2015年11月9日

第55回東北盲人福祉大会

岩手県を会場に開催された、第55回東北盲人福祉大会での講演にお声掛けいただきました。皆さんは東北6県から、お集まりになられたとのことでした。

保育園の年少から、引っ越しをする小学校一年生まで、近所に全盲の鍼師さんが居て、小さな頃にとても可愛がってもらった記憶を思い出しました。友だちとケンカをしたり、寂しい気持ちになったとき、先生の所へよく遊びに行っていました。「ケンカをしても良いけれど、体についてのことだけは、ケンカの言葉に使ってはいけないよ。」と先生に教えてらいました。先生は私が帰るときには頭を撫でてくれるのですが、いつも「頭はどこだ〜?」と探すので、帰るときには、先生の手を取って自分の頭に乗せるようになり「帰るからね〜」と言っていた幼少の頃。自分も、ずいぶんいろんな人に実は支えてもらっていたんだなぁと、この年になって改めて気付かせていただいた気がします。

私にはご縁があって「穴澤雄介」さんという、全盲のバイオリニストの知人がおりますが、彼とコラボで講演をさせていただいたとき、会場に来て下さるお客さまも全盲の方がお出でになるので、説明をするときのポイント等を、いつも色々とアドバイスをしてもらっていました。昨日は、そのアドバイスを思い出しながら、お話しをさせていただきました。

(穴澤さんの著書、「見えなくなったら、希望が見えた」是非、読んでみてください。)

穴澤さんの著書の中にもありますが、彼がお母さんのお腹の中にいたとき、彼に障害があることが分かったそうです。お母さんは、彼を諦めようと話しましたが、お父さんは授かった命だからと産むことに決めました。彼を産むと、心臓に疾患があることも分かり、お母さんは居なくなってしまいました。小学校五年生の頃に、ほとんど目が見えなくなり、そのときに男手一つで育ててくれていたお父さんがバイオリンを彼にくれたのだそうです。どんどん目が見えなくなる不安の中、バイオリンを練習すると、どんどん上手になっていく。視力も目の光も失うけれど、生きる光をバイオリンがくれたのだと彼は言いました。成人してからお父さんが業績不振で事業に失敗し、彼の元から突然居なくなったとき、周りの人は探すなと言いましたが、彼はどうしてもお父さんに伝えたいことがあった。長い年月お父さんを探して、やっと見付けたお父さんに伝えたそうです。「僕が一番切ないときに、いつも傍に居てくれたのに、お父さんが一番切ないときに、傍に居てあげられなくてごめんね。」彼は、それだけを伝えたくて、ずっとお父さんを探していたと話してくれました。彼は心臓に疾患があり、今度発作を起こしたら、命の保証はないと医師に宣告されています。そのときが来たとき、お父さんが寂しがらないようにと、彼は「共助」という曲をお父さんに作りました。この曲を、会場で流させていただきました。

私の周りには、母を含めて大人も子どもも、障害を持っている人が沢山います。いつもお互いを助け合って過ごしていて、とっても頼りになる大切な人たち。深い悲嘆と共に生きてきた人たちは、いつも私の良き相談相手です。真剣に話をしたり、大笑いしたり、悲嘆を知っている人は実に明るく愉快で、思いやりがあって優しい人たちです。

会場は実に、人の持つ深い温かさに包まれた雰囲気でした。皆さんとお会い出来て、講演終了後にも沢山声を掛けていただいて、とっても嬉しい時間でした。ありがとうございました。