2016年9月28日

曹洞宗宗務庁職員共済会様講演

曹洞宗宗務庁様からの御依頼で講演のため、東京に来ていました。

曹洞宗宗務庁は、全国の曹洞宗のお寺さんを統括している所です。曹洞宗の本山は二ヶ所あり、福井県の永平寺と横浜の総持寺になります。

雲水さんという修行僧が全国各地から集まり、各寺に約200名居られます。お寺に篭り、修行が厳しいことでも知られていますが、色々伺っていると、所作や作法など含めてやっぱりすごいなぁと思いいました。

どちらの本山でも、過去にお話しをさせていただきましたが、どちらも私にとっては想い出深い講演になりました。お世話になりました。

昨日の講演は、これまでとこれからを考えるという内容で、お話しをさせていただきました。

全国各地で発生する災害に於いて、お寺さんが被災者の皆さんの避難所になることも多く、災害支援・援助を受けられる場所としても、死生観を得られる場所としても、宗派を超えて現在も多くの人の心の拠り所となっています。

現場の中のお話しとして一つ、死を迎える方が、死期が近くなると話してくださるお迎え話し。

「あらぁ。先に逝っている母が迎えに来てるから、そろそろかな。」

そう語られたとき、(一人で逝くんじゃないんだ!)と受け取り、残される側は何だか少し安心するものです。

お迎え話しは、お看取りをされているDr.が記録を書籍に残したり、医療の学会でも発表されることが多くなる時代になりました。

旅立つ側と、遺される側の間に立たせていただいたとき、現場で人生や背景を伺い、ご家族と一緒に私も、悩んだり苦しんだりします。そこで、僧侶の皆さんに少し、現場でご家族と話す内容の中で、知りたかったことを質問をさせていただく時間を頂戴しました。

私「108の煩悩のイメージは、何かたくさんの悪いことという印象が強くあるのですが、実際に煩悩って悪いことなのでしょうか?勉強不足で、すみません。」

お坊さん「欲は、人が生きるためにとても必要なことです。度を超えて行き過ぎてしまう、そういうことを戒めるための仏法として、煩悩の考え方が存在します。知恵を持ち、情報を持ち、自分をコントロールして、バランスを取って、人と調和していくことが大切です。」

私「苦難とは、如何なることでしょうか?」

お坊さん「苦難の字には、有難いという意味が含まれています。苦難を経験した人にしか得られない物があります。優しさや思いやり、人とのつながりの深さ、考えることの深さ、何かを守ろうとする強さなどを得ます。」

普段講演やセミナーでは全く語ることがありませんが、私の大好きな「火の玉」の話になり、

お坊さん「「火の玉」と「人魂(人だま)」は違います。火の玉は火のかたまりで、骨の中のリンが発生させます。人魂は、火の玉の中に顔がある。火の玉より少し大きいものですね。」

なんと、違ったんだ!

お彼岸と此岸(しがん)のお話しも、とても心に残りました。お盆やお彼岸のときに、お寺さんで拝聴出来る法話を教えていただきました。お釈迦さんのお勉強をきちんとしていない私のような者が、ここで語ってはいけない気がします。お寺さんに是非足を運んで、拝聴してくださいね。

色々とお世話になり、お知恵をたくさんいただいた時間でした。ありがとうございました。

2016年9月27日

怖いはなしシリーズ18

火の玉』

火葬
《いま》
現代の火葬は、火葬場の強い火力で短い時間でお骨になります。その温度はおおよそ800℃〜1000℃弱。体重や身長、体内水分量を基準に計算をして火力を調整し、お骨になるまでの時間が決められるそうです。お骨になり、少し冷却をして収骨を迎えるまで、おおよそ80分〜120分。時間はその人により、異なります。

炉のスイッチを押すのを、地域によっては喪主や施主にお願いする火葬場もあるそうです。断ることも出来ます。その場合は、火葬場の職員や葬儀担当が代理するそうです。

《むかし》
昔は、薪(まき)です。3日〜7日かけて交代で番を決めて、亡骸を火葬したそうです。

人が焼けるとき関節が燃えるので、手や足が動いているように見えたり、ぐっと上半身が起き上がったりしたことがあったそうです。

「生き返った」と思って、「助けて〜!」と叫びながら逃げ出した人たちも大勢いたとか。

納棺のときに、むかしの体験談を話してくれるお年寄りが時々います。

「俺ね、火葬の役をやってんだよ、昔。今はね、強い火力で短時間で骨にしてくれるけど、昔はね、そうじゃなかった。何日もかけて、みんなで交代で番を決めて焼いたんだよ。大変だった。雨の日や、湿度の高い日は全然焼けない。全然焼けないから、途中でやめたことある。半生だったんだけどね。」

私「その後、どうしたんですか?」

お年寄り「え?みんなで相談してさ、よっこらせと亡骸を運んで、・・・埋めた!」

私「へぇ〜!大変だったでしょ?」

お年寄り「あんたは、この大変さをわかってくれるだろ!!!!!!」

私「はい。すごく、わかります。」

お年寄り「大切な人が亡くなったことは、とても悲しかった。でも焼き場の当番として、全然焼けないときが、もっと辛かった。その人の家族に見せないように、夜の夜中にみんなで静かに埋めたもんだよ。

だけどね、夜中の墓場は、火の玉がよく飛んでいたもんだ。オレンジや青の丸い火の玉が、暗い墓場をあっちへフラフラ、こっちへフラフラと飛んでいた。

俺たちにからんでくるもんだから、「今は忙しいから」と言うと、

火の玉の中に顔があるんだけど、悲しそうな顔をして去って行ったよ。

でも火の玉が出ると、少し明るくなるから助かると言えば、助かったよ。(笑)」

人の骨には、「リン」という成分があり、それが火の玉を作っている理由なのだそうです。動物の亡骸からも、リンがあるので、火の玉は出ます。

東日本大震災のときも、気温が高くなって来た時期から、夜に火の玉が目撃されるようになっていました。

「火の玉がたくさんあって、怖いというよりも、とてもキレイな光景だった。」

一時期から、火の玉を見たと話してくれた被災者の人たちが増えていきました。

今の日本は人の手で何日もかけて火葬されることもなく、土葬も一部地域を除いては、ありません。

しっかり火葬してもらえる時代になったから、墓場で火の玉を目撃することも、まず無くなりました。

確かに私の幼少の頃は、何度か火の玉を見たことがありました・・・。やはり火の玉を目撃する場所は、夜の古〜い墓場・・・。

「あっ!火の玉!」

なぁんてことが、ありました。キレイなオレンジ色の玉が、低い木のてっぺんより少し下の位置に、フラフラ、フラフラと飛んでいました。

以下、待ち伏せしていると、けっこう出会える火の玉に対して、幼少の頃にチャレンジした内容です。

虫あみで捕まえようとしましたが、スルッとすり抜けて、捕まえることは出来ませんでした。

その時、火の玉は燃えているように見えていたので(だから火の玉と呼ばれるのだと思うが)、虫あみも燃えたかと思ったら、全く燃えていませんでした。

火の玉の速さですが、基本はフラフラ程度のゆっくりですが、何を思ったのか、とんでもなく速く、ものすごいスピードで動くことがあります。

木や壁などの、物にぶつかって戻って来たり、

時には、ものすごい速さで、こちらに向かってくることもありました。もちろん、叫んで逃げました。

だけど今は、本当に火の玉は見なくなりました・・・。

誰かに会いたくて、飛んでいるのかな?と今は、お一人おひとりの人生の最期にご縁をいただいて、そう思うようになりました。

「むかしは火の玉が出たから、墓参りも熱心で、盛んだったのかもしれないね。亡くなった人が鎮まりますようにって、拝んだものだもの。」

と、納棺の現場でお年寄りが言っていました。確かに、そうかもしれないな、と私も思いました。

「だとしたら、現代も、遠慮なく火の玉は出て良いんじゃないか?」

と、先日みんな(大切な人を亡くした経験のある人たち)で話し合ったところでした。

・・・だがしかし!!その火の玉の中に「顔」が出る理由、その「顔」が表現する表情については、未だ解明されていません。

どんと晴れ。


2016年9月26日

樒(シキミ)

昔から納棺の時間には、古いしきたり又は宗旨などにより「樒(シキミ)」が使われることがありました。現代でも宗教・宗旨により、儀式の時に使われるシキミ。

《野生動物から遺体を守るシキミ》
納棺の時間、遺体を安置するために、昔から使われてきたシキミには、特徴があります。

①虫が寄り付きにくい。

②臭いを消す効果がある。

③シキミを入れた水は腐りにくいと言われており、腐敗の進行に何らかの良い作用がある。

④土葬の時代には、野生動物に墓を掘り起こされように臭気対策として墓にもたくさん入れた。

《座棺を土に埋めた後》
むかしは座棺と呼ばれる、今でいう体育座りのような姿で大きなタライのような形の棺に安置されました。その遺体を守るため、包丁やクワなど、

①動物が嫌がる光るもので、

②掘ろうとした時に動物が刃物で怪我をするので、あきらめる目的として。

そういう物も入れて野生動物から遺体を守ろうとした歴史があります。

棺に釘を打ったのは、棺がそう簡単に開かないように、野生動物に掘り起こされるのを阻止するため。

《守り刀》
亡くなられた方の胸元に守り刀と呼ばれる刃物を置く地域もありますが、守り刀を置くのも、野生動物から遺体を守るため。

鋭利なもの、光るものは邪気が嫌うのでなど、死生観と結びつき、意味を持たせ、現代のしきたりになっていきました。

《人の体から出る臭い》
人の体の特徴の一つとして、血液の酸素を送る成分は食べ物を摂取することで、作られています。そこから骨や肉や髪の毛なども作られ、それらはタンパク質で出来ていて、その中にはイオウの成分も含まれています。人の体が腐敗を発生させ、死後の変化が進んだ時に発している臭いが強烈なのは、その成分の関係が大きくあります。

そのような臭いを消すために、昔から消臭のための目的として、シキミが選ばれていました。シキミから線香や抹香なども作られています。

《現代のしきたり》
納棺の時間に御線香を、安置されているお布団の四方で焚く地域もまだ残っています。シキミから作られる線香は、腐敗臭を感じさせないためと、故人の尊厳を守るためにも使われてきました。死臭対策と、これに死生観が加わり、

線香の煙がご馳走の意味を持つ。

線香の煙に乗って亡き人が上がる。など、

死臭対策と人々の生活の中から生まれた民俗信仰が持つ死生観との深いつながりを作りながら、現代でも「しきたり」として残っている地域がまだまだあります。

日本の風習の中には昔の人の知恵が「しきたり」として今の時代に残っています。その一つ一つには、しっかりとした根拠があります。「しきたりなんて、いらない」と言われることも増えてきた現代ですが、しきたりの意味を知って、無くすかどうかの議論をすることを、私は望みます。

私たちのように、死後の処置を行う立場にある場合。時代の進化と共に、昔より出来ることも増えていきます。そのような場合、しきたりを失くす可能性を持ち合わせており、失われつつある「しきたり」と共に過ごす時間の中で、しっかりと意味を知り、語り継ぐことの責任を持ち合わせていることを強く感じていました。

風習としきたりの中には、昔の人が遺してくれた知恵と、いのちとの関わり方、死者との向き合い方が、きちんと細やかに含まれているものです。

《おまけ》
納棺の時間はこのように、お年寄りから伝えられる日本の風習や文化を御教授いただくこともあります。小さな子どもたちは初めて聞く話に、目を大きく見開いて聞き入ります。

「何でも質問してみろ!」と、お年寄りが子どもたちに言います。

手を上げた子ども。「はいっ!」

お年寄り「はい、どーぞ!」

子ども「この前、大人の人が話してたんだけど、立派と河童(カッパ)は、どう違うの?」

お年寄り、大爆笑。「一緒です!

立派な人は、自分で立派と言いません。黙々と何ごとにも打ち込み、人から高く評価される人。それを、立派という。

立派ではない人は、自分を立派と言います。人を否定したり人の悪口も沢山言います。自己評価の高い人。それをカッパと言います。

後者は、立派ではないカッパです。自分のことを立派と言っている人はカッパです。だから、一緒です!」

私、納棺の時間の中なので目立たないように、小さく拍手。パチパチ、パチパチ!その場に居た人たちも、パチパチ、パチパチ。

河童の存在する地域だからでしょうか?「立派とカッパ」について、けっこう話題に出ることが多いので、この解答は、深かったです。

(ちなみに河童は、河に住み着く童(わらし→子どものこと)で、イタズラをしたり、無邪気に遊んでいたり、子どもなので自分中心の動きであるため、そこから立派とカッパの関係で語られるのでしょうか?一方、妖怪と呼ばれる説もあります。)

これがまさに、生きるための知恵!社会に出れば、沢山のことがありますから、切り返し法や、知恵が無いと、生きていても苦しくなります。お年寄りから、子どもたちに伝えられる、粋なそして風習やしきたりから学ぶ情報は、きっとこれからも子どもたちの「生きる」を支えてくれることでしょう。

2016年9月25日

末期の水

そのむかし、死に際に行われていた「末期の水」は、亡くなるご本人が愛用していた湯飲みやお茶碗などに水を入れ、「喉が渇いた」と言っているご本人の口元を濡らし(ごくごく飲めないので)、布に含ませた水を数滴、家族で含ませたという習わしがあります。これも、お釈迦様の入滅時に「喉が渇いた」と言ったと伝えられる話しに習っているという説があります。

現代では、看取り後に家族で故人の好きだった飲みものを、口に付ける形を取ることも多くあります。

昨日伺った納棺では、何度も私の講演を聞いてくださっているご家族で、「笹原さんの講演で聞いた、末期の水をしました!」と、教えてくれました。

「おじいちゃんは〇〇(←飲み物)が大好きだったので、最期何も口にしなくなったので、家族で相談して〇〇を用意して、布に染み込ませた〇〇を、口元に持っていってみました・・・

そうしたら!

チューチュー、チューチュー

吸い出して(泣き笑)、布ごと口に入れたので、みんなで

「わぁー!まずい!まずい!」

「わぁー!口から出して!」

なぁんて、動けなくなったじいちゃんが動き出したことで、大騒ぎでした。(笑)みんなで最期まで、笑って過ごしていました。」

ステキなお話しでした。ブログでご紹介する許可をいただいて、現場から帰ってきました。

よく働いた手、
よく笑った証拠の笑いジワ、
なんとも言えない温もりのある微笑み、
お日さまの下で働いた人の特徴である肌、
お世話になりましたと、
沢山の方が訪ねて来られて、

「年を取るのも、悪くないでしょ?」と、故人に教えてもらった気がした、納棺でした。

2016年9月24日

いのち新聞に来客あり!

いのち新聞が、中日新聞さんの記事として紹介されたご縁で、愛知県のとっても可愛いらしい女子大学生とのご縁がありました。

一人、休みを利用してレンタカーを借りて陸前高田市に入り、色々な人を訪ね、その足で「いのち新聞」編集部を訪ねてくれました。

たまたま休みだった、我らのボス陸前高田市出身の、I先生が駆け付けてくれました。

女子大生「伺ってもいいですか?」

I先生「はい、どうぞ。」

女子大生「津波で亡くなられた家族に、お手紙を書くのは、どのような意味がありますか?」

言葉を選びながら、そして真っ直ぐな気持ちで、本当に知りたいという彼女の姿勢は、I先生の心を動かします。

I先生「どうして、死んでしまった人に手紙を書くのっていう意味?」

女子大生「はい。(目がウルウル)」

I先生「家族からするとね、自分の家族が死を迎えても、終わってはいないんだよ。」

女子大生「えっ?」

I先生「だって、生きていた時の関係性が変わってしまったわけではないでしょ?」

女子大生「あ!そうですね!(目を大きく見開いて)」

I先生「私たち(遺族)は、自分の行動を誰かに理解して欲しいとは、ちっとも思っていないの。気の利いた言葉も、いらない。でも、一緒に何かをしようとしてくれたり、叶わないと思っていたことを叶えてくれたり、知りたいことをいっぱい知っている人に会うと、とても嬉しい。それは、(亡くした)家族と一緒に居る方法を教えてもらった気がするから。

手紙を書くことも一緒です。

書いている本人は、死んでいる人に書いているという意識はない。家族に宛てた手紙ということだけ。

死んでいようが、生きていようが、家族には変わらない。だから、ただその人に伝えたいことを、生きていたときと何ら変わらずに書いているだけなんです。」

何度も涙を拭きながら、I先生が話す姿を見守っていた、私。

本当に知って欲しい人に話すとき、I先生はゴーゴー泣きながらでも、話し続けます。そして、一つ一つの言葉が、心にしみる。

I先生が私に話してくれた話しで、一番心に残っている話しは、

「悲しみは、絶対に終わらない。だって、悲しみと一緒に家族が存在しているんだもの。全部の記憶の中に、私の人生の中に、大切な家族が居るんだもの。

こんな時、傍に居てくれたらなと思うことは、人生の節目の度にある。悲しくて苦しくて生きてきて気が付いたことは、でもきっと、本人だってそう思ってるんだろうなぁって。

悲しみが終わるときは、私の記憶がなくなるときしか考えられない。悲しみの中には、いっぱい大切な宝物があるんだもの。」もちろん、泣きながら話してくれました。

I先生「実はね、笹原さんにね、これ、渡したかったの!!!!!!」

と、一枚の紙を広げました。

私「何だろう?」その紙を覗き込みました。それは、今度、I先生の学校に伺ってお話しをさせていただくことになっている、案内の紙でした。珍しく夜に行われることになっている、学校での講演。普段は生徒さん方に話す、いのちの授業が多い中、この日はPTAの皆さんがほぼ対象。実は、ちょっと珍しい。案内の用紙には、こう書いてありました。

「今回の講演内容の提案者からの一言です。(という一文の後)

震災で家族を失い、喪失感から抜け出せないでいた頃、笹原さんの講演を聞きました。家族の死を受け入れ、今を大切に生きていこうという前向きな気持ちになることが出来ました。

死と対話し、生と真剣に向き合う。(褒めていただいて恥ずかしいので、中略)是非、皆さんに聴いていただきたいです。」

という内容でした。

I先生と、二人で目がウルウル。

私「私は講演で亡くなった方の話が中心だから(I先生は何度も聴いているので)。ってことはね、亡くなった方が、生きている人を支えてくれてるってことだよね。」

I先生「(何度もうなづいて)そう、そう。嬉しいよね、こういう文章。同志(おなじこころざし)だもんね。」

そんな会話の後、女子大生が編集部に到着。前文の内容は一部ですが色々話した後、

女子大生「次もまた来ます!」次の日にちを決めて、教えてくれました。

I先生、私「いつでもおいで、待ってるからね。」玄関で見送りながら声を掛けると、

女子大生「帰りたくなーい!帰りたくなーい!あーー!ずっとここにいた〜い!(足をバタバタ、ジダンダ踏む(笑))」

とても品のある、賢そうな女子大生が、いきなり取り乱して言うもんで、私たちおばちゃん(お姉さんとも言う)は、彼女のそんな無邪気さに、笑顔を引き出してもらったのでした。若い子に会って、若いエネルギーを吸い取って⁉︎(笑)ちょっと若返った気分(気分だけ⁉︎)にさせてもらいましたとさ。

若いを連呼しちゃった(笑)

どんと晴れ。





マンツーマンセミナー

3日間のマンツーマンセミナー、お疲れ様さまでした。医療従事者向けコース、二泊三日のセミナーでした。

いくつもの課題をお持ちになり、一つ一つの課題に対して、発生している状態からの仕組みを様々な角度から見て理解され、技術に変え、解決していきました。

元々ERという救命救急の現場で、バリバリ仕事をしていた方です。現場で起こる様々な事案という背景と、お体の状態という目の前の方に起こる、家族の希望が多い現実。

お昼休憩中に私たちがいつもお世話になっている、たまたま別件で来社された検視に詳しい司法関係の方にお伺いすると、家族のためになるならと少しの時間をいただきました。法医、司法、検視について救命救急で出来ること、出来ないこと(法に基づき司法が関係するので)教えてもらうことが出来て、「これからの連携が、ご家族にとっていい形で、そして時代に沿う形で、とてもスムーズにいきます。」と納得された様子でした。

3日間の内容は、課題に対しての技術半分、死生観を含めた悲嘆の援助関連半分というバランスで学ばれた3日間。大変、お疲れ様でした。益々の御活躍を、お祈り申し上げます。

今回のマンツーマンセミナー中、嬉しいお知らせが届きました。少し前にマンツーマンセミナーを受講された、経験豊富なベテラン看護師さんが、行政のバックアップを受けて起業したとのお知らせを受けました。

全国各地から来社され、弊社のマンツーマンセミナーを受講され、起業された方は今回で8人目。その他医療、介護職、行政、自衛官、警察官、僧侶、教員、葬儀社、搬送業、エンバーマー、納棺師から復元師へステップアップするなど、皆さんそれぞれの立ち位置で、全国各地から来社され、ご希望のコースを学び、お仕事に活かされながら御活躍されています。(半年〜1年に一度、情報更新のため同じコース、又は他のコースを選び受講される方も多く居られます)

今回ご報告いただいて起業された方も参加型納棺と、特殊遺体の実務をガッチリ学んだコースの方でしたので、ご遺族の世界を様々にコーディネート出来る、その後のご遺族を支えてくれる人が又増えて、セミナーの中ではその方にしか出来ない形を作り上げ、お帰りになりました。色々沢山悩んでいた分、一念発起をしてのスタート、今まで以上に御活躍されること、嬉しく思いました。応援しています!

仕事は深めていけばいくほど、節目はあっても終わりのないものです。でも、自分に出来ることは限られている。だからこそ、プロのつながりのそのネットワークが、きっと悲しみの中にいる方を支えるのだと思います。

立ち位置がどうでも、気持ちは同じ。悲しみを持つ人にとってのブチブチと切れてしまう目の前の時間は、不安をあおります。元々不安を持つ方に、これ以上の不安を感じてもらわない援助がきっと出来る。マンツーマンセミナーでは、確実に同じ思いの方に出逢え、深めることが出来ます。

大変多くのお問い合わせをいただいているマンツーマンセミナーですが、私のスケジュールの関係もあり、日程をご相談させていただくことも増えてきました。ご迷惑をお掛け致しますが、弊社担当者にご遠慮なく、お問い合わせ下さい。マンツーマンセミナーのお申し込みは、お手数をお掛け致しますが、弊社のメールにて申し受けています。よろしくお願い致します。又、内容によってはマンツーマンセミナーの内容に沿わないと弊社で判断した場合、お断りさせていただくこともございます。ご了承ください。

2016年9月21日

マンツーマンセミナー

兵庫県から、ようこそお越しくださいました。救命救急に長く勤務経験のある、看護師さんです。

昨日は1日目。本日、二日目。二泊三日のマンツーマンセミナー中です。

最終日まで、頑張りましょう!

山形県尾花沢病院グループ全体研修会

山形県尾花沢病院グループ全体研修会の講師として、16日にお邪魔しました。

200人弱と伺っておりましたが、地域の皆さんから参加リクエストもあったとのことで、300名を超える、地域の医療・介護職の皆さん、地域の皆さんが立ち見も出て、集まってくださっていました。と、講演終了後に伺って、一般の方には少し難しい話しもあったかな?と心配しつつも、講演終了後には皆さんにお声掛けいただいて、お話しできる時間もあって、とても有意義な時間を過ごさせていただきました。

亡くなった方の表情の仕組みや直し方、触れ方、関わり方、臭いについてとその対処法、心の移行の仕組みについてなど、色々な内容でお伝えしました。以下、その一部です。

先日訪ねてきてくれたご遺族が、少しムッとしたことがあったと話してくれたのですが、

「落ち着きましたか?」

と言われて、

「・・・。(引っ越しとかじゃ、ないんだから!←心の声)」

って思ったんです!と、話してくれました。ご遺族に、絶対に言ってはいけない言葉というのが実はいくつもありますので、その内容についてもお話ししました。

無理に声を掛けるのではなく、「何か手伝うことがあれば、遠慮なく声を掛けてね。」と、伝えるのが、ベストなことも多くある中で、やっぱり心配をして、声を掛けてくれたと思うので、

「どんな意味だったんでしょうね?」

と、一緒に考える時間があります。ご遺族は、ちゃんと答えを持っていますので、それに従い、答えを見出していきます。そして、私の元から帰るときは、心の中に確実に亡き人が存在していることを確認されるので、満面の笑みで帰られます。もちろん、悲しみの波は誰にでもあり、一人ひとり違います。(後略)

「死んでくれてよかった」と言うご遺族が発する言葉からスタートする現場も、増えてきました。

でも、私の心は傷付きません。それは、その人の中のほんの一部だからです。その人の苦労や苦痛は、私には分かりません。その人の中にある、優しさや、思いやりがあるのは知っています。その気持ちをスタートの言葉よりもグンと前に引き出して、優しさのエリアを広げるのも、私の仕事だと思っています。人の中には、様々な感情があります。今、何からスタートしても、心の移行は経験している中では知っているし、そのプロセスと終点に大切な感情を持ってもらえればいいと、思っています。

私の中にも、色んな私がいます。プロとして、自分の感情をコントロールするのも、仕事をする上で、その大切な土台の一つです。

関わり方さえ間違えなければ、自分の感情を押し付けて相手を傷付けることも無いし、踏み込みすぎて迷惑を掛けることもありません。

苦しみの言葉としてスタートの言葉が出たのだとしたら、少しでも苦しみを体の外に出して、ステキな想い出に辿り着いて欲しい。そんな風に思いながら、限られた時間を過ごします。

「なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。ごめんね。」

スタートの言葉が、優しさに変わる瞬間にも出逢います。人には、色んな感情があるから、自分の価値観だけで判断しないように、心掛けています。

また別の現場では、帰り際に声を掛けられました。

「お母さん、帰って来る?」

死の現場の中に生きている私の答えは、

「お盆とお彼岸には、絶対に帰って来るでしょ。それから、手を合わせた時に心の中に帰って来るよ。」

と答えると、

「やったー!」

と、私の前でジャンプして見せました。お母さんも、この子とずっと一緒に居たいと思うし、私がこの子のお母さんなら、そう答えて欲しいと思うかもしれない。今の子は、特にハイタッチが好きで、何十回もハイタッチを求めてくるので、可愛くて仕方がないです。そうやって、この子が誰かとつながれるまで、つながっていることも、大事にしています。

講演と、その後に声を掛けていただいたときに、そのようなお話しもさせていただきました。

旅立つ側も、送る側も、実はお互いを思っている。それは、今も変わらないのではないかと、思っています。

ステキな皆さんにお会い出来たご縁に、深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。

彼岸を迎え、本当に肌寒くなってきました。いよいよ、晩秋に突入です。「暑さ寒さも彼岸まで」昔の人はよく言ったもので、あの暑さが嘘のような気温。本当にすごいなぁと感じてしまう、彼岸でした。さぁ、彼岸。大切な人が帰ってきているときですから、いい時間を過ごされますように・・・。私も、お一人お一人を想いながら偲びます。

秋田県立衛生看護学院講義

毎年伺っています、秋田県立衛生看護学院。春に卒業した新人看護師さんの、フォローアップ研修の講座の一コマを15日の日に担当させていただきました。

皆さんにお伝えした内容の一部を紹介します。

「挫折」の項目について。挫折は、アンテナをプレゼントしてくれます。挫折を経験すると、アンテナを立ててその答えを探す人生がスタートします。

アンテナに引っかかる情報が、挫折という嘆きの感情(深く傷付くこと)により、答えかもしれない情報に出会い、昇華される作業が始まります。それにより、違う視点から見ることを教えてくれたり、全体像があるんだよと教えてくれたり、

人生の大きな壁が自分の限界を教えてくれたとき、悩み考える→情報を収集する→情報を得る→相手の立ち位置や思いを知る→振り返り反省する→自分を責める→自分の立ち位置や求められることを知る→勉強したり訓練する→身に付ける→誰かの笑顔のきっかけを作れる→優しさを身に付ける。

プロセスを得たとき、昨日よりひと回りもふた回りも成長している自分に出会えるのかもしれません。

壁は、誰かと出逢わないと起きないもの。出会いは、自分の人生を大きく変えることがあります。誰かと出逢わないと、挫折は出来ません。挫折をしたからこそ、得る物は大きい。そして、その人が存在してくれていたことに、感謝する日を迎えるのかもしれません。

そうやって心を込められることへの感謝が生まれる。一つ一つに心を込められる人は、きちんと人とつながれる人になります。

挫折しない人なんて世の中に一人も居ないし、最初から何でもできる人なんて、居るわけない。みんな、人の見えないところで歯を食いしばり、ときには我慢し、努力して生きているものだと思います。そういう人が、真に人の悲しみを共感出来るし、見守る力を身に付け、人と心がつながれるのだと思います。

私も毎日、多くのご遺族とお話しをする時間をいただいていますが、大切な家族とのお別れから数日〜数ヶ月経過して、

「涙の種類が変わっていくよ。」

と、これまでの経過を教えてもらいます。泣いたり笑ったり、悔しかったり。みんなそうやって、亡き人を想い、関係性は生前と何も変わらないことをお守りにして、亡き人を生前と変わらない形で守り続け、想い出を大切に大切に胸にして生きています。

新人さんと言っても、現場のプロ。もっと言うなら、誰もが新人を経験します。だけど、患者さんにとっては、新人もベテランも目の前のプロ。ちゃんとそういうことを理解している、意識の高いみなさんでした。

泣いたり笑ったり、考えたり悩んだり、色々感情も忙しかったかもしれませんが、あっという間の5時間でした。

「頑張れる気がした!」「もっと心を込めて接して行きたい」「たくさん答えを見付けた」など、たくさんの感想をいただきました。

私の立ち位置は、きっかけしか作れません。皆さんの笑顔を引き出してくれたのは、看護学校の先生方が、このお勉強の時間を作ってくれたことと、皆さんが出逢った患者さんとの想い出が、皆さん一人ひとりの笑顔を引き出してくれたのだと思います。

色んな人に支えられ、若手は育ちます。立派に成長したとき、支えられていたことに気が付くものです。(笑)支えられた経験は、次の世代に引き継いで欲しいと、老婆心ながら願うのでありました。

これだけ長くこの仕事をさせてもらっていると、あのとき子どもだった子たちが医療の道に進むことも多くあります。寂しくなると話に来ていた子たちが、少しずつ大人になっていく姿を見せてもらって、亡き親御さんの喜ぶ顔に出会えている気がしています。

人は二度死ぬと言われています。
一度目は生命活動を終えたとき。
二度目は、人の記憶から失われたとき。

私たち死に携わる人は、専門職とか遺族とかの垣根を越えて、二度目を起こしてはいけない、そういう立ち位置なんだと思います。

と、皆さんにお話ししました。皆さんの益々の御活躍を、応援しています。

秋田県社会福祉協議会様講義

13日、秋田県大館市で行われた、秋田県社会福祉協議会様からの依頼で、秋田県内から集まられた福祉施設職員の皆さんに向けて、研修会の講師として、講義をさせていただきました。

「死」を経験して遺されたご家族は、生活のリズムやペースが変わっていく時間を迎えます。

その時に死に携わる私たちが求められること、そしてプロだから伝えられること、そして人だから感じ取れ、その中で大切にするべきことを一つ一つ見付ける作業を誠実に向き合い、怠らないこと。

同じ人はこの世に二人といない、同じ現場も二つとない、そして時間も二度と戻らない。死に携わる側が、大切な一つ一つを知り得て意識し、如何に今を、ご縁のある人たちと一緒に生き抜くか。

死の存在は、生きていたその人の存在を通して、戻らない時間の価値を教えてくれ、人のつながりの深さを感じられる心を養わせてくれ、その人を思うからこその「後悔」を通し、

出来ないことに対しての苦しみを深く教えてくれて、その中で出来ること、役割を与えてもらえることが発生したときに、喜びを教えてくれます。

後悔も、後悔の仕方を知れば、決して悪い感情ではなく、人に備わった大切な感情であること。何より後悔という経験を経過して、亡き大切な人と今でも心がつながっていることを、また現場で教えてもらえます。

おじいちゃんを亡くした経験のあるお孫さんが、教えてくれました。

「おじいちゃんに対しての後悔が、たくさんありました。お年寄りを見ては、おじいちゃんと重ね、関わってもらいました。とても面倒を見てもらったその人が亡くなったとき、その人はその人しか居ないんだということを知りました。

それが分かって泣いて後悔しても、後の祭りでした。

いっぱい泣いた後、ふっと気が付きました。僕には、おじいちゃんが二人居たんだと思っています。血のつながっているおじいちゃんと、全部を知って受け止めてくれた、もう一人の僕の大切なおじいちゃんです。これからは、二人を想って、想い出を生きる支えにして、生きていきます。」

後悔は、過去に対する経験から生まれます。後ろを振り向き過去を見る勇気も、彼が出した答えの中にも、ちゃんとお二人が存在していて、何より彼がお二人からもらった愛情が、彼の出した答えを生んでいるのだと、私は思いました。

死は、終わりを意味しません。一緒に生きようとすれば、いつだってその人の笑顔が浮かび、いつだって一緒に居てくれる。私もそう、思います。

会場の皆さんと、一緒に考える時間を与えていただいたこと、感謝を申し上げます。ありがとうございました。

2016年9月9日

児童養護施設で、いのちの授業

児童心理治療施設という児童養護施設に、いのちの授業に来ていました。先生方々からの熱く深い思いを受けて、片道約、8時間。

使ってはいけない言葉が沢山あるので、本当に色々悩みながら、今日の日を迎えました。

初めての児童養護施設での、いのちの授業の依頼に、色々と悩んだ時間の中に、自分と向き合うきっかけも沢山もらっていました。

子どもたちのいのちを、沢山の人たちがつながり、助けてくれました。

生きるために、死の世界から「生」を伝えること、お話しししながらも、一つ一つの言葉をフィルターにかけながら、言葉を変換しながら、みんなの表情を見ながら、伝えていきました。

終盤は大変な盛り上がりになり、帰りには子どもたちが追いかけてきて見送ってくれて、普段、施設の中での生活が、一人ひとりに寄り添われての時間であることが、子どもたちからの言葉や表情から、よく分かりました。素晴らしいです。

全国各地のいのちの授業に伺うと、児童養護施設で育っているよと、授業が終わって歩いていると追いかけてきてくれたり、校長室まで会いに来てくれたり、子どもたちから教えてもらうことも、たくさんあります。彼らは

「色んなことがあって、たくさんの苦しみがあったけど、今は幸せなんです!(後略)」と、話してくれます。

「目の前にある出来ないことを見付けて落ち込むことは決して悪いこととは思わないけれど、その中でも出来ることを探して、チャレンジしてみよう!きっと、一人ひとりにしか出来ないことがある。」

私の落ち込んだ体験談などを踏まえて、お話ししました。質問も沢山出て終わらす、知りたいことがたくさんあることも教えてもらいました。

「自衛官になりたい」「警察官になりたい」と、夢を持つ子供たちの中にある目的に、胸がいっぱいになりました。

たくさんの人たちの愛情を受け、育っている子どもたちのキラキラした目に、元気をいっぱいもらいました。授業の中で、

私「私は、何歳でしょ〜〜ぉ?」

子どもたち「23歳!」「28歳!」「19歳!」

私「よし(私、まんざらでもなく御満悦!)、そうやって上手に世の中を生きるんだよ!」

みんな、爆笑!

という一コマもありました。そして終了後に駆け寄って来てくれた子どもたち。

「生きることで、笹原さんが思う一番大切なことってなぁに?」

私「よく寝てね、」

子どもたち「うん!(大きくうなづく)」

私「よく食べてね、」

子どもたち「うん!!(キラキラした、まなざし)

私「・・・いっぱい、ウンコする!」

子どもたち「えーー⁉︎ウンコ〜〜⁉︎(笑)」

私「そうだよ!ウンコ大事!(笑)」

子どもたち「はーい!(元気いっぱい手をあげる)

この三つが出来るということは、実はストレスや心のコントロール等々が安定していることです。そうしたら、人に優しくできるからね。全ての基本です!笹原さんは、応援しています!

「岩手県に遊びに行くから!」
「また、会いたい!」等々、

子どもたちの笑顔に、見送ってもらいました。今回は施設名と、子どもたちの人数などは控えさせていただいます。ご了承下さい。

【状況別ご遺体処置】と【死化粧】のポイント・第15回

七日、東京の会場で昨日に引き続き、綜合ユニコムさん主催の二日目の講座です。前日の講習内容が基本となり、ご遺体の状況に合わせて内容を追加しましょうというセミナー、一日目からステップアップの講座です。

一日目、二日目共に、現場で抱えた問題を持って、何度も受講してくださる方が多いのも特徴です。一つの会社で職員さんが交代で受講という形も多いです。

現場は生きています。同じ人は二人と居なくて、似たケースがあっても、全く同じケースというのもありません。

悩まない現場なんて一つもないし、悩み方さえ間違えなければ、情報の引き出しはちゃんと出すことが出来ます。

講座の中では、そういった内容も含めて、お伝えしていきました。

次は3月です。「3月、来ます!」と言って、帰られた方も何名か居られました。

講座スタートの表情から一変、終了した時の皆さんの表情に、私も元気をたくさんもらいます。二日連続受講された方も多く、本当にお疲れ様でした。皆さん、全国各地に御帰りになり、また現地でご活躍されていると思います。また、お会いできる日を楽しみに致しております。お一人お一人のご活躍を、応援しています。

2016年9月6日

【ご遺族参加型納棺】の手順とポイント(第18回)

東京で3月と9月の年に2回開催されます、18回を迎えました綜合ユニコムさん主催の8年目のセミナーです。(8年前は、私も8歳も若かったです。当たり前ですが。)半年に一回、テキストの内容を更新することは、お空の上に逝った波多野部長さんとの約束です。今回も、更新しました。

人は二度死ぬと言われています。一度目は、生命活動を終えたとき。二度目は、人の記憶から消えたとき。忘れない限り、生き続けてくれる存在が、亡き人の存在です。参加型納棺は、そういうことを、とても大切にしています。

今回も、全国各地からお集まりいただきました。皆さんお一人お一人が、現場の課題を持ち、色々なことに取り組みながら、多く知識と技術を習得されました。

自分の気持ちの持ち方や、自分自身との向き合い方が、大きく行動や技術に表現されてきます。そのくらいの責任が、技術職にはあります。

セミナーの中で、納棺の進め方とポイントをお伝えしていきます。皆さんが大きくうなずくタイミングも、本当にたくさんありました。

手を止め、考え込んだり。「あー、そっかぁ。」と目をつむり顔を天井に向けてみたり。技術の練習をしている最中に、目に涙がいっぱいたまっていたり。技術を一つ一つ習得する度に、現場でご縁のあったご遺族を思い出されていたのだと思います。

誰かが、心の中に居てくれる。後悔が、頑張ることを教えてくれる。そういう現場を経験して、全国各地から目標を持ち、覚悟を決めて、皆さんが集まられたのだと思います。

今日のセミナーの内容が、一つでも多く皆さんの力に変わり、現場を支え、ご遺族の安心と笑顔につながりますように。そう願いながら、セミナーを進めました。色々な練習もあるので、皆さん汗だくになり、最後まで頑張られました。お一人お一人のこれからの益々のご活躍をお祈り申し上げます。お疲れ様でした。

明日のセミナーは、少し難しくなりますが、状態の悪いご遺体に対して、一人でも多く故人に心を掛けて挑んでいただけるように、お伝えする側の私も、頑張って一つ一つの項目を大切に進めていきたいと思います。明日も、頑張りましょう。


2016年9月5日

台風10号災害被害について

全国各地から御心配をいただくご連絡を多くいただき、ありがとうございました。

当日の弊社の勤務体制は、事務所外の物を全部事務所内に入れ、午前中で解散し自宅待機となりました。

被害の多かった沿岸にもたくさん知り合いがおりますので、こちらから連絡したり、かかってきたりと電話がずっと鳴りっぱなしでした。私も現場中は電話が取れないので、かけ直したりと、色々連絡がつくまでは不安でした。

沿岸部まで、普段は1時間半〜2時間で行ける所が、台風被害の後は30ヶ所以上の道路が土砂崩れなどの影響で寸断され、まわり道をしなければ被災地に入れないこともあり、倍の3時間〜4時間掛かりました。私たちが移動した時間帯は、救援・救助・捜索などの車の邪魔にならないように、支援活動をされる知人から教えてもらって時間帯を選び、出来るだけ邪魔にならない時間に合わせての移動になりました。

現在も行方不明の方が居られ、現在の警察発表では、死者16名、安否不明者は7名。警察、消防、自衛隊の皆さんと県外からのご支援含め、救助、救援、捜索などが続いています。

断水している地域もまだあり、現在も給水車が支援しています。停電している地域も、まだあります。お風呂などは、被災地の温泉施設などが地域の人たちに解放をはじめました。被災地で更新される情報など、ラジオで情報を収集出来るようになっています。

これから降る雨の影響を考え、台風10号で大きく被害があった地域の、避難準備情報が発令されました。避難するときは貴重品を持ち、空き巣の被害に遭わないように気を付けてと、警察が報道機関に発表、そしてまわって歩いていただいたりと、地域の人たちに呼びかけています。(実際には町の中に、それはもう相当な人数の警察官が、活動してくださってます。)

子ども夢ハウスおおつちに関しては、夢ハウスの下の道路が、川の水が増水して冠水していましたが、みんな避難したりして無事でした。「津波の経験をしたから山に移ったのに、一体どうしたら良いのか分からない」と、東日本大震災の経験をした地域では、みんながそう話していました。仮設住宅で、川の水が入って来て生活が出来なくなった場所も発生していました。泥水の搔き出しも行われていました。全国各地の皆さまにご心配いただき、ありがとうございます。

大自然の脅威を度々体験させられますが、大自然に守られ生きているのも人の生活であると、高齢の漁師の人たちに教わりました。どうにもならない大自然が起こす災害に対し、たくさんのプロの皆さんに向き合ってもらっているのも事実です。ただし、みんな生身の人間なので、現地の人たちは、感謝しながらも、そこも心配しています。

今回の台風に対しても同様、地震、雷、竜巻、豪雨、台風など、避難指示が出ても、どのような災害が発生するのか、実際に警報が出ても、どのように気を付けてよいのか、分からないのが現状でした。台風などの強い風に対しては、とにかく家の周りを片付けて被害が拡大しないように、地震に関しては家財道具が倒れて二次災害に及ばないようになど、

災害を経験した時代や人たちから経験を学び、私たち自身が自分の身を守りながら防災意識を高めて、まわりと声を掛け合い、助け合うこと。立ち位置をわきまえながらも、つながることと、一人ひとりの力が、今、必要だと思います。

ボランティアセンターのボランティアさんの募集は、避難準備情報が発令されたため、一旦受け入れを停止しています。安全な状態になったら、又、ボランティアさんにお力をお借りする呼びかけがあると思います。物資の受け入れ条件などもありますので、各市町村にお問い合わせください。たくさんの質問を、ありがとうございました。

ボランティアと言えば、今回の災害で地元の中学生が被災したクラスメイトの話を聞き、「黙って過ごしてはいられない」と担任の先生に相談し、みんなでクラスメイトの家の、泥の搔き出しなどを中心にボランティアをしている姿が、テレビで報道されていました。子どもたちの思いを叶えた先生も、ほんと偉い。

とても、頼もしく勇気をもらえる情報でした。子どもたちの一生懸命な姿は、時にあまり話しの通じない頭の堅い大人の心を動かします。これ、本当。(この子たちの担任の先生のことではない。先生は、素晴らしかった!)人は、頭で考える行動も素晴らしいけれど、みんなの心を代弁するようなステキな行動は、やっぱり人の心を動かすものです。

子どもたちの勇気のある行動に、それを叶えた先生の行動に(その大変さがよく分かるから)、頭が下がる情報でした。