2016年2月6日

安置所に行けなかった人

東日本大震災から2ヶ月が経ったくらいから、「家族が行方不明なんだけど、実は遺体がこわくて、安置所に通えていない。」と、家族を捜している人たちから声を掛けられることが多くなりました。

亡くなられた方の死後の変化は、その意味が分かっていてもトラウマになることがあると思います。それは、気持ちの中に二つの悲嘆があるからかもしれません。

一つ目には、大切な家族が本当に死を迎えるのかという悲嘆。
二つ目には、大勢の人が一度に亡くなられた目の前の現実の光景への悲嘆。

そういう気持ちの中で遺体に対面したとき、通常の生活の中には無い、人が起こす変化とは思えない変化が遺体には現実に起きていました。

東日本大震災の場合には、家をなくし、町をなくして見たことのない光景になり、親戚や知人もなくし、家族もなくしているという、たくさんの悲嘆がありました。

生活の中の悲嘆を探してみると、物を壊したとき、傷付く言葉を投げかけられたとき、嘘や秘密がバレたとき、仕事が上手くいかないとき、失恋したとき等々があり、生活の中にもこれだけの悲嘆がある訳です。悲嘆の大きさや深さは、その人がその悲嘆に対しての思いの深さが、悲嘆の大きさになってきます。

一つの悲嘆を持った時、必ず人は自分のペースが乱れます。それがいくつも重なると、自分が壊れてしまわないように、人は防御本能が働きます。自分を守る手段が働く訳です。

だから、「安置所に行けない」という言葉も、状況がわからない人にとっては、「何故?」「どうして自分の家族を捜さないの?」と思うかもしれませんが、その人たちは一人ひとりの限界が違うので、私はそれで良いと思いました。自分が壊れてしまわないための、防御だからです(防御も、人に迷惑を掛ける防御はいけない。中には、そういうこともあるので。)。

それで良いと言ったのは、安置所の中では、そういう人のための配慮があったからという意味もあります。

警察管轄の安置所の中のことは、司法が関わるので細かなことは言えませんが、遺体を直接見なくて済むような配慮がいくつもなされていました。前例が何もない状況の中で、その一つ一つが人の心に添った形だったと思います。その中に、DNA鑑定というものもありました。安置所に行けない理由としては、「遺体がこわくて。」と、「向かうための足がない。」安置所はいくつもあったので「体力が持たない。」等々がありました。安置所に行かなくても、DNA鑑定の申し込みをしていれば、ちゃんと警察から連絡をもらえます。

現在、岩手県では1124人の行方不明者がいると言われています。一という数字に対して、例えば家族が3人いるとしたら、悲しみの中にいる人の人数のおおよそが分かります。プラス、友人や知人、親戚の人数を足すともっと増えます。そうやって現場の中では「1」という数字に対しての、その人の人生としての背景や関わりを考えていくことが大切になります。まだまだ、大切な人の帰りを待っている人たちがたくさん居ます。

「安置所に行けない」と話してくれる人たちと何を話しているかと言うと、トラウマになっている死後変化は解決できます。そういう方法があります。その後に安置所の雰囲気を、話して聞かせてと言われることも多くありました。

安置所は、「遺体安置所」ですから、法に基づいて大きな建物が選ばれていました。当然、ご遺体も多く安置されていました。守ってくれる人、家族に会いに来る人、捜す人、安置所の地域の人たち等々、そこには生きている人たちも、もちろんたくさん居ました。

「笹原さんが安置所に行ってくれるから、自分も行って、通ってる気持ちになれる。」と、話してくれるご遺族もたくさん居ました。体の特徴を教えられて、安置所を回りながら捜したこともありました。(そういうときは、復元の合間に警察の受付に行きます。もちろん。)

今の時期は、「まだ見付からないんだよ」という連絡を多くいただいています。「幽霊でも良いから会いたい」と、話してくれる人も多くいます。

「幽霊で出てくるときは、効果音と共には禁止!死後変化を起こしていない姿で!生前のままじゃないとダーメ!」

が、ご遺族の皆さんの共通意見でした。怖いのは、私もダメなので、同感です。出てくるときは、さわやかに宜しくお願い致します。