2016年9月28日

曹洞宗宗務庁職員共済会様講演

曹洞宗宗務庁様からの御依頼で講演のため、東京に来ていました。

曹洞宗宗務庁は、全国の曹洞宗のお寺さんを統括している所です。曹洞宗の本山は二ヶ所あり、福井県の永平寺と横浜の総持寺になります。

雲水さんという修行僧が全国各地から集まり、各寺に約200名居られます。お寺に篭り、修行が厳しいことでも知られていますが、色々伺っていると、所作や作法など含めてやっぱりすごいなぁと思いいました。

どちらの本山でも、過去にお話しをさせていただきましたが、どちらも私にとっては想い出深い講演になりました。お世話になりました。

昨日の講演は、これまでとこれからを考えるという内容で、お話しをさせていただきました。

全国各地で発生する災害に於いて、お寺さんが被災者の皆さんの避難所になることも多く、災害支援・援助を受けられる場所としても、死生観を得られる場所としても、宗派を超えて現在も多くの人の心の拠り所となっています。

現場の中のお話しとして一つ、死を迎える方が、死期が近くなると話してくださるお迎え話し。

「あらぁ。先に逝っている母が迎えに来てるから、そろそろかな。」

そう語られたとき、(一人で逝くんじゃないんだ!)と受け取り、残される側は何だか少し安心するものです。

お迎え話しは、お看取りをされているDr.が記録を書籍に残したり、医療の学会でも発表されることが多くなる時代になりました。

旅立つ側と、遺される側の間に立たせていただいたとき、現場で人生や背景を伺い、ご家族と一緒に私も、悩んだり苦しんだりします。そこで、僧侶の皆さんに少し、現場でご家族と話す内容の中で、知りたかったことを質問をさせていただく時間を頂戴しました。

私「108の煩悩のイメージは、何かたくさんの悪いことという印象が強くあるのですが、実際に煩悩って悪いことなのでしょうか?勉強不足で、すみません。」

お坊さん「欲は、人が生きるためにとても必要なことです。度を超えて行き過ぎてしまう、そういうことを戒めるための仏法として、煩悩の考え方が存在します。知恵を持ち、情報を持ち、自分をコントロールして、バランスを取って、人と調和していくことが大切です。」

私「苦難とは、如何なることでしょうか?」

お坊さん「苦難の字には、有難いという意味が含まれています。苦難を経験した人にしか得られない物があります。優しさや思いやり、人とのつながりの深さ、考えることの深さ、何かを守ろうとする強さなどを得ます。」

普段講演やセミナーでは全く語ることがありませんが、私の大好きな「火の玉」の話になり、

お坊さん「「火の玉」と「人魂(人だま)」は違います。火の玉は火のかたまりで、骨の中のリンが発生させます。人魂は、火の玉の中に顔がある。火の玉より少し大きいものですね。」

なんと、違ったんだ!

お彼岸と此岸(しがん)のお話しも、とても心に残りました。お盆やお彼岸のときに、お寺さんで拝聴出来る法話を教えていただきました。お釈迦さんのお勉強をきちんとしていない私のような者が、ここで語ってはいけない気がします。お寺さんに是非足を運んで、拝聴してくださいね。

色々とお世話になり、お知恵をたくさんいただいた時間でした。ありがとうございました。