2016年12月31日

今年もお世話になりました。

今年も、ご遺族との時間の中で、

亡き人とのつながりを確認して、大切な人を守る守り方を探す

己の道を歩む姿に勇気をいただき、生き方それぞれという思いに触れさせていただいた一年だったと思います。

又、ブログにのせなかった納棺の現場も実際は多くあり、納棺終了後にご家族の方から、ご家族皆さんからお手紙をいただくことも、たくさんありました。

ご家族お一人お一人の気持ちを教えていただいて、大切な人を亡くすこと、その背景にある抱えていること、涙を流しながら拝読させていただいたという時間も多かったように思います。

ご家族の皆さんの苦悩、その負担を、せめて今だけでも、至らない中でも少しでもお預かり出来ればと、現場では私も必死です。

親を亡くした子どもたちとは、現場にいる多くの皆さんのご協力をいただいて、

大切な人を亡くした今しかない現場では、

二つとないお別れの時間を、子どもたち、そしてご家族の皆さんと手作りで作りました。だから、私にとっても忘れられない時間を、ご家族の皆さんと一緒にいくつも積み重ねました。

何度も母の棺に入る、小学生の子どもさん。

「もっとお母さんに抱っこされたかった」と話してくれました。周りの人がよく理解してくれ、協力してくれました。いっぱいお母さんに触れ、くっついていました。

「笹原さん、のばして!」もっと傍に居たくて、着付けの時間を後に伸ばしてと、おねだりする子どもたち。この時間が終わりを迎えることを感じているからでしょうね。「オッケー、じゃ、10分のばします!」そういう現場も多々あります。(采配は私の頑張るべき所なので)

でも、その本人一人ひとりにしか、今の気持ちも、これからの気持ちも分かりません。思い込まず、決め付けず、今しか出来ないことの提案を怠らず、共に価値観を共有し、漏らしていることはないか、緊張感を保ち集中して進めます。そんな風に、現場では自分をいつも戒めています。

現場では一つ形にするとき、私個人の自己満足は求めません(そんなこと自体がありえないから。)ご家族の求めることに対してよく知ろうとし(むやみに聞かない、その難しさ)、そこに居るすべての人が同じ思いになっていただけるよう力を尽くし、お一人お一人がご家族に対して力を発揮していただけるよう、コーディネートに入るだけです。

本当は、みんな深い優しさを持っています。采配を間違えなければ、頑張ろうとしている人を信じてさえくれれば、見守ることの中に、人の温かさが存在します。それが納棺の難しさと、同時に亡き人が遺してくれたことの深さなんだと思います。

「笹原さん、あのね!」

と訪ねたり、連絡をくださる大人も子どもさんたちも多くいますが、亡き人への思いを伝えてくれるその後の関わりの中に、「鼻歌」があるものです。亡くなられた方が生前歌ってた歌に出会うと、なんかちょっとジーンとします。

私「これ、あのうた?」
子「違うよ〜〜!!!!!!」

なんてことも。音程の価値観を合わせることは、大事なことです。(決して外れてるとは言ってません(笑))

今年一年も、たくさんのお仕事をさせていただきました。来年に持ち越した課題は、一つ。いのちの授業で、トイレの花子さんの友達の二郎さんのことを調べていなかったので、それ!

今年も多くの執筆もさせていただきました。来年も1回目の締め切りがすぐです。現段階でいただいているお仕事含め、執筆も、出来るだけ力を入れていきたいと思います。(お申し込みから締め切りまでの時間が短い場合は、他の仕事もたくさんあるのでお受け出来ないことがあります。ご了承くださいませ。ごめんなさい。)

今年も大変、お世話になりました。来年も、よろしくお願い申し上げます。