2016年12月31日

今年もお世話になりました。

今年も、ご遺族との時間の中で、

亡き人とのつながりを確認して、大切な人を守る守り方を探す

己の道を歩む姿に勇気をいただき、生き方それぞれという思いに触れさせていただいた一年だったと思います。

又、ブログにのせなかった納棺の現場も実際は多くあり、納棺終了後にご家族の方から、ご家族皆さんからお手紙をいただくことも、たくさんありました。

ご家族お一人お一人の気持ちを教えていただいて、大切な人を亡くすこと、その背景にある抱えていること、涙を流しながら拝読させていただいたという時間も多かったように思います。

ご家族の皆さんの苦悩、その負担を、せめて今だけでも、至らない中でも少しでもお預かり出来ればと、現場では私も必死です。

親を亡くした子どもたちとは、現場にいる多くの皆さんのご協力をいただいて、

大切な人を亡くした今しかない現場では、

二つとないお別れの時間を、子どもたち、そしてご家族の皆さんと手作りで作りました。だから、私にとっても忘れられない時間を、ご家族の皆さんと一緒にいくつも積み重ねました。

何度も母の棺に入る、小学生の子どもさん。

「もっとお母さんに抱っこされたかった」と話してくれました。周りの人がよく理解してくれ、協力してくれました。いっぱいお母さんに触れ、くっついていました。

「笹原さん、のばして!」もっと傍に居たくて、着付けの時間を後に伸ばしてと、おねだりする子どもたち。この時間が終わりを迎えることを感じているからでしょうね。「オッケー、じゃ、10分のばします!」そういう現場も多々あります。(采配は私の頑張るべき所なので)

でも、その本人一人ひとりにしか、今の気持ちも、これからの気持ちも分かりません。思い込まず、決め付けず、今しか出来ないことの提案を怠らず、共に価値観を共有し、漏らしていることはないか、緊張感を保ち集中して進めます。そんな風に、現場では自分をいつも戒めています。

現場では一つ形にするとき、私個人の自己満足は求めません(そんなこと自体がありえないから。)ご家族の求めることに対してよく知ろうとし(むやみに聞かない、その難しさ)、そこに居るすべての人が同じ思いになっていただけるよう力を尽くし、お一人お一人がご家族に対して力を発揮していただけるよう、コーディネートに入るだけです。

本当は、みんな深い優しさを持っています。采配を間違えなければ、頑張ろうとしている人を信じてさえくれれば、見守ることの中に、人の温かさが存在します。それが納棺の難しさと、同時に亡き人が遺してくれたことの深さなんだと思います。

「笹原さん、あのね!」

と訪ねたり、連絡をくださる大人も子どもさんたちも多くいますが、亡き人への思いを伝えてくれるその後の関わりの中に、「鼻歌」があるものです。亡くなられた方が生前歌ってた歌に出会うと、なんかちょっとジーンとします。

私「これ、あのうた?」
子「違うよ〜〜!!!!!!」

なんてことも。音程の価値観を合わせることは、大事なことです。(決して外れてるとは言ってません(笑))

今年一年も、たくさんのお仕事をさせていただきました。来年に持ち越した課題は、一つ。いのちの授業で、トイレの花子さんの友達の二郎さんのことを調べていなかったので、それ!

今年も多くの執筆もさせていただきました。来年も1回目の締め切りがすぐです。現段階でいただいているお仕事含め、執筆も、出来るだけ力を入れていきたいと思います。(お申し込みから締め切りまでの時間が短い場合は、他の仕事もたくさんあるのでお受け出来ないことがあります。ご了承くださいませ。ごめんなさい。)

今年も大変、お世話になりました。来年も、よろしくお願い申し上げます。


語録いろいろ

【1】
朝、部屋を片付けていたら我が家のじいちゃん。

じいちゃん「何してる?」
私「片付けてるの!」
じいちゃん「え?髪切ってるの⁉︎」

【2】
孫とお婆ちゃんの納棺のときの会話

孫、「お婆ちゃん、マジキレる!」
お婆ちゃん、「ん?上手に切れたかい?」
孫「もぉ〜!(けっこう困った感じ)」
お婆ちゃん、ニコニコ。

【3】
近所のお婆ちゃん談

お婆ちゃん「オラの田んぼに鶴が来る!」
私「本当に⁉︎(鶴⁉︎岩手県に鶴が来るの⁉︎しかも、田んぼに⁉︎)」
鶴だと思ってた鳥は、サギだった。まぁ、姿格好は似ているけれど。お婆ちゃんの娘に伝えたら、
「今、真実を伝えるとがっかりするから、死ぬまで鶴だと思わせてあげよう。」娘さん。
「同じサギでも、詐欺じゃなくて良かったね。」と、娘さんと私、2人で話していました。詐欺だと思ったら、警察へ!

【4】
納棺終了後のお爺さんのお話し

お爺さん「あのな、知ってるか⁉︎すごく良い、あの話し。そう、ほれ、つるの・・・し、仕返し」

息子さん「え⁉︎恩返しね。」素晴らしいツッコミ!

【5】
農家のお爺さんの話し

お爺さん「野生のな、アライグマにカステラやったらよ、川で洗うから全部無くなって、アライグマがえっ?えっ?って、びっくりしてよ、こっち向いてた!オレも、びっくりした!高いカステラだったのによぉ〜」(え⁉︎そこ?)

【6】
我が家のじいちゃん談

「オレよ、最近よ、あっちへフラフラ、こっちへフラフラと足がフラつくんだよ。」
私「どんなとき?」
じいちゃん「重い物を持ったとき!」
私「・・・ん、ん、そっか、気を付けてね!」

【7】
岩手県のお年寄りがよく使う言葉

「立派と河童は一緒だぞ!」

【8】
孫とお爺さんの会話

孫「そんなにブルブルするなら、そんなに濃いお茶を飲まなければ良いのに!」
お爺さん「何がよ〜、これが、いいのよ!!」

【9】
我が家のじいちゃん談

じいちゃん「誰もいないのに、家の中で足音するぞ!誰か、走ってる!」

そう、時々我が家では、この世の人ではない、特に無邪気な目には見えないお客さんが来るので。

私「塩は、まかないでよ!足音する所にお菓子、置いてちょうだい!」
じいちゃん「どこかの子どもか⁉︎じゃ、じじの宝箱からお菓子あげような。」

私もその宝箱から、時々いただいております。(笑)ごちそうさま。

じいちゃん「生きていても、生きてなくても、子どもは、それだけで可愛いもんな。

よし、よし。

じいちゃんのお菓子あげるから、じいちゃんが寝てるときは走るなよ。あ、そうそう、お礼はいらないぞ。ウシシシシ。(怪しい笑)」


同じことを飼い猫に言って、部屋の前にモグラだの、スズメだのを猫に献上されて困った過去のことは、じいちゃんはもう忘れているのだろう。

どんど晴れ。

2016年12月27日

怖いはなしシリーズ19

いのちの授業で中学校・高校などに出向くと、

「金縛りにあう」

という相談が実は多く発生します。本人にしてみれば理解出来ない現実に対して、金縛りにあうととても苦しいので、真剣に色々と体験を教えてくれる相談が実は多くあります。眠りを妨害されるので、不眠になると余計心に負担を受けやすいものです。心身ともに安定するためには、誰でも、睡眠はしっかり取らないといけません。

金縛りにあう理由は大きく分けると2つに分けられます。何でもかんでも、あの世の、そして幽霊のせいにしてはいけませんよ。(笑)と話します。

①疲れすぎていて深い眠りに入れずに、体は寝ているけれど、脳が起きている状態。

この場合には、仰向けに寝ていることが多くあります。筋肉と脳の関係が大きいとも言われていますが、体のつくりを考えて、体の向きを仰向けから横向きに変えてみると、解決することが多くあります。これで、安眠に向かっていく!

②本当に幽霊⁉︎

「勘弁してください。」と言いましょう。

「今、ちゃんと寝ないと授業で寝てしまうかもしれない。それだととても困ります。自分は、あなたに何かをしてあげられるような力はありません。」を加えても良いと思います。

などなど、勘弁してくださいという気持ちを伝えましょう。

私の知り合いの高校の先生は、「うー、えいっ!やあっ!」と気合いで金縛りをといた方がいます。気合いで金縛りをといたのは、初めて聞きました(笑)すごいですねぇ!

ちなみに私は、①も②も経験はありますが、①の場合は、寝る姿勢を横向きに変えます。で、解決します。②の場合は結局、大人になると伝え方も変わる(笑)「金縛りとか、そういうのなしでお願いしたい。」と語りかけることもあります。結局、金縛りをかけようとする人⁉︎も、迷惑になっていることに気が付いておらず、迷惑を掛けようと思っているわけでないこともあると思うので、

是非、試してみてください!!!!!!(*´∇`*)

【おまけ】
中学校のときに、引っ越したばかりの家で、私はよく金縛りにあっていました。母は僧侶だったのですが、母に相談すると、すぐに数珠を渡してくれました。

「何か用事があるかもしれないから、聞いてみたら?」と、母はのんきなことを言いました(笑)

当時金縛りにあっているとき、時々布団が浮きました。そして、知らないおばあさんが、私の顔を覗き込んでいました。

数珠をもらって直ぐ、金縛りにあいそうになりましたが、数珠の効果があったようで、金縛りにはあいませんでした。

隣の家のおばさんに、金縛りに悩んでいる話しをすると、私の部屋で過去に亡くなったおばあさんがいることが分かりました。

おばさんが私に聞きました。

おばさん「寝相悪いの?」

私「(なんで、そんなこと聞くんだろう?)うん、時々・・・。」

おばさん「子どもが好きなおばあさんだったから、布団が浮くように感じるかもしれないけど、布団をかけてくれてるんじゃないの?(笑)」おばさんも、のんきなことを言ました。

知らない人だと思うと怖かったけれど、心配してくれている、面倒見の良いおばあちゃんだと知ると、あんまり怖くなくなりました。

隣のおばさんが見せてくれた、過去に私の部屋で亡くなったおばあさんの写真は、間違いなく、金縛りのときにいつも覗き込んでいる、おばあさんでした。でも、その写真に写っているおばあさんは、満面の笑みでピースをして写っていました。

結果、高校に入ると私は金縛りには、あわなくなりました。

大人になってから、時々思います。あのおばあさんは、どうしてるかな?って。(๑・̑◡・̑๑)

②の金縛りの場合、実は前兆があります。ここでは語りませんが、子どもたちから相談を受けるとき、その前兆があるかないかでも答えが変わります。

幽霊が見えるというのも、脳の作用と本物との違いがありますが、これも話の中に出てくるキーワードで答えが変わります。

それにしても、人間の体と脳の関係性って、とても不思議だと思います。あの世と同じくらい、不思議ですね。結局、この世も不思議だらけ。他の世界も良いけど、自分の生きている世界のことも考えなくちゃ!

我が家のじいちゃん談。
「そう考えれば、幽霊の世界から見るとこの世の人も、幽霊なんじゃないの?(確かに!)こちらの世界で「怖い顔」は、あちらの世界では「悲しい顔」かもしれないよ。」以上、あの世はあっても別に良いんじゃない?と、年寄りの包容力を存分に表現している、じいちゃんでした。私にもその包容力を向けてくれたら良いのにね!

どんど晴れ⁉︎

2016年12月25日

マンツーマンセミナー

新潟県から半年に一度、セミナーを受講されておられます、お坊さまご夫婦の来社でした。

雅楽(ががく・宮内庁で行われている日本の伝統楽器)をされておられるので、私としては昔の巫女時代を思い出しながら、舞楽(ぶがく・宮内庁で行われている日本の伝統の舞)をしみじみと、懐かしめる時間でもあります。県内の雅楽・舞楽の会にお誘いいただきながら、まだ参加出来ていないけれど、やっぱりいつか参加したいなと思った時間でした。

セミナーの内容を考えていくと、納棺の時間は、宗教・宗旨に従い粛々と行われることも多くありますが、

昔から大切にされてきた一つの、納棺の時間。きっと昔から、悲しみの中の痛みと辛さを和らげるのが納棺の大きな役割で、

辛さが先に立つと、聞こえてはいたけれど、耳に入って来なかったことが、辛さが和らぐことで、心でキャッチ出来るようになるのかもしれません。

その後に生きる知恵や情報を得たとき、心に純粋に働きかけ、吸収出来るように気持ちを整理し、これから生きるための準備をするのが、昔から日本に伝えられた納棺の、終盤の目的になるのかもしれません。

しかしながら私たちの現代の生活は競争の社会であり、その中で生きることは、実際は大変なこと。気持ちを整理しておかないと、もっと傷付くことも可能性としては秘めている悲しみの存在は、昔のお知恵を拝借すればするほど、なかなか一言では言い表せないものです。

人が死を経験したときに起こる悲しみの中には、考えること、想像力を豊かに育むこと、それも亡き人が遺してくれたものの一つであり、その先にはやっぱり、大切な亡き人の生きた時間に出逢えることがあるのかもしれません。

だから、納棺の時間はたくさん涙を流されますが、大きな声で又はクスッと笑う時間もあるものです。笑顔にしてくれたのは、亡き人であり、亡き人が生きた時間なのだと思います。

けれども悲しくて当然だし、苦しいと感じる時間も何度も迎えます。その度に、悲しみや苦しみを何度も通過するたびに得た、優しさに支えられているのだと思います。

そのようなお話しを含めながらの、非常に深い時間を過ごさせていただきました。今回も新たな情報をお持ち帰りになられました。益々のご活躍を岩手県の地から応援しています。お疲れ様でした!

2016年12月19日

日総研さん大阪セミナー

「新生児・小児におけるエンゼルケアとグリーフケア」の講座が大阪からスタートしました。こちらの講座で全国の主要都市を回らせていただくのは、3回目となります。

全国各地の地域にある民族風習のお話しをお伝えしながら、現場からお別れの時間の中にある希望や、その方それぞれの立ち位置と役割・心情、関わり方やタイミングを含めて、

お伝えしたいことは山ほどあれど、皆さんの現場に沿った形で、大切なところをお別れの時間からピックアップしてお伝えしました。

赤ちゃん・小児の医療専門職の皆さん、産婦人科、NICU、GCU、小児科、遠くは愛知県からもセミナーにご参加くださいました。

私も、過去のお別れのお手伝いをさせていただいた現場を想い出しながら、お話しをさせていただきました。

質問も沢山いただきまして、セミナーの中で回答しながら、進めていきました。印象に残った質問は、

「死んだ母ちゃんの写真を家に飾っているお母さんを、心配しています。」とありました。

なので、母親の心理を解説していきました。

「生きていても、死を迎えていても、母親にとって「子」であることは変わりません。「可愛い」と思う我が子の写真を飾っているというだけの、正当な理由であると思うし、何も心配はいらないと思います。

そのお母さんの世界の中の話しですし、誰かに迷惑を掛けている訳でもないですしね。そのお母さんにとって、生死は区別するものではなく、一つなんだと思います。私は、ステキなお母さんだなぁって思いますし、それを心配してくれる助産師さんもステキだと思います。良い関係なのですね。

子を亡くした経験がある親なら、このお母さんの行動を聞いて、よく理解出来ると思います。それこそお母さんたちから、「普通!普通!」なんて声も、聞こえて来そうです。

助産師さんとお母さんが、良好な関係であることが分かるので、いつか聞けることがあれば、お母さんに聞いてみると良いですよ。「可愛いですね。」って。「そうでしょ〜〜!」って、親としての普通の感情から起こる行動だということが、心に伝わってくると思います。」

私の担当させていただいた現場で、こんなことがありました。

赤ちゃんを亡くしたお母さんは、最初は取り乱していました。大切な子を亡くしたのですから、当然の心情です。一緒に色々と進めていくうちに、お母さんが言いました。

「赤ちゃんを抱いて、お散歩に行きたい!」

初めて授かった赤ちゃんだと、教えてもらいました。お母さんの表情は、母の顔をされていました。死んだ赤ちゃんを抱いて、外へ出てしまえば今の世の中、全ての人がその行動を理解して受け入れてくれるわけではありませんから、私の立場としては、親子の関係性をこれからも育んでもらいつつ、親子を守りたい。

お母さん「外にお散歩に行って来ても良い?」

私「外に出ると、赤ちゃんが陽に当たっちゃうから、体が傷みやすくなりますよ。だから、帽子を被したり、お顔が少し隠れるようにして陽を当てず・・・、お庭なら良いですよ。何かあってもすぐ、戻って来れるでしょ?」

お母さんの希望を叶えるための方法を、必死で探しました。お母さんが傷付かないように、言葉を一つ一つ変換していきました。

お母さん「そっか。分かった!」

お母さんは、死を迎えた我が子を抱きながら、お庭でお散歩をして、時々足を止めては子守唄を歌っていました。火葬を迎えるまでの時間しか、抱くことは出来ません。私はそれを知っているから、二度と戻らない今の時間を大事にしてもらいたいと思っています。出来ることなら、今の時間を宝物にして生きる力に変えて欲しいと願わずにはいられません。

骨を食べたり、少し隠し持っていたり、子の髪の毛を食べてみたり、腐敗が始まっていてもずっと抱いていたり、色んな愛情表現があるんです。でも、その行動は悲しみの深さに等しいと思うから、私は人に迷惑を掛けていないなら、良いと思います。

問題なのは、子を亡くしても悲しみの感情の線に触れていない人。目の前の子の死を、物のように扱う人。そういう状況の中での対応は、伝えていく方法が大きく変わりますから、最終的に死の意味を理解していただくまで、違う意味での神経を使います。ちなみに説得はしませんが、そういう現場もあるんです。

人それぞれの感情と出逢う、それがマニュアルが通用しない、死の世界の課題だと思っています。人と出逢うということは、きっとそういうことだと思うので。

質問の時間には他にも色々ありましたが、皆さんの赤ちゃんや子どもたちに、親御さんに向ける深い愛情、気持ちも沢山伺うことが出来ました。セミナー中は、涙が止まらなくなった方が数名居られました。自分のケアのために、このセミナーに来られる方は沢山居ますから、今後も皆さんそれぞれの意味で、活用いただければと思います。

朝から夕方までのセミナーでしたが、本当に皆さまお疲れ様でした。




【おまけ】
病棟でこらからクリスマス会をするとのお話しも伺いました。なので、少し情報提供をしました。

サンタクロースは2種類居ます。

赤いサンタは、良い子にお菓子やオモチャなど、欲しかったものを持ってプレゼントをしてくれます。が、

黒いサンタも実は居て、ブラックサンタと呼ばれます。片付けをしない、ワガママを言う、人に迷惑を掛けるなど、悪い子の所にはブラックサンタが現れて、お仕置きをするらしいです。(多分、戒めの話し・・・、どこの国にもあるんだなぁ〜。でも、ブラックサンタ怖いっ!)

さて、皆さんのところには、どちらのサンタが来るのでしょうか⁉︎いや、来て欲しいでしょうか!と考えれば、行動も変わるのではないでしょうか?(笑)

2016年12月17日

広島国際学院高等学校

今年で5年目、三年生500人の生徒さんに向けての「いのちの授業」にお邪魔していました。

この5年、私も先生方々に色んなことを、広島県が経験した歴史からも様々に、お知恵を拝借して参りました。

先生方々との話の中で、現在ニュースなどでも取り上げられている、福島県から県外に避難し引っ越した先で、子どもたちが原発事故が引き起こした要因から、いじめにあっていることも話題に上がりました。

それが事実なら、私の心はとても切なく張り裂けそうで、辛い限りです。

東日本大地震の中、復元ボランティアを続けさせていただく中で、ある日、一通の封筒が私の所に届きました。自分のお小遣いで買ったという、小学生の男の子からでした。一枚の脱脂綿が入っていました。「亡くなった人のために、使ってください」と書いてあるものでした。もしかしたらこの子も、大切な人を亡くしたのだろうかと、そのとき私は思いました。福島県から関東に避難したという内容のお手紙も、入っていました。

その子が成長していたら、あのニュースの子と同じ歳です。正直、重なりました。その子ではなかったとしても、あってはならないことだと思います。

大人の世界が、子どもの世界にリアルに反映されますから、子どもの世界の問題は、子どもの環境の中にある、大人の問題でもあると言えます。いじめを発信した子どもたちはきっと、そういう環境の中に置かれているのかもしれません。

孔子は言いました。100%な人なんて居ません。間違いは、誰にでもあることだから、間違いを認めて改めることが、一番大切なことだ。何より、間違いに気がつかないことの方が、よっぽど問題である。それが、倫理であるのだから。(と、言うようなことを言っていたと思います)

正しい道を歩いていれば、最初は孤独でも、最後は沢山の同志と共に過ごせるから、孤独になることはないと、これまた孔子は言いました。

いのちの授業では、
「本当の友だちは、それは違うよって言ってくれる人。ただ違うと言うだけではなくて、一緒に正しいことが何なのかを語り合って、行動してくれる人なんだよ。」と話します。

最初は寒かった三年生が集まった体育館の中では、500人の生徒さんの熱気で、最後は暖かくなっていました。

「え〜!」とか、
「きゃー」とか、
「はいっ!」って手を上げて発言してくれたり、皆さんの関心に一つ一つ答えながらの60分となりました。

広島国際学院高等学校の校舎の中を歩いていると、さすがスポーツ校。生徒さんが元気に挨拶をしてくれて、今年もみんなの笑顔が印象的でした。

今年もとても深くて、良い時間を頂戴しました。ありがとうございました。



2016年12月13日

岩手県北上市立上野中学生

上野中学校は、今回で3回目。去年も声を掛けていただいたのですが、私のスケジュールの空きがなくて、今回も何度も調整していただいての、昨日を迎えました。

毎年行われていて、今年で17回目を迎える「いのちを考える」授業として、昨日の午後、全校生徒の皆さんに向けてお話しをさせていただきました。

こちらの中学校は、私の会社のすぐ近くです。
上野中学校の皆さんも、毎日地域の人たちに元気いっぱい、登下校の時間に挨拶をしてくれます。

「地域の人たちは、みんなの挨拶をとても楽しみにしています。いつも、地域を元気付けてくれてありがとう。」の挨拶からスタートしました。

授業の中では、東日本大震災に於いて被災地に指定された中で、今までとこれからを考えて行きます。被災と一言で言っても、それぞれの立ち位置で被災の意味が違って来ます。

そういう意味を含めての、被災した経験を持つ子どもたちと、被災の経験の無い子どもたちの気持ちを少しでもつなげられたらと、

家族や大切な人を亡くした経験のある子たちと、経験の無い子たちの気持ちをつなげられたらと、

思いやりや、いたわりのキャッチボールをしてもらいながら、

昨日はみんなが手を挙げてくれたり、想いを言葉で表現してくれたり、どんどん参加もしてくれて、一時は握手会になる場面もあり(笑)、

生活の中にある「いのち」を中心に考えながら、自分の生活背景を考えてもらって、先ずは自分のまわりにあるいのちに目を向けてもらって、気が付いて、感謝しながら、一歩ずつ進んでいこうねと、お話しをさせていただきました。

授業を終えてからの、生徒代表あいさつで、

「僕は今日の授業を受けるまで、自分が生きていることを意識したことがありませんでした。

自分が生きている中で、本当は色んな人に支えてもらって、いのちをつないでもらって生きていることを意識しました。

今日は大切な人たちに、ありがとうを伝える日にしたいと思います。(後略)」

と、感想を聞かせてくれました。上野中学校は私も色々なつながりもあり、普段からご協力いただき、知り合いの先生も多い学校です。日頃からも今回も、校長先生、諸先生方に、大変お世話になりました。ありがとうございました。

【おまけ】
生徒の皆さんが、私と握手をしたい理由です。震災で多くの小さな子どもたちの復元にも、ご縁をいただきました。生徒さん向けの授業の時だけ、今年から更に深めて、次の世代に伝えておきたいことだから、私の当時の本当の気持ちも語ります。

死者や死体という概念から、いのちの授業を通して「個」になり、その人一人ひとりの存在になっていく中で、

握手を通して私の過去の記憶にある亡き人とつながり、同時に自分自身の経験の中にある亡き大切な人を見つめて想い、みんな、生きる意味を深めてくれます。優しい子たちが多いんですよ。

握手をしてくださいと、言ってくれる子どもたち、

「今の自分に出来ること!」

と言って、握手をしてくれる子たちが多いです。なかなか手を離してもらえないこともありますが(笑)

「ありがとうね。」

私も亡くなった人を大切に想ってくれる気持ちを預かり、死を迎えた方が今のシーンを見たら、とても嬉しいだろうなと、媒介の役をさせてもらえることに、背筋を正して頑張ろうと、生徒さんたちから元気をたくさんもらっています。


2016年12月12日

ふたご座流星群

三大流星群と言えば、1月のしぶんき座流星群、8月のペルセウス座流星群、そして明日の夜に見ることの出来る、ふたご座流星群です。(知ったかぶりしましたが、いのちの授業のときに、校長先生に教えてもらいました。(笑)٩( 'ω' )و)

流星群の出現予測時間が14日の朝なので、一番の見どころは、前日の13日の宵(日が暮れてしばらくしてから)なのだそうです。

ちょうど満月に当たるそうですから、月明かりの影響が大きく、見える流星群の数はかなり減ってしまうのだそうですが、

明るい流れ星も、とても多く出現するそうですし、

満月と流れ星のコラボレーションが見られるかも!!!!!!

なんて、幻想的!

岩手県は一昨日から寒さが厳しく、連日氷点下が続いています。実は、冷え込みが厳しい日には、星がとてもキレイに見えるということは、言うまでもありません。

東北の冬は寒い。でも、星がとてもキレイに見えるから、全国各地から星を見に来る観光客も密かに多いそうです。

今日は仕事中に、遠野で座敷わらしの、衝撃的な本当の話しを聞きました。柳田國男氏の遠野物語、水木しげるさんも通った遠野。心惹かれる民俗学を、もっと知りたいと思った今日でした。

座敷わらしも、お星さまになれるといいなぁ。(おばちゃんが、一生懸命応援してあげるからね。あ、お姉さんね。)そんなことを普通に思ってしまう、遠野の魅力を経験しました。

宮沢賢治の童話にも、星や空のお話しが多い。東北の民話も、星や空に関連した「いのちを語る」お話しが多くあります。昔から人は星空からも、いのちを感じて生きていたのかもしれませんね。

追伸、
ふたご座流星群は、月を背にして夜空を見ると、キレイに見えるそうです!(いただいた情報です。ありがとうございました!(*´ー`*))

2016年12月10日

四国・高知県へ

四国の高知県に行って来ました。

到着して、夕方から一般の方向けの講演。高知新聞さんのご協力をいただいたそうで、たくさんの皆さまと、ご縁をつないでいただきました。書店さんにも、お世話になりました。

震災絵日記を枕の下に置いて寝ると、亡くした家族が夢に出て来てくれました!と、報告を受けることも多くなりました。体験としては不思議なんだけど、なんか、ほんわかする内容を色々と教えていただいて、嬉しいなぁと、思っています。

翌日朝一、看護学校の授業。高知県医師会看護専門学校。校長先生が外科のDr.で、授業の前の打ち合わせの時間でしたが、これまた、どんどん話しが深まりました。外科のDr.の皆さんからは、復元は手術と似ていると言うことで、技術面でも応援していただくことが増えています。色々な情報もいただいて、有難い限りです。

そして授業終了後、そのまま飛行機に乗って帰るという、スケジュールでした。空港に向かう途中、看護学校の先生方々のご配慮で、帰りのタクシーが八十八ケ所の1ヶ寺に寄ってくださって、人生初の八十八ケ所に少し触れて、一人でジーンとしてしまいました。

【八十八ケ所巡礼】
四国といえば、八十八ケ所巡礼。八十八ケ所巡礼をされる方は、お遍路さんと呼ばれますが、お遍路さんは歩きながら、

「南無大師遍照金剛・同行二人」

と唱えるのは有名な話です。これを唱えると弘法大師空海が、共に居てくれるのだと伝えられています。

神仏と一体になる又は、迎えに来ていただいたり、共に居てくださったり、そういう言葉は実は心を澄ませば、ちゃんと存在します。

南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)

などは、お年寄りがよく納棺の時間も、おまじないのように唱えています。実は、とてもステキで且つ、パワーアップ出来る言葉だったんですね。他にもいっぱいありますが。

若い頃は、色々思い通りにならないことも多くて神仏にお願い事をする傾向にあるけれど、歳を重ねると沢山の苦労を積み重ねて、物事(ものごと)の道理を理解するので、神仏への気持ちの伝え方も変わるし、感謝の気持ちで神仏に向かうことが多くなるそうです。

お遍路さんが八十八ケ所を巡礼するのですが、それは弘法大師空海が修行中に歩いた、そのままの道や遍歴を霊場として、現代に伝えられたものとされています。

四国・八十八ケ所巡礼にまつわる、色々な不思議話しがたくさんあります。何だか不思議な旅だったなと、振り返りながら空港に着きました。空港には、お遍路さんがお着替えが出来るお部屋が、用意されていました。さすがだなぁ〜と、思った私でした。これぞ、おもてなし!(๑˃̵ᴗ˂̵)

有名な観光地や霊場は、全国各地にたくさんありますが、その地で人を迎え、もてなす風習も継がれていることを、忘れてはいけないことなんだと、学んだ時間でもありました。歴史を守る、その難しさもよく知っているからこそ、私も学びを積み重ねて、そうでありたいなと縁の下の力持ちの皆さんに、又深く感謝をした時間でした。ありがとうございました。

一般講演のアンケートの感想をいただいたので、後日、ご紹介致します。

2016年12月7日

ベスト3‼︎

ご遺族からご連絡いただくことが多くある中で、最近よく話す話題をちょっと抜粋。

【後悔】
「戻らないことに対しての思い」

二度と戻らないのは、過去の時間。(あの時に戻れたら!の気持ちを持ったとき、ドラえもんが居たらいいのにという話しに、よくなります。ドラえもんが、ご遺族の気持ちを支えている⁉︎)

【意味を探す】
過去は変えられないけれど、変えられるのは自分が出す評価や価値観。(この前は、こう思っていたけど、今は、こう思う!という話しに花が咲く。時間が寄り添ってくれるのは確かかもしれないけれど、時間の中の出会いが、大きな意味を持つかも。)

【ほっとするとき】
安心を求めるなら、それに共感したり同意出来ることへの情報としての出会い、又はそういう同じ価値観を持つ人との出会い。(苦しい感情を持ったとき、苦しい経験の中でアンテナを張るから、情報が受け取りやすく、心に染み込みやすい。)

【ひと休み】
「自分のペースで、ゆっくり考えたい」

という人も居ます。色々声を掛けてはもらうけど、今はじっとして居たい。悲しみを考える流れの中では、1人で考えてみる時間って、実はとても大切です。

【知恵を得る】
気が付かなかった発見と出会うと(自分を客観的に見ることが出来るようになる)、人は、じっと考えることでエネルギーや体力を貯めているから、動けるチャンスに乗れるタイミング!そして、又歩き出す。

でもそうやって生きてみて、気が付けばそのきっかけは、悲しみが作ってくれているということ。

【スタートに戻る】
「スタートに戻ったけど、何か違うよ!」そんな意見も多いです。

スタートした場所に、いつでも心は戻るけど、ただ戻る訳ではなくて、一周してきた時に必要なことを様々に得たことを身に付けて又は、苦しいことを一つ一つを大切にどこかに置いて身を軽くして、スタートに戻っているということが、言えると思います。

こうして流れを見てみると、死出の旅路のため、送る側の私たちは亡くなられた方に、家族と一緒に着付けを行いますが(宗旨により様々な形態がある)、

歩いて、ホッとして足を止め、休んでエネルギーを貯めて、知恵をもらって、そして歩き出す。

旅(心の)をスタートさせるのは、遺された側も一緒なのかもしれないなと、思うことが多くあります。

納棺の時間は、お互いを思っていることを確認している作業とも、言えるのかもしれませんね。

【ベスト3】
私のまわりのご遺族が大好きな人ベスト3‼︎共通点は、言葉の使い方と、思いやりのある言い回し、その表現法。ご遺族の心を支えてくれます。

第3位     となりのトトロ
(肩の力を抜いて癒されながら感じる、すぐ近くにある山や川の自然の世界)

第2位    ドラえもん(希望そのもの)

第1位    水木しげるさん
(ここまで来れば、みんなの師匠的な存在)

ということで。さて、お仕事に集中しましょ٩( 'ω' )وどんど晴れ‼︎

2016年12月5日

お疲れ様、吉山くん。

管理人の吉山くんが、先月末で夢ハウスを卒業して、大槌町を飛び立ちました。

今年の4月14日に発生した、生まれ育った故郷の熊本地震。発生から2日後に帰省して、約1ヶ月後に大槌町に帰って来てから、随分悩んでいました。

両親も祖母も、幼馴染も大学の同級生も先生方々も、彼が大槌町民になってから、ずっと吉山くんを支えて来てくれた人たち。

始めて吉山くんの男泣きを見たのが、その後の8月。溜まった不安とストレスが、吉山くんを襲っていました。

簡単に出した結論では無いことは、ずっと気持ちを聞いて来たからこそ、知っている。出した結論に対し、夢ハウスの子どもたちも泣きながらではあったけれど、吉山くんの背中を押してくれました。

最初はあんなに反抗していた子たちが、あんなに泣きながら、吉山くんにお礼を伝えてくれてね。初期の頃から通っていた子たち、その後に通い始めた子たちが、すっかり吉山くんの、一人ひとりが右腕になり、夢ハウスを一緒に作り、支えてくれました。

今まで本当にたくさんの壁や、問題が発生していましたが、吉山くんが先陣を切って今まで解決して、全ての問題に対して人の温もりを加え、血の通った内容に結果として出して来てくれました。本当に、お疲れ様。そして、ありがとう。

夢ハウスは新たな門出を迎え、これから新生夢ハウスとなりますが、どのような形になっていくのかは、これから。

今まで、吉山くんを応援していただいた皆さまに、深く感謝を申し上げます。吉山くんが新たに向かった先は、今はお伝えできませんが、元気に過ごしております。吉山くんの人生も、新たな一歩を踏み出したので、これからです。引き続き、応援してあげてください。よろしくお願い致します。

何より、目標を達成に向かって悩み考える姿、結論を出して、実行すること。立つ鳥跡を濁さずの姿を、最後まで、ちゃんと子どもたちへお手本を見せてくれたと思います。文句なしの、出発でした。あの若者は、本当に大したもんだ。吉山くん、万歳!!

引き続き、子ども夢ハウスおおつちの方も、応援よろしくお願い致します。

2016年12月4日

マンツーマンセミナー

名古屋で、出張マンツーマンセミナーでした。ベテランの納棺師・湯灌師の皆さんが全国各地から集まって、受講者は10名。出張期間は5日間。


    マンツーマンセミナーも、皆さん本気で挑まれて来られますし、何より覚える量が多いので、伝え方も工夫します。

     参加型納棺を伝える訳ですから、セミナーも参加型です。現代は、参加型授業が重要視されるようになり、アクティブラーニングとも呼ばれているようです。

「思考を活性化」し、情報を伝えて、現実に発生している課題に沿って、実際に訓練してやってみて考える、その内容について意見を出し合って考える、各々自身がわかりやすく情報をまとめ直す。復習として、応用問題を解く。セミナーの中で実践してみることで、作業を介してより深くわかるようになることや、よりうまくできるようになることを目指すものです。

 これにより個々の又、お互いのその立場を捉えて、客観的且つ総合的にさらに深く捉えて、全体采配出来るように目指します。

    様々な職業の方が全国各地から弊社マンツーマンセミナーを受講され、各地域に戻り、更に受講内容を各々切磋琢磨して、その結果多くの皆さんがもっと頼りにされて、事業を発展されています。

   みんなそれぞれ成功の裏には、流した涙も苦労も多々あり、努力も深くあるものです。悔しい経験をしたことのある人だから、誰かの笑顔のために、という目標に向かっています。それを応援するのが、マンツーマンセミナーだと思っていただいて良いと思います。

   今回は、全国各地のしきたりや風習についての違いや共通点などの話し合いも行われました。納棺の時間には、ご遺族にとって非常に重要な心の援助のための、伝統です。

   そして「悲しみ」についての研究が盛んに行われている現代ですが、ネアンデルタール人のお墓からも、墓に手向けたお花の遺跡が見付かっているそうです。そう考えれば大昔から、生涯をかけて悲しみと共に生きる道を、みんな探しているのかもしれません。

    死の価値を探すときに大切なのは、自分がどう生きているのか、又はどう生きたのか。亡くなった大切な人の「どう生きたのか」を考えたとき、その人の死から私たちは、意識して生きることを教えてもらっています。その瞬間から、様々に考え方が深まるものです。

  どう生きたのかで、死の価値は随分変わって来ますから、生きていることを意識して、明日が当たり前に来るものではないことを理解して、

今に感謝をして生きることが、

遺してくれた後悔に対する、その人に対する恩返しなのかもしれません。

気が付けば師走(しわす・師匠が走るくらい忙しい月という意味もあるらしい)

名古屋は15℃、岩手県は7℃、北海道は大雪!飛行機を降りたら、やっぱり寒かった・・・。私も次の出張まで、通常業務に戻ります。

ラクダ物語

おじいちゃんとお孫さんのお別れの話し。

おじいちゃん、80代。お孫さん、高校生。ずっと泣いていたお孫さんが、棺の蓋を閉める前に言いました。

孫「ぼく、じいちゃんっ子だったんです。」

私「そうですか。(頷く)」

孫「よく、ケンカもしました。」

私、頷く(ある、ある。)

孫「どうしてケンカしたかって、いつもちっちゃなことでした・・・。」

私「そっかぁ。(そう思えることが偉い!)」

孫「冬に入る前だったと思います。寒かったので、「今日、寒かったね。」って、じいちゃんに言ったんですけど、

次の日じいちゃんが、インナー(タイツ)を買って来てくれたんです。見たら、素材はフワフワで肌(ラクダ)色、「こんなのいらない。」って言ったら、じいちゃんが元気なくなっちゃって。

学校でみんなの前で着替えるとき、カッコ悪いと思ったんです。だから、いらないって言っちゃった。せめて黒とか、カッコイイ色が良かったんです。どうしておじいちゃんは、あれを選んだのかなぁ?」

私「あなたがその色をカッコイイと思うように、おじいちゃんにとっては、あなたにプレゼントをしたインナーが、おじいちゃんにとって、一番カッコ良くて、あなたを暖かく守ってもらえる、最高の物だったんだろうね。・・・愛されてたんだね。」

孫、何処かへ走っていく。・・・しばらくして戻って来て、

孫「これですよ。」

私「(・・・なっ!これは、友達の前では履けないかも・・・。)そっかぁ・・・。」

孫と私、笑う。

孫「これから、履こうかな。「じいちゃんにもらったんだって、友だちに言えば良いし。」

私「いや、無理をしなくても良いと思うよ。家で履いても良いんだしね。毎日履いて過ごすのも一つ、大事に取っておいて、形見で持っているという方法もあるよ。」

孫「じいちゃんと、買い物に行けば良かったんですね。そうしたら、僕の好きなものも、じいちゃんの好みも分かったのに。」(価値観を擦り合わせて、共有する方法を見付けたことが、すごいね!悲しみは、そういうことを教えてくれます。)

私「大抵は、大事な人(亡くなった家族)の写真を手帳とかに持って歩く人が多いんだよ。例えば、買い物に行くときに気に入った物を手にしながら、

「おじいちゃん、ぼくは、こういうのが好みなんだよ」

って、心の中で話しかけてみたら?それから、おじいちゃんだったら、どんなのを選ぶかなぁ?って見てみたら?これかな?これかな?って、探しているとクスッとステキな笑顔になれるよ(笑)。」

孫「うん、そうします!」(スゴイ良い顔)

私「その笑顔は、おじいちゃんと過ごしていた時の笑顔だからね。笑顔、大事にね。笑顔を大事に出来るということは引き続き、おじいちゃんを大事にしていることだからね。

肌着を選んでいるとき、あなたのことを思って、良い笑顔でおじいちゃんも選んで買っていたんだと思うから。肌着の件は、解決。その笑顔に意味を持って、大事にね!」

孫「はい!」

以上、ラクダ色の肌着が2人をつないだ、ステキな物語でした。


追記、
お空の上のおじいちゃん〜〜!!!!!!せめて、黒とかでお願いしまーす!しかしながら、おじいちゃんが愛情いっぱいで関わられたから、ステキて可愛いお孫さんでしたよ〜!!