弊社も昨年、ベテラン陣に加えて新人さん2人が入社しました。私の留守中も会社を守り、真摯に現場に向き合ってくれて、一人ひとりのファンも増えています。確実に私より、みんな優しいので(笑)、どうぞ頼りにしていただければと思います。
実は私たちが担当させていただく納棺の時間も又、社会問題と大きく直面します。現場に立つ度に、死の世界が今の社会そのままを、表現していると感じることもあります。弊社のカンファレンスでの後半は、社会問題を考える時間もあります。
老いること、病気と向き合うこと、生活の中に苦しみがあり、その先に死があるとしたら、それは一体どのような死であるのか。実はとても種類があります。
岩手県のむかし話の中に、以下の言葉があります。
野に出ることを
はかだち山に帰ることを
はかあがり
姥捨山(うばすてやま)の話しです。
そのむかし、作物の不作に苦しんだ時代、どうしても食べさせられない家庭では、姥捨山に親を置くしか方法がなかった。親をおんぶ(背に乗せ)して山を上がり、子は泣きながら年老いた親を山へ置く。泣きながら山を降りる子に対して、山に置かれた親は、
「振り向くな!」
と言った。そして、ただそこに居て最期を迎えた。と思われがちですが、そうではなくて、姥捨山のふもとの村では、働けるお年寄りは山を降りて、畑仕事を手伝い施しを受けていたそうで、それを「はかだち」と言い、畑仕事を終えて山に帰ることを「はかあがり」と言っていたそうです。(諸説あります)
姥捨山がその字の通り、墓であることは変わりないのかもしれませんが、助け合う気持ちがいのちを支えていたことは、きっと今も昔も変わらないのかもしれません。
むかし話は、時に人の心を原点に戻してくれることがあります。悩んだら、むかし話。そう、納棺の時間は、しきたりと風習が大事にされるので、むかし話の中に一旦入り込むような時間なのかもしれないなと、思います。
「人の心の原点に帰ろう」
昔の人が遺してくれた財産なのかもしれません。
今年もよろしくお願い致します。