2016年9月24日

いのち新聞に来客あり!

いのち新聞が、中日新聞さんの記事として紹介されたご縁で、愛知県のとっても可愛いらしい女子大学生とのご縁がありました。

一人、休みを利用してレンタカーを借りて陸前高田市に入り、色々な人を訪ね、その足で「いのち新聞」編集部を訪ねてくれました。

たまたま休みだった、我らのボス陸前高田市出身の、I先生が駆け付けてくれました。

女子大生「伺ってもいいですか?」

I先生「はい、どうぞ。」

女子大生「津波で亡くなられた家族に、お手紙を書くのは、どのような意味がありますか?」

言葉を選びながら、そして真っ直ぐな気持ちで、本当に知りたいという彼女の姿勢は、I先生の心を動かします。

I先生「どうして、死んでしまった人に手紙を書くのっていう意味?」

女子大生「はい。(目がウルウル)」

I先生「家族からするとね、自分の家族が死を迎えても、終わってはいないんだよ。」

女子大生「えっ?」

I先生「だって、生きていた時の関係性が変わってしまったわけではないでしょ?」

女子大生「あ!そうですね!(目を大きく見開いて)」

I先生「私たち(遺族)は、自分の行動を誰かに理解して欲しいとは、ちっとも思っていないの。気の利いた言葉も、いらない。でも、一緒に何かをしようとしてくれたり、叶わないと思っていたことを叶えてくれたり、知りたいことをいっぱい知っている人に会うと、とても嬉しい。それは、(亡くした)家族と一緒に居る方法を教えてもらった気がするから。

手紙を書くことも一緒です。

書いている本人は、死んでいる人に書いているという意識はない。家族に宛てた手紙ということだけ。

死んでいようが、生きていようが、家族には変わらない。だから、ただその人に伝えたいことを、生きていたときと何ら変わらずに書いているだけなんです。」

何度も涙を拭きながら、I先生が話す姿を見守っていた、私。

本当に知って欲しい人に話すとき、I先生はゴーゴー泣きながらでも、話し続けます。そして、一つ一つの言葉が、心にしみる。

I先生が私に話してくれた話しで、一番心に残っている話しは、

「悲しみは、絶対に終わらない。だって、悲しみと一緒に家族が存在しているんだもの。全部の記憶の中に、私の人生の中に、大切な家族が居るんだもの。

こんな時、傍に居てくれたらなと思うことは、人生の節目の度にある。悲しくて苦しくて生きてきて気が付いたことは、でもきっと、本人だってそう思ってるんだろうなぁって。

悲しみが終わるときは、私の記憶がなくなるときしか考えられない。悲しみの中には、いっぱい大切な宝物があるんだもの。」もちろん、泣きながら話してくれました。

I先生「実はね、笹原さんにね、これ、渡したかったの!!!!!!」

と、一枚の紙を広げました。

私「何だろう?」その紙を覗き込みました。それは、今度、I先生の学校に伺ってお話しをさせていただくことになっている、案内の紙でした。珍しく夜に行われることになっている、学校での講演。普段は生徒さん方に話す、いのちの授業が多い中、この日はPTAの皆さんがほぼ対象。実は、ちょっと珍しい。案内の用紙には、こう書いてありました。

「今回の講演内容の提案者からの一言です。(という一文の後)

震災で家族を失い、喪失感から抜け出せないでいた頃、笹原さんの講演を聞きました。家族の死を受け入れ、今を大切に生きていこうという前向きな気持ちになることが出来ました。

死と対話し、生と真剣に向き合う。(褒めていただいて恥ずかしいので、中略)是非、皆さんに聴いていただきたいです。」

という内容でした。

I先生と、二人で目がウルウル。

私「私は講演で亡くなった方の話が中心だから(I先生は何度も聴いているので)。ってことはね、亡くなった方が、生きている人を支えてくれてるってことだよね。」

I先生「(何度もうなづいて)そう、そう。嬉しいよね、こういう文章。同志(おなじこころざし)だもんね。」

そんな会話の後、女子大生が編集部に到着。前文の内容は一部ですが色々話した後、

女子大生「次もまた来ます!」次の日にちを決めて、教えてくれました。

I先生、私「いつでもおいで、待ってるからね。」玄関で見送りながら声を掛けると、

女子大生「帰りたくなーい!帰りたくなーい!あーー!ずっとここにいた〜い!(足をバタバタ、ジダンダ踏む(笑))」

とても品のある、賢そうな女子大生が、いきなり取り乱して言うもんで、私たちおばちゃん(お姉さんとも言う)は、彼女のそんな無邪気さに、笑顔を引き出してもらったのでした。若い子に会って、若いエネルギーを吸い取って⁉︎(笑)ちょっと若返った気分(気分だけ⁉︎)にさせてもらいましたとさ。

若いを連呼しちゃった(笑)

どんと晴れ。