2017年2月22日

長野県善光寺にて

納棺現場に向かい、継続した遺族対応と、

曹洞宗宗務庁さまからご依頼の「禅の友」など、綜合ユニコムさんの3月のセミナー1日目と2日目の各追加テキスト、日総研さんから出版される緩和ケアの専門誌「エンド  オブ  ライフ」は一年間の連載として、小中学校の先生方との現状のいのちの話しの記録と対策などなど、教育、宗教、葬祭、医療・介護の様々な業界の原稿を作成する時間をいただいていました。



15日は長野県の善光寺さんへ、僧侶の皆さまに向けて、60分×2コマの枠で講義に伺いました。

いま、様々な業界の色々な世界に触れさせていただいて、気が付いたことが幾つがあります。

むかしと今。

変化していくもの、
変化させずに守られているもの、
悩んだからこそ気が付いたら、本当は傍にあった!というもの。

いのちが教えてくれる沢山のこと、
温かい人の心と並行して、
人の心の隙間に入り込む様々なこと。

むかし話は、いのちの色々なこと、人の心の本質、そして自分を戒めることも教えてくれます。

自分の心をコントロールしながら、自分と付き合っていくことの大切さ。

現場の現状から、色々なお話しをさせていただきました。

私の講義の前日に講義をされた某大学(ブログにお名前を出させていただいて良いか、許可をお願いするのをうっかり忘れてしまった)の宗教学の教授に、色々なことを教えていただき、むかしと今の答え合わせもしてもらえて、「ですよねー!!」という会話で談じ合いをしていただき、お知恵を沢山いただきました。

宗教学の中には「信仰」があり、「信仰」の中には死生観がある。そして死生観の中には風習やしきたりがあり、その中には悲しみを持つ人が求める根本があります。

参加型納棺、参加型納棺を基本とした特殊遺体復元は、

医学・法医学・生理学・骨学などを含む専門的な知識と法律が基本になる技術と、死生学があって初めて談じ合うことが基本になります。

分かりやすく言うと、

本人に戻ったと、ご遺族に評価をしていただいたとき、生きていたときに流れたいた血液の代わりに死生観が、止まった人の心を動かし始めます。

なので、私もとても勉強になりました。

信仰って、親を思い子を思う、友人を思う、人を思う、そういうことの中にも、普段の生活の中にも、信じて仰ぐ真実があると思うので、存在すると思います。

人を信じることが難しくなった現代だから、悲しみの現場の中で、組み直さないとならないことも増えてきてはいます。

宗教学は、自分と向き合うための知恵が、関わる人を幸せにすることが沢山含まれているから、現代においても注目されて来たのだと思います。

宗教学は生きる道。
信仰は、人をつなぐコーディネートにつながる。

納棺の時間には、一人一人が大切にしている信仰があります。多くの宗教に触れさせていただいて、沢山の学びをいただいている今に、感謝を申し上げます。

長野県は高校のいのちの授業と、御嶽山の噴火のときに救急で受け入れをされた病院に、講演に伺っています。

皆さまのご健勝を、お祈り申し上げます。