2015年8月20日

怖いはなしシリーズ9「呪い」

復元納棺師と言うお仕事に携わらせていただいて、身元確認の時の亡くなられた方の表情に「怖さを感じないのか」と、問われることが多くあります。

専門職として故人の前に立ったとき、死後の変化の一つ一つが、一見怖そうな、一般の方が見たら気を失う方も多い、その形相を作り出しているので、技術として元に戻す方法を考えています。

総合的に私自身の一人の人の心で見たときは、悲しそうな、悔しそうな、心残りがあるのだろうなと、事件でも事故でも災害でも、腐敗していようと、その亡くなられた方の気持ちに、どうしたら寄り添えるのかを、心の部分では悩んでいる自分がいつも居ます。

自分の、技術と心のバランスを保ち復元はスタートします。私の場合は、常にその方に触れて、生きた歴史を皮膚やシワから知り、今の時間はその方の人生の一部であることを強く意識して、自分の背中を叩き、勇気に変えていきます。

形が崩れた人が怖くて背中を叩くのではなく、「出来ないかもしれない」と言う自分の弱さを戒めます。

どのような死の迎え方をしても、やり残したことはあるもんだと、亡くなっていく人に教わります。

そう考えると、
「怨霊」というのは、

殺された側と、
殺した側の意見が一致してない場合に、
本人が言う訳ではなく、遺された側が

「怨霊」

と称する訳であり、
「心残りが、あったのだろうね。」「悔しかっただろうね。」「もしかしたら呪われるかもしれない(そう思う心当たりがある場合)」の気持ちが含まれていることが分かります。心残りがあるのが不幸かと言えば、その内容にもよりますが、それはそうとは言い切れません。

心残りも、生きた証拠。

それを誰が受け取り、育ませるのか。そういうことに立ち会えるのも、この仕事の特徴なのかもしれません。

復元の現場は、どちらかと言うと皆さんマイナスの感情からのスタートが多くあります。

人は何のために生きているのかと、
本当に問われることが
よくあります。

今の私が思うのは、
人はただ、
ゆっくり眠るために生きている。

生きた道の中にあるその時々により、
その眠りの深さが変わり、

喜怒哀楽から様々な人の心を学び、
人として成長出来るのだろうと。

毎日、穏やかに深い眠りにつきたい。納棺の時間に多くのご遺族が話してくれます。そのために問題を解決しようとし、心穏やかに眠るため、様々な困難や問題に対し、学び、知恵を絞ることに人は取り組んでいるのではないかとさえ、思います。しっかり眠らなければ人は壊れると、私は思っています。壊れると、どんな感情が起こることがあるのか。それも様々ですが、

若い頃に大きな神社に巫女として奉職していた時、境内にはたくさんの呪いのワラ人形がありました。

その姿は実に恐ろしい。
目が吊りあがり、
眼球は赤い。
口は裂けているように見え、
その異様な雰囲気で、
頭に鉢巻とロウソクを二本付け、
右手にカナヅチ、
左手には五寸釘とワラ人形。
白装束を身に付け、
地に響くような低い声で、

「見たーなー!」と追いかけられたこともあるし、「見られた自分も悪いでしょ?」と言って追いかけるのを止めてもらったり。ワラ人形の実行のために白装束を着て歩いている人も度々見たし、何よりワラ人形を外す神主さんも、長くて重たいハシゴを持って大変そうでした。「呪い」を実行するために、たくさんの人に迷惑を掛けていますよと、伝えることも、ありました。

聞けば「呪い」はどちらかと言うと、
自分の思い通りにならないことから起こる、

執着心などからの妬みや嫉み、
裏切りを感じてプライドを傷付られたり、自分が上だとか下だとかそういう感情だったり、自分より優れた人を堕としたい感情だったり、相手の表面だけを見て、その人の苦しみや努力に気が付かない、自分の物差しだけで判断した結果により、その感情により眠れない。そして、呪うことだけしか考えられないようになるのだそうです。

だいたい、
自分自身さえ思い通りに出来ないのに、
思い通りに行く人生なんかあるのか?

自分自身さえ分からないのに、
目の前の人が自分であるがごとく、
目の前の物が自分であるがごとく、
感じてしまっているだけではないのか?

だとしたら、
目の前の物も人も何もかも、
自分自身ではないことを、
だから、
元々思い通りになんて行く訳が無いと、
明らかに、
知っておいた方が良いのかもしれません。

人は人、自分は自分。

ならば、柔軟な自分を育ててみることと、上手に気持ちを切り替えるための手段を、普段から持っておくこと。そうすれば「呪い」の感情は誰にも起きないはずです。

ワラ人形を打ち付けた人が言っていました。「呪いのワラ人形を行ってから、人はどんどん自分から離れていくし、何にも良いことがありません。反省するので、取ってお祓いをしてもらえませんか。」

昔の人は、殺される時に「7代祟ってやる」とも言ったと言います。

人を呪わば穴二つ

と言いますが、本当にそうなのかもしれないなと、思います。本当に呪い返しがあるのだろうなとは思いますが、

「呪われた」ことを知った人、
「呪った」側の人も、

心の中では、それは自分の心に正直なのではなく、自分の心の一部の感情のために行ったこと。その「呪い」に対して気にしていることが、自分の生活の中に自然に出てしまって、

自分の心の動きが
周りの人の動きになっている。
周りの人の変化と対応は、
自分の鏡であると言えるでしょう。

自分が変わらなければ、
何も変わらない。
良くないと思えることからも、
多くを学び、
人は生きているのではないかと思います。

復元納棺師は、カッとなったり驚いたり、現場で悲しみのどん底に落ちるとタイムロスになり、ご遺族の待ち時間を長くしてしまう結果になりますから、心動かさず感情をニュートラルにして、結果、みんなにとって良いと思えるように、次の心の移行が起こせるようにお手伝いをして、現場を終わらせるのが使命だと思っています。

悲しみと共にある人の感情は様々ですが、時に「呪い」が共にある場合には、帰り際に少しお話しをさせていただいて、ご遺族と共に語り合い、私も一緒に考えさせてもらうことがあります。しばらくして玄関で青い空を見上げて、清々しい表情になったご遺族から、家族を亡くして今から変わる生活と、生きる志を伺います。

呪いは、自分もその呪縛(行為の実行の現実)に苦しむことになる。どんなに呪っても、スッキリした気持ちにはならないと、呪いを体験した皆さんが教えてくれました。

皆さんに、改善策があったとしたら?と問うと、呪う気持ちを育てるだけの時間の余裕があった。もっと早い段階で自分を忙しく、温かい気持ちになれることを探すべきだった。呪いへの気持ちを切ったら、新たな出会いがあり、とても支えられているのだと、話してくれました。