納棺が終わってから、お孫さんに相談されました。どういう意味だったんだろう?本当に悩んでいました。以下、その内容の一部を紹介します。
という言葉をおばあちゃんから言われて、なんて答えて良いか分からなかった。ショックだったと、そしてそれが最期の言葉になったのだそうです。
ときに受け取る側は、表面だけ受け取ってしまうことが多いので、「これでもう、会えないかも」と最期を意味され言われているような、その人が大切な人なら尚更ショックを受けることの多い言葉ではあると思います。でも、ご本人の気持ちの中にあるものは
「いま、この上ない幸せな時間だよ」
と伝えてくれている気持ちの裏返し、とても素直に表現してくれている言葉だと私は思います。表面だけの言葉も、それだけでも意味を成すけれど、一歩踏み込んでみるとその奥にある「いま、とても幸せだよ」と伝えてくれている、そう伝えてくれている気持ちを受け取れると、もっとステキですね。
人は覚悟を決めたとき、過去を振り返る。
「最後(最期)」という言葉が出たときは、何かしらの覚悟を決めているときです。ただ突発で決めたというより、考える時間を経ての今であることが多くあります。その特徴として、むかしの想い出話しが出ることも多くあります。
「そのとき、想い出話しが出たでしょ?」
と私が聞くと、
「はい!」
お孫さんが笑顔で、答えてくれました。お孫さんの小さい頃のやんちゃで手が掛かった話し、成長していく過程の話し、プレゼントを選ぶときの、おばあちゃんのその時の気持ちが、想い出話しとして出ていたそうです。
おばあちゃん自身が頑張ったことより、子や孫との関係性の中にある、印象的だった話しや、かけがえのない宝物になっている想い出。誰かのために、一生懸命だった、かけがえのない時間。忙しい時には想い出されなくても、時間と気持ちに少し穏やかな時を迎えたとき、病気に向き合ったり、歳を取ったことを意識したときなど、人生において何かしらの変化の気持ちを持ったとき、想い出されることがあります。すっかり仲良くなれたので、会話を深めていきました。
「今までは、あなたの生きている時間は、あなたと場を違えても、おばあちゃんと同じ時を過ごしていた訳よね。(中略)あなたの存在が、おばあちゃんを支えていたんだね。
(中略)
これからは恩返しね。おばあちゃんの想い出を胸に秘めて生きるわけだから、(中略)あなたが生きていること自体、おばあちゃんの歴史そのままなんだと思うよ。
返事は求めていなかったと思うしね、どちらかというと、独り言に近い感じだったでしょ?
あなたは、私の宝物よとさり気なくおっしゃっていたのだと思います。
(中略)
さて、おばあちゃんにもらった優しさと知恵を、次は誰にバトンタッチしましょうね?」
(略・個人情報なので)
お孫さんは自分を責めている気持ちからのスタートでしたが、おばあちゃんの想い出に添って、自分の考えを噛み砕いて当てはめて考えたとき、少しずつ納得して笑顔になっていきました。それは、おばあちゃんがお孫さんを愛した歴史の中にある、力なんだと思います。
人との関係性を深めるには、価値観の擦り合わせはもちろんだけれど、お互いの受容が如何に積み重ねられているかも、関係してくると思います。
参加型納棺なので、お話しを聞かせてもらうことは多くありますが、故人が如何にその人を愛していたのかの瞬間に出会えることも、実はあるものです。悲しみの中にある想い出に触れさせてもらって、幸せのおすそ分けをしてもらった気持ちになりました。
悲しみを生きる力に変えて、頑張って欲しい。「頑張れ」とは言わず、頑張るhow-to(方法)を伝えることも、あります。おばあちゃんに託された気持ちになったので、私もちょこっと頑張った、そんな会話でした。
これが最後かな?
の言葉が出るときのシチュエーションは、遊びに行った帰りなどの「またね!」の時、ちょこっと淋しくなったときに出ることが多くあります。そんなときは気の利いた言葉を求められていないことも多いから、ありったけの笑顔が返せると良いですね。
言葉よりも表情が、その人を元気付けることもあるものです。