14日には、県立遠野病院さんでのセミナー。総看護部長さんが心配していた通り、セミナー会場は人が入り切らず、立ち見も出ました。多くの医療従事者の皆さんが、お看取りをされた患者さんを想い続ける気持ちを教えていただきました。Dr.の皆さんも、御多忙の中で多くご参加いただき、本当に頭が下がる思いでした。
今日は、いのち新聞の編集会議がありました。東日本大震災の、3月11日が近付く今。あの時の様々な記憶が蘇ります。今日は、阪神・淡路大震災から21年目の日でしたので、編集会議が始まる前は、みんなで御線香を付けて手を合わせていました。近々、No.6をトップページにupさせていただく予定です。
明日は、一般の方向けの講演です。どんな話しをさせていただくか、担当さんと何度か打ち合わせをさせていただきました。会場には震災絵日記のパネル展が開催されることになり、講演終了後にはサイン会があります。450名のチケットが完売で、600名のお申し込みがあったそうです。「せっかく足を運んでいただくのですから、お断りはしません。」と担当さんが話してくれました。ステキです。皆さんと共有させていただける様々なことの中で、私もたくさん学ばせていただきたいと思います。
19日は夢ハウスのすり傷公園の「お別れ会」を済ませた公園の解体の手伝いに、
20日は大学病院でのセミナー、
21日はアポがいくつかあり、
22日から日総研さんの東京セミナーです。
24日は満月。
25日から鳥取県に伺います。
予定はビッシリですが、もちろん現場の人間ですから復元と納棺に走ります。先日の復元の現場で、故人のお体の状態が非常に悪く、ご家族も大変心配されていました。「もう少し、お待ちくださいね。」と皆さんにお声を掛けて、お手当てに集中。すると、故人のお父さんが傍に来られて言いました。
「話して良い?」
「はい、もちろん。」
「・・・息子にね、置いていかれちゃった。」
その後、少しお話しをさせていただいている中で、
「今までさ、散々心配掛けさせられたから、今度は、いっぱい心配させてやろうかな。ん!良い考えだ。」と、涙を流しながらお話しをされていました。
私「どんな心配をしていただきましょうか?」
父「ん、・・・あら?どんなことしたら良い?」
お部屋の中にいた皆さん、お父さんが息子さんを思う一生懸命な姿勢に、笑みが出ました。皆さんそれぞれが優しく思いやり、お父さんに声を掛けてくださいました。
「うちの息子けっこう自由人だったから、あの世でみんなと楽しくやってくれてたら良いね。」現在から未来に向けた言葉が出るとき、誰でもステキな笑顔になります。
ご遺族から現場で質問されることの多くは、現在起きている変化についてです。急死は触れると体が硬くなったように感じ、硬直が強く起こります。死斑という現象、アザに似た色も出ます。どちらの現象もご遺族は驚きます。心配する気持ちから、どうしてそうなるのかを質問されます。だから、答えます。それは、元気だった証拠であり、絶対に苦しんだと断定出来るわけではありません。表情が苦しそうに見えるのも、顔の表情筋が硬直を起こすことで表情が動き、どちらかと言うと顔の中心にシワが集まったように見えるので、苦しそうに見えることがあります。死後に起きたことは、御本人の意思ではありません。あくまでも、時間が経過していくことでの筋肉や脂肪分などの変化です。原因や仕組みが分かれば絶対に直せます。死後に変化した表情ではなく、故人が生き生きと生きていた、そのステキな表情の方を大切にしていただければと思い、その時間の少しのお手伝いしか出来ませんが、死後変化を直すため現場に走っています。