2015年8月12日

福島県へお邪魔しました。

ラジオに何度も一緒に出演させていただいたり、福島県内を何度もご案内いただいたり、大変お世話になっております常圓寺さんにお声掛けいただき、福島県へお邪魔しました。

常圓寺さんは、震災の安置所を知っているお坊さんです。「笹原さんがどうしてあの安置所の中で、長い期間頑張れたのか、潰れてしまわないだろうかと、坊さんとして心配していたけど、そうでしょう!坊さんが付いてるから頑張れたんだよね!」宣承さんの存在を知って、とても安心してくだった常圓寺の御住職です。(あまり知られていないかもしれないけど、宗派は違っても宗教者の御住職同士は、仲良しです)宗派を問わず、門徒さんや檀家さんに人気のあるお坊さん方々は、いつだって誰かの心配をしています。

映画おくりびとの原作者、「納棺夫日記」の著者であり、納棺師として私の仕事の大先輩の青木新門先生のご講演が常圓寺さんが会場で、行われました。青木新門先生が、常圓寺さんに「今、一番会いたい人」とずっとお願いされたとのことで、前回は都合が合わず大変失礼してしまいましたが、今回は伺うことが出来ました。私のような若輩者が、お声掛けいただき恐縮してしまいました。

青木新門先生のご講演を拝聴させていただき、様々な時代の流れを生き抜き、開拓して下さった先人の苦労を知り、現代の私たちの納棺が、ずいぶん変わってしまっていることを感じながら、このままで良いのだろうかと、考え込んだ時間が何回もありました。

一般講演に伺えば、「実は納棺師(湯灌師)が大嫌いだった」と叱咤激励していただくことが、実は本当に多くあります。「全然違う人にされた」「作業だった」「思い込みで勝手に進められた」「納棺師が儀式なんて出来るはずがない。宗教者じゃないんだから」等々と実は、怒っている人が本当に多いのが現実です。でも、ありがたかったと感謝している人ももちろん居られます。

100人居れば100通りの評価があると思います。施行する納棺担当も、十人十色。自分が伺った現場ではないけれど、私も現場に出る一人の人として、そう評価されるリスクはいつでもあるわけです。評価ばかりを気にして、目の前の方を見ていないと、もちろん相手にとっては悪い印象になるでしょう。情報や知識にとらわれ過ぎて、その中に人を取り込み巻き込もうとするのも、相手に合わせた部分が無いから同じこと。同業だから、聞いて欲しかったと、納棺師(湯灌師)に対する恨みを晴らす方の悔しそうな表情を拝見する度に、身が引き締まる思いです。青木先生にも、少し相談しました。

「時代に合わせて変えていかなければならない内容もある。でも、日本人として絶対に外してはいけない死生観もある。信仰心が失われれば、いのちの存在がないがしろになるよ。納棺は、いのちのバトンタッチだからね。温故知新、難しいけど見誤らずに、頑張れ。」そう、心を掛けていただきました。

青木新門先生のご講演は、戦争中に亡くした小さな妹さんのこと、戦後二人から始めた葬儀社が、社員500人を超えたとき、葬儀の形が大切なものを失っていくのではないかと言う危機感の中、社員教育の目的でテキストとして書いたのが、「納棺夫日記」だったことを伺いました。私も新人の頃に納棺夫日記を拝読し、気持ちを整えて育ちました。

青木新門先生が言いました。

5年も6年も掛けて、主演をされた本木雅弘さんが納棺夫日記を映画にしようと熱心に動いていたこと、何度も青木新門先生のところを訪ね、誠実に納棺夫日記と向き合ってくれたこと。本木雅弘さんと青木新門先生の信頼関係は、長い間に培われたものだったこと。原作と違うことで、納棺夫日記を原作としないで欲しいと心中を伝え、約束を守ってくれたこと。

「納棺夫日記のね、7割は私は死生観と宗教学を書いているんだけど、私は仏教が特にみーんな大好きで、中でも親鸞さんがとても好きでね。脚本に僧侶も僧侶の言葉も何も無くなって、その大切な7割が全部無くなってしまっていたから、原作を外してと頼んだんだよ。でもね、私の原作を忠実に脚本にしていたら、もしかしたらアカデミー賞は取れなかったかもしれないよ。アカデミー賞は、本当に素晴らしい賞だよ。苦労していた本木雅弘くんをずっと知って見ていたから、私も嬉しかったよ。そして、私の納棺夫日記も守れたから、私はそれで充分なんです。」

御歳78歳の青木新門先生は、とても謙虚で志が高く、少年のような方でした。

全国各地、多業種の皆さまにご講演されている青木新門先生とは、医療の学会などで会場は違うけれど、ご一緒の学会講演の時が多々ありました。(ご芳名は拝見していました)お会いしたことはありませんでしたが、どんな怖い人だろうと、本当は思っていました。(先生、ごめんなさい。)常圓寺さんの御紹介だったので、ドキドキしながらお会いして、少しお話しさせていただいてその直後、

「はーい、収録しますよー!」

常圓寺の御住職と、青木新門先生と、私の3人の対談、ラジオの収録でした。大和田アナウンサー、お世話になりました!

福島県は、放射能の問題で未だ遺体の捜索活動が行われていない場所があるそうです。伺って胸がグッと苦しくなりました。まだまだ終わらない東日本大震災ですが、みんなで頑張るしかないことも多いから、普段の生活の中にあることも一つ一つ大切にしつつ、声を掛け合って頑張ります。