2015年8月12日

お盆

地域により日にちは少しずれることもありますが、今日からお盆の時期に入りますね。日本の昔からの習わしの、精霊馬。野菜で作って、仏壇やお墓に供えます。

きゅうりの馬に乗って、早く帰って来てくれますように、

お盆の終わりには、なすびの牛に乗って、ゆっくり帰ってもらえますように。

同時に、お盆の初めには「迎え火」
お盆の終わりには、「送り火」の行事が行われるところも多くあります。岩手県の場合、小さな松明を使います。

内陸は松明の先端に緑色付き
(場所・玄関先や山の入り口)

沿岸は松明の先端に赤色付き
(場所・玄関先や海の浜など)

昨日、福島県の常圓寺の御住職に教えてもらいました。

昔は迎え火や送り火に使ったものは、ゆっくり時間を掛けて燃える芋がらを乾燥させたものを使い、燃えている時間に想い出話しをしながら故人を偲んだそうです。

山や海で迎え火や送り火が行われるのは、昔から海や山と言う自然の中に霊域があり、亡くなった人はそこへ帰ると考えられていました。(確かに、お医者さんに教えてもらったことがあります。お看取りのとき、患者さんが先生に「先生、そろそろお山に帰るからね。」と言って息を引き取られたそうです。)

お寺の名前に◯◯山◯◯寺と、「山」という字が付くのは、山の山頂にある霊域のことを指しているのだそうで、大切な家族は、そこへ帰ると言う意味があるのだそうです。

中国では「◯◯海◯◯寺」と「海」が付くお寺が多く、やはり海の霊域、自然に帰ることを指すのだそうです。日本にも、数ヶ寺「海」の付くお寺があるのだそうです。

確かに、東日本大震災発生後に漁師のおじいさん方々とお話ししていたとき、みんな家族が見付からなくて、でも「海に帰ったと思ってるよ。私たちは、自然と共に生きているから。自然に生かされ、自然に帰る。」

震災初期に、宣承さん(お坊さん)が私にお話ししてくれたことと同じことを、漁師のおじいさんが言うもんだから、すごく驚いた記憶があります。

それから、海と山は別々にして考えてはいけないのだそうです。海も山も、大切な家族が帰る、それぞれの地域の人たちが大切にしている、大自然の大事な場所なのだそうです。

ちなみにダライ・ラマの「ダライ」は、「大いなる海」と言う意味なのだそうです。(おー!そういうことだったんだ!)

それから京都の方に教えていただいたのですが、京都では「六道珍皇寺」と言うお寺に、冥界の入り口があると1000年以上前から伝えられていて、多くの方が六道珍皇寺に、先祖を迎えに行き、送りに行くのだそうです。

地域により風習は様々でも、ご先祖様や亡くした大切な家族を思い、偲ぶ気持ちが伝統となり、悲しみの気持ちに寄り添ってくれる伝統的な風習になったのだと思います。

そして、チベットの葬儀についても色々教えていただきました。チベットも、亡くなった方の魂は山へ帰ると考えられているそうです。たくさんの旗を最後に立てるのだそうですが、風がフワァっと吹いて、その旗が揺れたら本人が来た証拠と考えられているのだそうです。ステキです。

何かしら、つながっていたいと言う気持ちと、何処かに居てくれる、存在してくれていると言う気持ち。そこには必ず神仏が居られて、委ね、安心出来る気持ちが昔から伝統として伝わっているのだと思います。

お盆と言う少しの間の家族団らんではありますが、素敵な時間を過ごされますように、お祈り申し上げます。ご縁をいただいた皆さんが、私のところにちょこっとでも寄ってくれるかしら?と、心待ちにしながら、本日の現場の出動の時間が迫ってきたので、少し寝ます。