2014年11月28日

感想文ありがとう

夜、現場を終えて事務所に戻ると(そうよ〜、まだまだ〜〜、たっくさん!仕事は終わらない〜)、先日「いのちの授業」「復興教育授業」に伺った数校から、感想文が届いていた。偉いなぁ、先生方々。あんなに忙しい毎日を送られているのに、有難いなぁ。本当に子どもたちを大切にされているんだなぁ。色んなことを感じながら、拝読させていただきました。

いつも思いますが、先生方々の授業終了後の問いかけも素敵なんだと思います。授業を聞いてくれた子どもたちの自由で且つ、しっかり捉えたものが記録されています。人として形成される情緒が、感想文から感じることが出来ました。親御さんや大切な家族を、様々な事情で亡くしていると言う、一人一人の背景があります。

特別扱いしないけれど、しっかりみんなが意識して関わることが出来る環境作り。それが直接社会作りになっている訳ですよね。まさに、思いやりの関わりが、温かくそして強く存在しているんだなぁと、拝読させていただきながら、先生方々の情熱を感じていました。皆さんね、すごく、愛されてるね!

皆さんの感想文、本当に素敵でした。ありがとうございました。その中から一つ、御紹介したいと思います。

中学生の男の子の感想文です。「ぼくは、大切な家族を昨年亡くしました。笹原さんのお話を聞いていて、思い出したことがありました。(中略)ぼくは、毎日悲しい気持ちで過ごしていました。あるきれいな星空の夜がありました。ぼくは、星に向かってお願いをしました。「夢でも良いから会いたい。(中略)」そう、願いました。まだ、あれから夢には出てきてくれないけれど、笹原さんのお話を聞いて、ぼくの大切な家族は、ぼくの心の中にいることに気が付きました。(後略)」

旅立つ側も、遺す人を心配して逝きます。遺される人も、逝く人を思い、思い続けます。実は、このそれぞれの気持ちも、おたがいさまだったんですね。「死」の世界に居て、私もそれを教えてもらっています。心がつながっているんですね。大切な人が遺してくれたもの、きっとたくさんあるから、一つ一つ、ゆっくり探してみてね。

「死」は、生きることを教えてくれる存在です。誰かが打ち明けてくれる後悔は、又、きっと誰かを支えてくれます。

ある現場では、「ごめんね、ごめんね。」ってお母さんに謝る娘さんの姿。娘さんと目が合って、質問されました。「お母さんは、許してくれたと思いますか?」質問をしてくれたのは、中学生の女の子でした。暴言を吐いたことだけ、思い出してしまうと、教えてくれました。

私「そうね、思春期なんだよね?」
娘さん「はい。」
私「お母さんなら、何て答えるのかしら?」
娘さん「たぶん、いつまでもねぇ、そんなこともう良いから、明日の支度したの?って言うと思います。(笑)」
私「お母さん、カッコいいね!」
娘さん「はい(爆笑)、そういう人です。」

答えは、本人が持っていることもあります。素敵な親子、心はいつまでも、思い続ける限り、つながっているものだと、私は教えてもらいます。だから、毎回、現場では胸がギュッと、ギュッーとなっている私でした。感想文も同じ。大切なことを教えてくれて、ありがとう。大事に、私の宝物にしますね。ありがとうございました。

市川市立第七中学校授業

11月27日午後から、市川市立第七中学校の全校生徒と先生方々、地域の皆様と合わせて1000名弱の皆様に向けて、お話をさせていただきました。

来年の夏頃まで、実はスケジュールがほぼいっぱいで、お申し込みをいただいても現在、いのちの授業もご希望の日程で受けられず、日にちを調整いただいたりと、ご迷惑をおかけしており、申し訳ありません。

今日は、生徒の皆さんが中心になって、司会をしてくれたり、案内をしてくれたりと様々に活躍をして下さって、頼もしい雰囲気の中で、お話をさせていただきました。

質疑応答では、質問が全然終わらずに、みんなに上手に盛り上げられて、まさか、ここでみんなからの「お話ししてコール」で、拍手があんなに来るとは!(´・Д・)」希望のお話を一つ、追加でさせていただきました。

「死」は、生きることを教えてくれる存在だと私は思います。悲しいと言う感情も、きっと人に備わった大切な感情だと思います。普段から、自分の傍にある「いのち」を意識してみること、普段から、自分のことを支えてくれる人に感謝の気持ちを伝えておくこと、そして私も、人に支えてもらって生かしてもらっているということ、私はただ、悲しみの現場の中で傍に居させていただくことしか出来ないけれど、少しだけでも何かお手伝いが出来ればと思って積み重ねた時間であったこと、教えてくれる先生も居なくて、現場で苦戦しながら、孤独な時期もあり、でも気が付いたらたくさんの人たちが傍に居てくれました。みんなで同じ方向を見て、今は進むことが出来るようになりました。だからすごいのはご遺族と、私の周りの理解して、協力してくれる人たちなんだと言うこと等々、今日のお話は、皆さんの心に幾つ残してもらえたかな?と、思っています。

授業が終わってから、「昨日、お母さんに冷たくしちゃったけど、今日はごめんねと言います。」と、伝えに来てくれた子が居たり。えらいね。その言葉が、とっても嬉しかったです。廊下で皆さんから、たくさん声を掛けてもらって、とっても嬉しかったです。感想文、楽しみに待っています!皆さんにお会い出来たのは、先生方々がつないで下さった御縁ですね。お会い出来たこと、本当に嬉しかったです。心から感謝を申し上げます。

図書館司書さんとも色々お話し出来て、子どもに帰ったような久しぶりのワクワク感に包まれました。図書館って、司書さんって、素敵ですね!

復興教育授業と、いのちの授業、防災教育授業と、授業の中に子どもさんたちからの希望や要望も、どんどん組み込みながらの授業を、これからも皆さんと一緒に時間を過ごさせてもらいたいなと、思っていました。

校長先生、副校長先生、諸先生に大変お世話になりました。本当にありがとうございました。


曹洞宗東京都宗務所様講演

11月25日、会場は横浜にある、曹洞宗大本山総持寺でした。今年は曹洞宗大本山永平寺にも御縁をいただき、曹洞宗の二大本山の永平寺、総持寺にて講演をさせていただき、お参りもさせていただきました。

いつも支えてくださる、チーム昔はお嬢様(お年寄りと呼ばれたくないそうです(笑))の皆さんと話していたら、「震災で亡くなった人たちが、きっと二大本山にお参りに行きたかったんだよなぁ。」と、おっしゃっていました。「笹原さんはさ、お空の上に逝ったみんなに、使ってもらったんだよ〜!良かったなぁ〜!」と、とっても褒められました!お年寄りは、あ、違う。昔はお嬢様の皆さんは、いつも亡くなった人たちの存在を忘れず、会話の中に仲間として存在させて、大切にされています。そういう所も、すごく大好きです。

永平寺には200名、総持寺には150名の雲水さんが修行中でした。所作が綺麗、言葉が綺麗、礼儀正しく、気持ちは爽やか、気持ちに強い芯もある。しかも、すこぶる感じが良い。師弟関係がきちっとしていて、師匠の指導がすごいんだなぁと、うんうん唸りながら、感動していました。

すごいなぁと、思うことがもう一つ。御縁をいただいたきっかけは、「おもかげ復元師」です。真宗の宣承さんから、お西さん、曹洞宗、キリスト教とつながって、御縁が続いている訳です。一流の宗教者は、否定しない、相手を大事にする、心が広い、頭が良い、押し付けない、受け容れ上手です。本当にすごいなぁ、と思いました。こういう方々こそ、真のリーダーだ!

それで終わらない感動が続きました。曹洞宗東京都宗務所様の講演と言うことでお声掛けいただきましたが、私の講演を担当して下さった御住職が、「笹原さんの講演を、曹洞宗大本山の総持寺ですることを聞いて、臨済宗の住職さんが、どうしても聞かせていただきたいと言うことで、山梨県からお出で下さって参加されてるのでよろしくね。」と、お話をして下さいました。ね、皆さんがお一人お一人、一流の方々なんです。臨済宗の御住職も、とても温かい方でした。私も、小さいことでキーキーなるの止めようと、改心した時間でした。本当、広い広い世界に出逢った、そんな時間でした。

ハプニングが起きていたのを知らずに、講演を進めていた私。僧侶の皆さんに聞いていただく講演の時は、東日本大震災の、普段絶対に講演では話さない内容をお伝えしています。普通の方はひどくトラウマを抱えてしまう内容だと思うので、普段は話しませんが、僧侶の皆さんの時は、手を合わせていただけるので、亡くなった人たちが一番喜ぶと思うからと言う気持ちで、お伝えしています。が、なんとその内容が、他の会場にマイクが混線していたらしいのです・・・。「聞いた方、大丈夫だったかしら?」と雲水さんに相談したら、「一階から四階までの会場の中で行事をしていたのは、全員僧侶なので、大丈夫だと思います!」と、励ましていただきました。

講演終了後には、おもかげ復元師の本の販売を御住職が担当して下さったり、サイン会では、御住職と徒弟の皆様と色々とお話し出来たこと、懐かしい話も飛び出して、控え室にもお出でいただいたり、とっても元気をいただいた1日でした。本当に、ありがとうございました。

曹洞宗大本山総持寺の中には、とても有名な長い廊下があります。ご案内いただきながら、「こちらの廊下は、何故右側が板の間で、左側が長いコンクリートのような土間に分かれているのですか?」と伺うと、「伝えられている話によると、昔、廊下は全部板の間だったそうです。この近くで列車事故があったのだそうで、その時多くの方が亡くなられて、板の間を外して、ここに大勢の方が安置されていたのだそうです。」色んな歴史と共に、歴史の中に、生きていることを感じました。



2014年11月24日

子ども夢ハウスおおつち

http://yumenomizuumi.com/blogotc/
日頃からの温かいご支援ご協力、心から感謝を申し上げます。引き続き、どうぞよろしくお願い申し上げます。

日総研東京セミナー

定員をはるかに超えての100名近い参加希望とのことで、会場が広い場所に変更になり、セミナー中の会場は熱気に溢れていました。

赤ちゃん・子どもに関してのセミナーと言うことで、助産師さん、NICU(赤ちゃんの集中治療室)、ICU、ER(救急救命)、こども病院、ホスピス、緩和ケア病棟等、遠くは札幌、四国、九州から、専門職の皆さんがお集まりになりました。

セミナー終了後には長蛇の列が出来て、お一人お一人の質問にお答えしていきました。又、日総研さんから出版させていただいている専門書、ポプラ社さんから出版させていただいている2冊の本をお持ちになられた皆さんに、サインを入れさせていただきました。

現場で起こる突発の対応を含め、遺されたご家族の求める様々なこと、現代に起こる社会問題を含めて皆さんと一緒に、10時〜16時までのセミナーの時間の中で、考えて、実践に向けて講習を深めていきました。

セミナー中も、本当にたくさんの御質問をいただきました。特に、質問の内容として今回多かったことにお答えしながら進めましたが、私たちの悲しみの時間の中にいらっしゃる宗教者や火葬場の人たち等、プロの皆さんの存在含め、知っていただけたと思います。特に、赤ちゃんや小さな子どもさんたちのお別れは、葬儀社さんが入られることが非常に少なく、親御さんが火葬まで、頑張っているのが現状です。

皆さんと一緒に話し合う中で、実に一人一人の背景と共にいのちに向き合われている現場を、教えていただきました。子どもさんたちが一人一人こんなに愛され、限られたいのちを育んでもらっていること、頭が下がる思いでした。

今は今しかないから、今をどのように過ごしたら良いのか、二度と戻らない今を、大切に過ごしていただけることが、その本人の存在を丸ごと受け入れることになるので、御本人とご家族を支える目的で、つながるプロのチームでタックを組めるように、お一人お一人の御活躍をお祈り申し上げながら、今日のセミナーを終えて、岩手県に帰ってきました。

東京入りした昨日は、長野県で震度6弱の地震のニュースを見ました。その前に緊急地震速報が流れ、東京も震度3の揺れがありました。震源地は、来年講演で伺うことに決まっている場所でした。まだまだ落ち着かないと思いますし、大きな揺れでしたから余震も続いて不安な日を送られていると思います。とても心配していました。

岩手県の朝は氷点下になるようです。足が冷たくなりすぎて、もう、廊下は靴下を履かないと裸足では歩けなくなりました。いよいよ、冬を迎える時が来たようです。さて、明日も大忙しです。頑張りましょう!




2014年11月21日

江釣子中学校復興教育授業

学校に到着して車を降りると、元気いっぱい挨拶をしてくれる、江釣子中学校の皆さん。引っ越し前の事務所の、すぐ近くの中学校です。事務所の外に居ても、普段から元気に挨拶をしてくれていました。

校長室で、校長先生と色々なお話しと打ち合わせをさせていただきました。子どもたちの生活の様子や、地域との関わり、学校の素敵な取り組みを教えていただきました。

復興教育授業なので東日本大震災のことを、私が見て、感じた、様々なこと。光の当たらなかった安置所のこと、警察官の皆さんの使命と、亡くなった一人一人を大切にしてもらっていたこと、様々に皆さんと東日本大震災について、いのちについて、死から今の私たちが生きる道、生きることを教えてもらえること、悲しみとの関わり方について、みんなで色々考えました。

対象は約400名の全校生徒。バックアップしてくださったのは、PTAの保護者の皆さんと地域の皆さん。

復興教育授業の後の、質疑応答が止まらず、ずっと子どもたちの質問が続きました。積極的に一人一人が参加してくれて、一生懸命考えて、一人一人の答えを素直に表現してくれました。ありがとうございました。

帰り際、「どうしても、伝えたいことがありました。」と、玄関の外に出た時に、声を掛けてくれた子が居ました。「大好きだった人が、やっぱり大好きなんだと、思いました。」過去形だっ言葉が、現在形になっていました。10分くらいお話をしました。

子どもたちの生活の中に「死」の存在がある時に、大人はごまかさずに、きちんとその意味を考えて出来る限り感じたことを伝えなければいけないと、子どもたちが色んな方に支えてもらいながら自分の力で足で歩んで行く道を、お手伝い出来たらた思っています。納棺の時間も、授業に入らせていただく時も、同じ気持ちです。死は、ネガティヴな意味ばかりを持つものではなく、遺された人にとっても宝物が山ほどあって、一人一人が大切にしている亡き人との想い出が遺された人を支えてくれます。

今日の授業も、みんなで一緒に作り上げることが出来た、あの素敵な雰囲気だったと思います。様々に準備をしてくださった、諸先生方とPTAの保護者の皆さん、地域の皆様に深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。




2014年11月20日

新人看護職員研修会

秋田県立衛生看護学院、看護学校を会場として「新人看護職員研修会」の二部の3時間を担当させていただきました。一部は、緩和ケア・ホスピスケアの講義だったそうです。平均年齢は、23歳。excellent!

春に新人ナースとして医療に従事して、現在は約半年経っている皆さん。日々の業務に追われながらも、毎日たくさんの患者さんと向き合われていました。私が巫女として奉職させていただいていた時、新人の時にご縁をいただいた、一人の方との出逢いによって、私の巫女としての心構えが大きく変わりましたと言う話からスタート。それから、納棺師を志した時の、ショッキングな遺体とのご縁の話へと続き、現場の話へと進めていきました。

今、ご縁をいただく限り、全国の看護学校の講義に回らせていただくことも増え、以前学生の時に講義を受けてくれていた皆さんも、いらっしゃいました。嬉しいなぁと、心から感じた時間。ご縁をつないでくださった、看護学校の先生方々に感謝を申し上げた時間でもありました。

今日の講義を終えて帰ろうとした時、後ろの席の方から走ってきてくれた一人の看護師さん。「以前、関東の看護学校での講義で一番前の女の子が、走って会場を出たことを覚えていますか?」「うん、覚えてるよ。とても心配していたよ。」看護学校を回っている現在、たった一度、号泣しながら会場を出て行った子が居ました。「良かったです!実はその人、私なんです!」「!!!えええええ〜!?本当に!?」「はいっ!」

あの時、会場を出た心情を話してくれました。「卒業を間近に控えて、私は父を亡くしました。震災のあった二ヶ月後のことでした。私は、すごく混乱していました。葬儀が終わってから、私は父の死に触れないように、考えないように、心に蓋をして生活をしていました。

笹原先生が講義の中でお話しされた、遺族の心情がそのまま自分に当てはまりました。父の死に触れない、考えないようにとしていたけれど、その蓋が一気に開いた気がしました。父の笑顔の思い出がいっぱい思い浮かんで、それから亡くなった日に父の布団に一緒に入って添い寝をして、棺に入ってしまった父の棺を抱えたまま、うたた寝をしてしまったこと、色んなことを思い出しました。

そうしたら涙が止まらなくなって、我慢していたら過呼吸みたいになって、このままなら周りの人に迷惑を掛けてしまうと思って、会場を飛び出しました。あの時、泣き止んでから会場に戻って講義の続きを聞きたいと、心配してくれて傍に居てくれた学校の先生に言いました。でも、今日は帰りなさいねと、心配してくれた先生が言いました。あの時、思い出した父の顔は全部笑顔でした。苦しい涙ではなく、父の笑顔をたくさん思い出せて、あの時の涙は、とっても嬉しい涙だったんです。

今日は絶対に、笹原先生の講義を最後まで聞きたいと思って、昨日から緊張して今日来ました。私、最後まで今日は聞けました。聞けて、良かったです。大好きな患者さんのことを少しでも支えたいと、そう思っています!」彼女は、プロの顔をしていました。頼もしいなとも、思いました。「お父さん、とっても素敵な方だったんだね。お父さん似?」「はい!よくそう言われます!」

彼女は、出身の看護学校の先生方々に支えられ、多くの友達に支えられ、お父さんの思い出と共に生きていました。きっと、素敵な看護師さんになるんだろうなぁと、可愛くて可愛くて仕方がありませんでした。若い子と話して、可愛いなぁと思う自分に、年を取ったなぁと感じた今日でした。ご縁ってすごいですね。今日の講義にお声を掛けてくださった秋田県立衛生看護学院の先生方々に感謝を申し上げながら、帰路につきました。

「先生さま」と言う風習

私の住む北上市には、「先生さま」と言う昔ながらの風習がある。はるか昔、土地の歴史の中で、隠し念仏を大切に守り伝えてきた地域の人たち。町に死人(しびと)が出ると、空が暗くなって、みんなの1日の仕事が終わってから、その家に集まり町人大勢でお念仏を唱える。

お念仏の先導をするのが町の顔である立場の人、大本家、有力者で、町の人たちに選ばれた「先生さま」と呼ばれる人たち。主に納棺後、火葬された夜等に現代でも昔からの風習は守り伝えられています。

何故、先生さまと呼ばれるのかは私は分からないけれど、「先生」も「さま(様)」も敬う言葉で、それが2つつながっているのも、昔の人の思いを引き継いでいるのかもしれません。

その後、お寺さん等の宗教者が葬儀を司る訳です。だから、納棺師が登場したからと言って、そのまま納棺が出来る訳ではなく、だけど納棺の時間はとても大切にされている時間の一つで、宗教者や先生さまが見守る中で納棺をお手伝いさせていただくこともあり、その現場の中にある大切なことを大切にし、そこに集まられた皆さんみんなで死生観を又、死の意味をしっかりと見つめ、捉える大切な時となっていることには違いありません。

2014年11月19日

大迫地区更生保護女性の会様講演

岩手県は早池峰山の麓、国指定重要無形文化財の早池峰神楽等を守り伝える大迫地区。弊社のある北上市から車で50分くらいでしょうか。朝の8時半に事務所を出発し、寄り道して、寄り道して〜、会場へ到着しました。寄り道と言っても、以前納棺に伺ったお宅を訪ねて、いました。

会場の近くでは、「朝市」を見かけました。何だか賑わっているなぁと思っていたら、今回、お声掛けをいただいた大迫地区語り部の方の「語り」に酔いしれながら、町の歴史を教えていただきました。朝市は、9の付く日に行われ、500年続いていると教えていただきました。早池峰山は三億年前から存在していて、白や青の山の顔(色)を持つのだそうです。岩手山は火山だから、陽が当たると赤の顔を持つんだよって、教えていただきました。やっぱり、語り部さんには憧れます。夢中になれる語りが、憧れの眼差しになってしまう。素敵でした!

今回の講演は、社会福祉協議会・民生委員の会他、4団体様合同の後援とのことでした。本当に色々とお世話になりまして、ありがとうございました。

お昼過ぎに事務所に戻り、通常業務に入りました。現在、今月は残りの日数で原稿を5つ仕上げます。それから、これから販売予定の二つの企画の仕上げ等々ありまして、現場と諸々の業務を一つ一つ大事にしながらの時間を積み重ねます。

頭を働かせるためには、顎を動かすと良いらしい。岩手県は今、りんごが美味しい時期を迎えました。りんご畑には、たくさんのりんごが真っ赤に実っていました。とても綺麗な光景です。

そうそう、語り部さんが言っていた。「大迫地区にも河童が居るんだよ。遠野の河童は青河童、大迫の河童は赤河童。どうしてってね、ここの名産のワインを飲んでいるからなのよ!」素敵なお話しでした。語り部さんって、知恵をいっぱい持っていた。

さて、明日は午前中仕事をして、お昼前に秋田県の看護学校へ向かいます。新人看護師の皆さまへ向けての3時間の講義です。皆さまにお会い出来ることを、楽しみに致しております。


2014年11月17日

花巻市太田地区小学校PTA講演会

保護者の皆さんと地域の皆さん、学校の先生方々に向けて、お話しをさせていただきました。私の住む北上市のお隣、宮澤賢治の生誕の地。校長先生、副校長先生に、役員の保護者の皆さまに大変お世話になりました。

皆さんがウンウンと頷きながら、目をキラキラとさせ、聞き入ってくださった姿がとても印象的な、今日の講演でした。

今日は雨も降り、とても寒い日でしたがたくさんの方にお出でいただき、本当にありがとうございました。

皆さんと一緒に、一つ一つのことを共有させていただいたこと、考えられたこと、笑ったり泣いたりの時間を共に過ごさせていただき、心から感謝を申し上げます。

追伸、
昨日の納棺の時、「今日ね、「あ〜、全然寝られない。全然眠れなかった。」と言う夢で目が覚めて、これって寝てるんですかね?」と聞かれ、「う〜〜ん、どうでしょうね。体調は如何ですか?」と言う一幕があった。よほど印象に残ったようで私・・・「あー、全然寝られない。寝られなかった。」と言う夢で今朝・・・・・、目が覚めた。でも、多分私は寝ていた。(笑)

悲しみの現場は、普段の生活の中にはない事が起きている状況ですから、寝られない、眠れないとおっしゃる方がとても多いです。夢であって欲しい、火葬まで一緒に居られる時間が限られているから、寝るのがもったいないと、教えてくださる方もいらっしゃいます。皆さん、とても大切に時間を使われ、それぞれの心情の中で過ごされているのが、悲しみの時間の特徴なのかもしれませんね。


花巻地区看護協会様講演

昨日は、岩手県花巻地区看護協会様の講演にお声を掛けていただきました。90分のお時間をいただき、お話しをさせていただきました。

私は立派な人でも、完璧な人でもないのでお話の内容がお役に立てているか分かりませんが、現場の中にある人間力に私も支えていただいている一人で、「人ってすごいなぁ」とか、「人が大好き」と心からつながれるのも又、現場ですので、そのようなお話しをさせていただきました。

花巻地区看護協会様の講演には、「勤務の関係で、聞き逃したから!」と県内の看護師さんが違う地区からもお越しになっていますと、お話しを伺いました。皆様にお会い出来て、本当に嬉しかったです。

岩手県内の医療の皆様も又、東日本大震災では御尽力されました。普段守るべき地域を守る人、東日本大震災で支援に走る人、勤務を調整しながら交代等調整をして、みんなで頑張った時間でした。

看護学生さんも来てくれて、いやぁ、本当に一生懸命で可愛らしい学生さんでした。そんなことを思ってしまう自分に、歳をとったなぁ〜〜と感じてしまう今日この頃でした(笑)

県内の講演の場合には、納棺に走りながら講演に向かうと言うことも多くあります。今日も現場に走りながら、御遺族と様々に深く悲しみについて、現場でお話しをしました。棺の蓋を閉める前、「又、会おうね」と旦那様が奥様の頭を撫でながら、目に涙をいっぱいためられて声を掛けていらして、胸がギュッとなりました。悲しみの中にある、本当の愛を教えてもらえるのも現場です。色々とお手伝いをさせていただきながら、自分の立ち位置を又、改めて考えた時間でもありました。

朝晩氷点下になりそうな岩手県の気候。本気の冬到来です。我が家の猫は、季節外れの盛りに入ったようで⁉︎夜中もワオンワオンと鳴くもので、完璧な寝不足ですが(笑)明日は、小学校で講演なので、気を引き締めて頑張ります。


2014年11月16日

子ども夢ハウスおおつち

みんなで心配した、夢ハウスの管理人・吉山くんの風邪も良くなって、夢ハウスは相変わらずの活気でした。

子どもたちと、夢ハウスの仏壇の中に安置されているお地蔵さまに向かい、手を合わせながら様々な話をしました。東日本大震災について、最近聞かれることも多くなりました。子どもたちが学校で友達同士で話す、被災地の幽霊話についても、色々教えてもらいました。みんな、「もしかしたら、僕の家族かもしれないから」と言います。怖い幽霊の話のはずなのですが、最後には「会えたらいいね。」と話の終わりを迎えています。可愛い、可愛い、とっても素敵な心根の子どもたちです。

横ちゃんと子どもたち皆んなが作ってくれた手作り「肉まん」。「お肉の一番多い肉まん!」ともらったけれど、半分食べてよそ見をしていたら、私の肉まんがみんなに全部食べられていた(笑)「よそ見する、るいこちゃんが悪い〜〜!」そうだ、そうだ、全くだ(笑)今度はよそ見しないでいただきます〜!よそ見してなくても、皆んなに食べられちゃいそうだけど(笑)

月末に帰ってこられる予定のクッソー(夢ハウスの代表で、子どもたちにそう呼ばれている)をワクワクしながら待っている子どもたちの表情が、とっても可愛いかったです。月末は、恒例のイルミネーションの取り付けです。1日位は、手伝いに行けるかな〜と、思っていました。

ご寄付いただいた皆様のお名前を拝見しながら、感謝の気持ちが湧き上がってきました。皆様のご支援、心から感謝を申し上げます。



安置所

金曜日は午前中に現場に向かい、セミナーを終えてお昼過ぎから安置所に向かいました。

被災地と呼ばれる場所は日本中でも多く、岩手県の地で被災地と呼ばれる場所で御尽力されたマンツーマンセミナーにお出でいただけたご縁により、皆さんとつながれることは、とても心強い時間でした。

岩手県内にある、東日本大震災の安置所跡地を回って手を合わせる時間をいただける度に、私にとっても様々な思い出があり、とても大切な場所になっていることに気付かされます。後悔をたくさんした、あの時間には戻れないけれど、様々に記憶が蘇ってきて、亡くなられたお一人お一人の人生に再び触れさせていただけた気がします。完璧ではない自分、未熟だから、生かしてもらえているのかなと、過去の記憶と生きている自分を感じていました。

安置所跡地は、今は静かに存在しています。地域の皆さんが、そこが安置所になっていたことを知っていて、今はそこも生活の一部になっています。歴史って、こうやって大切に、積み重ねる時間のことを言うのかなと、感じました。

又、時間を作ってゆっくり回って、手を合わせたいと思った1日でした。

2014年11月13日

マンツーマンセミナー

長野県の方が二泊三日のマンツーマンセミナーの中で、実践に向けて一つ一つの課題に向き合われて、相当クタクタになるまで頑張っていました。現場に向き合われながら、様々なご縁の中で、忘れられない現場への思いを形にされていました。噴火を経験されて、安置所の中でのご縁を含めてご遺族とのつながりを、今もとても大切にされていました。過酷なマンツーマンセミナーだったと思いますが、本当に最終日まで大変お疲れ様でした。

入れ替わりで今度は、九州熊本県から二泊三日のマンツーマンセミナーをお二人で受講にお出でになっていて、今日は二日目を終えました。明日は最終日の三日目です。お二人も現場に向き合いながら、様々な課題をお持ちになっています。熊本県は、過去に災害を経験されていて当時の安置所の中で活躍されたお二人です。安置所の中は普段の環境と異なり、情報も都度動きがあります。安置所の中で又、安置所の中のみで関わるプロの皆さんとの連携もとても重要になりますから、その場その場で素早く対応することが求められることが多くあります。そして、毎日の現場の中での課題も様々にあり、明日は最終日の詰めに入ります。

広島県から研修にお越しになられているお二人と、みんなで様々に災害について検討会を行ったり、そして普段の現場の中での様々なことを話し合っていました。「死」の迎え方は一人一人違っていて、人生もお一人お一人違います。背景も、大切にして行きたいと皆さんと話し合っていました。

それにしても長野県、広島県、熊本県、そして岩手県。様々に方言と言う地元の言葉が飛び交います。「それは、どんな意味?」「こちらでは、それをこう表現します!」なんて、盛り上がる場面も多々ありました。地域の特徴、お年寄りの存在、現場の子どもさんたちの素直な表現、宗教者の力の大きさ、ご遺族のストレートな評価等々。現場は厳しい中に温もりがあり、アナログな世界だけど、人間力が素晴らしい。生きること、死を迎えることのお一人お一人の人生に触れさせていただきながら、又今日も納棺のことを頭の中でいっぱいいっぱい考えていた一日でした。

南の方からお越しになられた皆さんにとって、岩手県も随分寒くなって来ましたので、寒さが厳しいだろうなぁと思います。生活されている場と空気も違う中で、本当に頑張られています。偉いなぁって、皆さんが頑張る姿を拝見して、素直に思っている私でした。ご希望があり、明日は最終日ですので、午前中いっぱいで講習を終えて、地元で災害を経験された皆さんと、東日本大震災において岩手県の安置所だった場所を、数ヶ所ですがお参りに回ることになりました。

岩手県のお天気は、今日は雨。朝から夕方まで、色んな方向に虹が出ていました。お昼過ぎは二重で虹が出て、みんなで感動したりしていました。不思議なもので虹が出ると、亡くなった方にもう一度、お会い出来たような気持ちになるものです。偲ぶ素敵な時間をいただいた気がしました。とても、綺麗な虹でした。

2014年11月11日

子ども夢ハウスおおつち

震災から3年8ヶ月。

子ども夢ハウスに行ってきました。先日、風邪でダウンした夢ハウスの管理人の吉山くん。みんなで随分心配したけれど、少しずつ良くなって来て良かったね!横ちゃんのフォローも、格好良かったね〜〜!

吉里吉里海岸を歩きながら、タイヤや服や靴、沖から未だに流れてくる様々な物。震災がまだまだ終わっていないことを、改めて感じていた少し風の冷たく感じる海岸でした。

夢ハウスに到着して、「笹原さん〜〜(´・Д・)」インフルエンザの注射をして、痛いよ〜〜!」インフルエンザの予防接種の時期が到来です。(笑)「頑張ったねぇ〜!」寒い毎日の中、子どもたちも、夢ハウスの中で元気に過ごしていました。

長野県と広島県からお越しになられている3名の皆様に、夢ハウスの様々なお手伝いをいただきました。助かりました、感謝、感謝でした!

今日はとても綺麗な星空の下で、夢ハウスのセラピードッグのポップの散歩をしながら、子どもたちと色々お話ししました。みんな、一人一人の背景がありますが、しっかり守って行きたいなと、強く思った1日でした。

日頃からの皆様の御支援、心から感謝を申し上げます。

2014年11月10日

宮城県柴田郡PTA連合会様講演会

小学校の体育館を会場として、小学校中学校の保護者の皆様を対象にご縁をいただきまして、「いのちの原点回帰」と題して、90分のお話をさせていただきました。

講演前に校長室で、とっても素敵な校長先生と教育長さんと皆様と色々なお話しをしながら打ち合わせをさせていただきました。自分の小学校、中学校の時もきっと、自分たちの知らない所で、先生方々に心配をしてもらったり、愛されていたんだなぁと、そんなことを感じながらの打ち合わせの時間でした。チームワークと団結力のある、地域の学校。そんな印象を受けました。

講演前の教育長さんのご挨拶が又とても印象的で、言葉の使い方の上手さとお人柄がとても温かく、子どもの気分に戻ったような気持ちになりました。講演は、私が小さい頃に可愛がってもらった地域のお年寄りのお話し、現場のお年寄りが教えてくれる様々なこと、みんな知恵をいただいて、みんなで考えて悩み、火葬までの限られた時間を、大切に過ごさせていただいていること、思いやりの深いお年寄りの言葉に、みんな勇気をもらったり励まされたりしながら支えていただいていること等を、お話ししました。

講演が終わり、校長室に戻りました。校長室には、子どもさんたちの写真がたくさん貼られていて、中でも一番目を引いたのは、給食時間の配膳の写真でした。子どもさんたちの中に、高齢の女性が映っていて、校長先生に「なぜ、給食時間におばあちゃんがいらっしゃるのですか?」とお訪ねすると、「よくぞ、聞いてくれました!」と、校長先生に素敵なお話を教えていただきました。

小学校一年生は、入学当時は配膳の仕方が分からないので、地域のおばあちゃん方々が1週間くらい、給食時間に配膳のお手伝いをしてくださるのだそうです。少しして、子どもさんたちが配膳が出来るようになった時、上手に出来るようになっことを、お手伝いをして下さった地域のおばあちゃん達に見てもらう。この写真が、その時の写真なんです。と、校長先生に教えていただきました。

なんて素敵なことでしょう!この核家族化が進む社会の中で、地域のおばあちゃん達との交流がある、小学校。子どもさんたちにとっても、愛情がいっぱいもらえる機会を一つでも多く学校が作ってくれる環境。気持ちがとても温かく、そして満たされたお話でした。素敵なお話でした。皆様に、本当にお世話になりました。心から、ありがとうございました。

昨日からマンツーマンセミナーのスタートです。長野県からお勉強に来られています。少し高度な復元コースですが、頑張りましょう!明日からは、広島県からお二人見えられます。頑張りましょう!長野県と広島県は、今年とても悲しい災害のあった所です。岩手県の地で、みんなで一緒に考えていけたらと思います。


2014年11月7日

水沢学苑看護専門学校講義

四年目になりますか、水沢学苑看護専門の非常勤講師を勤めさせていただいています。今日は、実習を控えている一年生に向けての90分の講義でした。

水沢学苑看護専門学校は、同じ岩手県内の私の住む北上市の隣にあります。岩手県、宮城県の被災地沿岸から、看護の道を目指して入学した子たちも居ます。様々な背景を持ち、様々な経験を持ち、でもみんな志は一つにプロの道を目指して歩んでいます。

東日本大震災についても、色々とお話をしました。今、多くのいのちの授業や復興教育授業にご縁をいただいて、直接的な被災者と呼ばれる子どもさんたちに多くご縁をいただいています。大勢の方が亡くなられた東日本大震災の中で、葬儀を経験出来ていない子どもたちが多いこと、葬儀の時間の中で特に御遺族はお坊さんや神主さんや牧師さんやシスターなどの宗教者に、様々に求めるものが多くあります。その中で、様々に心の移行があるのだけれど、それを経験していないことから、時間があの時のまま止まっている子が多いこと。良いとか悪いとかの評価でははなくて、沢山悩み考えて、涙して過ごした「今」と言う時間の積み重ねでの今日である、そのプロセスこそ、最も私たちが見逃してはいけない大切なことなのではないのかな?と話しました。やっぱり一人一人にそれぞれに、考え方と捉え方と環境と、掛かる時間もみんな違うから、ご縁をいただいた「今」に私も尽くす。理解しようとすることも大切かもしれないけれど、その悲しみを感じようとすることももっと大事かもしれませんね。と、様々にお話しした90分でした。

昨日も一昨日の現場でも子どもたちは「これから、どうやって応援したら良いの?」と私に聞いてくれます。そういう心の準備をして、未来を向く時間があります。そのまなざしの中には、亡き大切な人の存在が確実にある訳ですね。だから伝えます。例えば、「これからね、お坊さんが来て下さるから聞いてごらんね。「これから、どうやって応援したら良いですか?」ってね!頑張れる?」すると元気に「うん!」って返事が返ってくる訳です。等々、現場のお話もさせてもらいました。

講義の後、図書委員の皆さんからのインタビューを図書室で受けて、学生さんたちに囲まれてとても嬉しい時間を過ごさせていただきました。図書室便り、楽しみにしています!

お昼過ぎに事務所へ、通常業務に戻りました。

明日は宮城県へ向かいます。



2014年11月6日

じじの83歳誕生日

83歳になった、我が家のじじ。

先日、我が家にSECOMを入れた。「寂しい時は、この「非常」ボタン押して良いの?」SECOMを余り理解していないじじ。(´・Д・)」ノリの良いSECOMさんが言った。「うん、そうですね。非常ボタンを押したら、センターから先ずは電話が来ますので、「寂しい」と言ってくださいね。それじゃないと、警備員が来てしまいますのでね。「寂しい」と言っていただけると、違う部署につないでくれますから。あ、ただ警備員に会いたいのであれば、そのままで大丈夫です。(笑)」本当かいっ!(笑)SECOMさんとは、正しく付き合いましょう〜ね、じじ!!(´・Д・)」

帰る約束をしていた時間より、大幅に遅くなってしまった昨日。「遅くなって、ごめんねぇ、じじ。」と、私。「うん、良いよ。慣れてるから!」って。恋人かよ!って大笑い(笑)じいちゃん、粋だね!

じじの誕生日に何を話していたかと言えば、すでに眠そうなじじ曰く・・・。「あのよぉ〜、俺はよぉ〜、いつも思うんだけど、あの世ってよぉ〜、(ちなみに普段はそう言う話はしない、じじ)例えば、次元の違う世界があると科学的に証明されている現代で、違う次元に、たくさん居る人たちに、たまたま会ってしまうってことだべ?じゃあよ、この世で心霊写真特集とかあるべよ、この世の人から見れば、あの世の人の顔が写真に映ると怖いべよ?でもよ、その次元でその怖い顔が実は笑顔として評価されているとしたら、この世の笑顔があの世から見れば怖い顔かもしれないべ?あの世の心霊写真特集に、じじの笑顔が発表されているとしたら、あの世の人はやっぱり怖いのかな?」全然、意味が分からないけれど(笑)、何となく理にかなっている⁉︎ちょっと面白かった(笑)

「じじ、普段そんなことを考えてるの?」と、私が聞けば「うん、暇だから!」と、じじ(笑)83歳、まだまだ冒険心のある人生を送っています。「あの世があるとしたら、会いたいのは誰?」と、私が聞けば「やっぱり、母さんかな?」って。幾つになっても、親子の関係は変わらないのだと、教えてもらいました。「他人から見れば幽霊かもしれないけど、じじからしたら、母さんだから。幽霊って人から言われても会いたいもんだよ。でもよ、じじが死んだら、お前の前に出るとき、変な顔して出てやるからな。(笑)」と、ズルい顔(笑)「いや、普通に出て来ていいよ。普通で(笑)」そんな会話が、83歳のじじの誕生日に繰り広げられていたのでした。

普段は、納棺の時間に悩むことがある、「おじいちゃんの気持ち」をアドバイスしてもらっています。相談に乗ってもらうから、そういう話も付き合ってくれるのかな〜?と、感謝している娘でした。

じじ、83歳の誕生日おめでとう〜!(´・Д・)」

一人一人の人生

とっても忙しくて今日は、初めてのご飯をさっき食べました。こういうのは、しょっちゅうですが、朝、昼、晩の兼用です。そして何故だか、ラーメンを食べようとすると、現場に呼ばれます。緊急出動ですね。不思議なもので、誰かが見ているかのよう!

お孫さんに子どもたち、現場で遺族と呼ばれる方々の中には、子どもたちも含まれます。幼稚園、保育園、小学生、中学生、高校生、大学生と、みんな様々です。

参加型納棺ですから、御遺族の希望をよくよく伺って、言葉を聞き逃さないように神経を張り詰めます。一言一言に思いがこもっていること、希望がたくさんあること、子どもたちも大人と一緒です。

人の人生は、人それぞれの「死」の迎え方があります。亡くなっていても、大切な家族には変わりありません。「生き返って欲しい」と言う願い、希望をずっと持っていらっしゃいます。「信じられない。」「信じたくない。」と言う言葉も多く出ます。「起きて!」と、ご本人の体をゆすってみると言う行動を取られる方も少なくありません。火葬までの時間は限られていますから、御遺族の大切な時間の中で、如何様にでも安心して過ごしていただけるように、力を尽くします。

子どもたちは、故人が彼らに今までしてくれたことを、最後にしてあげたいこととして選びます。それは、普段の生活の関わりの中から、選ばれることが多くあります。

普段から歌ってもらっていた「子守唄を歌う」しかも、大きな声で、とっても上手です。

一緒に歩いた風景を思い出しながら「手をつなぐ」

褒めてもらってとっても嬉しかったから、頑張った大切な家族を褒めてあげたいから「頭をよしよしする。」

いつも、もらっていたからその何倍もの金額を書いて「紙に書いたおこずかいを渡す」

愛してるよと言われていた子どもたちは「愛してるよ。」「大好きだからね。」と話しかける。

添い寝をしてもらっていた子は、大切な家族に添い寝をしてあげています。

亡くなられた故人が、どのくらいの愛情を持って一人一人の子どもさんと関わられていらしたのか、よく教えていただけるのが現場です。とても責任重大です。納棺が終わり、子どもたちに話し掛けられて、様々に話すことも多くあります。昔、私も小さい頃には、こんな風に和尚さんや、おばあちゃんたちに聞いてもらったなぁ。と、そんなことを思い出しながら・・・。まだまだ、私自身はその域に達することは出来ないけれど、子どもたちは真っ直ぐで、とても愛おしいですね。

よく泣き、よく笑い、表現も自由に、時間を大切に使って、一つ一つ確認して形にしながら、故人が遺してくれたことをみんなが想い出して偲ぶ時間です。

人は、明日生きている保証はない。亡き人が生きている私たちみんなに遺してくれることを肝に銘じながら、遺す大切な人が少しでも寂しい思いをしないように、生きている一人一人がまわりの一人一人に、思いを伝えておくことは実はとても大切なことなのかもしれない、それを教えていただいているなではないかと、思う現場に多く、ご縁をいただいていました。明日は非常勤講師を勤めさせていただいている、看護学校の授業です。朝の7時半に出発します!

2014年11月5日

昨日から

帰る飛行機が大幅に遅れながらも、揺れる揺れる飛行機の中で度々流れる「飛行には、影響ありまっせん!着陸は何度かトライしますっ!」と、男らしい機長の言葉に励まされながら、岩手県に帰って来ていました。

帰って来た昨日から、非常に現場が立て込んでおり、時間を見付けて又、つぶやきます(´・Д・)」

2014年11月3日

昨日のあれこれ

東北地方が強風のため、飛行機の運航発表待ちのため空港に居ます。条件付きでの運航が決まり、とりあえず乗れることになりました。

死の臨床の講演で、「会場で聞いていましたよ〜!」と、皆様からメールをたくさんいただいております。そうだったんですね!お声掛けられずすみません!ありがとうございました!

せっかく九州まで来ましたので、昨日泊まったホテルから軍師官兵衛のお墓が近かったので、ご挨拶に行くことにしました。寺町をN先生と様々なお話をしながら歩いていたら、可愛い⁉︎おじさん顔の猫発見!写真をパシャパシャ撮っていまして、「おぉ!良い写真が撮れた〜!」と思ってその場にしゃがんで編集をしていたら、なんと猫さんが膝の上に乗ってきて、落ち着いてしまいました。大きいから、重い、重い(笑)可愛かったです〜(´・Д・)」

軍師官兵衛のお墓に無事に着いて、官兵衛さんにご挨拶。「官兵衛さん、初めまして。私は笹原と申します。今日(昨日だったので)、NHKの大河ドラマで官兵衛さんのお話が放送されますよ!では、ご縁がありましたら又、寄らせていただきます。」とご挨拶。とっても大きなお墓でした。感動したぁ〜〜(´・Д・)」






久々にやってしまった・・・。

今回の死の臨床で「東日本大震災」に関して60分の枠をいただいて、講演をスタートさせていただいた。岩手県の地元のお医者さんに相談させていただいて決めた今回の内容は今、多くご縁をいただいている「復興教育授業」の内容。話し出して、10分ちょっと過ぎた頃のこと・・・。

考えてみれば死の臨床と言う医療の学会とのご縁は、毎年会場は全国持ち回りとのことで、東日本大震災が発生した前の年に、その年の会場が岩手県の盛岡市と言うことで、岩手県の地元のお医者さんや看護師さん、医療者の皆さんのお声掛けで、おもかげ復元師の震災絵日記のあとがきを書いてくださった、住職であり高齢者福祉施設の苑長でもある太田宣承さんとの対談をさせていただいたことからでした。あれから四年なんだなぁ。あの時は10年以上封印していたことを話せた、500人以上の方の前で号泣してしまった、あの時を思い出していました。あれから、そんなに経ったんだなぁ・・・。

と、話している最中に、そんなことをしみじみと考えてしまったもので、なんと途中で自分が今何を話していたのか分からなくなってしまった。こんなことは滅多に無い。「やばい、話を戻さなきゃ。」と壇上で表情に出さないように気持ち焦りながら、さっきまで話していたところに戻ればきっと思い出すだろうと、「花巻・・・」と言ってみたけど、思い出せず・・・。

もう一度「花巻・・・。」と言ってみたけど出て来ず・・・。

そしてもう一回「花巻・・・・・・。」

やっぱりどこまで話したのか分からなくなってしまい、「私、何話そうとしてたんだっけ?」と、ステージの袖でパソコン操作をしてくれていた秘書の菊池に、マイクを使って振り返りながら聞いてみた。そして、会場内はあたたかい雰囲気の中で、大爆笑。笑っていただいて、助けられました。会場内は、お医者さんや看護師さん、医療系の学校の先生方々、そしてシスターやお坊さんの皆さまと多くの宗教者の方がお越しくださっていました。普段、人前でお話をされている方は、フォローも上手っ!いや、きっとあの時の私の焦りを察してくださっていたに違いありません。なんとも有難い、有難い。感謝、感謝でございます。その後は無事に話は続けることが出来ました。

そして講演終了後と言えば、秘書の菊池に「あのね、さっきみたいなのを「言うこと立派、やることかっぱ」って言うんです。講演中に違うことを考えないように!」と注意された私でした。そりゃ、そうだ。本当にすみませんでした!

最近、めまいに襲われていた私の体調不良。点滴をしてもらって何とか良くなって来ました。ま、疲れから来る貧血だったみたいですが、その時の秘書の菊池のアドバイスは以下の通り。「貧血と金欠(←そんなこと私言ってない(笑))の問題についてですが、先ずは貧血から治す。貧血は治療で治す、金欠は長期的に頑張れば良い。」この時もまわりの人たちは、大爆笑でした。会社を経営している方はよく分かると思いますが、私も同様に日々の動きの中で、色んなピンチに見舞われることがあります。そんな時の菊池の発言。「ピンチは大ピンチ!」いやいや、チョットそれ、あおってない?そう来るか⁉︎この時も、まわりは拍手喝采⁉︎何故だ?(笑)実は菊池、みんなの人気者なんです(笑)

岩手県には「やんべ」と言う言葉があります。「肩の力を抜いて」「ほどほどに」と言う意味な訳ですが、張り詰めて頑張らなければならない時と、追い詰められた時ほど、ちょっと肩の力を抜いてみる、そういうバランスは生きて行く上でとても大切なのかもしれませんね。何より、講演中にポーンと話が飛んでしまって本当にすみませんでした。大変、勉強になりました。反省してます!

2014年11月2日

日本死の臨床研究会大分

医療の学会にて、大分県の会場でお話をさせていただきました。

東日本大震災発生後、大船渡病院で使命に奮闘された村上Dr.の次にお話をさせていただくお役目をいただきました。

死の臨床研究会の学会に関して、普段からお世話になっています岩手県の地元のDr.がいつもご縁をつないでくださいます。今回は、東日本大震災に関連した本を学会で記録に残すと言うことで御指名をいただき、御尽力された医療者の皆さんの中で何故私が選んでいただいたのだろう?と不思議に思っていたら、普段からお世話になっていますDr.の推薦だったと伺い、であれば!お役に立てることがあればと言うことで、寄稿させていただくことになりました。頑張ります。

講演終了後に本当に沢山の皆様に並んでいただき、ありがとうございました。おもかげ復元師と、おもかげ復元師の震災絵日記を読んでくださっている方も沢山いらして、とっても嬉しかったです。

普段の皆様のお仕事の内容も伺えて、職種は様々でいらっしゃる中で、つながる内容が沢山あること、講演終了後に、沢山教えていただきました。

講演の司会をしてくださったDr.も、大分県で30年以上前にホスピスを立ち上げて御活躍されているDr.で、講演前に色々なお話をさせていただき、多くの学びをいただきました。大変お世話になり、ありがとうございました。

学会が終了してホテルに戻り、夢ハウスおおつちの管理人である熊本県出身の吉山くんと、今までとこれからの活動のこと、支援の形など色々話しました。すっかりお父さんみたいになったなぁ。と感動しながら思っていました。夢ハウスの子どもたちとは、ほぼ毎日メールやLINEで話しています。みんな一人一人の感性の中で、一生懸命過ごしています。子どもたちからのリクエストで、「笹原さんの事務所、社会見学したい〜!」と希望があり、いつにしようかね〜?と日にちをすり合わせたり。これから益々寒くなる時期に入りますが、子どもたちも風邪を引いたりせず、元気に過ごして欲しいねとそんな話もしました。今度はいつ行けるかな〜?出来るだけ早く、調整して行きたいと思います、

大分県はコートが必要ないくらいの気温でした。少し雨が降りましたが、お天気にも恵まれました。今回の旅で沢山の皆様にお世話になりましたこと、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。