆さんと色々な現場の課題を考え、進めさせていただきたながら、想い出した現場がありました。

「うちのおじいちゃん、バリケードが得意だったんです。」とお孫さんが教えてくれて、(バリケード?日曜大工?)と悩んだ現場がありました。

孫「こうやって、カーンて、コンコンコンって、上手いこと穴に落ちるんですよね。」
私「・・・、んー?・・・!それ、もしかしたらビリヤード?」
孫「あー!それそれ!ビリヤード!ビリヤーーード!(笑)」

号泣していたお孫さんたちが、笑顔に変わる瞬間には、「おじいちゃんが、良い顔で生きていたとき」を想い出して、心の中に想い出と一緒に居てくれることを確認出来たとき。

そんな様々な体験談を踏まえて、現場からお伝え出来ることを、いただいた時間の限り、お伝えしました。

セミナーの中でお伝えした情報が皆さまの現場で一つでも多くお役に立てますように、皆さまのことを支えてくれますように、皆さまの益々のご活躍を、心からお祈り申し上げます。お疲れ様でした。

全国6ヶ所を回らせていただく、今回の演題のセミナーです。来月は、名古屋の会場に伺います。

2016年4月21日

子ども夢ハウスおおつち

子ども夢ハウスおおつちの管理人である、吉山くん。実は、熊本県の出身です。熊本県から東日本大震災で被災した子どもたちの支援のため、住所を岩手県大槌町に移し、3年目を迎えた夢ハウスの管理人として、立ち上げとオープンからずっと頑張ってくれていました。

熊本県で地震が発生し、3日目のことでした。夢ハウスの代表である、藤原先生がお手配くださったルートで、夢ハウスの母体である、山口県夢のみずうみ村の皆さまの援助で、現在熊本県に何とか無事に到着し、帰っています。

熊本県で地震が発生して、3日目。夜の新幹線で、東京へ。翌日、飛行機で山口県へ。山口県で空港を降りると、夢のみずうみ村の大きな車がたくさんの物資を積んで、吉山君を待っていてくれました。

熊本空港は地震による影響で、閉鎖。新幹線のルートも全線運休。高速道路も、地震により道路が崩落、寸断されており通行止めの状況でした。到着の連絡を、ただ祈ることしか出来なくて、待っていました。山口県を出発しますと言う連絡をもらってから、28時間後に到着の連絡が来ました。安堵したのもつかの間、吉山くんの家も全壊であるという連絡をもらいました。

一昨日は、みんなと話し合うために岩手県大槌町にある、吉山くんが守り育てた夢ハウスへ向かいました。藤原代表に、報告をするため、みんなから今の気持ちを聞き取りました。

夢ハウスでは、引越し前にお世話になった安渡地区の皆さんや町内から多くの皆さんが、吉山くんを心配して訪ねて来てくださいました。

夢ハウスの職員である横澤さん、和子さん、そして子どもたちの保護者の皆さんが、吉山くんの緊急事態に協力体制で、現在、夢ハウスを守ってくれています。

小さな子どもたちは、吉山くんの声が聞きたくて、「これ、電話して聞いてみよう!」など、何とか吉山くんと話しをしたくて、知恵を絞って頑張っていました。小さな子どもたちは、彼らなりの、吉山くんへの思いを表現していました。

みんなで話し合った結果、今、吉山くんが思うように集中して、熊本県で動いて過ごしてもらえるように、夢ハウスではいつも通りの子どもたちの笑顔を守り、ケンカをしたり、やりたくない宿題を頑張ってしたり、普段の夢ハウスを守ることのために、職員と保護者の皆さん、地域の皆さんが団結してくれていました。

月末には、藤原代表が夢ハウスに帰って来ます。それまで、みんなで話し合い、色々まとめて相談するとの結論になりました。

夢ハウスを訪ねて下さる皆さんから、「本当に少ししか出来ないけど」と、声を掛けていただいて、募金や支援の希望が出ていました。今後は、藤原代表の采配で夢ハウスでも、吉山くんが動けるように、そして彼はきっと支援が必要な人を見付けるでしょうから、地域や様々な方と連携しながらつなげ、彼が必要だと判断したときには、募金や支援物資募集の形が設けられると思います。現在、子ども夢ハウスでは、募金箱を子どもたちが手作りで作っています。それを預かって北上市内でも、設置したいと考えています。また改めて、この場をお借りしてお願いさせていただくと思います。

《吉山くんを心配してくださった、沢山の皆さまへ。》
現在、吉山くんは熊本県内で、車中泊をしながら、奔走中です。引き続き、彼が現地で今、見ていることに集中出来るように、見守っていただければと思います。熊本県では、彼の師匠であるN先生を始め、生まれ育った熊本県内には多くの仲間が居ます。そして、藤原代表が直接吉山くんを支えてくれています。夢ハウスの関係者の皆さま、夢ハウスをご支援いただいている全国の皆さまに守られています。大変多くの方に心を寄せていただきました。ご心配いただき、ありがとうございます。今後とも、あたたかく見守っていただければと思います。よろしくお願い申し上げます。

「そういうことしたら、吉山さんに怒られるんだぞ〜!」夢ハウスで飛び交う言葉の中に、不在であるはずの吉山くんが、子どもたちの中に、ちゃんと存在しています。無事に帰って来て、夢ハウスで又、吉山くんの声が聞けることを願いながら、私も見守っていきたいと思います。

お見舞い申し上げます

熊本県を中心とする地震で被災された皆さまに、お見舞い申し上げます。そして、被災して亡くなられた皆さまのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。

《大分パネル展》
昨年から会場を移動していただきながら、大分県で開催いただいていた「震災絵日記パネル展」は、中止とさせていただいています。パネルは、壊れてかまいません。気にしないでください。人命と、皆さんお一人お一人の今の生活に、どうか重きを置いていただければと思います。皆さまのご無事を、生活の基盤作りの道が開かれますことを、心よりお祈り申し上げております。

《セミナーでご縁をいただいた皆さま》
マンツーマンセミナー、医療セミナー、葬祭関係者セミナー等でご縁をいただいた皆さまのご無事を、少し時間が掛かりましたが確認させていただきました。熊本県を中心に、ほとんどの方が家が全壊、半壊、もう住めない状況の中、地元の皆さんを支えるため、奔走されています。生活は車中泊だけど、何とか仕事を再開したいと、動き出されています。再開に当たり、現在必要な物がありましたら、お知らせいただいています。

余震も、まだまだ続いている状況です。ご連絡をいただいている中でのお話しとして、一度熊本県を離れて避難し、いつか落ち着いたら戻り、復興したいと胸中を教えてくださる方々。

熊本県に残り、地元の皆さんを支え、刻々と変わる情報を収集しながら動かれている方々。まだまだ余震が続く中、目の前で建物が壊れていく瞬間を目の当たりにしながら、人命を支えるため、車中泊をしながら活動されている皆さん。

東日本大震災の時もそうでしたが、状況は刻々と変わります。その場にいる方でないと分からないことも多いかと思います。

現地の情報をよく理解して、支援する側も考えなければ、ただ現地にストレスを掛けるだけになることが多くあります。私も、東日本大震災のときには、嬉しい支援と対応に困った支援がありました。現地と情報をすり合わせ、今、必要な支援と、刻々と変わる状況に合わせた支援を、私自身も肝に銘じて心掛けて行きたいと思っています。

2016年4月13日

CITIZENグループ新入社員研修会

2011年度のシチズンオブザイヤーで賞をいただいたご縁で、今回の新入社員研修会の中での一コマを、東京の会場で200名弱の皆さんに向けて、担当、お話をしをさせていただきました。CITIZENグループとしては社員研修会の中で受賞者から話を聞くと言う試みは、今回が初めてとのことでした。

講演の中では、新入社員の皆さんに老婆心ながら3つのお話の中の1つとして「壁に当たるとき」のお話しもさせていただきました。

「自分のことを振り返り感じることは、後悔がいつも背中を押してくれていた。と言うことでした。

東日本大震災の時も、普段の現場もそうだけれど、何かに挑もうとした時ほど、壁の前に立っている気がします。出来ないことを見付けてしまえば、大きな悲しみが自分を襲い潰れそうになります。けれど、その状況下の中でも苦しみの中から出来ることを1つでも見付けて、やってみなければ分からないじゃないかと自分を戒め、自分で自分の背中を押して進んでみることで、さっきまで出来ないと思っていたことに対して、違う視点から考えられるようになったり、諦めていたことだったのに、色んな道を見つけることが出来たりするものかもしれません。そしてその時に初めて、大切なことと、守りたいことに出会っています。そのために、日々の努力が必要なのだと思います。

悔しいと思う後悔は、きっと自分と向き合った証拠だったり、逃げたい、目を背けたいことに対して「見た」結果なのだと思います。向き合ったきっかけがあったときには、そこには何かしらのご縁が発生していたはず。何かに心動かされた現実があり、そういう自分が居たはず。

方向を間違えば、誰かのせいにしたり、妬みや恨みに変わりやすい。それも後悔の特徴。だから、自分に厳しく判断できる人になりたいと、私はいつも思っています。

私の場合は亡くなられた方に向かう気持ちの中に、どのように死を迎えたのかは誰もが通る道だけれど、その先にある「どう生きたのか」を見てもらえる何かしらのお手伝いが出来たらと、縁の下の力持ちに、影として徹していく、そんな気持ちなのかもしれません。

壁の前に居ると感じたとき、一回りも二回りも成長出来ている自分がその先に居るのかもしれないと、思います。例えばそうなれたとした時、必ず誰かの力が働いているはずだから、そういうときに、感謝を忘れないこと。

そして、誰かの人生の歴史の中に、時を刻みながら自分もそこに居させてもらえることを意識しています。」

皆さんが身を乗り出して聞き入ってくれたこと、大切な誰かを心に想い、聞いてくれていることも、私にはよく見えていました。

私観ではあるけれど、学生の時は、順位や勝ち負けで生きていたかもしれない。それは、大人へのステップの1つで、社会に出ればミッションを達成しなければならなくなります。勝ち負けの結果に向かって歩んだプロセスが、ミッションを達成するための自分への戒めに必要になると思います。その自分に向き合ったプロセスが、きっと責任感と言う財産になっていると思います。

講演を終えて会場を後にしようとしたとき、
「悲しみの中に想い出があるから、悲しいんだよね。失恋したときと、一緒なんだね!」と同僚と感想を語り合う会話が聞こえてきました。何があった⁉︎のか、少し心配になりつつも、きちんと感じ取ってもらえたことに嬉しく感じました。

私のお話しした内容は「悲しみ」と「嘆き」についてです。悲嘆は、死に関わることに対してだけ起こることではなく、普段の生活の中にもたくさんの悲嘆が存在しています。

大切な物を壊したとき。大切な人とのお別れ。大切な物を無くしたとき。それから、聞こえてきた会話の中にあった失恋もそう。生活の中にある悲嘆と、普段からどう向き合い、関わっているかは、とても大切な積み重ねになると思います。皆さんのご活躍を、お祈り申し上げます。

話しは変わって、講演の前に見学をさせていただいたミュージアムで、職人さん方が使っている道具に魅了されてしまいました。職人さん一人一人が、手作りでヤスリをかけたりして工具の1つ1つを自分流に仕上げて、技術に変えていく。㎜、microの世界の技術、聞いたことのない単位や、見たことのない技術に、とても刺激を受けました。自分の技術を振り返り、展示されている道具の前で考え込む時間がありました。「上には上がいるんだなぁ」有難いことに業種は違っても、普段のご縁の中でそれはいつも感じることです。

CITIZEN幹部の皆さまに、今回も大変お世話になりました。ありがとうございました。




2011年度のシチズンオブザイヤーの授賞式の日、3分間のスピーチだったはずなのに、壇上に上がり、マイクの前に立ったとき、様々な記憶が想い出されていました。東日本大震災でご縁をいただいた皆さんのこと。安置所の中で一生懸命ご遺体に関わり、守ってくれた警察の皆さんのこと。捜索してくださった皆さんのこと。亡くなられたたくさんの人たちのこと。被災者ご遺族の皆さんのこと。皆さんとの記憶が、今の自分を支えてくれていること。止めようと思えば思うほど、涙が止まりませんでした。そして、声を発することも出来ないままなんと、3分以上経過してしまっていました。

死の世界に光を当ててもらえたことに対して、亡くなられたたくさんの人たちの人生に、光を当ててもらえたことに、壇上で感謝をしていました。

結局、10分以上になってしまったスピーチのため、祝賀会のその後のスケジュールが詰まってしまい、大変ご迷惑をおかけしてしまいました。そんな想い出のある、授賞式でした。その時にいただいた時計(citizenエクシード)をずっと今でも、授賞式から付けさせていただいています。

決められたスピーチの時間は、やっぱり守った方が良いと学んだ授賞式でした(>_<)ありがとうございました。

2016年4月9日

いのちの授業について

今期、来期の予定の「いのちの授業」のお申し込みを、現在多くいただいています。

11月中旬の秋〜3月頃の春に掛けての時期は、本業である復元と納棺の現場に集中させていただいています。ご了承くださいませ。マンツーマンセミナー、定期的なセミナーについてはお受けすることもありますが、出張講演・いのちの授業等は、3月中旬〜11月中旬までの日程の中でお願い出来れば助かります。

弊社ホームページの私のスケジュールも、マンツーマンセミナー、講演等のお申し込みが続いている時には、更新が間に合わないこともあります。メール又はFAXで、日程をご相談・ご確認ください。

いのちの授業のお申し込みが一番多いのは中学校、その次に高校、看護学校、大学、小学校と県内外のお申し込みの多い順になります。

いのちの授業が終了してから、校長室でお話がしたいと尋ねてきてくれる学生さん方々、玄関で待っていてくれる学生さん方々、部室に呼ばれてみんなとお話しの続きを行うこともあります。

いのちの授業に伺う時には、終了後に話し掛けてくれる学生さんが多いことが分かりましたので、みんなと話せるように出来るだけ、時間に余裕を持って伺っています。生活の中にある、色んなことをみんなと話し合う場をいただけるのも、学校の先生方々がつないでくれたご縁です。当たり前に起こる今ではなくて、必ずつないでくれる誰かがいることを意識してみましょうね。(説教くさくてごめんね)

皆さんからの質問がもしあれば、当日でも、前もってでも、個人的にお話ししたいことでも、遠慮なく声を掛けてくださいね。話し掛ける勇気がなかなか出ない時には、学校の先生に相談してからでも、大丈夫です。そういう子もたくさんいますので。一緒に考えていこうね。少しでも、皆さんのお役に立てると嬉しいです。皆さんとお会い出来ること、楽しみに致しております。

お肌がキレイ!!

故人のお顔に触れた時、「あ、お肌がキレイ」と思うことがよくあります。高齢の方に多いので、どうしてかなぁ〜?と思っていました。

教えていただくことの中に、キーワードが出てきます。「日本酒が好き」「焼酎が好き」「ワインが好き」と言う、お酒情報。なるほど、お酒がそうさせているのか?

次に、「化粧水にこだわっていた。」又は、「自分で化粧水を作っていた。」「乳液にこだわっていた。」時に、「エステに行っていた。稼ぎの全てをエステにつぎ込んでいたので(笑)当然といえば、当然。」なんて話も聞きます。

それから、「お水で顔を洗っていた」の情報が飛び出す方は、ダントツお肌がキレイで、何より張りもある。触りながら、(うらやましい・・・)と心の中でつぶやいたつもりが、声に出ていたらしく、「ですよね〜」とご遺族に言われて、目を合わせて笑ったこともありました。

「触りたくなる、いつもの感じ」

亡くなられた方の現在の死後変化から、自分で触れたい若しくは、気が付いたら触れていたという状態までの肌を仕上げるためには、その人に合わせた工程を進めなければなりません。どのくらい、手を掛けてもらっていたのか(その逆も)、実は死後の変化が教えてくれます。生きていたことを教えてくれる死後の変化は、何より強い味方だと、いつも思います。

「お肌が、とてもキレイですよね。」と、とてもキレイだだったのでいつも通り申し上げたら、

「あらぁ、本当だ!」

と、さっきまで大きな声で泣いていたご家族が近寄り、故人に触れました。

「プリプリしてる!」と、涙を拭きながら言った、若年代の男孫さん。

「いや、プルプルだから!」と、涙を流しながら突っ込みを入れる、若年代の女孫さん。そして、みんなで笑う。

「いつもなにで、お顔を洗ってたんだろうねね?」から、会話が弾みます。

「何だろうね」とみんなで話し合いが始まりました。そして、「本当は、洗ってないかもよ!(笑)」と皆さん笑顔に変わり話しながら、「何で洗ってたと思いますか?」と質問されたので、

「ご本人のお肌の感じだと、お水でお顔を洗っておられた可能性は、高いかもしれませんよ。」と、私。

故人といっしょに住んでいたご家族が、「そう、いつも水でしたよ!」と教えてくれた。

「だけど・・・」と話が続き、「実は、3日に一回しか洗ってなかった(笑)」と教えてくれました。

お水・・・は、今までもあった情報。3日に一回は、初めてです。確かに、以前皮膚科の先生とお話をしていたとき、「皮膚細胞の働きと交換を考えると、乾燥の時期は特に、お風呂は2日〜3日に一回がベストで、夏は匂いのある所は石けんを用いて洗い、それ以外はぬるま湯で汗を流してあげるくらいがちょうど良いわよね。肌にハリを持たすなら、冷水で仕上げる又は冷水で浸したタオルで皮膚を仕上げると良いわよ。」と話されていました。

生活の知恵から、実践していた方が居られたという現場のお話でした。

以前、大変修行の厳しい宗派の高名なお坊さんが言っていました。「髪を剃っている坊さんはね、水で頭を洗うと頭にシワが出来ず、ハリが出るんだよ。お湯で洗っている人は、シワが出来るんだよ。」の言葉に、驚いたことがありました。その時に居られた6人のお坊さんが、お湯を使っているのか、水を使っているのか、百発百中で当てていたことに、更に驚き。ちなみに、ほとんどのお坊さんが、お水で洗っておられました。

という情報を持っているのにもかかわらず、私は水で顔を洗う勇気のない、ちっぽけな自分と毎日、向き合っているのでした。(`_´)ゞ

お別れの現場からのお知らせです。

何でこんなことに・・・
何があったっていうの・・・
どうして・・・
さようなら・・・

という故人、ご遺族に向けた言葉は、禁句です。現場に居ると、その言葉にご遺族が深く心に傷付けられていることがあります。何故かと言うと、家族であるご遺族が、本当は一番そう思っていることがあるからです。同時に、これからその答えを探すための生活がスタートします。出来ることなら、

何かお手伝いが出来ることがあったら、声を掛けてくださいね等の、相手に負担を掛けない言葉が、誰かがそばに居てくれることの意味を持つことと、自分で判断出来ることで気持ちに負担を掛けない手段でもあるので、良いのかもしれません。

お顔あても取る時には注意してください。

「見ても良いですか」は遠慮した方が良い言葉です。故人は、見せ物ではありません。

弔問時には、ご家族にご挨拶をされると思いますが、心情に配慮しながら、ご家族がお顔あてを取るまで、待っていた方がベストです。ご家族から「会ってもらえませんか?」と言われてから、行動に移しましょう。

以上、現場からの声でした。

2016年4月4日

お顔あて

「お顔あて、どうしましょうか?」と、お手当ての後に伺うこともあります。昔から、亡くなられた方のお顔に白い布をあてて、お顔を覆う風習が日本にはあります。

多くの現場にご縁をいただいて、よく分かりましたが「白」は虫が寄り付きにくい色。冷却やお手当ての手段が無かった昔、お顔を布で覆うことで、虫が入りにくくする対処と、緑や黒になっていく変化を起こす死後変化を人の目に触れさせないようにする配慮としての、昔の人の知恵だと思います。

第二次世界大戦後には、アメリカの文化が日本に入ってきて、お別れの時間の中で送る側は黒い服、亡くなられた方は昔のままの白い装束であることも、意味深いものがあります。(一部地域では、古くから海外の文化を取り入れて黒の地域がありますが)法医学のDr.に現場のことをお伝えする機会があったとき、法医学では虫の知識も必要になるので、その話しになったことがありますが、すごく理にかなっている手段だという話にもなりました。

突然お別れをしなければならなくなった、最初は人の形を留めていない復元の現場では(現代社会の中には、そういうお別れもあります)、ほとんど戻った状態になってから、最終的にご家族に伺いながら個性を仕上げていくことも時々、あります。目の高さや、頬の高さ・・・。先日の現場で、こんなことがありました。復元後に対面をしていただいたとき、

「母の鼻が低いです。鼻の穴も大きい。」と言って泣かれる娘さん。

「そうですか?お直ししますね。」と言ったものの、お顔の作り的にこの高さと形・・・。違うのかな・・・、どうしようかと悩みながら、

「すみませんが、元々の高さと形を少し教えていただいても良いでしょうか?」と伺いました。

すると娘さん、「いや、今ので合ってます。間違っていません。生前のままです・・・。」と又、涙を流されます。どういうことかと悩みながら、

「お直しのご希望があれば、遠慮なく言ってくださいね。」と、意思を再度確認。

そして娘さん、「いえ、生前の姿に戻っています。ただ本人が、自分の鼻の穴が大きいと気にしていたので、何とかならないものかなぁと、思ったもんで・・・。鼻が低いことも気にしていました。」そして又、涙を流されます。

実は亡くなられた方の場合、時間の経過と共に脂肪分が重力に従って下へ落ちていきます。頬の脂肪分も落ちるので、時間が経てばどなたでも鼻は高く見えるようになります。と言うことは、現場で言うときと言わないときがありますが。

「ご希望であれば少し、ご希望に添いますか?」と伺うと、「はい!」と娘さん、元気いっぱい、泣いていた表情が一変、笑顔に変わりました。

頬の脂肪分をマッサージで丁寧に落とし、鼻の高さを少し高くして、対面をしていただきました。

「お母さ〜ん!!良かったねぇー!!!」

その方に戻した後、現場によってはご希望に添い、ご遺族立会いで仕上げに入ることがあります。現場の最初に写真を見せられ、ずいぶん難しいなぁと思いながら写真の通り仕上げたら、「実は・・・」と、10年、20年前の写真を見せられていたということも初期にはありました。「だまして、すみません。」と笑顔で言われたりして。今は、さすがに気が付きますが。最近多いのは、最初から希望されることもあり、

「10年前のこの顔に」と。「10年前に父が他界して、あの世で父が母だと気付いてくれるように、母が父より年を取っていては気が付かれずに居たら可哀想だから。」と、おっしゃるので、死生観は人によりみんな違うので、私も精一杯頑張ります・・・。で、私は医師ではありませんから、専門医とお会いする機会をいただく度に、答え合せをしていただいたりします。

「お顔あて、どうしましょうか?」お手当をしていることで、亡くなられたご本人の表情は穏やかにニッコリ笑顔になっていること、出血や体液を止め、臭いを消しているので、虫が付く心配はありませんから、お顔あてはご遺族の希望に沿うことがあります。

ご遺族「顔あて、します!」
私「はい、では、あてておきますね。」と、お返事をすると、

ご遺族「お別れに来てくれた人の前で、一回一回顔あてを取って、驚いてもらおうと思います!」と、少しイタズラな表情のご遺族(娘さん)。火葬までの限られたご遺族の大切な時間ですし、多分宗旨にも触れていないと思うので、自由に決めてもらってかまいません。

最近、そういうお別れのお手伝いの現場の最後も多くなりました。

虫を寄せ付けないように顔あてを使用していた昔の人は、「時代と共に使い方は変わるもんだねぇ〜」と、評価されるのかもしれません。それより飛行機が空を飛んでいることに驚くことでしょうね、きっと。と、飛行機に乗っていていつも思っている私でした。(話がずれました)

私がいつも悩んでいることと言えば、時代の流れの中とは言え、進化した需要と供給と言われつつも、死後の変化を発生させ、土に帰ろうとしている人の邪魔をしているのではないのだろうか・・・、この技術は自然の道理に逆らっているのではないだろうか?悲嘆の援助は、行き過ぎてはいないだろうか?自己満足になっていないだろうか、一方的な押し付けになっていないだろうか、と現場ではよく考えています。

ご遺族が笑顔になってくれるのは、本当に嬉しいことではあります。どのような死を迎えたのかから、その笑顔の先には大切な人がどのよう生きたのかを考えていただける、確実なステップが復元の現場にはあります。

出来ないことを見付けた時には、自分の無力さに落胆しますが、その中でも出来ることを見付けて、ご遺族の価値観と一つずつすり合わせる時間に、私の気持ちも支えられます。

現場に居る子どもさんたちが、やっぱり言います。

「おばさんの手は、魔法の手だね!!」

私は思います。

(なっ、お、おばっ・・・!お、お姉・・・さん⁉︎やっぱり、それは無理があるか・・・。(笑))

そして今日も現場にご縁をいただいて、雨降りでちょっと寒い岩手県内を走っていました。仕事の合間に事務所の花壇も昨日仕上げて、土に夢中になっていたら、現場では使わない腰の筋肉を使ったせいか(絶対歳のせいではないはずだ)、ちょっと腰が痛い今日この頃でした。

2016年4月3日

セミナーについて

お問い合わせを多くいただいておりますので、お答え致します。

今月の仙台セミナーからスタート致します、全国6ヶ所(仙台、名古屋、東京、大阪、岡山、福岡、時々札幌が入り、7ヶ所の講義もある)の会場で行う日総研さんのセミナー、今回で全国6〜7ヶ所を回る旅は7度目です。

「看護・介護職が行うエンゼルケア・死化粧」のテキストを更新します。(今日、仕上げました(´Д` ))

日々の業務の一つとして、日総研さんの通信講座の添削もさせていただいておりますが、2000枚弱の方の回答と質問にお答えして参りました。比較的多かった質問について、解答と合わせてセミナーの中で、技術工程と悲嘆の援助を目的としたご家族への説明術等を含めて、進めたいと思います。

これまでセミナーを受講された方の所属は、救命救急センター、緩和ケア、ホスピス、急性期、慢性期、外科、内科、循環器、消化器、整形外科、眼科、耳鼻咽喉科、ICU、NICU、手術部、地域医療、皮膚科、泌尿器科、脳神経外科、産婦人科などの医師、総看護部長、看護師長、看護師、OT、PT、ソーシャルワーカー他、皆さん。看護学校では、校長、副校長、教員の皆さん。介護・福祉では施設長、看護師、管理職の皆さん。他、宗教者(宮司・僧侶の皆さん)。時々、中学校の教員の皆さん。それから、復元師になりたい、又はその仕事を知りたいと中学生が来てくれていることがあります。その場合は、日総研さんから確認のお電話をいただいています。

葬祭関係又は重度の死後変化の講習に関しては、綜合ユニコムさんのセミナーが毎年3月と9月の2回を東京で。6月又は7月の年に一度の葬祭業界シンポジウムの会場二階に於いて、横浜で行っています。セミナー受講をご希望の方は、そちらにお越しください。

重度の腐敗や特殊遺体復元、死後の大きな変化について、医療・介護職の方に伝えるとショックが大きいことがありますので、会場ではお答えし難いためご了承ください。

人にはあまり会いたくないけど、一人または二人等の少人数で技術をしっかり身に付けたい方は、弊社のマンツーマンセミナーの中で、ご希望に合わせたコースを受講いただければ、直接技術指導をさせていただいています。

いずれも定員があり、お申し込み先が異なりますので、ご確認の上お手続きをお願い致します。

ご縁をつないでいただけるセミナーを開催くださる各出版社、担当者さまに感謝を申し上げまして、会場で皆さまにお会いできること、楽しみに致しております。

いつも会場で声を掛けていただいて、案内しておけば良かったなぁと思うので、お伝えしておきますね。おもかげ復元師、震災絵日記をお持ちの方は、会場にお持ちいただければ、必要な方にはサインを入れさせていただいています。必要のない方は、強制ではありませんので、大丈夫です。

当日はどうぞ、道中気を付けてお越しくださいませ。




いのち新聞・パネル展

大切な家族や友だちを突然亡くされた皆さんと、東日本大震災で家族を亡くした、今も行方不明で家族の帰りを待っている皆さんと「いのち新聞」の活動を始めてから4年が過ぎました。いのち新聞の活動の一つとなりました、「おもかげ復元師震災絵日記パネル展」についてです。

〜パネル展担当Fさん〜
絵日記のパネル展は、岩手県沿岸被災地の一つ、宮古市出身のFさんが担当してくれています。震災で大切な家族と身内を亡くしています。

Fさん「笹原さん、今、事務所に居ますか?」

私「現場待機の日だから、居るよ。」

Fさん「今から、行きます!」

Fさん「今の私を見て、よしよしって言ってくれてると思う。」と語りながら、ちゃんと大切な家族と気持ちは今もつながっています。想い出がある限りどちらが死を迎えても、想い続けることでその大切な人との関係性は変わりません。そして時に、

私「調子悪い?」
Fさん「・・・。」
私「・・・目が腫れてるけど、泣いた?」
Fさん「泣きました!!」
私「昨日?」
Fさん「はい、昨日の夜!最初はツーって涙が出てきて、その後ポロポロ出てきて、最後にガーってなりました!」

けっこうドジなFさん、(私も人のこと言えないけど)みんなのことをよく笑わせてくれる、ステキな人柄です(笑)。

東日本大震災で被災されたご遺族の皆さんも、納棺や復元にご縁をいただく皆さんも、実は亡くなられるお一人お一人も、悲しみと一緒に生きる道を、きっとみんな探しているのかもしれません。悲しみの中には、大切なことがたくさん含まれていますから。


〜パネル展の今までとこれから〜
毎回、Fさんからパネル展の報告をもらっています。ご縁をいただいた、つないでいただいた皆さんに感謝を申し上げます。

Fさんがパネル展を一生懸命担当してくれるのには、理由があります。Fさんが伝えたいことは、パネル展を開催いただくことで防災意識を高めるきっかけになって欲しいということと、亡くした家族がどう生きたのかを、皆さんと共有しながら考えて行きたいことなんだと話してくれます。

パネル展を見に、電車を片道2時間乗り継いでリュックに付いた鈴を鳴らしながら会場まで来てくださった高齢の女性の方は、一枚一枚のパネルの前で、手を合わせてくださっていたこと。お帰りになるとき、鈴の音が小さくなるまで会場担当の方が見送ってくださっていたこと。

様々な背景や事情で突然家族を亡くされた方々が、パネル展に足を運んでくださっていること。

学校でパネル展を開催していただいて、先生が子どもさんたちと「いのち」を考えてくださっていること。等々。

震災絵日記は、たくさんの方々にご縁をいただく中で記憶の中から薄れていく人を忘れたくないと思った時、個人的に描いた絵日記でした。全くの私感であり私個人の感情がそのまま記載されていることから、世に出ることは躊躇したこともありましたが、今は震災絵日記の中のお一人おひとりの亡くなられた方々が、私の個人的な感情を超えて、生きている人を支えてくれているんだと実感しています。

昨年の秋から、東京の4会場の後、九州を旅している40枚くらいのパネルです。

大分市東部公民館さま(グリーンカルチャーセンター)ロビー、

別府中央小学校さま、

大分佐伯市役所さま、

現在は佐伯市図書館さまで行われています。

震災絵日記に触れていただいたとき、普段の生活から、大切にしてもらえたらと私も思います。

「死」は確かに現実に起こると大きな嘆きを抱えます。でも、「死」を引き起こした背景に、人は苦しみを感じます。それを関わった、お一人お一人が考えておられます。

パネル展を見に来ていただいた方の感想も、Fさんから報告をもらっています。個人名があるから、なかなか公開は出来ませんが、機会があれば又、いのち新聞の中で、何かしらの形としてご紹介出来たらと思っています。

編集長はメンバーの中で当番で回ります。現在の編集長は、故郷・陸前高田市を大事に想う、小学校2年生のYちゃんです。

これまでのいのち新聞は、弊社のホームページのトップページからご覧いただけます。お時間がありましたら、是非ご覧くださいませ。


2016年4月2日

子ども夢ハウスおおつち4月

お引っ越しを終えた、子ども夢ハウスおおつち。子どもたちが大好きだった「すり傷公園」はかさ上げのため、そして想い出がいっぱい詰まった今までの夢ハウスと、お別れを経験した子どもたちは新しい夢ハウスへと引っ越しをしました。

落ち込んだり、涙を流す子どもたち、考え込む子どもたちも実は居ました。

子どもたちは夢ハウスで、色々なお別れも経験しました。きっと人生の中で、恋愛のプロセスや大切なものを壊してしまったり、町を離れるお友達とお別れすることも(生活の中にある悲嘆はたくさんありますから)、仲良くなったボランティアさんたちを見送ることも、これからも何かしらの大切なことと、お別れを経験することも多くあると思います。

町が壊滅し、大切なものを人をことを、たくさん喪った後の復興という言葉の中には、そういうお別れも付き物なのだと、私も多く学ばせてもらっています。生きていく上で大切なことは、目の前に幾つも存在しているものです。

夢ハウスでは、子どもたちはお別れのプロセスや、向き合い方、気持ちの吐き出し方、話し合い方をその度に学んでいます。

時々、思いのままに語って誰かを傷付けてしまったりすることもあるけれど、「ごめんね」が出来るように子どもたち同士、時に大人も、誰かが間に入ったり、つないだり、いっしょに考えたり、そういうことをとても大切にしています。気持ちを理解し合えると、これまで以上に仲良くなることもよくあります。お互いに深い付き合いになり、過ごしています。

失敗することを恐れず、失敗からたくさんのことを学び、失敗を自分でフォロー出来るように、誰かのフォローも出来るように、失敗を糧に同じ失敗をしないように、毎回一回り成長しながら自立できるように援助する。それが、くっそー(夢ハウス代表)の流儀。

「悪い人は存在しない。悪い行いや判断が存在するだけ。」

「生きるために、必要な悲嘆がある。だから、それを丁寧に支える。」

子どもたち一人ひとり悩んだときは、くっそー(藤原代表)に、そして吉山くんに(夢ハウス管理人)、「あのね・・・、」と、ちゃんと相談出来るようになりました。(用務員のお姉さん、その姿に、いつも目がウルウル)

山あり谷あり、問題が発生しても一つ一つ向き合ってきた歴史を持つ夢ハウスも、4月11日で3年を迎えて活動は4年目に入ります。全国各地の多くの皆さま、地域の皆さまのご支援・ご寄付、たくさんの方に支えていただいていること、心から感謝を申し上げます。

私の夢ハウスの役目は、「用務員のお姉さん(おばさんではありません)」時に「夢と心霊の研究家」と呼ぶ子どもたちも居ます。どんな相談にものっているのと、多分仕事柄?そう呼ばれます。

「笹原さん〜!」
「るいこちゃん〜!」

夢ハウスに着くと、子どもたちは抱き付いて来ます。私はいつも仕事の都合上、予定が立てれず(友だちは確実に減る仕事柄です。あぁ。)アポ無しなので(>_<)、子どもたちにとっては、いつも突然現れている感じなのでしょう(笑)。吉山くんや横ちゃん(夢ハウスのみんなのお姉さん)が子どもたちに私の仕事を話してくれていて、ちゃんと理解してくれているので有難い。先日も、私を見つけて抱き付いて来た子どもたち、7人交互にハグしていたとき(一人はずっとくっついているので、悲嘆の援助の対象です)、

子「笹原さん、なんかすごい良い匂いするー!」

私「ん、大人の匂いだね〜(笑)」

子A「どれ、どれ!」
私のお腹辺りに鼻を付ける

子B「くん、くん、あ!本当〜」
又々、私のお腹辺りに鼻を付ける

子C「んーー!ん?お線香臭い⁉︎」
3人目、私のお腹辺りに鼻を付ける

子D「お線香じゃないんじゃない?」
4人目、私のお腹辺りに鼻を付ける

私「お線香って、臭いの?」

子どもたち、考え込む。

私「お線香の「臭い」を、「香り」と変えてみたら?」

子ども「お線香の・・・、香り〜!良い香り〜!」

私「はい、よく出来ました〜!」

一同、拍手!!

お線香がどうのこうのよりも、匂いについての評価の仕方が大事です。「臭い」と「香り」ではイメージが全く違うので、言葉の使い方を覚えてもらえたら、お友だちとの会話の中で苦しむことは少なくなります、きっとね。老婆心です。(お姉さんだけど)

どうやら私には特徴的な匂いがあるようで?「笹原さんの匂いがしたから、来てるのすぐ分かった〜!」と、走ってくる子どもたちも居ます。「へぇ〜」私も自分では分からないので、

「どんな匂い?」と聞くと、「良い匂い〜!」(笑)と。「よろしい、そうやって、上手く生きるんだよ。」なぁんて、話しています。しかし、自分では全く分からないことを、教えてもらうことがあります。しかし、どんな匂いなんだろう???

納棺のときも、小さな子どもたちが抱き付いて離れないことがありますが、「どうしたの?」って聞くと「良い匂いがする」と言い、「ムギュってする?」と聞くと「うん」と言うので、背中をトントンして落ち着くまで抱きしめています。

大切な家族を亡くした経験を持つご遺族は、年齢問わず「匂い」に敏感なので、そういう意味で自分の匂いの正体を知りたい気がしている今日この頃です。チョコレートが好きだから、チョコレートの匂い?なのかなぁ〜。みんなに聞いて分かっているのは、どうやら腹部の辺りから何かを放出しているらしいということだけ(笑)自分でも、自分のことが分からない、未知の世界です。(笑)

藤原代表は今日、校長先生を務める学校の入学式のため、沖縄県に飛びました。

これからも皆さまのご支援、よろしくお願い致します。

子ども夢ハウスおおつち、用務員のお姉さんより。

マンツーマンセミナー

6日間のマンツーマンセミナー、お疲れ様でした。東京からお越しいただいた1日目は、不安や課題をたくさん抱えてのスタートでした。お越しいただいた時の表情と、コースの学びを一通り終えて最終テストを一つずつクリアされ、お帰りになる時の表情が別人のように晴れやかになっていましたね。修了証の授与の時には、涙がポロっと出た瞬間もありましたが、本当に最後まで頑張られたと思います。お疲れ様でした。益々のご活躍をご祈念申し上げます。誰かの安心と笑顔のために、弊社職員一同、応援しています!

*ご注意ください
現在、私から直接指導を受けたと話される方が居るとのことでお問い合わせも多くありますが、直接指導させていただいた方は、「修了証」を持っています。修了証をお持ちではない方への返答は致しかねますので(直接拝見していないので分かりません)、ご確認の上、ご了承いただけますようお願い申し上げます。

マンツーマンセミナーのお問い合わせ、お申し込みを多数いただいております。社長室長と弊社担当者が私のスケジュールを調整後、担当者から追ってご連絡させていただいております。時々、メールの不具合によりご迷惑をお掛けしてしまうことがあるようです。3日経過しても連絡がない場合は、お手数をおかけ致しますがお電話にてご確認ください。よろしくお願い申し上げます。