2015年11月27日

初雪が降りました。

寒い日が続く毎日ですが、「寒くないと、野菜は甘くならないからね〜。チューリップの球根も、寒くないと綺麗に咲かないよ〜。」と、納棺の時間に農家の方が教えてくれました。日々、勉強です。

《いのち新聞》
23日は、いのち新聞の編集会議がありました。みんなそれぞれの仕事と、色々な時間を過ごし、2ヶ月に一度のペースで集まる編集会議ですが、先月と今月と合わせて4回集まりながら、ちょっと色々進めました。1月と2月にそれぞれ発行予定の記事を、じっくり話し合った23日。

現在、震災パネル展も九州大分県で開催中です。お世話になっております皆さま、ありがとうございます。いのち新聞、パネル展担当Fさん曰く「パネル展の反響を多くいただき、パネルの旅は続きます。パネルは今年は帰ってきません!」とのことです。ありがたいお話です。詳しくは、又後日、ご報告致します。

《子ども夢ハウスおおつち》
ちょっと色々と動きがありまして、25日に行ってきました。動きすぎて、お年を重ねつつある私は、少し腰痛になってしまいました(笑)みんなと、とても素晴らしく、深い時間を過ごしました。Uさまに、深く感謝を申し上げます。帰り道、雪が降っていました。いつもご寄付をいただいている皆さまに、来月に夢ハウスからお便りが届く予定です。吉山くんが現在、作成中とのことです!お楽しみに、お待ちくださいませ。いつも皆さまのご支援に、感謝を申し上げます。


会社の業務とアポイントをいただいたお客さまも続き、立て込んでいました。そして納棺の現場にも伺っていました。

〜お線香が苦手
クシャミの止まらない喪主さま。
「俺ね、実は線香が苦手なの。」納棺の現場では、基本仏式では御遺族の希望で、御線香を焚くことが多くあります。でも、たまーに苦手な中で頑張っている方も居られます。
「俺ね、蚊と一緒なの(笑)。蚊の気持ちが分かるよ(笑)」と、喪主さん。蚊取り線香と、御線香って一緒なの?後で成分を調べてみようと思った私でした。

〜国歌斉唱
「おふくろね、国歌斉唱しながら息を引き取ったんだよ。」と教えてくださった喪主さん。「小さい頃から聞いてるから、暗記しちゃったよ(笑)口伝だね(笑)」

〜筋子と・・・
「本人にね、息を引き取る数日前にね、何食べたい?って聞いたらね、筋子とタラコと、数の子ってね。さすがにそれは無理だったから、今、待たせて良いですか?」サランラップに包んで用意されていたので、お預かりしました。御本人の袖に入れました。後で教えていただいたら認知症の方だったそうで、その方がサランラップを開けて、5才くらいのお孫さんと二人で食べてました。その子の「しょっぱいね〜!」の、しょっぱそうな表情を見てみんなで癒されて、泣いていたお顔が、一瞬で微笑みに変わりました。二人で手を合わせてお参りされるのかと思ったら、「ごちそうさまでした!」って言ってました。なんともステキな、年の差ペアでした。

〜私の父、じじ(84才)のはなし
「年寄りってさ、世間では認知症だ、車の運転危ないだ、転ぶだ、耳が遠いだと見張られて心配ばっかりされて自由がない気がするんだよね。だけどさ、確実にお前より(私のこと)、俺の方がしっかりしてるよな!」確かに、間違ってない・・・。

冬の現場も、暖房が入っているので夏に負けないくらいお部屋の中が暑い!玄関前はすごく寒いけど、中に入れていただいたらあたたかい。汗をかいて、また外に出ると寒い。そして、皆さんが最後だと思っておられるので、実は納棺の現場は風邪引きさんが多いのもこの時期の特徴です。皆さま、お体を大切にお過ごしくださいませ。


2015年11月23日

日総研さん、札幌セミナー

会社の仕事、納棺の現場と、地域のこと、地域の子どもたちとのつながりもずいぶん増えて、1日の24時間をどう使うか・・・。ご遺族の皆さんと一緒に考える大事な時間の使い方に、どんな風に時間を組んだら良いかなぁ〜?と、まだまだ悩みながらの、毎日です。

つい先日の納棺に伺って、この仕事をしている中で初めての体験をしました。納棺中、いつも通りに足袋をご遺族と一緒に、故人にお付けしようと思ったら、何と!右の足袋と左の足袋の紐が切れてない!つながっている!(うそぉー!今⁉︎こんなことがあるのか!)ハサミを使うことを強く嫌うしきたりの地域だったため、流れが途切れないように急きょ違うことをお願いして、コソコソと一人ではさみを持って廊下へ・・・。ことなきを得ました。本当に、びっくりしました。

又、納棺の時間に、故人といつも自由研究を考えていたと教えてくれて「笹原さんは、研究ってしたことあるの?」ご遺族の小学生の子に帰り際に聞かれ、「あるよ!蛆の生態!」って元気に答えたら、引かれました(笑)だけど、その後に質問攻めにあって、とても困りました。実際には、蛆の生態を知りたかったけれど、あんまり忙しくて蛆が干からびてしまっていましたというのが、私の研究結果です(笑)だから、学校の自由研究では、蛆の発表はしない方が良いと思うよと話しました。

土曜日は札幌で日総研さんの新講座がスタート。片道3時間以上も掛けて来てくださった方も、お休みを取って受講してくださった方も、皆さんと様々に、現場の中に存在する課題について考えました。セミナーの中で、

「全国的に、様々な業種のみなさんが開催するサロン活動が大変多く行われ、そのサロンは賑わっていますが、岩手県では、サロンのことを「お茶っこ」と言います。だから、被災地でもお坊さんのサロンは大変な人気ですが、地元の人は「お坊さんのお茶っこ」と呼んでいます。」

その「お茶っこ」という言葉が素敵だと、皆さんから大絶賛されましたが、納棺の時も「お茶っこ飲んでけ〜!」と声を掛けていただくことも多くあります。次の現場があるから、一気に飲むこともあります。でも、「ありゃ〜」って言われて喉が渇いていると思われることも多く、おかわりが出てきます!二杯目は、急いでいても三回に分けて飲んだりします。お年寄りから言われると、素敵過ぎて絶対に断れない、お茶っこです。

「ところで、お坊さんが拝むと亡くなった人の体が柔らかくなるって本当?」と質問をされました。

現場でも、そう話しているお年寄りは実は、とても多いです。「お坊さん」と言うキーワードがご遺族から出ている場合、お坊さんの存在自体がご遺族の希望になっていることがあります。だから、分かっていても余計なことは何も言わないことの方が多くあります。気持ちが立ち上がろうとしている時に今、真実を話さなくても、委ねる気持ちや信仰心が気持ちを支えてくれますから、それが優先であり、それを邪魔をすることがあってはならないからです。

実際には、元気だった方は死後の硬直が強く起こります。安置や疾患などの条件により時間は異なりますが、硬直はいずれ緩和され、解けて柔らかくなります。それが、自然な死後の変化です。お坊さんが拝んでくださるタイミングが、実は硬直が解けるタイミングと重なることが多くあります。特に、死後1日〜3日の間に多く行われる納棺の時間は、それに当たります。「お経を上げてもらったら、柔らかくなった。」と言われたら、「そうですか。(にっこり)」で良いと思います。こういう自然な死後変化を何かに悪用されるのは非常に悲しいことですし、これを信じるのを通り越して思い込むのも、見ているととても苦しく感じます。聞かれたら、伝えるべきか、伝えないべきかは目の前の人の気持ちに配慮して、伝える内容も大切かもしれないけれど、伝え方を大切に考えられれば良いと思います。

だけど、「笹原さんが触ったら、柔らかくなった!」とは言われません。復元納棺師なんて、そんなもんです(笑)「どうやって、こんなに柔らかくしたの?」は聞かれます。高齢者の男性で、むかしは納棺を担当していたと話してくださる皆さんからは、「なぜ、関節が鳴らなかったの?」と、興奮状態で解説を求められることは多くなりました。ご遺族の前では当然、傷付けますから説明は出来ませんので、「では、納棺が終わってから、説明致しましょう。」とお伝えします。セミナーの中では本当に色んな質問をいただき、大切にされていたお気持ちを教えていただき、ありがとうございました。

札幌の夜の気温は0°C。やっぱりラーメンは美味しかった!岩手県に帰ってきて、少し暖かく感じました。札幌からのスタートで、これから新講座で全国を回らせていただく予定です。皆さまにお会いできること、楽しみに致しております。


2015年11月17日

秋田県立衛生看護学院

去年に引き続きまして、今年もお声掛けいただきました。看護学校を卒業して、1年目の看護師の皆さんに向けて、3時間の講義にご縁をいただきました。

社会人1年目は、本当にたくさんのことを吸収し、学びの多い1年ですね。体験したことのないことにも多く触れ、出会い、戸惑うことも多いけれど、病院に居ればプロとしてたくさん頼られます。

そーですね、私も若い頃はたくさんの人に支えられ、たくさんの人の胸を借りて育ちました。まさか自分が逆の立場になるとは、年をとったことを感じます。泣きすぎて鼻水が止まらないと、お部屋を一旦出た看護師さんも居ましたが、今日は皆さんと色んなことをお話ししたり、皆さんの色んな表情に出会えたこと。とても深い時間でした。

今日というお勉強の日を準備してくれた、看護学校の先生方々に感謝しながら、頑張ってくださいね。お一人お一人のこれからの益々の御活躍を、お祈り申し上げます。




日本周産期精神保健研究会

全国から埼玉県の会場にお集まりなった、妊産婦・乳幼児・小児の医療に携わられる専門職の皆さまに向けて、「日本周産期精神保健研究会」にて、お話しをさせていただきました。

過日に、会の会長で医師である側島教授からお話しをいただきました。私を推薦してくださるDr.の思いを伺ったこと、側島先生から他にも様々なお話しを伺い、小さくて可愛いい子どもたちの「いのち」を守り、支え、育むお話しに深く胸を打たれ、微力ですがお役に立てることがあればと、お話しをお引き受けしました。

いただいた発表の時間をずっと、座長として温もりいっぱいで支えてくださった、福島県の医大の教授である医師の氏家先生に、深く感謝を申し上げます。

東日本大震災の枠での、50分のお時間をいただいていました。岩手医大の松本Dr.の後に、お話しをさせていただきました。松本Dr.とも打ち合わせの中で、色々お話しをさせていただきました。とっても深く温かい先生でした。

小さな赤ちゃん・子どもたちのお別れのお手伝いに声を掛けていただいて伺えば、お医者さん・医療従事者の皆さんのお話しはご家族から、よく聞かせていただきます。お話しが出来るようになった子どもたちは、体が辛くなると「先生の所に行こう」と話し、「大丈夫だよ、先生が居るから。」と家族を励ます子どもたちの話し。子どもたちにとっては、自分も自分の大切な家族も支えてくれる、安心出来る存在であったことを教えてもらいます。赤ちゃんたちは先生が体に触れると安心した表情になると、ご家族は「手当て」の有り難さを話してくれます。

先生方々とのお話の中で、東日本大震災に於いて発表された内容、その他の情報、私の知らなかったことをたくさん教えていただきました。推薦して下さった小児科医の寺澤先生に、とても嬉しい言葉を掛けていただきました。先生の言葉は、真っ直ぐ子どもたちに向けられていて、私の宝物になりました。

先生方々の赤ちゃん・子どもたちへの思いや実践を教えていただき、たくさんの温もりをいただきました。ありがとうございました。

2015年11月15日

東日本大震災パネル展のお知らせです。

「東日本大震災〜震災絵日記パネル展〜」のお知らせです。

○おもかげ復元師の震災絵日記(ポプラ社から出版)から特大パネルなど数十点

○東日本大震災の初期の写真がA3版で約100枚、

○いのち新聞1〜5号と活動の記録数点

○被災地瓦礫(311から未だ行方不明の、家族の帰りを待ち続けている子どもたちが拾ったものです。どのような物を拾っているのか会場で、子どもたちの心に是非、触れてみてください。)

○子ども夢ハウスおおつち資料数点

を、被災者であるFさんが中心になり選び、準備してくれました。協力はいのち新聞のみんな、子ども夢ハウスおおつち、しおり作成などを被災者であるI先生が仕事の合間に作ってくれました。被災者であるFさん、I先生方々の思いとしては、東日本大震災を感じていただき、自分たちと同じ悲しい思いをしないで欲しいということ、パネル展から防災意識を高めることにつなげていただけたらと、話してくれました。


《大分県豊後大野市パネル展》

11月18日から22日まで
会場「エイトピアおおの」

会場「豊後大野市市役所」

市長さん、行政の皆さま、警察、消防の皆さま、関係者の皆さま、地元報道関係の皆さまにお世話になるとFさんから聞きました。Fさんが被災者として、被災地からこれまでとこれからの思いを話して、取材を受けてくれています。大変、お世話になります。

東日本大震災に於いては、大分県の皆さまにも多大なご支援を賜りました。遠く離れた被災地で、余震もある中、御尽力いただきましたこと、ご家族の皆さんも大変心配されたことと存じます。お陰さまで私たちも少しずつ動けるようになり、皆さまからいただいたご支援を力に変え、精一杯頑張って参ります。この場をお借り致しまして、皆さまお一人お一人に心から感謝を申し上げます。

大分県の皆さま、会場に足を運んでくださる皆さまとのご縁に、深く感謝を申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。

実行委員長Fさん&関係者一同より



後記
私も出張先からFさんと、今回のパネル展のことで電話やメールでやりとりしていました。律儀なFさんは、小まめに聞いてくれるので私は「全部任せるから、良いよ。」と答えました。Fさん曰く「笹原さん〜、事務所のパネルが、けっこう歯抜けになっちゃった!」伝えたいことがたくさんあるFさんですから、そりゃあそうだろうと思い、良いよ、大丈夫!って答えて、荷造り等々Fさんがやってくれました。出張先から事務所に戻り、事務所内のパネルが本当に歯抜けになっていて、Fさんの頑張りを知りました。大変だっただろうなぁ〜。

彼女は時々、目が赤い。働き者だから疲れているかと思っていて、「少し働き過ぎじゃないの?」と聞いたことがありました。「あ、目が赤いのバレましたか?」と言った彼女。実は、震災で亡くした大切な家族を想い出しては、時々大泣きをしていると話してくれました。5年近くも経っているのに?と思う方も居られるかもしれませんが、実はみんな人の居ないところを探して、誰にも気付かれないように、家族を思う時間を作って過ごしています。

こんな裏話をお伝えするのも、Fさんの震災を伝えたいという一生懸命な気持ちを知ってもらえたらと思って記述しました。今回のパネル展も、全部彼女が選んだものです。どうぞ、よろしくお願いいたします。

2015年11月14日

社会福祉法人幸生会さま講演

職員全体研修として、90分のお時間をいただいて、東日本大震災後、同じ被災地に指定されている宮城県で、お話しをさせていただきました。

震災でご家族を亡くされた方も何名か居られ、終了後には様々にお話しを伺いました。過去の経験と共に今と未来を考えていく。その中には沢山の後悔も持ち合わせています。今日は「後悔」についても色々とお話しをしていました。

「後悔していることがあります」と、先日伺った納棺終了後に、お話ししてくた子がいました。彼は言いました。

「おじいちゃんが息を引き取る前に、おじいちゃんと少しだけ二人きりになる時間があって、僕は大好きなおじいちゃんに、「あの世に行っても、僕のこと見守ってね!」と耳元で言ってしまいました。後で大人の人が話しているのが聞こえて、おじいちゃんには、おじいちゃんが死んでしまうことを伝えてなかったと聞いてしまいました。僕は、わざわざおじいちゃんに、おじいちゃんがこれから死ぬことを伝えてしまったことを、すごく、すごく後悔しています。」

そう、子どもは大人の話しを、実はよーく聞いているものです。

「おじいちゃんは、(中略)どんな反応だったの?」私が聞きました。

「おじいちゃんは、お話が出来なくなって、自分で動くことも出来なくなって、目を閉じて、息継ぎが早い感じでした。(中略)僕が耳元で声を掛けると、僕の声が分かったみたいで、目は開かないけどまぶたが動いて、口元が少しだけ動いて・・・、むせました。」

「おじいちゃんは最期のときに、孫のあなたの声が聞けたことは、何より嬉しいことだったんじゃないかと思います。それから二つ目に、むせた理由は、それ、おじいちゃん、もしかしたら、笑ったんじゃない?」

「確かに、ニヤッとしたように見えました。(後略)」

「やっぱりね。(笑)あなたが言った言葉は確かに、死を迎えることを確信させたのかもしれない。(中略)でも、ご本人は自分のことをよく分かっていることも多いから、あなたが言わなくても本当は知っていたのかもしれませんよ。何より、あなたが言ったその言葉の中には、「おじいちゃんと僕は、どんなことがあろうと、ずっといっしょだよ」と言う気持ちが込められているわけでしょ?」

「そうです!(中略)おじいちゃんの性格だと、「おまえは〜!」と言いたかったのかも(笑)。」

「おじいちゃん、嬉しかっただろうね。」

納棺の時間にも、遺された人の心の中に「後悔」の気持ちが発生していることがあります。それもまた、大切な人に起こる気持ちです。後悔の中にあるものは、悩んでいる中で様々な視点から見るということを教えてくれるので、色んな意味を持ち合わせている「後悔」は、きっとこれからの人生の中でずっと背中を押してくれると思います。人のせいにせずに自分と一生懸命向き合って、悩んだり、苦しんだりした人しか出せない言葉が確実にあることを、私は現場で知っています。「後悔」は「反省」と同じですから、はっきり言って反省出来る人に悪い人は居ません。

今日の講演も、皆さんに大変お世話になりました。ありがとうございました。

講演後も皆さんの思い思いのお気持ちを伺いながら興奮冷めやらぬ中、ご挨拶をしてダッシュして、出発3分前に新幹線に乗り込み、間に合いました。(笑)明日は大宮で講演です。

2015年11月13日

講演に走っています。

「栃木県看護連盟」さま、
気温20℃を超えていた、ポカポカの小春日和の栃木県に講演に伺いました。会場は獨協医科大学付属病院の講堂(こちらに伺うのは、2度目)、県内からたくさんの医療従事者の皆さんがお集まりになりました。

お別れのお手伝いの時間の中にある、様々なことを、皆さんと一緒に考えた時間でした。お看取り後に、遺されたご家族から多く出る要望に、どのようにお答えしていくか等を含めて、お話しをさせていただきました。納棺の時間もまた、亡骸を中心に進めること、その最期の時間である意識を皆さんが持たれているので、様々なお話しが出てきます。一つ一つに心を掛けていく関わり方なども、皆さんのご要望にお答えしながら進めました。


「札幌訪問看護ステーション協議会」さま、
夜の気温が氷点下1℃、北国の寒さを懐かしく感じながら、皆さんのお仕事が終わった18時過ぎからの講演のスタートでした。お申し込みをいただきながらも、スケジュールがどうしても合わずに、2年越しで伺うことが出来ました。会場は満員で、お部屋の暖房も切っていただいたり、皆さんの熱気に元気をたくさんいただきました。特に訪問看護の皆さんの現場は、私たちが故人の死後に自宅に伺う現場と、状況も背景も非常に重なる所も多いため、現場から様々にお伝えしました。

ご本人やご家族の言葉から、普段は人に話さない、話せない内容がお別れの時間には多く出ます。その内容一つ一つを、どのように受け止め、形にしていくか等々お話しをさせていただきました。特に自宅でのお看取りには、様々な方々がお別れに来られます。ご家族も、とても忙しくなってしまうことも多いため、その時間采配をどのように行っていくことが出来るか等々、お話しをさせていただきました。

自宅看取りの場合には、亡くなられる方の希望を多く叶えることが出来ます。例えば、一番希望が多い、菩提寺のお寺さんにお出でいただくために御相談出来たり、近所の皆さんとつながり、地域で関わることも可能です。亡くなられる方が、どのような最期を迎えたいのか。誰かだけが何かをしなければいけないとかではなくて、プロのつながりも活かして人として、みんなでつながって叶えていける、これからはそういう地域づくりが出来るのではないかと、思っています。様々な例をあげて、お伝えしました。

「岩手県看護連盟」さま、
社会問題が多く発生しているのが、今までは「復元」の現場に多く見られていましたが近年は納棺の現場にも、発生していることがあります。家族間の不和あり、地域との格差あり、誰ともつながっていない家庭あり、孤立している方あり・・・。上げればきりがありません。それが良くて、気に入っている生活であれば問題ありませんが、そうではない場合には地域で考えていかなければならない。誰か任せにするのではなく、さり気なくつながっていくこと。いや、昔の日本は元々、そうだったから。

けれども現代でも地域には、その人たちとつながり、関わり、生活に密着して支えてくれていた人たちに出会う事も多くあります。最近、とても感じますがお一人暮らしの死後の発見も早くなり、納棺の時間に家族が居なくても集まってくださる地域の人たち。故人が普段から、皆さんとのネットワークの中で、コミニュティの中で生きておられました。地域の中でコーディネートが出来る人が増えている今。その現場の力は大きい。医療や介護職の方、そして一般の職業の人たちetc・・・、確実に環境の中に笑顔があります。

看護連盟さんは、国会議員の政治家の先生と直接お話し出来る時間をいただくことが多くあります。国の動きが、どのような方向を向いているのか。お話しを伺う度に、今、自分が何をすべきなのかが、明らかになることが多くあります。死から生を考える時間に生かしていただいて、普段から悩み尽くすことが多い私にとって、とても、力をいただく時間です。本当に、ありがたいです。

亡くなられる方も夢と希望をいっぱい持っていて大きな声で笑うし、遺されたご家族も、時間の経過と心の移行と共に大切なことを見付けて笑顔になります。そういう、人のいのちが輝いている瞬間に出会う度に、この仕事にご縁をいただいて良かったと思える時間に出逢います。色んなことを一緒に悩んだり、考えて実行して、ご家族と一緒に失敗をして、笑って再度挑戦なんてこともあります。その笑顔は、死の存在が、生きる糧に変わった瞬間に起こります。

死は決して怖いものでも、嫌われる存在でもありません。誰にでも訪れる、生きているものの定めです。だからこそ、大切な人に何を遺すのか、どんな温もりを伝えておいたのか、おきたいのか。大切な人が困らないように、遺した人が笑顔で生きてくれるように、それを考えて日々生きていかなければなりません。まぁ、正直言えばこれは死の現場で学んだこと。死は、色んなことを教えてくれます。

講演と、納棺と、会社の仕事と毎日向き合う時間をいただきながら、気持ちの切り替えも頭の切り替えも心掛けて、明日からの出張も頑張ります。風邪が流行って来ましたので、皆さまもお身体に充分ご留意くださいませ。皆さまお一人お一人の使命の元、益々のご活躍をお祈り申し上げます。

2015年11月9日

第55回東北盲人福祉大会

岩手県を会場に開催された、第55回東北盲人福祉大会での講演にお声掛けいただきました。皆さんは東北6県から、お集まりになられたとのことでした。

保育園の年少から、引っ越しをする小学校一年生まで、近所に全盲の鍼師さんが居て、小さな頃にとても可愛がってもらった記憶を思い出しました。友だちとケンカをしたり、寂しい気持ちになったとき、先生の所へよく遊びに行っていました。「ケンカをしても良いけれど、体についてのことだけは、ケンカの言葉に使ってはいけないよ。」と先生に教えてらいました。先生は私が帰るときには頭を撫でてくれるのですが、いつも「頭はどこだ〜?」と探すので、帰るときには、先生の手を取って自分の頭に乗せるようになり「帰るからね〜」と言っていた幼少の頃。自分も、ずいぶんいろんな人に実は支えてもらっていたんだなぁと、この年になって改めて気付かせていただいた気がします。

私にはご縁があって「穴澤雄介」さんという、全盲のバイオリニストの知人がおりますが、彼とコラボで講演をさせていただいたとき、会場に来て下さるお客さまも全盲の方がお出でになるので、説明をするときのポイント等を、いつも色々とアドバイスをしてもらっていました。昨日は、そのアドバイスを思い出しながら、お話しをさせていただきました。

(穴澤さんの著書、「見えなくなったら、希望が見えた」是非、読んでみてください。)

穴澤さんの著書の中にもありますが、彼がお母さんのお腹の中にいたとき、彼に障害があることが分かったそうです。お母さんは、彼を諦めようと話しましたが、お父さんは授かった命だからと産むことに決めました。彼を産むと、心臓に疾患があることも分かり、お母さんは居なくなってしまいました。小学校五年生の頃に、ほとんど目が見えなくなり、そのときに男手一つで育ててくれていたお父さんがバイオリンを彼にくれたのだそうです。どんどん目が見えなくなる不安の中、バイオリンを練習すると、どんどん上手になっていく。視力も目の光も失うけれど、生きる光をバイオリンがくれたのだと彼は言いました。成人してからお父さんが業績不振で事業に失敗し、彼の元から突然居なくなったとき、周りの人は探すなと言いましたが、彼はどうしてもお父さんに伝えたいことがあった。長い年月お父さんを探して、やっと見付けたお父さんに伝えたそうです。「僕が一番切ないときに、いつも傍に居てくれたのに、お父さんが一番切ないときに、傍に居てあげられなくてごめんね。」彼は、それだけを伝えたくて、ずっとお父さんを探していたと話してくれました。彼は心臓に疾患があり、今度発作を起こしたら、命の保証はないと医師に宣告されています。そのときが来たとき、お父さんが寂しがらないようにと、彼は「共助」という曲をお父さんに作りました。この曲を、会場で流させていただきました。

私の周りには、母を含めて大人も子どもも、障害を持っている人が沢山います。いつもお互いを助け合って過ごしていて、とっても頼りになる大切な人たち。深い悲嘆と共に生きてきた人たちは、いつも私の良き相談相手です。真剣に話をしたり、大笑いしたり、悲嘆を知っている人は実に明るく愉快で、思いやりがあって優しい人たちです。

会場は実に、人の持つ深い温かさに包まれた雰囲気でした。皆さんとお会い出来て、講演終了後にも沢山声を掛けていただいて、とっても嬉しい時間でした。ありがとうございました。


2015年11月7日

いのちの授業

岩手県花巻市立宮野目中学校に、「いのちの授業」で伺いました。到着して、校長室で校長先生と、打ち合わせをしました。

東日本大震災発生後に沿岸から引っ越して来た子どもたち、それから大切な家族を亡くした経験のある子どもたちが居ると聞き、先生の思いを組み込む必要があったので、用意した話しを直前に全部変えて、いのちの授業に挑みました。

それが良かったのか悪かったのか・・・、みんながそれぞれの思いを発言してくれて、中盤には一見、収集がつかなくなったような(笑)良いんです、良いんです。話し合って考えてもらうことがとても大事。(´・Д・)」

悲しみの中にあるもの、死の存在が教えてくれること、亡くした家族を想う気持ちと、想い方(大人で言えば、偲び方)。死の存在の意味など、皆さんと考えました。

いのちの授業終了後、校長室に沢山の生徒さんが集まってくれて、色々話しました。「はい、ファンサービスおわり〜〜!」校長先生の掛け声で、みんなとご挨拶をして、玄関を出ました・・・。

そしたら今度は、「お話ししたい〜〜!」と生徒さんたちが10人くらい駆け寄ってきてくれて、30分くらいかなぁ?みんなとお話しをしました。

大切な家族を亡くしても、関係性は絶対に変わらないこと。これだけは知っておいて欲しいと、私はいつも思っています。悲しみの現場ではみんな、その答えを苦しみの中から見付けます。そして、ホッとした表情になります。亡くした家族を想い、とっても悲しくなったとき、いっぱい考えた後に人は、亡くした家族の気持ちから、今を考えられるようになります。遺される人も、逝く人も、とってもお互いを思っていることに気が付いた時に、肩の力が抜けることも多いものです。

悲しくて、苦しくて、そういう時間を過ごした人の答えや言葉は、とても説得力があって、優しい。人を傷付けたりは、絶対にしない。悲しみは、人に備わった大切な感情だと、私は思います。今日の授業で、それを知ってもらえたら良いなと、私は思っていました。

最近は、「笹原さんの会社に遊びに行きたい〜〜!」「子どもの集まる会は無いの〜?」と言ってくれる多くの生徒さんたちが増えました。納棺は、開かれた業種になったのか??分かりませんが、

「死」を考えたときってね、実は「生きること」に目を向けているんですよね。ご遺族が、死を迎える人が、いつも私に、そう教えてくれます。私はただの架け橋で、そういう形で皆さんの人生に、少しでもお役に立てたら嬉しいです。ありがとう。また、会いましょう!


子ども夢ハウスおおつち11月6日

昨日、夢ハウスへ行きました。「クッソー」とみんなに呼び親しまれる藤原代表が大槌町に帰ってきていて、みんな大喜びで、大賑わいでした。

先日、内陸の花巻市の公園に、夢ハウスの子どもたちが来ていた時、少し顔を出しました。その時、「笹原さん、あのね・・・。」と、話してくれる小学生の男の子がいて、「どうしたの?」と聞くと、「お母さんが幸せになるために、どうしたら良い?」と話しが続いていきました。

聞けば、お母さんはずいぶん昔に白い蛇を車でひいてしまい、そのままにしたのが、色々な不幸を引き起こす原因なのではないと言っていました。「じゃあ、今度私が夢ハウスに行った時、白ヘビちゃんについて考えて、何か形にしようね。」と約束をしていたので、昨日は紙粘土を買って、夢ハウスに行きました。

みんなクッソーと遊びたいから、もちろん、そちらが優先になった昨日。でも少し落ち着いた時に、その子が私のところへ来て「笹原さん、白ヘビね・・・。  」と声を掛けてくれたので、私とその子の共同作業で、紙粘土で白ヘビを作ることに。(これが狸だったら、狸を作った。象だったら、象。日本の道路には象は歩いていないけど。)

彼の目的の手前にあることは「お母さんを守りたい」ことであり、とても気にしていたのが「白ヘビ」というキーワード。それが解決出来れば次のキーワードの「幸せ」に辿り着きます。なので、それを形にして、弔う気持ち(自立した昇華の力)を育み、彼の背景の中にある悲嘆を昇華させることが、この作業の目的となる訳です。生活の中にある幸せを探す力、ズレないブレない幸せの価値観を育む時間に移行していきます。(夢のみずうみ村の世界の、夢ハウスの生活の中で、みんなと充分に楽しみながら、自分を育むことがそれに当たる。)夢ハウスの用務員さんとしては、昔のおばあちゃんみたいな知恵も、こんな風に時々必要になることがあります。

そんな時、お母さんがお迎えに来ました。彼は言いました。「お母さん、ちょっと待ってて!笹原さんと、白ヘビちゃんを作るから!」白ヘビに「ちゃん」が付いたので、彼の白ヘビに対する怖さは、ちょっとずつ昇華されているのが分かりました。

お母さんが言いました。「震災後、子どもたちを養うために、必死で生きてきました。ずっと、働き詰めでした。幸せになりたい、いつか幸せになりたいと、あまりにも思い悩みすぎて、働くことで、一緒に居たくてもあまり関われない子どもと、せっかく一緒の時間を過ごせるのに、そんな話ばかりを子どもにしてしまって、私、ダメな親です。こんなに働いてもお金がないから、夢ハウスで過ごさせてもらうことは、助かっています。ずっと長いこと我慢ばかりさせてしまって、少しくらいワガママ言っても良いんだよと言っていたのですけれど、この子は全然言わなかった。でも最近、夢ハウスに来るようになって、やっと子どもらしい姿を見ることが出来るようになってきました。」

クッソーがお母さんの所へ来てくださって、「お母さん、あなたは何も間違ってやしない。」と、お母さんの気持ちを支え、受け止めて、お母さんとじっくり話してくれました。私はその子と、白ヘビちゃんを完成させました。完成した時、彼は満面の笑みでした。

夢ハウスは、子どもたちにとっても保護者にとっても、色々吐き出せる安心できる場になっていました。そりゃ、色々課題も沢山あるけれど、夢ハウスの管理人の吉山くんはそれこそ、昇華する力を持ち合わせているので、様々な人ともつながり一つ一つに普段から向き合ってくれています。

白ヘビは、この親子を呪うことなんか無く、白ヘビと言う存在が、親子の気持ちをしっかりつないでくれていました。それは、お母さんの「弔う」気持ちがそうしたのであって、夢ハウスと言う安心できる場で話し合い、形になったのも、力に代わったようでした。お母さん、本当にとってもステキ。クッソーは、やっぱり深いなぁと、感動した時間でした。

結局の所、東日本大震災も「不幸」と呼ばれ、「死」も不幸と呼ばれ、呼ぶ人は呼びっぱなしですが、言われた方はたまったもんではありません。そう言う言葉に、悩んでしまうのも、背景や環境もあるから、仕方ないかもしれない。だから、何より支え合う気持ちが大切なんだと思います。

さてさて、白ヘビの呪いなのかと考えれば、それは白ヘビしか分からないこと。「そうなの?」と聞くことが出来たとして、白ヘビ本人は「僕じゃないっす」と答えるかもしれない。だからきっと人は、人が発する言葉から心に伝わり、心と共に生きていることは間違いないことなのでしょうね。言葉は、悲嘆を持っている人が安心できる言葉を使ってもらうと、とても有難いです。

ここ最近、子どもたちが手首に付ける念珠を欲しがります。私も今は、彼らの希望の念珠をかき集めて購入してと(私の手首に付けていた念珠もあげてしまって)、頑張っていますが(>_<)、それは子どもたちがこれから生きるために、悲しみを生きる力に代えようとする姿を見ているから。依存ではなく、委ねる形での「弔う」気持ちは攻撃性を無くし、人に優しさやいたわりの心を、生きる力を与えてくれるものだと、この子たちからも色々学びました。

夢ハウスでは、子どもたちが満面の笑みで、体を充分に使って遊んでいます。宿題も、帰り際に慌ててする子もいるけれど(笑)、やんちゃ盛りの「やんちゃ」は、成長期にはとても大切なんだと、こちらもまた、学びました。

日頃からの皆さまのご支援とご寄付に、心から感謝を申し上げます。ありがとうございます。


2015年11月5日

二つの講演へ

昨日は地元北上市の翔南高校さんに、毎年恒例の一年生、今年は240名の生徒さんに向けて、90分の授業をさせていただきました。

東日本大震災に於いては、被災地であることを再確認してもらうこと(今時期は特に)、何故なら沿岸と内陸と手をつないでいくことを生活の中に組み込み、そこからそれぞれの立ち位置からの復興を知り、自分たちの地域の発展や守るべきことを含めて、つながっていく町づくりを考えました。

いのちに於いては、悲しみの現場からお伝え出来ることとして、普段の生活の中に意識しておくこと、それを実行する力を持つこと、心の中に色々溜め込まないこと、そしてその対処法の種類などを中心に、芥川龍之介のくもの糸や、菅原道眞が何故、怨霊と呼ばれるのか?などの話を組み込みながら、皆さんには一緒に悩んでもらうこと、考えてもらうこと、ドキドキしたり、悲しみの意味を感じてもらうこと、大笑いしてもらうこと(笑っていい話題といけない話題との区別も大事。)等々、人に備わった、色々大切な感情を体験してもらえたと思います。

授業終了後は、約40名くらいの生徒さんが控え室にワーッと集まってくれて、色々感想や現在の生活の出来事、悲しみを経験したことなどを、それぞれにお話ししてくれました。来年も、授業に伺うことになり、学校を後にしました。昨日の夕方のニュースで地元テレビ局のIBCさん、今朝の朝刊で地元新聞社の岩手日報さんが、その様子を伝えてくれました。ありがとうございました。

引き続き、「黒岩地区文化講演会」に伺いました。ずっとお申し込みをいただきながら日程がなかなか合わずに伺えず、3年目にしてやっとお邪魔出来ました。

以前、納棺にご縁をいただいたご遺族の皆さんも何人もお出でいただいていて(一般講演は本当に多い)、お声掛けいただきました。その後のお話も伺い、想い出話しに花が咲きました。さすが地元!母の幼なじみ(母は岩手県の人なので)の方もいらして、昔の母の話しや、私が生まれる前に亡くなった、会いたかったけど会ったことのない祖父の話しを教えてもらい、孫としては、おじいちゃんに会えたような気持ちになり、何とも言えない嬉しい時間でした。

質疑応答では、人生の大先輩の皆さまが、「生前予約したい」と言ってくださいましたが、弊社にはそのような制度がありませんので(やる気がない訳ではないのですが。違う形はあります。)、どちらかと言うと生きている内に、色んな知恵を残していただきたいので、その前に呼んでください。お茶っこしながらワイワイお話ししましょ!等々盛り上がった時間でした。様々な死の意識の形がありますが、昨日も、人生の大先輩から、色々と教えてもらって、沢山の知恵をいただいきました。と言うか、大変な盛り上がりでした。

まぁ、岩手県と言う土地ですから当たり前に「座敷わらし」の話にもなり、16代続いてるなんて話しも教えてもらいました。座敷わらしは、むかし間引きされた子どもたちです。幽霊にもなれず、この世にも居られない。生きたくても生きられなかった時代の、哀しい現実で、お経も上げてもらえなかった子どもたち。座敷わらしは仏間や仏壇の前で遊ぶのを好むと、座敷わらしが居る家の人たちが口を揃えて言うのは、そのせいなのかもしれませんね。だからちょっとくらい、この世でイタズラしても見逃して、可愛がってあげっから!と言うのがお年寄りの包容力。やっぱり素敵だなぁと、思いました。座敷わらしは、気に入った人にしか姿を見せません。座敷わらしの居る家の主は、わらしが気に入って住んでいる部屋をいつも掃除しておきます。座敷わらしの姿を見ると、とんでもない幸せが舞い込んで来ると言われていますが、お年寄りは幸せが欲しいとか、そういうことよりも、むかしのことを知っているから、ここが気に入ったのなら、ここに好きなだけ居ればいいと言うのが本音でしょうね。やっと居場所を見付けたた座敷わらしは、何の心配もなくお年寄りの愛情に包まれて、時代は変わってしまったけれど、穏やかな時間を過ごしていることでしょう。

どんと晴れ!☆彡

2015年11月4日

マンツーマンセミナー

1日〜3日まで、3日間のマンツーマンセミナーでした。和歌山県から、ようこそお越しくださいました。和歌山県と言えば、那智の大滝や紀州の梅だね!と、みんなで盛り上がりました。

湯灌師の経験から、現在は葬儀担当をしているという、冷静沈着だけど情がとっても深〜い方でした。葬儀担当さんは、突発の機転がすごい人が多い。そう、現場は突発ばかりだからです。

現代の葬儀は社会のニーズやご遺族の希望により、短くて1日、長くて3日が平均的になってきました。(希望により、一週間という場合などももちろん、あります。地域による違いも多少あります。)全国を回らせていただきなから、どんどん葬儀が短くなってきていることを感じます。

老々介護や、一人暮らし(家族は遠方)、超高齢化社会を迎えて葬儀担当さんの仕事がどんどん増えているという話にもなりました。

例えば自宅での希望なら、「安置」とお部屋に合わせた大きさの「祭壇又は前机」、弔問客を迎えるためのお部屋の確保のために、少なくてもその3つのスペースを確保するため、葬儀の依頼が発生した段階からの「大掃除」。いや、それは昔から担当さんはしてくれるけど、今、もっともっと増えてる。事情や背景も、昔とどんどん変わってきています。

私も、納棺前の処置に伺うこともありますが、担当さんが打ち合わせや掃除を進めている間に普通は進めます。歩く場所がまだない状態のお部屋の中で、安置するためにベットの上を片付けようと、ベットのヘリを歩いていたら、落ちてすねを擦りむいて出血して、遺体の処置の前に、自分の処置をしたりすることも・・・泣(警察経由の検視の後が多いかな)

納棺後に担当さんの手伝いをしようと、祭壇を組むために、トラックから組み立て前の祭壇を運んでいたら、ツツツーって、二つ重ねた上が私の顔面に激突!(痛いっ)祭壇は高いから、落として壊すより、顔面の怪我を選ぶ私・・・。それを見ていた、葬儀のために集まっていた地域の頼もしいお父さま方々が手伝ってくれたり・・・、ありがとうございます。

諸事情(本当に色々)でお部屋に棺が入らない場合は、お家の中から遺体をみんなで運んで、玄関やガレージやそういうスペースを見付けて確保後の納棺ということもある。人手が無い中で中から外に出るときに靴を履くタイミングを逃すと、靴を履かずに靴下のまま、棺の移動優先なんてことも、ある。

マンションなどの棺が横に入れられないエレベーターは、棺を立てて運ばなければならないし、全然それも無理な場合は、みんなで階段で降りる訳です。棺が汚れるから、外なら尚更棺を下に一度も置けないし、雨が降っていれば棺用の雨よけカバーが必要だし、一度棺を置いてしまえば今度は重たくて手が棺の下に入らない。だから、私が持つハンカチは、晒しの厚めかタオル生地の物が多く、棺を置く必要が発生したとき、パッと棺の下に入れることもできるから。基本は色々な種類の棺台と呼ばれる物がありますが。納棺に関わることだけでも、まだまだあります。

そのような現代の葬儀。とにかく時間がない中で、簡略化されながらも一つ一つの意味を大切にしながら、簡略化してはいけない内容もあるので、遺言やご遺族の希望に合わせると、何処に重点を置くか、同じ地域でも葬儀社により大きな違いとして見えても、おかしくはないのかもしれませんね。

関東や関西では、火葬場も10日以上待ちが増えたと、過去にマンツーマンセミナーを受講された皆さんから、遺体管理の方法を聞かれることも増えました。葬儀社も遺体安置のため、腐敗の進行を抑えるために冷蔵庫をいくつも持っている所が増えました。

時代が移り変わることに合わせて、要望も変わりつつあり、だからこそ大切なものを失わないように、考えていく必要が出てきた現代。今回のマンツーマンセミナーも、非常に深い時間でした。

3日間、本当にお疲れ様でした。ちょうど弊社の職員全員のインフルエンザ予防接種のタイミングもあり、一緒にインフルエンザの予防接種を受けて、今日、和歌山県にお帰りになりました。益々のご活躍を、お祈り申し上げます。

追伸、
残り少なくなりました今年の分(若干ですが)と、来年のマンツーマンセミナーのお問い合わせ、お申し込みが非常に増えています。大変申し訳ございませんが、(立て込んでいて、すみません)私のスケジュールと、受講される方のスケジュールを擦り合わせての、お日にち確定ということになっております。すでにご案内申し上げた幾つかの日程が、ご案内時の通り、他の方の決定日となっている場合もございますのでご確認ください。マンツーマンセミナーは、弊社担当者が承ります。マンツーマンセミナー担当者も復元納棺師で、現場に出ていることも多いので、お返事に少しお時間を頂く場合もございます。予め、ご了承くださいませ。マンツーマンセミナーは、一対一での技術指導が中心になります。いやいや、一対一ではなくても良いということでしたら、医療・介護職の皆さまは日総研さんのセミナーで全国を回らせていただいています。葬儀に携わられる皆さまは、綜合ユニコムさんのセミナーが東京で3月と9月に開催されます。セミナーの詳細については、弊社のホームページのトップページをご確認くださいませ。会場で皆さまにお会い出来ることを、楽しみに致しております。