2015年9月3日

怖いはなしシリーズ10

「幽霊の証明は如何に」

納棺終了後の遺族訪問のとき、
「家の中に、まだ居るみたい!」と、ご遺族からお話を伺うことも実は多くあります。

階段を上がる音、
小走りに降りてくる音。
スーッと人影が通るなんてことも、実は多くあります。

あぁ、物が落ちてくると言うこともあります。何ですか、ポルターガイスト⁉︎でも、全然怖い感じがしないのです。

何でしょう、幽霊と人の思いは共通のものがあるのかもしれないと感じることがあります。

人の思いと共にある記憶、
ただ「記憶」と文字にすればたった二言。

記憶は、この世に証明出来ない。

記憶は過去の、自分の経験。

記憶を文字にするか、
その度に記念写真に撮るか、

けれども、その記憶の全てをこの世に遺し、証明するのは、不可能であるということ。

幽霊も同じ、
証明出来ない。
証明出来ないから、共有出来ない。
共有するとすれば、
情報や経験から知り得る、
その時に受けた感情のみであるということ。

人は、自分の物差しで物事を計るし、
生きてきた道のりが違うから、

結局、同じものを見たとしても、
見方も価値観も、評価として異なります。

それについて争う必要も全く無いし、
評価し合うことも、
あまり意味が無いかもしれないし。

何より、

それが自分を支えてくれることなら必要だし、
それを必要としない人には必要ない。

人に押し付けさえしなければ、
人に迷惑を掛けなければ、
生きることに支障がなければ、
自分の自由な世界の中のことだから、
それで良いと思います。

幽霊が居ようと居まいと、
何れにせよ
私たちが1日1日を、
真に生きていかなければならないことには、
なんら変わりはありません。

でも、時々映る写真は?
と問われれば、
私から見れば、
少し嬉しいことでもあります。

納棺にご縁をいただいた、
ご遺族に見せていただく写真の中に、
あの時のあの方が、
違う世界で、
元気に過ごされている様子を知れば、
「良かったぁ、お元気そうで。」と、思います。

「みんな、元気だよ!」と、
そういうお知らせであるのかなと、
少し嬉しくも感じます。

ご遺族に言わせれば、
「チョー迫力のない、心霊写真(笑)」
笑顔だったり、時にはピースしていたり、何とも素敵な心霊写真に、しょっちゅう出会います。