「あら?もう一人居たよね?」
なぁんてことも、ありますね。
「誰だろうねー」
「本人かなぁ〜」
「いや、先に逝った◯◯が、迎えに来てさぁ、みんなと参加してたんじゃない?」
「あらぁ〜」
等々、素敵な時間へ移行していきます。さて、誰だったのか分かりませんが、一人多く居られたのは確かなようです。
ちなみに私は外食なんかをすると、いつもお水を一つ多く出されます。いや、そういう経験をしたと教えてくれる人も、けっこう居ますよ。店員さんは「??」と不思議そうにしていますが、私は、「また、誰かいっしょに来てたのかな?」と、お水をそのまま置いてもらいます。小分けのお皿をもらって、自分の食事を小分けして、お水の横へ置いたりします。電車に乗ると、私の隣の席をみんな空けていて、座らない。時々、その場所を見て微笑む人さえいます。「あら、今回の旅は何処かの子どもさんも一緒かな?」なんて、思うこともあります。
東北は、座敷わらしのふるさとですから、そういうこともありでしょうね。むかし、栄養が足りずに又は病気で亡くなったり、間引きされた子どもたちが多く、座敷わらしになったと言い伝えられていますから、座敷わらしと言っても子どもですから、生きていても死を迎えていても、私にとってその子たちを可愛いと思う気持ちには変わりありません。納棺の時間も、明らかに何か違うタイプの家の中で足音が聞こえると、「座敷わらし、騒ぎすぎだぞぉ。」と、東北の特にお年寄りは、いつだってそんな感じです。
もしかしたら皆さんも、一人多く数えていること、けっこうあるかもしれませんよ!座敷わらしだったら、お菓子を供えるのを忘れずに!