いのちの授業、復興教育授業、納棺の時間、夢ハウス等々、子どもさんたちとの関わりが、どんどん多くなっています。仲良くなると決まって、
「怖いはなししてぇー!」
と、おねだり。それも又、可愛いです。期待に応えねば!と手加減して話せば、
「全然怖くなーい!」
と非常に高い評価を、子どもたちからいただき(笑)じゃあ!と、本気出して話せば、
「怖いー!」
と、目がウルウル。まわりの大人からは、
「おとな気なぁ〜い!」
だけれども、子どもたちの怖いはなしのリピーターは、不思議と多い。
「もう、ウルウルしないから〜〜。」って。(笑)
初めて会う子どもさんたちから、怖いはなしのリクエストが出たときは、決まって
トイレの花子さん
のはなしから始めることが多くあります。私の小学校の頃から、あるはなし。ストーリーとしては、以下の通り。
小学校の女子トイレの何番目か(年代によって居る場所が違うようだ)に居ると言われる、トイレの花子さん。私の世代は、女子トイレの中で「花子さん〜」と3回呼ぶと「はぁーい」と返事が聞こえるとか、姿が見えるとか、言われていた。私も、小学校の時にやってみたことがある。
友だちと3人で、女子トイレへ。放課後だったので、誰も居ない。全ての個室に誰もいないことを確認した後、トイレの入り口にみんなで戻り、
「花子さん、花子さん、花子さん」と呼んでみた。
すると、右側奥の二番目の誰もいないはずのトイレの個室から、水の流れる音が!一回目に続き、二回目の水の流れる音が!何故か、3回目の水の流れる音を聞いたらヤバイかもと、やっぱりみんな同じく思ったみたい。
「すみませんでした!なんでもありません!」
と叫び、みんなでダッシュで逃げたことがありました。だから、やっぱりそういうことは、やらない方が良いかもね。と、子どもさんたちと話し合う。全国各地の子どもさんたちと話し合いながら、「そーなんだ!」と気が付いたことがありました。
地域や、年令により、花子さんは、呼ぶ回数が3回〜地域によっては7回と言うところもあり、花子さんの居る場所として、私の時代は右側の奥から二番目だったけれど、左側の二番目だったり、右側の奥から3番目だったり、どうやら違うようだ。そうかぁ、知らなかった〜。
大人になり、納棺と言う「死」に携わる職に就いて、様々にお別れのお手伝いをさせてもらっている今の立場は、遺されて生きている人はもちろんだけど、亡くなっている花子さんの立場も同じくらい、大事にしないとならない訳ですね。だから、花子さんの気持ちに立ってみんなに考えてもらいます。
私「あなた、花子さん役ね。あなたとあなたは、生徒役ね。生徒だけど(笑)。じゃ、花子さんって、七回呼んでみてね。」
生徒役の子どもたち
「じゃ、いくよー!
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜!」
私「花子さん、どんな気持ち?」
花子さん役の子ども
「うざい!」
一同爆笑
私「相手の立場に立ってみて、初めて気が付くことがあるでしょ?
つまり、生きているとか死を迎えているとか、そういうことの前に、もっと大切なことがあるんだよね。だいたい、人の名前を七回も呼ぶって、どう思う?」
子どもたち
「よくないね、よくない。」
「もうやめよ。」
「そうだね。」
私「そうだよね。つまり、花子さんが存在してるってことは、お父さんが居て、お母さんが居て、おじいちゃんが居て、おばあちゃんが居て、もしかしたら、兄弟も居るかもね。じゃあさ、もし花子さんを見かけたら、何て声掛ける?」
子どもたち
「家に帰った方が良いよって、家でみんなが待ってるよって、言います!」
私「よく出来ました〜!」
一同拍手!
怖いはなしから、その背景やその人の気持ちとか、様々な方向からの気持ちを考えてみることが出来る訳ですね。正体と背景が分からなければ、人は自分の方向から物事を考えますが、そこで止まるのではなくて、そこは通過点として、相手のことを考えていけるようになると、きっとみんなが幸せになれるかもしれませんね。
そうそう、昨日の葬儀担当さんが教えてくれました。葬儀担当さんは、ある日当直で、これから搬送されてくる亡くなった方と、ご家族をホールで一人、待っていたそうです。すると、女子トイレから水の流れる音を聞いたそうです。
「ジャー・・・」
誰もいないはずなのに、
「うそでしょ?」と思いながら、すごく怖かったけど当直だから、何かあっても困るし、俺は男だからと自分に言い聞かせて、トイレを見に行ったそうです。女子トイレの戸を開けて、声を掛けました。
「誰か居ますか〜?」
すると、右側の奥の二番目の個室から、
「はぁーい!」
と声がしたそうです。え?花子さんか?そう思ったとき、その個室から一人の老婆が出てきたそうです。
「トイレ、借りたから!」
なんと知らないお婆さんが、何故か葬祭ホールのトイレを使っていたそうです。こんな夜中に!お婆さんは、ホールの玄関の鍵を開けて、出て行ったそうです。
「本当に、怖かったです。何故、お婆さんがホールのトイレを使っていたのか、未だ不明です。トイレの花子さんも、ずいぶん年を取ったんだなと、思いました。」
担当さんは、そう話していました。私は、
「その人、生きてた人?」と聞くと、
「たぶん・・・。あ、でも鍵は、まだどこも開けてなかったはずです・・・。(担当さんの目がすごく大きくなる)」とのことでした!
だけど、忙しい納棺の中で、亡くなった人が生きている人に混ざって一緒に過ごされていたとしても、和やかに過ごされているなら、気が付いている自信は、正直ないです。悲しいお顔をされていたら、気にしているとは思いますけど。お別れのお手伝いの現場では、その方が表現されている「表情」を、私はとても気にしていて、少しでも肩の力を抜いて「今しかない時間」を大切に使っていただけるように、どのようにお手伝いが出来るかと言うことに、とても気を張っています。さて、現代の花子さんは、どのような表情をしているのでしょうか・・・、どうか、少しでも笑顔で過ごしてくれていますようにと、願わずにはいられません。