2014年11月6日

一人一人の人生

とっても忙しくて今日は、初めてのご飯をさっき食べました。こういうのは、しょっちゅうですが、朝、昼、晩の兼用です。そして何故だか、ラーメンを食べようとすると、現場に呼ばれます。緊急出動ですね。不思議なもので、誰かが見ているかのよう!

お孫さんに子どもたち、現場で遺族と呼ばれる方々の中には、子どもたちも含まれます。幼稚園、保育園、小学生、中学生、高校生、大学生と、みんな様々です。

参加型納棺ですから、御遺族の希望をよくよく伺って、言葉を聞き逃さないように神経を張り詰めます。一言一言に思いがこもっていること、希望がたくさんあること、子どもたちも大人と一緒です。

人の人生は、人それぞれの「死」の迎え方があります。亡くなっていても、大切な家族には変わりありません。「生き返って欲しい」と言う願い、希望をずっと持っていらっしゃいます。「信じられない。」「信じたくない。」と言う言葉も多く出ます。「起きて!」と、ご本人の体をゆすってみると言う行動を取られる方も少なくありません。火葬までの時間は限られていますから、御遺族の大切な時間の中で、如何様にでも安心して過ごしていただけるように、力を尽くします。

子どもたちは、故人が彼らに今までしてくれたことを、最後にしてあげたいこととして選びます。それは、普段の生活の関わりの中から、選ばれることが多くあります。

普段から歌ってもらっていた「子守唄を歌う」しかも、大きな声で、とっても上手です。

一緒に歩いた風景を思い出しながら「手をつなぐ」

褒めてもらってとっても嬉しかったから、頑張った大切な家族を褒めてあげたいから「頭をよしよしする。」

いつも、もらっていたからその何倍もの金額を書いて「紙に書いたおこずかいを渡す」

愛してるよと言われていた子どもたちは「愛してるよ。」「大好きだからね。」と話しかける。

添い寝をしてもらっていた子は、大切な家族に添い寝をしてあげています。

亡くなられた故人が、どのくらいの愛情を持って一人一人の子どもさんと関わられていらしたのか、よく教えていただけるのが現場です。とても責任重大です。納棺が終わり、子どもたちに話し掛けられて、様々に話すことも多くあります。昔、私も小さい頃には、こんな風に和尚さんや、おばあちゃんたちに聞いてもらったなぁ。と、そんなことを思い出しながら・・・。まだまだ、私自身はその域に達することは出来ないけれど、子どもたちは真っ直ぐで、とても愛おしいですね。

よく泣き、よく笑い、表現も自由に、時間を大切に使って、一つ一つ確認して形にしながら、故人が遺してくれたことをみんなが想い出して偲ぶ時間です。

人は、明日生きている保証はない。亡き人が生きている私たちみんなに遺してくれることを肝に銘じながら、遺す大切な人が少しでも寂しい思いをしないように、生きている一人一人がまわりの一人一人に、思いを伝えておくことは実はとても大切なことなのかもしれない、それを教えていただいているなではないかと、思う現場に多く、ご縁をいただいていました。明日は非常勤講師を勤めさせていただいている、看護学校の授業です。朝の7時半に出発します!