2015年9月30日

お別れの時間の中の子どもたち

納棺の特に着付けが始まったとき、遺族である子どもさんたちから「腕相撲」「しりとり」「じゃんけん」などなど、誘われることも多くなりました。誘われ方は、以下の通りです。

「じゃんけん、したそうだよ!(え!本当に⁉︎顔に書いてあったか〜) 」

「腕相撲、してあげようか?(え?私、腕相撲したそう⁉︎嫌いじゃないよ。弱いけど)」

「じゃあ・・・、リス!(な、なんと。突然始まる、しりとりです。)」

おじいちゃんがしりとりをいつも一緒にしてくれいたと、お孫さんがしりとりを始めると、おじいちゃんに回ってきた番を、おじいちゃんの親友の方が担当してくれたとき、腹話術みたいに口を動かさなかったもんだから、「た、た、た・・・タヌキ!」みんな、おじいちゃんが話したと思ってビックリ!っと言う納棺の現場がありました。

おやじギャグを「ポエム」と教え込んでいたお父さん。息子さんが、教えられたポエムを「トイレにいっといれ!」等々披露して、お父さんの着付けをみんなで行いながら、大爆笑。「ステキな宝物を遺してくれた。」と、皆さんが泣き笑いした現場でした。息子さんは、どうしてみんなが泣き笑いしているのか、分からない。でも、笑うことが大好きだったお父さんが、みんなを笑顔にしてくれたことには変わらないと、言っていました。

今月も、たくさんのお別れのお手伝いをさせていただきました。お一人お一人とのご縁を忘れません。ありがとうございました。



逃げ出した葬儀⁉︎

今月は、お世話になった方の葬儀に参列させていただきました。お体があるときに、毎日通わせていただいて、私は毎日生き返ってくださるのではないかと、実は思っていました。

「よく来たね、ゆっくりして行きなさいね。」いつも、そう声を掛けていただいていたから、毎日、その言葉を掛けていただいているような気がしました。長い御安置でも、お体に負担が掛かっていなかったことがよく分かる、最後の日まできれいな安定されたお姿でした。火葬の日、霊柩車を見送ろうと道端に立っていました。霊柩車の通る道を間違えたのでお見送りは出来なかったけれど、その待っていた1時間は、本当に色々と考える時間をいただいた、貴重な時間になりました。葬儀のとき、焼香の順番が回ってきそうになり、

「やっぱり今は、お別れしたくない。」と思ったら情けない私は、焼香せずに、こっそり逃げ出してしまいました。本当に、悲しかった。その帰り道には色々考えながら、「ちゃんと時間を作って、心を整えて、お別れじゃなくて、改めて御礼に行こう。」そう思ったら、少し楽になった気がしました。

東日本大震災のときもいつも見守っていただいて、御自身も切なすぎる悲しみをいくつも経験され、そして多くの人の安心のために御尽力されました。包容力の本物を、お姿から教えていただきました。

「よく来たね、ゆっくりして行きなさいね。」私も笑顔で、そう言える人になりたいな(まだまだ無理だけど)と、今は足跡を辿りながら、全く追いつくわけがないけれど、追いかけて行こうと思っています。生前にいただいた、輪袈裟が形見になりました。素晴らしいご家族と、そしてひ孫さんに見守られながら息を引き取られたと伺い、改めてステキなご家族であることを感じました。やっぱり、さすがです。最後の最後まで、本当に色々なことを教えていただきました。ここで頑張らないと、恩を仇で返すことになってしまうから、何としても頑張ります。

本当に、本当に、ありがとうございました。

2015年9月28日

日総研さん東京セミナー

27日は日総研さん「エンゼルケアとグリーフケア」東京セミナーでした。10時〜16時まで、定員いっぱいになった60名の医療、介護職の皆さんと一緒に、現場に起こる・求められる様々な課題について、考えながら進めました。

今日は特に、悲しみの表現方法などが中心になっていき、技術と環境作りを基本としたかかわりを考えていくための質問も多く、一つ一つ現場からお伝えしました。

「技術はどこで習ったのですか?」と言う質問も多くいただきました。技術を教えてくれる人は誰も居らず、何処かの学校で習った経験も全く無く、初期の頃は一人で悩みながら、独学で現場を積み重ねてきました。私の技術を育ててくれたのは、現場の中にある悲嘆だったと思います。ご遺族がお話ししてくださる想い出を伺い、心動かされ、精一杯尽くさせていただいた積み重ねでした。復元の評価は、ご遺族がします。こちらが良いと思っても、ご遺族が良しとしないと成立しません。現場はそういう厳しさがいつも隣り合わせです。今は復元を応援してくださる医師の皆さんに、技術の答え合わせをしてもらえます。

「現場に入るときの気持ちの持ち方」の質問も色々ありました。壁に当たるのは、現場に出れば毎回のことですが、「世界にたった一人しかいない人を前にしている」ので、当然のことだと思えるようになりました。もちろん毎回の現場では相当なプレッシャーもあるし、現場に入る前には何かに落ち込んでいても、モチベーション(苦手だったので相当訓練しました)を上げてプロのスイッチをオンにする準備もします。現場で流れの組み立てをより早く行うために、自分をわざと緊張させてから、緊張感を一定に保ち、神経を張り詰めて故人とご遺族に気持ちを集中させていきます。難しい技術のときは、二度も戻らない時間であることを意識して、自分を追い込みます。今は復元納棺にご縁をいただいたご遺族の皆さんが、復元を応援してくださって、新たなご遺族に対しても支えてもらっています。とても、心強いです。

「笹原さんが世の中で一番怖いものはなんですか。」脅されたわけでもなんでもありませんが、その存在感自体が何かしらの恐ろしさをかもし出す、体重計です。

等々、セミナー中とその後のサイン会と、多くの質問をありがとうございました。

今日は東京近郊の島からも船に乗り、参加してくださった方も居ました。島では、生活に密着しているから、何でも頼られる存在である看護師さん。大切な島民の皆さんのことをお話ししてくださる普段の動きを伺いながら、とっても頼もしいなと思いました。魚介類が豊富で、とっても美味しいそうですよ。「助け合わないと生きていけない地域の魅力」、人の温もりが生活の中にある島の生活のお話し、とっても素敵でした。

グリーフケアと一言で言っても、立ち位置や職種により、関わり方が異なります。関わり方が異なるのは、求められることが異なるからです。切れている糸を丁寧に結ぶ作業を行うことで、異なっていても「つながる」ことが出来ると私は思っています。つながることが出来れば、心が孤独になる人はいなくなります。

お別れのお手伝いの現場からお伝えした今日の情報が、皆さんの引き出しを一つでも多く増やすことにつながり、現場で誰かの安心と笑顔につなげていただいて、お役に立てれば幸いです。

たくさんの皆さんにお集まりいただき、ありがとうございました。お疲れさまでした。

2015年9月26日

仙台青葉学院短期大学

昨日は現場に走りながら、今日は早朝7時ちょっと過ぎの新幹線で、宮城県に向かいました。

仙台青葉学院短期大学の学生さん全員に向けて90分の授業。先生方々の温かい親心をひしひしと感じる中、皆さんと一緒に、いのちについて、人と人とのつながりについて考えました。

終了後、控え室を訪ねたいと先生に申し出てくれる学生さん方々が居てくれたり、会場から出ると多くの学生さんに声を掛けてもらったり、

「NHKスペシャル〜最期の笑顔〜をテレビで見て、沢山悩みが多かったあの時、私は作業療法士の道を歩むことに決めたんです!」と、涙をポロポロ流しながら教えてくれる学生さんも。「そうか、そうか。大変だったんだね、よくここまで頑張ったね」と、声を掛けながら、話しを深めていきました。偉い、偉い。

そう、私も人に支えられ、助けられて生かしてもらっています。一人で生きているわけではありません。毎日、たくさんの人に出会い、お一人お一人が生きてきた道を教えてもらいます。私の現場のことを皆さんに知ってもらったとき、たくさんの人のつながりを、一人一人の人が本来持つ温もりを知ってもらうことが出来ます。悲しみの現場から、色んなことを知ってもらったとき、様々な業種の、素晴らしいプロとしての志を高く持ってくれる、たくさんの若者たちに出会う今。

社会は、人と人とのつながりで成り立っていると思います。その中に、優しさやいたわりの気持ちがあれば、目の前の人を見守れる思いやれる気持ちがあれば、きっとみんな笑顔で過ごせるのではないかなと、思っています。

マザーテレサの言葉にあるように、

どれだけたくさんのことをしたかではなく、
どれだけ一つ一つのことに心を込められたのか。

人にたくさんのことを求めるよりも、自分が一つ一つのことにどれだけ心を込められたのか。ということも言えるのではないでしょうか。

何より私は、志しを聞かせてくれる、キラキラした若者の笑顔に励まされました。

今日の授業を、皆さんにつなげてくれた先生方々に感謝を申し上げます。皆さんとお会い出来て、色んなお話しを教えてもらって、色んなことを一緒に考えることが出来ました。とても素晴らしい時間を、皆さんと過ごさせていただいた今日に、深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2015年9月25日

マッチョ⁉︎

現在の被災地沿岸部の納棺は、ナビで地図を入れても、現場に到着するまでに、何度も回り道をしなければならないことが多くあります。

大雨の後は、道路が地震での地盤沈下による冠水のため通行止め、
土砂崩れによる通行止め、
津波の被害により通行止め、
津波の被害による工事のため通行止め等々、

こっちかな?
あっちかな?

東日本大震災の影響がもたらした、様々なことは現在もまだ続いています。災害が一度起こると、それで終わりと言う訳ではない・・・ということに、心も環境も、毎日出会っている気がします。

そういう話題に関しても、納棺の時間にご遺族と話し合うことも、現場では少なくありません。その前も、その前の前も、ほぼ毎日、そのような話からスタートします。

先日の現場で故人は震災後、直接的な被災者でありながら、病とも戦い、ずっと地元の人を支えていたと言うお話しを伺いました。

「お父さん、起きて!」と、棺の蓋を閉める前に奥さまが言いました。それを聞いて息子さんが、

「今まで父さん、本当に頑張って来たんだもの。やっと楽になれたんだから、ゆっくり眠れる。休ませてあげようよ。もう、起こさないであげてよ。今頃、先に逝ったみんなに会ってると思うよ。」

奥さまも、「あ!あ、あ・・・、それも、そうだよね。ごめんね、もう、ゆっくり休んで良いんだよ。」と、声を掛けていました。

棺にいっしょに入れて持たせて差し上げたいものには、マッチョな体を作るためにいつも愛飲していたサプリメントを選ばれました。高齢でしたが、本当にマッチョでした。大好きだったリポビタンDは瓶なので、棺には入れられないため息子さんが飲み干しました。

「うまいっ。」

故人が普段好きだったことを、故人の体がある時に夜なべして、朝を迎えるまで行うことも、日本の葬送の時間には、よくあることです。例えばトランプ、料理、絵を描いたり、折り紙を折ったり、花札なんかも聞くことがあります。そこには、故人の想い出話が確実に存在し、偲び、送る気持ちを整えていくと言う意味がある訳です。

現場では色々な希望が出てくるのですが、体が硬くなったので(死後硬直)、柔らかくして欲しいと言う希望もあり、解いて体を柔らかくしました。着せてあげたい物もたくさんあり、ご遺族の希望に添いながら、皆さんと「5枚」重ね着をしました。

「すごくマッチョに見えるね。」

そう言いながらも、「本人の希望を叶えたので良かった。」の言葉と一緒に、ご遺族に安心した気持ちを含む笑顔が戻りました。

「災害で家族を亡くし、その後にまた家族を亡くし。お彼岸の今時期は、お参りもお墓と発見された場所や、元々家のあった場所をお参りする。お参りの場所が、増えていきます。」と話してくださるご遺族も居られました。

ご遺族の姿は、故人の人柄や姿を写していることがあります。腰に手を当てて、しっかり肘をあげながら「プハァ〜」と一声。牛乳、オロナミンC、リポビタンDなどを飲むときの姿・・・、きっと故人も、こういう風に腰に手を当てて飲まれていたのかしら・・・、故人の生前姿を拝見しているようでした。

「飲み方、お父さんそっくり(笑)」

息子さんの姿を見て、さっきまで泣いていた奥さまが、笑顔になることがあります。故人の想い出が、故人が遺した大切な家族を、支えてくれる瞬間に立ち合えるのも、この仕事を通して教えてもらえることなのかもしれません。



2015年9月23日

感動大学さま、講演

年に一度行われる感動大学の大会は、全国から様々な職種の皆さまが集られ、今年で14回目を迎えられたとのことでした。

何度かお声掛けいただきながらスケジュールが合わず、伺えない年が続きましたが約1年前に、普段から大変お世話になっているK藤社長さんからのお声掛けで、今年伺うことが出来ました。

会場は岩手県盛岡市。今日いただいたお時間が、70分。何度も立たせていただいた、今日の会場のステージは私にとって一回一回の、その時その時の、講演での想い出がありました。今日の皆さんも聞き上手、私もとても良い意味で戸惑うほどの、皆さんの反響。ありがたい御声援も、本当に多くの皆さまからいただき、特にサイン会の時には、皆さんのお気持ちを伺い、たくさん驚かされながらも、亡くなられた方をこんなに大切に思ってくださるお志に、私もいっぱい元気をいただきました。ありがとうございました。

死は誰にでも訪れます。明日を生きる保証は、誰にもありません。そういうことを、亡くなった人が遺し教えてくれていると思います。だからこそ、生きている私たち一人一人が、大切な人に何を残し、遺された人に生き抜いてもらうためのつながりと、いっしょに過ごす時をどのような気持ちで使うのか。それが大切な想い出になり、遺す人を支えます。そういう内容を皆さんといっしょに考える時間をいただいた、貴重な今日という時間でした。

皆さまの益々のご活躍を、会の益々のご発展をお祈り申し上げます。ありがとうございました。


2015年9月22日

産まれました!

夢ハウスの管理人の吉山くんが、故郷の熊本県に里帰りでした。里帰り当日は阿蘇山の噴火もあり、遅延や欠航がありました。吉山くんの里帰り期間中の、1週間は夢ハウスもお休みでした。今日の夕方、岩手県に帰って来て、夢ハウスへご連絡いただいていた皆さまからのお問い合わせや、ご支援、ボランティア等いただいたお話しの申し送りをしていました。

弊社に現在まで、県内外からお越しいただく来客の皆さまからのご希望も多くあり、東日本大震災に関して、事務所内に写真や震災絵日記などのパネルを展示して準備中です。事務所に居られる時間があまり無くて、現場の合間やアポの合間にも進めているのですが、これがなかなか進まない。大きなパネルの取り付け等々、私も夕方事務所に戻り、いのち新聞、夢ハウスコーナーに於いても、今日、吉山くんが仕上げてくれました。手伝ってもらうと、早い、早い。高い所や、パネルもけっこう重たいので、正直少し体にガタが来てる私的には、とても助かりました。

夜に待ち合わせがある吉山くんの予定だったので、我が家でバレーボール観戦しましょう(とても楽しみにしていたバレーボールの試合は、実は日中放送していたのを、さっき知る。日中は仕事なので、どちらにせよ見れない。残念。)ということで、我が家に到着。

「ん?」家の中から、聞いたことのない猫の声がする・・・。きなこ(猫)でもない、もっち(猫)でもない、ポチ子(猫)でもない・・・だとしたら、誰だ?と、猫ゲージを覗くと・・・

産んでる!ポチ子が赤ちゃんを産んでる!ポチ子のお腹に赤ちゃんが居ることに全く気がついていなかった私、少々パニック!

私「よ、吉山くん!ポチ子が赤ちゃん産んでる!」

吉山くんポチ子の居る、ポチ子の大好きな発泡スチロールの箱を覗きながら「あ、見た所、2匹居ますよ。ぼく、初めて猫のお産に立ち合いました。感激です!9月21日の、お誕生日ですね!」

私「ほ、ほ・・・本当にか!」

ポチ子の初めてのお産。胎盤が出ているし、へその緒もついてるし、吉山くんにネットで猫のお産を調べてもらいながら教えてもらって、ポチ子のお腹をさすっていました。猫のお産は人の手が入ると、お母さん猫が危険を感じて赤ちゃんを食べてしまうとも言われているので気を遣いましたが、ポチ子があんまり私を呼ぶものですから、お腹をさするとお腹を見せて落ち着くので、ただただお腹をさすっていました。そして、体の小さなポチ子は、2匹の赤ちゃんを産みました。

その後、きなこ(猫)、もっち(猫)が赤ちゃんを覗くので、じじの部屋に居るチロ(犬)の犬のゲージを借り、すごく手早くこなす頼もしい!(えっ!そんなに早く動けたんだ!)じじに手伝ってもらって、ポチ子と赤ちゃん2匹を隔離。チロ(犬)は、ゲージが無くなってとても困った顔をしていたので、私のお気に入りの座布団をプレゼントすると、ご満悦でした。チロ、ありがとうね。

そんなこんなで、見たことのない不思議なちっちゃな2匹の生物(猫だけど)と、少し落ち着いた今、共に新たな明日を歩む決心が出来た、私でした。(でも、何度もゲージを覗いて、じじに怒られる私。何歳になっても、親にとって子は子なのでした。(笑))あー、本当にびっくりしたぁ。

つまり、吉山くんに赤ちゃんが産まれたのではなくて、吉山くんがポチ子のお産に立ち合ってくれて、じじがポチ子の産後の扱いをしたと言うお話しでした。☆彡






2015年9月18日

愛知県看護学校授業

今日は愛知県加茂看護専門学校の皆さんに向けて、90分のお時間をいただいて、お話しをさせていただきました。以前、同じ市内の看護学校さんでお話しをさせていただいたことからつながる、ご縁とのことでした。

社会の中でとても頼られる立場である職種の一つ、看護師さん。学生の今のうちに出来ることを含めて、私がお手伝いさせていただくお別れの現場から、皆さんに伝えられることを課題の中心として、皆さんと一緒に考えていきました。

私が現場でプロのスイッチをオンにしたときに、意識して気を付けていることは以下の3つです。と言うお話しからスタートしました。おもかげ復元師の中にも書かせてもらっていることですが、

知りたいことと、
知らなくてはいけないことは違うこと。

私たちも目の前の人たちも、
使命は一人一人違い、
それが一人一人の生き方につながること。

絶対に聞き逃してはいけない言葉と、私たちは出逢っているということ。

学生さんの中には、看護学校に入る前に「おもかげ復元師」を読んでくれていたと、だから今日の授業が待ち遠しく感じていたとお話しをしてくれる学生さんもいました。みんなそれぞれに、色々な人生経験をして、医療の道を志す人も多いですね。

何より、「死」を特別視せずに人生そのものとして人生の最期の時間として大切に捉えて、皆さんに今日の授業の時間を作ってくれた教員の先生方々に感謝ですね。

副校長先生は、ER(救命救急)の現場を含めて30年医療の現場に居られたと、教えてくれました。その先生方々の気持ちは、医療の最前線の現場に立ち、一人一人の人生に寄り添い、患者さんの記憶と共に生きてきた人生経験を、今は皆さんの指導に当たり、第一線で心に寄り添える看護師として育てる、教育に捧げる信念。違う方向からでも、患者さんに寄り添う気持ちは変わらず、〝現場に居たからこそ、現場に一緒に入り指導していくこと〟を含めて、社会貢献として奉仕されている姿、先生方々のその教育者としての思いに、私はとても胸を打たれていました。

皆さんとお会い出来て、お話し出来て、本当に素晴らしい時間でした。心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。皆さまお一人お一人のご活躍を、お祈り申し上げます。

私も気持ちを集中させて、明日は現場に向かいます。

2015年9月15日

「いのちの授業」

岩手県北上市立南中学校三年生の皆さんと、「いのち」と「東日本大震災」について、被災地に指定された県の子どもたちと復興についても、いただいた時間の中で一緒に考えた90分でした。南中学校さんは、3回目のいのちの授業の訪問になります。

授業を終えて校長室に戻り、校長先生が「何だか、子どもたちの普段の様子と違って、初めて感じる子どもたちの雰囲気でした。」そう話していたときに、校長室を訪ねて来てくれる子どもたちが・・・。校長先生が、さっきと同じことを子どもたちに聞くと、

「だって、なんか、すっごい心に残る話だったからぁ、ちゃんと話聞いてました!」

亡くなった人との関わり方、そこに関わる情報の捉え方、気持の中で起こる様々なこと。亡くなった人たちが私たちに遺し教えてくれていること、私たちがそれに対してどのように感じ、生きていく糧にするのか等々。みんな、真剣でしたね。とても素晴らしい集中力と、聞く姿勢でした。

そう、本当にみんな一人一人が自分の気持ちを大切にして、そして目の前の人のことも、周りのいのちも大切に考えてくれた時間でした。何とも、大変な盛り上がりでした。今日の授業のために、事前授業をしてくださっていたとのことで、諸先生方とチームになれた、本日の「いのちの授業」だったと思います。

人生の節目に立った時、孤独だと思った時、何かに挫折した時、なんか上手くいかないな〜と思った時、今日の授業を思い出してみてくださいね。

これからも、ご縁をいただくたくさんの子どもさんたちと、過去と現在から、未来を考えていく時間を積み重ねていき、私も共に学びながら進んでいきたいと思います。お世話になりました皆さまに、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。


2015年9月14日

がんばれNIPPON!

元々若い頃にバレーボールをしていた私。昔は、182㎝になる予定だった身長は、未だに154㎝のまま。まさしく、予定は未定だ。まだ身長は伸びるはずだと思っている私。まさしく、それは妄想に過ぎない。現実って、厳しい。まぁ、そんなもんだ。

ここの所、全日本男子バレーボールの試合を、見れる時には楽しみに見ていた。騒ぎすぎる私に、じいちゃん「静かにしてください。もう若くないんだから。」って(笑)

自分の子どもの歳くらいの若い選手たちが、本当に粘り強く、よく頑張っている姿は、本当に素晴らしい。しかし、若い選手がこんなにものびのびとプレーが出来る指導と環境づくり、信頼関係を作れるベテラン選手が、監督が、縁の下の力持ちの人たちが、本当にすごいと思いました。私はセッターだったから、これまた、セッターの采配の、テクニックの凄さにうなっていました。きっと見てない所でも、ものすごい努力を積み重ねて、自分と向き合ってこられているのだと思います。まさしく、sportsmanship(スポースマンシップ)。一人一人が優れている、その人たちがつながっての、素晴らしい試合。チームプレーの意味を、また考えさせられた、素晴らしい日本のプレー。

明日から出張の吉山くんが、チラッと我が家に寄ってくれて、一緒にバレーボールを見ていた・・・。今日の試合後の、清水キャプテンの言葉に二人で釘付けになった。

「全国各地で災害に遭われた皆さんに、自分たちのプレーを見てもらって、元気を出してもらえるような、そういうプレーをしていきたいと思っています。」

私「今の言葉、聞いた?」
吉山くん「はい、聞きました。」
二人「・・・。」
私「どう思った?」
吉山くん「すごく、すごく嬉しいです。」
私「だよね。」

そういう全国各地の被災地を思う気持ちで、この試合に挑んでくれていたんだと思うと、また深く心にに残る試合になりました。

結果としてはイタリアに3ー0で日本が負けた、今日の試合。勝ち続けていた日本でした。だけど、不思議となんか負けた気がしなかった。正確には、勝ち負けを通り越しちゃってたのかも、しれません。不思議な試合を見ました。最後まで諦めない、どこまでも食らいつく、粘り強い試合でした。確かに、一つ一つのプレーから元気と勇気をいっぱいもらったね、と話していたので、被災地を意識して、使命を果たしてくれていたんだと知ると、なんだかすごく嬉しかった。私たちだけじゃなく、被災者の人はみんな嬉しかったんじゃないかと話しました。

その後、どんどん被災者の人たちからの連絡が入りました。「清水キャプテンの言葉が嬉しかった」みんな、あれだけの粘り強いバレーボールを見せてもらって、口々にそう言っていました。

素敵な試合を、ありがとう!ここの被災地からも、熱いエールを送っています!がんばれ、NIPPON!!

そして私は、明日は現場に走ります。

2015年9月13日

日総研さん、名古屋セミナー

「新生児・小児におけるエンゼルケアとグリーフケア」の名古屋セミナーでした。

10時〜16時まで、赤ちゃん・子どものお別れの時間の中にある、特徴的な様々なことを深めて、多くの質問にも同時にお答えしながら、現場からお伝えしました。

遠くは北海道から、名古屋セミナーの会場に来てくださった助産師さんのチームの皆さんも居られて、セミナー終了後には様々に、お集まりいただいた皆さんとお話しをさせていただきました。お互いに「そういう世界があるんですね〜。」と言う話をしながら、様々なことを共有させていただきました。

今の時代の助産師さんも、子どもに関わる看護師さんも、私も長くたくさんつながりをいただいていますが、社会に向けて精力的に動いています。

赤ちゃんを産んでも、今の日本では被災地も同様に、増々出る貧富の差の中で、親御さんは踏ん張ってるのが現実。

少子化、核家族化が進む中で様々な問題の発生、赤ちゃんの成長に合わせて、育てていく環境を確認しながら整えるべく情報収集。

赤ちゃん・子どもさんを亡くした親御さんとのつながりの中で、求められる継続したケア。

様々な事情での堕胎の現場・・・。

等々。時代のニーズに合わせて使命感と向き合う皆さん。特に日本の「死」の現場には宗教観と死生観、地域によってはしきたりが直結していますから、そういう内容の質問も多い中で、日本独特のグリーフケアがあり、現場から、ご遺族の求めるグリーフケアも、エンゼルケアとセットで考えていきました。

全国各地で発生している災害と、日本の社会の中で生き抜く術を、つながりながら考えていかなければならない時代に入って来たような気がしています。

小さな赤ちゃん・子どものいのちの光を見つめ、守り続けてくれる専門職の皆さんに、頭が下がる思いでした。赤ちゃん・子どもたちが、あちらの世界できっと、安心出来る人と環境の中で、笑顔で過ごしてくれていると信じて。





2015年9月11日

子ども夢ハウスおおつち、本日

皆さまのご支援、そして大雨洪水警報についてご心配いただき、ありがとうございます。

夢ハウスがある岩手県大槌町は、本日は浸水が数カ所で発生、避難勧告が発令され継続中で、学校は休校になっています。

学校がお休みで、仕事の都合で仮設住宅や家に一人残る子どもたちを、保護者の希望で預かり、みんなで避難所に避難しています。保護者と一緒に家に残っている子どもたちの個別訪問を、必要に応じて管理人の吉山くんが回る予定となっています。本日同様、緊急事態が発生した時は、藤原代表に相談しながらの動きになる予定です。

避難勧告が解除されたら、みんなで夢ハウスに戻り、通常通り夢ハウスで過ごして、引き続き土砂崩れや川の氾濫に警戒しながら、保護者のお迎えを待つと言う方向の動きになります。

本日の子ども夢ハウスおおつちの動きは、上記の通りになります。ご心配いただき、ありがとうございます。

いのち新聞

先月下旬、いのち新聞の編集会議がありました。編集長を持ち回りにしよう!ということで、新しい編集長も決まり、よく記事を書いてくれるYちゃん7歳になりました⁉︎そして私は、補佐になりました(笑)なんとまぁ、この子もまた、頼もしい。

みんなで色々話すのは、「生きる」を探す作業。東日本大震災の過去と現在、そこから未来を考えること。過去に行ったり来たりしながら、復興のこと、その意味、それぞれの生まれ育った被災地沿岸の未来、それぞれの職種から見て、感じる震災からの生活のこと、色々とみんなで考えます。

例えば大切な家族の「死」を、無理に受け入れようとすると、人はきっと壊れてしまうでしょう。

気持ちが繊細になっている分、人の言葉にも敏感になります。

周りの圧に耐えられなくなると焦ることも少々増えることがあります。イライラしながら、冷や汗も出る。冷静になろうとすると何故か、心が乱れて取り乱してしまう。

そんな日々が続いてしまうと、人と会いたくなくなってしまうので、その前に理解してくれる何かと出会うことが、安心につながります。いのち新聞が、そういう皆さんの相棒として選んでもらっているのも、私たちも嬉しい限りです。

大切な家族を思い続けて生きることは何も特別なことでも、悪いことでもありません。きっと、ずっと思い続けて生きるのは、みんなきっと同じだと思います。変わるのは、思い続ける「内容」が変わって行くのだと思います。どのような人と出会い、どのような話しをするのかと言うことで、良くも悪くも「内容」は変わっていきます。自分自身の生きてきた中での信念こそ、自分や家族、周りの人を守ってくれるのかもしれませんね。

いのち新聞は、泣いているだけの会だと思われがちですが、いやいや、そんなことはありません。もちろん、涙が出ることもありますが、けっこう知恵の出し合いをしたり、それぞれに守り伝えられた地域の伝統の話題の出し合いや、こんな面白い会話をして来たよ〜等々、きらめきと、ひらめきの時間であることも確かです。

そんな編集部の話し合った内容を「編集後記」にしようかとまとめ始めたとき、多分、一般的には?普段の生活の話題に上がらないであろう、ここまでの盛り上がりにはならないであろう、いのち新聞ならではの、あまりにもステキな会話が多すぎて、「新聞の全部が埋まってしまうじゃない〜〜(笑)」なんてことが、多々あります。やっと絞りに絞った、編集後記も皆さんのお楽しみの一つとお聞きしました。

現在は、2ヶ月に一度の活動になっております。また、ご報告出来たらと思います。☆彡お問い合わせ、ありがとうございます。

今日で、東日本大震災から4年半です。「あっという間」と言う感覚は、当事者の生活は慌ただしくても、心の時間は、ゆっくり進んでいるので、そういう表現にはならないかなと思います。

質問も多いのですが当事者の方と、当事者ではない方の感覚の違いは「時間の流れの感覚」の違いです。どちらが合っていて、どちらが間違っていると言うことではなくて、感覚の違いがあることをお互いが理解していれば、きっと色々共有出来ると思います。

これも多い質問で、当事者に良かれと思って掛ける言葉は、だいたい外れてしまって当事者の怒りを買いやすいので、そこら辺はちょっとだけ気持ちに配慮してもらえればと思います。決め付けと押し付けの言葉はナンセンス。グリーフケア(悲嘆の援助)の本質は、思いやりと優しさと、いたわりです。悲嘆を援助する意気込みよりも、普段からの関わりの中にさりげなく「思いやりと優しさと、いたわり」の癖付けがあることの方が、ずっとステキだと思います。私も、普段から意識して過ごせればと思っています。

皆さまのいのち新聞の応援、ありがとうございます。これからも、よろしくお願い申し上げます。


宮古市へ

9日は、宮古市立山口小学校の五年生の、生徒さんと保護者の皆さんに向けて、90分のいのちの授業。東日本大震災で、皆さんの住む地域が被災しました。一人一人の背景に、一人一人の東日本大震災がありました。

本当に熱心に、みんなが色々な気持ちをお話ししてくれたり、それについていっしょに考えたり、私が生かしていただいている「死」の世界は、「生きる」ことを教えてくれる存在であることを皆さんにお伝えしながら、いのちのことを、亡くなった家族への思いの持ち方の種類、それに必ず関わってくる様々なことなどを含め、お話しをさせていただきました。保護者の皆さんもそれぞれに、津波や震災の経験を涙を流しながらお話しをしてくださいました。終了後、担任の先生に、「授業の準備も片付けもちゃんと出来て、いのちの授業中も、みんなお利口さんでしたねー!」と話すと、「始まる前に、素敵な魔法を掛けました。」と、笑顔でお話しをしてくれました。

帰ろうとした時、子どもたちが私を見つけて走って来て囲まれ、もみくちゃに(笑)、とっても素直な質問の嵐・・・、語り合う時間、そして最後は不思議と前向きになれてしまう、得意のあの話でみんなと大いに盛り上がり、これからをいっしょに考えました。

宮古市にそのまま泊まり、翌日の10日は、出張マンツーマンセミナー(復元師としての技術講習・ステップアップ講習)でした。

東日本大震災発生時、マンツーマンセミナーを今回受講されたNさんは、Nさんの住む地域の安置所の中で、涙をこらえながら全力でお手伝いをしていました。Nさんからの電話で「大勢の人が、安置所に運ばれてくる。」SOSを受けて、他の地域を回りながら、何度もNさんの居る安置所のお手伝いにも入りました。

元々Nさんは、弊社のマンツーマンセミナーを受講していること、現在も現役で現場に走っていることで、都度の課題を持っていて、その課題を技術に変えるための講習として、猛特訓の時間が続きました。

被災地は、被災地特有のお見送りも追加されます。詳しくは言えないところもありますが、死の迎え方は様々でも、ご家族の思いを心に受けて、心動かされての現場のミッションと、諦めそうな自分と、一つ一つ向き合っていくのも復元の難しさです。

Nさんと話をしながら振り返った、自分の時間もありました。私は、このお仕事をさせていただいて12年。東日本大震災でのボランティアとしてご縁をいただいた方を含めず、延べ12,000名のお別れのお手伝いをさせていただきました。12,000通りの死の迎え方と背景があり、12,000通りの悲しみの形がありました。東日本大震災の中でのお別れのお手伝いは、自分の中の別の枠の中にあり、まだまだ答え探しが続いています。Nさんも私も、県内の警察管轄の安置所が閉まる7月末頃までの約4ヶ月間、ずっとご縁をいただいていました。その後も自分の仕事と、地域のこと、震災のことに関する活動は、Nさんとしっかり共有出来ることです。まだまだ終わらない震災について、情報が共有出来る頼もしい同志です。

警察管轄の安置所は、実は出入りがとても厳しいので、地元の人しか入れない特徴も強くあったと思います(宗教者は、地元の宗教者の方が同行であればほとんど大丈夫でした)。安置所のお手伝いの申し出は、この業種だけではなく、どの業種の方も地元の人以外はほとんどの方が断られて帰られたと、後からずいぶん聞きました。警察管轄から地元の安置所に移動した後に、確かに当時は搬送に高額請求をされたりの問題や、棺を遺族の許可なく勝手に開けようとしたり、家族ではない誰かが手を掛けた復元と称する施行の、直しの依頼もご遺族から私のところには多々ありました。Nさんとよく話したのは、評価するのは直接的な被災者の方(ご遺族)一人一人であり、施行する人が決めることではないと言うこと。そういう厳しさは現場はいつも、隣り合わせです。そういう問題が増える度に、安置所の出入りは警察管轄の安置所も地元の民間管理の安置所も、益々厳しくなっていったと感じます。

全国各地で起こる災害の度に、その地元の安置所に入って、お別れのお手伝いをしている弟子の皆さんから連絡が入り、その状況の中からどのように進めていくのか、相談が来ることも多々あります。全国各地同じく、安置所は特に、地元の人しか入れない特徴があります。

技術だけじゃない、ご遺族との関わりと、しきたりや死生観、宗教観、地域性が「死」には直結していますから、そういう難しさがあります。悲しみは怒りに変わりやすいので、安置所の警戒態勢は、そのくらい厳しくて正解だと思います。縁の下の力持ちの皆さんとのつながり、本当に色んなことを同時進行で行わなければならないことが、安置所の中には実は山ほどありました。

過去を振り返り、これからを考える。この二日間での時間は、なんとも不思議な温かい気持ちになれる二日間でした。

明日は名古屋に入ります。

数日の災害のニュースは、宮古市でNさん方と見ていました。心が苦しくなりました。お電話も数件いただきました。災害時は自分の経験上、知らない間に体力が消耗しています。体が資本です。長期戦ですから、横になるだけでも休める時には体を休めて、お体を大切にお過ごしください。心よりお見舞い申し上げます。

岩手県も、洪水警報が発令されて非常に激しい雨になっています。これからは雷も鳴り始めるそうですので、警戒したいと思います。夢ハウスのある地域含め、被災地沿岸部も東日本大震災で地盤沈下をしているので、浸水が心配です。東日本大震災で家族がまだ見付からなかったり、家族を亡くした夢ハウスの子どもたちから管理人の吉山くんに、「今回の災害で、何かお手伝い出来ることは無いか」と、相談があったとのことでした。これから、みんなで話し合って考えていくことになったそうです。




2015年9月8日

ワンダーコア事件

事件発生、事件発生。我が家のじいちゃんが、いただきもののワンダーコアの前をウロウロして、歩いています。

一回目通過、
二回目一旦停止するも通過、
三回目立ち止まり・・・座ろうとしている!

それをのぞき見していた私、
「じいちゃん、そこに注意書きがあるでしょう。「80才以上の方が、ワンダーコアをするときには医師の指示に従ってください。」って。主治医の許可をもらってから、やってください。」

じじ「本当に?」

私「ウソだよ〜(笑)」

じじ「いや、リハビリだよ。」

私「勝手に自分のリハビリプログラムを作らないでください〜。主治医の許可をもらうか、吉山くん(夢ハウス管理人・作業療法士)が寄ってくれた時にして下さ〜い。プロが居ないと、ダメでーす。」

腰の曲がり始めたじじ、
自分は腰は曲がっていないと言い張るじじ、
口が滑って「じじい」と言うと、
チョー切れます(笑)
元気はつらつなじいちゃんです。(笑)
何でもこなす器用さはあるけれど、
ワンダーコアは、ちょっと心配(笑)

しょうがないから、ワンダーコアを一回だけ許してあげた。ワンダーコアなのに、起き上がって来ない、じじでした。

じじ「ワンダーコアは難しいけど、馬なら乗れる。」

私「なに言っとるか!(全く意味不明な言い訳だ。)馬は、勘弁して下さ〜い。」

じじ「テヘッ(笑)」

じじが部屋に戻った後、ワンダーコアに座ってみた。「ん・・・、壊れてない。背中がちゃんと上がって戻ってきた(笑)、良かった、良かった。」一安心した、私でした。

宍粟市講演

宍粟市(しそうし)社会福祉協議会発足10周年記念講演にて、お話をさせていただきました。

天気は雨。お足元の悪い中、定員が700名の会場でしたが、定員をはるかに超える皆さんが、市内外からお集まりになられ、朝早くから並んでくださった方もたくさんいらしたと、伺いました。

一般講演のときは、会場の定員以上お集まりいただくということが、実は本当に多くあります。なので、最初予定していた会場から、別の会場に変わることもよくあります。皆さんが、大切な家族を想う気持ちを、会場にお持ちになります。企画者の皆さんから、相談いただくこともあり、できる限りお入りいただけるようにお願いします。会場にお入りいただけない皆さんは、入り口ホールや別の会場にスクリーンを出していただいて、講演を聞いていただけるように、企画者チームの皆さんがセッティングしてくださることも、たくさんあります。企画者の皆さんが整えてくださった環境の中で、大切なご家族を想う時間を、ゆっくり過ごしていただけますように、と言う思いです。

今回は講演前の事前取材と、終了後の取材の記事を神戸新聞さんが、

宍粟市社会福祉協議会の、そのチームの皆さん、10周年記念式典のための役割に御尽力された多くの皆さんの普段からの関わりとネットワークから、

当日の講演時の舞台袖にも、縁の下の力持ちの多くの皆さんが、講演を力一杯支え、一緒に作り上げてくださいました。そして、会場の全ての皆さんと気持ちを共有させていただき、本当に素晴らしい時間でした。

講演終了後の書籍のサイン会にも、たくさんの方が並んでくださって、多くのご遺族の皆さんに参加いただいていたことを知りました。お一人お一人の亡くなられた、大切なご家族の想い出を丁寧に教えてくださって、

「亡くした息子といっしょに講演を聞いて、なんだか会話が出来た様な気持ちでした。」

「亡くなった女房のことばかり考えていたんだけど、それで間違ってなかったことが分かって、ホッとした。」

「夫がね、娘の夢には出てくるのに、私の夢には出ないんです。今日、講演を聞きながらね、私怒ってばかりいたから、出てこれないのかと思ってね。夢に出てくれれば、優しくしてあげるのにって、思いました。優しく・・・、多分ね(笑)」

本当にたくさんの皆さんとお話し出来て、私もいっぱい力をいただきました。お話しをさせていただきましたお一人お一人のこと、社協さんに報告をしました。社協さんは、さすがですね。お一人お一人を、ちゃんとご存知でした。悲しみを力に変えて、地域を守り、作ってくださっているお一人お一人ですと、伺いました。

一番心に残ったお話がありました。

「残念だ、残念だわ!私の手料理を食べさせてあげられないのが、残念だわ!」年配の女性の方に声を掛けていただき、

私「そんなに言われたら、ウ〜ん!食べたいです!」

年配の女性「私ねー、お料理上手なのよー!だから本当に、残念だわ!今度は私のお料理を食べに、また宍粟市においで!ね!」

笑顔もとってもステキな方でした。本当に、皆さんにお会い出来て、嬉しかったです。大変、お世話になりました。ありがとうございました。私は年配の女性に、うっかりメニューを聞き忘れてしまい、そればっかり気になってしまった1日でした(笑)

さて次の出張先に、準備をして向かいます。

2015年9月4日

赤ちゃん

朝早くから出動した今日でしたが、夕方には不在になる今週末のため、不在者投票を済ませて、腕を組んで空を見上げて考え事をして、そして又走る、走る・・・。

腕を組んで、空を見上げて、考え事をしたその理由は、赤ちゃんの専門のお医者さんから教えていただいた、お話の内容を考えていたからでした。

今日、学会での講演のご依頼と言うお話しでしたが、赤ちゃんの専門の先生の思いや、これまでの活動、積み重ねた時間を伺って、たくさんの赤ちゃんや子どもたちが、先生に光を感じて最期まで素敵な時間を周りの人たちといっしょに過ごし、生きていたんだなぁ、と言う思いでした。

けれども現代の中での問題はたくさんあるのだとも、様々に教えていただきました。だから、頭を悩ませていました。

私で何かお役に立てるか分かりませんが、精一杯お話しをさせていただこうと心に決めた時間でも、ありました。

納棺の現場で、お年寄りに教えてもらったことがありました。

「昔はね、土葬だったでしょう。安置もね、今よりもとても長かったんだよ。ドライアイスなんかの無い中で、10日も安置すれば腐敗して大きく膨らんで、色は緑から黒になり、目も舌も飛び出すんだよ。(全くその通りです)だけどね、昔、妊婦さんの葬儀があったの。7日目に、死んだお母さんの体から赤ちゃんが産まれてね、赤ちゃんも死んでたんだけど、みんなでね、「よく頑張ったね」って産湯につけて、おくるみにして、お母さんの胸に赤ちゃんを抱かせたんだよ。それを想い出したんだけど、どういうことだったんだろうね?」

私は答えました。「赤ちゃんが、お母さんのお体から産まれることが出来たのは、腐敗ガスによる、ガス圧により押し出された現象だったとは思います。だけど、そこに居らした皆さんが「お産」と思ったなら、それはそうだったのかもしれません。何より、赤ちゃんに手厚く愛情を掛けて、お母さんが最も望まれていたであろう「抱く」ことを叶えてくださった皆さんの行動に、私は頭が下がりました。」

この仕事をさせていただいて、分かったことがあります。生きている赤ちゃんも、亡くなっている赤ちゃんも、同じくらい可愛くて、愛おしいということ。いつも現場で、復元前から私の気持ちの中で、「あぁ、この子は何って、可愛いいんだろう。」と思いながらスタートしています。

私「だけど、臭い強くなかったですか?」
お婆さん「そうそう、それはもう、大変な臭いだったよ。」

腐敗が進むと、臭いは進行に伴い強くなっていくのです。「遺体を見て、気を失った」と言う話をよく聞きますが、臭いによる影響もあると思います。嘔吐される方も、多く居られます。だから復元は、絶対に臭いを消す。沢山のミッションの中の「臭い」は、その一つでもあります。棺の蓋を何度開けても、絶対に腐敗臭を感じさせない。それが、私のこだわりです。「臭い」が辛い記憶になっている方は、「どうして臭いがしないの?」と現場で私に聞きます。「魔法をかけました。もう、大丈夫です。」と答えますが、皆さんに亡くなられた方をずっと大好きでいて欲しいから、臭いは消す。願いは、ただそれだけです。

今日、赤ちゃんの専門のお医者さんとお話しをさせていただいた後、以前の納棺の現場で、皆さんとお話しした内容を、ゆっくり想い出して、あの時の時間を偲んでいました。



2015年9月3日

怖いはなしシリーズ10

「幽霊の証明は如何に」

納棺終了後の遺族訪問のとき、
「家の中に、まだ居るみたい!」と、ご遺族からお話を伺うことも実は多くあります。

階段を上がる音、
小走りに降りてくる音。
スーッと人影が通るなんてことも、実は多くあります。

あぁ、物が落ちてくると言うこともあります。何ですか、ポルターガイスト⁉︎でも、全然怖い感じがしないのです。

何でしょう、幽霊と人の思いは共通のものがあるのかもしれないと感じることがあります。

人の思いと共にある記憶、
ただ「記憶」と文字にすればたった二言。

記憶は、この世に証明出来ない。

記憶は過去の、自分の経験。

記憶を文字にするか、
その度に記念写真に撮るか、

けれども、その記憶の全てをこの世に遺し、証明するのは、不可能であるということ。

幽霊も同じ、
証明出来ない。
証明出来ないから、共有出来ない。
共有するとすれば、
情報や経験から知り得る、
その時に受けた感情のみであるということ。

人は、自分の物差しで物事を計るし、
生きてきた道のりが違うから、

結局、同じものを見たとしても、
見方も価値観も、評価として異なります。

それについて争う必要も全く無いし、
評価し合うことも、
あまり意味が無いかもしれないし。

何より、

それが自分を支えてくれることなら必要だし、
それを必要としない人には必要ない。

人に押し付けさえしなければ、
人に迷惑を掛けなければ、
生きることに支障がなければ、
自分の自由な世界の中のことだから、
それで良いと思います。

幽霊が居ようと居まいと、
何れにせよ
私たちが1日1日を、
真に生きていかなければならないことには、
なんら変わりはありません。

でも、時々映る写真は?
と問われれば、
私から見れば、
少し嬉しいことでもあります。

納棺にご縁をいただいた、
ご遺族に見せていただく写真の中に、
あの時のあの方が、
違う世界で、
元気に過ごされている様子を知れば、
「良かったぁ、お元気そうで。」と、思います。

「みんな、元気だよ!」と、
そういうお知らせであるのかなと、
少し嬉しくも感じます。

ご遺族に言わせれば、
「チョー迫力のない、心霊写真(笑)」
笑顔だったり、時にはピースしていたり、何とも素敵な心霊写真に、しょっちゅう出会います。

大船渡第一中学校授業

東京に向かう日の午前中は、直接的な被災地の子どもさんたちに向けて、東日本大震災とこれからと言う内容で、お話をさせていただきました。

当時は小学校の低学年だったと、授業の前に当時のことを色々と話してくれた、生徒の皆さん。

「鮮明にすごく、よく覚えています。」

「自分が見て、感じたことしか分からないから、もっと色々知りたい。」

等々。津波で家族を亡くしていたり、安置所の中を家族を探すために歩いた経験のある子どもたちも居ました。この子たちの中学校は、当時は遺体安置所になっていました。だからこそ、地域の人が安置された、自分たちの体育館のことを知りたいと、話してくれました。

事前授業で、おもかげ復元師の震災絵日記を読んで、様々に気持ちを通わせてくださっていたことを先生に伺いました。

復興の価値観、家族への想い、東日本大震災に於いて御尽力くださった、みんなの家族を捜してくれた警察や自衛隊、消防の様々なプロの皆さんのこと、皆さんといっしょに、当時のことを共有できたことは、私にとってもとても心に残る時間になりました。

岩手県に居る時は、事務所か夢ハウスか、納棺の現場に向かっているけれど、弊社にはご遺族もたくさん遊びに来てくれるので、きっとお話を聞いてもらえます。寂しくなったら、いつでも遊びに来てください。





綜合ユニコムさんセミナー

葬儀担当者・納棺スタッフのための

【ご遺族参加型】

納棺の手順とポイント(第16回) 

   9月1日(火)


【状況別ご遺体処置】と【死化粧】

のポイント(第13回) 

             9月2日(水)



年に2回、3月と9月に行われている恒例のセミナーです。2日間の講習の中で、たくさんの技術を習得していただきました。

2日目は特に、1日目の技術が基本になり、それに追加していく非常に高度な専門技術講習になります。どんどん高度になる中で途中、放心状態になる方も居られて(笑)、「大丈夫ですかー?」と、ちょっと休憩を入れてみたり。

「戻してください。」と泣きながらご遺族にお願いされたのに、叶えられなかった。ずっと、その後悔を持ったまま今日まで来ました。

「状態の悪い、子どもの復元と納棺、安置法を、親御さんの希望に沿う形で知りたい」

「遺された方に生きていただくための、納棺の流れを知りたい」

今回も、質問が本当に多く出ました。講習の中で、お答えしながら進みました。

2日目の特殊遺体の講習は、納体袋と言うビニール製の袋に安置され、中が見えないようになって警察署で安置されています。その袋を開けて、元に戻すのが復元の技術です。死の迎え方も、発見される日数も、背景も、そのお体の状態も様々です。復元出来ないと、遺された家族はずっと自分を責めています。ご遺族の希望により、戻します。

情報を持ったら、自分の引き出しを整理整頓してくださいと、お願いしました。

情報を持ちすぎて選択を誤り、良かれと思い込み押し付けの行為に走ってみたり、時に自分も求めていなかったあらぬ結果を招くことがあります。あの人がそう言った、あそこにそう書いてあったなど、ご遺族の意に沿っていないのなら、持っている情報で必要のない物もある訳です。結果、言い訳につながるような情報は、ご遺族を深い悲しみに落とし、悲しみを怒りに変えます。それほど現場は、はっきりとしていてものすごく厳しいものなのです。

勉強することはとても良いことだけれど、情報を持ったら道理に叶っているのか、目の前のご遺族が本当に求めていることなのかを自分自身で判断し、自分の知識を常に整理整頓し、必要に応じて必要な情報や技術の提供が出来るように、しっかりと自分の中に落とし込んで準備を怠らないようにすること。要は、如何にニュートラルな気持ちを保ち、心を込めて施行に入れるかと言うことです。

日本人の遺族心理に沿い、復元は体の処置もきちんと行わないとなりません。お顔とお体が、ご遺族にとって安心出来る状態になっているかどうか。自分のチェックを厳しく、終わらせないといけません。

今回も、全国各地から本当に多くの納棺を担当されている皆さんに、ご参加いただきました。今回の情報を、皆さんの現場にしっかりと落とし込んでいただき、益々のご活躍を期待し、お祈り申し上げます。目の前の故人とご遺族に、皆さんお一人お一人の心を、これまで以上に尽くしていただけますように。微力ながら、応援しています。