2015年8月30日

チャンス!

「チャンス!」と言って、お父さんに触れる高校生の息子さんが居ました。

私が目を反らす度に、
「チャンス!」と必ず言いながら、お父さんに触れます。

私「私、何処かに行ってた方が、お父さんと過ごしやすい?」と彼に聞くと、

息子さん「いや、居てもらわないと不安です。居てください。お願いします。」

希望通りに髭を剃り終わって、片付けていると「チャーンスー!」と息子さん(笑)

「どうしたの?」と私が聞くと、

「いや、こういう感じが懐かしいなぁと思って。今、思春期で・・・。みんなが来ると恥ずかしいから。むかしお父さんと遊んだ感じで、やってみたかった。」と、息子さんが言いました。

「そっかぁ、じゃあ存分にどうぞ。こうやって、お父さんに触れたのは、どのくらいぶり?」私が聞くと、

「小学校の低学年のとき以来です。」と息子さん。

私「お父さんに、添い寝する?」
息子さん「良いんすか?」
私「良いよ。」
息子さん「とうさーん・・・。」
静かに二人に布団を掛ける、私。

息子さん「お父さんが入る棺に、入ってみても良いですか?お父さんの気持ちになってみたい。」
私「良いですよ。でも、ちゃんと出ておいでね。みんな、心配するからね。」
息子さん「はーい。」
私「棺の蓋は閉めなくて良い?」
息子さん「いや、それは良いっす。勘弁してください(笑)」

いつも喧嘩ばかりしていると教えてくれた、お姉さんと妹さんは、その姿を涙を流して見守っていました。見たことのない、姿だと教えてくれました。

死は終わりを意味しません。

お体は無くなりますが、
亡くなられたその方はそれぞれの記憶の中に残っていますから、関係性は終わりません。

嘆き、悲しむ姿を見た
家族や近しい人たちは、
その人を思い、
その人を支え、
力になりたいと考える。

だから嘆き、悲しむ人の周りは、
優しさで包まれていきます。

それは全て、
その方が存在してくれた
ある意味「事実」である、
「死」から発信されたものですから、

その方の「死」と言う、
その方の「生きた時間の価値」、
その存在に「思い」が還っていく意味を持ちます。

亡くなられた事実から
発信された悲しみは、
みんなの気持の中に入り、
ぐるぐる回って、
色んな人の、
一人一人の思いで肥やされて、
悲しみを発信した、
亡くなられた御本人に戻ります。

そうやって皆さんそれぞれの形で、大切な人に礼を尽くします。

なので現場で見守る皆さんは、遺されるご家族の気持をしっかりと、汲み取っていただければと思います。

2015年8月25日

子ども夢ハウスおおつち夏!

子ども夢ハウスおおつちの子どもたちの夏休みも終わりました。

お盆が過ぎて、だいぶ涼しくなりました。同じ岩手県内でも、私の住む北上市で気温が35℃くらいでも、夢ハウスのある大槌町は海に山瀬がかかるので、内陸よりも10℃くらい涼しくなり、25、6℃くらいになることがあります。

子どもたちが作った菜園では、野菜も収穫出来る時期を迎えました。大きくなりすぎたキュウリ(笑)「瓜みたい!」「同じ種類だもんね〜」と言う会話も飛び交いました。

町のかさ上げも、進みます。震災直後の瓦礫が積み上げられた大津波の後の光景から、ずいぶん変わったと子どもたちも話します。町の山を崩しての、復興が進みます。山を崩すから、鹿や熊が町の近くまで住みかを追われて出来ていると、これも子どもたちから聞きました。「なんだかちょっとかわいそうで、申し訳ない感じ。いつか、山も復活させてあげなくちゃいけないんだね。」と、言っていました。良い子、良い子。生活の中の、様々ないのちと共に生きていこうとしていました。

毎年楽しみにしている、仮設公民館の前の広場での盆踊り大会。ここも津波が入った場所ではありますが、避難場所がきちんと確保された中で行われています。

藤原代表が盆踊り大会の太鼓を叩いて見せてくださった後、次々と子どもたちも太鼓に興味津々、話し合ったり、順番を決めたり、藤原代表を真似て今年は子どもたちも太鼓にチャレンジしていました。地域の皆さんから、「不思議なリズムなってるぞ〜!」と声を掛けられ、「けっこう難しいなぁ」と言いながらも、だんだん上手になっていました。

けっこう、子どもたちも藤原代表に電話をしているんだと話してくれます。時々しか夢ハウスに行けない、用務員のお姉さんの私の電話にも、子どもたちからの電話も増えてきて、今の悩みに真剣勝負で話し合います。夏休み中に、我が家に3組に分かれてお泊まりに来て、色んな話もしました。どんどん成長する姿を見せてくれますが、成長には悩みもつきものです。(私も若い頃はそうだった。私にも、若い頃はありました。遥か、遥か〜・・・)

震災前まで相談に乗ってくれていた、おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、お兄さんやお姉さん・・・。いつも側にいて、相談に乗ってくれていた人たち。

本当は、誰に相談したいのかなぁと、子どもたちと話しながら、なんとなくニュアンスで感じ取るようにしています。「よし、今日は私はおばあちゃんだな。」と思いながら、話を聞いてみたり。

津波のこと、その後の町の火事のこと、震災直後のこと、これまでのこと、復興のこと、亡くした見つかった、見つからない家族のこと、今の様々なこと、そしてこれからのこと。

藤原代表や、吉山くんの思いも最近は知りたがる子どもたちも多くなり、伝えることも増えました。

やっとつかんだペースを、生活の中で新たに組み立て直すことも必要になる。それが、「復興」の意味に含まれます。大人は、強い覚悟で町を切り開き、つくっていくのです。「復興に伴って移りゆく環境の中で抱える嘆きは、未来に向かって必要な嘆きなんだよ。」藤原代表の子どもたちへの愛情を、一人一人に合わせて伝えて行きます。

何か心に起きたとき、
それを考えなければならない時間と、
何も考えない時間。

上手にバランスをとりながら、進んで行きます。子どもたちからの言葉に、聞き逃してはいけない言葉がありまして、

「今度はいつ来るの?」

じっくりお話ししたり、べったりくっついていたり、何となく側に居たかったり、みんなそれぞれで色々なんだけど、「今度いつ来るの?」は、じっくりお話ししたいと言う意味が深くアプローチされていることも多くあるので、必ず来れる日を伝えます。

「オッケー!」

小さな手でオッケーをする手が、また可愛らしく、愛おしく感じます。

月命日の11日、お彼岸やお盆、子どもたちも大人といっしょに、行事を大切に過ごし、大人から今年も様々なことを引き継いでいたと思います。立派、立派!

夏休み中も、多くの皆さまからの温かいご支援、ご寄付、本当にありがとうございます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。


2015年8月20日

怖いはなしシリーズ9「呪い」

復元納棺師と言うお仕事に携わらせていただいて、身元確認の時の亡くなられた方の表情に「怖さを感じないのか」と、問われることが多くあります。

専門職として故人の前に立ったとき、死後の変化の一つ一つが、一見怖そうな、一般の方が見たら気を失う方も多い、その形相を作り出しているので、技術として元に戻す方法を考えています。

総合的に私自身の一人の人の心で見たときは、悲しそうな、悔しそうな、心残りがあるのだろうなと、事件でも事故でも災害でも、腐敗していようと、その亡くなられた方の気持ちに、どうしたら寄り添えるのかを、心の部分では悩んでいる自分がいつも居ます。

自分の、技術と心のバランスを保ち復元はスタートします。私の場合は、常にその方に触れて、生きた歴史を皮膚やシワから知り、今の時間はその方の人生の一部であることを強く意識して、自分の背中を叩き、勇気に変えていきます。

形が崩れた人が怖くて背中を叩くのではなく、「出来ないかもしれない」と言う自分の弱さを戒めます。

どのような死の迎え方をしても、やり残したことはあるもんだと、亡くなっていく人に教わります。

そう考えると、
「怨霊」というのは、

殺された側と、
殺した側の意見が一致してない場合に、
本人が言う訳ではなく、遺された側が

「怨霊」

と称する訳であり、
「心残りが、あったのだろうね。」「悔しかっただろうね。」「もしかしたら呪われるかもしれない(そう思う心当たりがある場合)」の気持ちが含まれていることが分かります。心残りがあるのが不幸かと言えば、その内容にもよりますが、それはそうとは言い切れません。

心残りも、生きた証拠。

それを誰が受け取り、育ませるのか。そういうことに立ち会えるのも、この仕事の特徴なのかもしれません。

復元の現場は、どちらかと言うと皆さんマイナスの感情からのスタートが多くあります。

人は何のために生きているのかと、
本当に問われることが
よくあります。

今の私が思うのは、
人はただ、
ゆっくり眠るために生きている。

生きた道の中にあるその時々により、
その眠りの深さが変わり、

喜怒哀楽から様々な人の心を学び、
人として成長出来るのだろうと。

毎日、穏やかに深い眠りにつきたい。納棺の時間に多くのご遺族が話してくれます。そのために問題を解決しようとし、心穏やかに眠るため、様々な困難や問題に対し、学び、知恵を絞ることに人は取り組んでいるのではないかとさえ、思います。しっかり眠らなければ人は壊れると、私は思っています。壊れると、どんな感情が起こることがあるのか。それも様々ですが、

若い頃に大きな神社に巫女として奉職していた時、境内にはたくさんの呪いのワラ人形がありました。

その姿は実に恐ろしい。
目が吊りあがり、
眼球は赤い。
口は裂けているように見え、
その異様な雰囲気で、
頭に鉢巻とロウソクを二本付け、
右手にカナヅチ、
左手には五寸釘とワラ人形。
白装束を身に付け、
地に響くような低い声で、

「見たーなー!」と追いかけられたこともあるし、「見られた自分も悪いでしょ?」と言って追いかけるのを止めてもらったり。ワラ人形の実行のために白装束を着て歩いている人も度々見たし、何よりワラ人形を外す神主さんも、長くて重たいハシゴを持って大変そうでした。「呪い」を実行するために、たくさんの人に迷惑を掛けていますよと、伝えることも、ありました。

聞けば「呪い」はどちらかと言うと、
自分の思い通りにならないことから起こる、

執着心などからの妬みや嫉み、
裏切りを感じてプライドを傷付られたり、自分が上だとか下だとかそういう感情だったり、自分より優れた人を堕としたい感情だったり、相手の表面だけを見て、その人の苦しみや努力に気が付かない、自分の物差しだけで判断した結果により、その感情により眠れない。そして、呪うことだけしか考えられないようになるのだそうです。

だいたい、
自分自身さえ思い通りに出来ないのに、
思い通りに行く人生なんかあるのか?

自分自身さえ分からないのに、
目の前の人が自分であるがごとく、
目の前の物が自分であるがごとく、
感じてしまっているだけではないのか?

だとしたら、
目の前の物も人も何もかも、
自分自身ではないことを、
だから、
元々思い通りになんて行く訳が無いと、
明らかに、
知っておいた方が良いのかもしれません。

人は人、自分は自分。

ならば、柔軟な自分を育ててみることと、上手に気持ちを切り替えるための手段を、普段から持っておくこと。そうすれば「呪い」の感情は誰にも起きないはずです。

ワラ人形を打ち付けた人が言っていました。「呪いのワラ人形を行ってから、人はどんどん自分から離れていくし、何にも良いことがありません。反省するので、取ってお祓いをしてもらえませんか。」

昔の人は、殺される時に「7代祟ってやる」とも言ったと言います。

人を呪わば穴二つ

と言いますが、本当にそうなのかもしれないなと、思います。本当に呪い返しがあるのだろうなとは思いますが、

「呪われた」ことを知った人、
「呪った」側の人も、

心の中では、それは自分の心に正直なのではなく、自分の心の一部の感情のために行ったこと。その「呪い」に対して気にしていることが、自分の生活の中に自然に出てしまって、

自分の心の動きが
周りの人の動きになっている。
周りの人の変化と対応は、
自分の鏡であると言えるでしょう。

自分が変わらなければ、
何も変わらない。
良くないと思えることからも、
多くを学び、
人は生きているのではないかと思います。

復元納棺師は、カッとなったり驚いたり、現場で悲しみのどん底に落ちるとタイムロスになり、ご遺族の待ち時間を長くしてしまう結果になりますから、心動かさず感情をニュートラルにして、結果、みんなにとって良いと思えるように、次の心の移行が起こせるようにお手伝いをして、現場を終わらせるのが使命だと思っています。

悲しみと共にある人の感情は様々ですが、時に「呪い」が共にある場合には、帰り際に少しお話しをさせていただいて、ご遺族と共に語り合い、私も一緒に考えさせてもらうことがあります。しばらくして玄関で青い空を見上げて、清々しい表情になったご遺族から、家族を亡くして今から変わる生活と、生きる志を伺います。

呪いは、自分もその呪縛(行為の実行の現実)に苦しむことになる。どんなに呪っても、スッキリした気持ちにはならないと、呪いを体験した皆さんが教えてくれました。

皆さんに、改善策があったとしたら?と問うと、呪う気持ちを育てるだけの時間の余裕があった。もっと早い段階で自分を忙しく、温かい気持ちになれることを探すべきだった。呪いへの気持ちを切ったら、新たな出会いがあり、とても支えられているのだと、話してくれました。


2015年8月15日

怖いはなしシリーズ8

「お盆ですね」と、納棺の時間も今時期は、お盆の様々な話題になります。迎え火、送り火などの準備の話から、地域のしきたりや様々な死生観。歴史には、生きた道しるべがあるものです。

でも不思議なことですが、お盆は納棺に伺う件数が本当に多くなります。お盆中の納棺は、「ご先祖様が帰って来ている時期だから、一人じゃないね!」等、現場では今の状況の中からポジティブに考えられることを見付け(人には、そういう底力が備わっています)皆さまの会話を伺いながら毎日、納棺の現場と遺族訪問(年令問わず、現在気持ちが一人ぼっちの方を、受け入れてくれる誰かに、きちんとつながるまで)に走り回っていました。

お盆だから、道路もとても混んでいます。特に沿岸部の往復はいつもより渋滞しているので、普段の時間にプラス片道30分は掛かります。そんな中、こんな話を立て続けに今年も聞きました。

「地獄の門が開いたぞー!」

お盆の期間中だけは特別に、地獄に居られる皆さんも、みんなと同じく里帰りをして良いと言われているらしいのです。寄り道せず、まっすぐお家に帰ってくれますように。

確実に家族から見ても、あんまり行いが良くなくても、遺された人が亡くなった家族を思い、帰ってきて欲しいと願う古来からの民族風習なのでしょう。

地獄の門が開く

同時にこの時期は、そのくらい気持ちを正して、身を引き締めて生活をしなさいと言う、昔の人の知恵だとは分かっていても、お年寄りが言うと説得力があり過ぎるから(笑)怖いです。しっかりご先祖様に手を合わせましょう!

だけど、海や川などの水場の事故、山などの遭難事故、高速道路での事故等々、この時期の現場に呼ばれる度に、お盆の存在を強く意識することもあります。季節の変わり目で、自然の様子が変わりやすいこと、その変化しやすい場所に近付くことなかれと言う、昔の人の知恵なのかもしれません。海、山、川にどうしても近付く場合は、詳しい人に聞いてからにしましょうね。

地獄の門が開いたぞ〜!

ん?でも、
地獄の門って何処にあるの?

お年寄りに聞けば、一時期の海や川や山を指すのだそうです。なるほど、やっぱり季節の変わり目の、自然の動きがある時だから、なんですね。

地獄の門が開いて、魑魅魍魎が出てきたら怖い・・・かもしれませんが、冷静に考えてみれば、魑魅魍魎は一人一人の人な訳で、いや、人の心の中のものを表現しているのか。でも何故、魑魅魍魎と呼ばれるのか、それが分からなければ、私にとっての魑魅魍魎ではない訳です。芥川龍之介のくもの糸を思い出しながら考えるのは、お盆の時期だけそこから出れるのなら、ずっとそこから出られるように策を講じて、そっと支援できないものかと、頭を悩ませていました。そこから出られる決定権を持っているのが「くもの糸」の中ではお釈迦さまで、最後のお釈迦さまの気持ちを考えると、芥川龍之介が何を伝えたかったのか、この時期はなんとなく考えていました。さてさて、

暑さ寒さも彼岸まで

暑さももう少し続きそうですが、気候が移行する春の3月の彼岸と、秋の9月の彼岸。次の季節の準備をする時期ももう少し。お盆が終われば、すぐ彼岸。又、ご先祖様を敬う時期を迎えますね。そう、いつだってご先祖様と気持ちはつながっているのかもしれません。日本人は、いつでも大自然とご先祖様を重ねて、生活の中に組み込み大切にしてきたのだと思います。

どうか皆さんも昔の人の知恵を意識して、心して、お過ごしください。

次回は、これまたご要望の多かった「呪い」について語ってみたいと思います。

追伸、
本日納棺のご遺族の、心に残る言葉。
私「ご本人(亡くなられた方)、すごく足が長いですね〜!」
ご遺族「あぁ、確かにそうです。だけどね、足は長いけど、相当・・・、気は短かったですよ〜(´Д` )。ね!ね!(周りの皆さんに同意を求める)」皆さま、大きくうなずく。
お別れの時間は、人それぞれの個性があるから又、良いのです。以上でした。

2015年8月14日

怖いはなしシリーズ7

納棺の時間に、人数が1人多い・・・。という事が、たまにあります。最初から皆さんで納棺をいっしょに行いたい希望も大変多いので、人数分の色々を準備するところから始まり、実際に始めてみると、1人分多く準備していたということが、あります。誰もお部屋を出入りしていない・・・。あら?と思う私。でも、ご遺族も

「あら?もう一人居たよね?」

なぁんてことも、ありますね。

「誰だろうねー」
「本人かなぁ〜」
「いや、先に逝った◯◯が、迎えに来てさぁ、みんなと参加してたんじゃない?」
「あらぁ〜」

等々、素敵な時間へ移行していきます。さて、誰だったのか分かりませんが、一人多く居られたのは確かなようです。

ちなみに私は外食なんかをすると、いつもお水を一つ多く出されます。いや、そういう経験をしたと教えてくれる人も、けっこう居ますよ。店員さんは「??」と不思議そうにしていますが、私は、「また、誰かいっしょに来てたのかな?」と、お水をそのまま置いてもらいます。小分けのお皿をもらって、自分の食事を小分けして、お水の横へ置いたりします。電車に乗ると、私の隣の席をみんな空けていて、座らない。時々、その場所を見て微笑む人さえいます。「あら、今回の旅は何処かの子どもさんも一緒かな?」なんて、思うこともあります。

東北は、座敷わらしのふるさとですから、そういうこともありでしょうね。むかし、栄養が足りずに又は病気で亡くなったり、間引きされた子どもたちが多く、座敷わらしになったと言い伝えられていますから、座敷わらしと言っても子どもですから、生きていても死を迎えていても、私にとってその子たちを可愛いと思う気持ちには変わりありません。納棺の時間も、明らかに何か違うタイプの家の中で足音が聞こえると、「座敷わらし、騒ぎすぎだぞぉ。」と、東北の特にお年寄りは、いつだってそんな感じです。

もしかしたら皆さんも、一人多く数えていること、けっこうあるかもしれませんよ!座敷わらしだったら、お菓子を供えるのを忘れずに!

怖いはなしシリーズ6

「ずっと探してるのに、見付からない!」

火葬場の取り決めなども地域により異なりますが、棺にいっしょに入れて持たせてあげたいお品物、ご家族が探しているのに見付からない!ということがよく、あります。

そんなとき、「カタカタ」

音がした場所を探すと、

「あった!」ってことが、これもまたよくあります。不思議なものですね。この業種の人は、けっこう経験してるのではないかと思います。

例えば、「音」は納棺の時間って、よくします。現場は、ものすごく静かなので、音はよく聞こえます。パタン、ギギギーと言うような戸が開いたり閉まったり・・・、もちろん誰も触っていないのに。足音、お部屋の手前まで来て止まるとか。階段を上がる音、時には降りてくる音なんかも・・・します。もちろん、誰もそこには居ません。

物が落ちてくるということも、よくあります。納棺中にお供えの果物が、私の肩にズシンと落ちてきた!なんてこともありますが、これは不思議な現象なのか、重ね方だったのか、どちらか分かりません(笑)

「怪奇現象だー!」と現場の子どもたちが騒いでいました。「やったー!おばあちゃんにも、そんな力が備わっているんだ〜!」何故か、納棺の時間に色々起こると喜ぶご遺族の皆さんが多くいらっしゃいます。現象と存在と、つながるのでしょうね。なんとまぁ、まぁ、落ちてきた果物がご本人の好物だったので、ご遺族にお棺に入れていただきました。

どうしても持たせてあげたいもの、ご本人もどうしても持っていきたいものの気持ちが同じとき、そういう不思議なことが起こるのでしょうね。以心伝心、素敵なことです。

現場ではよく、あることですね。

2015年8月12日

お盆

地域により日にちは少しずれることもありますが、今日からお盆の時期に入りますね。日本の昔からの習わしの、精霊馬。野菜で作って、仏壇やお墓に供えます。

きゅうりの馬に乗って、早く帰って来てくれますように、

お盆の終わりには、なすびの牛に乗って、ゆっくり帰ってもらえますように。

同時に、お盆の初めには「迎え火」
お盆の終わりには、「送り火」の行事が行われるところも多くあります。岩手県の場合、小さな松明を使います。

内陸は松明の先端に緑色付き
(場所・玄関先や山の入り口)

沿岸は松明の先端に赤色付き
(場所・玄関先や海の浜など)

昨日、福島県の常圓寺の御住職に教えてもらいました。

昔は迎え火や送り火に使ったものは、ゆっくり時間を掛けて燃える芋がらを乾燥させたものを使い、燃えている時間に想い出話しをしながら故人を偲んだそうです。

山や海で迎え火や送り火が行われるのは、昔から海や山と言う自然の中に霊域があり、亡くなった人はそこへ帰ると考えられていました。(確かに、お医者さんに教えてもらったことがあります。お看取りのとき、患者さんが先生に「先生、そろそろお山に帰るからね。」と言って息を引き取られたそうです。)

お寺の名前に◯◯山◯◯寺と、「山」という字が付くのは、山の山頂にある霊域のことを指しているのだそうで、大切な家族は、そこへ帰ると言う意味があるのだそうです。

中国では「◯◯海◯◯寺」と「海」が付くお寺が多く、やはり海の霊域、自然に帰ることを指すのだそうです。日本にも、数ヶ寺「海」の付くお寺があるのだそうです。

確かに、東日本大震災発生後に漁師のおじいさん方々とお話ししていたとき、みんな家族が見付からなくて、でも「海に帰ったと思ってるよ。私たちは、自然と共に生きているから。自然に生かされ、自然に帰る。」

震災初期に、宣承さん(お坊さん)が私にお話ししてくれたことと同じことを、漁師のおじいさんが言うもんだから、すごく驚いた記憶があります。

それから、海と山は別々にして考えてはいけないのだそうです。海も山も、大切な家族が帰る、それぞれの地域の人たちが大切にしている、大自然の大事な場所なのだそうです。

ちなみにダライ・ラマの「ダライ」は、「大いなる海」と言う意味なのだそうです。(おー!そういうことだったんだ!)

それから京都の方に教えていただいたのですが、京都では「六道珍皇寺」と言うお寺に、冥界の入り口があると1000年以上前から伝えられていて、多くの方が六道珍皇寺に、先祖を迎えに行き、送りに行くのだそうです。

地域により風習は様々でも、ご先祖様や亡くした大切な家族を思い、偲ぶ気持ちが伝統となり、悲しみの気持ちに寄り添ってくれる伝統的な風習になったのだと思います。

そして、チベットの葬儀についても色々教えていただきました。チベットも、亡くなった方の魂は山へ帰ると考えられているそうです。たくさんの旗を最後に立てるのだそうですが、風がフワァっと吹いて、その旗が揺れたら本人が来た証拠と考えられているのだそうです。ステキです。

何かしら、つながっていたいと言う気持ちと、何処かに居てくれる、存在してくれていると言う気持ち。そこには必ず神仏が居られて、委ね、安心出来る気持ちが昔から伝統として伝わっているのだと思います。

お盆と言う少しの間の家族団らんではありますが、素敵な時間を過ごされますように、お祈り申し上げます。ご縁をいただいた皆さんが、私のところにちょこっとでも寄ってくれるかしら?と、心待ちにしながら、本日の現場の出動の時間が迫ってきたので、少し寝ます。

福島県へお邪魔しました。

ラジオに何度も一緒に出演させていただいたり、福島県内を何度もご案内いただいたり、大変お世話になっております常圓寺さんにお声掛けいただき、福島県へお邪魔しました。

常圓寺さんは、震災の安置所を知っているお坊さんです。「笹原さんがどうしてあの安置所の中で、長い期間頑張れたのか、潰れてしまわないだろうかと、坊さんとして心配していたけど、そうでしょう!坊さんが付いてるから頑張れたんだよね!」宣承さんの存在を知って、とても安心してくだった常圓寺の御住職です。(あまり知られていないかもしれないけど、宗派は違っても宗教者の御住職同士は、仲良しです)宗派を問わず、門徒さんや檀家さんに人気のあるお坊さん方々は、いつだって誰かの心配をしています。

映画おくりびとの原作者、「納棺夫日記」の著者であり、納棺師として私の仕事の大先輩の青木新門先生のご講演が常圓寺さんが会場で、行われました。青木新門先生が、常圓寺さんに「今、一番会いたい人」とずっとお願いされたとのことで、前回は都合が合わず大変失礼してしまいましたが、今回は伺うことが出来ました。私のような若輩者が、お声掛けいただき恐縮してしまいました。

青木新門先生のご講演を拝聴させていただき、様々な時代の流れを生き抜き、開拓して下さった先人の苦労を知り、現代の私たちの納棺が、ずいぶん変わってしまっていることを感じながら、このままで良いのだろうかと、考え込んだ時間が何回もありました。

一般講演に伺えば、「実は納棺師(湯灌師)が大嫌いだった」と叱咤激励していただくことが、実は本当に多くあります。「全然違う人にされた」「作業だった」「思い込みで勝手に進められた」「納棺師が儀式なんて出来るはずがない。宗教者じゃないんだから」等々と実は、怒っている人が本当に多いのが現実です。でも、ありがたかったと感謝している人ももちろん居られます。

100人居れば100通りの評価があると思います。施行する納棺担当も、十人十色。自分が伺った現場ではないけれど、私も現場に出る一人の人として、そう評価されるリスクはいつでもあるわけです。評価ばかりを気にして、目の前の方を見ていないと、もちろん相手にとっては悪い印象になるでしょう。情報や知識にとらわれ過ぎて、その中に人を取り込み巻き込もうとするのも、相手に合わせた部分が無いから同じこと。同業だから、聞いて欲しかったと、納棺師(湯灌師)に対する恨みを晴らす方の悔しそうな表情を拝見する度に、身が引き締まる思いです。青木先生にも、少し相談しました。

「時代に合わせて変えていかなければならない内容もある。でも、日本人として絶対に外してはいけない死生観もある。信仰心が失われれば、いのちの存在がないがしろになるよ。納棺は、いのちのバトンタッチだからね。温故知新、難しいけど見誤らずに、頑張れ。」そう、心を掛けていただきました。

青木新門先生のご講演は、戦争中に亡くした小さな妹さんのこと、戦後二人から始めた葬儀社が、社員500人を超えたとき、葬儀の形が大切なものを失っていくのではないかと言う危機感の中、社員教育の目的でテキストとして書いたのが、「納棺夫日記」だったことを伺いました。私も新人の頃に納棺夫日記を拝読し、気持ちを整えて育ちました。

青木新門先生が言いました。

5年も6年も掛けて、主演をされた本木雅弘さんが納棺夫日記を映画にしようと熱心に動いていたこと、何度も青木新門先生のところを訪ね、誠実に納棺夫日記と向き合ってくれたこと。本木雅弘さんと青木新門先生の信頼関係は、長い間に培われたものだったこと。原作と違うことで、納棺夫日記を原作としないで欲しいと心中を伝え、約束を守ってくれたこと。

「納棺夫日記のね、7割は私は死生観と宗教学を書いているんだけど、私は仏教が特にみーんな大好きで、中でも親鸞さんがとても好きでね。脚本に僧侶も僧侶の言葉も何も無くなって、その大切な7割が全部無くなってしまっていたから、原作を外してと頼んだんだよ。でもね、私の原作を忠実に脚本にしていたら、もしかしたらアカデミー賞は取れなかったかもしれないよ。アカデミー賞は、本当に素晴らしい賞だよ。苦労していた本木雅弘くんをずっと知って見ていたから、私も嬉しかったよ。そして、私の納棺夫日記も守れたから、私はそれで充分なんです。」

御歳78歳の青木新門先生は、とても謙虚で志が高く、少年のような方でした。

全国各地、多業種の皆さまにご講演されている青木新門先生とは、医療の学会などで会場は違うけれど、ご一緒の学会講演の時が多々ありました。(ご芳名は拝見していました)お会いしたことはありませんでしたが、どんな怖い人だろうと、本当は思っていました。(先生、ごめんなさい。)常圓寺さんの御紹介だったので、ドキドキしながらお会いして、少しお話しさせていただいてその直後、

「はーい、収録しますよー!」

常圓寺の御住職と、青木新門先生と、私の3人の対談、ラジオの収録でした。大和田アナウンサー、お世話になりました!

福島県は、放射能の問題で未だ遺体の捜索活動が行われていない場所があるそうです。伺って胸がグッと苦しくなりました。まだまだ終わらない東日本大震災ですが、みんなで頑張るしかないことも多いから、普段の生活の中にあることも一つ一つ大切にしつつ、声を掛け合って頑張ります。


2015年8月8日

青い鳥セミナー

宮澤賢治生誕の地の岩手県花巻市に於いて、32年続いている、福祉入門講座「青い鳥セミナー」今年の第一回目の講座として、お声掛けをいただきました。

主催は花巻市社会福祉協議会ボランティアセンターと言うことで、会場には椅子が足りなくなり、追加をいただきながら、会場満員以上の中でお話しをさせていただきました。

障害をお持ちの方々もご参加いただき、手話通訳、要約筆記通訳のボランティアの皆さまにご支援いただきました。最近は私も、聴覚障害の方に肩を叩いていただくことも多くなり、筆談でお話しがしたいので、小さなボードやノートを持ち歩くようになりました。

講演終了後の質疑応答の時間は、熱心な多くの質問が続き、時間をオーバー致しまして、多くの皆さまに挙手をいただき、大変盛り上がり(色んな意味で大変な熱気でした)、お盆で関東から里帰りしていた大学生の方も参加いただいて、皆さまの感想も聞かせていただき、私もとっても感動しました。

後半は何かどんどん、不思議な体験談を聞きたい!と言う皆さんのモードになり(最近はすごく多いです(笑))終了致しました。後日、「怖いはなしシリーズ6」でお伝えしたいと思いますが、私の普段の生活自体が、皆さんから見ると不思議な体験ばかりらしく、それは私にとっては何ら「普通」のことでございます。

言語に障害のある高齢の男性が、ゆっくり一つ一つの言葉を発して、一生懸命質問をしてくださる時間も、ありました。内容は以下の通りでした。

「笹原さんは、神様や仏様の言葉を聞いたことはありますか?きっと、あるのではないかとぼくは、思います。」

きっと「ある」という言葉をとても期待されて、質問をしてくださったとは思うのですが、

「残念ながら、私の修行が足りないからだと思うのですが(皆さま爆笑)、神様や仏様のお言葉を聞いたことはありません。でも、お会い出来るのであればお会いして、叶うなら、ご縁をいただいた皆さまのその先を、委ねさせていただきたいと思います。

少し前、癌患者さんの会で、お話しをさせていただいたとき、三途の川の話になりました。多くの皆さんは立派な、川幅の広い三途の川を見たと言います。私も一度だけ、見たことがありますが、一歩でまたげるくらいの川幅でした。癌患者さんが言いました。

「徳を積んだ人は、川幅が広い。そうじゃない人は、狭いんだ。だから、笹原さんはもっと徳を積みなさいって。(皆さま大爆笑)そして、先に逝って待っててあげるからって」(皆さん大きくうなずく)と言ってくれました。」

他の癌患者さんは、帰りにこっそり声を掛けてくれました。「死期が近い人は、川幅の広い三途の川を見るんだよ。死期が遠い人はね、川幅が狭いの。笹原さんは、まだまだ生きれるってことだから、精一杯人生を歩んでね。でも私は、川幅の広い三途の川を見たんだよ。」

そう言って、周りの人を思いやりながら旅立つ皆さんが、「幽霊」とか「怪奇現象」とか言われる方が、私は辛い。お会いして、お話し出来た時期は短かったけど、私にとってはかけがえのない、お一人お一人です。

私にとっては、亡くなられた方が仏様のお姿だと思うし、遺された御家族の一生懸命に出会うと、神様や仏様のように感じます。御家族が亡くなられた方の想い出をお話し下さった時、神様や仏様のお言葉をいただいたことに等しいのかもしれません。きっと、誰の中にも神仏は、存在してくれているかもしれません。その神仏と、どう過ごすかは自分次第。

私は立派な仏様には、なれないと自分で思っています。三途の川の前にいる、奪衣婆の弟子になり、あの世に逝くことになった亡き人の、「どうしたんですか〜!」と話を聞いたり、家族を思う亡者の(その時は私も亡者だけど)何かしらのお手伝いがしたいと、夢を抱いています。だから、奪衣婆に「よし、弟子にしてやる」と合格するために、まだまだ頑張らなければなりません。

皆さんの人生の体験談、不思議な体験談、あの世のこと、この世のこと、色々とお話しできて、有意義な時間でした。納棺に以前ご縁をいただいたご遺族の皆さまも、たくさんお出でくださっていました。ありがとうございました。今日の講演は、どなたかのお家にお邪魔をして、ゆっくりお話ししたような、とてもアットホームな時間でした。

神仏の声は聞いていなくて、ご期待には沿えませんでしたが、今年の秋には美味しい米が出来るから、プレゼントするよと、とても素敵な笑顔で言っていただきました。

青い鳥セミナーのコンセプトは、

多くの方々に「福祉」に対する関心と理解を深めていただき、市民一人一人が地域の担い手となり、お互いに思いやり助け合う、幸せに満ち溢れたまちを目指すことを目的に実施します。

と言うものです。皆さんが地域の中ですでに行われていることを感じながら、皆さまと深い時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

追伸、
話しは変わりますが、最近岩手県内では、UFOの目撃情報が多数あります。最近はどこへ行っても、UFO目撃の話題が!皆さんの地域のお空はどうですか?「たまには、お空を見上げて他の星のお友だちに手を振ってみてはいかがでしょうか〜!」と、元漁師のおじいさんが言っていました。ロマンですねー!



綜合ユニコムさんセミナー

毎年、東京で春と秋に行われている、技術セミナーのお知らせです。

葬儀担当者・納棺スタッフのための

【ご遺族参加型】

納棺の手順とポイント(第16回)    9月1日(火)


【状況別ご遺体処置】と【死化粧】

のポイント(第13回) 9月2日(水)

弊社ホームページのトップページより、お申し込み方法、詳細をご確認ください。あと数名で定員になります。

DVD教材第2弾発送

技術セミナーのお問い合わせも多くいただきながら、スケジュールの都合でなかなか伺うことの出来ない日が続いておりました。

皆さまからご要望の多かった、DVD教材につきまして、昨日先行予約をいただいていた皆さまに、大変お待たせ致しました、医療・介護職の皆さま、納棺担当者様、納棺師、湯灌師などなど、お別れの時間に携わられる専門職の皆さまに、第2弾を全国各地に向けて発送致しました。

内容は弊社納棺で行っております、内容を分かりやすく解説しています。DVD教材ご注文、詳細については、弊社ホームページのトップページにてご確認ください。




2015年8月6日

インターンシップ

3.4.5日の三日間、昨年に続き地元高校生がインターンシップ(職業体験)に来てくれました。弊社を自ら希望して来てくれたとのことでした。

インターンシップでは、弊社の教育担当の復元納棺師が付き、高校生の皆さんに様々な体験をしてもらいます。

嘆きや悲しみとの向き合い方など、私も担当して講義の時間があります。悲嘆って何だろう?と言う問いからスタートし、普段の生活の中にある悲嘆を、一つずつ意識して考えて行きます。実は普段の悲嘆との向き合い方が、大切な家族の死を経験したときに、大きな影響を与えることがあるからです。

悲しみの感情が人それぞれなのも、生きてきた道の中にある、経験したこと、環境、背景がみんな違うから、当然のことですね。

特殊なコミュニケーションの取り方なども、解説します。悲しみの中にいるとき、その気持ちに配慮した関わり方がとても大切ですね。

弊社を希望して、インターンシップに来てくれる子はみんな、大切な家族を亡くした経験のある「遺族」と言う立場の子ばかりです。皆さんの大切な家族が、私たちとつなげてくれたのかもしれません。私もそんな気持ちになっていた、三日間でした。

2015年8月5日

小さなお星さまの会

2日、ちいさなお星さまの会に、お声を掛けていただくのは3回目になります。Dr.のM先生、助産師の皆さんとも、すっかり顔馴染みなりました。素敵な、素敵な愛情たっぷりのチームの皆さんです。

ちいさなお星さまの会は、弊社ホームページのトップページでもリンクでご案内させていただいています。

ちいさなお星さまになった赤ちゃんたちを、忘れずに、偲び語り合い、ずっと一人ひとりを大事にしている会です。

私も納棺の現場で、声を掛けていただくことがあります。大人の方の納棺に伺っても、子どもさんや赤ちゃんの納棺に伺っても、時々「赤ちゃんを、亡くしたことがあるんです。」と打ち明けてもらったり、「ちいさなお星さまの会でお話ししてきて、自分と同じ気持ちの親御さんたちと話せた」などの体験談、赤ちゃんに関する話しが、出ることもあります。

思い続けることは、生き続けること。どんなに小さないのちでも、一生懸命生きたいのち。生きている時間が短いと言われる赤ちゃんたちですが、その時間も彼らには生きた足跡のある、人生なのです。

お母さんのお腹の中で成長することの出来ない、何らかの理由が様々にあることも多く、「死の迎え方も含めてその子の人生なら、丸ごと受け容れることは出来なくても、現実の中に自分の子が居るから、親として受け止めるしかないのかなと、今はそう思っています。だって、親なんだもん。」

親としての心情を強く持つ、赤ちゃんを亡くしたお母さんが、私に話してくれた言葉です。本当に皆さん、悲嘆と共に生きている、素敵で頼もしい親御さんです。

なかなか世に出ない、ちいさなちいさな赤ちゃんたちの世界の情報は、専門のお医者さんや助産師、看護師などのチームの皆さんによってしっかり守られています。

ちいさなお星さまの会の、今回の集まりでも東北6県?の主に病院のNICU(赤ちゃんの集中治療室)に勤務する助産師さん方々が大勢集まられました。アンケートは、全員が「大変満足」と記載してくださったそうです。皆さんの気持ちと、私が現場で出会った赤ちゃんたちの気持ち、何よりちいさなお星さまの会の皆さんの気持ちがしっかと、つながった結果だと思います。

皆さまにお会い出来て、本当に良かったです。これからも、ちいさな赤ちゃんたちを、よろしくお願いいたします。

《こぼれ話》
2年前に、講演でお話しをさせていただいた時、会場に数名の看護学生さんが参加してくれました。講演終了後、学生さんが一人私に駆け寄って来て言いました。

「笹原さん、ちょっと来てもらえませんか!!!」

慌てた様子の子について行くと、その子と同じ年頃の看護学生の子が、泣きじゃくっていました。

彼女が高校生のとき、おばあちゃんを突然の死で亡くしていました。「棺の中を見てはいけない。」みんなにそう言われて、彼女はおばあちゃんの棺にすがり、「どうして自分を置いていったのか。力になれなくてごめんなさい。おばあちゃんのお餅がもう食べられないんだね。」と、対面出来ないけれど棺を抱えたまま泣き疲れて、眠ってしまったそうです。

その時夢を見たそうで、夢の中におばあちゃんは居なかったけれど、流し台やテーブルの上など、物が置けるであろう場所全てに、お餅が並んでいた夢を見たそうです。

おばあちゃんの死は自死。彼女は、周りの人から「自殺した人は、地獄に堕ちる」と言われたそうで、とても苦しんでいました。

彼女「おばあちゃんは、地獄に堕ちたのですか!!?」
私「そんな訳ないでしょ。こんなに孫が偲んで、想っているのに。昔の人は、自死も含めて大切な家族を亡くした時に、遺された心情が地獄のような苦しみだったことから、そう言われている風習もあるんだよ。風習には、ちゃんと意味があるから、全体を把握するとよく分かるよ。」
彼女「遺された人の苦しみは、こんなに苦しい物なんですね。」
私「だから、御本人の味方を精一杯出来るのは、その人を心から想う人だけが出来ること。これからも、人から色々言われても、おばあちゃんを信じて、味方で居てあげてね。」

菩提寺に行き、おばあちゃんの応援の仕方を教えてもらってね。と声を掛けたその子が、看護学校卒業後に大きな病院のNICUで、小さな赤ちゃんのいのちと向き合いながら、働いていました。

「一生懸命生きようとするいのち、一生懸命生きて欲しいと願う親御さんたちと、小さな赤ちゃんの看護をさせていただいています。すごく可愛くて、すごく一生懸命で、小さないのちから、たくさん色んなことを教えてもらいます。多分、おばあちゃんも一生懸命だっのかなと、今は思っています。」

涙をたくさん流しながら教えてくれた、色んなお話しを、私も胸に深く刻んだ時間でした。

2015年8月3日

お知らせです。

一般の方にご案内出来る講演がなかなか無くて、すみません。今回は、一般の方もご入場いただけますので、ご案内申し上げます。


2015年8月1日

子ども夢ハウスおおつち

皆さまのご支援、心から感謝を申し上げます。

7月はスケジュール調整をしながらでしたが、普段より多く通えました。ゆっくりお話を聞くという目的で数名ずつ、夢ハウスでお泊まり一回、片道二時間の道のりを色々話しながら、北上市に来てのお泊まり二回、合計3回のお泊まりも実行出来ました。

夢ハウスでは、みんなそれぞれに自分のペースを持っています。大人が見守る中で新しいお友だちのお世話をしてくれる子どもたちも多く、新しい子が自分のペースをつかむまでは、しっかりお世話をしてくれています。まさに、夢のみずうみ村方式ですね。

私も夢ハウスに居るときは、元々黙って座っていることのできない⁉︎私の性分です。(いや、相当疲れているときは、夢ハウスの台所でボーっとする所から始まったりもあります)だけど、用務員のお姉さんなので(笑)。とは言っても、ポップ(吉山くんの弟でもあり、夢ハウスのマスコット。の、犬です。)と遊んでいることも多い・・・?いや、遊んでもらっていることも多くありますが。(笑)

で、子どもたちも手伝ってくれて、何かしらの作業をしながら、雑談から始まる「あのさぁ・・・。」から、真に迫った話しに移行したり、

夢ハウスの地域の大人の人たちも、子どもたちとの会話に入り、古今を通して色々お話をしてくださったりと言う時間もあります。真剣に話す地域の皆さん・・・、やっぱり地域の歴史は、深いなぁと思います。で、時に子どもたちは、蚊に刺された所が痒すぎて、話に集中出来ないこともありますが(笑)仕方ないねぇ、痒いもんねぇ。

掃除や草取りをしていると、子どもたちは色んな気持ち、現状の話し等々、聞かせてくれます。

夢ハウスに居ても、復元や納棺のemergencyは入ります。途中で抜けて、戻って来ることも度々あります。あんまりあてにならない用務員さんで、すみません。

特に沿岸地域の納棺は、震災と重ねて考えなければならないことも多いので、例えば

「お父さんも、お母さんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、津波で逝ったんだよ。一人遺って、踏ん張ってたよ。」

と現場で教えていただくことも多々あります。見送るのは、血のつながらない近所の方々。と言うこともあります。その方が生きた中の、大切なことが柱となる納棺なので、見落とさないように、聞き逃さないように、お別れの形に変えていきます。

お盆が近くなった夢ハウスの現在では、

「あ!」と急に頭を抱える子に、
「どうした?」と聞くと、
「お墓の掃除に行かなくちゃ!いっけないぁい!わーすーれーてーたー!」

と、何とも可愛いことを言う子も居ます。そりゃ、その言葉、お墓の中の御先祖さんが、一番嬉しいでしょうね!行方不明で、お墓の中にお骨が無いこともありますが、それぞれのお家で話し合い、子どもたちの気持ちもそれに従い、気持ちを大切な家族へ一人一人向けています。

そんな風に現在子どもたちは、お盆に気持ちが向いてきているようです。大人も、お盆に向けて動き出していますから。そして、子どもたちは宿題も頑張りながら!(`_´)ゞ

暑い日が続く毎日ですが、子ども夢ハウスの子どもたちも現在、学校は夏休み中。子どもたちの気持ちを第一に置きながら、管理人の吉山くん、横ちゃん、ボランティアの皆さまに支えられ、色んな心の波と上手に付き合いながら、子どもたちは元気に過ごしています。

昨日夢ハウスに行ったとき、外国の方が5名ボランティアに来てくれていました。聞けば、「日本は日本人ばかりだから、日本語を話せれば大丈夫だけど、自分たちの国は色んな国の人が集まる所なので、共通語が英語なんです。覚えないと、生活にならないんです!」と、教えてくれました。ほとんど日本語が話せないと伺っていましたが、子どもたちも大喜びで、積極的に遊んでもらっていました。他国の皆さんと、盛り上がりながら話している姿を見て、私に子どもたちが

子ども「笹原さん、英語話せたんだね?」
私「いや、私は日本語しか話してないよ。」
子ども「えー!じゃあ、なんであんなに盛り上がってたの?」
私「そりゃあ、心が通じたからでしょ〜!♫」

そう、会話は一言一言を大切に心を込めると、きっと心がつながります!

そして夢ハウスの管理人の吉山くん、「毎日、本当に色んなことがあります。だけど、保護者や地域の皆さんも子どもたちの毎日を支えてくださって助けてもらいます。何より、毎日子どもたちの成長に出会えることが、僕の喜びです!」吉山くんに会ったことがある方は、よくご存知かと思いますが、彼はそういう青年です。きっと、精神年齢は200才くらいだろうねと、地域の皆さんと話していました。(笑)

そしてもうすぐ帰ってくる、くっそーの帰りが待ち遠しい、子どもたちでした。

以上、子ども夢ハウスおおつちの、用務員のお姉さん便りでした。