2015年1月4日

かぐや姫

emergency(緊急出動)慌て家出て
コートを忘れ
雪空の中   くしゃみ止まらず

今日は一日中走って、ハァハァ言っていた気がします。安置されているお部屋の前で一旦止まって深呼吸・・・をしても、年を取ったせいか?息が整わず(笑)少し、体力を付けなくちゃ。

「かぐや姫って、亡くなる時の話?」納棺の時間に、ご遺族との話題にけっこう出てくる「かぐや姫」の話。

かぐや姫を創作した作者にしか分からないことだとは思うけど、もしその方が大切な家族を亡くされた経験があるとしたら、伝えたいことがあったのかもしれませんね。

どんなに色々やってみても、逝かなければならない時が来る。それまでの限られた時間を、積み重ねて大切に過ごすこと。でも、きっと一人ぼっちじゃない。仏様の居られる世界へ、きっと逝くに違いない。

と言う視点でも、確かに見れる物語です。そういう視点から見ると、遺族心理とぴったり合いますね。

東日本大震災の大津波で、娘さんを亡くしたお父さんが、教えてくれた思いがありました。

「うちの娘はきっと、神様の所に帰ったのだと思います。僕に、10年だけレンタルしてくださった、神様の所に。」お空を見上げて、涙を流されていました。「娘の夢が見たくて、遺体安置所で警察の人にもらった、娘の服が入ったビニール袋を枕にして寝たらね、「お父さん」って、ホッペにチューをしてもらった夢を見ました。何処かに、居てくれるのだと思います。僕の住む世界と同じでは無くても、何処かに居てくれるのだと思います。」

かぐや姫は、誰かの大切な娘さんだと言う存在であることには変わらないと思うから、一つ一つを追求して考えても良いのだろうけど、作者の思いを素直に感じるためには、narrative(物語)を素直に感じることの出来る自分であるか・・・が、大事なのかなと私個人としては思っていました。

納棺の時のお手紙や、持たせてあげたい品物は、今までと違う所へ行く大切な家族を心配して、出来ることを見付けて、遺された自分たちが出来る精一杯を今尽くして、見送りたいと言う気持ちが伝わってくる時間です。宗教や宗旨に従い、持たせて差し上げるものも違いますし、全く持たせない宗派もあります。どうしてなのか、と言うお話をお寺さん(神主さんや牧師さん等の宗教者)から教えていただいて、気持ちを少しずつ昇華するための、心の準備をしているのが納棺の時間ですね。

月の満ち欠けが、昔から人の「生死」いのちに大きく影響すると言われています。納棺が忙しいのも、満月の時から月が欠けるまで。不思議なものですね。人が生まれるのも満月の時に多いとされています。

昔、巫女として奉職させていただいていた時代に習った神話がありました。

火の神を産んだイザナミの神(奥さん)が火傷を負い、死を迎えて黄泉の国に行きました。イザナギの神(旦那さん)は奥さんに会いたくて、「待って」と言われたのに待てませんでした。奥さんは腐敗していて(この神話は、とてもリアルに腐敗の表現をしています。ちゃんと知っていて、書いていると思います。)、怒って言いました。「1日1000人殺します。」それに対して旦那さんのイザナギが答えます。「それならば、1日1500人産みます」生きること、死を迎えることが別々のように感じても、じつは表裏一体なんだと言うことを表していると、教えられました。日本書紀や古事記からも、伝えようとする側の「死生観」と言う思いに触れることが出来ます。参拝やご祈祷にお出でになる方々と、お話をさせていただくために、学んだ時間でした。

だとしたら「かぐや姫」も又、死生観と言う視点から見ると、死と生きることを、教えてくれる存在なのかもしれませんね。

多く質問をいただいていますので、お答えします。私が小さい頃によく読んだ本は、芥川龍之介の「くもの糸」です。読む度に、色んな視点から文章の意味を感じられる本ですよ。学校の図書館にあるので、是非読んでみてね。