2015年9月11日

いのち新聞

先月下旬、いのち新聞の編集会議がありました。編集長を持ち回りにしよう!ということで、新しい編集長も決まり、よく記事を書いてくれるYちゃん7歳になりました⁉︎そして私は、補佐になりました(笑)なんとまぁ、この子もまた、頼もしい。

みんなで色々話すのは、「生きる」を探す作業。東日本大震災の過去と現在、そこから未来を考えること。過去に行ったり来たりしながら、復興のこと、その意味、それぞれの生まれ育った被災地沿岸の未来、それぞれの職種から見て、感じる震災からの生活のこと、色々とみんなで考えます。

例えば大切な家族の「死」を、無理に受け入れようとすると、人はきっと壊れてしまうでしょう。

気持ちが繊細になっている分、人の言葉にも敏感になります。

周りの圧に耐えられなくなると焦ることも少々増えることがあります。イライラしながら、冷や汗も出る。冷静になろうとすると何故か、心が乱れて取り乱してしまう。

そんな日々が続いてしまうと、人と会いたくなくなってしまうので、その前に理解してくれる何かと出会うことが、安心につながります。いのち新聞が、そういう皆さんの相棒として選んでもらっているのも、私たちも嬉しい限りです。

大切な家族を思い続けて生きることは何も特別なことでも、悪いことでもありません。きっと、ずっと思い続けて生きるのは、みんなきっと同じだと思います。変わるのは、思い続ける「内容」が変わって行くのだと思います。どのような人と出会い、どのような話しをするのかと言うことで、良くも悪くも「内容」は変わっていきます。自分自身の生きてきた中での信念こそ、自分や家族、周りの人を守ってくれるのかもしれませんね。

いのち新聞は、泣いているだけの会だと思われがちですが、いやいや、そんなことはありません。もちろん、涙が出ることもありますが、けっこう知恵の出し合いをしたり、それぞれに守り伝えられた地域の伝統の話題の出し合いや、こんな面白い会話をして来たよ〜等々、きらめきと、ひらめきの時間であることも確かです。

そんな編集部の話し合った内容を「編集後記」にしようかとまとめ始めたとき、多分、一般的には?普段の生活の話題に上がらないであろう、ここまでの盛り上がりにはならないであろう、いのち新聞ならではの、あまりにもステキな会話が多すぎて、「新聞の全部が埋まってしまうじゃない〜〜(笑)」なんてことが、多々あります。やっと絞りに絞った、編集後記も皆さんのお楽しみの一つとお聞きしました。

現在は、2ヶ月に一度の活動になっております。また、ご報告出来たらと思います。☆彡お問い合わせ、ありがとうございます。

今日で、東日本大震災から4年半です。「あっという間」と言う感覚は、当事者の生活は慌ただしくても、心の時間は、ゆっくり進んでいるので、そういう表現にはならないかなと思います。

質問も多いのですが当事者の方と、当事者ではない方の感覚の違いは「時間の流れの感覚」の違いです。どちらが合っていて、どちらが間違っていると言うことではなくて、感覚の違いがあることをお互いが理解していれば、きっと色々共有出来ると思います。

これも多い質問で、当事者に良かれと思って掛ける言葉は、だいたい外れてしまって当事者の怒りを買いやすいので、そこら辺はちょっとだけ気持ちに配慮してもらえればと思います。決め付けと押し付けの言葉はナンセンス。グリーフケア(悲嘆の援助)の本質は、思いやりと優しさと、いたわりです。悲嘆を援助する意気込みよりも、普段からの関わりの中にさりげなく「思いやりと優しさと、いたわり」の癖付けがあることの方が、ずっとステキだと思います。私も、普段から意識して過ごせればと思っています。

皆さまのいのち新聞の応援、ありがとうございます。これからも、よろしくお願い申し上げます。