2015年6月30日

お知らせです

マンツーマンセミナーのお申し込みが、非常に立て込んで参りました。

マンツーマンセミナーは、主に私、笹原が直接、お申し込みをいただいた期間内で技術指導をさせていただいておりますが、大変申し訳ごさいませんが、スケジュールの関係上、日程の調整をいただきながら、ご案内をさせていただいております。

マンツーマンセミナーにお問い合わせをいただいた皆さまに、ご案内をさせていただいた日程が、順番に埋まってきております。

お申し込みいただいた日程に、調整をいただく場合がございますので、ご了承いただければと思います。その際は、弊社マンツーマンセミナー担当者より、改めてご連絡をさせていただきます。ご不明な点は、ご遠慮なく弊社セミナー担当者にご相談ください。

よろしくお願い申し上げます。


2015年6月29日

愛護会地域福祉推進協議会定期総会記念講演

昨日は一般講演に伺いました。社会福祉法人の職員の皆さまと、地域の皆さまに向けて、お話しをさせていただきました。最近、皆さんから問われ、話し合うことが多くなった内容の一つに、

「人は死んだら鬼になる」

昔の人はよくそのように表現され、現場でも昔の記憶を辿りながら質問されることも増えました。ここで言う「鬼」をもっと詳しく表現すると、

「人は死んだら、鬼のような形相になる」と言う内容のようです。納棺終了後や昨日伺ったような一般講演の時は、

「昔から言われて来たことは、本当だなと思いました。本当に鬼みたいだった。」

「怖かった。本人じゃなかった。」

亡くなられた方と対面された方は、最期のお顔を覚えています。死因やどのくらい日にちが経っているかなどにもよりますが、現場に到着した時点では、そうであることも多くあります。お家の方が、一生懸命にご自分のお化粧品で「何とかしようと思ったけど、出来なかった。色じゃない気がする。」と話して下さることも多くあり、ご縁をつないでいただいて、そこからバトンタッチをしてお手伝いをさせていただきます。何より知って欲しいのは、ご本人の意思でそうなっている訳ではないということです。

亡くなられた方が土に還るまでを伝え続けている物が日本には、様々な文献がありますが、

「怨霊」と称される言葉も、

苦しそうな表情にみえたり、
怒っている表情に見えたり、

そんな色んな死後現象の、変化の移行により表現された、その方の表情によるものかもしれませんし、

何より殺人の罪を犯した人たちが一生苦しめられるのも、その方の最期の表情なのだと聞くことが多くあります。

お年寄りが現場で教えてくれることでもありますが、昔の死化粧は、緑色になって腐敗により膨張した、おもかげが全く無くなった方に対して、白い粉を水で溶かして上から塗り、真っ白にしてから頰に丸く紅をさしたことから始まります。そのくらい、変化したと言うことですね。

全国各地、納棺の現場でお年寄りに昔のことを教えてもらうことが多くありますが、昔は冷却の無い中で、一週間〜10日の安置が一般的だっそうですから、死後変化が著しく、それはもう直視どころか、腐敗臭も相当なものだったそうです。

「こっちに起こせば口からバァ〜っと出る、あっちに起こせば、また口からバァ〜っと出る、血もバァ〜っと出る。」

「見たことのない、
理解しようにも出来ない現象と表情だった」

「目がカッと開いて、
血液がバッと吹き出して、
緑や黒になって、
日が経つにつれてどんどん膨張して」

「臭いがすごかったね。本人、可愛いそうだったね。」

「お線香は、臭い消しでどんどんつけたもんだよ。」

「お酒を呑んで、酔っ払わないと、とてもじゃないけど納棺は出来なかったね。」

その昔、納棺を担当したお年寄りが現場に居られると、みんなに、そういうむかし話をしてくださいます。

「鬼」と言う表現が、この場合には、

「この世のものとは思えない」

の意味を含めるものだと、昔の納棺を知るみなさんが口を揃えて言います。

「この世に思いを残さずに」

「迷わず逝けるように」

亡き人に話し掛ける言葉は、その方の最期の表情に合わせて、遺された人がその表情から受け取る印象をメッセージとして意味を置き換え、話し掛けているのかもしれません。

「ありがとう」

鬼のような形相では、そう思っていても怖い気持ちが優先して伝えられないから、宗旨の中から今の答えを見付け、お経や祝詞を上げていただいて安心したい、だから宗教者の存在が昔から葬儀には、大きいものだったと思います。

昨日の講演も然り、自分の中にある死の意味を様々に置き換えたり、探したりの作業は、ネアンデルタール人の墓からも花を手向けた想いが見られるように、大昔から続くものであり、

人はきっと自分の答えを、人生の中で探し続ける旅をしているのかもしれません。

2015年6月27日

シリーズ怖いはなし 2

いのちの授業、復興教育授業、納棺の時間、夢ハウス等々、子どもさんたちとの関わりが、どんどん多くなっています。仲良くなると決まって、

「怖いはなししてぇー!」

と、おねだり。それも又、可愛いです。期待に応えねば!と手加減して話せば、

「全然怖くなーい!」

と非常に高い評価を、子どもたちからいただき(笑)じゃあ!と、本気出して話せば、
「怖いー!」
と、目がウルウル。まわりの大人からは、

「おとな気なぁ〜い!」

だけれども、子どもたちの怖いはなしのリピーターは、不思議と多い。

「もう、ウルウルしないから〜〜。」って。(笑)

初めて会う子どもさんたちから、怖いはなしのリクエストが出たときは、決まって

トイレの花子さん

のはなしから始めることが多くあります。私の小学校の頃から、あるはなし。ストーリーとしては、以下の通り。

小学校の女子トイレの何番目か(年代によって居る場所が違うようだ)に居ると言われる、トイレの花子さん。私の世代は、女子トイレの中で「花子さん〜」と3回呼ぶと「はぁーい」と返事が聞こえるとか、姿が見えるとか、言われていた。私も、小学校の時にやってみたことがある。

友だちと3人で、女子トイレへ。放課後だったので、誰も居ない。全ての個室に誰もいないことを確認した後、トイレの入り口にみんなで戻り、

「花子さん、花子さん、花子さん」と呼んでみた。

すると、右側奥の二番目の誰もいないはずのトイレの個室から、水の流れる音が!一回目に続き、二回目の水の流れる音が!何故か、3回目の水の流れる音を聞いたらヤバイかもと、やっぱりみんな同じく思ったみたい。

「すみませんでした!なんでもありません!」

と叫び、みんなでダッシュで逃げたことがありました。だから、やっぱりそういうことは、やらない方が良いかもね。と、子どもさんたちと話し合う。全国各地の子どもさんたちと話し合いながら、「そーなんだ!」と気が付いたことがありました。

地域や、年令により、花子さんは、呼ぶ回数が3回〜地域によっては7回と言うところもあり、花子さんの居る場所として、私の時代は右側の奥から二番目だったけれど、左側の二番目だったり、右側の奥から3番目だったり、どうやら違うようだ。そうかぁ、知らなかった〜。

大人になり、納棺と言う「死」に携わる職に就いて、様々にお別れのお手伝いをさせてもらっている今の立場は、遺されて生きている人はもちろんだけど、亡くなっている花子さんの立場も同じくらい、大事にしないとならない訳ですね。だから、花子さんの気持ちに立ってみんなに考えてもらいます。

私「あなた、花子さん役ね。あなたとあなたは、生徒役ね。生徒だけど(笑)。じゃ、花子さんって、七回呼んでみてね。」

生徒役の子どもたち
「じゃ、いくよー!
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜、
花子さん〜!」

私「花子さん、どんな気持ち?」

花子さん役の子ども
「うざい!」

一同爆笑

私「相手の立場に立ってみて、初めて気が付くことがあるでしょ?

つまり、生きているとか死を迎えているとか、そういうことの前に、もっと大切なことがあるんだよね。だいたい、人の名前を七回も呼ぶって、どう思う?」

子どもたち
「よくないね、よくない。」
「もうやめよ。」
「そうだね。」

私「そうだよね。つまり、花子さんが存在してるってことは、お父さんが居て、お母さんが居て、おじいちゃんが居て、おばあちゃんが居て、もしかしたら、兄弟も居るかもね。じゃあさ、もし花子さんを見かけたら、何て声掛ける?」

子どもたち
「家に帰った方が良いよって、家でみんなが待ってるよって、言います!」

私「よく出来ました〜!」

一同拍手!

怖いはなしから、その背景やその人の気持ちとか、様々な方向からの気持ちを考えてみることが出来る訳ですね。正体と背景が分からなければ、人は自分の方向から物事を考えますが、そこで止まるのではなくて、そこは通過点として、相手のことを考えていけるようになると、きっとみんなが幸せになれるかもしれませんね。

そうそう、昨日の葬儀担当さんが教えてくれました。葬儀担当さんは、ある日当直で、これから搬送されてくる亡くなった方と、ご家族をホールで一人、待っていたそうです。すると、女子トイレから水の流れる音を聞いたそうです。

「ジャー・・・」

誰もいないはずなのに、

「うそでしょ?」と思いながら、すごく怖かったけど当直だから、何かあっても困るし、俺は男だからと自分に言い聞かせて、トイレを見に行ったそうです。女子トイレの戸を開けて、声を掛けました。

「誰か居ますか〜?」

すると、右側の奥の二番目の個室から、

「はぁーい!」

と声がしたそうです。え?花子さんか?そう思ったとき、その個室から一人の老婆が出てきたそうです。

「トイレ、借りたから!」

なんと知らないお婆さんが、何故か葬祭ホールのトイレを使っていたそうです。こんな夜中に!お婆さんは、ホールの玄関の鍵を開けて、出て行ったそうです。

「本当に、怖かったです。何故、お婆さんがホールのトイレを使っていたのか、未だ不明です。トイレの花子さんも、ずいぶん年を取ったんだなと、思いました。」

担当さんは、そう話していました。私は、

「その人、生きてた人?」と聞くと、

「たぶん・・・。あ、でも鍵は、まだどこも開けてなかったはずです・・・。(担当さんの目がすごく大きくなる)」とのことでした!

だけど、忙しい納棺の中で、亡くなった人が生きている人に混ざって一緒に過ごされていたとしても、和やかに過ごされているなら、気が付いている自信は、正直ないです。悲しいお顔をされていたら、気にしているとは思いますけど。お別れのお手伝いの現場では、その方が表現されている「表情」を、私はとても気にしていて、少しでも肩の力を抜いて「今しかない時間」を大切に使っていただけるように、どのようにお手伝いが出来るかと言うことに、とても気を張っています。さて、現代の花子さんは、どのような表情をしているのでしょうか・・・、どうか、少しでも笑顔で過ごしてくれていますようにと、願わずにはいられません。











2015年6月26日

九州JA葬祭納棺担当者セミナー

今年も7県のセミナーにお邪魔しています。長崎県、佐賀県、大分県を5月に終えて、JA葬祭納棺担当者セミナーのため、火曜日から福岡県に入り、水曜日のセミナー後に鹿児島県へ移動して、木曜日と金曜日の二日間、鹿児島県でセミナーを行いました。

鹿児島県は離島が多く、種子島、屋久島、奄美大島、沖永良部島など、離島からも、滞在中はずっと大雨警報発令中な中でしたが、セミナーを受講するため、普段から納棺も行っている葬儀担当者さんが集まられました。島それぞれの死生観があり、そのしきたりの中で行う納棺。

島によっては、一般の女性のお年寄りが納棺を行う島があるそうで(とても温かい納棺なのだそう)、他の島では3年経ったら墓を掘り起こして、身内で骨を洗い、新たに納骨を行う島もあるそうです。

その島にしかないしきたりや死生観を教えていただき、驚きながらも感動の連続でした。

温故知新を皆さんといっしょに考えながら、鹿児島県でも二日間のセミナーを、みんなで汗だくで進めながら、本日無事終えました。

桜島のすぐ傍の建物が会場でした。今月は、600回以上噴火をしているそうです。今までに無い、噴火の回数なんだとか。普段の月の倍、今月は噴火をしているだと伺いました。

離島の話を色々と伺い、非常に有意義な時間でもありました。ありがとうございました。

明日、シリーズ怖いはなし2を打とうかと思います。お楽しみに。(`_´)ゞ



2015年6月25日

シリーズ怖いはなし⁉︎

小さい頃の体験談が良いのか、
巫女さんの時の体験談が良いのか、
それともやっぱり、納棺の時の体験談が良いのか、「怖い」と言う感覚がイマイチ無い私にとっては、何が怖いことなのか色々考えながらも・・・、してみましょう。怖いはなし。

今、出張中でホテルに居ますが、怖いはなしを打ち始めた今、私の部屋のテレビが勝手に消えました。(なぜ⁉︎)

さて、納棺の時間は比較的不思議なことが起こることが、まぁ普通なのですが・・・、今日はこの話しに致しましょう。

ご本人が亡くなる時、先に亡くなられた家族などの身内や、友人が迎えに来ているという、お迎え話しをよく聞きます。

最初は部屋の外や、部屋の隅など遠くに居るそうですが、ご本人の死が近付くと少しずつ亡くなる方の傍に、近付いて来るそうです。

以前、看取りをご本人から頼まれて、通ったことがありました。毎日、色んな話をする訳ですが、その方が

「そろそろ、逝く時が来たみたい。お迎えに来てるのよ、母が。昨日より今日、私に近付いて来たよ。」

と話されていました。

「何かおっしゃってます?」と私が伺うと、

「何も言ってないけど、ニコニコ笑ってる。」と。

「手を振ってみて!」とお願いすると、

「手を振り返してる(笑)」と。

亡くなられる数時間前、その方はベットサイドの、誰もいない場所に向かって、手を伸ばしました。

「すぐ傍に、お母さまが来られてるんですね?」と伺うと、ニコッと微笑まれました。

なんとなく、自分の気持ちの中にある、息を引き取られた後の寂しい気持ちより、ご本人のところにお母さまが来てくれたから、一人じゃないんだもんね。と言う安心感がありました。納棺のときにご本人からお願いされていたチョコレートをお棺に入れました。そのとき、

納棺していたお部屋の窓が
「コン、コン、コン、コン、コン」と外側から叩いた音がして、その場にいたみんなで一斉に窓を見てから、みんなで目を見合わせました。その時、娘さんが、

「母は、いつも「コン、コン、コン、コン、コン」と外から窓を叩いていました。「ありがとう」の意味なんです。窓を叩いた後、いつも、こちらに手を振ってニッコリ笑っていましたし、その窓は、母がいつも外から叩いていた場所なので、今のは母に間違いありません。」

そして、みんなで涙を流したのは言うまでもありませんが、そんなことがありました。ご主人が、

「棺の中からコン、コンって聞こえなくて良かったね」なんて、おっしゃって、娘さんに怒られていました。(笑)ま、そうなれば、すぐに棺の蓋を開けますけど。

だけど、別の方のお看取りのとき、「亡くなるときに、誰かが迎えに来てくれるって聞いてたけど、未だに誰もこないんだけど!」と、怒っている方も居られました。ちゃんと、誰か来てくれたのかな?と、今でも想い出します。

でも、律儀な方は、最期まで律儀ですね。私も、そうなりたいものだと憧れます。「音」ってけっこうあるもので、

「棺の中に、いっしょに入れて差し上げたいものがあれば・・・。」と声を掛けた時、家族が探しても見付からなかった物なのですが、

「カタッ」と音がして、家族がそこを見ると、探していた物があった!何てことは、日常茶飯事です。悲しみの現場では、けっこう「音」は、キーワードですよ。

以上、今日の心温まるお話でした。(なんか、題名が変わってる(笑)いえ、題名に「⁉︎」付いてますから。(`_´)ゞ)


2015年6月23日

暑いですね

昨日の納棺の時間、汗だくの私に扇風機を当ててくれた高齢の女性。ずっと私の隣で、色んな想い出話をしてくださいました。が、扇風機は4段階あり、話しながら1、2を飛ばして3、そして4・・・

息子さん「母さん、笹原さんが息できないみたいだから、2くらいで良いんじゃない?風が強すぎると、嫌がらせみたいだよ(笑)」

お母さん「えー!本当に?息できない?苦しい?」

私「うん、少し(実は強い風で、とても苦しい)」心配そうに、私の顔をのぞき込むお母さん。

お母さん「ありゃ、ごめんね。」カチッと2に。(やった!息できる!)

私「いえいえ、涼しくて助かりますよ。ありがとうございます。いっしょに扇風機にあたりますか?」

お母さん「良いの?うん、うん!」

ご主人が亡くなられて2日目で、どうして変色したのかと、ハエが鼻から出ているのかと(体液が少し出ていたので、ハエが発生していることは、夏は特に多いですね)、目が開いてきた理由を教えてと聞かれたので、お伝えしました。処置が終わって色々安心されると、心配していたことに対しての質問が沢山出るので、不安だったことにお答えする時間が、ちゃんとあります。

葬儀と言う儀式の時間を迎えるにあたり、心の準備として、死後変化を見ておられるので、原因と対処の内容を知りたい方には、次の気持の移行のステップとして、それらが大切なことがあります。

それは、死を迎えて終わらないといけないと思い込むご家族に対して、今の段階でそれが負担なら、その方の気持ちに合わせながら、今の気持をいっしょに考えて、その気持ちは心配しているからであり、故人とご家族の関係性が変わっていないことを、いっしょにお伝えします。

パチンコが大好きだったからと、お母さんは棺の中に、パチンコのドル箱を書いた紙を入れて、故人に持たせあげていました。

私「ドル箱、何箱書かれたのですか?」

お母さん「ふふっ、60箱!」

皆さん拍手喝采でした。お母さんは、最後まで故人のお顔に触れていました。

火葬までの限られた時間しか、お体はありません。どれだけのお手伝いをさせていただいても、もっとお手伝い出来たことはあったんじゃないか、聞き漏らしていたことはなかったか、納棺を終えても考えることは山ほどあります。やっぱり、ご縁をいただいだからこそ、つながりの中で、その場に心を残すのも、故人のことをご家族から教えてもらえたからだと思いますし、出逢いと言う意味を、その度に教えていただいていると思います。

「ありがとう」

お礼の連絡をいただいて、今の気持を伺うと、私の心配は、故人が生きておられた人生があったから、故人の大切な遺されたご家族と、これからと言う未来のつながりに移行します。

ここのところ、気温が高くなってきました。納棺の時間も汗だくで、昨日は仕事が終わって帰ってから体重を計ると、2kg体重が落ちていました。震災後、20kg以上体重が増えていた私。去年から14kg落としました。あと少し⁉︎

心身共に体調管理も仕事の一つですから、何とか頑張ります。皆さまも、湿度が高く暑い夏を迎えるにあたり、ちょっと体調を崩しやすい今時期、どうぞお体を大切に、お過ごしいただきながらご活躍くださいませ。

ここのところ、「怖い話して〜」と老若男女問わず、言われることが多くなりましたので(こういう仕事だから?)、復元納棺師っぽく⁉︎多くの皆さまの希望通り、BlogにもUPしていきたいと思います。



2015年6月22日

いのち新聞

昨日は、いのち新聞の編集会議でした。集まったみんなと、LINEを通して遠くのメンバーともやり取りしながら、次回の新聞記事について検討していました。

岩手県に伝わる風習、日本に伝わる風習などを改めて記事にしようかと話し合い、「あれ、これって?」的な詳しく分からない課題に触れて、持ち帰ったり取材をすすめてみようなど、担当を決めたりしながら、進めました。

今年はホタルが一ヶ月早く出ているらしく、そんな話題にもなり、明日の夜にちょっと見に行ってみようかなと、思ったりしていました。

個人的には、この仕事をさせてもらうようになり、東日本大震災を経験してからは、私にとってホタルは、特別な存在になっているように思えます。幻想的なホタルの力は、私に何も考えない時間を提供してくれます。普段の生活にはない、別の空間のような、なんとなく心がホッとする、そんなホタルの世界です。きれいな川が無いと、ホタルは生息できませんから、それを守って行きたいなとも、思います。実は毎年ホタルが出で、いなくなるまでの3週間くらいは、可能な限り通います。ちょっとした、ホタルのおっかけです。(笑)数年前にわぁ!なんて、捕まえてみたこともあるのですが、なんとも言えないグラテスクさで!それ以来、触らず、静かに!に、徹しています。

いのち新聞では、そっかぁ〜!なんて驚くような発言も度々ありながら、毎回、いのち新聞らしい表現を、どのようにしたら良いのかと、言葉の変換やニュアンスなどを検討します。この時間が又、深くて素敵で、はっきり言って大好きです。

次の号は、8月の集まりの後になる予定ですが、どうぞゆっくりと、お待ちいただければと思います。職業や性別、年齢を超えて話し合うことから始まった、いのち新聞です。応援していただいている皆さまに、編集部一同心より感謝を申し上げます。


2015年6月20日

神奈川県看護協会総会講演

19日、神奈川県看護協会総会講演に、お声掛けいただきました。会場には、約300名の皆さまがお出でになっていると伺いました。

岩手県の地元に居る時は、納棺の現場と全国から届く日総研さん通信講座の添削、諸々の仕事を時に徹夜でこなしながら、講演のため神奈川県に移動しました。

病院も、患者さんやご遺族にとっては人生の中で経験される、悲嘆の通過点の一つです。

悲しみの時間の中には、答えのない問いがたくさんあります。社会生活の中では、白か黒かの判断を迫られることも多くありますが、それは次のステップに進むためのものでもあるので、確かに大切です。別に、悲しみの世界はグレーであることが多くあります。グレーは中途半端と言う意味ではなく、「問い続けて行く課題」であり、課題に向き合う度に答えが違うもの。それは、問い続ける課題に近い何かに出会い、考える度に出会う答えが、今の答えになっている。これも又、次のステップと、今日を生きるために大切なことであると言えます。

一般的に普段の生活の中で、「悲しみ」と言う感情は、本来人に知られたくないものであり、同時に触れられたくない部分です。社会に向けている顔が表なら、悲しみの部分はプライベートな裏の部分。でも、表と裏でその人として構成されていて、どちらも自分ではありますが、情緒が乱れた時に自身の感情をコントロールするためには、悲しみに向き合っておくことは重要です。昔と変わらない切るか切られるかの競争の社会の中に生きている場合は、「弱さ」の部分にある悲しみは、本来人に見せない部分でもあります。放っておくと人から見て、不思議な行動であったり、時に暴力的になったりなので、現場判断のときには、慎重に且つ大切に、これから生きることの中で、悲しみがその方を壊さないように、悲しみがその方を支えてくれるように、大事に悲しみに触れていきます。・・・と言う話を、難しくまとめると?・・・かくかくしかじかお話しさせていただきました。

講演終了後、何度も講演に足を運んでくださっている岩手県の沿岸被災地である陸前高田市出身の看護部長さんが控え室を訪ねてくださって、ご家族の生活状況や、故郷への思いを教えてくださいました。素敵な、看護部長さんです。

皆さまの益々のご活躍を、心よりお祈り申し上げます。ありがとうございました。




曹洞宗婦人部東海管区研修会講演

16日、曹洞宗婦人部東海管区研修会講演にて、90分のお時間をいただき、お話しをさせていただきました。

私のスケジュールの都合もあり、講演のご依頼は調整いただき、ご迷惑をお掛け致しております中で、2年以上も前からお申し込みをいただいていました、愛知、岐阜、静岡、三重4県合同研修会記念講演にお声を掛けていただきました。会場には婦人部(お寺の奥さま)の皆さま300名、僧侶の皆さま、関係者の皆さま合わせて400名弱の皆さまがお出でになられました。

会場内は、それはもうとても安心出来る雰囲気でした。講演が終了してから、たくさんの皆さまにお声掛けいただきました。何度も講演を聞いてくださっている方も、東北出身のお寺の奥さまも、おもかげ復元師を読んでくださっている方もたくさん居らして、握手をした手を離してくれないお寺の奥さまが居られたり(笑)、ご遺族の生活をよくご存知の皆さま、とても頼もしくて素敵でした。

全国婦人部の会長様、今回の会の会長様、お声掛けくださったお寺の奥さまのRさま、関係者の皆さま、様々にお心遣いいただきありがとうございました。

現代は悲嘆を抱えている人が多いと言われている時代、私も少しでもお役に立てると嬉しいところです。現在は、お坊さんのサロン活動が大変な人気なのだそうで、どうぞ機会があったら皆さまもどうぞ、お出かけ下さいね。






















2015年6月14日

ケアマネージャー

このブログは子どもさんたちも見てくれているし、様々な業種の方も見てくださっていたりなので、知らない方も多いと聞きますので、ケアマネージャーさんについて、少し記述しますね。

地域の中に、ケアマネージャーと言う仕事をしている人たちがいます。

主な仕事は、介護が必要になったときにお年寄りと介護保険(お年寄りにとって必要なサービスを受けられるもの)をつなぐお仕事だと、ケアマネージャーさんたちから教えてもらいますが、

年を重ねて生活することにより起こる、様々な困難や障害がその人の生活環境に、どのように影響して、本来のその方の輝きを失っているのか、

ケアマネージャーさんは、地域の福祉のプロ。地域の医療、福祉と連携してネットワークを確立されています。

ソーシャルワーカーは、病院に勤務していて、病院と地域をつなぐプロ。病院の医療テームの一人として欠かせない存在です。ソーシャルワーカーさんから、ケアマネージャーさんに伝達さらることも、よくある訳ですね。

地域も病院も、それらを総合統括しているのが、患者さんの主治医です。お医者さんの連携も、地域の中から拝見していても、これまたすごい!

ケアマネージャーさんとのご縁から、介護保険を使って(申請などの手続き後、認定されてサービスのスタートだけど、その前から相談に乗ってもらえる)スタートする生活ですが、その後も、

①介護保険サービスはキチンと提供されているのか
②介護保険サービスが合っているのか
③心境・体・環境状態に変化はないか
④本人・家族が介護保険サービスに満足しているか
⑤本人・家族を取り巻く人たちとの関わり

など、ちょこちょこ顔を出しては、本人や家族を安心させてくれる、地域福祉のプロなのです。

参加型納棺を始めてからは特に、老老介護後に、お一人暮らしになられたり、遺族訪問後に遺された遺族に介護が必要になっていたりで、ケアマネージャーさんの知り合いも多くなり、お年寄りの部分では、相談に乗っていただくことも非常に多くなっています。

で、先日聞いた話です。

「全くの一人暮らしで身寄りがなく、でも、家で死んでいきたいとのご希望でした。ご家族も居なくて、すごく考えました。その地域は、他のお家にもお世話させていただいている方があって、ちょっと相談した所から始まりました。

「それなら、みんなに声を掛けてみるから。」

そう言ってくれる人が出てきて、あっと言う間に近所の人たちが、その方のためにチームを作ってくれました。介護保険を上手く利用しながら、その方の希望通り、その方の家で、その方のベットで、息を引き取られました。私はその方に全部任されていたので、その方を支えてくれた地域の皆さんと、話し掛けたり、さすったり、みんなでしながらね、お別れをしました。「背中がまだ温かいよ!」って、みんなで触れた背中に残る少しの体温が、今でも手の感覚の中にあって忘れられません。

私はその日、実は休みだったんです。朝、庭にスズメが来て、窓をコツコツと叩くんです。近くに行っても全然逃げなくて、不思議なスズメがいるものだと思ってスズメと見つめ合っていたとき、電話が鳴りました。亡くなったことを知らせる電話でした。スズメを見る度に、あの方と支えてくれた地域の皆さんを思います。」

皆さんの地域にも、ケアマネージャーさんは居ますから、一人で悩まずに先ずは相談してみましょうね。市役所や区役所、役場、地域の福祉施設、ケアマネージャーさんは、皆さんの町に居ます。

追伸、
ケアマネージャーさんも、すごく多忙ですので、皆さんお一人お一人、出来ることで十分なので、是非地域で支えてあげてくださいね。超高齢化社会に突入したこれからの時代は、地域を支える一人ひとりの力が必要なのかもしれませんね。





2015年6月13日

子ども夢ハウスおおつち!

この2、3日は1日数回の地震が続いていて、子どもたちから「いつ来るの?」の連絡が絶えなかったので、昨日と今日と(通い)で、北上市から二時間かけて、子どもたちに会いに行きました。

少し前から、子どもたちから「いのち」や社会問題の悲しみの部分の深い質問などが出ていたので、少しずつ時間を掛けて、ゆっくり話し合っていきたいと思いますが、

藤原代表の基本的な考えは、
「みんな違って、みんな良い。」
なので、落ち込んだときなどは呪文のように(笑)、子どもたちもすっかり覚えて口にしています。周りと協調性を持つことは、もちろん大事。けれど、様々な諸事情でそうできない子どもたちには、自分のペースをゆっくり作って行こう!と、そこからスタートしながら、みんなの輪の中に子ども自身が「入りたい!」と思って勇気を出す、又はその子に合ったスタイルを見つける、その時まで一人ひとりが力を付けられるように自立支援をしているのが、夢ハウスの魅力ですので、そこに合わせて子どもたちと時間を過ごします。

多分、私の仕事が仕事だからということもあるのだと思いますが、今日は、家族を亡くした子どもたちから「安置所」の質問も出たり、「地震が続いたから、砂浜に色々打ち上げられているかもしれない。」と語っている子どもがいたりしました。他、「お腹すいた〜〜(これはみんな、いつも言っている(笑)若いからね〜。)」等々個々に話してスッキリすると、

「すり傷公園に、サッカー行ってくるからね〜!笹原さんも、ダイエットになるから、いっしょにやろう〜〜!」
(ウー、にくいねぇ〜(笑))

復興のため、土盛りの順番が回ってきたすり傷公園の一部。少し規模が縮小されても、子どもたちの大切な場所であることは、全く変わっていないようです。すり傷公園は、今日も賑やかでした。

子どもたちと、砂浜に行きました。言っていた通り、地震が続いていたからでしょうか。たくさん、沖から流れて来ていました。

小さな子どもさんが遊んでいたのでしょうか。絵が入った小さなボール。もちろん、空気は抜けて色あせています。

欠けた食器の数々、

色あせて変形した男性用の靴、服のボタン、

漁師さんが使っていたであろう、様々な道具が錆びて、打ち上げられていました。

ドアのノブや金具、

家の壁やレンガ、

これだけ時間が経っても、未だこんなに打ち上げられていること・・・。未だ大切な家族が見つからない子は、白いものを手にします。

子「骨でも、見つかれば良いねぇ。」
私「そうだねぇ。」
子「自分の家族もそうだけど、みんなもね。」
私「ほんとにね。」

でも、結局は貝殻だったり、何かの破片でした。来週の浜の一斉掃除を、待ちきれない様子でした。

仮設住宅に住む女の子から、こんな話しを聞きました。お母さんは、とーっても素敵な方で、高齢者施設の看護師さんです。お母さんとのお話しを二つ。

ひとつ目、
ちょっと反抗期だからね、部屋にこもりたくて「具合いが悪い」と嘘ついたら、「どこが、どのように?」と聞かれて、治そうとするから(笑)親が看護師だと、仮病がバレる(笑)

ふたつ目、
お母さんの施設のお年寄りが大好きな、この女の子。「あのね、認知症のお年寄りがね、みんなで竹を取りに行ってね、「何処に行ってきたの〜」って聞いたら、「竹取りだよー」って、答えたんだって。それでね、「かぐや姫はいたの?」って聞いたら、「いたけども、オラの顔見て逃げたよ〜」って(笑)すごい素敵でしょ!でもね、3分後に同じことを聞いたら、忘れちゃってるんだよ。だから、その話しは終わりにしてね、その人が話したいことを話すんだよ。って。この子も、会う度にどんどん優しさの深みを増しています。

復元納棺師になりたい!と、今日は夢ハウスの子どもたち2人に言われました。聞けば、更に安置所の中でのことを知りたがりました。今、どの地域の子からも安置所の中の、家族とのお別れのこと含めて聞かれることが多くなりました。家族や友人が火葬まで居た安置所は、彼らにとって今、大切な場所になっているのかもしれないと、感じているところでした。これは、夏休みにじっくり進めようね、と話したところでした。

会う度に子どもたちの背が伸びていて、一つずつ出来ることが増えていて、言葉のつなぎも上手になって、毎回成長を感じます。大槌町の海には山瀬が出て、霧が町を覆い、午後から涼しくなって来ました。山瀬が出て来たら、暑い季節の到来です(梅雨はまだだけど)

子ども夢ハウスに、心を寄せていただいている皆さまのご支援、ご寄付本当にありがとうございます。心から、感謝を申し上げます。引き続き、よろしくお願い致します。



この三日間

茨城県からお越しいただきました、経験豊富な湯灌師さんの、二泊三日のマンツーマンセミナーでした。汗だくでセミナーを受けられて、無事に最終日に合格されました。お疲れ様でした。とても真面目で、ものすごく思いが深く、それでいて話が面白くて、とっても素敵なお人柄でした。

この三日間の大まかなスケジュールは以下の通り。
10日
10時〜18時までマンツーマンセミナー、その後遺族訪問等々。

11日、
10時〜18時までマンツーマンセミナー、
その後北上市民大学で地元の約100名の皆さまに向けて、18時半から「災害支援〜悲嘆と共に〜」の講義を90分。本当に皆さんに、熱心に聞いていただきました。現場にある、いのちや、生死に触れながら、お話しを進めさせていただきました。

12日、
10時〜18時までマンツーマンセミナー最終日、
その後、地元高齢者福祉施設(4施設)合同研修会を約100名の皆さまに向けて、90分の講演をさせていただきました。「現場では悲しみの深いご家族に、抜群のグリーフケアを行う超高齢の方が居られます。まるで見たきたかのように、三途の川を語られます。伺えば、聞いた話だけどねと、笑っては居られますが、なんだかとっても説得力がありました。」等、現場から様々にお伝えしました。

他、大槌町の仮設住宅を伺った後に子ども夢ハウスにも行き等々、本当に密なスケジュールでありました。

そんな中昨日、スーパーで子どもさんに話し掛けられました。
子「笹原さんですよね!」
(声を掛けていただくことは、実によくあることです)
私「はい、そうです。」
(牛乳売り場の前にて)
子「あのぉー、(少し戸惑って)幽霊って見たことありますか?」
私「(きたー!こういう質問、実はけっこう多い)どうして?(答えて欲しいことがあると思うので、聞いてから答え方を考える)」
子「幽霊でも出てきて欲しいと思っている人がいるけど、怖いと困るなぁと思ったので・・・。」
私「そっかぁ・・・(少し考える)」
子「怖いときの対策を考えておけば良いですよね。笹原さんなら、どうしますか?」
私「私も、幽霊でも会いたい人はたくさん居ます。でも、もし知らない人で、怖い!と思ったら、多分、大至急SECOMさんを呼びます。」
子「(爆笑)それが良い!」

亡くした家族に会いたいなと思うことは、普通の生活の中によくあることで、「夢でも会いたい」から、「幽霊でも良いから会いたい」になり、でも、本当に出てきたらどうしようと思ったりしながら、実はそういう時間の中で、皆さんしっかり偲ぶ時間を、自分のペースで、大切にして過ごされています。最近は、納棺にご縁をいただいた、ご遺族の立場の子どもたちに「弟子になりたい!」と言われることも多くなり、年を取ったことを実感したりしています。(笑)

今日の講演終了後の挨拶で、お医者さんがお話しをしてくれました。

「私たちは、患者さんや利用者さんと出会えたことで、悩みや苦しみと大切にされてきたことを知らされ、その何かを叶えようとしている途中で亡くなられると、「もっと何か出来たのではないか」「遠慮して、言わないことがあったんじゃないか」「自分が頑張れば、もっと長生きしてくれたんじゃないか」と敗北感の中で嘆きます。でも、変わらない現実の中に、そのお一人お一人と出会い、過ごした時間の中に、優しい気持ちになれた自分が居ます。自分たちには、出会えたからこそ、遺してもらえたものがある訳です。それを忘れずに、遺してもらえたものにも目を向けて、感謝しましょうね。」

先生のその一言一言が、とても心に遺りました。先生の患者さんへの深い思いを知り、私にとっても引き継がせていただくことの意味を再確認し、身を引き締めて、しっかり心を込めさせていただこうと、心に決めた時間でもありました。

悲しみと言う感情は、人に備わった大切な感情であることを、深く教えてもらえた三日間だったと思います。


2015年6月9日

フューネラルビジネスフェア2015

昨日は横浜パシフィコ・フューネラルビジネスフェア2015、シンポジウムに於いて、講義を務めさせていただきました。

11:40〜12:50(70分)参加型納棺実務
出棺まで持たせるための軽度復元処置
〜担当者が遭遇する納棺時の
「困った事例」研究

出棺まで故人のお体が起こしやすいイレギュラーな現象について、火葬直前の故人に起こる現象についての特徴的なもの、遺されたご家族が連鎖で起こす心情など、事例に基づいて講義を進めました。

遺されたご遺族が、大切な家族とお別れをされる、火葬場の窯の前に立つ、本当に最後のとき。

特に変色は、四季や室温、疾患、死因など様々な因果関係が大きく左右しますから、最初から気を付けて、死後変化を予測して初期に行っておくことを含め、70分の講座を進めていきました。

原点回帰、温故知新。納棺も、古き良き日本の文化と歴史を含み、先人が積み重ねて遺してくれた、とっても大切な時間です。益々、研鑽しながら一時一時を大切にしたいと、壇上からお伝えしながら、考えていました。

ユニコムさんで年に2回、3月と9月に東京で行われる1日目は「参加型納棺」、2日目は「死化粧と特殊遺体復元」の講座を受けてくださった全国各地から集まれた方は、約6年間で延べ500名弱。弊社のマンツーマンセミナーを受講された皆さんにも、又、初めてお会いする皆さんとも、シンポジウムの会場でお会い致しました。

皆さまの益々のご活躍を、お祈り申し上げます。

2015年6月7日

日総研さん、名古屋セミナー

日総研さんは全国7カ所の会場に於いて「エンゼルケア・死化粧とグリーフケア」「新生児・小児におけるエンゼルケアとグリーフケア」の二つのセミナーと、通信講座(課題提出全3回)等でお世話になっております。普段、岩手県に居る時は、私がお一人お一人の通信講座の回答(全ての方の添削)を、させていただいています。

今回も全国からお集まりいただいて、救命病棟(ER)、集中治療室(ICU)、急性期病棟、慢性期病棟等、看護学校の先生、高齢者の施設等、医療・介護職の皆さまに向けて、納棺の現場から様々な情報を、朝の10時から夕方4時までのお時間の中で、お伝え致しました。

セミナー終了後は、全国7カ所の何処の会場でも、多くの皆さまが並び、お一人お一人とお話をさせていただいていますが、

遠くは「片道四時間半を掛けて、このセミナーのためだけに来ました!」と声を掛けていただいたり、「毎回、来ています!」と声を掛けていただいたり、様々に声を掛けていただきました。

超高齢化社会を支える、医療・介護職の皆さまの世界の中にある、新たな課題に向けて、お一人お一人が一生懸命に生きていて、向き合っている、様々な現場の壁や節目に当たりながら、御尽力されている皆さんにお会いした、深く考えさせられる、今回もそういうセミナーでした。

「死」が現実に起きる現場の中では、今すぐ答えの出ない「問い」も多く、何かを求めても、出してみた答えがみんな違うと言う現象が起こるのも、死の現場の特徴なのかもしれません。

私たちにとっては、限られた与られた時間でも、目の前のご遺族にとっては長い人生の「一時」なのですが、「死」が関わるから一生心に遺る時間でもある訳です。ですから、どのように現場を進めて、必要であれば誰にどのように引き継ぎをさせていただくかも、一件一件の現場の課題です。

今回も死後の変化を現場からお伝えし、皆さんと一緒に考えた時間もありましたが、「死後の変化」と言えば、遺族に対しての心の援助を行うときにも欠かせません。

急死の現場で、emergencyで声を掛けていただいた、棺の蓋を閉める前の、お別れの時間のことです。

成人した娘さんたちは、涙を流していました。奥さまが、私に耳打ちをします。

奥さま「二回浮気されたから、浮気された数の分、二回旦那を叩いて良いか。でも、タンコブが出来たり、あざになるかも。」
私「(なんと、どの位の強さで叩くおつもりか‼︎よほど我慢されてたんだろうな)亡くなられた方は、叩いたくらいではあざなどは出来ませんので、ご夫婦のお別れを、ご存分にどうぞ。」

と声をお掛けすると、旦那さまの頬に
「ベシーン!」
「ベシーン!」

「ベシーン・・・。」
そんなに力強くは感じませんでしたが、二回とおっしゃっていた回数が、3回になっていました。娘さんたちは驚いていましたが、「ま、お父さんも悪い」との結論で、棺の蓋を閉めました。

「ありがとう」を一回だけとおっしゃって、二回、三回になることもあり、「ごめんね」も然り、二回、三回になることも多々あります。ここで大切なことは、二回とおっしゃっていた回数が3回になったこと。3回目の行動に、深い意味を持ち合わせます。帰り際、奥さまが教えてくれました。

奥さま「3回目は生き返ってほしいと、もしかしたら目を覚ましてくれるんじゃないかと、そう思ったの。」
私「目を覚まされたら、どうしましたか?」
奥さま「そりゃ、4回目のバシーンでしょ。」

そこでやっとゼロになるのか、ならないのか、これが答えの無い問いです。涙をいっぱいためながら、微笑む奥さまの笑顔が忘れられません。家族を無くすということは、大黒柱を失うかもしれないし、毎日支えてくれた人を急に失うかもしれないし、生活環境がまるで変わってしまう現実が、「死」の背景にはあります。

「死」の存在を持って過去が宝物に変わる方もいるし、「死」の存在から「生きる」意味を探し始める方もいます。皆さんそれぞれの一歩を踏み出そうとするときの、お別れの時間にご縁をいただいている責任を、私も毎回感じながら、私も誰かに生かしていただいていることを、日々感じていました。

セミナーにお越しいただいた、皆さまの益々のご活躍を御祈念申し上げます。ありがとうございました。



2015年6月3日

曹洞宗志太地区教区連合会様講演

曹洞宗志太地区教区連合会様、僧侶の皆さまの総会の後の講演に、お声を掛けていただきました。

昨年東京で、曹洞宗の大きな道場もある宗務庁さまに於いて、全国から集まられた約100名の布教師の皆さまに向けてお話しをさせていただきました時のご縁から、今回、お声掛けいただきました。

静岡県は、富士山の麓。全国各地で発生する大きな地震の度に、テレビや新聞でも「富士山の噴火の可能性」が取り上げられることも多くなりました。地元の方は、40年も50年も前から噴火を想定して半ば脅されながら(そう、おっしゃる)、生活しているんだよ、と教えてくださいます。東日本大震災からお伝え出来る防災意識と、災害による悲嘆とその後含めてのお話しをさせていただきました。

死は、様々な迎え方があります。それは、地域の中で起こっていることであり、もっと言うなら地域の中で生きていた人、一人ひとりの人生に起こること。遺された側の「死」の意味を深めていくときに、そっと寄り添ってお力をいただけるのが、地域のお寺さんの存在も大きくあります。

その家庭で大切にしてきた習わしや、宗教(神社や教会なども)と死生観がありますから、私たちもそれに従い、忠実にお手伝いをさせていただく訳です。

曹洞宗志太地区教区連合会様の僧侶の皆さんは、法務省から委託を受ける「保護司」の方が多くいらっしゃいました。お寺のお仕事と保護司の公務、どちらも過酷なのに、すごいなぁと頭が下がる思いでした。私がご縁をいただいた宗教者の方は皆さん、「和を持って貴しとなす」を実践されている方ばかりです。この度も、深くそう思いました。

今回、日程に合わせた様々なお世話をいただいた僧侶のYさま(お名前を出す許可をいただいていないので)のひとつには、そのお心遣いにノックアウト(一回、一回感動して倒れる)の連続でした。二つには、所作の美しさ。恐らくYさま的には普通にテーブルを拭いているだけだと思われますが、その所作のあまりの美しさに目を奪われた。思わず、

「テーブルを拭く所作、綺麗ですね。」と声をかけてしまうと、Yさまニッコリされていました。そこへ、大本山でツートップをご経験された方丈さま、「道場ではね、こうやって拭き残しがないかチェックするんですよ。こうやって、小姑みたいにね。わーっはっは!」と、みんなを笑わせてくれました。(ここ、私みたいなものが笑っていいのかどうか分からないけど、とりあえず、思わず笑ってしまった。)本当に偉い人は、偉ぶらない!まさに、色々と教えていただいた時間でありました。

この度お声掛けいただいた講演の前に、実は曹洞宗志太地区教区連合会様の皆さまが岩手県にお越しくださいました。アポをいただいていたのに、当日は緊急出動の現場が入ってしまい、被災地をご案内出来ず、失礼してしまいました。それが心残りではありますが、お寺さんも檀家さんや門徒さんのために実はemergency(緊急出動)で動かれることも多いので、とてもご理解いただきました。それがとてもとても、有り難かったです。

色々とお心遣い、お世話をいただき、心に残るお時間をいただきました。ありがとうございました。