2015年1月26日

23日は二つの講演へ

23日は二つの講演に伺いました。この日の一つ目の講演、紫波町民生児童委員協議会様の講演にお声掛けいただきました。

ネットワークを持ち、社会問題に直面されながら、地域を支えてくださる皆さまです。本当に頭が下がります。納棺の時間にご縁をいただく方も、民生委員さんにお世話になったと教えてくださる方々がいらっしゃいます。しかも、いつもお世話になっている方が、民生委員さんだったと言うことを、この時始めて知りました。あのお忙しい中で、民生委員さんとしてもご活躍されていたことに、又々、頭が下がりました。

会長さん方々に、色々なことを講演前に教えていただきました。地域になくてはならない、大切な存在であること。町から任命され、地域貢献に御尽力されている皆さまとご一緒の時間を過ごさせていただきました。

90分のお時間をいただき、悲しみの現場の中にあることを、様々にお話をさせていただきました。

悲しみは、時に人を変えてしまう怖さを持ちます。と同時に、理解してくれようとする誰かと出会えた時、死の存在が、生きる意味を深くしてくれる、そういう時間を迎えるのかもしれません。復興教育授業や、いのちの授業に御指名をいただいている今。私の気持ちの中には、その中に一人でも遺族と呼ばれる立場の子が居るなら、私はそこへ行きたいと思っています。何も出来なくても、このお仕事をさせていただいているからこそ、亡くなられる方が息を引き取る前に教えてくださったこと、亡くなった人がみんなに遺してくれたことを、伝えて、私で良ければ、一緒に悲しみを共有させていただきたいと思っています。

悲しみの中にある大切なことは、きっと一人一人の人生を支えてくれると思います。少しでも、そのお手伝いをさせていただけるご縁に、感謝しています。

復興教育授業やいのちの授業の後にいただく感想文。実は、とっても楽しみにしています。先日の感想文で、素敵な感想文がありましたので、皆さまにご紹介させていただきました。

「私は、母を亡くしました。みんなにかわいそうと言われ、自分はかわいそうだと思っていました。ところが、復興教育授業の中で笹原さんは、「遺族は、かわいそうな人ではない。」と言っていました。私は、自分がかわいそうな人だと思っていたので、とてもショックでした。その後にお話ししてくれたことが、全部私に当てはまっていました。その時、ふっと気が付きました。もしかしたら、本当は一番かわいそうなのは、大好きな奥さんを亡くして、男手一つで私を育ててくれているお父さんかもしれないと、思いました。私は思春期なので(感想文にそう書いてありました。)、父とはしばらく話をしていません。でも今日、家に帰ったら、少しだけ父に優しくしてあげようと思いました。笹原さんと会える時間を作ってくれた、先生方に感謝します。」

一人一人の大切な想い出が、一人一人を支えてくれていると思います。生きるってことは、きっと自分探しの旅なのかもしれませんね。

皆さんとのご縁を感じいただき、私も多くの学びをいただきました。ありがとうございました。