2016年3月30日

マンツーマンセミナー

6日間のコースを受講するため、東京からようこそお越しくださいました。本日で5日目です。

10時〜18時(大抵は時間通りには終わらないことも多いです)までの毎日のセミナーの中で、ものすごい数の知識と、様々な技術を猛特訓。一つ一つの猛特訓が以下の通り。

頭に流れをしっかり入れる→
猛特訓をして体に流れを覚えさせる→
臨機応変に対応すべく更に猛特訓。

コースにより異なりますが、おおよその流れです。セミナー期間中は、現場で発生する課題を中心に、どんな質問をしても良いので、定期的に通われている方は、現場での課題をたくさん持ってセミナーを受講される方も多く居られます。求められていることに対して傍観を決め込むのではなく、出来ることを増やすことが目的です。一つでも多くの引き出しを増やしてもらえるように、一つでも多くご遺族の要望に応えられるように、私たちもお伝えしてお手伝いしています。

技術職は、大きなリスクを持ち合わせます。それは、

自分が出来たと思ったことと、相手の依頼主が出来ていると思ったことと、評価が違うことがあるからです。すれ違いや価値観の違いを放っておくと、援助をする目的と大きく違う方向の、深い悲しみに落としてしまうという結果を招くことがあります。それをよく理解して、技術を提供しなければなりません。自己評価を高くせず、冷静に自分を客観的に見て、観察する視点を養わなくてはなりません。

技術職は、驚く程一瞬で信頼していただいて好かれるメリットと、真逆の一瞬で嫌われるデメリットを持ち合わせます。どちらに傾くか、どちらに傾けたいのか、自分が何をしたいのか、自分が何故この動きを選ぶのか、それによって関係する一人一人がどんな心情を抱くのか、自分の行動により、何を招く可能性があるのか等々、よく考えて自分の行動を決めなければなりません。

納棺や復元の現場も、社会問題に直面することが多くあります。その対応やつながり、理解も必要です。

セミナーの内容自体、とてもハードではありますが、

「最期って、何て言いたかったのかな?」ご遺族が私たちに問い掛けることの多いこの言葉に、私たちは答えを持ち合わせていません。だからこそ、ご遺族の想いを故人への技術に変えていき、そっとお傍でお気持ちを見て守ることしか出来ません。

全国各地から岩手県に入り、マンツーマンセミナーを受講され、たくさんの引き出しを増やし、地元に帰りたくさんのファンが増えて、マンツーマンセミナーを受講されたお一人お一人が修了証を手にして、益々活躍されています。

残り2日!いただくご縁に精一杯向き合えるよう、で頑張りましょう!!


2016年3月28日

子ども夢ハウスおおつち、お引っ越し!

いつも皆さまのご支援、心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。

今月は、夢ハウスのお引っ越しがあります。今までずっとお世話になった地域の皆さんの支えと、つながりでのステキなお話しです。すり傷公園も、かさ上げの順番が回ってきたことで撤去。けれど工事のおじさんやお兄さん方々が、子どもたちがギリギリまで遊べるように、子どもの歩幅に合わせた階段などを作ってくれて、愛情をいっぱい掛けてくれていました。血がつながらないことなんて、関係ないね!知ってる人は、みんな家族!(子どもたち談)という感じで、大変なことももちろん色々あるけれど、みんなに可愛られて、子どもたちも成長しています。ありがたい、ありがたい。

昨年末から決まっていた、お引っ越しです。子どもたちも、お手伝い、お手伝い!想い出いっぱいの夢ハウスに、お別れをしなければなりません。今までの想い出をしっかり胸に刻んで抱き、心機一転これからへの気持ちを育んでの、新しい夢ハウスに引っ越し。又、1日1日の想い出を胸に、しっかりみんなで手をつないで刻んで行こう!と、用務員のお姉さん(私)は、吉山くんから教えてもらう、みんなが夢ハウスで過ごす、木登りや何か掘ったり⁉︎、話し合ったり、ケンカして仲直りしたり、色んなステキな時間のお話しを教えてもらって、思っていたのでした。

頑張ってる子はちょっと休憩のため、ちょっと悩んでいる子、しっかり考える時間を作りたい子、社会見学をしたい!子などなどは、北上市まで少し足を伸ばして、我が家にお泊りに来ています。みんな背景は様々で、気持ちも色々。でも、きっとそれで良い(くっそー・夢ハウス代表談)。我が家で過ごしながら「町の外から、自分の町を思うのも良いね。」と言い、やっぱり基本は生まれ育った町を思う、子どもたちです。ステキです。

昨日、今日と長いこと福島県に支援に入ってくれている、吉山くんの学生時代の同期の子が、北上市に顔を出してくれました。とても爽やか君で、好青年。今の若者は、そして熊本県のN先生の教え子の子たちは、とても素晴らしい。どんどん年を積み重ねる私は、気力と体力のバランスが何だか最近取れず・・・(笑)、改めて若人に支えられている社会を実感したのでした。吉山くん、Nくん仲良し二人組にも、熊本県から遠く離れた東北の地へ被災地のご支援に、改めて感謝です。

子どもたちとの会話は、いつも楽しく学びも多く、ハッと気付かされることもあります。その中の二つを、今日のblogの最後に、ご紹介します。

子「これ、どうやって書くの?」
私「御中(おんちゅう)って書くんだよ、ここね、こうやってね・・・。」
子「ウォンチュー(Iwant you)?」
私「I want you⁉︎その意味知ってる?」
子(辞書を見ている)
私「⁉︎、これ、ここに書いてあるよ。おんちゅうだよ、I want you.は、あなたが欲しいだから、意味がちょっと違うよ。」
子「(笑)でもさぁ、そっちの方が、嬉しくない?」
私「まぁね、(笑)そういう人も居るかもね!」

子「あのさぁ、大人ってね、コンビニとかに子どもがたむろってたら(集まる)、不良ってすぐ言うでしょ?」
私「んー、・・・。」
子「でもさぁ、大人って酒場でたむろってるのに、どうして誰も注意しないの?酔っ払って、大きな声出して、子どもより悪くない?」
私「あぁ、そういう人も居るかもね(笑)」
子「子どもがたむろってる方がまだ、良くない?」
私「目的とか、使うお金が何処から出ているのかとか、公衆的にとか誰かの迷惑になっていないかとか、その先がどうなるのか等々、総合的にだろうかね?子どもは大人に注意されることが多いと思うけど、大人は大人に注意されることが多いと思うよ。」
子「へぇー、知性と理性と道徳だね。」
私「正に!すごいね、素晴らしいね〜!」
子「まぁね!(笑)」


朝晩はやっぱり少し冷え込むけれど、被災地もふきのとう(岩手県では、ふきのとうをバッケと呼ぶ)が芽を出して、いよいよ春の訪れを感じる季節になりました。お年寄りはバッケを細かく刻んで、味噌に漬けて「バッケ味噌」を作る季節です。バッケ味噌は、おにぎりに入れたり、お茶漬けに入れたりして食べます。岩手県にお出での際は、ぜひご賞味くださいませ。

皆さまのご支援・ご寄付に、心から感謝を申し上げます。季節の変わり目ですから、皆さまもお体を大切にお過ごしくださいませ。

2016年3月26日

ケアタウン小平・聖ヨハネホスピスケア研究所主催第10回講演会

24日、東京に行きました。

ご依頼をいただいたとき、「ま、まさか⁉︎」と何度もDr.のお名前を確認しました。「ほ、本物だ・・・。」全国各地で普段からお世話になっているDr.から、以前から伺っていたDr.のお名前。「すごいねー!」ご依頼いただいたDr.を尊敬されているDr.の皆さんから、講演の日まで、たくさんメールをいただきました。そう、あの!山崎章郎(ふみお)Dr.からのご依頼でした。

日本のホスピスを開拓されたDr.のお一人。告知が当たり前ではない時代に、告知が必要な人には告知が必要だと、実践したDr.。ずいぶん前だけど病院に勤めたことのある私は、当時から山崎Dr.のお名前は存じ上げていました。病院に居て、目の前で告知された患者さんがショックで脱走して、探しに行ったりということも随分ありました。医療従事者も、本当は患者さんを支えたい・・・。昔、告知は課題であったことは確かでした。知ってるけど言えない、患者さん本人に「ぼくは死ぬの?」聞かれるけど言えない、家族の心情と患者さん本人の心情と、最期の時間。夢物語では現実は進めない、今の時間をどうしたら良いのか、よくみんなで話し合ったことを思い出します。現場を知っているからこそ、山崎Dr.が開拓したことは、並大抵の努力や精神では出来ないことだと、思っていました。お話しを伺いながら、先生が様々な苦労の中に目の前の一つ一つに覚悟を決めてきたことを、感じました。

私の周りにもいつも支えて下さる、本当にステキなDr.が沢山居られます。Dr.がどのくらい患者さんを思っているのか、Dr.のチームの一人一人が、患者さんを支えてくれる。だから、納棺は責任重大であり、病院のケアが、地域医療のケアがどんどん深くなっているから、現場のミッションも相当高くなっています。山崎Dr.に控室で40分くらいずっと伺ったお話も、本当に深いお話しでした。

「山で生まれ育った方には山の、海に生まれ育った方には海の死生観がありますよね。」

「ありのままの、その人らしさ」

山崎Dr.は、人が大切にしている生活、生きる、死のそれぞれの「質」をちゃんと見て患者さんや家族と、山崎Dr.のチームの皆さんと、一緒に大事にしてくれていました。そういうケアをされています。

「一人で苦しまず、主治医とよく話し合って欲しい。現代は、セカンドオピニオンもあるので、活用して欲しい」とお話しされていました。

サイン会では、お一人お一人と少しずつですがお話し出来ますので、それも一つの楽しみです。山崎Dr.のファンで満員の会場でしたが、お看取りの時のお話しをご家族の皆さんからたくさん教えてもらいました。ステキなお話ばかりでした。一番、心に残ったお話しは、

「お迎え話(人が亡くなるとき、先にあの世に逝った人が迎えに来てくれること)があるでしょ?うちの父が亡くなるときにね、「おい、白馬に乗った王子様が来たぞっ!」って、言ってたんです。みんなで、なんてステキなのかしら!でも、お父さん男なのに!(笑)お父さんは、白馬に乗った王子様の世界に行って、王子様になったのかな?(笑)」ステキなお話しでした!!

中学校一年生の女の子が、大事な家族を想いながら一人でサイン会に並んでくれていました。「学校のファイルに、サインください!」笑顔のとっても可愛い子でした。

ステキなご縁をつないでいただきました。本当に、ありがとうございました。そして、岩手県に帰り仕事に没頭していました。


防犯戦隊ケセンジャーin大船渡警察署

21日、大船渡警察署へ行ってきました。

現在も被災地沿岸の警察署には、県外から特別出向警察官のご支援をいただいています。行方不明者の捜索は、毎月11日に現在でも行っていただいています。以前、警察官の方々に向けての講演に大船渡警察署でもお声を掛けていただいたご縁がありました。

「防犯戦隊ケセンジャーに会いたい!」

と言う子どもたちの希望。津波で甚大な被害を受けた岩手県の町の一つ、大船渡市にある、大船渡警察署への訪問です。北上市から高校生6人+大人2人、子ども夢ハウスおおつちから今回は小学校、中学校、高校生合わせて13人+大人2人(二台の車に乗れる人数で)。

「い・か・の・お・す・し」の防犯の歌に合わせ、ケセンジャーのキレッキレのあまりもすごい上手いダンスにみんな、予想以上にテンションが上がりまくりってしまいました。そして、満面の笑みでケセンジャーに、からむ、からむ。みんな、幸せそうだった・・・。胸がいっぱい、涙が出そうになりました。気が付いたら本物ケセンジャーと子どもたちが戦いごっこをしてもらっていました。本当に、子どもの扱いがとても上手くて、感心してしまいました。

実はこの企画の裏には、とっても偉い管理職の警察官がずっと支えてくださいました。口数は少ないけど、ニコニコしてみんなを見守ってくれながらも、メリハリのあるながれと、笑顔になるポイントをたくさん作ってもらっていました。私はその方からとても素敵な人選(警察官も背景があります)と、おもてなしの心構え、管理職のあるべき姿を学びました。他の方から刑事経験が長かったとも、伺いました。やっぱり何も言わなくても、存在感がすごいです。

「ケセンジャーに会いに行こう!」企画は、2月28日のいのち新聞も一つのきっかけでした。20人位の子どもたちが「警察の皆さんへ」のメッセージを書いていました。「ご迷惑でなければ、受け取っていただけませんか?」と相談させていただいたのがきっかけになりました。家族を見付けてもらった子どもたちは、「警察官にお礼が言いたい」と、家族が見付からない子どもたちは「警察の捜索は終わってしまうの?」と聞きます。直接警察官に会えたら良いなぁと、私はとても考え込んでいました。内陸の子どもたちも、大地震は経験しても津波を経験していない子どもたち、親が沿岸の出身だったり。

今回は、管理職の警察官の方の支えで、ケセンジャーが沿岸と内陸の子どもたちをつないでくれました。本当はこういうこと、そんなに簡単に出来ることじゃないから、子どもたちの気持ちと、警察官への憧れの気持ちをご支援いただいて、本当に有難かったです。

「ケセンジャーが悲しむから、悪いことは出来ないね。」

と、言っていた子も居ました。この子の言葉に、愛されること、信頼し合うことも、子どもたちは学ばせていただいたことを知りました。亡くなったこの子たちのご家族から、私たちが任された「何か」を探しながら、まだまだ頑張りたいと強く思った1日でした。



↓↓↓「岩手日報・3月22日の記事で紹介されました!」





京都・真宗大谷派(東本願寺)さま講演

宣承さんのご紹介で、ご縁をいただきました。(弊社ホームページのトップページでリンクさせていただいている、私も普段から何かとお世話になっているお坊さまです)

当日の京都の天気は雨。雨の京都も、ステキです。会場の中には僧侶の皆さまと、一般の皆さまが大勢、お足元の悪い中でしたがお出でいただきました。当日も本山の僧侶の皆さま方々に、色々お世話いただきました。

人は社会に向けた顔と、自分個人としてのプライベートな顔と持ち合わせていると思いますが、一般的に悲しみの顔は、限られた人にしか見せないものだと、現場に居て感じています。これから生活の中に帰るとき、大切なことを含めた「悲しみ」と言う存在と共に過ごす、今までとこれからをすり合わせる作業などのお話しを、その悲しみが存在する閉ざされた空間の中にある人が持つ温もりや、弱さや強さ、踏ん張りを現場からお伝えしました。

皆さん表情も豊かで、メモを熱心に取られていたりしていました。前から3番目に座られていた腰の曲がられた高齢の男性が、ずっと頷いて聞いてくださっていて、何でしょうね、あのどんと来いと言う雰囲気と、懐の深さにものすごく気持ちを支えていただいた気がします。どうかどうか、ステキな毎日を過ごして下さいますように・・・。皆さまのご活躍を、お祈り申し上げます。ありがとうございました。

ゆっくりしたかった京都。でもやっぱり大事な復元や納棺の現場も、遺族訪問もあるため、大急ぎで岩手県へ帰りました。


2016年3月16日

怖いはなしシリーズ14

 金縛り

呪文をとなえず、お題目(南無阿弥陀や南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経など)をとなえず気合いで金縛りを解いたと話してくれる高校の先生がいました。

「ん〜、うぉー、えいっ!」素晴らしい!初めて聞いた、金縛りの解き方だったので、他の先生方々とも大笑いをしたことがありました。

金縛りは、1つには疲れている時に脳が起きてて体が眠りについている時に起きる、筋肉の作用などと心身の関係性が重なってなりやすいとか、そうではない場合とがある(まぁ、怪奇?)と言われています。

小学校高学年くらいから、20歳前後の子たちから、「金縛りにあった」と、相談を受けることが多くあるので、「今度、金縛りにあったら聞いてみたら?何の用事ですか?」って。と、提案してみることも多い。意外とそのように問うと、「金縛りが解けたよ!」「あー、何十年かぶりに、爽やかだ!」(何十年⁉︎確か、10歳って言ってたけど、ま、いっか。)と教えてもらうこともある。

遺族の子どもたちの場合には、菩提寺に相談することが多いのだけれど、子どもたちはお坊さんに「魔法の言葉」を教えてもらって、不安な気持ちを安定に変えてもらうことが多くあります。よって、金縛りにあわなくなる子が多くなります。見守りながら、実は思春期の繊細な気持ちに関係して多いのかな?と、感じる今日この頃。

以前、世界的な心の研究者の大学教授に教えてもらったことがありました。「金縛りはね、西洋にはないんだよ。東洋にだけ、ある話し。」目が飛び出るほど驚いた情報でした。ということは、地域別DNA?それとも「金縛り」という情報の連鎖によるもの?

私も特に中学校に入り、約2年間金縛りに苦しんだ経験がありました。苦しんだと言っても、金縛りは幽霊などが起こすもの、相手が居て起こるものだと当時は思い込んでいたので、「負けるものか」と言う勝気な自分が居ました。知らない人が立ってたり、目をつむっているのに顔を覗き込まれたりの現象もあったりして怖かったので、母に相談して数珠をもらうと金縛りにあわなくなりました。今考えれば転校してすぐからだったので、不安だった気持ちもあったのかもしれません。中学校三年生になると、全く金縛りの存在さえも忘れていました。すでにあの世に行った祖母に「おばあちゃん、助けて!」と金縛り中に、心の中で随分叫んだものでした。

子どもの頃は、「助けて!」が基本です。
大人になれば「どうにかしなきゃ」になり、
年を取ると「どうにかなるさ」になるそうで。

生きている以上、「不安」は付き物です。どうやって不安と関わり生きていくかのかは人により違うけれど、「不安」の中にある「自信の喪失」に情報(御守りを持つことも同じ意味)が加わると、「安定」に変わることは間違いありません。トライしたり動いてみないと分からないこと、少し様子を見て待った方がいいことなどがありますが、誰にでも必ず朝が来ると言うことは、言うまでもありません。

今日の納棺もそうですが、「夢でも会いたい。でも、金縛りにあわせたらキレるよ(笑)」と故人に言いながら、ずっと手を握っておられた高齢の奥さまが居ました。みんな「会いたいけど、金縛りはいや!」と言います。怪奇とか幽霊とかも怖いけど、脳が起きているのに体が動かないのがやっぱり一番怖いと思います。

それよりもっと怖いのは、どこでも寝れる特技を持っている、私の寝顔だとみんなが言います。(笑)今の仕事をしてからの特技です。だけど、寝顔は自分でも分からないので、どうにもなりませんので、お許しいただきたいと思います。(笑)

結論として、金縛りは起きているときにはなりません。眠っているときに起こるのが特徴です。幽霊や怪奇説は否定しないし、それで納得出来る状況もあると思います。でも、もしかしたら脳の作用が、温泉で言えば「源泉」のように、現象にとって大きな鍵を握っているのかもしれませんね。

2016年3月15日

日総研セミナー

日総研出版企画「看取りの作法と家族・スタッフへのグリーフケア実践」福岡県の会場を最終会場として、今回の演題でのセミナーを終えました。

ご参加いただいた皆さまは、総看護部長・師長・看護学校校長、教員・緩和ケアチーム・緩和ケア病棟・ER(救急センター・救急救命室)等々。大学病院、国立病院、県立病院、総合病院、訪問診療・看護、介護施設等々。

全国各地、多くの皆さまと会場でご縁をいただきました。多くの質問もセミナー中にはいただいて、一つ一つお答えしました。皆さま一人一人の現場の中での課題も、本当に様々でした。

岡山県の会場で、「話を聞きたいのに、眠たくなってきた。眠らないようにするには、どうしたら良いか?」と声を掛けていただいたので、日総研さんのセミナーで初の、「私の怖い体験談」をさせていただきましたら、誰も眠らず最後までセミナーを終わらせることが出来て、ずいぶん皆さんから感謝の言葉をいただきました。ホワイトボードの全面を使って、怖い体験談を解説。この日、ホワイトボードを使用して一番説明したのは、怖い体験談でした。(笑)だけど、ちゃんとテキストは終わらせることが出来て、何より良かったです。

ER(救急センター・救急救命室)で勤務されている多くの看護師、Dr.とお話しをさせていただきました。ERは司法が関わるので、少し異なることもあります。皆さんの現場に合わせた形で、今悩んでおられることを一緒に考えたり、情報を提供させていただいたりしました。「悲しみに対して今まで、深く関わっても何もしてあげられないと思っていたことは、実はそうじゃなかった。これからは、背景もその方の一つとして考えて大事にしたい。」とたくさん、これからの意気込みを伺いました。一分一秒を争ういのちの現場も、とても過酷です。その中でも、目を、心を掛けてもらうことは患者さん・家族にとって何より安心につながります。本当に、頭が下がる思いでした。

セミナー終了後の、恒例のサイン会では「自分のケアになった!」「モチベーションが上がった!」「早く病院に帰って、患者さんに会いたくなった!」「泣いたり笑ったり、気持ちが忙しかった!その中で気持ちが整理できた!」等々、お声を掛けていただきました。

人のせいにしたり、誰かを責めたり、何かのせいにしたり、生きていく上で文句ばっかり言うこと、そんなことはいつでもなんぼでも出来ます。自分と向き合わないことを選ぶ、それが一番楽かもしれません。でも、それではいつまで経っても自分の成長は無いし、何より誰からも受け入れられない状況を自分で作ってしまうことになるでしょう。誰かに受け入れて欲しい、認めて欲しいと思ったとき(自分が生きている証拠と価値を確認したい心情)、誰かを受け入れる、認めることを自分が先に行わないとなりません。同時に「待つ」「慎重に」「勇気を出して行動」などを加えなければならない時を迎えることがあります。自分の尻を自分で叩き、自分が目的とすることを積み重ねて、状況を見極めること、理解しながら受け入れること、それを実践しないことには実は何も変わりません。

人生は、何が起こるか分からない。それが、人生です。何かが起こったとき、自分がどう悩み考えるのか。悩み、考える力を持っているから人なのだと思います。そして、それがその時々に受ける心情が、一生の課題かもしれません。

人は、悩むこと、考えること、悲しむこと、謝ること、感謝すること等々の感情を持ち合わせますが、その感情と自分がどう付き合って来たのか、その究極の答えの場が、「死」の時間。そして、「死」の存在がリアルに、今の自分を教えてくれことがあります。悲しみの感情に人は寄り添ってもらい、そして例え乱れても自分の元々の芯の部分に戻るために修正する力を付けて又、ステキな人になられます。ご遺族と共に過ごさせていただく、お別れのお手伝いの時間の中で、私はそのようにたくさんの方から教えていただきました。

来月4月からは、次のセミナー演題「介護・看護職が行うエンゼルケアと死化粧」に於いて、全国(6カ所、仙台・名古屋・東京・大阪・岡山・福岡)を回らせていただきます。セミナーの内容により、全国5カ所〜7カ所を回らせていただいています。又、皆さまにお会いできることを楽しみに致しております。

通信講座の添削も、私がお一人お一人の回答欄にお答えしています。岩手県にいる時は、会社の仕事、復元と納棺の現場、そして添削をさせていただいています。添削が多いときは、ペンだこが出来ます。お申し込みは、日総研さんのホームページから、お願い致します。

そして、今日は現場に走ります。

2016年3月11日

子ども夢ハウスおおつち311

福岡県の講演を終えて岩手県に戻り、翌日は会社での業務、夕方に八戸へ。昨日は八戸から戻り、会社へ寄って仕事をして、子ども夢ハウスおおつちへ行ってきました。

福岡空港で、夢ハウスの藤原代表に偶然バッタリ!同じ飛行機で岩手県入りされて、盛岡のフランチャイズでご指導後に、夢ハウスに入るとのことでした。

「命日」。家族を亡くすという事実は、どのような死の迎え方をしても、本当に心が壊れそうになります。誰だから良いとか、悪いとか・・・、どの死の迎え方が良いとか悪いとか、そういうことでもありません。捉え方も、感じ方も一人一人違うから、その人が求める形がどうなのかが、大事だと思います。

この日まで沢山の被災者の皆さんと、お話ししました。先日は1日で6人の方とお話ししていました。背景について一人の方が一人行方不明とは限りませんから、その1日で27人の行方不明の御家族への想いを伺いました。

フラッシュバックをして動けなくなること、考え込んだり、涙が溢れてきたり、震えが発生したり。ストレス性のショックは、体に変化をもたらせることもあります。お話ししながら穏やかになれる方向へ、少しずつ一緒に考えていきます。もちろん、一人一人対処の方法が異なります。

本日、夢ハウスでも子どもたちの大切な家族や、親戚など身内の、お友達の「命日」を迎えます。町の放送では、明日の2時46分の黙祷のサイレンについて等の放送が流れていました。東日本大震災が発生した日のこと、津波のこと、最初はふざけながらも段々真剣になる子どもたちから、「どんな風に亡くなった家族を想えば良いの?」の質問から、偲ぶ気持ちを中心に色々な質問に対してもみんなで考えながら話し合いました。それから各々が亡くなった大切な人に向けてのお手紙を書きました。

「おおつちの町の、
お空に行った皆さんへ。
今日は命日ですね、
おかえりなさい。
みんなとゆっくりすごせますように。
帰るときは、
気を付けてかえってくださいね。」

と、書いた子も居ました。震災後に環境や状況が、ガラリと変わった子どもたちの生活。夢ハウスでは生活の様々を学び、身に付け、何でも自分で出来るように自立に向けての支援を受けています。お互いを思い合うこと、そして優しさも充分に身に付けていました。

子どもたちが話してくれたお話の中で、忘れられない言葉がいくつもあります。以下、その中の一つです。

「ドラえもんが居たら、お願いしたいことがあるんだ。

震災の前の日に戻してもらってね、
みんな逃げろ!!って言ってさ、

全員逃げられるように、
一人も死なないように、
叫んで歩くんだ!」

日ごろから皆さまのご支援、ご寄付に心より感謝を申し上げます。本当に、ありがとうございます。これからも引き続き、よろしくお願い致します。子ども夢ハウスの活動内容について詳しくは、弊社のトップページから、夢ハウスのブログをご覧ください。

今日、夢ハウスは子どもたちとお空の上に行った皆さんへ向けて、静かに過ごします。昨年とは又違った「命日」です。どうぞ温かく見守っていただければと思います。



・・・ってブログを打ってたら、我が家の電気が急に消えて、「え?」誰かが会いに来てくれたのかしら・・・?子どもたちの、身内かしら?こんなことは、我が家では初めてです。この仕事をしていると、不思議な現象に対して、全然驚かなくなってしまった私でした。

東日本大震災発生から5年。私も自分の気持ちを覗き込んだり、ご縁をいただいた皆さんのことを想う、大切な1日を静かに過ごさせていただきます。


2016年3月10日

東日本大震災・命日

東日本大震災から、5年が経ちます。

私の仕事は、亡くなられた方のお体を技術を用いて守りながら、遺されたご遺族の悲しみの気持ちの傍で、お別れのお手伝いをさせていただく専門職です。お一人お一人が起こすご遺体の変化や、ご遺族の心情の中にある心の移行に、毎日ご縁をいただいていています。

    東日本大震災に於いての、月命日である11日と命日の3月11日には、岩手県警の警察の皆さんが、行方不明の方の捜索を続けてくれています。

「髪の毛一本でも」「指一本でも」「体の一部でも」見付かって欲しい。被災者で今でも家族の帰りを待つ人たちは、捜索を見守ります。

「警察の方々に、感謝の気持ちを伝えたい」と涙を流しながら今、私を訪ねてくださる被災者の方々が口々にそう話してくださいます。それは、少なからず遺体捜索を被災者の人たちも経験しているからであり、そして目的が家族を捜すために行われた行為でありました。捜索がどれほど大変なことなのかを、捜索経験者の被災者の方々は語ります。だから、警察の皆さんが、捜索中に怪我をしないで欲しい。そうなれば、警察の皆さんの家族に申し訳ないと、話してくれます。警察の皆さんの捜索活動と、被災者の皆さんの悲しみの気持ちが繋がっているのは、あの時からずっと続けてくれているからです。あれから5年の月日が流れて、振り返るとあの時の安置所から実は、この5年と言う時間の中で、一時も途切れることなく、一緒に亡くした家族を思ってくれているからだと思います。

    命日や月命日は、フラッシュバックする時です。大切な家族を亡くした経験のある方なら、充分にご存知かと思います。その時と、その前後にある記憶が、戻ってきます。きっかけがあれば、記憶の奥底に蓋をしたはずの記憶さえ蘇ります。

    警察の皆さんの遺体捜索を、被災者の人たちがこんなに大切にしているその背景と意味が、実はあります。命日のとても切ない日に起こるフラッシュバックですが、警察の皆さんの姿が被災者の遺族としての気持ちを支えてくれています。

   どういうことかと言うと、フラッシュバックと言う一人で抱えられないほどの、トータル的な振り返りの現象を、人はnarrative(物語)化することで、人生に組み込む作業をしています。記憶を辿り思い出し、価値を見付け、それを高めたり深めたり、そこから意味を探します。大切な家族と自分との関係を確認して、向き合うための勇気をくれているということになると思います。一つ一つが、人が一人でそんな簡単に出来る作業ではありません。

「どう死を迎えたのか」から、
「どう生きたのか」を見付ける作業。

社会の中に生きている人は、そう簡単に悲しみを外には出しません。悲しみに気付かれないように、悟られないように、どちらかと言うとそうやって生きている人の方が多いと思います。触れてほしくないと思っている人の方が多いです。グリーケア(悲嘆の援助)が盛んになった今だから、もう一度考えて欲しい。すぐに壊れてしまいそうなガラスの様な遺族の心情を、大事にして欲しい、ただそれだけです。ただし、例外があります。そう生きている中で、「理解してくれる人」に出会ったときだけ、悲しみを人は語ります。そういうタイミングが、人生の中に訪れるのです。

    警察の皆さんの遺体捜索活動は、そういう意味があるだと思います。「自分の悲しみを知ってくれている」。私も教えてはもらうけど、その姿は毎回報道で知りますが、涙がどんどん出てきます。警察の皆さんの気持ちも知ってるし、被災者の皆さんの気持ちも知ってる。だから、涙が止まりません。自分の中でも安置所での記憶や、当時の沿岸の記憶が蘇りながらも、私の中でも、私の人生として物語化されて行きます。

    全国各地に講演やセミナーに伺えば、安置所に支援に来てくださった全国各地の警察の方が訪ねて会いに来て下さることも多くなりました。それを、岩手県警察の皆さんへお伝えします。間に入ることは、どちらの気持ちも表情も知っています。気持ちをお預かりする責任を、いつも感じます。何処の勤務になられたのかな?元気であれば良いけれどと、心配しつつ思い出す方も居られます。普段は見せない悲しみを持ちながらも、きっとご活躍されていると思います。もちろんプロですからね。


     

「助けに行こう」東日本大震災の地震発生後、多くの人がこの言葉を口にしました。物心つかない小さな子どもまでが、そう言っていたと聞きました。助けに行きたいのに行けない。その後悔を、みんな持っています。だから、警察の皆さんへの感謝の気持ちが深いのだと思います。

     普段はあまりここまで語りませんが、明日は東日本大震災から5年です。なので、私が見ている今の皆さんの姿を、お伝えしました。

     お空の上に行かれた皆さんと、遺された皆さんの気持ちはちゃんと、つながっている。私は、そう思います。



(ポイント)
    支えてくれる警察の皆さんへの恩返しは、スピードを出さずに安全運転をすること。シートベルトを自分身を守るためにきちんとすること。交通ルールを守ること。社会のルールを守ること。等々があります。特に、交通事故死が多いと感じます。スピード違反は、命を落とすだけじゃなく、関係の無い人まで巻き込みます。そんなに大きな事故になるなんてと、そんなつもりじゃなくてもスピード違反は大きな事故になる場合があります。一人一人が気をつけることが出来れば、人のいのち、地域を守れます。認知症の方の事故も多いので、運転者側も歩道を歩いている人も気をつけましょうね。私も運転する人なので、気を付けます。

時間は動いています。動いているということは、生きている。だから、昨日と今日は同じではない。それが、社会という生きものなのかもしれません。対応出来る、一人一人が地域を作ります。よろしくお願いします。   

    

    

2016年3月6日

納棺時間の名言集

《一話》
泥棒は持って行ける分しか持っていかないけれど、火事は全部持って行ってしまうから気を付けろよ。

ってよく言われていました。

・・・一同感心ムード。70代女性の言葉。すごい。全く、その通りです。

《二話》
腰はよ、痛くて痛くているけども、
口は全然痛くない。ごめんね。


・・・「負けるが勝ち」の言葉が出てみんな笑顔。70代女性の言葉。どういたしまして!

《三話》
「おれよ〜、今日よ〜、電話でよ、
10代と間違えられたんだよね〜。ウフフ。」

嬉しそうに話しておられたそうです。
・・・90代男性の言葉。一月前の、生前の想い出話しで、皆さんが笑顔になりました。

《第4話》
祖父「おれ、食うのが無くても平気だよ。カスミ(霞)食うから。」
孫「カスベ?(魚)」
祖父「カスミ!」
孫「カスベ?」
祖父「いや、カスミ!霞!」
孫「だから、カスベでしょ?」

・・・ただ、10代の孫と一緒に笑いたかっただけだった、80代のおじいちゃんの言葉なのだそうです。若い子には、先ず霞の説明が必要だったと。霞の存在を知ると、

孫「ヘェ〜!!、そういうのがあるんだぁ〜!」と驚いていたそう。年の差があるから、仲良しになれるんだと皆さんが口を揃えての評価でした。

《第5話》
最期にひとこと

とても悲しい背景の現場でした。棺のお蓋を閉める前に、皆さんにお声掛けをさせていただきました。そのとき、

「最後にひとこと、言っても良いでしょうか・・・。」

一人の男性が言いました。

「はい」私は答えました。すると男性が言いました。「言おうかどうか迷いながらですが・・・、棺の中に持たせてあげた、顔の横に置いてあるその帽子、

それ、俺のです。」

棺の蓋を閉める前に、愛用品を入れてあげようと、慌てて女性が手に取って入れてくださった帽子は、お別れに来られた方の帽子でした。さっきまで涙を沢山流されていた皆さんが、笑顔になりました。

参加型納棺は、亡くなられた方の表情を穏やかに戻すためのお手伝いをします。亡くなられた方が穏やかな表情になれば、ご家族の気持ちも少しずつ穏やかになり、ゆっくり想い出話しをされる時間に入ります。そういうときの、お別れのお手伝いの現場で感じることは、亡くなられた方の雰囲気がここにあること。心を尽くさせていただいたとき、教えてもらえることがあります。日々、現場に伺い学ばせていただいています。

明日は福岡。戻って来て八戸。その後、岩手県沿岸。それから、岡山県、福岡県、広島県に、今月は他に京都と東京へ伺い、月末はマンツーマンセミナーです。今年のマンツーマンセミナーが大変立て込んできております。恐れ入りますが弊社マンツーマンセミナー担当者と、日程調整をお願いしております。よろしくお願い致します。

【状況別ご遺体処置】と【死化粧】のポイント第14回

葬儀社担当者・納棺スタッフのための
【状況別ご遺体処置】と【死化粧】のポイント
(第14回)

前の日に1日目を終え、2日目を迎えて特殊復元と死化粧について、現場実践のためのセミナーを進めました。前日など、駆け込みで直前のお申し込みも多いセミナーです。

遠くは北海道、鹿児島県からも受講いただきました。1日目が基本になり、2日目には少しずつ難しい項目に進みます。2日間連続で受講される方も多く、その方が分かりやすいと私も思います。

やっぱり、途中から皆さんが放心状態になり、魂が宇宙に飛んで行っているのではないかと思うような表情も多く見られたり・・・、現場で実践するために覚えることがたくさんあるので、やっぱりアンケートでは「脳みそのシワが増えました!」の記載が多いのが、2日目のセミナーの特徴です。

休憩時間も、お昼の時間も、セミナーが終わっても、皆さんの熱心な質問がずっと続いていたので、答え続けて最後は私も放心状態でした(笑)

セミナーの中でお伝えした項目の一つ一つが、皆さんの情報としての引き出しになり、少しでもご遺族の安心出来る表情に向けて、現場できっと皆さんを支えてくれると思います。

セミナー開始の表情と変わって、「出来ることが増えた!」と、終了後には口々にお話しされ、良い顔になって背筋がピンと伸びた皆さんの後ろ姿が、とても力強く、頼もしく感じました。全国各地にお帰りになり、皆さんが益々ご活躍されること、ご祈念申し上げます。

さて、1日目のセミナーテキストを今回は大幅に更新しましたので、次は9月のセミナーのための主に2日目のテキスト更新原稿に、7月頃から私も取り掛かります。

テキストの最新情報を追加した更新は、参加型納棺を大切にして育ててくださった、今は亡き綜合ユニコムさんの部長さんとの約束なので、ずっと続けます。続けることで、私の中に生きていてくださる、セミナーの中に生き続けていてくださると思うので。

「部長さん!引き続きお空の上から、見守って下さ〜い!大変なこともたくさんありますが、頑張ってます!悲しいかな、私もあれから、ずいぶん年を取ってしまいました〜!納棺の時間にお年寄りが色々教えてくれますが、あの世に行くときは若返るとか、死を迎えたら年を取らないとか、何が本当か分かりませーん!いつか、お会いしたときに教えて下さ〜い!よろしくお願いします〜!」

以上、部長さんへの公開お手紙でした。綜合ユニコムさんから出版されている、「納棺遺体実務実践集」があります。ちょっと裏話しです。現場もあったので時間を作っては、ずっと徹夜続きで現場で実践しているお手当てや復元の方法を多く原稿に起こした内容です。東日本大震災が発生し、締め切りにその原稿が送れない事態もありました。何とか送った原稿を、癌で闘病中の部長さんがベット上で編集してくれていました。部長さんはあまり仕事のことを、ご家族に多くを語らなかったと聞きました。その題名を見たご家族が、「縁起が悪い」と言っておられたとか。普通の人から見れば、そうですよね。だって「納棺遺体実務実践集」ですから。という裏話しでした。人生の最期に部長さんが手掛けてくださった、私には形見になった大事な、大事な一冊です。

【ご遺族参加型】納棺の手順とポイント第17回

葬儀社担当者・納棺スタッフのための
【ご遺族参加型】納棺の手順とポイント
(第17回)
 
東京の会場で行われました、春の3月と秋の9月に連日2日間開催される恒例のセミナーです。定員が満員になり追加開催もあったりして、17回目を迎えました。企画は業界誌、月刊フューネラルを出版していて、毎年6月か7月の年に一度、業界のシンポジウムを横浜パシフィコで開催していて、私も二階のセミナー会場では毎年、講師を務めさせていただいています。綜合ユニコムさんです。

今回も、全国各地からご参加いただきました。元々、現場で活躍されている納棺師、湯灌師、納棺も担当している葬儀担当者等々の業界の皆さんです。質問も、なかなか高度なものも多く、質問がこれまた多く、テキストがなかなか進まない・・・という時間もありました。ご遺族の要望や希望に応えたい一心で、熱気溢れるセミナーでした。大幅にテキストを追加した今回のセミナーも、皆さん汗だくで現場実践のため、最後まで技術習得のため、頑張っていました。本当にお疲れ様でした。

毎回、情報を追加させていただいているセミナーで、定期的に受講される方も多くいらっしゃいます。又、お会い出来ることを楽しみに致しております。皆さんの益々のご活躍をご祈念申し上げます。

川崎看護専門学校

神奈川県にある川崎看護専門学校、准看護師から正看護師になる皆さんの看護専門学校での、卒業記念講演にお招きいただきました。

准看護師の時に現場を経験されている皆さん、お話しさせていただいた内容に、真剣に聞き入り、その眼差しに思わずこちらも本気を出してお話しをしてしまった(いつも本気だけど)、不思議な時間でした。

終了後、理事長、事務局長、校長、副校長、教務主任の先生方々と色々なお話しをさせていただきました。校長先生が「講演の中で、泣いたり笑ったり考えたり、気持ちが忙しくて大変そうだった。学生はみんな、希望を胸に良い顔してました。」と感想をいただきました。

皆さんが現場で益々ご活躍されること、岩手県の地から応援しています!

時にイジイジ、時にウロウロ、時にジメジメ、全くフレッシュではない私の心の中に、freshでclearな時間を、ありがとうございました!