2015年3月30日

ありがとう

インターンシップ、講演、出版物や寄稿などの原稿も行いながら、納棺や復元の現場にもご縁をいただいて走っていました。

悲しみの表現の方法、死の迎え方、年齢も0歳から100歳を超える方まで、精一杯生きた時間も、お別れの時間の関わり方も、みんな一人ひとり違います。

遺されたご遺族が、本当に「死」を実感するのは、大切な家族を見送り終わってからの、生活がスタートした時。「本当に居ないんだなぁ」と、お話しをしてくださるご遺族も、少なくありません。

嘆いて、苦しくて、誰にも会いたくなくて、泣き続けて・・・。そういう時間を、ほとんどの皆さんが経験されています。当然です。大切な家族を亡くしたのですから。でも、苦しんだ人が発する言葉には、特徴があります。温もりいっぱいで、人の心に残る言葉を伝えてくれます。

現場で、こんなことがありました。おじいちゃんを亡くした、小学生のお孫さん。棺への移動のとき、「おじいちゃーん!」と大きな声で故人に向かって叫びました。そうすると何処からか

「はーい!」

と聞こえて来て、みんなで驚いて声の主を探しました。その声の主は、部屋の隅に座っていた、腰の曲がった近所のおじいちゃんでした。とても素敵な笑顔で、にっこり笑ってお孫さんを見ていました。お孫さんも、

「ありがとう。」

と、涙を拭きながら言っていました。そのおじいさんは、お孫さんを亡くした経験があるのだと、帰りにこっそり、私に教えてくれました。

「孫がね、呼んでいるみたいだったから。」

深くて、優しくて、強くて、弱くて、悲しみの現場には、人の温もりが確実にあるものです。「ありがとう」の言葉が、こんなに心にしみるものだとは、私も初めての経験をさせていただきました。




兵庫県養父市にて講演

兵庫県養父市援助職者が学ぶ会様にて、講演をさせていただきました。対象は、福祉・保健・医療の援助職者の皆さま。本当に申し訳ない限りで、私のスケジュールの都合で、2年前にお申し込みをいただいていました。ありがとうございました。

120分の講演。90分講演が多いのですが、120分の講演も、あっと言う間でした。

講演なので技術の講習は無かったのですが、質疑応答は死後変化や処置の必要性についての質問が多くありました。

皆さんが、多くお看取りに寄り添われている職種であるため、死後処置の大切さも質問をいただいたので、お伝えしました。私の場合は、特に困難な復元の現場では、検案書や死亡診断書の内容を確認出来ない状況もあり、カルテも無いので、亡くなられた方に現在起きている色、臭い、肌の状態などから、最期の時を予測します。そこから、目の前の方に必要な処置を考えて、ご家族が安心出来るように、求められる内容を確認して技術に変えていきます。筋肉や関節も重要なので、触れさせていただいて、何が一番遺されたご家族にとってベストなのか、考えていきます。

亡くなられた場所からの移動、そしてお布団の安置。そこから、棺への移動、場所の移動、火葬場までの移動と、亡くなられた方は、実は移動が多いのも特徴ですから、動かす=出る可能性は高いと言うことになります。ご本人の最期に、ご本人に恥をかかせることがあってはなりません。なので、その方に合った処置は、必要ですね。最期のお顔は、皆さん一人ひとりの記憶に残るものですから、責任は重大です。お化粧は、現代、家族が「やりたい!」と現場では本当に希望が多いので、助手に回ります。など、お話をしました。

そして、「来年もお願いします!」との、有り難いお言葉に見送られながら、帰ってきました。

片道8時間掛かったことをすっかり忘れてしまう、会場にお集まりいただいた皆さんの熱気に包まれ、有意義な時間を過ごさせていただきました。ありがとうございました。

インターンシップ

地元高校生のインターンシップ(職業体験)受け入れでは、事務所内もフレッシュな風が吹き込みました。そして、一人一人が、大切な家族を亡くした経験がありました。

「そうかぁ、ただ、体験をするためだけではなくて、自分の中の何かを確認したり、答えを探しに来てくれたのかな?」

弊社の職員もそれを感じて、いっしょに居られる時間を、大事に関わらせてもらいました。被災地に育つ高校生ですから、もちろん東日本大震災の、復興の話にもなります。

「よし、行こう!」

向かった先は、大槌町「子ども夢ハウスおおつち」。吉山くんと横ちゃんにもお世話になって、夢ハウスのポップに道案内をしてもらいながら、復興のための工事が盛んに行われる町の中を、ゆっくり歩きながら話し合いました。次の世代の子どもたちと歩きながら、今の私たちに出来ることをまた、改めて考えた時間でもありました。

納棺業は、地域の中にある一つの会社です。ご縁をいただいた一人ひとりと、つながっています。悲しみの現場にいる一人ひとりも、社会の中に生きる、1人。そして、亡くなられた方も、そう。100歳をこえていても、0歳でも、精一杯生きた人生には変わらない。大切な家族との最期の、大事な時間です。悲しみを経験したとき、悲しみとの付き合い方、その悲しみと共に生きる方法をみんな探して、大切な家族が遺してくれた想い出の沢山ある悲しみの中から、今を生きることの意味を教えてもらいます。

社会は心掛け合って、助け合って成り立っているから、私たちも色んな業種の皆さんとのご縁を大切にしながら、社会の中の会社、その一人として存在していることを、インターンシップでは知ってもらえたと思います。

岩手県や日本の歴史の中からも、「いのち」のことを考えながら話し合いました。自分の身近な「いのち」から意識して、目の前の「いのち」に向き合えますように、皆さんの益々のご活躍を祈念して、インターンシップを終えました。お疲れ様でした!


2015年3月25日

様々に

満月と新月は、やっぱり納棺の件数は多く、何かとっても深すぎて、地球と宇宙の関係を、首を傾げながら考えてしまうこともあります。引力の作用と潮の満ち引き、人間の多分血液の動きと心の働き、誕生と死と、何か関係があるんだろうなと、今月も考えさせられる満月と新月でありました。

毎日、下を向きっ放しで、
いつも死のことを考えている。

と言うと人に心配されるけれど、職業上、いたしかたないことなのです(笑)下を向かないと施行出来ないし、死の現場に居れば、人が生きることで当たる、様々な壁や背景や環境を考えさせられます。

昨日から、花粉に続き黄砂と、雪が降っています。とても寒いから、納棺の時も遺された御家族が、故人を心配されて「靴下を履いた後に、足袋を履かせたい」と希望されることもあります。故人を心配して、遺された家族からの希望はたくさん出ますから、御家族にとっての、今の一番のベストを尽くしていただけるように、お手伝いをします。

現場によっては、御家族の心情に配慮して、状態や状況の申し送りが無い中で、入ることがあります。もちろん、カルテもありませんから、故人のお体の状態から、読み取るわけです。死は、色んなことを教えてくれますから、ありのままの真実と、関わらせていただきます。

東日本大震災で大切な家族を亡くし、その後にまた、大切な家族を亡くし、大切な友人や知人を亡くし、それでも大切な人の死から、遺してくれた一つ一つを確認して、踏ん張って生きている方に、たくさんお会いしています。

故人に対して、周りの人は様々な評価をするもので、家族は「人は自分の好きなように言う」と嘆きます。「故人の味方が出来るのは、故人の苦労を知り、悲しみを知り、それでも笑って生きていた、それを知る人だけが味方になれるのだと、私は思います。見えているところだけ見る人と、全体を見てくれる人と、指紋が世界中の人一人一人違うように、世の中には様々な人がいますから。

どう死を迎えたのか、他者はそればかりを気にします。家族も、そこからスタートすることは少なくありません。でも、家族は悲しみの中で悩み、考え、苦しみながら、心の移行が起きています。家族を亡くした悲しみが癒えないうちに、他者からの言動で嘆きが何重にものしかかることがあります。その一つ一つのきっかけを、気持ちが納得出来るように関わりの中で、そっとお手伝いが出来ないものかと、現場でいっしょに考えていくのも御縁に全力で尽くすことだと思い、大切にさせていただいています。

体が無くなる前の、納棺。御家族の「最期に」の言葉は、絶対に聞き逃さないように、自分の心に入れて、大切に形に出来るようにしています。

花粉に続き、黄砂と雪。納棺の現場は、マスクをされている方が、今時期は多くいらっしゃいます。花粉と、黄砂と雪、早く落ち着くと良いけれどと、願わずにはいられません。明日から、高校生の皆さんがインターンシップ(職業体験)で来社します。最終日まで、頑張りましょうね!お待ちしています。





2015年3月21日

子ども夢ハウス春休み!

世の中は春休み。子ども夢ハウスに通う子どもたちも、春休み!二泊三日の泊まりで、私も夢ハウスに居ました。

311の「お空の上にいる家族にお手紙を届けよう、風船プロジェクト」では、たくさんの皆さまにご支援いただき、町の皆さんといっしょに、ボランティアの皆さんといっしょに、大好きな家族、いつも見守ってくれる地域の皆さん、安心出来る存在の夢ハウスの吉山くん、横ちゃん、そして大切な存在のくっそー(藤原代表)と過ごした時間は、子どもたちが話してくれる内容によると、すごく心強い時間だったそうです。ありがとうございました。

今月でお別れになる、すり傷公園。とうとう、かさ上げの順番が回ってきました。相変わらず皆んな、風があろうと雨が降ろうと「子どもは風の子!」と言って、大好きなすり傷公園に走って行き、相変わらず今も公園で過ごす時間が多くあります。公園とのお別れに寂しい気持ち、喪失感を抱く子どもたちにくっそーは話します。「復興のための、必要な悲嘆が一人一人にあるんだよ。」自ら動いて背中を見せる、夢ハウスの理念(私には、そう見える)の中に、大人の背中にも悲嘆があることを、子どもたちは見て知っています。悲嘆とどう関係性を持ち、共に生きるか、それを環境の中から、大人の背中から、感じていく「自律支援」の目的の夢ハウスでの、生活。

「すり傷公園が無くなるのは寂しい。」子どもたちがそう話してくれたので、夢ハウスの記録を、くっそーにオッケーをもらって、皆んなで作ることになりました。くっそー(藤原代表)が編集長で、編集部は初期の頃から通う、女の子二人と私。この子たちも、震災前の町、震災後の町、震災の体験、夢ハウスの色んなことを見て共に過ごし、新しいお友だちの面倒もよく見てくれます。そのための、私も二泊三日の泊まり込み。二人とも、よく頑張っていました。夢ハウスに通う皆んなも、絵を描いてくれたり、とても協力的です。どんな記録になるのでしょう。時間はもう少し掛かるけど、とっても楽しみです。

春休みと言うこともあり、子どもたちも、夢ハウスに大勢集まっていました。初めて会う子もたくさん居て、三日間居ると親御さんともお話しが出来て、とても深い時間を過ごさせていただきました。

小学校に通う、Tくんのお母さんのお話し。「震災で色んな経験をして、私から全然離れなくなり、寝るときも離れず、トイレに行く時も一人では行けなくなっていたんです。現実はね、やっと見つけた仕事に行かないと、食べさせても行けない。休むと給料が減る。仕事に行っていても心配で、心配で仕方なかったんです。春休みに入ったら、家で一人で留守番が出来るか心配だった。春休み初日の朝、仕事に行こうとしていたら、「僕、夢ハウスに行きたい!」と言って、自分でカバンに色々詰めて準備していたみたいで、ボロボロ目から涙をいっぱい流して、泣いていました。震災後の我が家の状況があったから、自分の意思で決めてくれたことが、私もとても嬉しくて、子どもと二人で玄関で泣きました。夢ハウスがあってくれて良かった。そう思いました。だけど、こんな早くに(朝8時半)夢ハウス、開いてるかな?と子どもに言ったら、「誰か来るまで、僕、玄関で待ってる!」って。そう言うんです。こういうことが自立心って言うんですよね。本当に嬉しくて、泣けて来ました。夢ハウスに通うことで、今まで出会ったことのない、子どもの成長を見ながら、「お母さん業は24時間体制で、休みなんてこの先何十年も無いだろうけど、しっかりと頑張ってみようかな」と言う気持ちの余裕が出た気がします。と、お母さん、目に涙をいっぱいためて話してくれました。

そう、朝、夢ハウスの前で話し合いをしている親子の声が聞こえて、「おはようございます〜!」夢ハウスの鍵を開けた私。吉山くんから、朝早く来てくれる子の話は聞いていたので、大丈夫、大丈夫。だけど、大丈夫じゃないのは私は頭を洗ったばかりで、髪が大変なことになっていて、お母さん「貞子かと思った〜〜」って、笑っていました。怖がらせて、ごめんなさい〜(笑)

春休み中の夢ハウスには、地域の皆さんがお手伝いに来てくださっていました。台所には、郷土料理のプロが子どもたちに料理の指導をしながら、腕を振るわれていました。すごい!地域の皆さんが、顔を出してくださって、子どもたちも、大はしゃぎでした。

夢ハウスの特徴は、障害を持たれている方々も笑顔で、顔を出してくれます。例えば夢ハウスに来られるときは、杖がいらないんじゃないか!と言う速さで来られる年配の男性。帰りはゆっくり、杖をついて帰られました。「俺はさぁ、現役で山も登るんだよ!」笑顔で教えてくれました。吉山くんが話してくれました。障害があるとか、無いとか、年だとか若いとかそういうことでは無くて、夢ハウスではそれを超えた人のつながりがあり、共に助け合う気持ちで皆さんが過ごされています。それをお手伝いするのが、夢ハウスの役割なんだと思います。僕、藤原先生の言葉をパクってますけど(笑)と、教えてくれました。

彼岸の入りから中日まで過ごし、被災地は、お花を持ってお参りされている方々の姿がありました。私も変わっていく町並みに、未来へ向かう気持ちと、変わっていく寂しさと、二つの気持ちがあることに気が付きました。

皆さまのご支援に、心から感謝を申し上げます。引き続き、子ども夢ハウスおおつちのご支援を、よろしくお願いいたします。ありがとうございました。






2015年3月18日

本日の岩手日報さんの記事です。

書店の田口店長さんは、全国でも有名なカリスマ店長さん。国指定豪雪地帯である西和賀出身の田口さんは、同じ西和賀碧祥寺の太田宣承さんととても親しく、お二人はおもかげ復元師を世に出してくれた、おもかげ復元師の、お父さんみたいな存在です。

お二人の共通点は、言葉をとても大切にしていること。西和賀の方は、何でも一つ一つを大事にしますが、言葉もとても大切にしているんだなと、感じました。

それから、悪口を言わないこと。お二人とも、良いこともそうでないことも、本人にとても上手に伝える技を持っています。傍にいて、うなるほどのすごさです。

笑顔がとっても癒されるお二人は、普段から人の悲しみを含めた人生に触れておられるので、人の気持ちに、とても大切に関わってくれる人情家です。

お二人のお父さんも、おもかげ復元師を育んでくれています。おもかげ復元師は、小中学校の道徳・人権擁護学習の副読本にも選ばれました。全国各地の図書館、小学校・中学校・高校・大学・看護学校など、教育の現場でも司書さんや先生方々、皆さんに大切にしてもらっています。

昨日は徹夜をして、今朝新聞を見たら、田口さんがおもかげ復元師を紙面で大きく紹介してくださっていたので、何も知らされていない私は、驚きました。戦国武将のような人柄の田口さんは、使命感に燃えている情熱的な印象の、書店のカリスマ店長さんです。









2015年3月16日

マンツーマンセミナーについて

マンツーマンセミナーを受講された皆さんから、腐敗(現代でも普通にあります)や事故等の困難遺体の復元を実行し、ご家族に対面していただいて、「眠っているみたい」等々と、お別れの時間を提供出来ましたと、報告が続いています。

マンツーマンセミナーのお問い合わせも大変多くいただいていますので、お答えしますね。

腐敗は、孤立死や孤独死に多くあります。孤立死は、主に他者との関わりが生前からなかった方。孤独死は、他者との関わりがあったけど、一人で亡くなっていた方。他に、事故、自死で時間の経った方。災害等で時間の経った方等々。

例えば、息を引き取られたとして、その場所が日の当たる場所で、室温が段々暖まり高くなっていくと、消化器系からバクテリアの増殖により変色が発生し、人の体は腐敗が進行し段々と体が膨張します。おもかげを全く無くしますが、警察の検視(警察はすごい)で死因は特定出来ます。建物の中なら数日、外なら1日で虫が付きます。本人かどうか分からない時は、DNA鑑定が行われます。と言う方を元に戻して欲しいと言われたら、この場合は重度の復元になります。

復元の現場は、その死後現象自体を直視出来るか。は、まず大きなミッションだと思われがちですが、マンツーマンセミナーに学びに来られるほとんどの方は、現場で遺体と対面して背景を知り、「戻すことが出来たら」と大きな後悔を持ち、わざわざ遠い岩手県まで全国各地から、弊社に技術習得のために来られます。

遺体の状態がトラウマになると言うよりも、その方の死(人生の最期)の背景(社会問題)にあることの方が、とても心が痛くなり深く心に刻まれていることがあるのです。だから、自分に出来ることを増やして復元に挑むと言う、もう諦めたくないと言う気持ちが、目の前の背景に向かって行こうとする勇気に変わるのです。遺体の状態に向き合っているようで、実は、背景に向かっているのが、現場にいる私たちの心情です。死を迎えていらっしゃるけれども、私がこうしてここに居させていただいて、ご縁をいただいていることの意味を大切に考え、全力で尽くさせていただくことで、二度と戻らない今の時間と、いただいたご縁を全うしたい。と言う気持ちを、皆さんが持って来られます。

なので、マンツーマンセミナー中は、何度も復元のカンファレンスを行います。個別指導ですから、その人の得意不得意に合わせます。だから、みんな必死です。

復元に挑めるようになると、亡くなられた方を前にした時、どんなに小さな死後の現象でも、「これは死後の現象だな」と気付いて元に戻せるようになります。

死後の現象は、本人の意思で起こるものではありません。でも、それを解決出来ないと、家族に説明しても聞いてはもらえません。残された家族に安心していただけるように、技術を持つのが私たちの役割であり、家族として受け入れてもらえたら、次のプロへきちんと引き継ぐ。

不思議なもので、復元中は様々な音や、小さな話し声でも、外の犬や猫の鳴き声、小鳥の声までよく聞こえます。色々考えず、頭を空にして、一つ一つ見付ける復元部位を、引き出しを開けて丁寧に直していきます。ある程度の緊張感まで持って行くと、手がよく動くようになります。技術の引き出しを増やすこと、その引き出しを上手に使う、そのコツとポイントを掴んでもらう特訓も、マンツーマンセミナーで行います。

死の世界に生きていると、生きていること自体が奇跡だと思えます。当たり前に生きているのではなく、私たちは生かされて、いのちをつないでもらっていることを、強く意識ぜざるを得ません。

生きていること自体が愛おしく、

生きている人と
死んでいる人の境はなくなり、どちらも大切な存在となります。

社会問題の陰にある人の人生も、年齢問わず、一人一人大切な人生です。復元の現場は、決して日の当たらない現場ではあるけれど、縁の下の力持ちセミナーが、マンツーマンセミナーです。

医療・介護職の方であれば、全国7カ所で日総研さんのセミナー、葬儀業界の皆さんであれば、春と秋に綜合ユニコムさんのセミナーがあります。どちらのセミナーも、何度も受講される方が多いセミナーです。マンツーマンセミナーではなくても、この二社の出版社さんのセミナーがありますので、是非どうぞ。

上記二社の出版社さんのセミナーは、それぞれに出版社さんへ、お問い合わせください。

マンツーマンセミナーは、医療向け(ER、ICU等お勤めの看護師さんからお問い合わせ多く、新しく出来ました。1年経つけど、オープンにはしていませんでした)納棺のコースと、復元のコース等、色々コースがありますので、弊社にお問い合わせください。




2015年3月15日

いのち新聞

多くの皆さまにご覧いただき、ありがとうございます。質問も多くいただきました。募集記事と致しましては、

1、天国へいった大切な家族へ
亡くなられた「大切な家族へ」向けたお手紙を搭載させていただきます。

2、被災地情報
岩手県、宮城県、福島県と、三県以外の被災地の皆さまからの現在、過去、未来、それぞれについて、様々なご意見をお寄せください。お待ち致しております。

投稿いただいた文の、最後に載せるお名前は実名ではなく、イニシャルで搭載致します。いのち新聞に寄稿いただける時は、住所、電話番号、お名前の記載をお願い致します。


岩手県北上市中野町2丁目23ー28
株式会社  桜  内

いのち新聞係

いのち新聞編集部は約2年半続く有志の集まりで、数ヶ月に一度、編集を行うため常勤は居りません。お電話での受付は致しておりません。ご了承いただけますよう、お願い申し上げます。






幽霊が見える⁉︎

当たり前のことだけど納棺は、死を迎えてから行われる。死は、想像や妄想の中にあるものではなく、実生活の中に起こる現実なので、普段から自分の悲しみや困難と、どのように向き合っているかで、死のプロセスや答えは、個人差がありながらも一人一人違う。だけど、心の中は人の影響は受けても、人に邪魔をされる筋合いもない、大切なものがそこにあるなら、自分の心の中は自由なんだから、一人一人の考えで良いのだと思う。

東日本大震災が発生してから、納棺にご縁の無かった方々とも、ご縁をいただくことが多くなった。自宅を流され町が壊滅し、大切な家族を亡くし、みんな一人一人今でも苦しんでいる。潜在意識の中には経験した東日本大震災がある。今でも「怖い」と話してくれる被災者の人は多い。

納棺が終わってからの遺族訪問、東日本大震災の経験者、大切な人の死を経験した人たちが最近、「幽霊を見る」と言う相談が実は、とっても増えている。本気で悩んでいるから、私も本気で向き合わなければならないと思っている。

心の中の潜在意識が起こすことで見る幽霊と、本当に見えている幽霊の違いを、多くの遺族としての立場で話してくれる人たちと、主に看取りをされている全国の講演時にご縁をいただいたお医者さん方々との会話で、最近発見してしまった私。だけど、遺族が求めるその解決策を、まだ見付けていない今の私は、はっきり言ってとても中途半端。だけど、死に携わる人たちの「幽霊」体験は、ただのオカルトでは終わらない、人間の持つ「いのち」の深さが存在しているものです。

311の日、19時半頃に外で片付けをしている私の所に、子ども夢ハウスに通う女の子が「女の人の幽霊を見て、怖い」と打ち明けてくれました。言葉の最後に彼女は「怖いから助けて」と言った。もう一人の女の子が、「人が居て、自分を見ている気配のある場所があって、怖い」と言った。「怖い」や「助けて」は、SOSだと思うので、真剣に話しを聞いた。この子たちの人生の中に、東日本大震災の津波を見たことでの潜在意識のショックに、幽霊を見て怖いと言う現実が上乗せされてしまうのかと思うと、切なかった。

話を聴き、私は腕を組んで、目をつむり、うつむいて、しばらく悩んだ。

「そうだ、お坊さんがいる!」

「ちょっと待ってて。お坊さんに、相談してみるからね。」子どもたちに話し、お坊さんの所まで走った、走った。この年で、こんなに走れるものかと、自分でも驚いた。ただ、子どもたちの安心した顔が見たかった、それだけだった。

帰る支度をされているお坊さんの所に着いて息が切れる中、今までのことを話した。最後まで聞いてくれたお坊さん。

「今、準備をして行きます。」

走って子どもたちの所に戻り、お坊さんを待った。子どもたちは、その怖い場所が何処なのかを、お坊さんに真剣に説明をした。二人とも、同じ場所を指していた。

お坊さんが二人、お経を二つ上げてくださった。

初めて体験する焼香を、子どもたちは気持ちを込めて行っていた。

お経を終えて、お坊さんが子どもたちにお話をしてくれました。

「東日本大震災で亡くなった人たちも、きっと最後の時まで生きていたかったと思うんです。僕が思うに、魂の本体はもうちゃんと極楽浄土に居られてね、その生きていたかったと思う思い、何らかの事情があって残した思い、その「思い」だけがまだこの世に残っているのかもしれません。

僕の師匠のお坊さんがね、檀家さんと恐山参りに行った時の夜、お坊さんのことを「方丈さん」と呼ぶ宗派もあるんだけど、

「方丈さん、トイレ貸して」

と、三人の人が立て続けに、眠りに入ろうとしている、一人部屋の方丈さんに話かけたんだって。でも、方丈さん、

「あれ?部屋に鍵をかけたはずだったけど?」と思った時、自分の左腕の中に、小さな子どもがいる気配がしたんだって。それで方丈さん、横になったまま、その子の頭をよしよしと撫でると、気配が消えたんだって。そして、寝返りをうったとき、

部屋中にたくさんの人が居て、みんな方丈さんに向かって、頭を下げていたんだって。方丈さんは、

「そうかぁ、お経を上げて欲しいのかな?」と思って、お経を上げ始めたら、どのお経も途中で上げられなくなっちゃう。宗派に関係なく、お坊さんが毎日上げているお経を、途中で上げられなくなるなんて、あり得ないことなんだけど、方丈さんは、このお経じゃないお経を上げて欲しいのかなと、色々お経を上げたんだって。最後まで上げることが出来たお経は、二つ。今日上げた二つのお経だったんだよ。この二つのお経の意味はね、

一つは、「大丈夫だよ、心配ないよ」と言う意味のお経。

二つ目のお経の意味はね、「その一人一人を包み込むお経。」

津波で悲しい経験をした人に力尽くで払ったり、怒ったりはしません。ここにいる、事情があって気持ちを残している人たちを、お坊さんはみんな連れて帰るから、連れて帰って、極楽浄土の自分の本体と、一体になってもらえるまで、ずっとお経を上げているので、これからはもう心配ないよ。」

焼香をさせていただきながら、涙を流して手を合わせる子どもたちに、安心出来る空気が戻って来ていました。「幽霊」と表現をする時、もっと深い所で安心を求めていることがあります。最も重要なことが、奥の奥にあります。子どもたちのほっとした表情は、何よりでした。

子どもたちに「布施」の話をしました。お坊さんがお寺を留守をするのは、地元の人が不安になるから大変なこと。その中で、お坊さんがここに来てくれている意味を伝えました。昔は布を納めました。現代の大人は、お金を納めます。じゃ、子どもである自分たちに出来る御礼は、どうする?と、一緒に考えました。子どもたちは考えた結果、お手紙を書くことになりました。

今年の311は、そういう時間もありました。だけど私は思います。幽霊が、ありったけの笑顔で現れてくれたら、誰も怖くないのにな・・・と。ありったけの笑顔で過ごしてくれる、幽霊が増えてくれることを願います。





2015年3月12日

子ども夢ハウスおおつち

子ども夢ハウスおおつちの、光る風船フロジェクトに、多くの皆様のご支援をいただき、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

前日の10日には、夢ハウスのすぐ隣の大きな小屋が、暴風により後ろの山に寄りかかり傾いて、消防団と消防の皆様のお力を借りて解体されていました。そのくらいの暴風が、前日から沿岸全域に停滞していました。

風は強く、両足をついて立っているのもやっと。風船は、飛ばせるのだろうかと心配しながらも、多くの皆様のお力添えで、準備は進んでいるとのことを、到着した15時過ぎに藤原先生と吉山くんから教えてもらいました。インフルエンザですっかり痩せた?宣承さんにもお会いできました。「西和賀が、雪で大変なことになってるから、帰ります!」その言葉に、心配しながら、皆んなでお見送りしました。(弊社ホームページのトップページ、宣セーショナルをご覧ください)

14時46分の黙祷は、夢ハウスに通う子どもたちの親御さんで、やっと復活した事業の仕事が多忙で、風船に来れないかなと思い、仕事先を訪ねて一緒に黙祷。その近くの復興工事中の現場の皆さんも、機械を全て止めて、20名くらいの方全員が海に向かい、整列され、サイレンが鳴り響く被災地に於いて、黙祷をされていました。

その後、夢ハウスへ向かいました。車で走っていると、様々な場所で法要が行われていました。岩手県の行方不明者数は、まだ1000名を超えていて、昨日は、警察の一斉捜索も行われていました。(現在でも、月命日の毎月11日には行われている、ありがたい一斉捜索です。)

子どもたちは、光る風船プロジェクトに集まられた大勢の人たちを見て、少々興奮気味。横ちゃんとお母さん方々は食事の賄い準備。藤原先生と吉山くんは、極寒の中で準備と采配をされていたので、血の気が引いて顔が青くなっていました。倒れるのではないかと、みんなで心配しました。

山梨県からお出でいただいた6名の僧侶の皆様により法要をいただき、集まられた皆さんの気持ちが、一つになりました。

この暴風の中では、風船が飛ばせないかもしれない・・・。決行か中止か、藤原先生の決断を、皆が空を見上げ、無言で気持ちを引き締めて待っていました。

不思議なことってあるんです。あんなに強い風が吹いていたのに、風船を飛ばす時間にはピタリと風が止みました。

町民の皆さんが書いた、お空の上に行かれた家族へのメッセージは、それぞれに光る風船に結ばれ、メッセージを乗せた風船が、風が止んだ空へと、ゆっくりゆっくり上がって行きました。

「お空の上で、みんな、お手紙を待っているんだね。」風船にメッセージを結ぶ手伝いをさせてもらっていた私の傍で、小学生の男の子がポツリとつぶやき、空に上がっていく自分の風船が空に消えるまで、ずっと手を振りながら見ていました。誰に書いたのかな?と思って彼を見ていると、「きっと、今、届いたよ!」と、笑顔で話してくれました。彼の風船は、もう見えなくなっていたので、お空の上の大切な家族に、届いたのだと私も思いました。初めて会った子だったけど、私と彼とハイタッチをして、「またね!」とお別れをしました。

津波で亡くなられた町の人の数の、約1300個の風船を飛ばし終えた頃、すっかり忘れていたあの暴風が戻ってきて、おまけに雪まで降り始めました。本当に風船を飛ばす、あの時だけ止んだ風でした。

采配のマイクを握ったまま、涙が止まらなくなった藤原先生の姿・・・、地域、町民の皆さんと心が一つになった時間でした。

東日本大震災の発生から5年目を迎えます。一人一人の東日本大震災があり、一人一人の背景の中で、踏ん張りながらの生活にみんな、戻ります。沿岸でお参りできた人、仕事があるから内陸の地から沿岸に心を馳せた人、様々です。311の前の何度も起きた地震・・・、気持ちが不安定になり、震えが出たり、涙が急に出たり、倦怠感に襲われたり、身体にも大きな影響が出ていました。去年とも又違う、昨日の命日である311は、また、一人一人の心に刻まれた1日だったと思います。

皆さまのご支援、心から感謝を申し上げます。各被災地、子ども夢ハウスおおつち、引き続き皆さまのご支援を、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。









2015年3月9日

東邦大学佐倉看護専門学校

今日は昨日に引き続き、千葉県で講演をさせていただきました。

東邦大学佐倉看護専門学校・卒業記念講演にて、90分お話をさせていただきました。

120名の看護学生さん、教員の皆さま、病院の職員の皆さま、医師の皆さまも多く御参加いただいていました。

以前、東邦大学で講演をさせていただいたご縁で、校長先生から今日の卒業記念講演にお声掛けいただきました。

皆さんお一人お一人の表情が壇上からよく見えました。皆さんは、キラキラした目で、お話をさせていただいた一つ一つに、真剣に向き合ってくれました。きっと、頼もしくとっても素敵な看護師さんになられると思います。

皆さんとお会い出来て、本当に嬉しかったです。これから様々なことに出逢うと思います。学んだ一つ一つを思い出し、自分の技術にかえて、職務に御尽力くださいね。卒業、おめでとうございます。






夢のみずうみ村浦安

昨日は、子ども夢ハウスおおつちの代表でもある、藤原茂氏が代表をされている「夢のみずうみ村浦安デイサービスセンター」にて、90分のお話をさせていただきました。

一番手は浦安市長のお話し、
二番手が藤原茂代表のお話し、
三番手に私。

一番目にお話しをされた浦安市長さん、政策室の方と秘書さんのお話では、講演の資料やパワーポイントは市長ご自身で作られるとのことで、それでなくても市長業務は多忙なのに、すごいなぁと、うなってしまった私でした。とっても分かりやすくて、心に残るお話が幾つもありました。東日本大震災発生時には、液状化現象で被災した地域でもあり、復興のお話も積極的にお話に組み込まれていました。とても気さくな、素敵な市長さんでした。

次に、藤原茂代表のお話しでした。実は、ご縁をいただいたのは二年前なのに、藤原代表の「講演」として正式にお話を伺うのは初めてでした。笑いあり、涙あり、考える時間あり、福祉を基盤として共に人生を考えるお話は、充分に普段の生活の中でも組み込める内容で、人を惹きつける藤原代表の思いやりの深いお人柄と話術も、やっぱりすごいなぁと思ったお話しでした。本拠地山口県にある夢のみずうみ村は、全国各地から企業や国を含めた行政の皆さんの視察も多いと伺っていました。浦安市長さんが山口県の夢のみずうみ村に視察に行かれたところからの、藤原代表とのご縁ということでした。

最後の三番目にお話をさせていただきましたが、13時〜16時半までのお話を聞きに来られていた皆さんが、途中帰ることなく私の話まで最後の時間まで、お付き合いいただいていました。皆さんお一人お一人のお気持ちを伺い、頭が下がる思いでした。夢のみずうみ村浦安デイサービスセンターの職員の皆さんにも大変お世話になりました。ありがとうございました。

前夜に藤原代表と、秘書の菊池、私と3人でご飯を食べました。藤原代表は、沖縄の学校から浦安に入られていました。想像を絶するほどの多忙な毎日を過ごされている藤原代表、ご飯を食べながら何故か、お墓の話になりました。藤原代表曰く、「僕の墓碑に書く文を決めたぞ。」

藤原茂
ここに眠・・・
っているヒマはない!

藤原代表らしい言葉です。浦安デイサービスセンターの講演を終えて、皆さんをお見送りし、藤原代表はそのまま、子ども夢ハウスがある大槌町に向かいました。

皆さんとご縁をいただき、私もたくさん励ましていただきました。ありがとうございました。

今朝のNHKの朝の番組「朝イチ」で、子ども夢ハウスおおつちが取り上げられました。夢ハウスの管理人の吉山くんのコメント、子どもたち一人一人のコメントが、とっても素敵でした。皆さまの御支援、心から感謝を申し上げます。

本日、全国紙のスボーツニッポンで「おもかげ復元師」を取り上げていただきました。

報道関係の皆さまに、御多忙の中で取材いただいたこと、皆様とのご縁をつないでいただいたこと、様々な情報をいただき支えていただいて、感謝を申し上げます。ありがとうございました。







2015年3月7日

日総研さん東京セミナー

「介護・看護職が行うエンゼルケア・死化粧」の東京セミナーでした。10時〜16時まで、皆さんと現場で起こる様々なことを、遺されたご家族の心情に合わせ対処、解決する目的でテキストを中心に進めました。

日総研さんは全国7カ所を中心に回らせていただいていますが、知り合いや家族の医療者と一緒に、最近は「引きこもりです!」と言う中学生の、とっても可愛い子たちが参加をしてくれていたり。(いやいや、会場まで来れているので引きこもりではないでしょ〜!人生の壁に当たるのは、大人も子どもも同じです。その経験が絶対に活かされる時が来る!それはきっと、誰かの笑顔につながります!私も、生きて来た中で壁はいっぱいあるんです。と言うか、壁に当たることは誰もが経験することですからね(´・Д・)」何もない人なんて誰もいません。壁の向こうは、広い世界が自分を待ってるよ。ファイト!応援してるよ!)

それから全国7カ所の会場に、小学校や中学校の先生方々が、知り合いの看護師さんにこのセミナーを教えてもらって参加をしてくださっていたり。担任となった時に、生徒さんと病気など死別の、お別れの経験をした先生方々や、悩み多き生徒さんを持ち、何らかのきっかけや答えを探しに来られています。今日も先生がセミナーの終了後に「ずっと生徒の死を引きずっている」と打ち明けてくれました。「それは、引きずっているのではなく、大事な生徒さんの存在と、共に生きているのだと思います。その気持ちはきっと生涯続くし、きっと先生は答えを探しながら、覚悟を決めに今日は勇気を出して来てくれたんですよね。」とお話をしました。私も中学生の時に同級生を自殺で亡くし、高校生の時に親友が通り魔に襲われて亡くなりました。当時はとてもショックだったし、正直「死」の意味を探していました。深い嘆きの中で友人が生きて来た意味を探し、結果今、友だちは私の心の中に生き続け、遺してくれた想い出が、私を支えてくれます。医療・介護職の皆さんが一人一人の患者さんと、どんな思いで向き合っているのかの情報も持ってもらえたことも、亡くした生徒さんの生きた背景の情報として、とても意味のあることだと思います。先生は今日はきっとたくさんの情報と出逢い、その情報と生徒さんの存在を重ね、生徒さんがより先生の大切な存在であることをしっかり確信していただけたのではないかと、感じていました。先生、ファイト!また、お会いしましょうね。

今日も会場は満員で、医療・介護職の皆さんと様々に現場の課題を共有し、対処・解決に向けて深い時間を過ごしました。会場の皆さんの心の中にいるお空に逝った皆さんが、きっとお一人お一人を支えてくれていると思います。

死は、すべての終わりを意味するものではないと思います。個々の心の中に、遺してくれた大切なものがあり、それが育まれていく、そういうこともあるのかなと、感じた今日でした。

東京のセミナーが続きましたが、前回の東京のセミナー後は一度岩手県に戻り、納棺の現場に走っていました。

ご縁をいただいた皆さまの、益々のご活躍を心から御祈念申し上げます。お疲れ様でした。



2015年3月5日

状況別ご遺体処置と死化粧のポイント第12回

翌日の3月4日は、状況別ご遺体処置と死化粧のポイント第12回を迎えました。特殊遺体、困難遺体と呼ばれる「復元」を中心に進めます。この講座に参加される皆さんは、すでに社会問題に直面しています。

そしてご遺族が求めるように「戻したかった」という現場で抱えた、大きな嘆きを講座に持って来られます。一つ一つの復元の項目をお伝えしていると、「あぁ、今、故人を思い出されているんだな」と言う表情にお会いすることが多くある講座です。1日目の講座とはまた違う世界にある、光の当たらない「死」の世界です。孤独死、事故、自殺、事件、災害など、現実にニュースにならない悲しい死が、背景を含めてこの世の中には確実に存在しています。ご遺族の嘆きが深く心に伝わり、苦しい気持ちからスタートすることも多い現場です。

復元に挑む場合、自分の気持ちに向き合わないと続けられません。自分が何をするべきか。今、ここに居る理由はなんだろう。一人仕事で、誰のせいにもできない、復元は自分と向き合わないと出来ないので、そこも大事です。

1日目の講座は、ご遺族の背景も現場に組み込みながら、時間を大切に使っていきます。

2日目の講座は、背景を知った時、自分も大きな嘆きを抱えることが多々あります。だからこそ、どんなに困難でも、自分にできることを精一杯尽くします。その「尽くす」ための技術の引き出しを増やしていただく講習でした。

現場の状況が全く違う2日間の講座ですが、共通のこともあります。特別な声を掛けるよりも、不安を安心に変える技術で、ご遺族の心情をメインに提供する時間です。

両日参加の方も、多くいらっしゃいました。何度もお勉強に来られる方も、いらっしゃいます。葬儀社の葬儀担当さんで納棺も自分でされる方、湯灌師、納棺師、エンバーマーの方も多く参加してくれています。今日は、臨床心理士さんも参加されていました。

私もこの仕事を志した初期には、困難遺体と向き合いながら、たくさんの挫折を繰り返していました。教えてくれる人が居ないから、とても苦しい時期もありました。最初から何でも出来たわけではありません。でも、あきらめたくない、この特殊な状態のままでは、家族が深い悲しみに落ちてしまうから帰せない。私も葛藤の毎日でした。悩みながら故人に触れ、触れるたびにその人にしかないものを見付けました。それが、復元の始まりです。だから、講習を受けられる皆さんの気持ちが、痛いほどよく分かります。孤独だったスタートから、今の復元の技術は多くのDr.に支えてもらえます。病理、法医学、外科、緩和ケア、お医者さんが復元の答え合わせをしてくださったり、医療から復元に活かせる知恵をくださいます。故人への思いが、今の復元を支えてくれています。「死」は「遺体」は様々なことを私たちに教え、つないでくれて、支え、遺してくれる存在です。

ユニコムさんの講座は、癌で亡くなった波多野部長さんと約束したことを守りながら、毎回努めさせていただきます。講座中は、生きていたあの時のように、会場の後ろの席に座り、見守ってくださっているような気がしていました。

受講された皆さんの表情は、講座のスタートの思い込んだ表情から、終了した時は頼もしい表情に変わり、全く違ってました。きっと、引き出しをたくさん増やして、ご遺族の最も安心される表情に出会われることと存じます。皆さんの、益々のご活躍を心からお祈り申し上げます。

綜合ユニコムさんの皆さま、準備から色々と毎回、本当にありがとうございます。受講された皆さま、大変お疲れ様でした。




ご遺族参加型納棺の手順とポイント第15回

年に二回、主に3月と9月に行われるセミナーです。「月刊フューネラルビジネス」と言う葬儀業界専門誌を発刊している綜合ユニコムさん企画のセミナーです。

ユニコムさんのセミナーは専門性が高く、たくさんあります。例えば葬儀司会、葬儀の中でのコミニュケーション等々ありますが、葬儀の時間の中のコミニュケーションは特に、使ってはいけない言葉や、配慮しなければならないことがたくさんあります。MCプロデュースの井手一男先生の講習が大変人気があり、ここから育った人たちは現場でたくさん活躍されています。井手一男先生も、御遺族の視点をとても大切にされています。まだ受講したことのない方や、これから勉強を始められる方も、是非受講してみてください。

3月3日、第15回ご遺族参加型納棺の手順とポイントのセミナーが、東京で開催されました。全国各地から集まられ、遠くは沖縄からも参加いただきました。

「参加型納棺」を基本として一つ一つの内容と、ながれをお伝えします。限られた時間の中で求められること、提案出来ること、解決できること含め、死後変化を知り、予測しながら故人のお体の保全に努めます。施設や病院などでお看取りをされた方を、ご遺族の不安のない形で引き継ぎ、ご遺族の心情を汲みながら進める参加型納棺です。デモンストレーション、実習が中心ですので、毎回恒例、皆さん汗だくで頑張られました。ちなみに、伝える私も汗だくです。

皆さん、本当に頑張られました。大変お疲れ様でした。


2015年3月1日

いのち新聞

いのち新聞をホームページのトップページに閲覧しています。

子どもさんやお年寄りなど、ネット環境に無い方で、いのち新聞を読みたいと希望される皆さまへ、ご案内や読んで聞かせて差し上げるなど、ご協力いただき、つないでもらえると嬉しいです。

記事も募集中です。コーナー別になっているので、是非記事でご参加ください。お待ちいたしております。

本願寺広島別院様講演

広島県に昨日入りました。天候が悪かったため、飛行機が飛ぶか分からないまま空港へ。私が乗る飛行機まではかろうじてギリギリ飛び、次の便から欠航となっていました。お天気は、お天道様に委ねるしかないので、もしダメだったらの対策も考えていました。

本願寺広島別院様、公開講座ということで、担当の方に伺うと、広島県中から350名の方が集まってくださったとのことで、会場は満員でした。

今日の講演は、新たなミッションがあったので、直前までずっとシュミレーションと、時間配分などを計算して講演の組み立てを行いながら挑みました。

ミッションを抱えてのプレッシャーも、何処かへ飛んでしまうような会場の皆さんの包み込むような温かさ。原爆のこと、戦争のこと、色んなことを経験して知っている皆さんの眼差しが、私のプレッシャーを包み込んでくれました。

広島県に来た時は、必ず寄らせていただく原爆ドームは、只今工事中でした。今年で戦後70年。原爆ドームは、経ってから100年なのだそうです。私よりもずっと年上の原爆ドームは、毎回雰囲気が違って感じます。原爆ドームの前に立ち、忘れてはいけないこと、やっぱりたくさんあるのだとまた色々考えていました。

皆さまのご縁によりつなげていただく今に、深く感謝を申し上げます。ありがとうございました。