「チャンス!」と言って、お父さんに触れる高校生の息子さんが居ました。
私が目を反らす度に、
「チャンス!」と必ず言いながら、お父さんに触れます。
私「私、何処かに行ってた方が、お父さんと過ごしやすい?」と彼に聞くと、
息子さん「いや、居てもらわないと不安です。居てください。お願いします。」
希望通りに髭を剃り終わって、片付けていると「チャーンスー!」と息子さん(笑)
「どうしたの?」と私が聞くと、
「いや、こういう感じが懐かしいなぁと思って。今、思春期で・・・。みんなが来ると恥ずかしいから。むかしお父さんと遊んだ感じで、やってみたかった。」と、息子さんが言いました。
「そっかぁ、じゃあ存分にどうぞ。こうやって、お父さんに触れたのは、どのくらいぶり?」私が聞くと、
「小学校の低学年のとき以来です。」と息子さん。
私「お父さんに、添い寝する?」
息子さん「良いんすか?」
私「良いよ。」
息子さん「とうさーん・・・。」
静かに二人に布団を掛ける、私。
息子さん「お父さんが入る棺に、入ってみても良いですか?お父さんの気持ちになってみたい。」
私「良いですよ。でも、ちゃんと出ておいでね。みんな、心配するからね。」
息子さん「はーい。」
私「棺の蓋は閉めなくて良い?」
息子さん「いや、それは良いっす。勘弁してください(笑)」
いつも喧嘩ばかりしていると教えてくれた、お姉さんと妹さんは、その姿を涙を流して見守っていました。見たことのない、姿だと教えてくれました。
死は終わりを意味しません。
お体は無くなりますが、
亡くなられたその方はそれぞれの記憶の中に残っていますから、関係性は終わりません。
嘆き、悲しむ姿を見た
家族や近しい人たちは、
その人を思い、
その人を支え、
力になりたいと考える。
だから嘆き、悲しむ人の周りは、
優しさで包まれていきます。
それは全て、
その方が存在してくれた
ある意味「事実」である、
「死」から発信されたものですから、
その方の「死」と言う、
その方の「生きた時間の価値」、
その存在に「思い」が還っていく意味を持ちます。
亡くなられた事実から
発信された悲しみは、
みんなの気持の中に入り、
ぐるぐる回って、
色んな人の、
一人一人の思いで肥やされて、
悲しみを発信した、
亡くなられた御本人に戻ります。
そうやって皆さんそれぞれの形で、大切な人に礼を尽くします。
なので現場で見守る皆さんは、遺されるご家族の気持をしっかりと、汲み取っていただければと思います。