2015年11月7日

いのちの授業

岩手県花巻市立宮野目中学校に、「いのちの授業」で伺いました。到着して、校長室で校長先生と、打ち合わせをしました。

東日本大震災発生後に沿岸から引っ越して来た子どもたち、それから大切な家族を亡くした経験のある子どもたちが居ると聞き、先生の思いを組み込む必要があったので、用意した話しを直前に全部変えて、いのちの授業に挑みました。

それが良かったのか悪かったのか・・・、みんながそれぞれの思いを発言してくれて、中盤には一見、収集がつかなくなったような(笑)良いんです、良いんです。話し合って考えてもらうことがとても大事。(´・Д・)」

悲しみの中にあるもの、死の存在が教えてくれること、亡くした家族を想う気持ちと、想い方(大人で言えば、偲び方)。死の存在の意味など、皆さんと考えました。

いのちの授業終了後、校長室に沢山の生徒さんが集まってくれて、色々話しました。「はい、ファンサービスおわり〜〜!」校長先生の掛け声で、みんなとご挨拶をして、玄関を出ました・・・。

そしたら今度は、「お話ししたい〜〜!」と生徒さんたちが10人くらい駆け寄ってきてくれて、30分くらいかなぁ?みんなとお話しをしました。

大切な家族を亡くしても、関係性は絶対に変わらないこと。これだけは知っておいて欲しいと、私はいつも思っています。悲しみの現場ではみんな、その答えを苦しみの中から見付けます。そして、ホッとした表情になります。亡くした家族を想い、とっても悲しくなったとき、いっぱい考えた後に人は、亡くした家族の気持ちから、今を考えられるようになります。遺される人も、逝く人も、とってもお互いを思っていることに気が付いた時に、肩の力が抜けることも多いものです。

悲しくて、苦しくて、そういう時間を過ごした人の答えや言葉は、とても説得力があって、優しい。人を傷付けたりは、絶対にしない。悲しみは、人に備わった大切な感情だと、私は思います。今日の授業で、それを知ってもらえたら良いなと、私は思っていました。

最近は、「笹原さんの会社に遊びに行きたい〜〜!」「子どもの集まる会は無いの〜?」と言ってくれる多くの生徒さんたちが増えました。納棺は、開かれた業種になったのか??分かりませんが、

「死」を考えたときってね、実は「生きること」に目を向けているんですよね。ご遺族が、死を迎える人が、いつも私に、そう教えてくれます。私はただの架け橋で、そういう形で皆さんの人生に、少しでもお役に立てたら嬉しいです。ありがとう。また、会いましょう!