2017年1月29日

高知県へ

高知県介護福祉士会主催のセミナーで、四国、高知県に来ていました。気温は16℃、梅のつぼみが出始めたそうで、春の訪れ⁉︎を感じてしまうほど、爽やかな良いお天気でした。

高齢者福祉施設や病院など、医療・介護職の中の様々な専門職の皆さまが集まりました。

介護保険制度がどんどん変わっていく中で、内容を伺えば、利用者さんにこれ以上の生活負担と不安なストレスをかけないように、現場の人たちはこんなに大変なものなのかと。現地の風習に合わせて、色々組み込んで、5時間の講義を担当させていただきました。

四国八十八ヶ所霊場のある四国。高知県で色々知ることが出来て、ステキな文化にも出会いました。

地元風習の中には「お接待文化」があり、今で言うホスピタリティがすでに皆さんの生活の中に組み込まれて存在しているので、悲嘆の援助に関しての話しも、マッチングをしてお伝えしました。

〈お接待文化〉〜地元の皆さんのお話しより〜
四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路さんは、「南無大師遍照金剛・同行二人」と唱えます。

同行二人は、弘法大師と自分。つまり、お遍路さんは、弘法大師と歩いている訳なので、

お接待をする地元の人は、旅をするお遍路さんをおもてなしすることで、自分の代わりにお参りをしてもらうこと。

そして、お遍路さんと旅をする弘法大師を、おもてなししている。と考えられているそうです。

おもてなしを受けたお遍路さんは、弘法大師のお陰様でお接待をしていただけた御礼に「南無大師遍照金剛」と唱え、納め札を渡して、御礼を伝えるのがマナーだそうです。

知らない人同士だけど、お互いを大切に思えて感謝出来る関係って、とてもステキです。日本で考えると、四国にしかもう残っていない、お遍路さんへのおもてなしの、お接待文化なのだそうです。

「最近のお遍路さんのお接待で、一番喜ばれるのは、『携帯の充電器を、御自由にどうぞ』のコンセントの提供でした。時代だなぁと思いますが、時代に合わせて喜んでもらえるのが一番。」温故知新ですね。

「お休みどころは、格子状にして木の間をすかして、密室にならないように工夫します。お互いに、信頼出来ない関係にならないようにしています。」

「お接待と、お節介(おせっかい)は紙一重、よく考えて、喜んでもらえることを考えます。(笑)お節介にも相手を思う思いやりが入れば、親切にもなりますよね。(笑)断りやすいようにの配慮が必要ですが。」

伺った高知県にも、人の思いと生活を積み重ねた長い歴史がありました。人のいのちを支える風習、守りたいね。そんな風に語り合えた貴重な時間がありました。私も、四国八十八ヶ所巡礼、行きたいな。そんな思いを残して、帰って来ました。ありがとうございました。




2017年1月26日

秋田県にて。

手袋を忘れて来てしまった私は、カイロを買ってポケットへ。ポケットから手が出せないくらい冷え込んでいた、秋田県。氷点下で雪が積もり、冷え込んでいるからこそ、「わぁ〜!」なんとも言えない幻想的なイルミネーションの綺麗さに圧倒されていた、私でした。

秋田県老人福祉施設協議会職員研修に於いて、秋田県社会福祉協議会さまからの依頼で、前回に続き、2回目の講習を担当させていただきました。

秋田県も、とても古い風習が守り伝えられている地域です。日本全国に伝わっていた風習ではありましたが、現代は秋田県だけに残る風習もいくつかあります。

風習は人の悲しみを支え、考えさせてくれるプロセスがあるので、とても大事です。

考えることの中にある問いは、何かとの出会いを作り、そのプロセスの中にある悲しみの深さは、もらった分の愛情の深さとして感じ、じっくりと人の心を豊かにすると、昔から考えられて来ました。

技術と心のバランス、関係性と目的を含めて、お伝えしました。

地域の人たちが大切に守り伝えて来た風習を無くさないように、色々考えながらの講習となりました。

皆さまの益々のご活躍を、御祈念申し上げます。お疲れ様でした!

2017年1月23日

横浜にて

横浜の会場で、「在宅医療連携拠点事業・都筑区医師会地域多職種連携協議会」の講演に、お声掛けいただきました。

対象は医者や看護師、医療・福祉の皆さんと、一般市民の皆さん。対象により伝え方も変わるので、総合的にどうまとめるか色々内容を悩みながらお話しをさせていただきました。

90分の講演の後に、30分の質疑応答。その後に著書販売をご準備いただき、ポプラ社さんにご協力いただいて、サイン会となりました。

質疑応答では、色々ご質問をいただきました。ありがとうございました。

東日本大地震発生後、子どもさんを育てるために、又は身内を頼りなどなど、横浜に引っ越して新たに生活をされている皆さんもお起こしいただき、サイン会の時には「被災地ふるさとを思い、横浜という新しいふるさとの中で」様々なお話しを伺いました。

「東北弁、NICE!!」

と、特に被災地から引っ越して来られた皆さんに、声を掛けていただき、

「私、標準語でしたよ!(笑)」
「違うよ〜、なまってたよ〜(笑)」
「えー!(笑)」
「懐かしかったよ〜(笑)」

と、みんなで大笑い。少しの時間、東北弁で話したいと言われ、当時のこと、今のことを涙あり、笑いありで東北弁で語られていました。

一人来られてお話しされ、

「あら、私も宮城県!」
「あら、私も岩手県!」
「あら、私は福島県!」

まさに、企画いただいた講演がなければつながらなかった⁉︎新天地の地域の中で、ふるさとの地域ががつながるとき!だったのではないでしょうか。サイン会の場では、色々な方が「あら!」とつながるときが多くあります。そんな瞬間が、私はとても好きです。

出発した日の岩手県の気温は、氷点下。翌日の講演の日の横浜は、8℃。帰ったら氷点下。自分の健康管理も、課題です。

2017年1月18日

色々と・・・

〈マンツーマンセミナー〉
今月の初めには、雪の降る中県北からマンツーマンセミナーにお越しいただきました。一生懸命、頑張られましたね。又、来られると言っておられて、是非、お待ちいたしておりますね。お疲れ様でした。

現在は新潟県から、2回目の参加型納棺・復元コースのマンツーマンセミナーの受講のため、看護師さんがお越しになっています。目標があるから、医療の実務経験を重ねて沢山の思いを胸に、ものすごく、頑張っておられます。明日からは、少し難しい内容になっていきますよ。随分と練習を積み重ねたのだとよく分かります。前回よりも、益々腕を上げていました。残りの日数も、頑張りましょう!


〈阪神淡路大震災から〉
昨日は、阪神淡路大震災から22年。マンツーマンセミナー中も、あの日を思い出しながら偲びました。阪神淡路大震災を経験された、多くの皆さんにも、随分支えていただきました。心底、勇気をいただきました。昨日は、皆さんと話し合い、支えていただいたことを含めて、大切な振り返りの時間になりました。




〈突然のお別れ〉
年明けに、いつも支えていただいているYさんに声を掛けていただいて、法事にお邪魔しました。子を思い、いつも母のあるべき姿を教えてくれる、私の大好きな、ステキなお母さんです。

それから数日後、1人のお母さんが来社されました。突然の、子どもさんとのお別れを経験されたお母さんでした。子を思い続け、守り続け、共に過ごした時間と、これからの気持ちをお話ししてくださいました。その子の命日は、阪神淡路大震災が発生した日と同じ日だと、教えてもらいました。同じ日の中にある、どちらも自分にとっては大切なんだと、お母さんが話してくれました。

「突然子を亡くした親が、話せる場が無かった」と、話してくれました。

そういう会を、お母さん方と立ち上げる活動をスタートすることになりました。いま、突然兄弟を亡くした経験を話してくれる子どもさんたちとも、多くの出会いがあります。

大切な家族を亡くした多くの皆さんとの出逢い・・・、

そこから生まれる希望・・・、

皆さんの切実な思いを形にするべく、求められていることの道を、しっかり考えていきたいと思っています。

私が担当させていただく多くの復元は、お一人お一人の人生に触れ、悲しみの本質に直面します。突然、大切な家族を亡くした時に、遺された家族が対面時に気を失われ、嘔吐したり、体調が悪くなることも少なくありません。病院勤務の経験が、突然瞬発的に発揮されることも少なくありません。だから復元中には、「心配しているから、早くご家族の元に帰りましょうね」と、いつも亡骸に話し掛けます。



〈授業〉
今日は、毎年声を掛けていただく地元の高校の、90分の授業でした。高校一年生の生徒さん方が真剣に、身を乗り出して、授業を聞いてくれました。授業の中で伝えたことは、

お金では買えないものが、「いのち」
代わりのないものが、その人の「いのち」

人は、様々な感情を持ち、バランスを取って生きています。そのバランスの取り方は、という内容で、悲しみや後悔に対する考え方や、向き合い方を様々に皆さんと色々な例にたとえて考えて、

悩んだら、必ず理解してくれる人に相談すること(後略)、を伝えました。

授業を終えた後の質問がなかなか終わらず、皆さんが真剣に「いのち」と向き合ってくれたことを実感しました。

授業終了後にはツイッターなどで、みんながいのちについて考えて、亡き大切な人を思い、過ごしたことを教えてもらいました。

〈後記〉
毎日、多くのお別れにご縁をいただいています。現場に入れば、私も必死です。その中で人の心の中にある、優しさや思いやりに私の心が支えられることがあります。悲しみは、人に深い優しさをプレゼントしてくれること、そういうことを、私も現場の中で教えてもらっていました。

いのちの授業では、死の中にある大切なことのお話しをします。子どもたちは、必死で何かを得ようとしています。本当は知りたい「死」のこと。知りたいことの中に、父や母、兄弟や友人など大切な亡き人を思っていることもあります。思春期は、悩みながらも自分のいのちと向き合っていることもありますから、責任を感じながら、役目を果たします。

「生きていることを意識して、今を大切に、目的を持って生きて行こうね。」

これからも、いただいた貴重なお時間の中で、一生懸命伝えて行きたいと思っています。

2017年1月15日

日総研、名古屋セミナー

赤ちゃん・小児のエンゼルケアとグリーフケアのセミナー会場には医師、看護師、助産師の皆さん、部署としてはER(救命救急)、小児科、産婦人科、NICU(赤ちゃんの集中治療室)などの皆さまがお越しくださいました。

赤ちゃんや子どもさんたちのお別れのお手伝いをさせていただいている経験の中から、お伝えしました。

が、これだけの経験をして来ていても、毎回初めてのことに当たります。それはきっと、同じ人は2人といないよって、お天道さんが私を戒めて、教えてくれていることなのかなと、思っています。ということを含め、セミナーの内容を進めました。

セミナー終了後に、皆さんと色々とお話し出来た時間は、小さないのちが頑張って生きていたこと、子どもたちが生きていることを大切にしていたこと、色々なお話しを伺って、その内容がまた、私の宝物になりました。気が付けば、セミナー終了してから質疑応答の時間が終わるまで、1時間半が過ぎていました。

にっこり笑って、深い眠りに入っていく赤ちゃんや子どもたちがいたこと。その可愛らしい姿を知っている人たちの心の中にも、立ち位置を超えて、みんなの心の中に生き続けてくれていました。

想い出せば涙は出るけど、それは、私たちにとっても、かけがえのない存在であったことを、悲しみが教えてくれていると思います。記憶は、宝物。出会ったからこそ、知っていること、過ごせた時間。そういう宝物を胸に抱き、プロとして徹していく。ステキな皆さんとお会いできたこと、その時間に深く感謝を申し上げます。

皆さまの益々のご活躍を、お祈り申し上げます。ありがとうございました。

心の健康講演会

平泉町が主催する講演会にて、お話しをさせていただきました。

平泉町といえば、中尊寺・毛越寺など平泉の文化遺産が、考古学・民俗学の視点からも高い評価を受け、世界遺産登録を受けました。現在は土日、祝日はとてもたくさんの人が訪れるようになりました。私もふらっと時々訪れる、ステキな所です。

平泉の考古学・民俗学に御尽力された、大矢先生には、私も大変お世話になりました。お空の上に逝かれましたが、私の心の中には教えていただいたたくさんのことが、今も生きています。

大矢先生との歴史のお話しは、驚いたり、自分が知らないで行なっていたことの歴史や意味を知り、納棺を改めて考えさせてもらったり、いのちのことを深く考えたり、そしてたくさん先生と笑った、大切な想い出があります。

そう想い出をお話しさせていただき、講演をスタートしました。



毎日、多くのお別れのお手伝いをさせていただいていますが、お一人おひとりの皆さんから、人の心のある大切なもの、気持ちや想いの中にある大切な人を守る方法が各々あること、ステキだなぁって、私も毎日、色々なことを教えていただいています。と、お話ししました。




日本人は、簡単に悲しみを外に出す民族ではないけれど、どのようにその気持ちと向き合い、大切にし、生きて来たのか。死者を葬い、想いを馳せて、遺された人達が大切にして来たことを、歴史は知っているんだよ。大矢先生が、そう教えてくれたことがありました。

私たちは次の世代に、伝え遺す立場に立ちました。大矢先生が私たちの世代に遺してくれたように、歴史の中に生きていることを意識して、一日を大切に過ごし、何を遺したら良いのかと考えたいと思います。

東日本大震災で被災された方々も、平泉町に引っ越して新しい生活を送っていることを教えていただきました。

「安置所で、いつも見掛けていたよ。ありがとう。」

年輩の男性の方に声を掛けていただいて、一緒にあの日のことを振り返る貴重な時間をいただいていました。

お足元の悪い中、たくさんの皆さんにお集まりいただきました。お会いできた時間に感謝を申し上げながら、皆さまのご活躍をお祈り申し上げます。ありがとうございました。

追伸、
講演に向かう直前まで現場に行っていたので、会場到着がギリギリになってしまいました。関係者の皆さまにはハラハラさせてしまって、すみませんでした。

2017年1月4日

初夢

初夢は、良い夢を見ましたか?

①見た!
良かったですね〜(*´∀`*)

②すごい怖い夢を見た!
昔から、バク(ばく・動物)に「食べてね」とお願いするか、七福神の絵を枕の下に入れて、夢を見直すという風習がありますよ。又は、怖い夢・良くないと思える夢は逆夢かもしれないとも言われます。

③全然見なかった!
徳川家康にあやかり、一富士二鷹三茄子が、縁起の良い夢と言われています。何も見なかった場合は、だったら現実に食べちゃえ!ということで昔から茄子を食べると良いという風習が残っているそうです。「茄子=成す」という意味があるそうです。

*   諸説あります。

ちなみに私の初夢は、サンタクロースがソリに乗ってやって来ました。(正月に!!)わははははと、笑ってました。とりあえず、2人のサンタは赤と緑の服着てたので良かったです。(ブラックサンタじゃなくて良かった!)

もう一つ見ました。去年の春に死んだじっちゃん(お爺ちゃん)が出てきて「願いは何だ?」と、私に聞くので、「歯医者さんに行かなくても、歯が全部治ること!」って夢の中で答えると、「それは自分で頑張れよ!」と大笑いされて目が覚めました。会いたかったじっちゃんに、こんな形で会おうとは!あと、もっとマシな願い事を言えば良かったと、後悔しておりました。(笑)

ちなみに、昨年、子どもさんたちからも大人の人たちからも、全国各地で本当にたくさんのご遺族から教えてもらったのですが、震災絵日記を枕の下に入れて寝ると、亡くなった家族と夢で会えるんだそうです。教えてくださる、皆さんの笑顔が印象的でした。本は少し、厚みがあって硬いので、首のコリには気をつけてくださいね。

皆さんも、何かしらステキな夢が見られますように。

歳神さま、ようこそ。

今年の恵方は、北北西。

年に一度、恵方の高い山から降りてくる「歳神さま」をお迎えするため、

昔から、大掃除も終わり、歳神さまを迎える準備が整っていますという意味で、

日の出と共にやってくる、

歳神さまへの目印としてどこのお家でも玄関に正月飾りを飾ります。

実りを象徴する神のため、稲や稲穂などを使っての正月飾りであることという決まりがある。

年末もバタバタと大忙しだった、桜。そんな年末、

「正月飾り、とりあえず玄関に飾りました。」

というメールが、私のところに入りました。ありがたい、気が付いた人がまずやろう!という桜の普段の雰囲気。私も、そこまで頭が回らなかったもので、

「ありがとう。」

感謝の気持ちを込めて、返信を送りました。

一月一日、弊社の玄関の前に立ち、ぷっ(笑)と思わず笑ってしまった。玄関の正月飾り、

「交通安全」と書いていた。

普通なら、「開運」とか「迎春」とか、そんなイメージだったから、思わず笑ってしまった。玄関のこの飾りは、車に飾るはずだった正月飾りに違いない。

歳神さまは、どう思っただろう。

歳神さま「お、ここが桜か!ん⁉︎こ、こ、交通安全⁉︎」←私の想像(笑)

年末、忙しい中みんなで大掃除をしてくれたキレイな事務所で、歳神さまにもくつろいでいただいたことには、間違いないだろうと思った私でした。

そっか!

「とりあえず」って、そういう意味だったんだ!(笑)何より、忙しい中で「正月飾り」に気が付いてもらって、助かりました。





2017年1月1日

今年もよろしくお願い致します。

新年を無事に迎えられましたこと、心より感謝を申し上げます。皆さまにとっても、温かな一年になりますよう、御祈念申し上げます。

弊社も昨年、ベテラン陣に加えて新人さん2人が入社しました。私の留守中も会社を守り、真摯に現場に向き合ってくれて、一人ひとりのファンも増えています。確実に私より、みんな優しいので(笑)、どうぞ頼りにしていただければと思います。

実は私たちが担当させていただく納棺の時間も又、社会問題と大きく直面します。現場に立つ度に、死の世界が今の社会そのままを、表現していると感じることもあります。弊社のカンファレンスでの後半は、社会問題を考える時間もあります。

老いること、病気と向き合うこと、生活の中に苦しみがあり、その先に死があるとしたら、それは一体どのような死であるのか。実はとても種類があります。




岩手県のむかし話の中に、以下の言葉があります。

野に出ることを
はかだち

山に帰ることを
はかあがり

姥捨山(うばすてやま)の話しです。

そのむかし、作物の不作に苦しんだ時代、どうしても食べさせられない家庭では、姥捨山に親を置くしか方法がなかった。親をおんぶ(背に乗せ)して山を上がり、子は泣きながら年老いた親を山へ置く。泣きながら山を降りる子に対して、山に置かれた親は、

「振り向くな!」

と言った。そして、ただそこに居て最期を迎えた。と思われがちですが、そうではなくて、姥捨山のふもとの村では、働けるお年寄りは山を降りて、畑仕事を手伝い施しを受けていたそうで、それを「はかだち」と言い、畑仕事を終えて山に帰ることを「はかあがり」と言っていたそうです。(諸説あります)

姥捨山がその字の通り、墓であることは変わりないのかもしれませんが、助け合う気持ちがいのちを支えていたことは、きっと今も昔も変わらないのかもしれません。


むかし話は、時に人の心を原点に戻してくれることがあります。悩んだら、むかし話。そう、納棺の時間は、しきたりと風習が大事にされるので、むかし話の中に一旦入り込むような時間なのかもしれないなと、思います。

「人の心の原点に帰ろう」

昔の人が遺してくれた財産なのかもしれません。




今年もよろしくお願い致します。