「死」を経験して遺されたご家族は、生活のリズムやペースが変わっていく時間を迎えます。
その時に死に携わる私たちが求められること、そしてプロだから伝えられること、そして人だから感じ取れ、その中で大切にするべきことを一つ一つ見付ける作業を誠実に向き合い、怠らないこと。
同じ人はこの世に二人といない、同じ現場も二つとない、そして時間も二度と戻らない。死に携わる側が、大切な一つ一つを知り得て意識し、如何に今を、ご縁のある人たちと一緒に生き抜くか。
死の存在は、生きていたその人の存在を通して、戻らない時間の価値を教えてくれ、人のつながりの深さを感じられる心を養わせてくれ、その人を思うからこその「後悔」を通し、
出来ないことに対しての苦しみを深く教えてくれて、その中で出来ること、役割を与えてもらえることが発生したときに、喜びを教えてくれます。
後悔も、後悔の仕方を知れば、決して悪い感情ではなく、人に備わった大切な感情であること。何より後悔という経験を経過して、亡き大切な人と今でも心がつながっていることを、また現場で教えてもらえます。
おじいちゃんを亡くした経験のあるお孫さんが、教えてくれました。
「おじいちゃんに対しての後悔が、たくさんありました。お年寄りを見ては、おじいちゃんと重ね、関わってもらいました。とても面倒を見てもらったその人が亡くなったとき、その人はその人しか居ないんだということを知りました。
それが分かって泣いて後悔しても、後の祭りでした。
いっぱい泣いた後、ふっと気が付きました。僕には、おじいちゃんが二人居たんだと思っています。血のつながっているおじいちゃんと、全部を知って受け止めてくれた、もう一人の僕の大切なおじいちゃんです。これからは、二人を想って、想い出を生きる支えにして、生きていきます。」
後悔は、過去に対する経験から生まれます。後ろを振り向き過去を見る勇気も、彼が出した答えの中にも、ちゃんとお二人が存在していて、何より彼がお二人からもらった愛情が、彼の出した答えを生んでいるのだと、私は思いました。
死は、終わりを意味しません。一緒に生きようとすれば、いつだってその人の笑顔が浮かび、いつだって一緒に居てくれる。私もそう、思います。
会場の皆さんと、一緒に考える時間を与えていただいたこと、感謝を申し上げます。ありがとうございました。