2015年1月29日

平方 眞医師

長野県で、使命に情熱的なお医者さんに御縁をいただきました。

平方  眞   医師。

昼も夜も無く、患者さんの元へ走っておられます。緩和ケアと在宅ケアで、御活躍されているお医者さんです。東日本大震災では、大槌町に初期の頃から御支援いただいているとのことでした。有り難いお話しです。

「癌」は、今や二人に一人が掛かると言われています。癌=死ではなく、現代治療や手術で治る可能性もある病気の一つでもある訳ですが、なので健康診断をきちんと受けて、早期発見、早期治療をと言われています。

最近、一般講演の質疑応答でよく出る、「癌は放置しても良いのか」の、質問については、私は専門ではないので、「主治医とよく、腹を割って相談してください。」と答えます。これは実は、一般の方は少し前から非常に混乱しているのが現実です。

そのことについて、色々と教えていただきました。先生は御著書があり、本をプレゼントしていただきました。皆さんも、是非読んでみてください。





 緩和ケア医師
愛和病院(長野市)副院長
    平方 眞(ひらかたまこと) 医師のブログにも 講演の様子をご紹介頂いております。 
 
  ↓↓↓
http://air.ap.teacup.com/awatenai/2158.html





2015年1月28日

ご注意ください。

最近非常に多い質問であり、ご注意いただきたい内容と共にお答えします。

復元納棺師の「師」は、弟子を育てる使命があります。「師」の付くお仕事をされている師匠さん方々から、色々と教えていただくことも多くなり、本当に有り難い限りです。

実は、弊社のマンツーマンセミナーで、数多くの全ての項目で合格した方のみ、証書を授与しています。寝る間を惜しみ学び、厳しい特訓を受け、私に厳しく指導されながら、基本は一対一で覚えていただきます。弊社の復元師も入り、質問に答えたり、課題を技術にして学んでいただきます。点滴をする方も出る程の過酷さです。そういう風に頑張って一つ一つ身に付けて合格した方のみが弟子となります。今、全国各地で様々な業種で活躍しています。新人さんから、ベテランさんまで学びに来られます。私のコピーになる必要はなく、その人のお人柄を発揮していただきます。全員が復元納棺師になっているわけでも、実は無いのです。知識を活かして、様々な業種で活躍されています。とっても人気者になっています。ですから、弟子として認めているのは、然るべく弟子として名乗れるのは、その証書を持っている人のみです。(ここが大事!)

その他の方で、私の弟子と名乗っている方が多くいるそうですが、残念ですがそれはその方の「自称」でしょうから、ご注意下さい。それから、私に呼ばれて現場に入ったとか、そういうことを言っている人も多く出て来ているそうですが(全く意味が分かりません)、ご注意ください。

どうしてそんなことを言うことが必要なのか、それによって何になるのか、どのような結果を求めているのか私には分かりません。昨年から、それらを聞いたとたくさん連絡をいただき、ありがとうございました。その様な内容の問題について、こちらでは責任を負えませんので、くれぐれもご注意ください。

















JA長野厚生連篠ノ井総合病院

長野県から帰ってきました。新幹線を降りて、事務所で全国の皆さんが頑張って解答された、日総研さんの添削を終えて、家に帰って来ました。

講演に伺った病院の地域は、昨年大きな地震のあった地域です。長野県と言えば、善光寺もその一つですが、地震の爪痕がまだ残っていました。

1年以上前からのお申し込みいただいて実現した講演の演題は、「看取れたこと、看取れなかったこと」でしたが、会場には多くの医師、看護師、薬剤師、リハビリテーション部門、栄養士、MSW、PSW、等々、院内外からも、たくさんの皆さんがお集まり下さり、会場は椅子席が足りなくなり立ち見が出る程のお集まりでした。主催された緩和ケアチームの皆さんの、普段からの取り組みと、継続されたこれまでの御尽力に頭が下がりました。

講演終了後、医師の皆さんにいただいた情報は、私にとって大変貴重です。充分に現場に活かして、深めて行きたいと思います。ありがたい限りです。そして、緩和ケアチームの皆さんとお話しさせていただいた時間も同様、とても貴重な時間になりました。

「自分が死を迎えた時、「先生〜〜!」って、三途の川の向こうで、皆さんが迎えに来てくださると思って頑張ります。」

「お坊さんのグリーフケアは、本当にすごいよね。だから、いつか僧侶になりたい!」

医師の皆さんの患者さんへの思いを、深く感じた時間でした。緩和ケアチームの皆さんは、生死問わずに患者さんへの思いと共に、過ごしていらっしゃいました。素敵な御縁でした。

ありがとうございました!









2015年1月26日

岩手県看護教員協議会冬期研修会

24日は、岩手県看護教員協議会の冬期研修会にお声掛けいただきました。

岩手県内の看護学校の先生方々の研修会です。そうです、皆さん看護師さん。

県内も、看護学校の講義にずいぶんお声掛けいただきました。私が非常勤講師を勤めさせていただく看護学校の先生方々もいらっしゃって、

「あ!どーも!」
「学生さん、お元気ですか?」

なんて、たくさんの先生方々とご挨拶と、講義後の色々なお話をさせていただきました。とにかく、一生懸命の学生さんばかり。東日本大震災後に、避難所で看護師さんの活躍を見て、支えてもらった子たちが憧れ、看護の道を目指していることを多く教えていただきます。もう、飛び切り可愛いです。

先生方々も、とってもとっても素敵な先生方々ばかり。涙もろく、学生さんのために深く悩まれ、愛情いっぱい。プロとしての厳しさを持ち、時間の使い方がとても上手。そう、いのちの現場は非常に、厳しいのですよね。

普段は学生さんにお話をさせていただくことが多いのですが、今回は先生方々だったので、普段講義ではお話しない内容を、じっくりお伝えしました。

先生方々にお話をさせていただきながら、今、この時間にここに居させてもらえるご縁は、亡くなられた方がつないでくださったご縁なんだなぁと、しみじみ感慨深く胸が熱くなった時間がありました。

今年に入り、「あの世」について、随分話題に上りました。あの世の存在は、遺された人にとってはきっと、未来なんだなぁと、深く感じた時間です。

講演では、こんなお話をしました。納棺の現場で遺された家族が、「死んだらどこへ行くの?」と聞くことがあります。それまで何も話さなかった、腰の曲がったおばあさんが突然、

「あの世だよ。三途の川を渡るんだよ。泣いてても良いけど、あんた達が応援しないと、本人も頑張れないよ。」お年寄りが言うことに、みんなも頷きます。涙を拭い、目の前の大切な家族に向き合うとき。お年寄りは、まるで行って見てきたかのような、三途の川の話を続けます。私は聞きました。

「お詳しいですね!もしかして、三途の川に、行かれたことがあるのですか?」と伺うと、

「いんや、ある訳ねぇべ!ワッハッハ〜!聞いた話なんだよぉ〜!」

「やだ〜!あー!びっくりしたぁ(笑)すごい説得力があったよ〜〜!(笑)」←遺された家族の言葉。

おばあさん曰く、
「死んだからって、日常にある大切なことまで失くす必要はないんだよ。好きなら、好きなままでいいし、心配も、し続ければ良い。全部切ってしまわなくて良いよ。しかも、自分からね。あの世は、あるかないかなんて、誰も分からない。そういう、あやふやなことを、どうして昔の人がずっと大事にしたのか、考えてごらんね。それから、みんな御先祖さんの仲間入りをするんだよ。大丈夫、大丈夫。」おばあさんの問いは、深かった・・・。

皆さんとのご縁に、感謝を申し上げます。

ありがとうございました!






紫波町立日詰小学校様勉強会

過日に、バイオリニストの穴澤雄介さんと伺い、二度目の訪問になりました、日詰小学校です。

学校の先生方々のお勉強会に、お声を掛けていただきました。

学校の授業が終わってから、先生方々が図書室にお集まりくださり、様々にお話をさせていただきました。先生方々からも、色々と御質問をいただき、あっと言う間にいただいたお時間が終わりました。え!もう時間でしたか!?あっと言う間だった!早〜っ。

沿岸勤務、沿岸出身の先生方々も多く、東日本大震災の話にもなり、意見交換会もさせていただきました。私も、すごく勉強になりました。

その後に、校長先生と先生方々と気がついたら3時間を過ぎてしまった!お話しタイムに突入していた。本当に素敵な時間で、翌朝、声が枯れていました。いや、元々ハスキーボイスなんですが(笑)更に声が枯れていました(笑)

紫波町民生児童委員会様講演、
紫波町立日詰小学校様勉強会、

以前、ご納棺にご縁をいただきました、御遺族のご紹介でした。生前のことを存じ上げて居なかった私に、大切なご家族のことを教えていただき、大切なお写真もいただきました。今でも手帳に入れて、大切にさせていただいています。普段から町のために御尽力されておられる方です。ご多忙の中ご縁をつないでいただき、ありがとうございました。





23日は二つの講演へ

23日は二つの講演に伺いました。この日の一つ目の講演、紫波町民生児童委員協議会様の講演にお声掛けいただきました。

ネットワークを持ち、社会問題に直面されながら、地域を支えてくださる皆さまです。本当に頭が下がります。納棺の時間にご縁をいただく方も、民生委員さんにお世話になったと教えてくださる方々がいらっしゃいます。しかも、いつもお世話になっている方が、民生委員さんだったと言うことを、この時始めて知りました。あのお忙しい中で、民生委員さんとしてもご活躍されていたことに、又々、頭が下がりました。

会長さん方々に、色々なことを講演前に教えていただきました。地域になくてはならない、大切な存在であること。町から任命され、地域貢献に御尽力されている皆さまとご一緒の時間を過ごさせていただきました。

90分のお時間をいただき、悲しみの現場の中にあることを、様々にお話をさせていただきました。

悲しみは、時に人を変えてしまう怖さを持ちます。と同時に、理解してくれようとする誰かと出会えた時、死の存在が、生きる意味を深くしてくれる、そういう時間を迎えるのかもしれません。復興教育授業や、いのちの授業に御指名をいただいている今。私の気持ちの中には、その中に一人でも遺族と呼ばれる立場の子が居るなら、私はそこへ行きたいと思っています。何も出来なくても、このお仕事をさせていただいているからこそ、亡くなられる方が息を引き取る前に教えてくださったこと、亡くなった人がみんなに遺してくれたことを、伝えて、私で良ければ、一緒に悲しみを共有させていただきたいと思っています。

悲しみの中にある大切なことは、きっと一人一人の人生を支えてくれると思います。少しでも、そのお手伝いをさせていただけるご縁に、感謝しています。

復興教育授業やいのちの授業の後にいただく感想文。実は、とっても楽しみにしています。先日の感想文で、素敵な感想文がありましたので、皆さまにご紹介させていただきました。

「私は、母を亡くしました。みんなにかわいそうと言われ、自分はかわいそうだと思っていました。ところが、復興教育授業の中で笹原さんは、「遺族は、かわいそうな人ではない。」と言っていました。私は、自分がかわいそうな人だと思っていたので、とてもショックでした。その後にお話ししてくれたことが、全部私に当てはまっていました。その時、ふっと気が付きました。もしかしたら、本当は一番かわいそうなのは、大好きな奥さんを亡くして、男手一つで私を育ててくれているお父さんかもしれないと、思いました。私は思春期なので(感想文にそう書いてありました。)、父とはしばらく話をしていません。でも今日、家に帰ったら、少しだけ父に優しくしてあげようと思いました。笹原さんと会える時間を作ってくれた、先生方に感謝します。」

一人一人の大切な想い出が、一人一人を支えてくれていると思います。生きるってことは、きっと自分探しの旅なのかもしれませんね。

皆さんとのご縁を感じいただき、私も多くの学びをいただきました。ありがとうございました。


2015年1月23日

岩手県立平舘高校

21日は復興教育授業に、伺いました。

この時期ですから、風邪で学級閉鎖になっているクラスもあるということで、校長先生から伺いました。校長先生は、山岳部顧問と言うことで、過去に高校生の皆さんととキリマンジャロに登ったこともあるのだそうです。ひゃー、すごい!

復興教育授業の中では、皆さんのすぐ傍にある誰もが知っている?「死」の存在から、色んなことを一緒に考えながら、東日本大震災について、お話をさせていただきました。

時間の経過とともに、課題が少しずつ移行しています。今は、今発生する、一つ一つのことに対して、東日本大震災の記憶から、今を考えて行きます。今は、未来につながっていること。

東日本大震災の深い嘆きから、今発生する嘆きとのつながりや、被災して亡くなられた方が遺して下さったことを、防災意識につないでいきました。

東日本大震災発生当初、自分で判断して決めて行かなければならないことがたくさんあったこと。それから、安置所の中での人のつながりで、私も続けさせていただいたこと、安置所の中での警察の皆さんの姿、捜索して下さった皆さんのこと、安置所の中の悲しみについて、皆さんにお伝えして、一緒に考えていきました。

帰りの玄関で、校長先生と副校長先生がお見送りして下さった時、生徒さんたちが走って来て、お見送りをしてくれました。

「一番心に残ったお話は何ですか?」
と私が質問すると、
「震災絵日記です。」
と、答えてくれました。

亡くなった方々のことを描いた、東日本大震災おもかげ復元師の震災絵日記から、復興教育授業の中でお話をしました。亡くなった方々が、生きている人たちを支えてくれている瞬間に又、出逢えて胸が熱くなりました。死は、終わりではないと言うことを、教えていただいた時間でした。

図書館に、おもかげ復元師と震災絵日記を置いて下さっていると言うことで、副校長先生が生徒の皆さんに、復興教育授業終了後にお話し下さいました。

ご縁をいただいた、校長先生と副校長先生に、復興教育授業の準備などに御尽力いただいた諸先生方に、心から感謝を申し上げます。ありがとうございました。

非常に仕事が立て込んでおり、プログが遅くなってしまったこと、楽しみにして下さっている皆さんへ、お詫び申し上げます。ごめんなさい。






子ども夢ハウスおおつち

19日は、大槌町の子ども夢ハウスおおつちへ。午後、事務所を出発しました。

大槌町に入り、年末の風景と又変わっていて、どんどんかさ上げ(土盛り)が行われていました。たくさんのダンプカーが町の中を走り、目に見えてかさ上げ工事が進んでいる気がしました。

復興に伴い引っ越しの決まった子たちも居て、夢ハウスに居た私の携帯に、たまたま藤原代表から電話が。クッソー(子どもたちが藤原代表を、そう呼んでいる)とお話ししたいと、男の子が電話に出ました。

「クッソー、元気?無理してない?体、大事にしないとダメだよ。」

普段は走り回って、やんちゃなんだけど、何となくクッソーに甘えていました。クッソーとこの子の会話は、しばらく続けていました。クッソーは、町の復興計画の大変さも、保護者の皆さんの心情も、子どもたちの気持ちも、知っています。クッソーと話をしながら、少しずつ表情も落ち着いて来ていました。

「クッソー、ぼくさぁ、又さぁ、クッソーとみんなと旅がしたい。」

そんな話の流れになっていました。「復興」に関わる側の全ての当事者としてみれば、覚悟と決断の連続です。住み慣れた仮設住宅からの引っ越し、今の生活からの引っ越し、生活のリズムが変わることは、本当に大変なことです。それでも通達する側も、受ける側も、覚悟と決断の連続なのです。「復興」と一言で言っても、一人一人の生活も大きく関わることですから、みんな慎重です。

子ども夢ハウスには、更に通って来てくれる子どもたちも増えて、翌日に始業式を迎えるということも手伝って、終わっていない宿題に頭を抱えている子も居ました。(可愛いっ。でも、思い出すなぁ〜、私の小学生の時もそうだった(笑))

子ども夢ハウスの子どもたち、背丈もグンと伸びて、成長を感じる時間もありました。今年はみんな風邪を引かず、春を迎えられますようにと祈りながら、帰ってきました。

皆様のご支援、ご寄付に心から感謝を申し上げます。




死の存在

「死」の中には、様々なものが含まれます。例えば悲しみ。死の存在の中に悲しみがあり、悲しみの中には思い出があり、そういう悲嘆が教えてくれることは、とてつもなく深い。

今までは、自分が存在していることをアプローチし続けていたとしても、悲嘆と出会い、教えてくれるものを生活に組み込まれます。死から生きることを教えてもらったとき、人は自分の存在の仕方を考えるようになります。

「生き方が、まるでガラリと変わった。」

「自分を主張することに頑張ってきた人生だったけど、自分の生き方を考えるようになった。」

そう、お話し下さるご家族は本当に多くいらっしゃいます。人は、大きなショックを受けたとき、大きな悲しみを経験したとき、答えや意味を探す道を歩き始められます。

すごく弱い気持ちと、一本筋の通った気持ちとを持ち合わせて、悲しみに触れると相手の心情に合わせて良く面倒を見られるようになり、とても謙虚で且つ、頼もしいのが御遺族です。そして、踏ん張っている姿が、胸を打ちます。

人は何故生き、死を迎えるのか。誰でも、いのちは限られていると言うことは確かです。どんな風に人生を生きるのか、自分の在り方を考えながら生きる姿に、亡くなられた故人が重なることが多くあります。死は、色んなことを教えてくれる存在なのだと思います。








2015年1月18日

酔っ払っていますね。

納棺の現場で時々、深く良い気分になられている、千鳥足的な、特に男性の方に多く見られる・・・酔っ払っていますね?な方。

お酒を呑む理由は三つほどあるようです。
①お酒が好き
②お付き合い
③忘れたい、向き合いたくないことがあるから

ですから、どうしてここまでお酒を呑んでいらっしゃるのかな?と、現場で考えていることはあります。

昔は本当に多かったけれど、今は飲酒運転取り締まりも非常に厳しく、飲酒運転は禁止!が、一般的になりました。岩手県は「にっかん(納棺)酒」が、まだまだ健在で、昔からの名残がしっかり残っています。けれど、今は口をつける真似だけが多いですね。

時々、絡まれることもあります。納棺をお世話させていただくものの使命なのでしょうか。

「おれ、酔っ払ってないよ!」
「存じでおります。」
「酔っ払いだと思ってるんだべ?」
「酔っ払っておられるのですか?」
「いや、ちょっとだけ呑んだ。」
「美味しいですか?」
「・・・・・。」
「そうでもないですか?」
「どんなに呑んでも、もう女房は怒ってくれないんだよね。」

奥さまを亡くされた、旦那様です。ここで、泣いていた娘さん登場。

「お父さんがそんなだと、生き返って怒鳴られるかもしれないよ。今日、夢に出てくるわ、お母さん!楽しみにしてなさい!」と娘さん。そして旦那さんが、娘さんに聞きました。

「怖い顔?優しい顔?」
「怖い顔に決まってるでしょ!お父さんが見たこともないような、怖いお母さんの顔だよ!」
「おれ、酒やめるかな。いや、ほどほどにしておくことにするから、夢に出なくて良いよ〜〜!」

と、奥さまに話し掛けておられました。正に戒めの話を、目の当たりにした私でした。お酒の力を借りて、話したいことを話される方も、納棺の時間には、実はいらっしゃいますから、私は全然気にしません。現実に起こる悲しみは、人それぞれに関わり方も違います。でも、体は壊さないで欲しいなと、心配はしています。

「酒はのんでも、のまれるな!だよな!」旦那さんは、自分でちゃんと締めていました。チャーミングでした。今までは、奥様がたしなめてくれていたことを、娘さんがちゃんと引き継いでくれていた現場でした。

人は、誰でも弱さを持っているものだと思います。記憶と共に、今の生活を整えて行くときの、今の時間はとても大切です。みんな過去はあるし、みんな、悲しみを少なからず持っているし、隠しているから外からは分からない。そうやって、実はみんな生きています。だから、旦那さんの気持ちを、まわりの人たちもちゃんと理解してくれていて、見守ってくれます。気持ちの全部は分かって差し上げられなくても、せめて悲しみの部分は、心でしっかり感じたいと思います。

これからも旦那さんの心の中に、形は無くなっても、奥さまが思い出と共にずっと存在して、支えてくれていると思います。

酒は呑んでものまれるな!ですね。






2015年1月17日

阪神淡路大震災から20年

阪神淡路大震災から20年。

私は、ご家族を亡くされた方とのご縁を多くいただいておりますが、

「復興しても、気持ちがね・・・。」

とお話しいただくことも多くありました。御遺族の心情としては、過去と共に今を生きておられる方が多いですから、表現もそのような言葉が、御遺族の立場であれば、普通だと思います。気持ちが置いていかれているような、そんなことは無いとは思いつつも、とそういう葛藤の中に、御遺族はいつも置かれているので。

「元気になって、良かったね。」

の言葉は、御遺族には禁句の言葉で、「元気」の意味がお互いに同じなら良いのですが、そうではないことから起こるのが、お互いの「距離」なのかもしれません。(そういう場に立ち会うことの多い私から言わせれば、「な、な、なんてことを!何を言ってますか!元気な訳がないでしょう!」が本心でしょうか。)

東日本大震災の復元の活動、現在の子ども夢ハウスおおつちの活動に於いても、阪神淡路大震災の被災者の皆さんにも支えていただいています。心から、感謝を申し上げます。今日は何度も、岩手県の地から、手を合わせていました。お空の上からきっと、ご家族の皆さんを心配されて、生きている人もこの世を離れた人も、同じ気持ちで過ごしていたのかもしれませんね。

大切な家族とは、生きる場所は違っても、思えば必ずつながっていると、私は信じています。





2015年1月16日

今日の納棺で

ずっと納棺の現場に走っていました。

棺の蓋を閉めるとき、本当に悲しい気持ちになられる御遺族を前にして、胸がギュッとなる時間を共に過ごさせていただいていました。

「納棺なんて、しない!」と玄関先で怒られて、そして「納棺はしたくない!が本音なんです。」と、泣き崩れて号泣される場面からスタートしたり、

「お父さんなんて嫌い!」と最初に言っていた子が、棺の蓋を閉めるときにずっとお父さんの頬を触っていたり、

「お母さんの子供には、二度と生まれないからね!」と、大きな声で泣きながら、棺に安置したお母さんから離れられなかったり、

「水が飲みたいと言っていたのに、飲ませてあげられなかった。」と、棺の蓋を閉める前に、末期の水をしてみたり、

本当は私が皆さんの前に伺った時点で、死を意識されていることは、すごく強く感じています。今しかない、火葬までの限られた時間の中で、お家の方のペースで、時間をゆっくり感じていただけるように、限られた一時間の時間を進めてさせていただいていました。

大切なご家族の死を経験された、遺されたご家族の皆さんの、深い思いやりと優しさに、きっと亡くなられたご本人は、ニッコリと笑っていらっしゃるかもしれませんね。と、思う現場に、多くご縁をいただいていました。

人の感情も、思いも、一人一人違っていて、それぞれです。今日の現場では、明日で阪神淡路大震災から20年と言う時を迎えること、東日本大震災の被災地の納棺では、多くの方が阪神淡路大震災に心を向けていらっしゃいました。



2015年1月15日

3月のセミナーのご案内です。

葬儀業界専門誌、月刊フューネラルの綜合ユニコム様企画。毎年春と秋に、東京で行っている恒例のセミナーです。お申し込みは、綜合ユニコムさんまでお願いします。現在起こっている死後変化、原因を知り対処して、御遺族の希望に沿った形で進める、参加型納棺が基本となるセミナーです。

常に動いているセミナー内容になります。汗をかく方も多くいらっしゃいますので、着替えをお持ちください。動きやすい服装でお越しください。

対象は、地元で納棺をされている宗教者の皆さま、葬儀社納棺担当者様、納棺部の皆様、納棺師、湯灌師、エンバーマ、葬儀社取締役・役員、葬儀社新人教育担当指導者、管理職の方々、納棺を担当されている看護師、ケアマネージャー様、東日本大震災で捜索活動に御尽力された公務員の皆さま、葬儀を行政で行われている公務員の皆さまが、過去に受講されています。

火葬までの限られたお別れの時間の中で、遺された御遺族が不安になる、更に悲嘆が深くなってしまう内容を一つ一つ説明しながら対処します。出血や体液漏れ、臭い、変色等イレギュラーな内容が多い、現実の納棺現場の中で、御遺族をできるだけお待たせしないように、タイムロスを考慮しながら、感染防御含めて現場で即、実践していただける内容になっています。全国各地から、毎年多くの皆さまが受講され、定期的に受講されたり、リピーターの方も非常に多い講習内容です。

現場の質問は、お申し込みいただくと、綜合ユニコムさんから用紙をもらえますので、そちらに事前質問としてご記入ください。セミナーの中に組み込み、毎回施行方法含めて御説明させていただいています。

技術セミナーなので少人数制で、定員が決まっています。お早めにお申し込みください。

今回もテキストは更新しています。皆さまにお会い出来ること、楽しみに致しております。

3月開催セミナーのご案内です。

▼【ご遺族参加型】納棺の手順とポイント(第15回)
▼【状況別ご遺体処置】と【死化粧】のポイント(第12回)

詳しくは、綜合ユニコムさんのホームページをご覧ください。

子ども夢ハウスおおつち特集

明日16日の
19時30分から

クローズアップ東北
~夢ハウス2~

が放送されます。是非、ご覧ください。日頃からの皆さまお一人お一人の御支援、ご寄附に感謝を申し上げます。

2015年1月13日

心の痛み

苦しいと、相談されることが多くなりました。悲しみの意味が分からない。苦しみの意味が分からない。人の気持ちが、どうなっているのか分からない。そういう相談も、子どもたちからも多いです。だから、いのちの授業に行きます。私が現場で教えていただいたことを、亡くなった方が教えてくれた、遺してくれたことを一つ一つ丁寧に伝えます。

悲しみや、苦しみの中にあるもの、もっと知ってほしいと思います。自分の価値観と相手の価値観は、決して同じでは無いからこそ、気持ちをそっと感じられる人になってもらいたい。そうすれば人に受け入れられ、頼られる人になれるかもしれない。お互いを思いやること、そこには生きる価値が潜んでいるから、そう、願っています。

人の気持ちを知ろうとした時、実は自分を知ってあげることの、チャンスなのかもしれません。思い込みで、人と関わると、大きな失敗をします。だから、現場から真剣に伝えます。

苦しみの中にも、良いことや喜びを見付けて、耐え忍ぶことは出来ます。

乗り越えるとか、軽くなるとか、そういうニュアンスとは少し違うようです。

耐え忍びながら、そうやって時を待ちます。耐え忍ぶ経験は、必ず自分を支えてくれる、大事な存在になってくれます。

時は、何かとの出会いで起こります。人かもしれない、動物かもしれない、自然かもしれない。思い出したり、ひらめいた時が、時が来た時です。

心は常に解放されていて、本当は自由なんです。狭くして壁を作っているのは、実は自分なのです。

「こんなに世界は広かったんだ!」と心を解放した時に、感じることがあります。私の場合、人の人生に関わらせていただくお仕事なので、御遺族とお話をさせていただいた時に、毎回、そう思います。「世界は広かったんだ!」って。

先日の納棺で、「なんだって?」を覚えたての3歳児に苦戦しながら(笑)、学びました。説明をする度に「なんだって?」って(笑)亡くなった方の、大切なお孫さんでした。とっても可愛いかったです。この子の世界は、冒険心に満ちている!この子の世界も、とても広いのです!

現場に走りながら、遺族訪問しながら、若い子たちと語りながら、色々と私も学んでいる毎日です。頑張りましょっ!





2015年1月11日

子ども夢ハウスおおつち

今日は11日。東日本大震災から3年10ヶ月ですね。

ほぼ毎日、子ども夢ハウスおおつちの子どもたちと、LINEでやりとりしながら、「今日の出来事」を教えてもらいながら、夢ハウスの未来を共に考えることも多くなりました。

年末年始の夢ハウスのお休みに合わせ、我が家で預かっていた犬のポップも、夢ハウスに帰り、ちょっと寂しい今日この頃。夢ハウスの犬、ポップ君は原発の後、福島で保護された犬です。お利口さんで、人なつこいポップ、あの可愛い瞳で何を見てきたのかなぁと、ポップを撫でながら考えることもあります。

4年に当たる3月11日の計画もみんなで一歩ずつ進めながら、色々と話し合っている所でした。

皆さまの御支援に、心から感謝を申し上げます。16日は、東北地方限定ですが、子ども夢ハウスおおつちの特集が、NHKさんで放送されます。子どもたちの素顔を是非、ご覧くださいませ。

専門技術育成コース

専門技術育成コース、九州からお二人受講され、5泊6日コースの講習が、昨日で最終日でした。実は最終日に、最終試験がありますので、これに合格しないと修了証が出ません。18時に講習終了予定でしたが、合格されるまで23時近くまで頑張られました。本当に、立派でした。「筋肉痛になった〜」と、言いながらも頑張りましたね。理論や概念も大事だと思います。でも、このコースの中心は「心と体」で覚えます。人と現場で話をするためには、何より大切なことです。一つ一つを真剣に覚えられていました。

専門技術育成コースは、お一人お一人の目的に合わせて、しっかりと技術を身に付けていただく講習です。本当の現場は、甘くはありませんので、覚える方も必死ですが、教える方も実は必死です。特に死の現場は、言葉の使い方も、環境も動き方も特殊です。なので、専門技術育成コース受講期間中は、弊社の誰に質問しても構いません。皆さん、合格を目指して毎日、必死で頑張られます。

今まで受講された方は、21歳〜65歳まで、職種も本当に様々な方が受講されました。初心者からベテランさんまで、卒業生は様々な分野で活躍されています。若いから無理かもとか、歳だから出来ないかもとか、そんなことはこの専門技術育成コースを受講される方には、全く関係の無い話のようです。しっかり御自分と向き合われ、自分と戦い、自分を受け入れる。そういう方が多いですね。素敵な方々ばかりです。

過去に弊社の、専門技術育成コースを受講された皆さんで、住所変更されている方がいらっしゃいましたら、新情報やお知らせなどを書いた「会報誌」を発送致しますので、弊社までお知らせください。FAXかメールだと有難いです。よろしくお願い致します。会報誌は、専門技術育成コースを受講された方のみに限らせていただきます。ご了承くださいませ。

皆さまのご活躍を、心からお祈り申し上げます。

お疲れ様でした!


2015年1月10日

春の七草

セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ

1月7日に、春の七草として食すお粥です。で、私は今年はすっかり忘れていました。旧正月の1月15日に春の七草を食す地域もあり、春の七草の種類も地域により、少し異なります。

昔は薬草として大切にされていた文化でもある、春の七草。昔は栄養のあるものをなかなか取れなかったので、春の七草で栄養のバランスを取っていたと言われています。

お正月から働き詰めの女の人が、やっと休めるのも、地域により異なりますが、1月7日(又は、地域により1月15日)とされていたそうで、手の掛からない食事を、でも体に栄養のあるもので、前の晩に仕込みをして、翌日の7日に春の七草を食べていたとも言われています。女の人が、やっと正月を迎えられるのも、昔はこの日だったそうです。

スズナはカブで、スズシロは大根。昔の呼び名と今の呼び名は違うけれど、薬草の一種だったことには、小さな頃は驚きました。

昔から風邪や流行り病で大変な時期と言われるのが、寒い時期。薬草を食す春の七草の伝統は、よく考えられた文化だなぁと、しみじみ思っていました。が、春の七草をすっかり忘れていましたので、これから食したいと思います(笑)。





2015年1月9日

子守唄

昔から伝わる子守唄。地域により、色々な子守唄があります。納棺の時間の中で着付けを終えて、棺に移動する時は、本物の棺を見て、現実の死に向き合われて、最も遺されたご家族が悲しまれる時ですから、お気持ちに合わせて少し時間を取ることがあります。そんな時に、遺されたご家族が、亡くなられた方に手向けるのが、

子守唄。

時には胸をトントンと、
時には添い寝をされて、
時には肩の辺りに顔を伏せながら、

小さな子どもさんが、
お父さんやお母さんが、
おじいちゃんやおばあちゃんが、

子守唄を歌われることが、多くあります。地域により、様々な子守唄が歌われますが、お別れの時に選ばれる歌なんだなぁと、思うことがあります。

「こんなことになるなら。」

と言う言葉は、どのタイミングでも出てくるのが納棺の時間。後悔の形は、皆さん一人一人違います。色んなお話を伺いながら、皆さんと色んなことをやってみて、心の移行に合わせて傍に居させていただきながら、自分の頭の中の、心の中の引き出しの中で、お役に立てることを私も必死に探します。

子守唄を歌われる時間は、悲しいけれど温かく、それでいて強さを持つ「最期」の覚悟が伝わってくる、胸が締め付けられる、そういう時間です。

納棺終了後に、ご家族とお話をしてから帰ることが多くありますが、そんな時にどんな町の中でも「自然」を感じる方が多いですね。

風が吹いたり、
落ち葉が落ちる瞬間だったり、
桜が咲いていたり、
雨が降っていたり、
雪が降っていたり、

日本の四季の中で、当たり前にあることだったことが、何か亡くなった家族のメッセージの様に感じて、一つ一つのことがとても愛おしくなるときです。

何処かに居てくれると言う思いが、自然の中に、大切な家族の存在を感じるときなのかもしれませんね。

子守唄でお別れをされた現場終了後は、さっきの子守唄を口ずさみながら、玄関を出て帰られる方が多いですね。その姿を見守りながら、

「今日の日の思い出を、持って帰ってもらえたね。」と、喪家の皆さんがお話しされていました。

今日はマンツーマンセミナー5日目です。4日目の昨日まででも、随分腕を伸ばしていました。でも、気は抜けませんよ。ラストスパートです。ビシバシ頑張りましょう〜!





2015年1月6日

帰省中⁉︎

帰省中の方の参加が多かった、年末年始の納棺の時間の中で、「帰省中だった。」の会話を御遺族がされていた時に、小学生と中学生の子たちがコソコソ話をしていた。

「どうしたの?」って聞いたら、大人の会話が分からないとのことで、何について分からないのか聞いてみた。大人の会話の中に出てくる、「帰省中」が、子どもたちは「寄生虫」だと思い込んでいたようで、みんなで大笑い。「規制中」って言うのもあるよ。なんて、みんなで話した。故人は国語の教師だったそうで、日本語のあれこれを話した今の時間。故人らしい納棺になったと、皆さんが話されていました。

外科のお医者さんの納棺の時に、旅支度の中で、「結び目がほどけないようにね。」とお年寄り皆んなに言われて、ひもの結び目を「立ち結び」にする宗派で、息子さんも外科のお医者さんでいらして、「絶対にほどけない結び方を、外科では習うんです。」と、涙を流しながら結んで見せてくれました。皆さんが大歓声。そして、拍手。

人生の風には、いろんな種類がきっとあって、勇ましく向き合わなければならない風と、しっかり乗っからなければならない風と、なんとなく寄りかかってみようかなと言う風と、通り過ぎて行く風など色々あるようで。

でも、向かい風があるから、飛行機は飛べるのだと言う。

「生きることは飛行機のように、向かい風に向かっているようなものだなぁ。」と、喪主さんが先日の納棺の時に言っていた。そうかもしれないなぁと思った。

でもそよ風の時もあるし、風が無くて鳥が鳴いている時もあるし、土の匂いを風が乗せてくることもあるのだと思う。風は波を起こして、少し強くなることが時々あって。きっと、人生には何度も波があって、1日の中でも波があったりして、悩んだり考えたり、立ち止まったりしながら、上手くそれらと付き合って行けることが、鍵なのかもしれませんね。

何にもしたくない時は、ぼーっとして力を蓄えていても良いと思うけど、今度はあんまり怠けているモードに入っていると、秋田県からナマハゲが山から降りてきて「怠けてるやつ、いねぇがぁ〜。」って来るかもしれないから、気を付けてください。

けれど、帰省中と寄生虫と規制中には、けっこう感動した私でした。日本語って、すごいですね〜。

















2015年1月5日

マザーテレサ

ふちょっと用事があって、以前看護学校の副校長先生だった方に電話をしました。年輩の女性ですが、体調を悪くされていたので心配もあり、

「もしもし〜、先生ですか?」
「あら、笹原さん!」
「体調、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ〜!今、インドのマザーハウスに来てるのよ!」
「え〜!インド〜〜?」
「おもかげ復元師と、おもかげ復元師の震災絵日記、シスター方がちゃんと大切にしているわよ!」

だいぶ心配しましたが、とってもお元気でした(笑)実は3年ほど前に、インドから、マザーテレサの右腕を30年されていたシスターKと、日本のマザーハウスのシスターと四人来てくださって、お世話になったことがありました。戦争のこと、戦争のPTSDのこと、マザーテレサのこと、知らなかったことばかりで、驚きの連続で、色んなことを教えていただきました。何より、皆さんが4ヶ国語を話せることに驚いた私。むかし母に「言い訳や文句ばっかり言ってないで、未来の自分のために勉強しなさいね!」と言われていたことをフッと思い出しました。そうだ、私も学ぶことを怠らないようにしようと思った時間でした。お手紙をいただいていたのに、お返事を書けていなかったので、

「シスターKに、よろしくお伝えいただいて宜しいですか?」とお願いしました。

あの時岩手県の安置所の中で、シスターKが言いました。

「マザーテレサが生きていたら、きっとここに来ていたと思います。復元の、手伝いをしたいと申し出ていたと思います。」

「マザーテレサが大切にしていた言葉があるのよ。

どれだけ
たくさんのことをしたかではなく、
どれだけ
一つ一つのことに心を込められたのか

マザーテレサが生きていたら、そう言っていたと思います。」

先生(以前は看護学校の副校長先生でした)マザーテレサとシスターKと、30年以上もお付き合いがある方で、とっても素敵な方です。日本ではハンセン病の患者さんを、ずっと現場で支えて来られた方でもあります。

シスターKが被災地からインドに帰られる時、「お土産は、何が宜しいですか?何かお持ちいただきたいのですが、悩んでいました。」と正直に伺いました。「笹原さんが描いた、絵日記が欲しい。」その時は、途中まで書いていた絵日記。今は、おもかげ復元師の震災絵日記として、ポプラ社さんから出版させていただいています。本にしていただいた時に、インドのマザーハウスのシスターKに、持って行ってくださった方が先生でした。

シスターKが、「戦争の地雷で、目の前で親を亡くした子どもたちが沢山いてね、その施設がマザーハウスにあってね、その子たちに読み聞かせをしたいの。」と、おっしゃいました。

先生とお電話をさせていただいて、過日のことを、しみじみと思い出していました。私の車の中には、マザーテレサの本が子ども用と大人用と数冊入っています。

愛されるよりも愛することを

言葉に気を付けなさい
それはいつか、行動になるから

成功すると、
不実な友と本当の敵を得るでしょう。
それでも、成功しなさい。

等々、マザーテレサは名言を遺しています。マザーテレサの生涯や、名言の本は沢山あります。悩んだり、くじけたり、何もやる気が起きない時、読んでみてはいかがでしょうか。とても生きる力が湧いてきます。

御遺族の立場の方を車にお乗せすることも実は多いので、持っています。車の中で読まれている方も多いですよ。なんたって、安全運転ですから、私。マザーテレサの言葉には、素敵な言葉が沢山あります。

さて、今日から5泊6日のマンツーマンセミナーです。九州からお二人見えられます。頑張りましょう〜!












2015年1月4日

かぐや姫

emergency(緊急出動)慌て家出て
コートを忘れ
雪空の中   くしゃみ止まらず

今日は一日中走って、ハァハァ言っていた気がします。安置されているお部屋の前で一旦止まって深呼吸・・・をしても、年を取ったせいか?息が整わず(笑)少し、体力を付けなくちゃ。

「かぐや姫って、亡くなる時の話?」納棺の時間に、ご遺族との話題にけっこう出てくる「かぐや姫」の話。

かぐや姫を創作した作者にしか分からないことだとは思うけど、もしその方が大切な家族を亡くされた経験があるとしたら、伝えたいことがあったのかもしれませんね。

どんなに色々やってみても、逝かなければならない時が来る。それまでの限られた時間を、積み重ねて大切に過ごすこと。でも、きっと一人ぼっちじゃない。仏様の居られる世界へ、きっと逝くに違いない。

と言う視点でも、確かに見れる物語です。そういう視点から見ると、遺族心理とぴったり合いますね。

東日本大震災の大津波で、娘さんを亡くしたお父さんが、教えてくれた思いがありました。

「うちの娘はきっと、神様の所に帰ったのだと思います。僕に、10年だけレンタルしてくださった、神様の所に。」お空を見上げて、涙を流されていました。「娘の夢が見たくて、遺体安置所で警察の人にもらった、娘の服が入ったビニール袋を枕にして寝たらね、「お父さん」って、ホッペにチューをしてもらった夢を見ました。何処かに、居てくれるのだと思います。僕の住む世界と同じでは無くても、何処かに居てくれるのだと思います。」

かぐや姫は、誰かの大切な娘さんだと言う存在であることには変わらないと思うから、一つ一つを追求して考えても良いのだろうけど、作者の思いを素直に感じるためには、narrative(物語)を素直に感じることの出来る自分であるか・・・が、大事なのかなと私個人としては思っていました。

納棺の時のお手紙や、持たせてあげたい品物は、今までと違う所へ行く大切な家族を心配して、出来ることを見付けて、遺された自分たちが出来る精一杯を今尽くして、見送りたいと言う気持ちが伝わってくる時間です。宗教や宗旨に従い、持たせて差し上げるものも違いますし、全く持たせない宗派もあります。どうしてなのか、と言うお話をお寺さん(神主さんや牧師さん等の宗教者)から教えていただいて、気持ちを少しずつ昇華するための、心の準備をしているのが納棺の時間ですね。

月の満ち欠けが、昔から人の「生死」いのちに大きく影響すると言われています。納棺が忙しいのも、満月の時から月が欠けるまで。不思議なものですね。人が生まれるのも満月の時に多いとされています。

昔、巫女として奉職させていただいていた時代に習った神話がありました。

火の神を産んだイザナミの神(奥さん)が火傷を負い、死を迎えて黄泉の国に行きました。イザナギの神(旦那さん)は奥さんに会いたくて、「待って」と言われたのに待てませんでした。奥さんは腐敗していて(この神話は、とてもリアルに腐敗の表現をしています。ちゃんと知っていて、書いていると思います。)、怒って言いました。「1日1000人殺します。」それに対して旦那さんのイザナギが答えます。「それならば、1日1500人産みます」生きること、死を迎えることが別々のように感じても、じつは表裏一体なんだと言うことを表していると、教えられました。日本書紀や古事記からも、伝えようとする側の「死生観」と言う思いに触れることが出来ます。参拝やご祈祷にお出でになる方々と、お話をさせていただくために、学んだ時間でした。

だとしたら「かぐや姫」も又、死生観と言う視点から見ると、死と生きることを、教えてくれる存在なのかもしれませんね。

多く質問をいただいていますので、お答えします。私が小さい頃によく読んだ本は、芥川龍之介の「くもの糸」です。読む度に、色んな視点から文章の意味を感じられる本ですよ。学校の図書館にあるので、是非読んでみてね。


2015年1月3日

今年もよろしくお願いします。

今、やっと持ち帰った仕事を終えました。もう、こんな時間!大変!寝なくちゃ。と思いながら、

そうそう初夢、どんな夢を見ましたか?古来より日本で伝えられる「初夢」の縁起です。このブログは、小学生、中学生、高校生、看護学生のみなさんも読んでくださっているとのことで、ちょっと初夢の由来等についても少し。

「一富士二鷹三茄子四扇五煙草六座頭(いちふじにたかさんなすびしおうぎごたばころくざとう)」

一から六まで、昔からすべて縁起の良いものとされています。今年初めて見た夢で、一つでも夢に見ることが出来たらこの先一年、良いことがあるとされてきました。昔は娯楽も無く、貧富の差もあり、天気のご機嫌を伺いながら農作物を作り、朝から晩まで働いて、時には夜なべして、そういう時代には、せめて夢の中での幸せをと、願った昔からの日本の風習です。

寒布団 末広がりの  富士、扇
煙昇り勢う鷹と  夢の中
怪我(毛)無い一年  無事を祈らん

意味を説明したかったのですが、長くなりそうなので句にしたためました。ちょっと字余りだったなぁ。もうちょっと勉強して、工夫してみます(笑)。

昨年も、このお正月もたくさんの、メールやお手紙をありがとうございました。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。




2015年1月1日

昨年もありがとうございました。

今日も納棺の現場に伺って、感じました。

死の迎え方は様々で、
年齢も様々ですが、

納棺の現場は看取り直後だと「枕経」
納棺の前か後、又は前後に「納棺経」
があります。

御住職がその時に、御遺族の皆さんが揃う中で、お話をされる内容があります。

「「枕経」は昔から、お看取りの時に行われていました。死を迎える方の枕元で、静かにお経を上げ続けます。死を迎える時まで、御本人の気持ちが「死」に立ち向かわれる気持ちだったり、怖いと言う思いだったり、その不安をお経によって、仏様の御加護により心穏やかに過ごされるように、ご家族には手を握っていただいて、最期まで一緒に過ごしていました。」お話が続く中で、皆さんの気持ちが、ゆっくり穏やかになっていかれるのが、傍で納棺のために待機している私にもよく伝わって来ます。宗教・宗派や宗旨に従って、教えは様々です。皆さんが大切にされている信仰に従って、納棺を進めさせていただきます。

詳しくは、皆さんの菩提寺に、神社や教会等の信仰に従い宗教者の方に伺ってみてくださいね。最近は、家族の死を迎えてから慌ててしまって、菩提寺が違った!なんてことも多く発生しているので、ちゃんと調べておいた方が宜しいかと思います。

納棺は信仰と、風習が重視されて、故人の思いの世界に入ります。それが皆さんが求められる拠り所であり、好きだっもの、志し半ばだっこと、そういうお話が中心になり、葬儀の時間を迎えるための意識を高めて行きます。死を迎えた現実と、相当な覚悟の時です。

悲しみの現場の中で、どうして人は信仰や風習を大切にされるのか、

信じるということに、
悲しみの置き場所があって、
信仰の中に神仏が居られるから、
亡くなった家族が、
一人ぼっちになっていないと言う
包み込まれる安心感があって、
きっとその人がずっと何処かに、
存在してくれることの希望に、
つながっているのかもしれません。

「どうして、今日なの!」と年越しの日の納棺の時間には、毎年耳にする言葉ですが、故人に文句を言いながらも、涙を流されています。「文句を言いたいのか、悲しいのか、分からない。」と、言いながらも亡くなられた方に「ありがとう。」の言葉が出た時は、死の現実を意識された時ですから、その時間を大切にさせていただきます。私の胸がギュッとなる時です。

昨年も、大変多くのご縁をいただきました。お一人お一人に、心から感謝を申し上げます。今年も、1日1日精一杯の時間を積み重ねて、大切にしていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。