2016年4月3日

いのち新聞・パネル展

大切な家族や友だちを突然亡くされた皆さんと、東日本大震災で家族を亡くした、今も行方不明で家族の帰りを待っている皆さんと「いのち新聞」の活動を始めてから4年が過ぎました。いのち新聞の活動の一つとなりました、「おもかげ復元師震災絵日記パネル展」についてです。

〜パネル展担当Fさん〜
絵日記のパネル展は、岩手県沿岸被災地の一つ、宮古市出身のFさんが担当してくれています。震災で大切な家族と身内を亡くしています。

Fさん「笹原さん、今、事務所に居ますか?」

私「現場待機の日だから、居るよ。」

Fさん「今から、行きます!」

Fさん「今の私を見て、よしよしって言ってくれてると思う。」と語りながら、ちゃんと大切な家族と気持ちは今もつながっています。想い出がある限りどちらが死を迎えても、想い続けることでその大切な人との関係性は変わりません。そして時に、

私「調子悪い?」
Fさん「・・・。」
私「・・・目が腫れてるけど、泣いた?」
Fさん「泣きました!!」
私「昨日?」
Fさん「はい、昨日の夜!最初はツーって涙が出てきて、その後ポロポロ出てきて、最後にガーってなりました!」

けっこうドジなFさん、(私も人のこと言えないけど)みんなのことをよく笑わせてくれる、ステキな人柄です(笑)。

東日本大震災で被災されたご遺族の皆さんも、納棺や復元にご縁をいただく皆さんも、実は亡くなられるお一人お一人も、悲しみと一緒に生きる道を、きっとみんな探しているのかもしれません。悲しみの中には、大切なことがたくさん含まれていますから。


〜パネル展の今までとこれから〜
毎回、Fさんからパネル展の報告をもらっています。ご縁をいただいた、つないでいただいた皆さんに感謝を申し上げます。

Fさんがパネル展を一生懸命担当してくれるのには、理由があります。Fさんが伝えたいことは、パネル展を開催いただくことで防災意識を高めるきっかけになって欲しいということと、亡くした家族がどう生きたのかを、皆さんと共有しながら考えて行きたいことなんだと話してくれます。

パネル展を見に、電車を片道2時間乗り継いでリュックに付いた鈴を鳴らしながら会場まで来てくださった高齢の女性の方は、一枚一枚のパネルの前で、手を合わせてくださっていたこと。お帰りになるとき、鈴の音が小さくなるまで会場担当の方が見送ってくださっていたこと。

様々な背景や事情で突然家族を亡くされた方々が、パネル展に足を運んでくださっていること。

学校でパネル展を開催していただいて、先生が子どもさんたちと「いのち」を考えてくださっていること。等々。

震災絵日記は、たくさんの方々にご縁をいただく中で記憶の中から薄れていく人を忘れたくないと思った時、個人的に描いた絵日記でした。全くの私感であり私個人の感情がそのまま記載されていることから、世に出ることは躊躇したこともありましたが、今は震災絵日記の中のお一人おひとりの亡くなられた方々が、私の個人的な感情を超えて、生きている人を支えてくれているんだと実感しています。

昨年の秋から、東京の4会場の後、九州を旅している40枚くらいのパネルです。

大分市東部公民館さま(グリーンカルチャーセンター)ロビー、

別府中央小学校さま、

大分佐伯市役所さま、

現在は佐伯市図書館さまで行われています。

震災絵日記に触れていただいたとき、普段の生活から、大切にしてもらえたらと私も思います。

「死」は確かに現実に起こると大きな嘆きを抱えます。でも、「死」を引き起こした背景に、人は苦しみを感じます。それを関わった、お一人お一人が考えておられます。

パネル展を見に来ていただいた方の感想も、Fさんから報告をもらっています。個人名があるから、なかなか公開は出来ませんが、機会があれば又、いのち新聞の中で、何かしらの形としてご紹介出来たらと思っています。

編集長はメンバーの中で当番で回ります。現在の編集長は、故郷・陸前高田市を大事に想う、小学校2年生のYちゃんです。

これまでのいのち新聞は、弊社のホームページのトップページからご覧いただけます。お時間がありましたら、是非ご覧くださいませ。