「だまされたんだよ!」
(いきなりですか!)
とスタートから嘆く、御歳90歳の奥さま。旦那様とのお別れの時間に、私の耳元でこっそり伝えてくださいました。
「そうなんですかぁ。」
「楽させるからって、そう言われて嫁に来た。この旦那、本当によく働くし、酒もタバコもやらないし、浮気もしないし、優しくてすごく大事にしてくれて・・・」
「・・・。」
「あれ?なんで、だまされたんだっけ?」
(えっ?えっ?何がですか?)
「・・・幸せ・・・、でした?」
「・・・だね。(爆笑)」
(素敵!)
「旦那ね、死ぬって言われてたんだけど、頭で理解するのとね、実際に経験するのとね、全然違うものなのね。本当に動揺しちゃったの。でも、みんなに良くしてもらったよ。あ、今度から一人暮らしになるの。遊びに来てくれる?」
(そう、こうして遺族訪問希望は、突然やってくる。)
「はい、伺いますね。」
(にっこり)
「この歳になると、お寺の行事が楽しみなんだよ。毎回、お寺の行事に出てると、「あれ、今日来てないな」って、住職が気が付いて、腐ってる私を見付けてくれるかもしれないでしょ。(笑)」
(身近な方の死を経験すると、誰でも自分の死を意識します。自分の生活の中に死を感じるようになりますから、そうですね、その時が夏ではないことを祈ります。って言うか、さっきの話は、もう良いのかな?(笑))
「お寺で皆さんと、どのようなお話をされるんですか?」
「悪口!」
「悪?」
「いや、愚痴!」
(オーライ!)
あっと言う間の1時間でした。(笑)最後に、腰の曲がられた小さな体で私、ハグされて、
「今日のお礼ね。」
涙をいっぱいためて、棺の窓から御主人のお顔を覗かれていました。表現は人それぞれで、お別れの形もそれぞれです。どんな表現であろうとも、大切なご家族を亡くされたことには変わりません。これから、現実に生活の形が変わる時を迎え、ご家族を亡くされたことを感じられる時間を迎えられます。頼りにされているお寺さんの存在が大きかったので、少し安心しています。少し落ち着かれた頃に、伺ってみようと思います。