「お顔あて、どうしましょうか?」と、お手当ての後に伺うこともあります。昔から、亡くなられた方のお顔に白い布をあてて、お顔を覆う風習が日本にはあります。
多くの現場にご縁をいただいて、よく分かりましたが「白」は虫が寄り付きにくい色。冷却やお手当ての手段が無かった昔、お顔を布で覆うことで、虫が入りにくくする対処と、緑や黒になっていく変化を起こす死後変化を人の目に触れさせないようにする配慮としての、昔の人の知恵だと思います。
第二次世界大戦後には、アメリカの文化が日本に入ってきて、お別れの時間の中で送る側は黒い服、亡くなられた方は昔のままの白い装束であることも、意味深いものがあります。(一部地域では、古くから海外の文化を取り入れて黒の地域がありますが)法医学のDr.に現場のことをお伝えする機会があったとき、法医学では虫の知識も必要になるので、その話しになったことがありますが、すごく理にかなっている手段だという話にもなりました。
突然お別れをしなければならなくなった、最初は人の形を留めていない復元の現場では(現代社会の中には、そういうお別れもあります)、ほとんど戻った状態になってから、最終的にご家族に伺いながら個性を仕上げていくことも時々、あります。目の高さや、頬の高さ・・・。先日の現場で、こんなことがありました。復元後に対面をしていただいたとき、
「母の鼻が低いです。鼻の穴も大きい。」と言って泣かれる娘さん。
「そうですか?お直ししますね。」と言ったものの、お顔の作り的にこの高さと形・・・。違うのかな・・・、どうしようかと悩みながら、
「すみませんが、元々の高さと形を少し教えていただいても良いでしょうか?」と伺いました。
すると娘さん、「いや、今ので合ってます。間違っていません。生前のままです・・・。」と又、涙を流されます。どういうことかと悩みながら、
「お直しのご希望があれば、遠慮なく言ってくださいね。」と、意思を再度確認。
そして娘さん、「いえ、生前の姿に戻っています。ただ本人が、自分の鼻の穴が大きいと気にしていたので、何とかならないものかなぁと、思ったもんで・・・。鼻が低いことも気にしていました。」そして又、涙を流されます。
実は亡くなられた方の場合、時間の経過と共に脂肪分が重力に従って下へ落ちていきます。頬の脂肪分も落ちるので、時間が経てばどなたでも鼻は高く見えるようになります。と言うことは、現場で言うときと言わないときがありますが。
「ご希望であれば少し、ご希望に添いますか?」と伺うと、「はい!」と娘さん、元気いっぱい、泣いていた表情が一変、笑顔に変わりました。
頬の脂肪分をマッサージで丁寧に落とし、鼻の高さを少し高くして、対面をしていただきました。
「お母さ〜ん!!良かったねぇー!!!」
その方に戻した後、現場によってはご希望に添い、ご遺族立会いで仕上げに入ることがあります。現場の最初に写真を見せられ、ずいぶん難しいなぁと思いながら写真の通り仕上げたら、「実は・・・」と、10年、20年前の写真を見せられていたということも初期にはありました。「だまして、すみません。」と笑顔で言われたりして。今は、さすがに気が付きますが。最近多いのは、最初から希望されることもあり、
「10年前のこの顔に」と。「10年前に父が他界して、あの世で父が母だと気付いてくれるように、母が父より年を取っていては気が付かれずに居たら可哀想だから。」と、おっしゃるので、死生観は人によりみんな違うので、私も精一杯頑張ります・・・。で、私は医師ではありませんから、専門医とお会いする機会をいただく度に、答え合せをしていただいたりします。
「お顔あて、どうしましょうか?」お手当をしていることで、亡くなられたご本人の表情は穏やかにニッコリ笑顔になっていること、出血や体液を止め、臭いを消しているので、虫が付く心配はありませんから、お顔あてはご遺族の希望に沿うことがあります。
ご遺族「顔あて、します!」
私「はい、では、あてておきますね。」と、お返事をすると、
ご遺族「お別れに来てくれた人の前で、一回一回顔あてを取って、驚いてもらおうと思います!」と、少しイタズラな表情のご遺族(娘さん)。火葬までの限られたご遺族の大切な時間ですし、多分宗旨にも触れていないと思うので、自由に決めてもらってかまいません。
最近、そういうお別れのお手伝いの現場の最後も多くなりました。
虫を寄せ付けないように顔あてを使用していた昔の人は、「時代と共に使い方は変わるもんだねぇ〜」と、評価されるのかもしれません。それより飛行機が空を飛んでいることに驚くことでしょうね、きっと。と、飛行機に乗っていていつも思っている私でした。(話がずれました)
私がいつも悩んでいることと言えば、時代の流れの中とは言え、進化した需要と供給と言われつつも、死後の変化を発生させ、土に帰ろうとしている人の邪魔をしているのではないのだろうか・・・、この技術は自然の道理に逆らっているのではないだろうか?悲嘆の援助は、行き過ぎてはいないだろうか?自己満足になっていないだろうか、一方的な押し付けになっていないだろうか、と現場ではよく考えています。
ご遺族が笑顔になってくれるのは、本当に嬉しいことではあります。どのような死を迎えたのかから、その笑顔の先には大切な人がどのよう生きたのかを考えていただける、確実なステップが復元の現場にはあります。
出来ないことを見付けた時には、自分の無力さに落胆しますが、その中でも出来ることを見付けて、ご遺族の価値観と一つずつすり合わせる時間に、私の気持ちも支えられます。
現場に居る子どもさんたちが、やっぱり言います。
「おばさんの手は、魔法の手だね!!」
私は思います。
(なっ、お、おばっ・・・!お、お姉・・・さん⁉︎やっぱり、それは無理があるか・・・。(笑))
そして今日も現場にご縁をいただいて、雨降りでちょっと寒い岩手県内を走っていました。仕事の合間に事務所の花壇も昨日仕上げて、土に夢中になっていたら、現場では使わない腰の筋肉を使ったせいか(絶対歳のせいではないはずだ)、ちょっと腰が痛い今日この頃でした。