2015年2月25日

3月11日が近いので

全国各地で、東日本大震災のチャリティーイベントを行ってくださるとのご連絡をいただき、発送準備にも時間を費やしていました。

昨日までで、ご連絡いただいた皆様のところへ、発送が完了しています。

テレビやラジオ、新聞でも「おもかげ復元師」「おもかげ復元師の震災絵日記」を取り上げていただき、御遺族・被災者の皆さんとのご縁をつないでいただき、感謝を申し上げます。3月11日に向けて現在では多く、被災者の皆さんとの時間も、過ごさせていただいていました。

想い出を沢山思い出す時は、偲ぶ時間が必要な、気持ちのタイミングが来ているということです。そのタイミングを、大事にしてくださいね。人にお話をする方、一人で考えたい方、お寺などに参り、昇華したい方と様々です。安心できる場所で、自分の気持ちと上手に、付き合ってみてくださいね。






こんなニュースばっかり。

根本的に、どのような理由があるにせよ、死んで良い人なんていないと私は思います。それなのに何故、連日胸が苦しくなるような事件ばかりが起こるのか・・・。

テレビを見る時間が、現場の移動の時くらいしかないのですが、体の力が抜けてしまうような、悲しいニュースばかり。

死の現場で使命を果たす、多くの職種があります。その人たちは、みんな知っています。一人の人が亡くなれば、家族を含めたその人を大切に思う人たちが、自分の目の前で深い悲しみに落ちていくことを。

毎日納棺に伺い、様々な死の迎え方で亡くなられる、お一人お一人とのお別れ。その人を思う人たちが、亡くなっ
た方の亡骸にすがり、涙を流します。

今の世の中、人のせいばかりにして、責任逃れをする大人が多すぎること。子どもたちが起こす事件だって、もっと地域がつながって、見守る力を付けたいところです。学校ばかり責めたって、ダメでしょう。誰か一人、何処か一つを悪者にしても、根本は何も解決しない。そういう大人の姿を見て、子どもは育ちます。だから、子どもたちが起こす事件は、今の社会の責任でもあるのだと思います。

相手の幸せを、自分の幸せと感じられる感性の人は、まだまだ沢山いますから、私の周りには、そういうひとばかり!世の中捨てたもんじゃないと思います。

だから、頑張るしかないんだと、やっぱり又、思っていた今日でした。




2015年2月21日

島保育園と地域の皆さまへ講演

花巻市にある島保育園。創立60周年を昨年迎えたそうで、私よりも年上の保育園でした。今日の講演には、予想の人数をはるかに超えて、多くの皆様がお集まりくださったそうです。お忙しい中、ありがとうございました。

ご縁は二年前、花巻市の12の保育園職員の皆さまに向けて、お話をさせていただいたことがあり、その時会場にいらした、島保育園のとっても素敵な園長先生からのお声掛けでした。

講演終了後の質疑応答で、「私は6年前に女房を亡くしましてね、天命を全うすればね、あの世で女房に会えることだけを楽しみに、今生きていますと、先日知人にご飯を食べながら話したら、「おい、あの世が無かったらどうする?」と言われて、急に不安になりました。あの世って、あると思いますか?」

そのお父さんと、ある約束を交わしました。私が死を迎える時、誰が迎えに来ているのか、今どんな様子なのかを話しますから、お父さん来て下さいね。で、お父さんが死を迎える時に、私を呼んでください。その時に、情報交換をする約束をしまして、お嫁さんが喜んでくれました。「死」について、皆さんと一緒に考える講演だったので、そんな話も出来て大盛り上がりになりました。

講演のお話の中で「私の子どもは夢に出てきてくれません。子どもさんを亡くした経験のあるお父さんやお母さん方に、笹原さんの子どは忙しいんだよ〜!なんて、慰めてもらっています。みんな、優しいです。」と話した内容があり、本のサイン会が講演終了後にありまして、「14年前にさ、僕は娘を亡くしたんです。僕の夢にも出て来てくれないんですよ。きっと、忙しいんでしょうかね?」私「間違いないでしょう〜。でも、たまには出てきて欲しいですよね。」お父さん「あちらの世界で、笹原さんの子どもさんと家のの子と、もう友達かもしれませんね!」と、二人で笑いました。お父さんは14年と教えてくれました。命日も、あれから何年経っているのかも、ちゃんと覚えていること。父親として大切にしている様々な気持ちを、教えていただいた時間だったと思います。

納棺にご縁をいただいた御遺族も、たくさん来てくださだていました。「笹原さんね、講演の中で「納棺の時間はあまり話しません。」って言ってたけど、けっこう話してましたよ(笑)」私「うそぉ!本当に⁉︎」御遺族「あ、あ、でも、説明です。説明が、すごく分かりやすかったから、みんなで色んな話が出来て良かったです!」(いかん!また、慰めてもらっちゃった)皆さんと過ごさせていただいた時間は、とっても癒された時間でした。ありがとうございました。

一昨日まで、4泊5日で広島県からお二人、研修に来られていました。いやぁ、本当に頑張りましたね〜!お疲れ様でした。

今日は八神純子さんのラジオに出演させていただきました。八神純子さんには以前からお世話になっていて、八神さんはα波の癒しで包まれているような、とっても安心出来る存在の方です。震災初期から東日本大震災に深く関わり、みんなの気持ちを、本当によく分かってくれている方だと思います。八神純子さんのご活躍にも、頭が下がります。

納棺に伺うことが多かった、毎年、納棺がとても忙しくなる12月から今日までの時間の中で、事務所の中で職員内でカンファレンスを行いながら、多くの方の人生にご縁をいただいていることを、改めて再確認出来た時間もありました。

人は誰でも、生きている以上は明日生きる保証は無いんだよと、亡くなられた方が、生きている私たちに、遺してくれているんだなと思います。今日を精一杯生きることが、亡くした方への御礼なのかなと、感じた時間でもありました。

心の中に大切な家族を思い、多くの方が今を生きていること、毎日色々教えてもらって、学ばせていただきながら、明日も頑張ろうと思います。






2015年2月18日

地震がありました。

一回目の大きな地震では、何故か胸がいっぱいになり、涙が出てきそうになりました。皆さんからのメールで、気持ちを共有させてもらいました。

二回目の地震の時は、納棺中でした。御遺族に避難をしていただいた方が良いのか、悩みました。

その後に、皆さんからメールをいただきました。

3月11日と言う命日を前に、2度の大きな地震があった今日。今年のこの時期は、今までにない倦怠感と闘う被災者の方が多く、今日はとっても気持ちが落ち込んでしまわれた皆さんでした。

不安なこととか、色んなモヤモヤとか、悲しかったり悔しかったりの気持ちを、大切な家族の遺影に向かい、お話をされながら、気持ちの中の不安を体の外へ出されている方が多かったと思います。

「手を合わせたら、何だか落ち着いたよ」と教えてくれる方もいらっしゃいました。

これまで頑張ってこられたのですから、時間を作って、少し肩の力を抜いてみても良いのかもしれませんよ。

ここの所ほぼ毎日、沿岸の納棺に走っていました。東日本大震災で頑張った方々が、亡くなることも多い今月でした。偲ぶのも、ひとしおです。

大丈夫ではないことは分かってはいるけれど、みんな大丈夫かなぁと、心配していた今日でした。やっぱり、大丈夫ではありませんでした。当然の心情だと思いますが、浜の人はやっぱり、その底力が素敵な人たちばかりだなと、思いました。

3月11日までの、今時期が辛いと話して下さる皆さんは、気持ちを奮い立たせて、踏ん張っていました。命日を迎える二ヶ月くらい前から、遺されたご家族は皆さん、このような心情で暮らしています。どんな小さくても音、匂い、言葉に敏感になっています。遺されたご家族のそういう気持ちを、少しでも、一人でも多くの皆さんに知っていただき、そっと見守り、寄り添ってもらえたら有難いと思います。よろしくお願い致します。




2015年2月16日

感謝です。

READYFORに御支援をいただきました皆さま、そして日頃から夢ハウスへの御寄附に御支援をいただいている皆さまに、心より感謝を申し上げます。

READYFORがスタートして四日目、なんと、四日目に目標を達成しましたと、夢ハウスの管理人である吉山くんから連絡をもらいました。お一人お一人が書いてくださっているメッセージを、泣きながら読んでいる、涙もろいお兄さんです。

藤原代表(きっと嬉しくて、泣いていらっしゃるのではないでしょうか)、吉山くん、横ちゃん、地域の皆さまが、READYFORの御支援と、皆さまからのメッセージに、とても元気をいただいているとのことでした。

なんと、私の存じ上げている方もたくさんいらして、あぁ嬉しいなぁと心温かくなりながら、同時にメッセージの欄で初めてご縁をいただく皆さまの、夢ハウスを思う温かいメッセージを拝読して、

あぁ、ここで皆さまが、夢ハウスに思いを向けてくださるという、共通の思いで繋がってくださっているんだと、改めて感動していました。(吉山くん、良かったね!)

皆さまのおかげ様で、これから風船の準備に入りますね。子どもたちも、張り切るだろうなぁ。去年も、みんな一生懸命に、お空に居る家族にお手紙を書いていましたから。とても愛おしい姿でした。

LAEDYFORは、決められた期間内は目標を達成しても、御支援を承れるそうです。引き続きの御支援、お声掛けを、皆さまのお力をいただければと思います。よろしくお願いいたします。

今回、本当に多くお問い合わせをいただきました、夢ハウスへの募金の郵便局と銀行からの募金口座の御案内です。引き続き、よろしくお願いいたします。

口座記号番号01300-4-102234
口座名称(漢字)夢のみずうみ村 夢ハウスおおつち基金
口座名称(カナ)ユメノミズウミムラ ユメハウスオオツチキキン

他行から振込の場合】

銀行名ゆうちょ銀行支店名一三九店(イチサンキュウテン)
預金種目当座口座番号0102234
口座名称(漢字)夢のみずうみ村 夢ハウスおおつち基金
口座名称(カナ)ユメノミズウミムラ ユメハウスオオツチキキン
皆さまの温かい御支援に、心より感謝を申し上げます。



忙しかったです。

すごく忙しかったです。まだまだ、忙しいですが(´・Д・)」

バタバター、バタバター、
バタバター(移動の時と準備は)

納棺現場に着いたら、どしっと。悲しみの現場に居させていただくと、誰も死を迎えなければ良いのにと思いながら、故人を見つめて考えてしまうことだって、私にもあります。(もしかしたら、そんなに見るなって!と言われているかもしれない)死の迎え方は、その人それぞれです。ご家族の特徴も、みんな違う。だから、お別れの方法も、みんな違います。悩むことだって、それぞれ。

答えが出ない、答えの無い答えを追いかけて、皆さんが又今日を、スタートされます。本当に亡くなったのかと、実感のない今を過ごされて、亡くなった大切な人は、心の中に生き続け、思い続ける人と共に、過ごされているのだと思います。幽霊とか、魂とか、そういうことでは無くて、何とも説明が付けにくいけど・・・。白黒はっきりさせなかくても、良いことだっていっぱいありますから、グレーで良いんです。グレーで。

年を取ると、グレーでいっか!ってことがけっこうあるもので、決めてしまえばひとつ限りの答えでも、グレーだと答えが幾つも現れて、いろんな視点から感じることが出来るものかもしれません。(場合によるけど)

被災者の皆さんとお話をさせていただくことも随分増え、いつもより取材も増えて、3月11日が近付いていることを、実感していました。

私なりに、偲ぶ時期に入ったと思います。3月11日までは、毎日心の中は、あの時の安置所の中に居る気がしています。記憶を辿り、お一人お一人を思い出し、大事な記憶を守っていきたいと思っていました。

いのち新聞活動が約久しぶりに復活した昨日。被災地出身のみんなと話していた会話の中から。

私「心霊写真ってあるでしょ、あれって、自分の家族が写っても心霊写真って言うのかな?」

Iさん「いや、それは普通に家族写真だから、記念写真でしょ〜〜!(´・Д・)」」

Fさん「そうそう、記念写真!」

こんな素敵な仲間と、話題は復興についてや、大切な亡くした家族のことだったり、悲しみとの付き合い方だったり、そして何よりオカルトをオカルトで終わらせないと言う一緒の時を過ごしながら、いのち新聞は作られていたのでした!Iさん、いつも編集、ありがとうm(__)mいのち新聞メンバーの、全員一致でオッケーが出たら、Blogで御紹介したいとも検討中です。お楽しみに!( ̄^ ̄)ゞ

2015年2月11日

子ども夢ハウスおおつち

昨日は、夢ハウスへ行きました。吉山くん、横ちゃん、床屋の佐藤さん、子どもたちの保護者の皆さん、地域の皆さん、いつも話題の中心は子どもたちで、昨日も癒しをいっぱい注ぎ込んでもらった1日でした。

仕事をお昼までに終えて、夢ハウスの子どもたちと約束していた物を指差確認して持ち(忘れたら、カンチョーすると言われたので←子どもだから、本当にやる。手加減は全然ない、いつも本気(笑))、向かいました。内陸は大雪、同じ岩手県でも釜石市(ここも被災地)の沿岸まで出てしまうと、雪は全くなし。「おぉ〜!」一人、運転をしながら歓声を上げてしまいました(笑)

「笹原さん、持ってきた?」「うん。」持って行った一つは、怖い話のDVDでした。津波より、怖い物を知りたいと言う彼は、行くたびに色んな話しをおねだりされ、怖い話は特に好む。彼は東日本大震災の被災地を撮影された写真集から、心霊写真を見付けた子。

ある日、夢ハウスに行くと少し落ち込んでいた彼。吉山くんに許しをもらって、町内を二人でドライブ。本屋さんに寄った時のこと。彼が写真集を持って来た。「笹原さん、見て見て!」彼が言うには、「男の人しか参加できないはずの、海の中での写真に女の人が写り込んでいる。」と話す。「あ、本当だ。」「女の人の大きさも違うでしょ。」「本当だね。」こういう時に気を付けているのは、これだけで終わらせないこと。

「この人、どうしたんだろうね?」「僕ね、この人知ってるよ。近所の人で、津波で亡くなった人なんだ。きっと、お祭りに参加していたんだと思うよ。」「そうかぁ、お祭り、好きだったんだね。」「大槌の人は、みんなお祭りが好きなんだよ。僕だって、学校に上がる前からさ、お祭りに参加してるもん!」「へぇー、素敵だねぇ。で、この人どうしてあげたら良いと思う?」「それはさぁ、ただお祭りに参加しただけなんだから、そっとしておいてあげよう!」彼は、写真集を静かに閉じました。東日本大震災の中で色んなことを経験して、被災地の子どもたちと、しっかりお話しすると、素敵な回答が返ってくることも多いものです。

怖い話もだんだん、ネタ切れしてきて前回DVDの話をしたら、見たいとのことで持って行きました。怖い話なんだけど、ナレーションが壇蜜さん。優しい声だから良いかなと考えて彼に手渡すと。「ウフフ。壇蜜、良いよね〜〜(ん?何だ?目がハート⁉︎)」小学校五年生の男心を垣間見た!(笑)他の男子も集まってきて、「お!壇蜜ダァ〜(これまたみんな、目がハート。本当かよ〜〜、小学生!私、少々マイッた。)女子、それを見て「これだから、男ってやだよね〜〜。でも、私も壇蜜さん好き!だって、頭が良くて、綺麗だもん!」
こうして、壇蜜さんについて、どれだけステキかの話題でおおいに盛り上がり、結果、DVDは見られることはありませんでした(笑)ちなみに、壇蜜さんがナレーションと言うだけで、内容は怖い話です。あしからず。

復興の話も、みんなでしました。家が欲しい、学校と体育館とグラウンドが欲しい。大人の男の人は家族のために家を建てたい。仕事を取り戻したい。女の人も、家が欲しい。みんな、病院が欲しい。家族を亡くした人は特に、お寺が復活して欲しい。様々な願いの中での生活です。一人一人の復興の希望がつながれば、町づくりになるんだと、教えてもらった1日でもありました。

現在の夢ハウスは、3月11日に向けての準備も開始されています。たくさんの町の人たちの希望もあり、去年と同様にバルーンを空に飛ばします。津波で亡くなった町の人たちの人数分の、バルーンの数です。みんな、バルーンに亡くなった家族に向けてのお手紙を付けます。御支援いただける皆さま、よろしくお願いいたします。御支援いただいている皆さま、引き続きよろしくお願いいたします。今まで通り、口座でのご寄付も承っております。

ゆうちょ銀行
当座
夢のみずうみ村夢ハウスおおつち基金

以前、講演時に募金箱をご準備いただいてお預かりしていた、紫波町民生児童委員会協議会様、15407円を夢ハウスに入金させていただきました。心から、ありがとうございました。

夢ハウスでは現在、自立支援の一つとして行われる子どもたちの毎日の手作りのおやつづくり(指導者は横ちゃん。地元のスーパーで食材を購入)、他活動経費、すり傷公園補修、子どもたちの環境で成長に必要なもの等と、ご寄付を積み立てて、町づくり、子どもたちの集える建物等を考えているそうです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

皆さまの御支援、ご寄付に心から感謝を申し上げます。

夢ハウスでは、地区に支援いただきました、お雛様が保護者、地域の皆さまの手で飾られていました。津波で大切な家族を亡くし、家族と過ごしていたイベントは、大家族となったの夢ハウスでも行われています。「昔の、結婚式なんだよ。」「綺麗だねー!」ひな壇の前で、みんなで話をしていました。日本の伝統は、今から過去と未来を、みんなで考えられる風習です。夢ハウスでも、大切にされていました。



【ご協力のお願いです!】

子ども夢ハウスおおつち 『3月11日に光る風船に手紙を託して大槌に夜空に飛ばしたい』 
プロジェクトに多くの皆様のご協力をお待ちしております!

詳しくは ↓↓↓

2015年2月6日

だまされたんだよ!

ずっと現場に走りながら、本当に一件一件それぞれの、お別れのお手伝いをさせていただいています。

「だまされたんだよ!」
(いきなりですか!)

とスタートから嘆く、御歳90歳の奥さま。旦那様とのお別れの時間に、私の耳元でこっそり伝えてくださいました。

「そうなんですかぁ。」

「楽させるからって、そう言われて嫁に来た。この旦那、本当によく働くし、酒もタバコもやらないし、浮気もしないし、優しくてすごく大事にしてくれて・・・」

「・・・。」

「あれ?なんで、だまされたんだっけ?」

(えっ?えっ?何がですか?)
「・・・幸せ・・・、でした?」

「・・・だね。(爆笑)」
(素敵!)

「旦那ね、死ぬって言われてたんだけど、頭で理解するのとね、実際に経験するのとね、全然違うものなのね。本当に動揺しちゃったの。でも、みんなに良くしてもらったよ。あ、今度から一人暮らしになるの。遊びに来てくれる?」
(そう、こうして遺族訪問希望は、突然やってくる。)

「はい、伺いますね。」
(にっこり)

「この歳になると、お寺の行事が楽しみなんだよ。毎回、お寺の行事に出てると、「あれ、今日来てないな」って、住職が気が付いて、腐ってる私を見付けてくれるかもしれないでしょ。(笑)」
(身近な方の死を経験すると、誰でも自分の死を意識します。自分の生活の中に死を感じるようになりますから、そうですね、その時が夏ではないことを祈ります。って言うか、さっきの話は、もう良いのかな?(笑))

「お寺で皆さんと、どのようなお話をされるんですか?」

「悪口!」

「悪?」

「いや、愚痴!」
(オーライ!)

あっと言う間の1時間でした。(笑)最後に、腰の曲がられた小さな体で私、ハグされて、

「今日のお礼ね。」

涙をいっぱいためて、棺の窓から御主人のお顔を覗かれていました。表現は人それぞれで、お別れの形もそれぞれです。どんな表現であろうとも、大切なご家族を亡くされたことには変わりません。これから、現実に生活の形が変わる時を迎え、ご家族を亡くされたことを感じられる時間を迎えられます。頼りにされているお寺さんの存在が大きかったので、少し安心しています。少し落ち着かれた頃に、伺ってみようと思います。








社長の座を譲る⁉︎

納棺の現場と会社の業務、春から続く出版に向けて、原稿とにらめっこ。テキストの追加や教材、現場カンファレンスと、一つ一つ大切にしていかなければならないことと、向き合わせていただいています。

来月の3月11日が近くなるにつれて、気持ちや体調の変化を強く感じる被災者の皆さんとの時間も、多くなって来ました。お一人お一人の背景も、年齢も様々です。復興教育授業のご縁もあり、子どもさんたちとお話ししたり、日常の中で話し掛けてもらうことも多くなりました。

「笹原さんの納棺って、どんな納棺ですか?」

「え?(突然の質問に少々戸惑う、復元納棺師。不動の心を養ってきたつもりが、あっけない。なんと、情けない。)」

「参加型納棺ですよね?参加型納棺って、あーでこーで・・・。」

圧倒されて、その子を見つめる私。
「どうして、そんなに詳しいの?」

「私、参加型納棺を語れます!」
(マジか!←驚く私)

「おこずかいで、おもかげ復元師の文庫本を買いました。涙がゴーゴー、鼻水もいっぱい出て、何回も読みました!あーでこーで、高い高い〜〜って、オーオー(←途中泣いてる)、あーでこーで・・・」

(圧倒される私。最近、おもかげ復元師について、質問をしてくれる特に、小中高生が増えてきたけれど、いやぁ、しかし、この子もすごいなぁ。おもかげ復元師の中に登場される、亡くなられた方がこうしてこの子の人生に、死から生きることを伝えてくれて、この子もこうしてここまで、その存在を大切にしてくれるとは。「お空の上の皆さん〜〜!聞こえてますかぁ〜〜!」あっ、しまった。思わず、お空の上の皆さんに、話し掛けてしまった。この子の世界に、すっかり引き込まれていた!私!)

「今度、おもかげ復元師について、語る会を開いてください!」
(え?どんな会?その会、どんな会?)

「良いですか!!!!」

「あ、はい。(良いですかに、「?」が無かったよね⁉︎今ね⁉︎しかも、思わず、ハイって言っちゃった。)」

親しい友人に話したら、

「そこまで語れるなら、社長の座を譲るしかないね。」

と言われました。(笑)いやぁ、しかし、可愛かったなぁ。亡くなられた方も、この子のこと、可愛良いだろうなぁ。作られていない裏のない感情と、真っ直ぐな眼差しに、すっかりノックアウトな私でした。

おかげさまで、おもかげ復元師の文庫本も、発売から1ヶ月で増刷が決まりました。今までずっと応援してくださって、支えてくださった皆さん、そして新たにご縁をいただく皆さん、お一人お一人とのご縁に、心から感謝を申し上げます。



掛ける言葉が無い?

「どんな言葉を掛けたら良いですか」と問われることも多いけど、

自分が同じ立場なら、「どんな言葉を掛けられたいですか」

と考えてみれば、答えは自ずと出てくるだろうと思います。

ちなみに、現場で御遺族に、「こんな風に言葉を掛けられたんだけど、どんな風に答えるべき?」と聞かれることが多くあります。

実は、お互い様のことが多いですね。

絶対に言ってはいけない言葉、絶対にやってはいけないこと、悲しみの現場には、色んな決まりがあるから、みんな悩むのかも知れないけれど、何せ一番大切なことは、先ずは、

心を通わせてみましょう!
(本当に大切なこと、忘れないで!)

ということに限りますね。心を込められれば、例え言葉をコミニュケーションの手段として使わなくても、通じることってあるものです。

それが、悲しみの現場。悲しみは、人に沢山のことを教えてくれます。

だけど、それって死の現場だけに限ったことではありません。普段から、自分が何を考え、何を求め、何を感じ、どんなことに研鑽しているのか、誰かに認められたいからのスタートでも良いけれど、結果、遅かれ早かれ自分が自分を認められるのかと言う苦しみに、いつか当たってしまうのが、多分人生ですよね。

例え表現が様々でも、実はここに、みんなが悩んでいる。

誰だって死を迎える時は一人です。生きている以上老いて、そして病気になる可能性を高く抱えます。

まだ、起きてもいないことに恐怖を感じて生きること、リスクマネジメントも大事かもしれませんが、

もっと大切で、向き合わなければならないことが、本当はあるとしたら、足元からしっかり固めていくべきでしょう。

火葬場が、黒い煙の出るものが禁止になり、益々厳しくなっていますから、棺の中には入れられないものが増えています。残念ですが、名誉だって、財産の全ても、棺には入れられません。

チベットの文化には、昔の日本に見て取れる歴史が未だに残っていると言います。

その人が亡くなれば、財産はお寺へ寄付し、身の回りのものも、近所の人たちが売りさばき、それをお寺の寄付とします。要は、地域に還す。

この話をどう取るかも、その人それぞれなのかもしれません。

私は、こう取ります。

「執着しない。だから、手放す。」

そこから起こるものは、信仰する神仏に、大切な家族を委ねるということにつながります。

依存は、見返りを求めます。

委ねることは、お任せすること。明らかに見たから、出来ること。諦めることです。

意味が全然違います。なので、納棺の時間は、それぞれの地域性の中にある死生観を重んじ、一つ一つの悲しみを見て感じ、お互いのいのちの意味と、いのちの使い方を探しながら、その意味を考えている時です。

言葉は大切。でも、もっと大切なのは思いやり。大切なのは、言葉単体ではなく、言葉と思いのバランスです。

だけど、「どんな言葉を掛けたら良いのですか?」って、本当は答えが出てますよね。裏を返せば、掛ける言葉も見付からないってことですよね。そう、悩んでる方にお会いする度、素敵な方だと感じます。

自信と言うか、芯を持たなければならないことってあると思うけど、自信が無い人の方が、人の心に配慮出来ていて、私は好きです。私も自信は無いけど、芯は育んでます。意味、分かる?わかんねぇだろうなぁ〜〜(古いっ!サブッ、昔のギャグ(笑))

掛ける言葉が無い。これが答えなら、目の前の方が安心できることを探して、さり気なく動けていれば、良いんだと思います!

求めることよりも、求められていることを、探してみてください。今しかない、今なんだから!



2015年2月4日

鬼の正体

「鬼は外、福は内」の節分でしたね。

小学校の頃、

「鬼の正体って何だ?福って、だいたい何なんだ?」

と、考え込んだことがありました。おかしな小学生でした。(笑)そして、中学生になり、やっぱり同じことを考えていました。高校生になり、とても気になるので、母に聞いたことがありました。

「鬼の正体は何?福って、幸せのこと?福が来いという意味で、「内」は分かるけど、鬼の正体が分からないのに、「外」なんて言えない。」

すると母が言いました。

「自称、鬼研究家(理由は追々)のお母さんとして考えるところに(本当に、とんでもなく詳しい(笑))、

鬼の意味するものは、昔は「厄」のことを指したと思う。疫病が流行り、日照りや冷害で作物がとれなかった時代と、それと人生の中で良くないことが起こったりね、人の力ではどうにもならないことを「厄」と呼んだのかもしれない。その厄を、「鬼」と言う凶悪な鬼に例えて、鬼は外。何らかの理由で怨霊や妖怪に成らざるを得なかった、それらを指して、「鬼」と考える人たちも、昔は多かった。で、鬼は外。

大和民族が先住民族を「鬼」と呼んだと言う記述もあり、

ところが、外国人説もある訳よ。昔から残る記述には、鬼が随分登場してる訳ね。海を越えて渡ってきた、外国人を見た日本の人は、初めて見る風貌に「鬼」と呼んだそうだ。

大昔、その鬼と呼ばれた外国人をかくまったのが、役の小角(えんのおずぬ)と言う人で、奈良の吉野のお山を開いたと言われている人ね。小角は、五カ国語以上話せたと言われていて、山の中に住みながら、世界中の文化を教えてもらったんだって。外国人は、小角に作物の作り方や、薬草の煎じ方など生活に於いての色々を教わったんだって。だから、吉野のお山では現代でも小角が大事にしていた、鬼と呼ばれた人たちの歴史を守り、「鬼も内、福も内」と言って、全国から追いやられた鬼をお山に招いて、もてなすんだって。

いわゆる「鬼」とは何かと問うならば、年齢や環境や、立ち位置、時代など、その時その視点で、鬼の意味が変わるのかもしれないね。

結局、鬼は自分の中に居るのかもしれないよ。「鬼は外」と言ったって、そう簡単には出て行かないでしょうけど。自分の一部なら仕方ない、と諦めるか、外に出す努力をするのか、その鬼と共に生きるか。いずれにせよ、その鬼は、自分の気持ち次第で、いつ何時現れるか分からない。その鬼をコントロールするのも、自分。押さえつけるのか、解放するのか、解放した時の自分の責任は如何にするのか。

自分の心の変化を教えてくれる存在として、「ハッ」とされてくれる存在では、あるんだろうけどね。

(多分、私が思春期だったから、そんな話をしてくれたのかな?と、今は思う。)

鬼の正体を問うたとき、「その人の持つ意味」という事ならば、一人一人違うんじゃないの?」

「そうかぁ、自分の中にいるのか・・・」

「え?じゃ、自分に豆を当てるの?」
「ま、そういう人が居ても、良いんじゃないの?」
「痛いよ。」
「だから、昔から外に向けてるでしょ。同じ考えの人は、何百年前でも、居たと思うよ。(笑)厄に向けて豆を外にまくのか、自分の中に居る鬼に向けてまくなら痛いから、外にまくのか、それはその人の自由でしょ(笑)」

もちろん、私は外にまいたのでした。(笑)

「鬼は〜〜、外、外!・・・(これで、良いのか⁉︎)」

鬼の存在は、一見(聞)良くないことと言うイメージがあるけれど、昔から伝わる「鬼」と言う存在から考えられる、昔の人の知恵は何処に。大昔からある、この豆まきの伝統は、きっと必要だから現代に残っているのだと思う。その伝統から、その中にある意味を考えさせられる今日でした。

結果、現代まで人が伝えてきたこととして考えれば、東日本大震災も1000年後の未来まで遺る可能性がある。伝え続けることが、大切です。じゃ、何を伝えるべきかと問うならば、きちんと心に響く形で、起こった時と、その後の問題に対して、人々がどう関わり、どのような問題と直面し、そしてどう時代を生きたのか。私たちは、未来の人から見れば、過去に生きていて、しかも、大昔なんて言われてしまうかもしれない今。「時代」の中に生きている意識を持ち、後世の人が生き抜ける知恵を、大昔の人が私たちに遺してくれたように、子々孫々伝えていかなければならないのだと、強く意識した今日でした。




2015年2月1日

子ども夢ハウスおおつち

30日は夢ハウスへ行きました。

大槌町は地盤沈下した道路や必要な場所のかさ上げ後、今は家や建物を建てるために町中のかさ上げが行われていて、工事車両も頻繁に走っていました。あの時の光景から、ずいぶん変わったと思います。

月日が経つとは、こういうことなのかなと、みんなで話すことも多くなりました。現在・過去・未来を意識してみれば、気持ちは全て未来に向けられているわけではなく、だからと言って過去に全てがある訳でもなく、その時、その時で、配分しているパーセンテージも違うものです。

例えば今日、何かちょっと良いことがあったかなと思えることがあれば、気持ちがポジティブだから、大幅に未来に向かえる。人それぞれだけど例えば、

現在に60%、
過去に0%、
未来に40%

でも、ご遺族は違う。良いことがあれば、良いことを大事な家族と共有したいから、

現在に20%
過去に60%
しっかり偲んで勇気が出たら、
未来に20%を全力でと、なる。

良いことだけでなく、何事も、亡き家族と共にと考えるもんです。それが、ご遺族の普通なんです。人それぞれ、その人の人生の中の、大切なことがあります。

夢ハウスで台所に居たら、低学年の子たちが帰って来ました。

「ただいまー!」
「あ!笹原さん〜〜!」
「おかえり〜〜」
「宿題は?」
「先に、ねりけし作る!」
「ほぉー」
「笹原さんにあげるから、ちょっと待ってて。」(笹原さん悪い気しない)

「あのさ、3月11日は夢ハウスやってるでしょ?」
「うん、やってるよ。どうしたの?」
「くっそー(藤原代表)いるでしょ?」
「くっそー、いるよ。」
「あー、良かった!」ねりけしを黙々と作る彼ら。安心したのか、ちょっとニヤリ。そこへ、吉山くん台所に登場!慌てて宿題をしているフリをする、彼ら(笑)素晴らしい!演技派!吉山くんも、すっかりお父さん的存在だなぁ〜〜。その後、やっとやってくれた宿題の「お家の人」の欄にサインして(笑)

そこへ続々と帰って来て、3月11日の話が続きます。(年を越してから、私の所にも、3月11日の話は多くなっています。)

高学年男子曰く、
「笹原さんあのさぁ、今日さぁ、みんなで学校でさぁ、津波で死んだ家族と、どうしたら会えるかって、話をしたんだよ。でさ、みんながコックリさんが良いとか言うから、みんなにいったよ。

笹原さんがさ、コックリさんは絶対にやらない方が良いって言ってた。青森県にコックリ信仰って言うのがあって、修行したおばあちゃんたちが、死んだ人と話をする方法を真似て(東北ではイタコさんなども昔から居る)、コックリさんの遊びがあるから、遊びでやるもんじゃないって。おばあちゃんたちと僕たちが違うのは、おばあちゃんたちは、呼んでも帰してあげることが出来るけど、遊びでやる人は、呼んでも帰すことが出来ないから、死んだ人が怒っても当たり前。って笹原さんが言ってた。

って言ったら、みんなでやっぱりコックリさんは止めようってことになったんだよ。でね、友だちの一人が、炎に死んだ家族が見えるって、言ってる人が居たんだよ。笹原さん、見えると思う?」
「どうかなぁ〜。でも、火はさぁ、子どもだけだと危ないからね、大人の居る所で試してごらんね。目的が変わったら、ただの火遊びになるから、オネショするから気を付けなさいね。」
「うん、分かった!今、やってみていい?笹原さん、大人でしょ?」
「うん、そうね、とりあえず大人。」

ライターから出る火を、みんなで角度を変えながら見ても、全然火の中に誰も現れず・・・

そのうち、ライターを持ったまま歩き出す子どもたち・・・

「ウオッホン(私の咳払い)」
「あ!これ、オネショタレちゃう方?」よく気が付いた!
「その通り!」
「じゃ、今日ちゃんとオシッコして寝るから!」
「その方がいいね。」

お昼過ぎから沿岸部も雪が降ってきて、雪遊びがしたいと外へ向かう子どもたち。

「子どもは風の子なんだよ!すり傷公園に行ってきます〜!」

元気な声が響きました。吉山くん曰く、
「かさ上げが本格的に進み始めました。すり傷公園もかさ上げ地域の指定を受けています。すり傷公園の一部から、取り壊さなければなりません。」「かさ上げは、町の復興のために大切なことです。覚悟していました。ただ、子どもたちが大勢遊びに来ている今、集える場所でもあるので、公園を移転しても残せたらと検討しています。」と話してくれました。

これから、どんどん町の風景が変わっていくことが予測されます。まだ、学校も仮設のプレハブです。町が壊滅したところから、子どもたちは見ていますから、町の復興は一見未来に向かうポジティブな感じではあるとは思いますが、生活の中に起こる変化、その度に起こる悲嘆は、藤原代表が言う「必要な悲嘆」です。未来を思えば、復興は大事。悩んで決断することを求められる今、地域で出来ることを日々、子どもたちの成長に合わせ、夢ハウスでも地域の皆さんと共に、話し合いを大切にしています。

日頃からの皆さんの御支援、ご寄附に心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。