2016年2月28日

いのち新聞お茶っこの会、御礼

一言で言うと、こんなに深い時間がこの世の中にあったんだなぁ。という感じでした。

一人一人の東日本大震災を語り、経験を語り、現在・過去・未来に対する思いを語り、聞き入る時間。泣いたり、笑ったり、考え込んだり。

いのち新聞で初めて企画したお茶っこの会。今まで経験したことのない、深い深い時間でした。

みんなそれぞれがハードな毎日を送っているため、IさんとFさんと、夢ハウスの吉山くんと、『体はクタクタに疲れているんだけど(笑)、こんなにステキな人たちと一緒に生きているんだねぇ。』という、感動と温もりを実感したねと話し合いました。

会場の準備から終了まで、差し入れいただいた皆さん含め、お出でいただいた皆さん含め、一人一人がリーダーだったんだと思います。そして、一人一人が主役だったとも言えると思います。そして、一人一人が縁の下の力持ちだったとも、言えると思います。

本当に一人一人に感謝した、時間でした。

いのち新聞スタートの初期は、高校生だった子たちも今は大学生。『この会って、こんなに育つんですね。まるでいのち新聞は、生きているみたい。』と言う言葉も出ました。

『死』は、『生』を教えてくれるのかもしれません。私たちは、毎日色々なことに出会い、何事もないなんてほとんど無く、いつも何かに悩まされ、嘆き、悲しむことがあります。でも、その中でも誰かに支えられ、肩の力を抜いてみたり、笑うことを復活させたり、ただ生きているのではなく、死を知ったときには、生きていることを意識して生きるということに、出会わせてもらっているのかもしれません。

人は普段悲しみを、触れてほしくないから、悟られたくないからと、隠して生きています。だから、悲しみを持っていることに気付かれないことも多くあります。平気なフリをしていることも多くあります。だからと言って、悲しみがゼロになっている訳でもありません。

今日の会は悲しみとは何か、悲しみとの付き合い方や向き合い方、悲しむ方法などが話し合われました。

ボランティアをしてくれた中学生の皆さんは12名でした。『次は、いつですか?』『絶対に次も来る!』ってみんなが言ってくれた、嬉しい質問もありました。次回を全く考えていなかった大人のメンバーで、『え?んー、そうだなぁ〜・・・ 』と考える時間もありました。

中学生は新鮮です。話の中で、
中A『孔子って誰?』
中B『中国の偉い人でしょ?』
中C『孔子って、何歳?』
私『ざっと、2500歳』
中ABC『えー!!』

中D『お釈迦さんって誰?』
中B『インドの偉い人でしょ?』
中C『お釈迦さんって、何歳?』
私『ざっと、2500歳。』
中DBC『えー!!2500年前って、何かすごい!』
私『本当にねー!何があったんだろうね。2500年前ってね。』

中E『じゃ、後でお迎えに舞い上がる?』
私『何が、舞い上がる?』
中F『お迎え!』
私『舞い上がるって、こうだよ。(ジェスチャー)』
中EFG『(大笑い)』
中G『お迎えに上がる?』
私『その通り!その使い方で、オッケーです。(笑)』

そういうやりとりも、ありました。大人と話して、言葉を覚える。私も、そうやって学びました。本当によく動いてくれる、中学生の皆さんでした。ありがとうございました!

遺族・被災者であるIさんが体験談を話してくれました。みんな、涙を流しながら聞き入りました。そしてIさんが言いました。

『だけどね、この悲しみを全員に分かって欲しいとは思っていない。分かってくれる人にだけ、分かってもらえればいいんです。』

遺族は、何でもかんでもと言う欲のある人はあまりいません。人それぞれを、体験として知っているからです。そういう押し付けのない、ステキな人が多いです。

そして、いのち新聞お茶っこの会を終えて、みんな普段の生活に戻ります。

お一人お一人、たくさんの皆さんの御尽力に、心から感謝を申し上げます。本当に、ありがとうございました。

和歌山県新宮市で講習

現場での技術指導と、ご遺族のご希望に合わせた形に沿ったお別れのお手伝いのための、技術講習でした。

用意したテキストを1ページも開くことなく・・・。

講習を受けられる全員が、現場で活躍されていること、とにかく経験が豊富なため、現在までの現場での質問が次々と出て、特殊復元の質問を中心にお答えしていくと言う講習になりました。

皆さんから今まで独自で行ってきたことを伺い、感動の連続。出会えた方たちは、どれだけ支えられて来たことだろうと、技術と謙虚なグリーフケアのバランスに又、感動。

あまり話したことは無いことも、お話ししました。私には教えてくれる先生も居らず、私も全くの独学で歩んできました。とても孤独だっとき、ご縁をいただいた法医学の専門医から、答え合せをしてもらえるようになりました。その時に初めて先生に教えられた『グリーフケア』と言う言葉に出会います。そして、法医学の世界の悲しみや先生方々の使命感を教わりました。専門医が書いた法医学書を薦められ、その本が宝物になりました。そして今は、救命医、緩和ケア医、外科医、病理医、耳鼻科医、産婦人科医、小児科医の先生方々からも応援していただいて、体の仕組みについて現場後に答え合せをしてもらえるようになりました。専門医の先生方々に支えられて初めて、気が付いたことがありました。出来ないかもしれないと思ってしまうとき、誰のせいにも出来ないのが現場の厳しさです。出来ないかもしれないと思う気持ちは、結局私は、自分の弱さに負けそうになっていた。患者さんをずっと思い続けるお医者さんに支えていただけるという感謝の気持ちが、弱い自分の背中を押してくれる勇気につながること。病院からも司法からも引き継ぐ責任を、大事にしたいと思うようになりました。自分が現場で抱える悲嘆が、グリーフケアと同じ状況であったことに気が付きました。

だから講習中に出る質問の中にある、もっと出来た事があったのではないかという悲嘆、故人を思う熱意。ご遺族の気持ちに真剣に向き合う、真摯であり且つ底知れぬ情熱。その思いの中にある、揺るぎない軸。そして、チーム力。頭が下がる思いでした。誰のために何をするのか、的を得た質問に、こちらも真剣になりました。

1をお伝えすれば10を知り、それを更に育み、困難に向き合い開拓する力を持っている方々だと思います。悲嘆を知り、苦しい経験をし、踏ん張って来た人はみんなそう。傷付いた経験をしたことのある人は、支え方を知っていて、人を傷付けません。そういうチームの皆さんでした。本当にとてもステキなご縁をいただいたと思います。

何かに挑むことは、実はとても勇気の要ることです。でもその勇気の先には、誰かが笑顔になってくれて、雰囲気がガラッと変わる瞬間に出会えます。その雰囲気が、故人が家族に遺してくださったものだと私は思います。今回の講習も、その雰囲気を経験していただけました。技術は、故人の『いのち』が遺した人に、生きる意味を教えてくれて、生きることを支えてくれるきっかけになると思います。

三日間、お世話になりました。皆さまの益々のご活躍をご祈念申し上げます。ありがとうございました。応援しています!



2016年2月23日

水沢学苑看護専門学校授業

非常勤講師をさせていただいております、もう6年目くらいになるでしょうか。今日は一年生の皆さんに向けて、90分の授業を受け持ちました。

『実習は、行きましたか?』
『はいっ!』

質問により、その内容により、みんなの表情が色々と変わり、あぁ、実習で深いご縁をいただいたんだなぁと感じながら、皆さんが出会った患者さんから何か大切なことを引き継いだような気持ちで、今日は過ごさせていただきました。

いつもは授業が終わってから、先生方々と少しお話をさせていただいて帰ってくるのですが、今日もとっても現場が立て込み、私も次の現場、次の現場へとつなぎで走っていました。

ご遺族が初めて見る現象で、お手当てを終えて説明を求められたこととして、腐敗網(腐敗初期に出る毛細血管の変色)が出ていたり、死斑(元気だった人に出る青から赤へ、紫から黒に変わっていく色)が出ていたり、皮下水泡(点滴を頑張った人が起こしやすい、下になっている背中などに出来る大きな水泡)が破れていたり、ご遺族が不安になっている現場に走り、お手当てをして体液を止め、変色を直し、臭いを消して表情を戻す。時間が限られていることと、あまりお待たせすると不安や悲しみが深くなるので、色んなことに気を付けながら進めます。

解決した後は、ご遺族の質問が多く出るので、それに答えていく時間を迎えます。不安を、安心に変える作業です。

『本当は触りたい。でも、こわい。』

状態が安定していないと、当然、誰もがそう言います。最初にそう言っていたご遺族も、

『寝てるみたい。』
『息してるんじゃない?』

お手当て後の故人に自然に触れて、話し掛けながら頬に手を当てたり、髪をとかしたり、自由に手直ししたりして、過ごされます。

『そういえば、全然寝てなかったけど・・・、眠たくなってきた。』

安心すると発生する眠気が、ご家族のお体を守ってくれます。人の体は、素晴らしい作りだなぁと、いつも感心します。故人の横に添い寝してみたりして、自由に最期の時間を過ごされます。

『靴下、2枚履いているんですか?』

玄関まで送ってくれたご遺族に聞かれ、『年を取ると、足腰冷えるもの』と答えると、

『年に関係なく、寒い時は、寒いですよ!』

と励ましてくれる子がいました。可愛いなぁ、故人といつも、そういう思いやりのある会話をしていたんだなぁって、癒してもらえるのも現場のステキなところだと思いました。

現場を終えて真っ暗な外へ出ると、今日は雨から、雪に変わっていました。通りで、昨日寒かったもんなぁと、思いながら、車に乗り込みました。

さて、明日も忙しい。頑張ります。



2016年2月22日

いのち新聞『お茶っこの会』

今日は、いのち新聞の集まりの日でした。来週日曜日の準備を着々と進めています。

いのち新聞『お茶っこの会』は、この度、北上市に後援をいただくことに決定しました。

企画    いのち新聞『お茶っこの会』

開催日  2月28日(日)
時間     13時〜17時

《主催 》   いのち新聞
《後援 》   北上市

《場所 》   北上市さくらホール
                  一階   大アトリエ

《写真展・パネル展・映像コーナー》
①東日本大震災写真展
②おもかげ復元師震災絵日記パネル展
③子ども夢ハウスおおつち写真展
(①②③合わせて全67枚)
④東日本大震災写真映像コーナー
(スクリーンに一枚5秒で、一回約20分の写真がながれます。)

《対象》
今回はいのち新聞のメンバーの中の、東日本大震災に於いて被災したメンバーが中心になって開催するものです。対象は、内陸・沿岸・県内外、年齢問わず、東日本大震災に於いて被災された方。東日本大震災の関連でご家族を亡くされた方。東日本大震災に於いて捜索など含めてご支援いただいた方。

《目的》
『今年はパネル展はやらないの?』とお声掛けいただいたこと、皆さんの今の気持ちを聞かせていただいて、ご希望に沿って、お茶っこを開催する運びとなりました。東日本大震災から5年を迎える今。少し揺れる気持ちを、ひとときですが共有しながら、ゆっくり話し合ったり、じっくり考えたり出来る環境を整えています。

《参加費》無料

《お世話係》
小学校、中学校、高校生の子どもたちがお手伝いをしてくれて、お茶っこテーブルまでお飲み物をお持ちします。ゆったりした気分で、首を長くしてお待ちください。

《差し入れ》大歓迎!

*キッズルームがあります。お子様連れでも大丈夫です。

《つぶやき》
現在、大分県でおもかげ復元師の震災絵日記パネル展、東日本大震災写真展を行っていただいております。去年の秋から、今年の春まで市役所二ヶ所、道の駅、図書館、デパート、公民館など7つの会場を旅させていただいております。

たくさんのテレビや新聞にも取り上げていただいて、ありがとうございます。大分県を旅しているパネル展をご覧いただいた皆さまからのメッセージなど、このパネル展を担当してくれている宮古市出身のFさんから、今日、報告をもらいました。

28日のお茶っこの会のお茶っこコーナーに、置かせてもらおうと、今日、みんなでファイルをしていました。

その中に、ステキなお話がありました。会場に鈴の音が聞こえて来て、鈴の音のする方を見ると高齢の腰の曲がった女性が、来場してくださったそうです。聞けば、二時間かけて電車を乗り継いでお出でいただいたそうで、『新聞の記事を見て、来たかったから。』と言っておられたそうです。その方は、パネル一枚一枚をじっくりと見て居られて時折、頬に流れてくる涙を拭きながら一枚一枚に手を合わせて下さったそうです。約二時間を掛けて、会場のパネルを見ておられて、鈴の音が遠くなり、ゆっくりと帰って行かれたそうです。

今日はみんなで、いただいたご報告を拝読し、号泣。鈴の音・・・、高齢の女性・・・、2時間・・・。せめて、お名前を!と、思わず言ってしまった私でした。パネル一枚一枚の、お空に行かれた皆さんが、手を合わせてもらえて一番嬉しかったのかな。思ってくださる方の心に、ずっと生き続けてくれますから。ご縁をつないでいただいた、皆さんに感謝をさせていただいた時間でした。

28日は、お茶っこコーナーに、置かせてもらっています。鈴の音のお話し、会場で見つけてみてください。会場内にはティッシュを5箱、各場所に設置しています。ゆったりした時間を、どうぞお過ごしください。

いのち新聞編集部一同


2016年2月20日

聖和学園短期大学講演

宮城県仙台市にある聖和学園短期大学の介護福祉科の皆さんと、地域の福祉に携わるお仕事をされている皆さんに向けて、お話しをさせていただきました。

午前中は、地域にもう1つある大学の介護福祉科の皆さんと事例検討会の発表をされていたそうです。私は午後の約2時間の講演を担当させていただきました。

私も普段はご遺族含め、色々な立ち位置の方々と福祉の話しを聞かせてもらったり、直接ご縁があったりすることも多くあります。みんなそれぞれの考え方があるのは、目の前の一人一人に向き合われているからだと思っています。福祉の世界にも、未来に向けて時代を担ってくれる若手の育成含め、課題がたくさんありますと、学長さんが教えてくださいました。

学生さん以外に、せっかくだからと一般席を用意したそうですが、すぐにいっぱいになり、たくさんの方をお断りしなければならなかったと、担当の先生方々が教えてくれました。実際に講演がスタートして、会場内に社会人の方も多かったように見えたので、けっこう頑張って席を作ってもらったのではないかと感じました。会場は、超満員でした。

後ろに座っていた学生さん方々と、ちょっと距離があったもので、『見えますか〜?』と声を掛けると、立ち上がって合図をしてくれる子たちも居て、可愛いなぁと思っていました。私もそんな、素直な時がありました(⁉︎)。過去の過ぎ去った、青春(今、青春のこと、青春とか言うかしら?)の中の話です。皆さん、現場の話しを泣いたり笑ったりしながら、一人一人の人生について、一生懸命聞いてくれました。ありがとうございました。

学長さんと、控え室で講演前と後のお話しが尽きず、元々行政に居られて福祉の開拓をされていたご経験と、お身内に司法試験に合格された司法関係の方が多く居られるとのことで、公開されていない部分にある司法の重要性について等々、現場の中にある日本の司法の凄さを語り合いました。

一例として例えば事件性のあるご遺体は『司法解剖』が行われる訳ですが、この場には『法医学』を専門とした、知識や経験の豊富な医師が執刀し、同時に担当刑事、担当検察官が立ち合い行われます。ご遺体はそのままを教えてくれて、嘘をつきません。そういうご遺体から読み取れる全てのことを司法のチームがご遺体から情報として、背景を知り、捜査を深めていきます。司法の世界から、故人の尊厳を守ると言う視点がある訳です。ご遺体が事件の証拠となる場合、DNA鑑定が必要な場合には、結果が出るまで通常では納棺や火葬が一週間〜10日後などになる場合があります。と言う内容が背景や状況として、復元の時間はセットになっています。なので、グリーフケアも、復元の現場は少し異なります。東日本大震災では、発生から長い安置所では3ヶ月間は、全国各地から法医学(者)の医師が警察官と安置所に詰めて、御尽力くださっていました。

学長さんは、行政にいた時に新規火葬場の立ち上げにも御尽力されたそうです。火葬場は、法の定めにより色々と取り決めがあります。火葬場では故人の体の大きさで火力調整をして、『小さな子どもたちも、ちゃんと骨を残してあげたい』との思いで、色々と奮闘されたそうです。

以前、子どもさんを亡くしたお父さんから連絡をもらったことがありました。いっぱい泣いて、いっぱい抱っこしてもらって、この子はお父さんとお母さんと、体のある最期の時間を過ごしました。

『笹原さーん!女房と、うちの子どもが空に上がって行く所を見送ろうと、火葬場の外に出て来たんだけど、火葬場に煙突がな〜い!!』

『そうなんですよ!新しい火葬場は、煙が出ない仕組みになってまーす!だけど、目には見えないけど、お空に上がっているはずだから、見送って下さ〜い!』

『りょうかーい!女房にも伝えて、もう少し外にいることにしまーす!』

火葬場も、人生の節目として存在している場になります。死の世界には、生きるための情報が実はたくさんあるんですと、今日も皆さんにお伝えしました。

人生の最後に携わる福祉のお仕事、求められること、疾患も色々と増えてきて、平均寿命から健康寿命と呼ばれることも増え、個々の考え方や希望の違いもあり、様々なことが求められるようになり、福祉の世界も大きく広がってきたと思います。

悲しいニュースになるような現場は、その行為が犯罪であり許せないものです。善悪の判断が出来る人になることは、とても大切なことです。善を選んだとき、悪を選んだときの先を予測する力を付けることもとても大切です。真っ直ぐに利用者さんの、お年寄りに向き合われている福祉のプロを私はたくさん知っています。プロの人たちに支えられ、生きている人たちもたくさん知っています。どんな仕事も要は『人』、人間力だと思います。背すじを伸ばし、心を正し、よくよく話し合い、価値観をすり合わせ、一番良い形を探すのは、どのような業種も共通するものだと思います。と言うお話しも含めて、今日はお伝えしました。皆さんにお会い出来たこと、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

子ども夢ハウスおおつち

1月、2月と非常に忙しくて、私もなかなか思うように夢ハウスに行けずに居りました。

藤原代表が大槌入りされるときに北上市で会議と打ち合わせの時間を作っていただいたり、また別に夢ハウスの管理人の吉山くんが、大槌町から北上市まで片道二時間かけて来てくれて打ち合わせしたりと、メールや電話も活用して、親子のような藤原代表と吉山くんに配慮いただきながらの毎日でした。子どもたちとも、先月今月と私は電話やメールでやりとりしています。

子どもたちの生活の中、その移り行く背景と環境。復興が進んで欲しいと思う中、目まぐるしく変化する環境に対し、現在・過去・未来を照らし合わせる中、心に波が起きる人が出るのは当然で、子どもたちがどのように対応出来るかを、学校の先生方々や行政、地域の皆さんと、向き合い方含めて話し合いながら今月も後半を迎えました。

東日本大震災から5年を迎える今年の3月11日の件です。夢ハウスでは去年までは、多くの皆さまにご支援いただき、亡き家族にお手紙を書いて付けた風船を空に飛ばすなどで過ごしてきました。ご協力いただき、ありがとうございました。ただ今年は、地元関係者の、子どもたちの希望により静かに過ごそうと言うことになりました。

この時期に入り更に被災者の皆さんの、遺族側としての気持ちの波が非常に大きくなって来た人も多くなりましたので、ここでお知らせをと思います。

夢ハウスに去年までお迎えしていたたくさんのお客様ですが、今年は御遠慮いただければという方向で決定致しました。もっと言うと不在になっているので、失礼してしまうことがあることを含めてですが。遺族の立場である被災者の皆さんの気持ちを察していただき、亡き家族を静かに思う時間に、ご理解・ご協力・あたたかく見守っていただければと思います。

ご支援をいただいています皆さまには、5年目の命日の日を、どのように過ごしたのか、子ども夢ハウスおおつちのブログにて、お知らせをさせていただく形になるかと思います。

いつもご支援、ご寄付いただいている皆さまに、心を寄せていただいている皆さまに、深く感謝を申し上げます。今後とも、変わらぬご支援を、よろしくお願い致します。

対応に追われている吉山くんが余りにも大変そうなので、取り急ぎこの場をお借りしての、報告とお知らせでした。

動物たち 2

東日本大震災の安置所に於いては、犬や猫などの動物の亡骸が集められていた棺がありました。1つの棺にたくさんの動物が安置され、いっぱいになると火葬されていました。人に害をもたらすこともある、亡骸に発生する感染症や様々な害虫の問題などを考えても、素晴らしい判断だったと思います。安置所の警察官に教えてもらったところ、「今ね、捜索に交番勤務の警察官もたくさん入ってくれているんだけど、同じ『いのち』だからって、安置所に連れてくるんだよ。」私はそれを聞いて、気持ちがとても癒されました。

遺体の検視が必要な場合には、警察署の刑事課の刑事さんが基本関わってくれるのが通例ですが、震災の場合は緊急性を要していたこと、広域の災害だったことで応援に来てくれた警察官は、刑事課ではない警察官も多く入ってくれていました。初めて見るご遺体に戸惑ったこともあったのではないかと思います。使命感に、頭が下がりした。震災が発生した年の、夏前のお話しです。

その後、仮設住宅に住む方々とご縁を多くいただきました。一人の高齢の女性から、話して欲しいと言われて、集られた皆さんに向けてお話しをさせてもらったことがありました。

「安置所の中では、たくさんのおまわりさんが、同じいのちだからって、動物の亡骸を安置所に連れて来てくれて、手を合わせてくれていました。」

震災前から、震災後に、一人暮らしになった人たちがたくさん居られましたが、皆さんは犬や猫を家族として一緒に暮らしていたのだと話してくれる人たちも多くいました。「ずいぶんと探したんだけどね、見付けてあげられなくて・・・、そうだったんだね。ありがたい。」と泣き崩れる方も居られました。

そういう地域への配慮をしてもらっていた、というお話しでした。人の思いやりを当たり前と思わず、それを知ることで偲ぶ気持ちを持たせてもらえたこと。大切な存在の背景として、死の存在の中にある、知らなかった思いやりを知ったとき、遺された人たちの生きる力に変わります。静かに感謝する気持ちを、被災者の皆さんと共有する時間でした。

2016年2月19日

動物たち 1

お家で飼っている動物が普段通り過ごしている中で納棺を行うこともあります。犬や猫やウサギ、時にはイグアナ(!!)等々、ステキな動物たちに出会うこともあります。

鳥が部屋の中を飛んでいて、巫女時代に頭に付けた「かんざし」と「のし」の間に空を飛んでいるカラスにウンチを落とされて大変なことになった経験を持つ私は、今この時もウンチが落ちてくることを覚悟しながら納棺を進め・・・、結局、故人のおでこに鳥が止まって「・・・。 」ということもあります。このような場合は冷静に、静かに。手を出すと手に乗ってくれるので、棺のヘリで見守ってもらいます。後で聞いたら、頭に止まるのが好きなインコだったそうで。故人の頭に、よく乗っていたのだそうです。いつも通りのことだったんですね。

猫ちゃん・・・。メイクボックスを開けたまま作業中、その中ですっかりくつろいでいたり・・・、びっくりして2度見しました・・・、可愛すぎます。泣いているご家族の気持ちが落ち着いてからと思って、棺の蓋を開けたままにしておいたら、入ってしまっていた・・・ということが度々あります。お布団から棺に移動した時、棺に入った猫ちゃんに誰も気がつかず、体を納めたら故人の重さで「ニャー」みたいな・・・。

「猫って、箱が好きだから〜♬」

さっきまで泣いていたご家族を、笑顔にしてくれる猫ちゃんは、すごいです。

「本人が可愛がっていた猫だから、一緒に入れてやるべ〜(いたずらっ子の目)」と言うお年寄り。(ジョークですよね⁉︎)

箱が好きだから・・・そっかぁ、棺も箱だもんなぁ〜。

感心させられる場面もあります。私は動物が大好きなので、動物が居ても全然苦になりません。

犬が棺の中を覗き込む姿には、故人を偲ぶ姿なのかなと、犬が納得するまで覗き込んでもらうこともあります。犬は、故人が痛かったところを教えてくれたり、私の腕の上に前足を乗せて色々とアプローチをして、何かしらを教えてくれることがあります。いつも通り「ん?どうしたの?」と声を掛けたら、すごい勢いで尻尾を振り、顔をなめられて、押し倒されて、結果メイクが取れたこともありました(笑)可愛すぎます。

家族という意味は「人」だけじゃなくて、一緒に苦楽を共にして生活をした、いのちあるもののことを指すんだなぁと、学びます。現場で故人を偲び心配しているのは、動物たちもみんな一緒です。真っ直ぐな気持ちで飼い主を信頼する彼らの姿は、人が持ち合わせていない忠誠心、彼らの歴史の中で培われた優れたheartを持っているのではないかと、いつも思ってしまう私でした。


2016年2月17日

マンツーマンセミナー宮古市

滝沢南中学校の授業を終えて、マンツーマンセミナー現場技術指導のため、その足でそのまま3時間掛けて(岩手県は広い!)一泊二日で宮古市へ向かいました。

セミナー更新情報取得のため、定期的にマンツーマンセミナーを受講されている、宮古市で頑張っているNさんとチームの皆さんです。

Nさんは東日本大震災のときに宮古市の遺体安置所を中心として、山田町、大槌町、釜石市のエリアでずっとお手伝いをしていました。当時はNさんを必要としている現地の人たちにつなげながら、私もずいぶん助けてもらって、Nさんと連絡を取り合いながら声を掛け合い、情報を交換しながら走っていました。「戻して差し上げたかった」の思いが、Nさんの技術をどんどん高くしていると思います。今回は現場での技術指導とのことでしたので、そのようなながれの中で進めながら、技術が毎回レベルアップしていることを感じていました。Nさんの技術課題をクリアしながら、又、新たな課題を見付けながら、宮古市を後にしました。けれども毎回感じることは、「悩むより、動け。動いてから悩め。」をモットーに現場に走るNさんに頭が下がる思いですが(Nさんは動くための基本的な力を持って居られるので、人に嫌な思いはさせません。)、同時に亡くなられた方の背景を大切にしているNさんに、人の温もりを感じることも多くありました。

被災地ではあるけれど、やっぱり美味しい海産物が豊富です。是非ともお出でいただいたときは、召し上がってもらいたいと思った、食いしん坊の私でした。

東日本大震災後の支援のため、復興のため、全国各地から家族の元を離れ、長期間単身赴任で御尽力いただいている様々な職種の皆さんが、被災地沿岸には多く居られます。心から感謝を申し上げる次第です。

滝沢南中学校

滝沢南中学校の2年生の皆さんに向けて、学年主任の先生からのご縁で、「職業人」としての様々なこと、いのちとの関わり方含めてのお話しをさせていただきました。

校長先生は、東日本大震災発生時には被災地沿岸の勤務で、いのちに向き合う様々なご経験をされていました。

生徒さんたちの様子はと言うと、最初はものすごい警戒態勢で(私が、どこの誰だか分からないので当然だと思います(笑))、眉間にシワを寄せてみたり、考え込んだりという姿が多く見られました。しかしながら、少しずつみんなにインタビューなどを行い、皆さんが考えていることと、社会に向けての一人一人の責任についてすり合わせてみたりする中で、とってもステキな答えを出してくれる生徒さんたちも居て、私が生かしてもらっている「死」の世界の中で、現実的な情報を伝えると、少々驚きながらも質問が出てきたりして、真剣に「いのち」について、個々にとても積極的に考えてもらえた時間になったと思います。

最初は眉間にシワを寄せていた生徒さんたちでしたが、授業が終わる頃になると、一人一人にしかない、ステキな表情を見せてくれていました。

目の前の一人の人には、必ず背景があります。悩んでいることも含めて、様々な感情を持ち生きています。人の行動には、必ず意味がありますから、社会に向けての責任と、対人関係では価値観などをすり合わせながら、生きていくと心がすれ違うことは少なくなるのかもしれません。

目の前に見えていることと、見えていないことを含めて、一人の人であること。大人になり、一人の社会人として伝えられることはそういうことなのかなと・・・。社会人の仕事は、社会に貢献すること。学生の皆さんの仕事は、大人になる準備として、一般常識を身に付けて、コミニケーション力を身に付けて、チーム力を学び、お勉強すること。私も色々考えさせてもらった、皆さんとの時間でした。退場の時には、みんな手を振って見送ってくれました。また、会えるかな?風邪など引かずに、皆さんが元気で過ごしてくれますように。

《おまけ》
校長室から、体育館までの送り迎えを一人の代表生徒さんが担当してくれました。一緒に歩きながら、

「やっぱり今の子って、ゲーム好きなの?」と聞いてみました。「はい!」と元気に答えてくれた後、

「自分でゲームをする時間をコントロール出来なくて、でもゲームはやりたくてという悪循環だったんです。色んなやらなきゃいけないことが、分かっている分、けっこうなストレスになっちゃって。悩んでいたから、先生に相談したら、「家に帰ってもゲームをしちゃうなら、学校に残って、勉強してみたら?」って言ってもらったので、今は、そうしてます。コントロールの仕方を先生に教えてもらいながら、やってました。」と満面の笑みで教えてくれました。ストレスコントロールは、社会に出ても必須です。学生の内から、学べるってステキだなぁ〜と思いました。

2016年2月13日

日総研さん、仙台セミナー

現場の中のグリーフケア(悲嘆の援助)と種類や仕組み、つながりを含め、医療・介護職の皆さまに向けて10時〜16時の1日セミナーを務めさせていただきました。

東北6県エリアからお集まりいただきました、本日の仙台の会場。遠くは、静岡県から!お越しになられた方も居られました。

岩手県にいるときは、ほぼ現場をつなぎながら走っています。先日の納棺では「本人のマイナンバーカードって、棺に入れた方が良いの?」とご遺族に聞かれてみたり、「私は、生きてますか?生きてる人も、誰かがあなたは生きていると証言してくれないと、不安になりますよね。」等々、現場でのご遺族の心情をお伝えしました。私たちは誰かが認識してくれたり、評価してくれたりして生きていることが、当たり前になっているのかもしれませんね、等々のお話しも組み込み、進めました。「本当だ〜!」なんて声も、上がっていました。

様々な体験談の中から、皆さんの現場に活かしていただけるように、技術面を含めてのセミナーとなりました。

恒例のセミナー終了後のサイン会には、沢山の方が並んでくださって色々と皆さんの現場の貴重なお話しを伺いました。特に東北エリアは、今も東日本大震災と生活が重なっていることが多くあります。そうじゃないことも、あります。時代が経験した社会の中に生きる一人一人として、これからを考えていかなければならないことも、実はたくさん存在しています。

グリーフケアのセミナーは、残すは岡山県と福岡県の2会場で、終わります。春からは、新講座で又、全国の会場を回ります。皆さまにお会いできること、楽しみに致しております。

2016年2月11日

「いのち新聞」からのお知らせ

「いのち新聞」からのお知らせです!

平成28年2月28日(日) 北上市さくらホールにて開催いたします。
詳しくは↓↓↓


2016年2月10日

新潟県曹洞宗第4宗務所さま

布教、人権講習会の講師としてお声掛けいただきました。10月の寺族(お寺の奥さま)大会さまに続いて、今回は僧侶の皆さまに向けてのお話ということで、第4宗務所の僧侶の皆さまに、昨年に続きお世話になりました。

僧侶(お坊さん)のお勤めの中には、人生の壁に当たったときなど、今をどのように生きたらよいのかという多くのお知恵をいただける「法話」という専門的(だけど、とてもわかりやすい)なお話しがあります。現代でも多くの人がお寺にお参りに行く目的の一つとして、その法話を求めて足を運ばれる方も多く居られます。(納棺業の場合は、前後・間にお勤めがあるので法話を聞かせていただける機会が多くあります。)

今回は、12年の篭山行を満行後、3年間のインド修行をされた天台宗の、京都・大原三千院の門主、堀澤祖門師(大阿闍梨)の後に、90分のお話しをさせていただきました。

私がさせていただいたお話の内容としては、東日本大震災の中にある司法、死後変化と遺族心理など、お別れの時間からの情報を様々にお話しをさせていただきました。宗派を問わず元々お坊さんはお知恵をたくさんお持ちなので1を聞いて10以上のことを得られますし、一つ一つのことを一緒に考えていただけたりするので、お話しをさせていただく側としては、とても気持ちが穏やかです。私もたくさんの学びをいただきました。大変お世話になり、ありがとうございました。

もうすぐ震災から、5年の命日を迎えます。皆さんがそれぞれに、今の時間を過ごして居られると思います。昨年の秋ごろから、沿岸被災地で「子どもの幽霊が出る」と、現地の色んな方から連絡をいただいておりまして・・・。家族を亡くした人たちにとっては、人ごとでない訳です。教えてもらって場所は分かったけど、どうしたら良いものか・・・。安置所で安置されていた子どもたちを思えば、帰るお家も家族も無いのかな?と、心配しています。「一人で遊んでいる」なぁんて聞いてしまえば、放ってはおけないし、私に出来ることと言えばせめてお線香くらいは、上げてあげたい・・・(火は危ないので、お線香を置くものを持って行き、お線香が燃え尽きるまで手を合わせ、お水をかけて灰ごと持って帰ります)。時間を作って、回って来ようと思っています(子どもだから、夢ハウスの管理人、吉山くんを誘うかなぁ〜)。子どもって、生きてるとか亡くなってるとか関係なく、手が掛かって可愛いものだなと思いました。不思議なもので被災地では今現在でも、そういう目撃談が実はたくさんあります。

「怪談」というよりは、幽霊と呼ばれてしまう本人にしてみればただ「生活」しているだけなんじゃないのかなと、思う今日この頃です。この子たち一人一人が誰かの大切な家族には変わりません。昨日は、お話しをさせていただきながら、この話しはしませんでしたが、

彼らがどうか、神仏のご加護をいただいて、寂しくなく、笑顔で過ごしてくれますように・・・。

と、思いながら僧侶の皆さまに気持ちを委ねた時間でもありました。







2016年2月6日

安置所に行けなかった人

東日本大震災から2ヶ月が経ったくらいから、「家族が行方不明なんだけど、実は遺体がこわくて、安置所に通えていない。」と、家族を捜している人たちから声を掛けられることが多くなりました。

亡くなられた方の死後の変化は、その意味が分かっていてもトラウマになることがあると思います。それは、気持ちの中に二つの悲嘆があるからかもしれません。

一つ目には、大切な家族が本当に死を迎えるのかという悲嘆。
二つ目には、大勢の人が一度に亡くなられた目の前の現実の光景への悲嘆。

そういう気持ちの中で遺体に対面したとき、通常の生活の中には無い、人が起こす変化とは思えない変化が遺体には現実に起きていました。

東日本大震災の場合には、家をなくし、町をなくして見たことのない光景になり、親戚や知人もなくし、家族もなくしているという、たくさんの悲嘆がありました。

生活の中の悲嘆を探してみると、物を壊したとき、傷付く言葉を投げかけられたとき、嘘や秘密がバレたとき、仕事が上手くいかないとき、失恋したとき等々があり、生活の中にもこれだけの悲嘆がある訳です。悲嘆の大きさや深さは、その人がその悲嘆に対しての思いの深さが、悲嘆の大きさになってきます。

一つの悲嘆を持った時、必ず人は自分のペースが乱れます。それがいくつも重なると、自分が壊れてしまわないように、人は防御本能が働きます。自分を守る手段が働く訳です。

だから、「安置所に行けない」という言葉も、状況がわからない人にとっては、「何故?」「どうして自分の家族を捜さないの?」と思うかもしれませんが、その人たちは一人ひとりの限界が違うので、私はそれで良いと思いました。自分が壊れてしまわないための、防御だからです(防御も、人に迷惑を掛ける防御はいけない。中には、そういうこともあるので。)。

それで良いと言ったのは、安置所の中では、そういう人のための配慮があったからという意味もあります。

警察管轄の安置所の中のことは、司法が関わるので細かなことは言えませんが、遺体を直接見なくて済むような配慮がいくつもなされていました。前例が何もない状況の中で、その一つ一つが人の心に添った形だったと思います。その中に、DNA鑑定というものもありました。安置所に行けない理由としては、「遺体がこわくて。」と、「向かうための足がない。」安置所はいくつもあったので「体力が持たない。」等々がありました。安置所に行かなくても、DNA鑑定の申し込みをしていれば、ちゃんと警察から連絡をもらえます。

現在、岩手県では1124人の行方不明者がいると言われています。一という数字に対して、例えば家族が3人いるとしたら、悲しみの中にいる人の人数のおおよそが分かります。プラス、友人や知人、親戚の人数を足すともっと増えます。そうやって現場の中では「1」という数字に対しての、その人の人生としての背景や関わりを考えていくことが大切になります。まだまだ、大切な人の帰りを待っている人たちがたくさん居ます。

「安置所に行けない」と話してくれる人たちと何を話しているかと言うと、トラウマになっている死後変化は解決できます。そういう方法があります。その後に安置所の雰囲気を、話して聞かせてと言われることも多くありました。

安置所は、「遺体安置所」ですから、法に基づいて大きな建物が選ばれていました。当然、ご遺体も多く安置されていました。守ってくれる人、家族に会いに来る人、捜す人、安置所の地域の人たち等々、そこには生きている人たちも、もちろんたくさん居ました。

「笹原さんが安置所に行ってくれるから、自分も行って、通ってる気持ちになれる。」と、話してくれるご遺族もたくさん居ました。体の特徴を教えられて、安置所を回りながら捜したこともありました。(そういうときは、復元の合間に警察の受付に行きます。もちろん。)

今の時期は、「まだ見付からないんだよ」という連絡を多くいただいています。「幽霊でも良いから会いたい」と、話してくれる人も多くいます。

「幽霊で出てくるときは、効果音と共には禁止!死後変化を起こしていない姿で!生前のままじゃないとダーメ!」

が、ご遺族の皆さんの共通意見でした。怖いのは、私もダメなので、同感です。出てくるときは、さわやかに宜しくお願い致します。

2016年2月3日

安置所からの移動

岩手県の面積は、四国4県を合わせた面積よりやや狭いくらいと言われているくらい、広いのです。移動時間を考えてみても、私の住む内陸の北上市から沿岸の陸前高田市、大船渡市、釜石市は市街地まで片道1時間半、大槌町までは2時間、山田町までは2時間半、宮古市までは3時間、洋野町までは4時間と、沿岸部へ行こうと考えたとき、片道だけでも車でそのくらいの移動時間が掛かります。

元々、納棺業は移動しないとならない仕事なので、移動自体は正直、苦になりません。が、一般的にはどうでしょう・・・。その人の生活の中に、それだけの移動がなければ、もちろん移動自体が勇気のいることなんだと思います。

東日本大震災では、あの大きな地震の後に停電が発生しました。建物の電気、信号機、電灯、あらゆる電気が付いていない。信号機が止まっているのに、普段なら居てくれるはずの警察官が一人も居ない。それはもう、心細いものでした。

そう、警察官はほとんど、沿岸で発生した大津波で被災されて亡くなった方々の捜索活動、そして瓦礫の中から見付けて、そこから出して、運んで、検視後に安置してもらう・・・。警察管轄の安置所に居たのです。

安置所の中は、大勢のご遺体が安置されていました。見付けてもらった人たちが運ばれてくるのは、大きな自衛隊車両や警察車両で、初期の頃にはほとんどの方が「身元不明」でした。

そういう状況の中で警察管轄の安置所を走り回り、何か所も回って自分の家族を見付けた人たちも沢山いました。ガソリンも手に入らない状況の中で、やっとの思いで内陸に運んでくることが出来た・・・・と思ったら、内陸の身内の人が掛ける言葉は、

「何故、こんなに時間が掛かったのか」

でした。「やっとの思いで連れてきたのに」と言いながら、大声を出して発狂して、気を失う方々も居ました。疲労困憊、PDSD・・・。気を失っても、記憶にうなされて汗をかいて目を覚まし、深い眠りにも入れない。被災者と呼ばれるご遺族の、そういう状況を沢山見てきました。

「まだ、お別れをされていないので、日を改めてお出でいただけないでしょうか?」と、間に入ることも沢山ありました。

「悪気はなかった・・・。 」肩を落として帰られるお身内に、「家族や近しい方を亡くされた被災者の皆さんのほとんどが、今は自分をとても責めている時期です。だから、掛けられる言葉が気に触れることもあります。(中略)どちらも、悪気は無いのだと思います。(後略)」と説明をしたことが、何度も何度もありました。

警察管轄の安置所で身元確認をされた方々は、地元の安置所に移動して、地元の方が管理者として管理してくれる安置所に安置されていることも、初期には多くありました。行かないと人数が分からない。声を掛けてもらって到着して、いつも入り口で立ち止まり、人数を見てショックを受けて、大きく深呼吸をしてから手を合わせて、安置所に入って行ったことを思い出します。

「どんな声を掛けたら良いのか」と悩む人は多いけど、そんな時こそ、そっと見守る方がずっと深い思いやりということもあるものです。それを伝えたくて、前置きが長くなりました。

想い出深いエピソードを最後に・・・。泣き疲れたお母さんに、しばらくして優しい息子さんが声を掛けました。

息子「お母さん、すごく疲れてるよ。だって、ミツエになってる。」(ミツエ?光恵?三恵?何の意味だろう?←すごく考え込む、私の心の中の声)

母「ミツエ?」(あ!やっぱりお母さんも分からなかったんだ!←私の心の中)

息子「目が、ミツエ!」

母「三重(みえ)でしょ?三重!」

息子「ミツエだよ!」

母「やだぁー!意味わかんない(笑)三重と漢字で書いてごらんよ!そういう意味でしょう?」

息子「あ!本当だね(笑)」

泣き疲れると二重の目が一重に見えたりすることもあるし、この場合は二重の目が三重になっていると言う意味だったようです。このように、笑いも出ます。疲れたり、泣き続けたりすると、そうなります。でも、お別れの現場で笑いが出る時、亡くなった方々が、励ましてくれているのかもしれないなって、そういう時はいつもそう思って故人のお顔を覗き込みます。そして、ご遺族と目が合って又、クスッと笑います。何が良いとか悪いとか、周りが決めてはいけないこともあります。情報を得る度に答えは変わり、経験した本人しか出せない答えもあると思います。言えることは一つだけ。一人一人がその時の精一杯で頑張った、それだけだと思います。

次回は、「安置所に行けなかったご遺族」その皆さんの思いについて、教えていただいて語れる範囲で、つぶやきたいと思います。

※被災者の皆さんから、震災のことをつぶやいて欲しいと多くご希望がありましたので、3月11日まではそうしようかなと思っています。

2016年2月1日

心の復興

今日は朝から市役所の職員さんと復興のこと(行政間の支援は、実はまだまだ続いています)、地域の中にある様々な壁のこと、町づくりのこと、等々、ちょっと相談もあって、お話しをしていました。

東日本大震災が発生してから、普段のことに重ねて、前例のないことが震災関連の様々なこととして、当然のように発生しています。現在の生活の基盤になることだから、ここもすごく大事なので、どう進めていくのか・・・。作りだしていかないといけないこと、その難しさにいつも悩みます。

3月11日が近付く現在は、沿岸地域から多くの連絡が入るようになりました。記憶の中にある、色んなことが蘇ってくる今時期ですが、みんなで話し合いながら沿岸地域と内陸と、情報が共有出来ることで一つ一つを色んな視点から考えられることもたくさんあります。さて、どうするか・・・。

昨年末からマンツーマンセミナー受講希望のお問い合わせも非常に多く、スケジュールの組み方と調整など、そんなことを含めて色々悩みながら、今日は偶然、以前から心配していた子に会いました。あぁ、外に出られるようになったんだなぁと、その姿を見たときは嬉しかったです。

子「笹原さん〜!」

私「久しぶりだね。風邪引いてない?」

子「うん、大丈夫!あのね、前に約束してたでしょ!外に出たくなった時に、櫛を買ってくれるって!」この子には、櫛を無くしてしまった事情がありました。

私「約束、した、した!うん、良いよ。」近くのドラッグストアで購入後、一緒に歩いて家に送りながら

子「ありがとうございました!幼稚園の年長さんのときね、櫛をとかしている人って、みんなナルシストだと思ってたんです。」

私「ナルシスト⁉︎(笑) 」

子「だって、櫛をとかす人って、だいたい鏡を見ながらキメ顔してるでしょ(笑)でも、今は思いません(笑)」

私「今は、どう思うの?」

子「ナルシスト以外、思い付かない(笑)」

私「エチケットとか、身だしなみって言うんだと思うよ。」

子「おー!エチケット!それ、カッコイイ!」

みんな色んな時間を過ごして、色んな段階を踏んで、一生懸命に今を生きています。社会の中で生きるために、人は色んな顔を持っていますが、子どもも同じ。学校を休むことも、頭を使うし、ストレスは掛かるし、大変なのだそうだ。本当だね、確かにね。みんな、心の強さと弱さを持ち合わせて、人なんだと思います。だから、弱いところもみんなで支え合えると良いね。

話しながらあの日の納棺を、この子が目一杯泣いていた姿を想い出していました。大事にしていた櫛は、亡くした家族に買ってもらった物で、それは海の中へ行ったのか、がれきと呼ばれる中にあったのか。この子が経験したあの時のように、東日本大震災後、沿岸の遺体安置所から、内陸の親戚の家に運ばれてき人たちが沢山居ました。次回は、その話しをつぶやこうと思います。