2015年1月1日

昨年もありがとうございました。

今日も納棺の現場に伺って、感じました。

死の迎え方は様々で、
年齢も様々ですが、

納棺の現場は看取り直後だと「枕経」
納棺の前か後、又は前後に「納棺経」
があります。

御住職がその時に、御遺族の皆さんが揃う中で、お話をされる内容があります。

「「枕経」は昔から、お看取りの時に行われていました。死を迎える方の枕元で、静かにお経を上げ続けます。死を迎える時まで、御本人の気持ちが「死」に立ち向かわれる気持ちだったり、怖いと言う思いだったり、その不安をお経によって、仏様の御加護により心穏やかに過ごされるように、ご家族には手を握っていただいて、最期まで一緒に過ごしていました。」お話が続く中で、皆さんの気持ちが、ゆっくり穏やかになっていかれるのが、傍で納棺のために待機している私にもよく伝わって来ます。宗教・宗派や宗旨に従って、教えは様々です。皆さんが大切にされている信仰に従って、納棺を進めさせていただきます。

詳しくは、皆さんの菩提寺に、神社や教会等の信仰に従い宗教者の方に伺ってみてくださいね。最近は、家族の死を迎えてから慌ててしまって、菩提寺が違った!なんてことも多く発生しているので、ちゃんと調べておいた方が宜しいかと思います。

納棺は信仰と、風習が重視されて、故人の思いの世界に入ります。それが皆さんが求められる拠り所であり、好きだっもの、志し半ばだっこと、そういうお話が中心になり、葬儀の時間を迎えるための意識を高めて行きます。死を迎えた現実と、相当な覚悟の時です。

悲しみの現場の中で、どうして人は信仰や風習を大切にされるのか、

信じるということに、
悲しみの置き場所があって、
信仰の中に神仏が居られるから、
亡くなった家族が、
一人ぼっちになっていないと言う
包み込まれる安心感があって、
きっとその人がずっと何処かに、
存在してくれることの希望に、
つながっているのかもしれません。

「どうして、今日なの!」と年越しの日の納棺の時間には、毎年耳にする言葉ですが、故人に文句を言いながらも、涙を流されています。「文句を言いたいのか、悲しいのか、分からない。」と、言いながらも亡くなられた方に「ありがとう。」の言葉が出た時は、死の現実を意識された時ですから、その時間を大切にさせていただきます。私の胸がギュッとなる時です。

昨年も、大変多くのご縁をいただきました。お一人お一人に、心から感謝を申し上げます。今年も、1日1日精一杯の時間を積み重ねて、大切にしていきたいと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。